ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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2018/03/01 句読点や細かい部分を修正


第236話 その日の放課後、詩乃は

 シノンこと朝田詩乃は、幼い頃の事件の影響で、

中学を卒業した後は、祖父母に引き取られるような形になっていた。

詩乃は中学を卒業後、就職する事を希望したのだが、祖父母の強い願いにより、

過去の影響が少ない東京で進学する事となり、高校では一人暮らしをしていたのだが、

引っ越してきた当初は当然友達もいなく、学校にもなじめなかった。

そんな詩乃に声を掛けた女子の三人グループがあった。リーダーの名前は遠藤という。

詩乃はそのグループに入り、しばらくは普通の女子高生らしい生活を送っていたのだが、

ある時その状況は一変した。遠藤達は、詩乃が一人暮らしだと知り、

詩乃の家をたまり場として利用する為に近付いただけだった。

そしてある日、自分の家の中から、遠藤達以外に知らない男の声が聞こえた瞬間、

詩乃は自分の家に知らない男がいる光景を想像し、その事で耐え難い気持ち悪さを覚えた。

そして詩乃は、直後に遠藤達と手を切ったのだが、

それ以来詩乃は、よく遠藤達に金銭をせびられるようになっていた。

どうやって調べたのか、詩乃が幼い頃に人を撃ち殺した事があると知った遠藤は、

詩乃のトラウマの元となっている銃のモデルガンを入手し、

それを見せられた詩乃は、世界史の授業中に教室で吐く事になった。

すぐにその元となる出来事もクラスメート達に伝わり、詩乃は教室で完全に孤立した。

その事があってから、そのモデルガンが詩乃の弱点になると確信した遠藤達は、

事あるごとに詩乃に金銭をせびるようになっていた。

だが詩乃は、まだ一度も遠藤達に金銭を渡すような事はしていなかった。

 

(こんな奴らには絶対に負けない、そしてお爺ちゃんお婆ちゃんの為にも、

絶対にこの学校をやめたりはしない)

 

 詩乃はそう考え、歯を食いしばって学校に通い続けた。

そんな詩乃は、その日の授業中、ずっとそわそわしていた。

 

(ああ、もうすぐ放課後だわ……どうしよう、

シャナは学校には黒いスポーツカーで迎えに来るって言ってたけど、

そんな所を見られたら、またあいつらが何を言ってくるか……

今から待ち合わせ場所を変えてもらう?でも連絡手段が無い……

ああもう、何で私、この学校の名前を口にしちゃったんだろ)

 

 前日の別れ際、シャナはシノンにこう言った。

 

「そうだシノン、明日なんだけどな、明日はお前の学校まで、

俺が一人で黒いスポーツカーで迎えに行くから、お前の学校の名前を教えてくれないか?」

 

 先ほどまでの熱狂のせいで、少し浮かれていた詩乃は、その問いにあっさりと答えた。

詩乃は学校名を口にした後、あっと思い、慌てて自分の口を塞いだが、後の祭りだった。

シャナはニヤリとすると、詩乃の学校名を口にし、そのままログアウトしていった。

そして授業終了のチャイムが鳴り、詩乃はガチガチに緊張しながら教室を出た。

昇降口で靴を履き替えた詩乃は、重い足を引きずりながら、そのまま校門へと向かった。

校門前には多くの生徒達がいたが、その一角に、妙に女子生徒の多い場所があった。

詩乃が何だろうと思って近付くと、その中心には一台の黒いスポーツカーが止まっており、

そこにもたれかかった一人の男性に、どうやら女子生徒達が群がっているようであった。

 

(あれってガルウィングって言うんだっけ?すごいなぁ、あの車、いくらするんだろ。

まさかあれがシャナ?いやいや、いくらシャナでもあそこまで格好いい訳が無いわよね)

 

 詩乃がそう評する通りその青年は、いかにも高そうで、

それでいてセンスのいい小奇麗なジャケットを着て、

困ったような顔で女子生徒達の相手をしていた。

まだ大人になりきれていないその風貌は、詩乃の好みにとても合っていた。

 

(あれがシャナだったらな……いやいや、そんな訳ないじゃない、

どう見てもあれは、すごく大きな会社の御曹司とか、そういった感じの人よね。

私が想像するシャナのイメージとは、似ても似つかない……のかな……

私が想像してたシャナの理想の姿って、ああいう人じゃなかったかな……

いやいや、うん、さすがにそれは無い。

さて、遠藤達に気付かれないうちにさっさとシャナを探そっと)

 

 そう考えながら、その車の横を黙って通り過ぎようとした詩乃に、

声を掛けてくる者がいた。それは何と、女子生徒達に囲まれていたあの青年であった。

 

「おい朝田、どこに行くんだよ、こっちだこっち」

「……え?」

 

 詩乃が慌てて振り向くと、そこには女子生徒達が横によけたせいか、道が出来ており、

その中心にいるあの青年が、こちらに向かって手を振っているのが見えた。

詩乃は少しそちらに近付くと、おずおずとその青年に言った。

 

「あ、あの……人違い……じゃ……?」

「ん?別に違わないだろ。俺が待ってたのは、確かにお前、朝田詩乃だ」

「そ、その喋り方……まさか……」

 

 その青年の喋り方は詩乃にとって、とても馴染みのある喋り方だった。

詩乃は、シャナ、と言い掛けて、慌ててそれを止めた。

他人をハンドルネームで呼ぶ事が躊躇われたからだ。

詩乃は驚きのあまり、腰を抜かしたようにその場に蹲った。

その青年はそんな詩乃に近付くと、詩乃の耳元で耳を疑うような事を言った。

 

「おい朝田、お前の心配事を一つ減らしてやる。遠藤ってのはどいつだ?」

 

 詩乃はその言葉に頭が真っ白になった。そして無意識に遠藤の事を指差していた。

 

「分かった、すぐ起こしてやるから、ちょっとそこで待っててくれな」

 

 そう言うとその青年は遠藤に話し掛け、その耳元で何事かを囁いた。

それに対する遠藤の反応は激烈だった。遠藤は、最初は嬉しそうにしていたのだが、

その青年に何かを囁かれると、恐怖のこもった視線で詩乃を一瞥し、

そのまま取り巻き達と一緒にどこかへと走り去っていった。

それを見たその青年は満足そうに頷くと、再び詩乃の下へと歩み寄り、

まだ立つ事が出来ない詩乃を、お姫様抱っこの形で抱き上げた。

 

「あ、あの……」

 

 困惑しつつも恥ずかしくなった詩乃は、その青年に声を掛けようとした。

だがその青年は、それを遮ると、とても優しい口調で詩乃に囁いた。

 

「まだ立てそうにないだろ?いいから俺が車まで運んでやるよ、朝田」

「わああ、いいなあ!」

「朝田さん、羨ましい!」

「きゃああああ」

 

 周囲から女子生徒達の黄色い声が上がったが、その青年は特に気にした様子も無く、

詩乃を抱き上げたまま助手席側に回り込み、唐突に車に向かって話し掛けた。

 

「キット、助手席のドアを開けてくれ」

『分かりました、八幡』

 

(八幡ってのが、もしかしてシャナの名前なのかな……って、あれ?今誰が返事をしたの?)

 

 詩乃はそう考え、車の中を見たのだが、そこには誰もいない。

そして青年は再び車へと話し掛けた。

 

「キット、少し乗せにくいな、助手席をもう少し倒してくれ」

『分かりました、このくらいでいいですか?八幡』

「ん~、もう少し倒してくれ」

『はい、それではこのくらいで』

「それでいい」

 

 そしてその青年、八幡は、詩乃の体を気遣うように、そっと詩乃を助手席に下ろした。

それと同時に周囲から驚きの声が上がった。

 

「い、今、車が喋ってなかった?」

「す、すげえ……これ、いくらするんだろ」

「俺もいつか、こんな車が欲しい」

 

 そして困惑する詩乃の隣に座った八幡は、ドアを閉め、再び車に話し掛けた。

 

「キット、周りの生徒達に、危ないから下がるように言ってくれ」

 

 そしてその言葉通り、キットは生徒達に注意をし、

生徒達が下がったのを確認した八幡は車をスタートさせ、どこかへ向かって走り出した。

 

「驚かせちまってすまないな、朝田。俺はシャナこと比企谷八幡だ、宜しくな」

「あ、うん、私は朝田詩乃……です、初めまして……って違う、ああもう、何がなんだか」

「ははっ、聞きたい事が沢山あるんだろ?全部ちゃんと答えてやるよ、朝田」

「私の事は詩乃でいい……ですよ。もう全部バレてるみたいですしね。

それじゃあ順番に聞きますね、まず、どこで私の顔と名前を知ったんですか?」

「それじゃあ詩乃で。え~っと詩乃、それに関しては謝らないといけないよな。

勝手に詩乃の事を調べたりして、本当にすまなかった」

 

 八幡は詩乃にそう謝った後、今回の経緯について説明を始めた。

 

「お前も知っての通り、俺には色々としがらみが多いんだよ。

自分で言うのもなんだが、俺の影響力はかなり大きい。

具体的にはまあ、六千人プラス、その家族の分だな」

「確かにそれは分かる……ります」

 

 詩乃はその八幡の言葉を正確に理解した。

確かに八幡が何か発言したら、彼に助けられた六千人のプレイヤーとその家族は、

無条件に彼の言う事に賛成してくれるのだろう。

 

「でな、今回知り合ったエル……あ~っと、ピトフーイと詩乃の周囲に、

変な勢力がいないかどうか、一応調べたんだよ。詩乃の顔と名前はその過程で知った。

具体的には聞きたくも無いだろうが、過去に詩乃が遭遇したっていう事件から調べた」

「別にいい……ですよ、そっか、そういう事ね」

「でな、一応と思って、学校での詩乃の事も調べさせたんだが、

それで詩乃に纏わりつく、羽虫どもの存在を知ってな」

「羽虫?それって、遠藤達の事……ですか?」

「そうだ、それでな、お節介かなとも思ったが、

大切な仲間がつらい目にあってるのを見て見ぬフリは、俺には出来なかったんでな、

あの遠藤って奴を、潰す事にした」

 

 詩乃はその言葉を聞き、焦ったように、いつものゲーム内での口調で八幡に言った。

 

「ちょ、ちょっと、それって犯罪じゃないでしょうね」

「さあ、どうかな」

「そうよ、それよ、ねえあんた、遠藤に何を言ったの?」

「ん~そうだな、俺は、あの遠藤って奴にこう言ったんだ。

『おい遠藤、お前最近、俺の大切な恋人の詩乃にちょっかいを出してるらしいな。

ところで話は変わるが、お前の父親の勤めてる会社は、

俺が社長に就任する予定の会社と関係があってな、

お前、家に帰ったら、解雇されそうになって焦る父親に思い切り怒られるから、

今日は覚悟して父親の帰りを待てよ』ってな」

「たっ……大切な恋人?」

 

 八幡は驚く詩乃に素直に謝った。

 

「それに関しては勘弁してくれよ、今回は話に信憑性を持たせる為に、仕方なくだな」

「恋人……恋人ね、ふふっ、それはまあ勘弁してあげるわ」

「ところで詩乃、お前さっきから、いつもの口調に戻ってきたみたいだな」

 

 詩乃に釣られて、八幡もいつしか詩乃の事を普通にお前呼ばわりしていたのだが、

詩乃はその事はまったく気にならなかった。

 

「そりゃ、これだけとんでもない事が続けばね、多少は耐性も出来るわよ」

「そうか、まあお前の印象は、ゲームの中よりもお淑やかに見えるし、

普段はそういう喋り方なのかもしれないけどな、

本当のお前はいつもみたいに砕けた話し方をするんじゃないのか?

もしそうなら、そっちの方が断然いいと思うぞ。何より親しみやすいのがいい」

「そ、そう……」

「ああ、そうだ」

 

 詩乃はその八幡の言葉に素直に嬉しさを感じていた。

そして改めて八幡の整った顔を見た詩乃は、先ほど自分が考えていた事を思い出した。

 

(私が想像してたシャナの理想の姿って、ああいう人じゃなかったかな……)

 

 それを思い出した詩乃は、頬が熱くなるのを自覚したが、

それを誤魔化す為に、詩乃は次の質問をした。

 

「えっと、さっき言ってた社長云々って、ギャグか何か?」

「あ~、それな。お前、ソレイユ・コーポレーションって会社、知ってるか?」

「ああ、えっと、アルヴなんとかってゲームを運営してる会社よね?」

「それだ。まあ、他にも色々手を出してるみたいだけどな」

「そうね、急成長してる会社だって聞いてるわ」

「まあそこなんだが、俺はそこの次期社長に、どうやら内定してるらしい」

「はぁ?」

 

 詩乃は思わず、その八幡の言葉に、思いっきり疑いの篭った口調でそう言った。

しかし八幡が何も言わない為、詩乃はまさかと思い、恐る恐る八幡に尋ねた。

 

「えっと……本当に?」

「お前に嘘を言ってどうするよ、全部本当の話だ」

「あっ……そういえば昨日ピトが、ゆっこと遥って人の話をした時、

そんな事を言ってた気がする」

「そう、あれはこの事だ。全部事実だな」

「そ、そうなんだ……じゃあ遠藤の父親に圧力を掛けたっていうのも?」

「ああ、全部本当の事だぞ。実際に俺が圧力を掛けた」

「うわぁ……」

 

 詩乃はその八幡の言葉を聞き、ただただ呆れる事しか出来なかった。

しかし同時におかしさもこみ上げてきた。

 

「ふふっ、ふふふふっ、あんたやっぱ頭がおかしいわ」

 

 それを聞いた八幡は、少し嬉しそうに言った。

 

「そうか、俺は正直言うとな、自分が他人から褒められる事にまったく慣れてないんだが、

最近は皆が俺を褒めてばかりだったから、内心ではかなり参ってたんだよ。

だからそう言ってもらえると、何か安心するわ」

「何よそれ、やっぱりあんた変」

「そんなに褒めるなよ、慣れてないって言ってるだろ」

「あはっ、あははははっ、まったく褒めてないって」

 

 詩乃は久しぶりに、心の底から笑った。

八幡達と出会ってから、ゲームの中で笑う事は増えたが、

リアルで笑うのは、詩乃にとっては本当に久しぶりの事だったのだ。

 

「それじゃあ次の質問ね、さっきこの車に話し掛けて、車がそれに答えてた気がしたけど」

『今私を呼びましたか?私の名前はキットと言います、初めまして、詩乃』

「うわっ、びっくりした……」

『すみません、驚かせてしまいましたね』

 

 そのキットの言葉を聞いた詩乃は、その人間臭さに、ただひたすら感嘆した。

今日八幡に会ってからの詩乃は、とにかく驚いたり感嘆したりととても忙しかった。

 

「すごい、本当に車が喋るんだ……」

「まあ、キットは特別製だからな」

『お褒めに預かり光栄です』

「すごく人間っぽいよね……」

『ありがとうございます、詩乃。ところでそろそろ詩乃の家に到着します』

「えっ、うちに?」

 

 慌てて詩乃が周りを見回すと、そこは確かに自分のアパートのすぐ近くだった。

 

「私服に着替えたいだろうと思ってな、ここに向かってたんだよ。

俺はここでいくらでも待ってるから、気にしないでゆっくり行って来いよ。

女性が支度に時間がかかるのは、当然の事なんだからな」

「あんた、私の家も調べてたんだね」

 

 その詩乃の言葉に、八幡は慌てた。

 

「す、すまん、そういえば何も考えずにここに向かってたわ。

そうだよな、家まで知られてるとかさすがに気持ち悪いよな、本当にすまなかった」

「え?別にそんな事、まったく思ってないわよ?

せっかくだから、上がってお茶でも飲んでいきなさいよ」

 

 そう言いながら詩乃は、自分の変化に驚いていた。

 

(あれ、私は確か、知らない男が自分の部屋にいるのが気持ち悪くて、

遠藤達と手を切ったんじゃ……ま、いいか、

八幡が家にいても、全然気持ち悪いとか思わないし)

 

 詩乃はそう考えていたのだが、八幡は、さすがにまずいとそれを固辞した。

 

「いや、それはあれだ、男が一人暮らしの女の子の家に上がり込むってのはな……」

「いいからさっさと来なさいよ。もし来ないんだったら、今すぐ悲鳴を上げるわよ」

「マジかよ……はぁ……それじゃあ上がらせてもらうわ」

「うん、分かればよろしい」

 

 そう言って詩乃は、嬉しそうに微笑んだのだった。

 

 

 

 蛇足ではあるが、部屋の中で起こったお約束を最後に記しておく。

前の日に洗濯物をしまうのを忘れていた詩乃は、

部屋に八幡を入れた瞬間、八幡が凍りつくのを目にし、

何かあったかなと思い、八幡の視線の先を目で追った。

そしてそこに自分の下着があるのを見つけた詩乃は、

思わず悲鳴を上げそうになったのだが、神反応を示した八幡に口を抑えられ、

辛うじて八幡が、周囲の住人に通報されずに済んだという事案が発生した。

この事を、二人はさすがに明日奈の前で喋る事は出来ず、

ここに二人の共犯関係が成立したのであった。

こうして多少のトラブルはあったものの、無事に着替え終わった詩乃は、

じろっと八幡を睨みながら言った。

 

「ところで八幡、あんた絶対に見たわよね、見たんでしょ?」

「あ~、えっと……ゲームの中のお前の髪の色と一緒なのな」

「ちょっ、あんた、殴るわよ!ちゃんと責任取りなさいよね!」

「って、痛ってぇよ、殴るわよってそのまんまの意味かよ!普通待つだろ!」

「あんたが余計な事を言うからよ!」

 

 そんなお約束を経て、詩乃は八幡と共に予約していた店へと向かう事となった。

そして店に着いた詩乃は、再び驚愕する事となる。


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