次の日の朝、八幡が目を覚ますと、目の前には明日奈の顔があった。
「……ああ、俺、いつの間にか寝ちまったのか」
八幡はそう呟くと、明日奈を起こさないようにそっと体を起こした。
よく見ると明日奈の顔はだらしなく弛緩しており、あまつさえよだれまでたらしていた。
「ん~、これはレアだな。このまま放置するのはもったいなさすぎる」
八幡は、ベッドの脇に置いてあった自分のスマホを手に取り、カメラを起動させ、
その明日奈の顔をパチリと写真に撮り、待ち受け画面に設定した。
「よし、実にいい写真が撮れたな」
八幡はそう呟くと、満足そうに頷き、朝風呂に入ろうと風呂を沸かし始めた。
そしてそれを待っている間、とりあえず明日奈の顔でも見ていようと思い、
再びベッドに潜り込んだ。そんな八幡の気配を、寝ているはずの明日奈は敏感に察したのか、
ぎゅっと八幡に抱き付いてきた。八幡はそんな明日奈を愛おしく思い、
明日奈を優しく抱き返し、そのまましばらく明日奈のぬくもりを感じていた。
そしてしばらくして、遠くから風呂のお湯がたまった音が聞こえた為、
八幡はそろそろ明日奈にも起きてもらおうかと考え、優しく明日奈の体を揺さぶった。
「明日奈、そろそろ朝だぞ。お~い明日奈」
「ん……八幡君、おはよう」
明日奈は今日は寝ぼける事もなく、しっかりと目を覚ましたようだ。
「俺は朝風呂に入るつもりだけど、明日奈はどうする?」
「あ、うん、せっかくだし、入ろうかな」
「それじゃあ行くか」
そして二人は再び湯船につかると、同時に深いため息をついた。
「「はぁ~~~~~~」」
二人はリラックスし、空を眺めた。そこには綺麗な青空が広がっていた。
「今日もいい天気になりそうだね、八幡君」
「だな」
「今日の予定はどうなってるんだろ」
「とりあえず凛子さんと合流して、眠りの森にメディキュボイドを設置したら、
その足で国友さんって人の家に行く事になるんじゃないか」
「大丈夫?説得出来る?」
「まあ、多分大丈夫だ」
菊岡の予言めいた言葉の意味が、多分国友家を訪問した時か、
それに付随する何かのタイミングで分かるのだろうと、八幡は予感していた。
菊岡はこちらに来る前、八幡にこう言ったのだ。
「八幡君がいれば、特に何か策を考えなくても、問題なく事が達成出来るんじゃないかな」
その言葉はやはり正しかったようで、八幡は、ここまで順調に事を運ぶ事が出来ていた。
(さて、いくつか予想は出来るが、一体ここに何が待ち受けているのやら)
そして二人は風呂からあがると、そのまま何となくいちゃいちゃしていた。
八幡とて聖人という訳では無いので、何度も明日奈の裸を見て何も思わないはずは無い。
ただ、今は大きな問題が後に控えている為、どうしてもそちらが気になっているせいで、
二人のスキンシップも若干控えめなものになっていた。
それでも明日奈は八幡に甘える事が出来て、かなり満足したようだ。
八幡はそれを感じ、改めて、明日奈が傍にいてくれる事の幸せをかみしめた。
そしてその時、八幡のスマホに着信が入った。表示されている名前は、『馬鹿姉』
となっていた為、八幡は、凛子が着いたのかなと思いながら、
何気なくスマホを手に取った。それを見た瞬間、明日奈がおかしな声を上げた。
「ひょれっ」
(あっ、やっべぇ……)
陽乃からの連絡は、やはり凛子の到着を告げるものだった。
ちなみに章三と京子は、レクトの関西支社に行く用事があるらしく、
既にそちらに向かったらしい。
そしてせっかくなので、凛子も交えて一緒に朝食をとろうという話になり、
通話を終えた八幡は、それらの事を明日奈に伝えた。
「あ、うん、分かった。ところでちょっと変な事を聞くけど、
八幡君のスマホの待ち受け画面って……」
「ん、これか?」
「あれ……」
「当然俺の待ち受け画面は、明日奈に決まってるだろ」
「う、うん、そうだよね」
そこには、満面の笑顔をした明日奈の姿が映し出されていた。
さっきは確かに自分のおかしな顔が映っていた気がしたのにと、
明日奈は首を傾げた。八幡は、明日奈が大人しく引き下がったのを見て、
内心ほっとしながら、素早く待ち受け画面を、元の明日奈のだらしない寝顔に戻した。
その瞬間、明日奈の掛け声と共に、部屋に閃光が走った。
「リニアー!」
八幡はすっかり油断していたのか、その掛け声と共に手を弾かれ、
その勢いのまま宙を舞った八幡のスマホは、明日奈の手にすっぽりと収まった。
そして明日奈が八幡のスマホにタッチした瞬間、その画面が表示され、
明日奈は呆然と目を見開き、わなわなと震えだした。
「な、な、な……」
そんな明日奈に、八幡は表面上は冷静な口調で言った。
「違う、よく考えるんだ明日奈、明日奈は普段、こんな無防備かつ幸せそうな姿は、
俺にしか見せる事はない。つまりこれは、明日奈の俺に対する愛の証だ。
だから俺は、常にその画面を見て幸せになる事が出来るんだ、分かるよな?」
「う、うん、そうだよね……これは愛の証、そう、これは愛の証なんだよね!」
「ああ、その通りだ。これは二人の愛の証なんだ」
「って事でとりあえず、この画像は消去しておくね」
「ですよね……」
明日奈はそう言うと、容赦なく画像を消去し、八幡はうな垂れた。
なんちゃってリニアーまで放った明日奈の勝利である……と、明日奈は思っただろうが、
既に八幡は、この画像を自宅のPCに送っていた。
そして後日、八幡のスマホを見た明日奈は、再びわなわなする事になる。
そして二人は外出する支度を整え、ホテル内にあるカフェに向かった。
「凛子さん、わざわざありがとうございます」
その八幡のお礼に対し、凛子は首を振りながら言った。
「別にいいのよ、どう考えてもほっとけないでしょ」
そしてそんな凛子に、明日奈が笑顔で言った。
「優しいんですね、凛子さん」
「本当に優しいのはあなたの八幡君でしょ?明日奈ちゃん」
「はい!」
「ところで昨日は、当然お楽しみだったのよね?」
「それが、八幡君はとっても疲れてたみたいで、
私が髪を乾かしている間に寝落ちちゃったんですよね」
「はぁ?」
そして陽乃と凛子と明日奈は、じと目で八幡を見ながらこう言った。
「「「この甲斐性無し」」」
「何で明日奈まで……」
そして朝食をとった一行は、そのまま『眠りの森』へと向かった。
着いた瞬間から、スタッフがどんどんセッティングを進めていく。
そしてあっという間に全ての準備が完了し、経子に連れられて楓が部屋に入ってきた。
楓は興味深そうにきょろきょろしていたが、八幡達を見つけると、
とても嬉しそうに声を掛けてきた。
「あっ、お兄ちゃん、お姉ちゃん、今日も楓に会いにきてくれたんだ」
「ああ、約束通り、今日はいっぱい遊ぼうな」
「うん!」
楓はそう元気よく頷いた。だがてっきり外にでも行くと思っていたのか、
続けてベッドに寝かされた楓は、不安そうに八幡に尋ねた。
「お兄ちゃん、これは……?」
「大丈夫、合図したら『リンクスタート』って言ってごらん?
そしたら遊園地に出るから、そこでお兄ちゃんとお姉ちゃんが待ってるからな」
「う、うん」
そして八幡と明日奈は、メディキュボイドに備え付けられたアミュスフィアを装着し、
一足先に、専用に作られたVR遊園地へとログインした。
二人の意識が一瞬途切れ、すぐに覚醒する。そこには、他の客の存在を演出する為に、
多数のNPCが闊歩する、遊園地の風景が広がっていた。
「随分リアルに作りこまれているな」
「さすがは姉さん、って所かな」
「こういうのを見せられると、ソレイユの底力がよく分かるな」
「そうだね……あっ、楓ちゃん!」
そして二人の目の前に、楓の姿が出現した。
楓はきょとんとしながら辺りをきょろきょろと見回すと、目を輝かせた。
「うわぁ、うわぁ、本当に遊園地だ!それに何だか体がすごく軽いよ、
お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
「そうか、良かったな、楓」
「うん!」
「さあ楓ちゃん、何から乗ろうか?」
「えっと、えっとね、ジェットコースター!」
そう言った瞬間に、さりげなくジェットコースターを待つNPCの列が消滅した。
「本当によく考えられてるな……」
「お兄ちゃん、何か言った?」
「いや、何でもない。ほら楓、丁度すいてるみたいだから直ぐに乗れるぞ、さあ行こう」
「やった、行こう行こう!」
「楓ちゃんは、私と八幡君の真ん中ね」
「うん!」
一方外では、経子が中の映像を見ながら、様々なデータを確認していた。
「特に何も問題無いようね、本当にありがとう、凛子さん。
あの子のあんなに楽しそうな姿を見るのは、何年ぶりかしらね……」
その経子の言葉通り、モニターの中では、
八幡と明日奈に挟まれた楓がとても楽しそうにはしゃいでいる姿が映っており、
経子はそれを見て、目頭を熱くしていた。
周囲では、おそらく雪ノ下系列の病院から集められたのであろう、
医療系のソレイユのスタッフ達が、眠りの森の職員達に、様々な情報を伝えていた。
そして一通り使い方を伝え終わったのを見て、陽乃が経子に言った。
「それじゃ経子さんも、後は私達に任せて中へどうぞ」
「でも、私は……」
「大丈夫、何か問題が起きたら、容赦なくアミュスフィアをシャットダウンして、
戻ってきてもらうから」
陽乃はそう言って経子にウィンクした。
経子は苦笑しながらも、その申し出を有難く受ける事にした。
「そう、それじゃあお言葉に甘えて、ちょっと楓の所に行かせてもらうわ」
「それがいいわ。やっぱり子供には母親が必要よ。まあ私達がちゃんと母親を得たのは、
ついこの間の事なんだけどね。これも八幡君のおかげかな……」
その言葉の後半は、経子には聞こえなかった。
「お母さん!」
楓は、遠くから経子が近付いてくるのを見付け、嬉しそうにそちらに駆け寄った。
「ごめんね楓、ちょっと遅くなっちゃったわ」
経子は、楓に目線の高さを合わせてそう言った。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが一緒だったから大丈夫だよ、お母さん!」
「そう、楽しかった?」
「うん、本当に夢みたい!」
「そう、それは良かったわ」
そして経子は、楓に求められるままに思いきり遊んだ。
楓は幼い頃から、病気の為に体が弱かったので、
経子はこうして楓と一緒に遊ぶのは、本当に始めての経験だった。
「お母さん、そろそろお昼だよ、楓、色々食べたい物があるの!」
本来の楓は、食事制限がされている為、自由に好きな物を食べる事は出来ない。
その為楓は、園内のレストランのサンプルの前で、目を輝かせながらそう言った。
そして楓は、色々な種類の食べ物を少しずつ食べ、とても満足した。
こんな事が出来るのも、VRならではの事だろう。
そして楓は食事をして眠くなったのか……まあ実際に食事をした訳ではないのだが……
うとうとしながら経子に言った。
「お母さん、楓、なんだかちょっと眠くなっちゃった」
「そう、今日は楽しかった?」
「うん、とっても!」
「お母さんもとても楽しかったわ、楓」
「お母さん、私、今度はお爺ちゃんと一緒に遊びたい!そしたらもう何も思い残す事は無いよ」
「えっ……」
薄々自分の病気の事を理解していたのだろう、楓はそう言うと、
経子の腕の中で、そのまま眠りに落ちた。
それと同時に周りの風景が、事前にリサーチしてあったのか、楓の部屋の風景に変わった。
経子は楓を抱き上げ、ベッドに運びながら、声を出さずに号泣した。
二人はそんな経子に何を言っていいか分からず、ただ立ち尽くしていた。
そんな二人に、経子は泣きながら笑顔で言った。
「今日は本当にありがとう。楓のあんな嬉しそうな顔を見たのは始めてよ」
「いえ、私に出来るのは、このくらいですし……」
「あの、経子さん、楓ちゃんの病名って……」
その八幡の問いに対し、経子が告げた病名は、まったく聞いた事の無いものだった。
そしてログアウトした後、八幡達は、予定通り国友家に向かう事になったのだが、
八幡は出発を少し待ってもらうと、アルゴに連絡をとり、
楓のかかっている病気について、可能な限り情報を集めるように頼んだ。
おそらくそれは無駄になるのだろうが、このまま何もしないで手をこまねいている事は、
どうしても八幡には出来なかったのだった。
そして一行は移動を開始し、国友家の門を叩く事となったのだった。