「おう、じじい、待たせたな」
「まあお主にも、色々とやる事があるんじゃろうて、気にするんじゃないわい」
「最初の時と比べると、全然態度が違うのな……」
八幡は、少し呆れながらそう言った。
「いきなり儂を殺そうとした癖に、何を言う!」
「ちょっと殺気を飛ばしただけだろうが、あれはどこからどう見ても、俺の正当防衛だ」
「ぐぬぬ、確かに事情を知らない者から見ると、そう見えたかもしれんの」
そう言いながら清盛は、八幡に、ポンとメモのような物を放ってきた。
「何だこれは?」
「結城塾のカリキュラムじゃよ、興味があるじゃろ?」
「ほほう?」
そして八幡は、そのメモの内容を確認すると、呆れた顔で言った。
「おいじじい、これ、本気か?」
「本気も何も、実際に行われている内容を、そのまま書いただけじゃぞ」
「東海道五十三次徒歩の旅……?」
「それは卒業旅行じゃな」
「食事は基本自給自足?」
「毎日の滝行も欠かせんじゃろ?」
「確かにこれを一年もやるとか、きついなんてもんじゃないな」
「毎日へとへとにさせると、人はおかしな事は考えなくなるもんなんじゃよ」
「まあ、この内容なら罰としては文句は無いな」
八幡は、自業自得だと思い、そう切って捨てた。
「さて、それでは未来の話を始めようかの」
「未来ねぇ……こっちとしては、倉エージェンシーとの提携を進めさせてもらえれば、
それだけで良かったんだが、色々と大事になっちまったもんだな……」
「うむ、お主のせいじゃな」
「どう考えてもじじい、お前のせいだろうが!」
「ほっほ、最近物覚えが悪くなってのう」
八幡は、そんな清盛を憎々しげに見つめると、ぼそっと呟いた。
「よし、じじいの家だけ、楓達と別にするからな」
「ま、待て、人質ならぬ、家質をとるとは卑怯だぞ、お主それでも結城の男か!」
「俺は結城の男じゃねえよ」
「ぐぬぬ……」
清盛は、しばらく葛藤していたが、やがて諦めたように、
頭を下げながら、八幡に言った。
「儂が狭量じゃった、勘弁せい」
その瞬間に、ガラッと襖が開き、見知らぬ男が部屋に入ってきた。
八幡は、誰かが近付いてきている事には気付いていたが、
一声掛けてくるだろうと予想していた為、少し面食らった。
その人物は、頭を下げる清盛の姿を見て、呆然と言った。
「と、父さんが人に頭を下げてる所を始めて見た……」
「何じゃ宗盛か、声くらい掛けんかい」
「ごめん、静かだったから、まさか誰かいるなんて思わなくてさ」
「ふん」
八幡は、清盛の長男である宗盛に会うのはこれが初めてだったので、
そちらに向き直り、丁寧な挨拶をした。
「こちらから挨拶にも行かず、本当にすみません、比企谷八幡です」
「結城宗盛です、初めまして、期待の次期当主君」
八幡は、宗盛の言葉からは、嫌味も何も感じられず、
むしろその言葉の端々に、嬉しさが滲んでいるように感じられた為、
やっぱり当主なんて、名目上だけでも引き受けるんじゃなかったかと、少し後悔した。
「宗盛よ、すぐにアメリカに旅立つのか?」
「ええ、僕なんかよりも、よっぽど頼りになる後継者も見つかった事ですし、
理事長も、知盛が上手くやってくれるでしょう。
僕は僕で、これからは製薬会社とも連携して、少しでも医学の進歩に貢献出来るように、
あっちで頑張るつもりです」
「そうか……まあ、好きにするがいい」
「それじゃあ父さんに挨拶も出来た事だし、僕はこれで。比企谷君、またいつかね」
そう言って、宗盛は去っていった。
八幡は、少し気にしていた事があった為、清盛に一言断って、その後を追った。
「じじい、これまでほとんど話せなかったし、ちょっと宗盛さんを見送ってくるわ」
「む、そうか、それじゃあ儂は茶でも飲んで待ってるわい」
そして八幡は、鼻歌を歌いながら家を出ようとした宗盛に追いつくと、声を掛けた。
「宗盛さん」
「ん、比企谷君、どうかしたのかい?」
「あの、今回の事、結果的に宗盛さんを追い出すような形になってしまって、
本当にすみませんでした」
「え?」
宗盛はそれを聞くと、一瞬驚いたような顔をしたが、
やがて何かに納得したのか、苦笑すると、八幡に言った。
「別に追い出されたって意識は無いから、そんな事気にしなくていいよ。
僕はむしろ、君に感謝してるんだよ」
「感謝……ですか?」
「ああ、僕もあの戦いの映像は見ていたけどね、
見事に父さんの鼻っ柱をへし折ってくれたじゃないか。
さすがに父さんが現役のままだったら、僕もこんな事、決断出来なかったからね。
八幡君、僕はね、父さんに逆らわないように、目立たないようにって生きてきたから、
今までは自分のやりたい事を、何も出来なかったんだよ。
だけど今回、君という黒船が現れて、父さんに引退を確約させるという偉業を成し遂げた。
だから僕は、これ幸いと、知盛に全てを押し付けて、逃げ出す事にした、それだけさ」
八幡は、その言葉に納得しつつも、やはり完全には、うしろめたさを拭えなかった。
「そう……ですか」
「とはいえ、うちの家と関係を絶つ訳じゃないし、
新しく理事長になる知盛ともちゃんと連携していくつもりだから、
僕達の関係には、そこまで大きな変化は無いから心配いらないよ。
ただ、特権意識を持っていた一部の一族の者は、粛清される事になると思うけどね」
「あ、宗盛さんも、その事は知ってるんですね」
「ああ、父さんに言われて、楓に余計な事を吹き込んだ馬鹿を特定したのは、僕だからね」
「そうだったんですか」
「調べてみて愕然としたよ、うちの一族は、こんなに腐ってたのかとね。
だからこれからは、僕が外、知盛が中から、うちの家を変えていくんだ。
そして生まれ変わった結城の家を、君に引き継いでもらう、最高じゃないか」
八幡は宗盛にそう言われ、おずおずとこう返した。
「あ、あの、俺は、知盛さんに全部押し付ける気満々だったんですが……」
宗盛はその言葉に、一瞬固まったかと思うと、とても楽しそうに笑い始めた。
「あはははは、そうなんだ、それじゃあ知盛に、死ぬほど苦労してもらう事にしようか。
まあ、名目上の当主は引き受けてくれるんだろう?
だったらまあ、知盛に何か相談された時に、アドバイスくらいはしてあげてよ」
「はい、それはもちろんです」
「今回は、一気にうちの家の風通しを良くしてくれて、本当にありがとう。
君がいてくれて、本当に良かったよ。明日奈ちゃんにも宜しく伝えておいてくれ」
「あ、あの、宗盛さん、ちょっとお願いがあるんですが」
「ん?」
そう言って八幡は、懐から、経子に渡された、眠りの森の患者の病気に関してのメモを、
宗盛に差し出しながら言った。
「ちょっとこれを見てもらえますか?」
「これは……そうか、経子の患者さん達の……」
「あの、もし良かったら、ここに書いてあるリストの病気について、
何かあっちで医学的に進展があったら、俺に教えて欲しいんです。
もちろん守秘義務もあると思うんで、話せるようになったらで構わないんですが」
「そうか、君は楓だけじゃなく、他の子達も、助けたいんだね」
「はい、全員を救えるなんて、さすがに思ってはいませんが、
もし俺の手が届くなら、そこは全力で掴みたいって思うんです」
宗盛は頷くと、八幡の手をしっかりと握りながら言った。
「分かった、当面僕も、このリストにある病気の治療をメインに考えて、
これから活動していく事にするよ」
「ありがとうございます、宗盛さん」
「何か分かったら必ず連絡する。それじゃあ八幡君、すまないが、
こっちでの眠りの森の患者さん達の事は、宜しく頼むよ」
「はい、メディキュボイドを有効活用して、最大限努力します」
そして宗盛は去っていき、八幡はそれを見送ると、清盛の下へと戻った。
「随分長く話していたの、何か有意義な話でも出来たかの?」
「ああ、じじいと話しているよりは、よっぽどな」
「ふむ……なぁ小僧、儂は宗盛の、重荷になっていたのかのう……」
「じじいは一族の重荷だろ、過去の自分をしっかりと反省しろ」
「それはさすがに言い過ぎじゃろ!」
「まあ、頑固だったのは事実だろ」
「うぬ……」
清盛は、少し落ち込んだ様子で黙り込んだ。そんな清盛に、八幡は言った。
「じじいはもっと肩の力を抜いて、他人に頼る事を覚えろよ。
俺だって、SAOじゃ、一人じゃ何も出来なかったんだからな。
これからはまあ、細かい事は他人に任せて、じじいは楓の為に、いいお爺ちゃんになれよな」
「言われんでもそうするわい!」
「それじゃ、俺達は明日帰るから、また向こうでな」
「おう、首を洗って待っとれい」
「再会を約束する言葉としては、どうなんだよそれ……」
そして八幡は、明日奈達と合流し、残りのお土産選びに付き合う事となった。
「残りは誰の分なんだ?明日奈」
「えっとね、キリト君、クラインさん、ピトかな」
「キリトとクラインは、八ツ橋とかでいいんじゃないか?」
「実は八ツ橋はね、私が多めにまとめ買いして、小町ちゃんへの説明書きと共に、
既に八幡君の家に送ってあるのよ」
その問いに、陽乃がこう答えた。
「だから今は、個人用に、ちょっとした物を選んでたんだよね」
「なるほどな、よし、それなら任せろ」
八幡はそう言うと、近くの土産物屋にスタスタと入り、一本の模造刀を手にとった。
「よし、キリトはこれだな、あいつはこういうのが好きなはずだから、これでいい」
「ま、まあ、確かに好きそうだね……」
そして次に八幡は、新撰組の羽織を二つ手に取った。
「クラインと静先生は、セットでこれでいい。
クラインがどう思うかより、静先生がどう思うかの方が重要だ。
多分先生は学生の頃、これが欲しくてたまらなかったはずだが、
友達の手前、さすがに買えなくて悔しい思いをしたはずだ」
「そ、そうなの……」
「ああ、間違いない」
そして八幡は、その二つを自宅に送る手配をした後、
一本のかんざしを綺麗に包んでもらい、バッグに入れ、店から出てきた。
「それがピトへのおみやげ?」
「いや、ピトには、俺と明日奈がじじいと戦った時の映像を、DVDにでもして渡せばいい」
「あ~、確かにそれが一番かもね……」
「そしてこれは、うちの学校の理事長のための物だな。
今回ちょっと長く学校を休む事になっちまったから、まあ一応な」
「そっか、八幡君、気配りがえらい!」
「これをもらった時、どんな反応をするのか見てみたいわ」
陽乃は、多分狂喜乱舞するんだろうなと思いつつも、そう言った。
「よし、それじゃあこのまま観光をした後、ホテルに戻って章三さん達と合流して、
明日の午前中に帰るとするか」
「理事長選挙の結果は見なくていいの?」
「どうやらそれは、無投票で知盛さんに決まるみたいだからな、見るまでもないだろ」
「そっか、そうだね」
「他にも色々な物を背負っちまったが、とりあえずこれで、こっちに来た目的は全て達成だ」
「後は向こうに戻ってから、最後の仕上げだね」
「ああ、いよいよ、クラディ-ルとご対面って事になる。
正直顔も見たくないんだが、多分、会うのも次が最後になるから、まあいいか」
こうして次の日、一行は、沢山の出会いがあった京都を後にした。