陽乃とアルゴの魔の手から逃れる事に成功した二人は、一路薔薇の家へと向かっていた。
薔薇は自宅の住所をキットに伝え、八幡もさすがに疲れたのか、運転はキットに任せ、
二人は流れる景色を見ながらぼ~っとしていた。
そんな八幡の横顔を見ながら、薔薇は先ほどの出来事について考えていた。
(くっ……まさかあんな丸出し状態で肩に担がれる事になるなんて……
幸い他の社員達からは見えない位置だったから良かったものの、
何故お姫様抱っこを選択しなかったのかと、八幡を正座させて問い詰めたい!
でも悔しい事に、あれはあれで悪くはなかった、そう、困った事に悪くはなかったのよ!
何でかって?形はどうあれ、私が初めて八幡に抱き締められたからよ!
そう、私はあれだけ多くの社員の前で、八幡に抱かれたのよ!
でもきっと、あの中の誰も勘違いとかしてくれないわよね……
乙女としては複雑な気分だわ……しかしそれよりも!それよりも!)
そして薔薇は、八幡の方を恨みがましい目で見つめた。
(この男、自分の顔のすぐ横で、完全に私のスカートがめくれていたというのに、
まったく視線を感じなかった!どういう事なの!?
あんたはどこからどう見ても、ラッキースケベの申し子でしょうが!
英雄は色好むものなのよ!ああいう時くらいちゃんとこっちを見なさいよ!)
薔薇は心の中で八幡に、そんな理不尽な八つ当たりをした。
その時八幡が、薔薇に声を掛けてきた。
「足は痛くないか?大丈夫か?」
「えっ……?あ、う、うん、大丈夫……」
(うぅ、私がこんな欲望まみれの事を考えていたというのに……)
薔薇は内心で、自分の心が汚れていると感じ、少し落ち込んだ。
(ん?汚れている……?)
そして薔薇は、突然自分に危機が迫っている事に気が付いた。
(ああああああ、私の部屋、今の私の部屋は……)
そう、最近忙しかった為、薔薇の部屋は今とても散らかっている。
台所には洗っていない食器が山積みであり、洗濯物は洗濯機が埋まる程たまっており、
普段過ごしている居間の周辺だけは問題は無いが、そこからはキッチンが丸見えであり、
基本的にはとても八幡を上げられるような状態ではない。
(ま、まあ、八幡が部屋まで来る訳じゃないし、大丈夫、ここさえ乗り切れば大丈夫のはず)
『そろそろ目的地に到着します』
丁度その時キットがそう言い、薔薇はハッとした顔で窓の外を見た。
目の前には見慣れた自宅のマンションの姿があり、
薔薇はもうそんなに時間が経ったのかと、八幡とあまり会話を出来なかった事を少し悔いた。
そして近くにある駐車場にキットを停めた八幡は、
助手席のドアを開け、薔薇に手を差し出した。
「ほら、部屋まで連れてってやるから、そっと立ち上がってみろ、薔薇。
あくまで足に負担がかからないようにそっと、そっとな」
(うぅ、やっぱり優しい……)
薔薇は頬を染めながら、またお米様抱っこされちゃうのかしらと、
先ほどまで怒っていたことも忘れ、それを期待するような事を考えた。
ところが八幡は、そのまま優しく薔薇に肩を貸し、大切なものを扱うように、
ゆっくりゆっくりと薔薇と並んで入り口の方へと進んでいった。
「さすがにここだと他人の目もあるし、抱き上げるのはちょっとまずいよな」
(おおおおお、これは想定外だったわ、でもこれもいい!)
そして薔薇は、ビルの入り口のセキュリティゾーンを抜け、
八幡に連れられ、エレベーターの前へと到着した。
「ちゃんとセキュリティのしっかりしてる所に住んでるみたいだな、
もし安アパートに住んでたら、無理にでも引越しさせる所だったが」
「え、ええ、おかげさまでそれなりにいい給料をもらってるからね」
そして薔薇は痛めた足の具合を確認し、何とか歩けそうだという事を確認した上で言った。
「ここまで連れてきてくれてありがとう、それじゃあここで……」
「あ?何を遠慮してるんだよ、ちゃんと部屋まで連れてってやるって」
「えっ?あ、えっと……」
(ど、どどどどうしよう、確かにもう少しこうしていたいけど、でも、でも……
ううん、部屋の入り口まではセーフ、セーフだわ!
ついでに八幡に部屋を覚えてもらえば、いつかはうちに八幡が来てくれるかもしれない!)
そう考えた薔薇は、おずおずと八幡に言った。
「う、うん……それじゃあお願い」
「おう」
薔薇は自らの欲望に負け、八幡に自分の部屋の前まで連れてってもらう事を選択したが、
その時点では、しっかりと線引きをするつもりでいた。
だが薔薇の部屋のある階に着いた瞬間に八幡のとった行動のせいで、
薔薇は完全に冷静さを失い、部屋への八幡の立ち入りを許す事となった。
「さて、ここまで来ればもう人の目も無いだろうし、そろそろいいか」
「えっ?えっ?」
「よっと」
そして八幡は、薔薇をお姫様抱っこし、薔薇の部屋へ向かって歩き始めた。
(きゃあああああああ、私は今、最高に輝いている!ここは愛しい彼の腕の中!
そして私は今、プリンセスっっっっっ!!!!!)
「逆の足にあまり負担をかけるのもあれだしな、怪我をした時くらいはまあ、
お前にこうしてやっても怒られる事は無いだろ」
「そ、そうよね、何も問題は無いと思うわっっっっ」
「お、おう……」
八幡は、その薔薇の剣幕に少し押されつつ、足をぶつけたりしないように、
慎重に薔薇を部屋の前まで連れていった。薔薇はここぞとばかりに八幡に抱き付いたが、
八幡はそんな薔薇の姿を、落ちないようにしがみついているんだなと好意的にとらえていた。
「ここか、よし小猫、今下ろすからな」
「だ、大丈夫、このままドアを開けられるから、このままで、このままでいいわ!」
「え……そ、そうか……?」
「ええ、何も問題は無いわ!」
(せっかくのこの状態を、そう簡単に手放す訳にはいかないわ!)
そして薔薇は、器用にお姫様抱っこされたままでドアの鍵を開け、
八幡はそのまま居間へと進み、そこでそっと薔薇を下ろした。
その瞬間に、薔薇は我に返り、自分の失態に気が付いた。
(しまったあああああああ、欲望に負けて、八幡を家に入れてしまったああああああああ)
八幡はまだ気付いていないようだったが、
居間に併設されているキッチンはかなりひどい状態であり、
薔薇は一刻も早くこの状態を脱しないといけないと焦った。
「とりあえず楽な格好に着替えてきたらどうだ?何なら寝室まで連れてってやろうか?」
(寝室!?寝室には確か、昨日脱ぎ散らかした下着とかがそのまま……)
「だ、だだだ大丈夫、一人で大丈夫よ」
「そうか」
「とりあえずここに座ってて、あまりあちこちじろじろ見ないでね!」
「もちろんだ、さすがに一人暮らしの女性の部屋をじろじろ見回すのは失礼だしな」
そして薔薇は寝室に向かうと、何を着ればいいか真剣に検討し始めた。
「いつもはジャージだけど、さすがに今の状況でそれは選べない。
私にも女としてのプライドがあるのよ!ここは多少無理をしてでも、
八幡がハッとするような、かわいい服を選ばなくては!
もちろんスカートは、ラッキースケベ御用達の短い奴で!」
そして薔薇は多少時間をかけ、しっかりと身づくろいをして居間へと戻った。
そんな薔薇の目に飛び込んできたのは、キッチンに立ち、洗い物をしている八幡の姿だった。
(きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ)
「お、やっと着替え終わったか……って、何でそんなよそいきの格好をしてるんだよ、
あとスカートも短すぎだ。ジャージか何かは持ってないのか?」
「あ……あるけど……」
「まあその格好もかわいいと思うが、自宅でくらい、気を遣わず楽な格好をしろよ」
「あっ……はい」
(か、かわいい?今かわいいって言った?でも答えちゃった以上着替えないと……
ああっ、キッチンの事に突っ込むタイミングが!)
そう考えながらも薔薇は寝室に戻り、服を綺麗にハンガーに掛け、
上だけジャージに着替えたが、下はミニスカートを死守する事にした。
(だって、実際この方が楽なんだもの、仕方ないわよね、うん仕方ない)
薔薇はそう理論武装し、少しアンバランスなその格好で押し通す事にした。
そして居間に戻ろうとした薔薇は、ハッと何かに気付いた顔をし、
絨毯の上をコロコロ転がして掃除をする道具を取り出すと、おもむろに軽い掃除を始めた。
(八幡がここに入ってそのまま一緒に寝る可能性が、ゼロという訳じゃないんだし……
これくらいは……ね?そう、例え限りなくゼロに近い確率でも、それはゼロでは無いのよ!)
それは実は、居間に戻ってキッチンの事を話す事を無意識に恐れた、
薔薇の逃避行動であったが、薔薇はもちろんそんな自分の心の動きには気が付かなかった。
「ふう……これで準備はオッケーっと。
ついでに自然な態度でこの洗濯物を洗濯機に突っ込まないと……」
そして薔薇はそっと居間を覗き、八幡がまだキッチンに立っている事を確認すると、
忍び足で寝室を抜け出し、浴室に併設されている洗濯機の方へと向かった。
その瞬間に、後ろを向いていた八幡が、向こうを向いたまま薔薇に声を掛けた。
「小猫、着替え終わったのか。もしかして寝室に洗濯物がたまってたのか?
このクラスの部屋だとこの時間に大きな音を立てても大丈夫だろうし、
ついでにそのまま洗濯機を回してくるといい」
(な、何で分かるのおおおおおお!?)
「う、うん」
そして薔薇は、言われた通り洗濯機を回してから居間に戻った。
キッチンは八幡の手によって綺麗にされており、テーブルの上にはお茶が用意されていた。
「おい、何で下は短いスカートのままなんだよ」
「え、えっと、足をくじいたからこの方が楽なのよ。ジャージだとちょっと大変じゃない?」
「ああ、そう言われると、確かにそうかもしれないな」
(よっしゃあ、咄嗟に考えたこの言い訳は、我ながら完璧ね!)
そして薔薇は八幡の隣に座り、そのお茶を飲んだ。
「あ……何か美味しい」
「そうか?あったお茶っ葉を使っただけだし、いつもと一緒だろ?」
「そ、そうかな……」
「まあ気のせいだろ」
(これがもしかして、愛情補正って奴なのかしら……)
薔薇はそう思いながら、八幡に言った。
「あの……キッチン汚れてたでしょ?あ、ありがと……」
「いや、俺こそ勝手にキッチンに入っちまって悪かったな。
最近俺がお前に色々頼みすぎてたから、片付けてる暇が無かったんだろ?
だからもしかして洗濯物もたまってたんじゃないかと思ったんだが、
どうやらその通りだったみたいだな」
(すみません、私がサボってただけなんですううううううう)
だが薔薇は正直にそう言う事も出来ず、その言葉に曖昧に頷いた。
「あ……うん」
「しかしお前のジャージ姿は初めて見たが、微妙に似合わないよな、
顔立ちが派手なせいかな、もしかして、化粧を落としたら似合うのかもしれないが」
(こ、これはまさか、すっぴんをご所望なのかしら!?でもさすがにそれは……
でも八幡が私のすっぴんを見て変な事を言うはずが無いし、見てもらいたい気もする……
ど、どどどどうしよう、ここが勝負どころな気もする……)
丁度その時、浴室の方から音が聞こえた。どうやら洗濯が終わったようだ。
「ここには乾燥機はあるのか?」
「う、うん」
「本当は外に干した方がいいと思うが、とりあえず今日は乾燥機で乾かした方がいいかもな。
俺の事は気にせず、遠慮なく行ってこいって」
「それじゃあちょっと行ってくる」
そして薔薇は、洗濯物を乾燥機にかけた後、鏡を見ながら少し迷った後、
黙って自分の化粧を落とし始めた。そして薔薇は深呼吸をした後、
浴室を出て、八幡の隣に再び腰掛けた。そして八幡は薔薇の顔を見て、
一瞬驚いた顔をした後、柔らかい笑顔を見せた。
「そうか、化粧を落としたのか、こうしてお前の素顔を見るのは初めてだよな」
「そ、そうよね。どう……思う?」
(さあ、八幡はどう思ったの?さあさあ、思い切ってプリーズ!)
「そうだな、印象が柔らかくなったかな、いいんじゃないか?」
(よっしゃああああああ!かわいいとか言われた訳じゃないけど、これは好感触っっっっ)
「さて、あんまり遅い時間までいるのはまずいと思うし、そろそろ俺は帰る事にするわ。
お前も明日明後日は、GGOにログインしないでいいから、
他の社員同様に、ゆっくり休んでてくれよな」
(やっぱり寝室に連れ込むとかは無理だったあああああああああああ!
でもまあ当たり前よね、うん、仕方ない仕方ない、今日は幸せだったし、まあ良かったかな)
そして八幡は立ち上がり、薔薇は八幡を見送ろうと、慌てて立ち上がった。
だが薔薇は足を痛めた事を忘れていたせいでバランスを崩し、八幡の方に倒れ込んだ。
「きゃっ」
「おっと」
八幡は薔薇を正面からしっかりと抱き締め、薔薇が倒れるのを防いだ。
薔薇は八幡に正面から抱き締められ、天にものぼる心地だったが、
しっかりと胸を押し付けているにも関わらず、
八幡が少し赤い顔をしているだけで、案外平気そうな顔をしていた為、
薔薇はその事だけは少し残念に思った。ちなみにそれは、薔薇がジャージを着ていた為、
胸の谷間がまったく見えなかった為である。ちなみに感触もセーブされていた。
そんな薔薇をソファーに座らせ、八幡は心配そうに薔薇の痛めた足をさすりだした。
そして八幡は顔を上げ、薔薇に向かってこう言った。
「うわっ……い、いや、足は大丈夫か?やっぱり痛いよな?」
薔薇は、八幡が一瞬驚いた顔をしたのを訝しく思ったが、そのままこう答えた。
「う、ううん、大丈夫」
そして八幡は、何故か目を瞑って足に視線を戻すと、下を向いたまま薔薇に言った。
「そうか、もしやばそうだったら必ず病院に行くんだぞ。
もし移動が無理そうだったら明日俺に連絡してくれ、病院まで送り迎えしてやるからな」
「あ、ありがとう」
(神様ありがとうございます!今日一日で、私は一生分の幸せをもらいました!)
そして八幡はくるっと後ろを向き、薔薇にひらひらと手を振りながらこう言った。
「ここってオートロックだよな?俺はこのまま帰るが、見送りはいいからな」
「あっ……」
「ん?」
(何かこの日の記念を……そ、そうだ!)
「あ、あの、絶対に誰にも見せないから、初めてここに来た記念に、一緒に写真を……」
「写真?写真か………………それくらいならまあいいが」
「待ってて、デジカメで綺麗に撮るから!」
「お、おう」
そして薔薇は、居間に丁度置いてあったデジカメを縦にセットし、八幡の前に並んだ。
そして薔薇は、ここぞとばかりにそっと八幡の両手を、自分の前に回した。
「……横に並ぶもんだとばかり思ってたんだが」
「べ、別にいいじゃない、カメラも立ててあるんだし!」
「……まあ、いつもお前にはお世話になってるし、このくらいは別に構わないけどな。
他の奴らもお前とだったら許してくれるだろうし」
「そ、そう」
(ちょっと複雑なんですけどおおおおお)
そして写真を撮り終わると、八幡は去っていった。
去り際に、一瞬だけ八幡が、薔薇のスカートの方を見た気がしたが、
薔薇はその事は特に気にしなかった。
「じゃあまたな、小猫」
「うん、今日は本当にありがとう、またね」
そして薔薇は、一人で先ほど撮った写真を眺めた。
「えっ……?」
そこにはとても真っ赤な顔をした八幡が写っており、薔薇は驚いた。
「正面から抱き締められた時は、こんな顔はしていなかったわよね、
それが後ろから抱いたくらいでこうなるとは思えないんだけど……」
そして薔薇は、その間に何があったのかを思い出した。
『うわっ……い、いや、足は大丈夫か?やっぱり痛いよな?』
「思いつくのはあの時……八幡は何かに驚いていた。
そして帰り際に、八幡は一瞬私のスカートの方を見た」
薔薇はそう呟くと、視線を下に落とし、自分のはいているスカートに目をやった。
「ま、まさかあの時、八幡は私のスカートの中を見て、それでこんなに真っ赤になった!?」
そして薔薇は、再び写真の八幡の真っ赤な顔を眺め、近所迷惑も気にせず絶叫した。
「うおおおおお、神様、私はついに、私の色気で八幡を赤面させてやりました!
この写真は一生宝物にします!」
こうしてこの日は、彼女にとってはとても幸せな状態で終わる事となった。
だが三日後、彼女は陽乃とアルゴにずっといじられる事を、分かってはいなかったのだった。
やっぱり頑張れ小猫ちゃん!