八幡に指定された時間になり、めぐりは少し緊張しながら八幡の耳元で囁いた。
「お仕事に間に合わなくなっちゃうよぉ、そろそろ起きてぇ?八幡くぅん」
「うわっ」
八幡は、自分はいつめぐりと結婚したのだろうかと驚き、慌てて飛び起きた。
「きゃっ」
「あれ、ここは……」
「ああびっくりした、そろそろ時間だよ、八幡君」
そして八幡は、めぐりに起こしてくれるように頼んだ事を思い出し、
大きく伸びをした後にゆっくりと体を起こした。
「ありがとうございますめぐりん、おかげでいい目覚めでした」
「とてもそんな風には見えないんだけど……」
めぐりは八幡が飛び起きた事で、少し心配になったのかそう言った。
「いやいや、パッと目覚めた方が寝起きはいいですからね」
「本当に?」
「ええ、大丈夫ですから心配しないで下さい」
「それならいいんだけど」
そこに八幡が起きた事に気付いた自由がやってきた。
「おはようございます参謀、よく眠れましたかな?」
「おう、めぐりんのおかげで目覚めもバッチリだ」
「それは良かったです」
そしてめぐりと自由は頷き合い、めぐりが八幡にこう言った。
「八幡君、ゼクシード……茂村保さんの検査結果がついさっき届いたわ」
「やっとですか…………で、結果はどうでした?」
「黒ね、真っ黒よ。サクシニルコリン、今はスキサメトニウムと言うのだけれど、
彼の体には、その筋弛緩剤が投与されていたわ。
主に麻酔の前に使われるんだけど、最近ではあまり使われていないわね」
「筋弛緩剤ですか……なるほど」
その説明に、八幡はやはりというように頷いた。
「やっぱり薬物でしたね、で、この事は姉さんには?」
「ハルさんにはもう伝えたわ。ハルさん経由と相模さん経由の両方で情報は提供済みよ。
で、どうやらもう一度現場検証をする事が決まったみたいね」
「珍しく動きが早いですね」
「それなんですが、どうやら菊岡君が事前にその可能性を伝えてたみたいで、
検査結果が出たら直ぐに動く手はずになってたみたいですぞ」
「さすが菊岡さん、こっちの動きはお見通しか」
「あれは中々やり手ですからの」
そして自由は、ため息をつきながら八幡に言った。
「今回の件は警察の落ち度でしてな……参謀にはご迷惑をおかけしました」
「ん、どういう事だ?」
「実は鑑識からの報告だと、他人のものらしき痕跡は確かにあったらしいんです。
でも上の人間がはなから事故と決め付けて、
その痕跡も友達か何かだろうと流してしまったらしいですぞ」
その自由の説明に、さすがの八幡も呆れる事しか出来なかった。
「おいおい、警察は一体どうなってるんだよゴドフリー」
「返す言葉も無い……まあ今回の件に関わった上の人間は、
まとめて処分されるみたいなので、それだけが救いですのう」
そう聞いた八幡は、ニヤリとしながら自由に言った。
「そうかそうか、それじゃあこれでおっさんの出世は確定だな。
このまま権力を握って、警察内部に大鉈を振るっちまえよ、ゴドフリー」
「参謀は何もかもお見通しですな……
確かに私が処分された者達の代わりに昇進する事になりそうです」
「当然だ、再検査をするように言った時、今回の事がおっさんの手柄になるように、
おっさんの名前も一緒に出すように指示しておいたからな、作戦通りだ」
「何ですと?いやしかし、そういう訳にも……」
そう困った顔をする自由に、八幡は真顔で言った。
「ゴドフリー、これは私欲の為じゃない、正義の為だ。お前が警察を変えるんだ」
実際は警察内部のコネである自由の権力を強化し、
何かあったら便宜をはかってもらう気が満々だった八幡であるが、
さすがにこの場ではそんな事は言わなかった。
代わりに自由の気に入りそうな言葉をきちんと選ぶ辺りはさすがだといえよう。
「なるほど正義の為ですか。がっはっは、分かりました、任せて下さい!」
「頼むぜおっさん」
そして八幡は、清盛が今どうしているのかめぐりに尋ねた。
「で、今じじいはどこに?もしかして俺が寝ている間に寿命で死にましたか?」
「ぷっ」
めぐりはその言葉に思わず噴き出した。
「八幡君ったら、めっ!清盛さんならもう茂村さんの治療に入ったわ、
自信満々だったから、多分悪い結果にはならないと思う」
「そうですか……死ぬ前の最後のひと花、頼むぜじじい」
そしてめぐりは真面目な顔になり、八幡に尋ねた。
「ねぇ、今回の事件、八幡君はどう思う?」
「ゲーム内での狙撃に合わせて、ゲーム中で無防備なプレイヤーに薬物を投与する、
しか考えられないんですが、他人の住所をどう知ったかだけがネックですね」
「他に何か可能性は無い?」
「正直思いつきません、なので可能ならゲームの中で直接締め上げます」
「警察が動いた以上、協力出来る事があるとすれば確かにそれくらいかもね」
「ですな、こっちの結果は直ぐには出ないですからな」
その時八幡は、誰かからメールが来ていた事に気が付いた。
「これは……そうか、やっぱりラフコフの奴らの仕業か」
「ラフコフですと!?」
八幡はメールを見てそう呟き、和人からのメールに了解と返事をした。
「今のメールは誰から?」
「和人です、どうやら今回の事件は、SAOの殺人ギルド、
ラフィンコフィンの残党の仕業らしいです。
メールには書いてないですが、おそらく死銃の正体が、元幹部の赤目のザザなんでしょう」
「赤目のザザ……やっぱり奴ら、悔い改める気は無さそうですな」
「みたいだな」
「まあここはSAOの中とは違いますからな、きっちり逮捕してやりますぞ」
「頼むぜ……お?」
その瞬間に再びキリトからメールが届いた。
『忘れてた、時間が無いが、待ち合わせ場所を決めておこう』
「待ち合わせか……」
そしてめぐりはハッとしたように八幡に言った。
「いけない、そろそろ決勝の時間ね」
「もうそんな時間か、ちょっと急がないと。めぐりん、おっさん、行ってきます」
「くれぐれも気を付けてね」
「参謀、お気をつけて!」
そして八幡は、GGOへとログインした。
「和人君、ラフコフの幹部の家に人員を向かわせたよ。
あとついさっき本庁から再捜査に入ると連絡があったよ、
どうやら今回の事件の死因は薬物による可能性が高いらしい。
それを受けて、死体をもう一度調べる事になったよ。現場検証ももう一度やり直すってさ」
「そうですか……っていうか、前回の現場検証で何も出なかったんですか?」
「それがね……他人のものらしき痕跡は確かにあったらしいんだけど、
はなから事故と決め付けて、その痕跡も友達か何かだろうと流しちゃったみたいなんだよ」
「何ですかそれは……」
キリトは八幡同様、その警察の体たらくに呆れる事しか出来なかった。
「いやぁお恥ずかしい。多分今頃は、警察内部で綱紀粛正の嵐が吹き荒れていると思うよ。
SAO事件でも残された百人事件でも警察は役立たずだったし、
最近ただでさえ風当たりが強かったからねぇ。
そうだ和人君、良かったら君、うちの課に来ない?」
その言葉をスルーして、和人は菊岡に尋ねた。
「警察にまともな幹部はいないんですか?」
菊岡は無視された事を気にした様子も無く、普通にこう答えた。
「ん、いるよ?君もよく知ってる人がね」
「俺の知ってる人……ですか?あっ、そういえば前に八幡に聞いた事があったかも、
もしかしてゴドフリーのおっさんですか?」
「その通り、彼は出世街道から外れていた分、今度の事件には一切関わってないから、
上手くいけば多少警察の上の方に一石を投じられるかもしれないね」
「そうなんですね、まじで頼むぜゴドフリー」
キリトの脳裏には、『がっはっは、任せろ!』
と頼もしく答えるゴドフリーの姿が浮かんだが、その想像は大体合っていた。
「という訳で、次に問題になるのはどういった仕組みで殺人を犯したかだね」
「薬物でしょう?」
「そっちじゃなく」
「ああ!どうやってPKに見せかけたのかって事ですね」
「うん、まあ多分ゲーム内で銃弾を当てるのと同時に、
外部の協力者がそのプレイヤーに薬物を注射したんだろうけど、
実際問題彼らは別にハッカーって訳じゃないんだし、
個々のプレイヤーの住所なんか絶対に分かりっこないはずなんだよね」
「ですね……とりあえず八幡と一緒にゲーム内で捕まえて聞いてみますよ、
まあ決勝にいるかも分からないですし、大人しく白状する保証も無いですけどね」
そんな和人に菊岡はあっさりと言った。
「まあよろしく頼むよ、こっちはこっちでしっかりと和人君の体は守るからさ……
って、ちょっと失礼」
ここで菊岡に電話が入り、代わりに菊岡の後ろで静かにしていたナツキが言った。
「うん、お姉さんに任せなさい!」
「はいナツキさん、頼りにしてます。とりあえず八幡と中で落ち合うとして、
あっ、待ち合わせ場所を決めておいた方がいいか……
とはいえ決勝の舞台には詳しくないからな……あいつに丸投げするか」
折りしも八幡から、『了解』と一言だけメールが返ってきた為、
和人は時間を気にしながら八幡にメールをしたが、返事が無い。
「多分メールは見たと思うんですけど、そろそろ時間だし、
返事をしている余裕が無いのかもしれませんね」
「かな、和人君もそろそろ行った方がいいかもね」
「はい、それじゃあこっちの事は任せました、行ってきます」
「頑張ってね」
「待って和人君!」
丁度そのタイミングで電話を終えた菊岡が、和人に言った。
「最後に悪い知らせだ、どうやらザザもジョニーブラックも自宅にいないらしい。
そして二人とも、密かに身の回りの物を処分して家を出たらしい。
どうやらどこかに高飛びするつもりなんじゃないかな」
「まじですか……分かりました、その情報も八幡と共有します!」
そして和人も、急いでGGOへとログインした。
「「さて、走るか」」
二人はGGOにログインして直ぐにそう呟くと、同時にドームの中央へ向けて走り出した。
さすが長い付き合いだけあって、考える事は一緒のようだ。
「ちょっとキリト君、どこ行くの?」
「ハチ……いや、シャナの所だ!」
「えっ?シャナの居場所を知ってるの?」
「悪い、急ぐんだ、それじゃあ中でな!」
「あっ、ちょっと!」
「シャナ様、どちらへ?」
「シャナ、どこに行くの?」
「ちょっと野暮用だ、それじゃあお前ら、中でな」
二人はお互いの知り合い達にそう声を掛け、そのまま全力で走り出した。
中央付近でお互いの姿を確認した時の残り時間は、決勝開始のわずかに三秒前。
そしてシャナは、キリトに向けて叫んだ。
「座標だ!お前の頭から俺の頭だ!」
「分かった!」
その瞬間に二人は決勝のフィールドへと転送された。
「ここが決勝の舞台か……」
キリトは興味深げに周囲を見渡しながら言った。
「確か最初は全員散らばって配置されるんだったよな。
さて、俺の頭からあいつの頭……キリトのKに八幡の8でK-8か、
近くだと助かるんだが……」
キリトは次にそう呟くと、端末の地図を開き、今自分がいる座標を確認した。