雪乃は、到着した場所がソレイユだった為、
顔に疑問符を浮かべながら八幡にこう尋ねてきた。
「ここってソレイユじゃない、ここで勉強するの?」
「いや、隣のマンションだ」
そちらに目をやった雪乃は、そこが見覚えのあるマンションだった為、
少し前にあった事を懐かしむように、八幡に言った。
「あら、あそこなの?あそこってアルゴさんが住んでるマンションよね?
私もあの時、三日目にたまたま居合わせてその様子を見ていたけど、
アルゴさんが音を上げて折れた時は、ちょっと笑ってしまったわ、
まさかあんな方法をとるなんてね」
「あの時は本当に苦労したわ……」
そんな二人の会話に、残りの三人は説明を聞きたがった。
そして雪乃の説明を聞いたクルスは、いきなりこう言った。
「八幡様、私、これからしばらく開発室の仮眠室で暮らします」
「絶対にやめろよ」
「八幡、私もそこに引っ越そうかと思うんだけど」
「お前まで乗ってくるんじゃねえよ」
詩乃もそれに乗り、八幡は呆れた顔で二人を止めた。
「もうすぐ社員寮が完成するが、その寮は普通にマンションタイプになってるから、
そっちで我慢しろ、クルス。詩乃はうちに入るなら、そこに入れてやってもいい」
「そういえばそうでした、仕方ない、寮が完成して入社したら仮眠室にこもります」
「お前今、俺の話をちゃんと聞いてたか?」
「八幡、私も私も」
「お前もそろそろ自重しような、というかお前は勉強の事だけ考えとけ」
「八幡、私は……」
「だから………ん?」
その言葉に驚いた八幡は、思わず押し黙った。
何故ならそう言ってきたのが紅莉栖だったからだ。
「え、お前、もしかしてうちの会社に入るつもりなのか?」
「違うのよ、ほら、私ってずっとホテル住まいじゃない、
さすがにそれだと無駄な部分が多くなっちゃうから、
多少家事とかをする手間がかかるとしても、
もし可能なら、私の部屋も寮に用意してもらえたらなって思ったのよ。
将来的には、毎年毎年何度もこっちに来る事になりそうじゃない?」
「なるほど、それは一理あるわね」
雪乃もその言葉に同意し、八幡も真面目な顔をして考え込んだ。
「オーケーだ、姉さんとも相談して、紅莉栖に都合がいいように何か考えるわ」
「ありがとう、八幡」
「ちなみに紅莉栖の予測として、仮に今後も日本に来た時はホテル住まいを続けたとして、
年間でかかるだろう費用の予測ってどれくらいだ?」
「えっと……このくらい」
その紅莉栖が提示した金額に、八幡は目を見張った。
「まじか、確かにこれはやばいな、うちに協力する事になった後のホテル代も、
こちらで持たせてもらうが、とにかく早急に対処させてもらうからな」
「正直助かるわ、ありがとう、八幡」
「おう、どういたしましてだな」
そして八幡は、紅莉栖の事で相談があるから後で部屋に来てくれと陽乃に連絡した後、
四人を伴って自分の部屋へと向かった。
「ここがアルゴの部屋、そしてここが優里奈の部屋だな、
とりあえず優里奈に到着した事を知らせておかないとだな」
そう言って八幡は、優里奈の部屋のチャイムを押したが、反応は無い。
「ああ、もしかしたら先に俺の部屋にいるのかもしれないな、
あいつには昨日、俺の部屋の合い鍵を渡しておいたからな」
八幡は無意識に地雷を踏んだ。無意識というよりは、無自覚というべきかもしれないが。
八幡にとって幸いだったのは、雪乃がここにいた事だろう。
雪乃は数々の八幡の無自覚なやらかしについて熟知しており、
そのセリフに一瞬驚いた後、八幡が合い鍵を渡すにはどんな理由があるのか考え、
一瞬にしてその答えにたどり着いた。
そして八幡に詰め寄ろうとしていたクルスと詩乃を制し、貫禄のある態度で一歩前に出た。
この辺りは、さすがはヴァルハラの副団長といった所であろう。
ちなみに正式にはヴァルハラは団では無いので、
副団長という言い方はおかしいのかもしれないが、
明日奈がその呼び方に慣らされてしまっている為、
雪乃も和人も明日奈に合わせて自分の事を、副団長と呼称しているのである。
「八幡君、あなた、ここにはほとんど来ないって言ってたわよね?」
「だな、まあ学校を卒業したら、多少はここに来る頻度が増えるかもしれないが、
今は本当にたまにしか使わないな、ちょっともったいないとは思うが」
「なるほど、だから優里奈さんに、ここの管理を任せたのね」
「おう、まあ管理っていってもたまに換気だけしてくれって頼んだだけなんだけどな、
そうしたらシーツくらい干しますって言われたけど、まあその程度だな。
あんまり色々と頼んじまうと、優里奈に迷惑をかけちまうからな」
「納得したわ」
それでクルスと詩乃も大人しく後ろに下がり、八幡は自らの知らぬ所で命拾いした。
紅莉栖は内心で、そんな八幡の女性関係での迂闊さに一瞬危惧を覚えていたが、
雪乃がそうやってフォローした事で、ソレイユという会社の強さを改めて実感したようだ。
もっとも将来八幡に、数多くの女難が振りかかるであろう事は確信していたのだが。
「ここが俺の部屋だ」
そう言いながら八幡は、部屋の鍵を開けた。
案の定玄関にはいかにも女子高生が履いていそうな靴が置かれており、
中からパタパタとスリッパの音がし、直ぐに優里奈が顔を出した。
「あっ、お帰りなさい、八幡さん」
「おう、やっぱりこっちにいたんだな、優里奈」
「はい、勉強会の準備をしておかないとって思って……」
どうやら優里奈は朝の段階から、この部屋のリビングが勉強には不向きだと把握しており、
ソファーを少し後ろに下げて、その場所にクッションタイプの座布団を配置し、
部屋のレイアウトをいじっていたようだ。
「そのクッションとかは、どうしたんだ?」
「収納の中に入ってましたよ」
「え、まじでか、全然知らなかったわ……」
「本当に何でこんなものが沢山用意されてたんですかね、
お茶の用意もしましたけど、ティーカップもかなり多くありますし、
それに八幡さんのベッドって、普通じゃ考えられない大きさじゃないですか、
このソファーも実はソファーベッドですし、随分おかしな部屋ですよね」
「それは俺も思ってたんだよな……」
その会話を聞いた一同は、興味津々で八幡の部屋を見て回った。
確かに不自然なくらい、その場には不釣合いな物が満載であり、八幡は首を傾げた。
「確かに言われてみると、色々とおかしいよな……」
「そもそもベッドの他にソファーベッドを用意する意味って?」
「普通に考えれば、寝室とここで分かれて寝ろという事になるわね」
「ベッドの広さやこのクッションの多さから考えるとつまり……」
八幡は、考えたくないというように押し黙ったが、
そこに優里奈が、何も考えずにニコニコとこう言った。
「つまり、ここに複数の女性が泊まる事が想定されてるんですね」
「なるほど、やるわね姉さん」
「しまった、お泊りセットを持ってきてない……」
「待って、この寝室のクローゼット、何でこんなに大きくて、無駄に引き出しが多いの?
これって最大十六人までの下着や着替えを別々に入れられるような設計に見えない?」
「予備の一着分だけあればいい訳なので、確かに十分かもですね」
「ここで洗濯してそのまま仕舞えば洗濯物を持ち歩く必要もない……」
「八幡様とのラッキースケベも期待できますね」
「個人個人の洗濯物の管理は私に任せて下さい!」
「ちょ、ちょっとあなた達、一体何を……」
ここでただ一人蚊帳の外状態の紅莉栖がそう声を掛けてきた。
そんな紅莉栖の肩を、クルスがポンと叩いた。
「もちろん紅莉栖も仲間に入ってくれるよね?」
「ええっ!?」
そして雪乃も同じく紅莉栖の耳元でこう囁いた。
「大丈夫よ、一人でここに来るのは禁止だというルールを作るから。
もし誰も捕まらない時は、優里奈さんに来てもらえばいい、
あなたも八幡君の事は信用しているでしょう?
これで明日奈さえ引き込めば、ここを運用していくのに何も問題は無くなるわ」
「た、確かに信用してるけど……」
「それにほら、ここならソレイユとは目と鼻の先だから、
会社で実験をする時間がかなり増えるのではないかしら」
その言葉に紅莉栖は目を輝かせた。
「そ、それは確かに魅力的ね、うん、八幡が相手なら特に危険も無いだろうし、
積極的に明日奈を誘えば何の問題も無いわよね、私は賛成よ」
唯一この状況を外から判断出来る紅莉栖が陥落した時点で、この事は決定事項となった。
おそらく明日奈ですら、反対する事は無いであろう。
何故なら明日奈自身が積極的にここに来ればいいだけの事だからだ。
逆に毎日がキャンプのような状態になり、喜ぶまであるかもしれない、
そう考えた八幡は、反対する事を諦め、
本来の目的である勉強会を行うように、呼びかける事にしたのだった。
「なぁお前ら、もうそれでいいから、そろそろ勉強会を開かないか?」
「あっ、そうだったそうだった」
「その前に自己紹介よね」
「あ、そうだったな、すまん」
そして自己紹介が始まった。
「改めまして、櫛稲田優里奈です、ここの隣の部屋にお世話になる事になりました。
今後はここの管理もしっかり頑張りますので、今後とも宜しくお願いします」
「雪ノ下雪乃よ、ソレイユの社長の妹で、八幡君とは高校の元同級生よ」
「間宮クルスです、今は大学で雪乃の同級生、将来は八幡様の秘書になります」
「朝田詩乃、優里奈とは同い年だから、呼び捨てでいいわよね、その方が友達っぽいしね。
私の事も今後は気軽に詩乃って呼んでね、宜しく、優里奈」
「私は牧瀬紅莉栖、ヴィクトル・コンドリア大学の研究室で、脳科学の研究をしています、
私はこの歳で大学院生だけど、優里奈や詩乃とは同い年だから、
私の事も気軽に紅莉栖って呼んでね、宜しくね、二人とも」
そして恒例の、優里奈の質問タイムが訪れた。
「あの、雪乃さんは八幡さんの彼女さんですか?」
「そうね、そうであったらどれだけ良かったか、でも残念、私は敗残兵よ」
「ご自分の事をそんな風に仰らないで下さい、頑張って下さい雪乃さん」
「えっと、詩乃は八幡さんの彼女さん?」
「将来はね」
「なるほど……頑張って、詩乃!」
「任せて!」
優里奈は紅莉栖には質問しなかった。この辺り、優里奈の眼力は中々である。
「とりあえず私、人数分のお茶を入れますね」
「いや、それは雪乃に任せて、お前は詩乃と一緒に勉強する準備に入った方がいい。
せっかくいい教師を二人揃えた上に、紅莉栖までいるんだ、今日は存分に勉強するといい」
「ありがとうございます、八幡さん!」
そして八幡は、雪乃と共にキッチンへと向かった。
「ここで私を指名した事に、何か意図はあるのかしら」
「あ~、いや、そういえばこっちに戻ってきてから、
雪乃の入れてくれたお茶を飲む機会がまったく無かったなと思ってな、
道具も揃ってるみたいだし、せっかくだから久々に飲ませてもらおうかなと」
「あら、敗残兵に対して嬉しい事を言ってくれるじゃない」
「そのネタ、まだ使うのかよ」
そして雪乃は楽しそうにお茶を入れ始め、そんな雪乃に八幡は言った。
「なぁ、さっきの話、本気なのか?」
「ええ、本気よ。そうなったら、優里奈さんも寂しくないでしょう?」
その言葉に八幡は意表を突かれた。
「そうか、そっちの意図もあったのか」
「ええ、確かにあの子は少しおかしいわ、いくらなんでも知り合ったばかりの男の家に、
いくら合い鍵を渡されたからといって、無防備に上がりこむなんて、
普通なら多少躊躇いがあってもおかしくないはずよ。でもあの子は平然とそれをする。
どこか感情の一部が抜け落ちているような、そんな印象を受けるのよ。
どうやら他人の世話を焼く事が楽しくて仕方がないように見受けられるし、
今はその部分で彼女の心を充足させつつ、
その過程でここで沢山の仲間の女性と触れ合い、彼女からも色々な話を聞く事で、
誰かが上手い事彼女が抱える闇について理解出来れば、
私達が彼女の為にしてあげられる事も何かあるかもしれないでしょう?」
その雪乃の言葉に、八幡は深く頷いた。
「確かにな」
「あなたを出汁にしてしまって申し訳無いとは思うのだけれど、
最悪将来彼女が世間に出た時に、上手く自分で自分を守る為、
今は出来るだけ多くの信頼出来る人に、役に立つ話を色々と聞けるように、
環境を整えてあげる事が必要なのだと思うわ」
「分かった、そういう事なら俺も協力を惜しまない、
明日奈にもこの事を話して、ここに多く来れるように調整していく事にするわ」
「この話は後で仲間の女性陣の間でも共有しておくわ、話が長くなってしまったわね、
それじゃあこのお茶を、向こうまで運んで頂戴」
「了解だ、本当にお前には頭が上がらないよ、いつもありがとな」
「私とあなたの仲じゃない、お礼なんかいらないわよ」
そう雪乃ににこやかに言われ、八幡は恐縮したが、
居間に戻った瞬間に雪乃が豹変するとは、さすがの八幡にも予想出来なかった。