「ここだよ、さて、西山田君がお待ちかねのはずだ」
「そうですね」
そして四人が部屋に入った瞬間に、ファイヤが余裕たっぷりにこう言った。
「やぁ、比企谷君、香蓮さん、昨日ぶりだね」
「はい、お待たせしてすみません」
「いやいや、僕が早く来すぎただけだから気にしないでいいよ、
まあ、君よりも僕の方がちょっとだけ誠意を多めに見せたってだけの話さ」
相変わらず一言多い男である。
「あと、君と香蓮さんに謝罪しないといけない、
昨日言われた通りに彼に聞いてみたんだけど、論外だって大説教されてしまったよ、
僕もまだまだだって事だね、本当に申し訳なかった、今後は改めるよ」
「いえ、分かって頂ければそれで十分です、どうかお気になさらず」
どうやらファイヤは、かなり厳しい調子で昨日の事を怒られたらしく、
この話題に関しては、特に一言付け加える事も無く、素直にそう謝ってきた。
そして唯一面識が無かった美優がファイヤに自己紹介をしようとしたが、
ファイヤはやはり美優の事を調べていたらしく、既に美優の名前を知っていた為、
八幡は、やはり警戒しておいて良かったと感じた。
蓮一は、事前にファイヤにゲーム内で二人と会った事を聞いていたのか、
その事に関しては何も言う事は無かった。
「おじ様、私、お茶の用意をしてきますね」
「すまないね美優ちゃん、お願いするよ」
そして美優が気を利かせたのか、そう言ってお茶の準備を始め、
八幡とファイヤは横長のソファーの端に向かい合って座り、
香蓮は当然のように八幡の隣に座った。
そのあまりにも自然な態度に苦笑した蓮一は、ファイヤの隣に座った。
美優はお茶を出した後、少し離れた所にある椅子に腰掛け、
特に話に参加する事もなく、聞き耳を立てていた。
世間話から始まったその会話は、今は仕事の話へと差しかかっていた。
「比企谷君は、今はどんな仕事を?」
「まだ学生の身で、部長らしい事はほとんど出来ていませんが、
メディキュボイド関連が今は主ですね」
「ああ、VR医療機器って奴だっけ?まあうちの業界には関係無いかなぁ」
どうやらファイヤはメディキュボイドの名前だけは知っていたようだ。
まあ認識は微妙に違う気もするが、知っているだけましなのだろうか。
「比企谷君、メディキュボイドの設置には、何か特殊な設備が必要なのかい?」
「そうですね、強力なネット環境は必要ですし、それに無菌室と、
それをモニターする部屋は確実に必要になりますね、
興味がおありでしたら、後で資料を秘書に送らせましょうか?」
「是非頼むよ、興味があるのでね」
「分かりました、早い方がいいですか?」
「まあそれにこしたことはないね」
その時、八幡と蓮一が、はかったように同時にファイヤをチラリと見たのだが、
ファイヤが反応しなかった為、八幡は一言断って席を立った。
どうやら資料が二部必要になるのかどうか、確認したらしい。
「分かりました、ではちょっと失礼して、直ぐに用意させますね」
八幡はそう言って、薔薇に電話をかける為にその場を少し離れた。
(西山田君は反応無しか、まあさっき、関係無いと自分で言ってたからなぁ、
でも果たして本当にそうかな?)
「お父さん、メディキュボイドって何?」
「患者さんをVR世界に接続したままの状態を維持して、そのまま治療を行う機械だね、
それの有る無しが、今後その病院の格と密接に関係してくるかもしれないね」
(そうなると、最初からメディキュボイドありきの設計が出来る人材を、
今のうちから育成する必要が出てくるんだけどね、
いずれは在宅で使える簡易メディキュボイドなんてのも出てくる可能性は否定出来ないし)
「そうなんだ、それってすごいの?」
「そうだね、例えば香蓮、アミュスフィアをかぶったまま手術されたら、どうなると思う?」
「ゲームをしている間に手術を受けられる?」
「残念、体調の変化とか、何かに反応して強制ログアウトされるんだよ」
「あ、そういえばそうだね」
「でもメディキュボイドにはそれが無い、今この技術を確保しているのは、
世界でもソレイユだけなんだ」
「そっか、ソレイユって凄いんだね」
その会話の間、蓮一はファイヤの方をチラチラと伺っていたが、
ファイヤはつまらなそうにその話を聞いているだけだった為、蓮一は失望した。
(興味無しか……まあ香蓮の旦那はうちの会社を継ぐ事は無いだろうから、
自分の会社をしっかり維持して香蓮を不幸にしない程度の甲斐性があればそれでいいんだが、
さすがにこういう姿を見ると、少し心配になるなぁ……
もし比企谷君が婿に来てくれるなら、彼を後継者に指名するのは間違い無いんだが……)
丁度その時八幡が戻ってきて、蓮一に言った。
「直ぐ持ってこれるらしいので、フロントに預けておくように伝えておきました」
「おお、ありがとう比企谷君」
「いえ、大した手間じゃありませんから」
そして八幡は、こう付け加えた。
「ちなみに専用施設を作る予定もあるんですが、主幹は雪ノ下建設の予定なんですよね、
基本設計とか、あそこには色々助けられています」
八幡はそう言った後、何か言いたげな顔で、蓮一の目をじっと見つめた。
蓮一は何だろうと思い、今の八幡の言葉を脳内でもう一度再生した後、
ハッとした顔で八幡の目を見返した。八幡は小さくそれに頷いた為、
蓮一はその意図をハッキリと理解した。
(さすがの雪ノ下建設も、北海道では建設実績がまったく無い、
要するに八幡君は、いずれ将来を見据えて、雪ノ下建設と早めに協力関係を築き、
設計関係でも技術交流を持っておけと言いたいんじゃないだろうか、
そうすればいつか北海道にメディキュボイド関連施設が出来る時、
主幹会社は間違いなくうちという事になるんじゃないのか……?)
蓮一はそう考えながら、手に汗を握った。
これはもう一度雪ノ下さんに連絡を取らないといけないなと思いながら、
蓮一は今もまったくこの話に興味を示さないファイヤを完全に見限った。
(所詮はその場その場での対応のみで上手くいっているだけという事か……)
そう考え込む蓮一を見て、香蓮は逆に、少し不安を覚えていた。
八幡が資料を用意してくれた後、蓮一の態度が急におかしくなったからだ。
香蓮は不安を覚え、テーブルの下で、無意識に八幡の手を握った。
八幡は一瞬ビクッとし、香蓮の顔を見たのだが、香蓮がとても不安そうな顔をしていたので、
八幡は安心させる為にも、香蓮の手をしっかりと握り返した。
それで香蓮は、今自分が八幡と手を繋いでいる事に気が付き、
頬が赤く染まるのを必死で我慢する事となった。
横にいた美優だけはそれに気付いており、香蓮はその事で、後で散々美優にからかわれた。
その後は八幡の学校の話や、ファイヤの仕事の苦労話という名の自慢話に終始し、
この日の話はそのまま穏便に終了する事となった。
「それじゃあ比企谷君、香蓮さん、大会を楽しみにしているよ」
そう言ってファイヤは大人しく帰っていった。
そして残された四人のうち、美優が蓮一に話しかけた。
「おじ様、楽しめましたか?」
「ああ、うん、そう見えたかい?」
「ええ、メディキュボイドってのの話の後くらいは特に」
「バレてたか、この後やらないといけない事がいくつか増えてしまったよ」
その蓮一の言葉に、八幡は笑顔でこう言った。
「理事長に宜しくお伝え下さい」
「ああ、僕の考えた事はやっぱり正解だったみたいだね」
「ですね」
そして蓮一は、八幡の手を取りながら言った。
「比企谷君、うちの香蓮と結婚して、うちの会社を継いでくれないかい?」
「ちょ、ちょっとお父さん!」
「ははっ、冗談、冗談だってば」
そう言って蓮一は手を離し、笑顔で八幡達を見送った。
「香蓮、美優ちゃん、せっかくの比企谷君の好意なんだ、ライブを楽しんでくるんだよ」
この日の会談からその後、蓮一は香蓮の結婚話について、自分からは一切触れる事は無く、
家族が冗談めかせてその事に触れた時も、蓮一は笑顔のまま、
香蓮に任せておけば何も問題ないとしか言わなくなった。
一方その頃、ソレイユ社内では、ちょっとした騒ぎが持ち上がっていた。
「おっ、敵性存在を確認、相手が罠にかかったお」
「ついにか、ハー坊から話を聞いて、
いずれうちにハッキングをかけてくると思ってたけど、正解だったナ」
「まあこの防御は三人で作ったものだし、そう簡単には破られないよね」
「しかも罠も豊富ですし」
「それじゃあ仕事にかかるとするか、ダル、イヴ、サポートを宜しくナ」
「あいよ」
「了解」
どうやらファイヤの雇った情報屋が、
ソレイユに進入しようとハッキングをかけてきたらしく、
アルゴ、ダル、イヴの三人は、相手のPCに逆ハッキングをかけている真っ最中だった。
「よし、捕まえタ」
「おっけーだお、そのラインから攻勢をかけるお」
「こいつ、どちらかというと駆け出しっぽいね、個人情報もかなり抜けた」
「よっしゃ、もう相手の名前も住所も押さえたし、リアルでもアタック出来るお」
「どうする?」
「とりあえずメッセージを送る、次は無いってナ」
「まあその辺りが妥当かな、今のところは」
「とりあえず社のブラックリストに突っ込んでおくお」
そして情報屋のPCに、突然次のメッセージが表示された。
『次は無い』
その下には情報屋の個人情報がずらりと書かれており、
肝を冷やした情報屋はそのまま夜逃げし、
ファイヤは八幡と香蓮に対し、今以上の情報を得る事が出来なくなった。
「何で連絡が繋がらないんだ……まあいい、ここまで情報が集まってれば、
後は計画を進めるだけだしね」
そう言ってファイヤは、GGOへとログインしていった。
その頃香蓮と美優は、思いっきり神崎エルザのライブを堪能し、
今まさに帰ろうとしている所だった。
「いやぁ、最前列ってやっぱ凄いね」
「うん……感動した」
「さて、リーダーに迎えを頼む?」
「だね」
そんな会話を交わしている二人を、舞台袖からこっそり見つめている者がいた、
もちろん神崎エルザ本人である。
「豪志、あの二人に見覚えある?」
「ありませんね、八幡さんのご学友ですかね?」
「かもしれないね、いずれ関わる事もあるかもしれないし、覚えておこっか」
「八幡さんは、詮索するなって言ってましたけど……」
「うん、だから詮索はしないよ、覚えておくだけ」
「はぁ、まあそうですね」
「八幡だって、それくらいは想定内でしょ、なんたって私が席を用意した上に、
最前列なんだから、顔を覚えていない方が逆に不自然じゃない?」
「確かに……」
こうして香蓮と美優は、エルザに顔を覚えられる事となった。
次に二人が会うのは、お互いの事を認識しないまま敵対する事になった、
第二回スクワッド・ジャムの後という事になる。