ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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第553話 ただいま、おかえりなさい

 イベントの二日後、詩乃は存分に朝寝坊を満喫していた。

 

「ん……八幡、あんた本当に私の足が好きなのね……」

「何て寝言を言いやがる……」

 

 何もせず、黙って詩乃の横に座っていたはちまんくんも、

思わず詩乃の寝言にそう突っ込んだ。

そんな、八幡が聞いたら髪を逆立てそうな寝言を言いながら寝ていた詩乃であったが、

そんな中、玄関からチャイムの音が聞こえた。

 

「……誰……?あ、そうか、そういえば薔薇さんが来るんだったっけ……」

 

 詩乃はそう呟きながら、眠い目を擦って体を起こした。

そして玄関に向かおうとする詩乃に、はちまんくんが言った。

 

「おい詩乃、その格好で出るつもりか?来たのが小猫とは限らないだろ?」

「その格好?あっ……」

 

 詩乃は自分が下着姿に上半身だけパジャマを着た格好だった事を思い出し、

とりあえずパジャマの下を履くと、誰が来たのか確認だけしようと思い、

目をごしごし擦りながら入り口に向かった。

 

「は~い、どちら様?」

「俺だ詩乃、ドアを開けてくれ」

「八幡!?」

 

 外から聞こえてきたのはまさかの八幡の声であった為、詩乃は何も考えずにドアを開けた。

その瞬間に、詩乃の頭に銃口のようなものが押し付けられ、詩乃は完全に固まった。

 

「おはよう詩乃、でも駄目じゃない、完全にアウトよ」

「そ、薔薇さん!?」

 

 そこに立っていたのは、最初の予想通り詩乃にはちまんくんを借りにきた薔薇だった。

よく見ると、銃口だと思ったものはただの差し入れの缶ジュースであった。

そして薔薇は、スマホをこちらに見せながら、ジュースを持つ手で画面にタッチした。

その瞬間に、先ほど聞こえたのとまったく同じ声が聞こえてきた。

 

「俺だ詩乃、ドアを開けてくれ」

「さ、さっきの声はそれが!?」

「このドアを開けさせる為に、こういう手もあるって事よ、

必ず外は自分の目で確認する事、いい?」

「ご、ごめんなさい」

 

 詩乃は、今回は完全に自分が悪いと考え、薔薇に謝った。

そして詩乃は薔薇を中に案内すると、とりあえず着替える事にした。

 

「しかしまさか、ノータイムでドアを開けてくるなんて思わなかったわ、

まあ詩乃の平常運転というか、恋って甘酸っぱいわよね」

「うぅ……薔薇さんの意地悪……」

 

 目の前で着替える詩乃に、薔薇は面白そうにそう言い、詩乃は弱々しく薔薇に抗議した。

 

「詩乃は今日はどうするの?」

「夏休みはいつもよりちょっと長く働けるから、バイトにでも行こうかなって」

「行く?って事はソレイユに行くつもりなの?」

「うん」

「まああそこは確かに快適だし、たまに八幡も顔を出すしね」

「べ、別にそれが目的という訳じゃ……」

「いいからいいから、はちまんくんがいなくて寂しい代わりに、

八幡に相手をしてもらえばいいわ。今日はあいつ、会社にいるはずだし」

「本当に!?」

 

 その瞬間に詩乃の顔はパッと明るくなり、直後に薔薇の生暖かい視線を受け、

詩乃は恥じ入ったように下を向いた。

 

「くっ……ひどい不意打ちを……」

「あはははは、お詫びにひとつだけ大事な事を教えてあげるわ、

私達がもうすぐアメリカに行く事は知っているでしょう?」

「あ、うん、そう言ってたわね」

「何があっても八幡を信じなさい」

「え?」

「誰が何を言ってもよ」

「そ、それはもちろん信じてるけど……」

「それじゃあついでに会社まで送るわ、家に帰る途中だし」

「あ、ありがとう」

 

 詩乃は訳が分からないままそう答え、薔薇は詩乃を自分の車の所へと案内した。

 

「え、これ?」

「ええそうよ、何かあった?」

「いや、私の中ではこう、薔薇さんはもっと女の子らしい車に乗ってるイメージが……」

「そう?でも小さくてかわいいでしょ?」

「まあそう言われると……」

 

 そして詩乃は、車体に書いてある文字をたどたどしく読んだ。

 

「シ・エ・ラ?これがこの車の名前?」

「ええそうよ、悪路もバリバリ走るわよ」

「へぇ~」

 

 そして助手席に乗り込んだ詩乃は、運転席を見て思わずこう口に出した。

 

「あ、何かいい感じかも」

「でしょ?まあでも、確かに男の人が乗る車って感じに思われるのは仕方ないかもね」

「ううん、一周回ってかわいいかも!」

「そう、ありがと」

 

 そしてソレイユに向かう途中で、ナビが渋滞情報を告げた瞬間、

詩乃は唖然として薔薇の顔を見た。薔薇は平然とその視線を受け止め、

何でもないように詩乃に言った。

 

「そう、詩乃もついに気付いてしまったのね……」

「そんなニヤニヤした顔で言われたら、深刻そうなセリフが台無しよ、薔薇さん」

 

 詩乃が驚いたのも無理はない、薔薇の車のナビの声は、八幡の声に他ならなかったからだ。

 

「これって八幡の声?」

「ええそうよ、合成だけどね」

「合成?これ合成なの?それにしては本人が喋ってるようにしか聞こえなかったんだけど」

「ちなみにうちの会社の車持ちの女の子の大半は、このナビを使ってるわよ、

このタイプのナビのソフトをいじって八幡の声に改造しているの」

「こんな所に技術力の無駄遣いが……」

 

 詩乃はその事実に愕然とした。

 

「詩乃ももし車を運転するようになったらこのナビを使うといいわ、

これ、真面目に聞くと凄く笑えるわよ、試しに目的地を設定してみましょうか?」

「うん!」

 

 そして薔薇はナビの目的地をソレイユに設定した。

その瞬間にナビ八幡が、ルートの案内を開始した。

 

「この先、右折レーンです」

 

 そして次にこう言った。

 

「まもなく右折です」

 

 その瞬間に詩乃は噴き出した。

その口調が、普段の八幡とは似ても似つかない真面目くさったものだったからだ。

 

「こ、これ、面白い!」

「でしょ?」

「薔薇さん、私もこれ欲しい!」

「ええ、その時はちゃんと提供してあげるから、頑張って免許をとるのよ」

「うん!」

 

 そして二人はナビ八幡に何度も笑わせられながら、ソレイユへと到着した。

 

「ありがとう薔薇さん、凄く楽しかった」

「ほんのお礼よ、それじゃあまたね、詩乃」

「うん、また!」

 

 その瞬間に、どこからか八幡の声がした。

 

「何だお前ら、朝からつるんでたのか?」

「あっ、今のセリフはナビっぽくなくてまるで本人みたい、そんなセリフも言うの?」

「あ?ナビ?ああ、あれか………まあ別にいいけどな」

 

 顔に疑問符を浮かべる詩乃に対し、薔薇はちょんちょんと後方を指差した。

慌てて詩乃が振り返ると、そこには八幡本人がいた。

 

「うわ」

「うわって何だ、失礼だろ、ツンデレ眼鏡っ子」

「ど、どっちが失礼なのよ、私は別にツンデレじゃないわよ!」

 

 そんな詩乃を無視し、八幡は薔薇に話しかけた。

 

「おい小猫、昨日は詩乃の家にでも泊まったのか?」

「ううん、たまたま会ったから送ってきただけよ」

 

 薔薇は、まさかはちまんくんを借りに行ったとは言えず、

そう言って誤魔化す事にしたようだ。

ちなみに当のはちまんくんは、スリープモードのまま後部座席に横たわっていた。

薔薇のバッグに隠れていたのが幸いである。

 

「ふ~ん、そういやお前、今日は有給だったよな、

ただでさえお前は働きすぎなんだ、もう何日か有給を追加してもいいから、

とにかくたまにはゆっくり休めよ」

 

 八幡は薔薇にそう言うと、運転席側に回り、窓からしげしげと中を覗き込んだ。

その八幡の行動に、薔薇と詩乃は心臓が止まる思いがしたが、

幸い八幡ははちまんくんの存在には一切触れないまま、薔薇にこう言った。

 

「おお、格好いいなこれ」

「え、ええ、いいでしょ?」

「特にこの、メーターの回りの四角いこの部分とか、

丸いこことか、エアコンの口とか、もう最高だな、

ってこれ、メーターが百八十キロまであるのか?まさかシエラか?」

「ええそうよ、気が付かなかった?」

「さすがにチラッと見ただけで分かるほど詳しくはないな、

この車が出たの、確か十年以上前だよな?」

「ええ、新型にモデルチェンジしたのがそのくらいね」

「そうか、いやしかしお前、車に関してはいい趣味をしてるな、

生まれて初めてお前を認めてもいいかなという気がしてきたぞ」

「ふ、普段から認めなさいよ!ほら、この胸とか!」

「………お前のそういうところが残念なんだよな」

「何ですって!?」

 

 その言葉に抗議しようとする薔薇に背を向け、八幡は詩乃に声を掛けた。

 

「おい詩乃、バイトするんだろ?それじゃあ行くか」

「あ、う、うん」

 

 詩乃ははちまんくんが見つからなかった事への安堵のせいか、

先ほどのツンデレ眼鏡っ子呼ばわりに対する抗議の事は忘れ、そう返事をした。

そして八幡は、薔薇にひらひらと手を振り、そのまま詩乃と一緒に立ち去ろうとした。

 

「あ、ちょっと!」

「いいからお前は早く帰って休めって」

「も、もちろんそうするつもりよ!」

「はいはい、じゃあまたな」

「あ、うん、ま、また」

 

 薔薇の抗議はそれで尻すぼみになり、薔薇はそのまま車を発進させ、

そのままス-パーへ行き、外に出なくてもいいように色々買いこむと、自宅へと戻った。

 

「ただいまっと」

 

 薔薇は一人そう呟いたがもちろん返事はない。

そこで薔薇は何か思いついたのか、家には上がらずに、先にはちまんくんを起動させた。

 

「ん……そうか、ここは小猫の家か」

「ええそうよ、それじゃあお願いね?」

「あ?それはどういう……」

 

 そんなはちまんくんの疑問を無視し、薔薇は外に出ると、すぐにドアを開けなおし、

満面の笑みを浮かべながらはちまんくんに向かって言った。

 

「ただいま!」

「………お、おう、おかえり、小猫」

 

 はちまんくんのその言葉を聞いた瞬間、薔薇はとろけるような笑みを浮かべ、

ぶるぶると震えながら自らの手で自らの体を抱いた。

 

「これよこれ、こんな日が来ればいいなってずっと思ってたのよ!」

「お、おう、そうか、それはおめでとう……」

「心の底から本当にありがとう!それじゃあこっちよ、はちまんくん」

「ああ、お邪魔し……いや、ただいま」

 

 お邪魔しますと言いかけたはちまんくんは、空気を読んでそう言い直した。

その瞬間に薔薇は、一瞬驚いたような表情を浮かべた後、泣きそうな笑顔でこう言った。

 

「うん、おかえりなさい!」

 

 こうして一日限りではあるが、はちまんくんの、薔薇家の住人としての生活が始まった。

 

 

 

 一方詩乃は、薔薇と別れた直後に八幡に、こんな事を言われていた。

 

「おい、あいつを薔薇に渡しちまって良かったのか?」

「え?あ、あんた、気付いてたの!?」

「当たり前だろ、で、何であいつを貸したりしたんだ?」

「え、えっと……日頃の感謝の気持ちを形にするにはあれしかないかなって思って……」

 

 詩乃は中々苦しい言い訳だなと思いながら、咄嗟にそう答えた。

 

「そうか、お前にしては思い切ったな、お前は死ぬまであいつ離れ出来ないと思ってたが」

「何?自分から私が離れていくみたいで寂しいの?」

 

 幸い八幡が詩乃の言い訳に特に疑問を差し挟む事は無く、

その安心感から詩乃は、思わずいつもの調子でそう言った。

そして八幡はその言葉に、何とも表現し辛い表情を浮かべ、こう答えた。

 

「どうかな、その時になってみないと分からないな」

「えっ?」

 

 その言葉に、詩乃は漠然とした不安を覚えた。

今のはどう考えてもいつもの八幡の返事ではない。

だが八幡は、直後に何でもないようにこう言った。

 

「ほら、今日もしっかり働くんだぞ、ツンデレ眼鏡っ子」

「あ、う、うん」

 

 八幡はその一切抗議をしない詩乃の返事に疑問を感じながらもそのまま去っていき、

詩乃はその背中を見ながら、先ほど薔薇に言われた言葉を思い出していた。

 

『何があっても八幡を信じなさい』

 

「不安にさせるような態度をとるんじゃないわよ、

もちろん信じるに決まってるじゃない、馬鹿……」

 

 結果的にこれが、八幡と詩乃の、アメリカ行き前の最後の邂逅となった。




徐々に緊迫した感じになって参りました!

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