ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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第570話 雪ノ下流豊胸術

 陽乃が「俺の……」と言いかけた瞬間に、

その場にいた者達は、それに続く言葉は何だろうと思い、ゴクリと唾を飲み込んだ。

そして陽乃は、溜めに溜めた後、一気に八幡の耳元でこう言った。

 

「俺の子を産んでくれ、愛してる」

「俺の子を産んでくれ、愛してる!」

 

 陽乃のその言葉を、八幡は何も考えずに感情を込める事だけを考え、復唱した。

そして直後に今自分が何を言わされたのか理解し、愕然としたのだが、

その瞬間に、明日奈が後ろにパタリと倒れ、次に志乃がぶるっと震えながら後ろに倒れた。

続けてレヴェッカと陽乃もパタリと後ろに倒れ、八幡はそれで解放された、

されたのだが、八幡は何が起こったのか分からず、倒れている四人を見てぽかんとした。

 

「い、今何が起こった?」

 

 八幡はそう言いながら、きょろきょろと辺りを見回したのだが、

驚いた事に、遠くにいた者達も全員ひっくり返っていた。

 

「お、おい……」

 

 だが誰からも返事は無い。困った八幡は、慌てて背後に倒れていた陽乃を揺さぶった。

 

「おい馬鹿姉、今のは何だ?一体何が起こった?」

 

 それでやっと覚醒したのか、陽乃は頭を振りながら体を起こし、

他の者達も徐々に覚醒し始めた。

 

「は、八幡君、どう?言った通りでしょ?」

「え、何が!?」

「胸が大きくなるって……」

「なってないよな!?」

 

 八幡は驚きながらもそう言ったが、

上半身を起こした明日奈が、驚いたような声でそれに反論した。

 

「な、何だか確かに胸が大きくなった気がする……」

「え、まじで!?」

 

 さすがの八幡も、その言葉には驚いたようだ。

そして他の者達も、口々に同じような事を叫んだ。

 

「た、確かにそんな気がする……」

「まさか……でもこの感触は……」

「どういう事なんだ?科学的な説明求ム」

「姉さん、あなたは一体何をしたの!?」

 

 そして陽乃はその雪乃の問いかけに、上気した顔でこう答えた。

 

「母性本能が仕事をしたのよ」

「「「「「「「「母性本能?」」」」」」」」

「というか、女性ホルモンかな」

「「「「「「「「女性ホルモン?」」」」」」」

 

 言われた事を繰り返す事しか出来ない一同に、陽乃は説明を始めた。

 

「ねぇ、胸が大きくなる時ってどんな時だと思う?」

「か、彼氏に揉まれた時?」

「それもあるけど、もっと物理的にほら、胸が大きくなる時があるでしょう?」

「物理的に?あっ、もしかして、妊娠した時?」

「正解!」

 

 陽乃はその答えに、満足そうに頷いた。

 

「それと今の現象とどんな……あっ、まさか……」

 

 興味本位で参加しながらも、確かに自分の胸が大きくなったと感じたらしい紅莉栖が、

何かに気が付いたのか、そう言った。

 

「多分そのまさかよ、要するに今私は、八幡君のセリフによって、

みんなの女性ホルモンにこう錯覚させたのよ、

愛する人から子供を産む事を求められている、これはもう胸を大きくするしかないって!」

「で、でも私は別に八幡の事を愛してる訳じゃないんですけど……」

 

 紅莉栖のその反論に、陽乃はあっさりとこう答えた。

 

「紅莉栖ちゃんの場合は、直接彼に触れていた訳じゃないから、

多分脳内で別の人の声に変換されたんだと思うわ、あなたが愛する彼の声にね」

「な、な、な………」

 

 紅莉栖は何かに思い当たったのか、ひどく動揺した態度でそう言った。

 

「どうやら心当たりがあったようね、まあそんな訳で、これが私が考えた、

雪ノ下流豊胸術よ、どう?確かに効果があったように感じられたでしょう?」

「おい馬鹿姉、それってただのプラシーボ効果じゃないのか?」

 

 八幡は冷静にそう突っ込んだが、そのセリフは誰も聞いていなかった。

この場にいた者達が皆、確かな手応えを感じてしまった為であろう。

そして八幡を囲む輪がじりじりと狭まり、身の危険を感じた八幡は、

女性陣を説得しようと必死で頭を回転させ始めた。

その間にも包囲の輪は狭まり、焦った八幡は、何とかロジックを組み立てる事に成功した。

 

「お、お前ら、連続でやると効果が薄れるぞ!

こういうのは続けて何度もやってしまうと、慣れちまって効果が薄くなるんじゃないのか?」

「そうね、確かにそれはあるかもしれないわ」

 

 その理屈には一理あると思ったのか、陽乃が最初に同意し、

他の者達も、その言葉に納得したような顔をした。

 

「そ、それに効果が伸びるか不明なんだから、先ずは明日奈に実験台になってもらって、

その結果を見てからどうするか判断すればいいんじゃないか?」

「そ、それは確かに……」

「その方が確実ではあるわね」

 

 こんな事で胸が大きくなるはずがないと確信していた八幡は、

せめて明日奈以外に同じセリフを言わなくていいようにと、必死でそう言い訳をした。

だがその八幡の心配はあまり意味が無かった。

何故なら直後に陽乃がスマホを取り出し、そこから聞きなれた自分の声が聞こえたからだ。

 

『俺の子を産んでくれ、愛してる!』

 

「うおっ」

「大丈夫大丈夫、何も問題ないわ、今からさっき録音したこの音声を無料で配るから、

それで各自が実験すればいいのよ」

 

 その言葉に八幡は、あんぐりと口を開けた。

 

「おお」

「さすが陽乃さん、ぬかりなしね」

「まあ紅莉栖ちゃんだけは、自力で何とかしてもらうしかないけど、

他の人は別に問題無いわよね?」

「無いです」

「むしろウェルカム」

「面白そう、何度か試してみよっと」

「はい、それじゃあ順番に送信するからね」

 

 そしてあれよあれよという間に、その音声データは全員に行き渡り、

八幡が気付いた時には、事態は取り返しのつかない状態になっていた。

 

「お、おい、馬鹿姉……」

「何よ、助けてもらったんだから恩にきりなさい」

「あ、ありがとう?」

「どういたしまして」

 

 それでやっと八幡はこの日、真の意味で解放された。

あとは明日奈がどう動くかだけだったが、明日奈も精神的に余裕が出たのか、

この日は特に何もしてこなかった。

 

「本当にこれで解決したのか?微妙に納得がいかないが……」

 

 結局陽乃が火をつけ、自らで鎮火しただけなのだから、

八幡がそう思うのも仕方ないだろう。だがとにもかくにも窮地を脱する事が出来た八幡は、

この出来事によって損をした者はいないはずだと自分に言い聞かせた。

そしてその日は疲れもあり、ぐっすりと眠る事が出来た。

 

 

 

 八幡が気が付くと、他の者達は既に起きており、各自が色々とやっている姿が目に入った。

そんな八幡に気付いたのか、明日奈が八幡にこう話しかけてきた。

 

「八幡君、私達も着替えちゃうね」

「お、おう、それなら俺は後ろを……」

 

 後ろを向いている、そう言いかける前に、紅莉栖以外の者は全員服を脱ぎ始めていた。

ちなみに紅莉栖は早起きしたのか、既に起きて何かPCをいじっていた。

 

「ま、待てって!俺が後ろを向くまで待ってくれ!」

「え?別に必要なくない?」

「もうすぐあなたの子供が産まれるんだしね」

「え?」

 

 それは錯覚だったのだろうが、確かに八幡はそんなセリフを聞いた気がした。

見ると他の者達はじっと八幡の方を見ており、八幡はその迫力に、背筋を寒くした。

そして雪乃が代表して口を開いた。

 

「八幡君、早く着替えたいから、後ろを向いていて頂戴」

「へ?」

 

 八幡はそう言われ、目をごしごしこすった後にもう一度女性陣の姿を見た。

そこにはボタンに手をかけながら恥じらっている者や、

一部にもう着替え始めている者もいたが、

ほとんどの者は八幡が後ろを向くのを待っているように見え、

八幡は、疲れているのかなと一人ごちながらも後ろを向いた。

 

「もういいわよ」

「おう、って、いいっ!?」

 

 八幡が振り向くと、そこにはお腹を大きくした女性達が並んでおり、

八幡はそこで目が覚めた。

 

「うおっ……」

「あ、八幡君、おはよう、ぐっすり寝れたみたいで良かったよ」

 

 明日奈はニコニコしながらそう言い、八幡はきょろきょろと辺りを見回したが、

特に変わった様子は何もない。

 

「どうしたの?」

「いや、ちょっとおかしな夢を見た気がしてな」

「おかしな夢?悪夢とか?」

「おう、まあそんな感じだ」

「そうなんだ、でも大丈夫、ここは確かに現実だよ」

「ふむ」

 

 八幡はそう言いながら、隣でまだ寝ている陽乃の頬を摘んだ。

 

「きゃっ……い、痛い痛い、何するのよ八幡君!」

「いや、ここが本当に現実か確かめようと思ってな」

「そういうのは自分の頬でやってよね、もう!」

「ごめんごめん、悪かったよ姉さん」

「まったくもう、今日は大事な日なんだから、しっかりしてよね」

「分かってる、任せておけ」

 

 そして一同が着替えた後に、今日これからどうするかについてのミーティングを始めた。

レヴェッカは気を利かせたのか、ガブリエルと話をすると言って部屋の外に出ていった。

 

「さてアルゴ、進行具合はどうだ?」

「あの組織の頭を挿げ替えられる位の証拠は入手したぞ、

いつでもアメリカ国税局にリーク可能ダ」

「それじゃあ実行にうつしてくれ、紅莉栖、プレゼンの準備はいいか?」

「バッチリよ、ついでにさっき先輩に電話しておいたわ、

暗号会話による結果はセーフティ、つまり教授はあれから誰とも接触してないみたい」

「そうか、朗報だな」

 

 紅莉栖と真帆は、どの質問に対してどんな答えを返したらどういう意味になるか、

事前の話し合いで決めてあったようだ。

そしてレスキネン教授が何もおかしな行動に出ていない事を確かめた八幡は、

仲間達に指示を出した。

 

「それじゃあ俺と紅莉栖とアルゴ、それに志乃さんで予定時刻に出発だ、

敵の本丸に乗り込むぞ。他の者はとりあえずここで待機しててくれ」

 

 こうして八幡達四人は、レスキネン教授の研究室へと向かった。

いよいよ直接対決である。


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