「さて、準備はいいか?」
「こちらはオーケーよ」
そう答えた紅莉栖の顔を見て、八幡は思わず噴き出した。
「ぷっ……」
「な、何で笑うのよ」
「そりゃお前、猫の目出し帽とかどんな雪乃だよ」
「し、仕方ないじゃない、これしか売ってなかったんだから!
それにあんたも人の事は言えないんだからね!」
ヴィクトル・コンドリア大学近くの店で八幡達は、
人数分の目出し帽を購入し、紅莉栖の手引きで人気の無い教室に潜むと、
真帆からの合図を今か今かと待っていた。
「ハー坊、そろそろ予定時刻だゾ」
「おう、アルゴもそのネズミの目出し帽、似合ってるぞ」
「オレっち実は、何を着ても似合う美少女だからな、ハー坊もそう思うだロ?」
「はいはい、美少女美少女」
「よし、監視カメラ対策もオーケーだ、荒事の方は頼むゾ」
「それは私に任せといて」
志乃はそう言って、その豊満な胸をドンと叩き、
八幡はその揺れに思わず目を奪われ、慌ててそこから目を背けた。
この部屋の窓の外は、丁度横の建物との境で狭い通路になっており、
滅多に人が通らない死角になっている。
そして犬の目出し帽を被った志乃がハンドサインで合図をし、
一同は息を殺しながら外の気配に集中した。ちなみに八幡が被っているのは、
頬から顎にかけて毛糸がヒゲのようになっている目出し帽である。
「教授、こちらです」
「ウチで唯一フルダイブ環境のある会議室を使ってプレゼンなんて、
先方は随分気合いが入ッテルヨウだね」
「ですね、あっとすみません、紅莉栖から連絡が……」
そう言って真帆は、八幡達が潜む教室の前で立ち止まり、
レスキネンもそれに併せて立ち止まった。
その瞬間に音も無くスッと扉が開き、口を押さえられたレスキネンは、
慌てて声を出そうとした瞬間に意識を失った。
「目出し帽は必要なかったか?とりあえず手はず通りにこのまま車まで移動するぞ」
「先輩、いい演技でしたね」
「こんな事はもうこれっきりにしたいわ……」
「なりますよ、きっと、全ては教授次第ですけどね」
「まったくこの人は、余計な事に手を出すから……」
真帆は渋い顔で眠るレスキネンの顔を見ながらそう言い、そのまま八幡達に続いた。
保険で被っていた目出し帽は、もう誰も被っていない。そして一同は窓から外に出て、
気を失っている教授を箱詰めした後、それをカートで駐車場まで運び、
そのまま車でどこかへと走り去った。
十分後、時間になってもレスキネンらが現れない事を訝しんだ研究室の他のメンバーは、
慌てて校内を探し回ったが、その姿はどこにも発見出来なかった。
「教授は一体どこに……」
「教授にもマホにも連絡が繋がらないぞ」
「まさか何かの犯罪に巻き込まれた?」
「はっはっは、まさかそんな事あるはずが……」
そんな中、二人の人物が、他人の目をはばかるように、
別々の場所へ連絡している姿があった。
「ごめんなさい、もしかしたら出し抜かれたかもしれないわ………」
「すみません、やられました……」
「ふう、上手くいったわね」
「さすがにスパイの前で、プレゼンをする訳にはいかないからな」
「まさかあの人がねぇ……」
今回の会議に参加する予定のメンバーは、
事前にアルゴによって、徹底的に身辺調査が成されていた。
その中に二人、経歴を改ざんして大学に所属していたメンバーがいた。
一人はストラ研究所の更に下部組織の出身であり、
もう一人は更に別組織の送り込んでいたスパイであった。
その事を公にする訳にもいかなかった為、今回の誘拐劇が実行される事になったのである。
「さて、到着っと」
「無事に帰ってこれたわね」
「このまま部屋に戻るぞ、あと三十分もすれば教授も目を覚ますだろうから、
そのままここでプレゼンだ、アルゴ、準備を頼む」
「あいヨ」
「紅莉栖は姉さんと一緒に資料の確認を、真帆さんは出来ればその手伝いをお願いします」
「分かったわ」
「頑張ろう、紅莉栖」
「はい先輩、教授の為にも頑張りましょう」
そして部屋に戻った後、レスキネンは布団に寝かされ、
その周りでそれぞれが自分の担当する仕事を始めた。
その三十分後、八幡の言葉通りにレスキネンが目を覚ました。
「う、ううん……ココハ?」
「教授、おはようございます」
「クリス?それにマホも……ここは一体……」
「ストラ研究所の手が届かない場所です、教授」
その言葉にレスキネンはスッと目を細めた。
だが周りの状況を見て、どうしようもないと悟ったのだろう、
レスキネンはスッと力を抜き、朗らかな表情で言った。
「そうか、二人は知ってたンダネ」
「はい」
「なので今日は、教授にストラと手を切ってもらおうと思って、
この場を用意してもらいました」
「手を切る……ね、あそこの研究よりも興味深い物を、君達は僕に提示出来るかな?」
「出来ますよ」
八幡が横からそう言い、レスキネンは興味深げに八幡の方を見た。
「君は……そうか、君が噂のハチマン君だね?」
「噂のってのがどんな噂かは分かりませんが、
初めまして、比企谷八幡と言います、お会い出来て嬉しいです」
「コチラこそ会いたかったよ、あの紅莉栖が親友付き合いをシテイルと聞いて、
凄く興味があったんだよ。何せほら彼女、優秀ダロ?なので大抵の男は、
彼女と色々話すうちに、劣等感を感じて距離を置いちゃうんだよ、ハハハハハ」
「それだけじゃなく、きっとあの性格にも問題があると思いますよ、教授」
「ハハハハハ、確かにその通りだね、クリスにはもう少しお淑やかになって欲しいよ」
「教授、私は十分お淑やかです、あと八幡、日本に帰ったら覚悟しておきなさいよ」
「ほら、そういう所が駄目だっての」
「駄目で結構、いいから話を進めなさい」
「へいへい」
そんな二人のやり取りをレスキネンは微笑ましく眺めていたが、
その言葉を聞いて表情を改めた。
「さて、何から話すつもりだい?」
「そうですね、アルゴ、頼む」
「あいヨ」
そしてアルゴは以前調べたストラ研究所の実験記録をPCに表示し、
八幡はそれを見せながらレスキネンに尋ねた。
「教授はこの事をご存知でしたか?」
「モチロン、私もこの場にいたからね」
「ではこちらは?」
そう言って八幡は、実験のサンプルにされた被害者がどうなかったかの映像を見せた。
それを見たレスキネンは、僅かにピクリとした後、平然とした顔で言った。
「ここで演技をスルのは簡単だが、そんな嘘はすぐに見破られそうダカラ正直に言うと、
これがどうした?という感じだね、科学に犠牲はツキモノだろう?」
「まあそれには同意しますがね」
八幡はその答えを予想していたのか、これまた平然とそう答え、
そんな八幡を、レスキネンは興味深そうに見つめた。
「でもその事実が明るみに出た瞬間に実験は瓦解する、そうじゃありませんか?」
「つまり君達がこの事をリークすると?」
「必要とあらば」
八幡は淡々とそう言った。
「ふむ、それは僕を脅しているととっても?」
「いえ、この資料から教授を脅すのは無理です、
どうやら実験に参加してはいても、その後の事には関わってらっしゃらないようですしね」
「まあそうダネ」
「なので脅すような事はしません」
その言葉にレスキネンは、意外そうな顔をした。
「ふむ、では何の為にこの資料を?」
「そういうリスクがある事を今一度確認してもらう為です、あと質問があります」
八幡のその言葉に頷いたレスキネンは、続けてこう言った。
「続けタマエ」
「はい、それでは単刀直入にお聞きします、何故こんな実験に参加を?」
「そうだね……君も知っての通り、研究には金がカカル。
だからその為の資金が欲しかった、ソレガ一つ」
「はい、それは分かります」
「そしてもう一つ、僕はコノ実験に、一つの未来を見た」
「それは?」
「私が世界の支配者の一旦を担えるカモしれないという未来さ」
「確かに成功すればそうなるかもしれませんね」
「だろ?ソレは凄く魅力的な事だと思わないかい?」
「そうですね、世界征服は男のロマンですよね」
八幡がそうレスキネンに同調するような事を言った為、周りの者達はギョッとした。
だが八幡は続けてこう言った。
「でもその実現に何年かかりますか?十年ですか?二十年ですか?
そういうやり方だと敵も多くなるでしょうし、
もしかしたらテロの標的にされるんじゃないですか?
そうなると、教授は死んでる可能性もあるんじゃないですか?
そんな周囲にビクビクしながら世界の支配者をやって、それで満足出来るんですか?」
「さすがに手厳しいね、ソウならない為にも、シッカリと守りを固めないとね」
「でもそれには限界がある、特にこんな世の中では」
八幡はそう言いながら、じっとレスキネンの目を見つめた。
それに応え、八幡の目をじっと見つめたレスキネンは、やがて視線を逸らし、
両手を上げながらこう言った。
「その通りだ、いくらソンナ技術があるからといって、
独裁者が死ぬまで独裁者でいられるなんて事は、通常アリエナイ」
「でもやはり、その研究は教授にとっては魅力的なんですよね?」
「まあそうダネ」
レスキネンは悪びれもせずにその言葉に頷き、紅莉栖と真帆は少し悲しそうに目を伏せた。
「それでは俺が教授にもっと魅力的な提案をする事が出来たら、
こちらの陣営に参加してくれますか?」
「もちろんだ、いくつかのハードルを越えられるのナラという条件付きだが、
その時は喜んで日本にでもドコにでも行くよ、なんなら帰化してもいい、
日本という国は、僕にとっては魅力的な国ダカラね」
「ありがとうございます、紅莉栖、説明を」
「ええ」
そしてホワイトボードを持ち出した紅莉栖は、開口一番にレスキネンにこう言った。
「教授、もっと長生きしたくないですか?」
その予想もしていなかった言葉に、レスキネンはぽかんとしたのだった。
次回第572話「遥かなる道のり、その第一歩」お楽しみに!