ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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第625話 理央、期待以上

「双葉、もういいのか?」

 

 咲太は理央が八幡にコーヒーを差し出したのを見てそう尋ねた。

 

「うん、まだ何ともだけど、危ない人とかじゃないと思う。二人ともありがとね。

で、悪いんだけど、もう少しだけここにいてくれる?」

「おう」

「分かった」

 

 理央は二人の方を向いてそう言うと、八幡の方に向き直り、

直後に呆気にとられた顔をした。それは八幡が、どこから取り出したのか、

大量の砂糖とミルクをコーヒーに入れていたからだった。

 

「な、何してるの?」

「見て分からないか?コーヒーを甘くしてるんだよ」

「そういう意味で聞いたんじゃないんだけど……ってかその砂糖とミルクは?」

「これか?こういう所でコーヒーを頼むと、何もついてこないか、

いいとこ一つずつしかミルクと砂糖が出てこないだろ?だからいつも持ち歩いているんだよ。

という訳で理央、スプーンをくれ」

「こんな所にスプーンなんかある訳ないでしょ……」

「何だよ、理央はブラック派か?部活で脳を酷使してるなら、甘い物をとらないと駄目だぞ。

まあいい、それじゃあ代わりに実験用のガラス棒をくれ、それならあるだろ?」

「………」

 

 理央は諦めたような表情で八幡にガラス棒を差し出し、そのまま八幡の前に座った。

 

「うん美味いな、理央はコーヒーを入れるのが上手いんだな」

「それ、インスタントだけど?それにもうコーヒーの味なんてほとんどしないでしょ」

 

 理央は砂糖の袋とミルクのポーションの残骸を見ながら呆れた顔で言った。

 

「インスタントコーヒーを美味しく入れる技術が存在しないとでも?」

 

 そう言われた理央は、言葉に詰まった。

 

「今度研究しとく」

「ほう、出来ませんじゃなく研究しとくときたか、いいぞ、理央」

 

 八幡は機嫌良さそうにそう言い、じっと理央の顔を見た。

理央はその視線にやや緊張しながらも、しっかりとした口調で八幡にこう尋ねてきた。

 

「あなたがソレイユの人間だという証拠は?」

「ほれ、これをやろう」

 

 八幡は即座に理央に名刺を渡し、そのまま理央がどうするのかじっと観察していた。

そして理央はその名刺をじっと見た後、八幡にこう言った。

 

「これじゃ証明にならない、こんなのは私でも簡単に作れる」

「双葉、それはさすがに……」

 

 疑り深すぎじゃないか?そう続けようとした佑真に理央は言った。

 

「ごめん国見、ちょっと黙ってて」

「あ、す、すまん」

 

 実は理央が佑真にこんな態度をとるのは初めての事であった。

理央は彼女持ちである佑真の事が高校入学直後からずっと好きであったが、

去年の夏、花火大会の時に、返事は必要ないと断った上で佑真に自分の気持ちを伝え、

それで満足したのか、今はその思いをスッパリと断ち切っていた。

その後、佑真相手には咲太を相手にする時のような乱暴な言葉遣いをする事もなく、

基本好意的に接してきたのだが、今回初めてそれが崩れた形となった。

当然咲太も佑真も驚いた顔をしたのだが、理央は二人のそんな様子を気にかける事もなく、

じっと八幡の顔だけを見つめていた。

 

「なぁ、理央はいつもこんなに疑り深いのか?」

 

 八幡にそう尋ねられた咲太は、一瞬イラっとした顔をした。

もう二年半も一緒にいる自分達ですら、双葉と苗字で呼び続けているのに、

突然現れたこの男は何故理央と名前で呼ぶのか。

だが咲太はそのイライラを飲み込み、平静を装いながら八幡にこう答えた。

 

「さあ、人に名刺をもらう機会なんて、学生にはまったく無いんで」

「ふ~ん、慣れてないなら逆に思い込みで信じちまうと思うけどな、

まあいつもと違うというならそれでいい」

 

 その言葉に咲太はハッとした。確かに八幡の名刺を横から見た時、

自分は素直にその肩書きを信じてしまった。それなのに理央はそれを疑った。

佑真も横からその会話を聞いて、同じ事に気付いたのだろう、二人は理央の顔を見た。

普段の理央は、どちらかというと何事にも冷めたような対応をする傾向があったが、

この時の理央は、興奮したような、それでいて何かを期待するような目で八幡を見ており、

二人はそんな、初めて見る理央の姿に動揺した。

 

(おい国見、こんな双葉を見るのは初めてだよな?)

(一体何が起こってるんだろうな……)

 

 二人がそう囁き合う中、先に口を開いたのは八幡だった。

 

「事務員さんは、名刺を見せただけで俺がソレイユの人間だと信じてくれたんだが、

お前はこの事についてどう思う?」

「会社に確認とかは?」

「特にしていなかったが」

「待って、今考えるから」

 

 理央はそう言うと、八幡から渡された名刺をじっと見つめながらぶつぶつ言い始めた。

 

「これ一枚で相手の素性を信じるなんて、さすがに今のご時勢じゃ無理、

他に何か信じるに足る材料があったはず。名刺を見せただけというのが事実なら……あれ」

 

 そして理央はハッとした顔で八幡の顔を見た。

 

「名刺は普通渡すもので見せるものじゃない」

「………で?」

「見せたのは………別の名刺?」

「お、正解だ、やるな理央、

さすがはうちの姉さん……いや、社長のお眼鏡に適っただけの事はある」

 

 そして八幡は、懐からやや厚みのある名刺を取り出して理央の前にかざした。

八幡はそのまま名刺の上を指でなぞり、その瞬間に名刺の上に立体映像が現れた。

そこにはソレイユのマークと一緒に八幡の上半身が映し出され、

その下部にはVR事業部部長の文字が表示されていた。

 

「うお、凄いですね……」

「これって立体映像ってやつですか?」

 

 咲太と佑真はその名刺を見た直後から、無意識に敬語を使うようになっていた。

同時に理央も、ほっとしたような表情をした。

 

「おう、格好いいだろ?ちなみにこれは見せる用の名刺、

理央が持ってるのは渡す用の名刺だ」

「これを見せられたらさすがに信じますよね、詐欺師はこんな手の込んだ事はしない、

いや、どうあがいても出来っこありませんしね」

 

 そして理央は、八幡に頭を下げながら言った。

 

「疑ってしまってすみませんでした」

「いや、むしろ疑わなかったら俺はもうここにいなかったと思うから、

理央は正しい道を選択したと自分を誇ってくれていい。

あと俺の事は当面は八幡と呼んでくれていい、何故なら俺は、

学年の上では三人よりも下になるからな」

「えっ?」

「こ、高校生なんですか?」

「おう、一年生だぞ」

「どう見ても年上に見えるんですけど」

「それはまあ、今年で俺も二十二歳になったからな」

 

 その言葉で三人は、八幡がSAOサバイバーなのだと悟った。

さすがに六浪なのかと馬鹿な事を考える者はいないようだ。

そして咲太が三人を代表するかのように、こう口に出して言った。

 

「ご無事で何よりでした、お帰りなさい。僕は梓川咲太といいます、

こっちは親友の国見佑真です」

「おう、ただいま、咲太、佑真」

 

 八幡はにこやかにそう言うと、咲太の肩をがしっと抱きながら言った。

 

「咲太はいい男だな、そう言ってもらえるなんて思ってなかったから少し驚いた」

 

 これで完全に打ち解けたのか、四人は思い思いに椅子を引っ張り出し、

車座になって話をする事になった。

 

「理央がソレイユ奨学金に申し込みをしてきたから、どういう奴か見極めにきた、

というのが今日俺がここを訪れた理由だ、理央が期待通りの奴だった事を喜ばしく思う」

「えっ、双葉は大学卒業後にソレイユに就職するつもりなのか?」

「う、うん」

「そうかそうか、八幡さん、双葉の事を宜しくお願いします!」

「あ、あの、八幡さん、その前に一ついいですか……?」

 

 理央はやや表情を曇らせながらおずおずとそう言い、八幡は首を傾げた。

 

「ん、どうした?まさか希望を取り下げるとか言わないよな?」

「あ、はい、そっちじゃなくてですね、実は私、比企谷さんがソレイユの人だって、

最初から知ってました、ごめんなさい」

「え、マジか、それは全然分からなかったな、どこで俺の事を?」

「結城経子さんと比企谷八幡さんのお名前は、父に聞いてたので……」

「……ああ!考えてみれば確かにそうか、

なるほど、これはやられたな、知っててあの態度だったのか?」

「あ、はい、きっと何かを試されているんじゃないかと思ったので……ごめんなさい」

 

 理央はまるでカンニングをした生徒のように、びくびくとそう言った。

 

「いやいや、何を謝ってるんだ?こっちこそ、さっきの言葉を言い直す事にするわ、

理央、お前は期待通りどころか期待以上だったわ」

「あ、ありがとう……ございます」

 

 理央はストレートにそう言われ、恥ずかしそうに顔を伏せた。

その理央の肩を咲太と佑真が嬉しそうにポンポンと叩いた。三人の仲の良さが伺える。

 

「八幡さんはもしかして、ソレイユ奨学金の候補者全員のところを回ってるんですか?」

 

 理央が恥ずかしさを誤魔化すようにそう八幡に問いかけ、

八幡はその質問に、首を横に振りながらこう答えた。

 

「いや、理央だけだな」

「えっ?」

 

 理央だけじゃなく咲太と佑真もきょとんとし、そんな三人に八幡は言った。

 

「経緯を説明するとだな、姉さん……いや、うちの社長に履歴書を渡されて、

誰を将来の俺の直属部下にしたいかと聞かれたんでな、直接俺が会いに来たと、

まあそういう事だな」

 

 その八幡の言葉に、三人から次々と質問が飛んだ。

 

「は、八幡さんは、社長さんの弟さんなんですか?」

 

 佑真のその真っ当な質問に、八幡は困ったような表情でこう答えた。

 

「ああ、いや、血の繋がりはないんだ、単にかわいがってもらってるだけだな」

「なるほど、それくらい仲がいいという事なんですね」

「まあそういう事だな」

「もしかして八幡さんが双葉を直属を選んだ決め手は……」

 

 次に咲太がそう言いながら、チラリと理央の胸に視線を走らせ、

直後に咲太は理央からボディに一発くらった。

 

「お前は少し黙れ、ブタ野郎」

「げほっ……」

 

 そして理央は、胸を腕で隠すような仕草をしながら不安そうに八幡の顔を見た。

 

「で、あの……その……」

「もしかして理央は、自分の胸の大きさを気にしてるのか?」

「えっと、は、はい、男の子の視線ってちょっと苦手で……」

「ふ~ん、とりあえずちょっと白衣を脱いでみ?」

「えっ?あ、は、はい」

 

 理央は言われた通りに白衣を脱ぎ、今度は胸を隠す事なく真っ直ぐ立った。

だがその表情は不安げである、どうやら白衣が理央にとっての心の鎧なのだろう。

 

「それじゃあ俺からの視線はどうだ?今思いっきり見ちまってる訳だが」

「あ、はい、ええと………あ、あれ、特に嫌な気分には……」

「そうか、なら問題ない」

 

 八幡はそこで話を切り、理央もどこか安心したような表情をした。

 

「それにまあ、直属としてのお前の同僚は、こんな感じだからな」

 

 そして八幡はスマホをいじり、秘書三人組と萌郁、それに優里奈の写真を見せた。

 

「こ、これって全員八幡さんの彼女ですか?」

「いや、秘書とその他もろもろだな」

 

 その五人の写真を見た理央は、別の意味で安心した。

少なくともそのうちの三人の胸が、自分よりも大きいと理解したからである。

 

「という訳で、お前の胸はうちの社内じゃそんなに目立たないから安心しろ。

社長からしてこれだからな」

 

 八幡はとどめとばかりに陽乃の写真を見せ、

理央は今度こそ完全に安心したような表情をした。

 

「まあ胸の事で何か困ったら、今見せた写真の先輩に相談すればいい、

っと、話が逸れちまったな、俺が理央を選んだ理由だが、当然胸は関係ない、こっちだ」

 

 八幡はそう言って理央の履歴書を取り出した。

 

「主にここだな、ここ」

 

 その履歴書を覗き込んだ理央は、そこで初めて自分の失敗に気付いたらしい。

真っ赤な顔で慌てて履歴書を隠し、咲太と佑真を威圧した。

 

「み、見るな馬鹿!」

「いや、もう見ちまったからな」

「相対性理論多すぎだろ、それと欄が一つズレてたぞ」

「うぅ……」

 

 理央はその言葉で、諦めたように履歴書を元に戻した。

 

「まあこれを見てもらえば分かるように、相対性理論が趣味であり特技だと言うからには、

理央は理系的な物の考え方がちゃんと出来るはずだ。

それなのにこういった所がドジでかわいい、

そのギャップ萌えだけで選ぶ理由としては十分だろ」

 

 八幡がそう言った瞬間に、咲太が八幡の手をガシッと握った。

 

「八幡さん、分かってますね!」

「おう、いいよな、ギャップ萌え」

 

 直後に理央は、再び咲太のボディに一発入れた。

 

「な、何で俺ばっかり……」

「八幡さんには通用しないと思ったから」

「じ、実に論理的な答えだな……」

 

 そして理央は、まだ頬を少し赤らめながらも、気になっていた事を八幡に尋ねた。

 

「で、でもそれは私が優秀だという保証には全くならないのでは」

「おう、そこで次の提案だ。理央、お前さ、進学するのをやめねえか?」

 

 八幡のその言葉に、誰も何も言う事が出来ず、場はシンと静まり返ったのだった。


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