第七十五層のコロシアム周辺は、空前の人手で賑わっていた。
基本的に、SAOには娯楽と呼べるコンテンツは存在しない。
そのため、今回のようなイベントは、プレイヤーにとっては、
初めての娯楽と呼べるコンテンツなのである。
コロシアムの周辺はプレイヤーの露店で埋め尽くされ、まるで祭のような活況を呈していた。
「キリト、調子はどうだ?」
「まあ、普通かな」
「そうか」
ハチマンは、キリトが特に気負う事もなく自然体でいる事に感心していた。
(これならキリトが勝つかもしれん。何よりもその方が楽だ。
その時は、血盟騎士団に潜入するのはアスナの復帰と同じタイミングにして、
それまではしばらくのんびりさせてもらうか。先はまだ長いしな)
ハチマンはそんな不謹慎な事を考えていたのだが、もちろんキリトは気付いていなかった。
もっともハチマンがそんな理由付けをしたのは、
実は無意識に、キリトが負ける所など見たくはなかったためであるのだが、
当のハチマン自身がそれに気付いていない。
こういう所がハチマンらしいといえば、らしいのだろう。
「まあ俺としては、あいつの弱点の一つでも見付けてもらえれば御の字なんだけどな」
「あいつに弱点なんかあるのか?」
「どうだろうな。あいつの戦い方は、とにかく堅実だからな。
まあ今回のルールは、一撃終了ルールらしいからな。
どうやって相手の体制を崩すか、もしくはどうやって相手の虚を衝くかの勝負になるな」
「虚を衝く、ねぇ……」
「まあ、弱攻撃を上手く当て続けて、半減決着を狙うのもありかもしれないがな」
一撃終了ルールとは、どちらかが相手に強攻撃を当てた時点で勝敗が決まるルールだ。
弱攻撃を当てるだけでは、わずかにHPバーが減るだけで、勝敗は決しない。
もしどちらも有効な強攻撃を当てられないままずるずると試合が進んだ場合、
そのダメージの積み重ねによって、どちらかのHPバーが半分に達した時、
そこで勝者が決まるというルールだった。
「まあハチマンの期待通り、この試合で何かを掴むつもりでやってくるよ」
「すまんが頼む」
「任せとけって」
ハチマンはキリトとの話を終え、客席のアスナとアルゴの所へ向かった。
そこには、偶然会ったらしい、エギルとクラインもいた。
「エギル、クライン」
「よぉハチマン。面白い事になってるじゃねえかよ」
「あの二人、どっちが強いんだろうな」
「俺にもわからん。それより二人とも、頼みがある」
「ん、何だ?」
「俺とアスナの盾になる位置で観戦してくれ」
そのハチマンの頼みに、二人は首をかしげた。
「実際に現場にいたクラインはまあいいとして、
エギルも俺とアスナの噂くらいは聞いただろ?」
「あー、あれか。実際のとこ、あの噂は事実なのか?」
「まあ、そうだな」
「やっぱすげえなハチマンは」
「まあ、その、あれだ。そういう訳だから、すまんが二人でガードしてくれ」
「お安い御用だぜ!」
「任せろ」
「ごめんね、ありがとう二人とも」
「アスナさんのためっすから!任せて下さい!」
「そういえば二人とも、何で私をさん付けで呼ぶの?私の事は呼び捨てでいいんだけどな」
「ま、まあそこらへんはそのうちって事で!」
「そうだな、なんとなく敬語を使いたくなるんだよな。嫌なら直すように努力する」
「うん」
二人に盾役を頼んだハチマンは、その死角をうまく利用して、
目立たないようにアルゴに尋ねた。
「どうだアルゴ。気になる情報はあったか?」
「さすがにガードが固いな。特におかしな情報は見当たらないナ」
「そうか」
「まああえて言うなら、ヒースクリフは今まで一度もHPが黄色になった事がないそうだゾ」
「まじか。確かに俺も一度も見た事が無いかもしれん」
「だから、あるいはそこらへんにヒントがあるかもしれないナ」
絶対に耐久が半分を割らない。その言葉に、ハチマンは記憶が刺激されるのを感じた。
(昔テストプレイ中に何かあったような……あっ)
「それだ」
「何だ?ハー坊」
「昔テストプレイ中に見た事がある。ゲームマスター権限を持つプレイヤーのHPは、
絶対にHPが黄色にならないんだ。もしHPが黄色になるような攻撃を受けた場合は、
イモータルオブジェクトって表示が出て、ダメージが通らないんだ」
「そうか。それじゃ、この試合はすごく大事だって事だナ」
「よし、俺はもう一回キリトの所に行ってくる」
「わかった。半減決着に持ち込むように言うんだナ」
「ああ」
ハチマンは、再びキリトの下へと戻った。
「ん?何だハチマン、忘れ物でもしたのか?」
「いいかキリト、よく聞け」
ハチマンは、先ほどのアルゴとの会話の内容を、キリトに説明した。
「なるほど……」
「これでHPが黄色になるようだったら、ヒースクリフは茅場晶彦じゃないかもしれない。
それを確認するためにも、半減決着を狙ってくれ」
「わかった、やってみる」
「ハードルを上げちまったかもしれないな、すまん」
「まあ何とかなるだろ」
そしてついに試合が始まった。
まずキリトが、低い体勢からヒースクリフへと突進した。
直前で体を捻り、右手の剣を叩き付ける。その攻撃はヒースクリフの十字盾に防がれたが、
キリトは次の瞬間、左手の剣を盾の内側に滑り込ませた。
しかしその攻撃も、ガキン!という音と共にヒースクリフの剣に阻まれた。
「さすがに防御が固いな」
「それだけが取り得でね」
そう言いながら、今度はヒースクリフが盾を構えて突進してきた。
右手の剣に注意を払っていたキリトは、その盾が発光している事に気が付いた。
ヒースクリフの持つ盾が、光のエフェクトと共に猛然とキリトに迫る。
「うおっ」
キリトはその攻撃を、辛うじて両手の剣をクロスさせて防いだ。
「盾にまでソードスキルが設定されてんのかよ。それじゃまるで二刀流じゃないか」
「まあ、お返しって所か、なっ」
ヒースクリフは、無防備なキリトの腹に向けて、思いっきり剣を突き出してきた。
キリトはそれを察知し、既に後方へと飛んでいた。
「さて、あいさつも済んだ所でそろそろお互い本気でいこうじゃないか」
「ああ」
お互い何度か連続技を繰り出すも、決定打には至らない。
こちらの攻撃も防がれるが、あちらの攻撃も全て避けるか受け止めている。
だがキリトは、敵の連続技の後の硬直時に強攻撃を当てれば、例え防御されたとしても、
わずかに敵のHPが減る事に気が付いた。
「素晴らしい反応速度だな」
「お前こそ防御が固すぎるぞ。予想以上だ」
そんな会話を交わしつつ、キリトは考えていた。
(どうやら手数で押すのが得策だな)
キリトは、多段攻撃メインに切り替え、敵のHPを徐々に削っていく。
しかしキリトの方も、硬直時間がやや長い攻撃をメインで使っているため、
たまに被弾し、徐々にHPを削られていった。
気が付くと、お互いのHPがもうまもなくイエローゾーンに到達しようとしていた。
その時ヒースクリフの表情に、初めて焦りの色が見えた。
(やっぱりハチマンの言った通り、HPが黄色になると都合が悪いみたいだな)
キリトは覚悟を決め、慎重に敵の隙を探し始めた。
(隙が見えた瞬間に、例え盾の上からでも全力で攻撃を叩きこむ。
今なら先制さえ出来れば、敵のHPを一気にイエローゾーンまで持っていける。
それでこの勝負も終わりだ)
「くっ」
キリトは硬直時間の短い攻撃を仕掛けつつ、敵の隙を伺っていたが、
何度目かの盾での防御の後、ヒースクリフの攻撃がわずかに遅れたような気がした。
ここだと思ったキリトは、防御を捨てて全力で攻撃を開始した。
「スターバーストストリーム!」
キリトの動きが急加速した。さすがのヒースクリフも、
防御に専念する事にしたようだ。ヒースクリフは反撃する事がまったく出来ていない。
このままいけば、確実にHPを黄色に出来る。
そう確信したキリトが、最後の一撃を放とうとした瞬間、空間がブレた気がした。
気が付くと最後の攻撃は、完全に空振っていた。あの状態で避けられる事はありえない。
キリトはそう思ったが、すでに技後の硬直が始まっていた。
そこにヒースクリフがソードスキルを叩き込み、ついにキリトのHPが黄色くなった。
「くそっ」
【WINNER】の表示と共に、ヒースクリフの勝ちが宣言され、
コロシアムは大歓声に包まれた。皆口々に、両者を褒め称えていた。
そんな中、ハチマンは最後の瞬間のヒースクリフの動きを見て、
ヒースクリフはやはり茅場だと確信していた。
「システムアシスト……」
そう口に出した瞬間、ヒースクリフが焦った様子でハチマンの方を見た気がした。
ハチマンは咄嗟に、頭を抱えて、キリトの負けにショックを受けている振りをした。
ちらりとヒースクリフの様子を伺ったが、どうやら気付かれなかったようだ。
ヒースクリフは、安心した表情でキリトに話しかけていた。
キリトも違和感を感じていたはずだが、あちらも咄嗟に誤魔化す事に成功したらしい。
「ハー坊、システムアシストって何だ?」
アルゴが周りに気を配りながら、小声で話しかけてきた。
「システムの力で強制的にキャラを動かすんだよ。やはりヒースクリフは、茅場晶彦だ」