「ねぇ八幡さん」
「ん、何だ?」
「八幡さんは、私くらいのサイズの胸は、もう見慣れてるんだよね」
「いきなり何だよその質問は……」
「いや、そういうのに慣れてるはずなのに、
さっきの八幡さんは私の胸を見て真っ赤になってたなって思って」
「お前、微妙に性格変わってないか?もしかしてそっちが地なのか?」
「さあ、どうなんだろ」
理央はこの時、学校という空間から完全に自分の心を解き放っていた。
中学の頃から発育が良かった理央は、そういった面で嫌がらせを受ける事も多く、
自分が女に生まれてしまった事を残念に思っていた部分が少なからずあったのだが、
今はそんな事はまったく考えておらず、その心は解放感に包まれていた。
一番の理由は、もう学校での出来事は自分にとってはどうでもいいと割り切れた事だろう。
そう色々と吹っ切ったせいか、理央はもう自分のスタイルを隠すそぶりもまったく見せず、
堂々と八幡の隣を歩いており、道行く生徒達はそれを見て、少し驚いたような顔をしていた。
その視線のうち、女生徒の視線の多くが八幡に注がれている事に気付いた理央は、
何となく八幡との距離を詰め、袖が触れ合わんばかりの距離まで接近した。
「……何だよ」
「いや、私も女の子だったんだなって思って」
「お前はどこからどう見ても女の子以外の何者でもないだろ」
「そうかな?」
「ああ、そうだ」
「そっかぁ、うん、そうだね」
それはいわゆる優越感というものだっただろう、
そんな感情が自分にもあったのかと、理央は少し驚きつつも、
せっかくだからその感情に身を任せてみようと更に八幡にくっついた。
「離れろ、歩きにくい」
「じゃあこうしたら?」
そう言って理央は、試しにというつもりで八幡と腕を組んでみた。
「学校内でそれは問題だ、いいから離れろ」
「今全然動揺しなかったね、もしかして女の子に抱きつかれ慣れてる?」
「………気のせいだ」
「ちなみに学校の外なら別に構わない?」
「駄目に決まってるだろ、というか周囲の視線が痛いから、そろそろ勘弁してくれ」
「それでも自分からは振りほどかないところが凄く『らしい』ね」
「お前に俺の何が分かるってんだよ」
「少なくとも私の事が嫌いじゃないって事は分かった」
「部下になる奴を最初から嫌ってどうするよ」
「そうやって話を微妙に反らすところとか」
そう言って理央は八幡の腕を解放し、八幡は安堵したような表情を見せた。
(この人絶対にモテるんだろうなぁ……)
理央は八幡の周りに複数の女性がいると睨んでいたが、
それがまさか三十人規模に及ぶとは想像すらしていなかった。
理央がその事実を知るのはソレイユに通い始めて初めて社乙会に参加した時の事である。
ちなみに社乙会は泥酔禁止なので、理央でもソフトドリンクのみで参加が可能なのだ。
「さて、それじゃあとりあえず事務室に顔出しするからな」
「あ、うん」
そして八幡は窓口から中を覗き込み、事務員に声を掛けた。
「すみません、お待たせしました」
「あ、いえ、お疲れ様です、どうやらちゃんと話せたみたいですね」
「はい、こいつはうちで面倒を見る事になりました」
「そうですか、それは良かった」
「後日正式に挨拶に参りますが、校長先生にも宜しくお伝え下さい」
「はい、それではお気をつけて」
そう挨拶を終え、並んで学校の駐車場へと向かった二人は、
その短い道行きでも生徒達の注目を集めていた。
「凄い見られてる、こんなの初めてかも」
「他人の視線が怖いか?」
「今は不思議ともう怖くないかな」
「それならいいんだが」
「でも他の女子にヤキモチとか焼かれちゃいそう」
理央がそう若干心細そうに言ったのを見て、八幡は何かに気付いたように足を止めた。
「どうしたの?」
「いや、やるべき事を一つ忘れていた」
「やるべき事って?」
「お前の安全保障だな」
そう言って八幡は、少し遠くに停めてあった黒い高級車に声をかけた。
「キット、ここまで来てくれ」
『分かりました』
その呼びかけに応え、すぐにキットがこちらに自走してきた。
「………えっ?」
「紹介は後だ、キット、確か後部座席にアレの試作品があったよな?」
『はい、黒い袋の中にあります』
「だよな、よし」
そしてキットの扉が自動で上に開き、それだけで場の注目度は最高潮に達した。
八幡は後部座席で何やらごそごそとやっていたが、
やがて何かを取り出すと、理央に渡してきた。
「これは?」
「これはこうして首にはめる」
そう言って八幡は理央の首に、布製ではあるが若干重いチョーカーを装着した。
理央は普段そういったアクセサリー類はまったくつける事が無い為、不覚にもドキッとした。
「これは?」
「まあ待ってろ、次はこれだ」
次に八幡が取り出したのは指輪であった。八幡はそのまま理央の左手を握り、
緊張した理央は、左手の薬指に意識を集中させてしまう事となった。
年頃の女の子なのだから、当然であろう。
頭ではそんなはずはないと分かっていても、理央の心臓の鼓動は凄まじく速くなっていたが、
八幡は理央のそんな様子にはまったく気付かずに、そのまま左手の中指に指輪をはめた。
理央はそれを見て脱力しながらも、男に指輪をはめてもらったという事実に改めて動揺した。
「ちょ、ちょっと……」
その指輪は宝石もなにもない、ただの輪のようなものだったが、
理央は当然そういった経験は皆無であった為、戸惑う反面嬉しさを感じてもいた。
「それじゃ最後に……お~い咲太、ちょっとこっちに来てくれ」
「あれ、バレてましたか」
そう言って生徒の中から咲太が姿を現した。どうやら下校途中で二人を見かけ、
そのまま遠くから様子を伺っていたらしい。
「それじゃあこれ、バイト代な」
「バイト代?何のですか?」
「これからちょっと痛い目にあってもらうから、侘び料だ」
「マジですか……一万円とか、逆に不安になるんですが、お、お手柔らかに」
そして八幡は、周囲の生徒達に聞こえるように、咲太と会話を始めた。
「という訳で、咲太も知っての通り、ここにいる双葉理央はこの俺、
ソレイユ社の比企谷八幡のスタッフの一人となった訳だ!」
「はい、そうですね!」
咲太も空気を読み、上手く八幡に調子を合わせてきた。
どうやらバイト代分の働きはするつもりらしい。
同時にこれが理央にとって必要な行動なのだと理解しているのだろう。
「まあそんな訳で、理央にちょっかいを出してくる奴がいたら、
ソレイユ社からそいつに報復が行われる事になる」
「それは怖いですね!具体的にはどうなるんですか?」
「先ずこのチョーカー、これは映像を記録する媒体になっていてな、
誰が何をしてきたか、その情報が全て記録されるようになっている!」
「そうなんですか!」
「そしてこの指輪だ、おい理央、『サンダー』って言って咲太にその指輪を押し当ててみ」
「何その中二っぽい呪文……というかこの展開、何か期待してたのと違う……」
理央はその説明にそう愚痴をこぼしつつ、
少し恥ずかしさを覚えながらも言われた通りの行動に出た。
「サンダー」
「うぎゃっ!」
その瞬間に、咲太に電流のようなものが走り、咲太の体から僅かに煙が出た。
「い、痛ってえ!」
「分かったか?これは小型のスタンガンみたいなもので、
この大きさでもこれくらいの威力はある」
「そ、そうですか、これなら双葉が危ない目にあう事もありませんね!」
咲太は最後まで自分の仕事を全うしようと大きな声でそう言った。ナイスな根性である。
そして八幡が、追い討ちをかけるようにこう言った。
「だな、その後にうちの会社から関係各社に手が回るから、
そいつの人生はそこで終わりだな!」
「ですね!」
そして八幡は咲太に手を差し伸べ、立ち上がらせた。
「悪い、思ったより出力が出てたわ」
「いえ、これも仕事ですから」
「プロ意識が高いな咲太」
「それに双葉の為でもありますしね」
咲太がそう爽やかに言った事に少しイラっとしたのか、
理央は再び咲太に指輪を押し当てた。
「梓川、今のもう一回やってみてもいい?」
「勘弁してくれ、本当に痛いんだぞそれ」
「冗談だよ、何かごめんね」
「いいって、これで学校でお前にちょっかいを出してくる奴もいなくなるだろ」
「うん、本当にありがとう」
この時理央は本当に感謝していたのだが、後に詩乃と仲良くなった後、
詩乃の学校で八幡が何をしたかを聞き、
自分もそっちの方が良かったと八幡に猛抗議する事になり、八幡を涙目にさせる事になる。
以前雪乃とクルスの学校でも同じ事をした八幡は、その反省から今回こうしたのだが、
それによって逆に理央の不興を買ってしまうという結果となった。
かくも女心とは複雑なものなのである。
「それじゃあ俺達は行くわ、咲太、悪いがこの噂を学校内にどんどん広めてやってくれ」
「はい、国見も巻き込んで広めておきますね」
「よし、それじゃあキット、ドアを開けてくれ」
『分かりました』
「そうだ理央、せっかくだからお前、運転席に座るか?」
「え、でも私、免許とか持ってないけど」
「免許なんかいらん、分かるだろ?」
「あ、そ、そうか、うん、それじゃあ乗ってみたい」
理央は目を輝かせながらそう言った。
八幡と出会ってからまだ間もないが、そこからは驚きの連続であり、
理央はこんなにドキドキした一日を送るのは生まれて初めての経験であった。
しかもその時間は、途中も途中、むしろ始まったばかりなのである。
「それじゃあ梓川、またね」
「お、おう、またな」
そしてキットは二人を乗せ、どこかへと走り去っていった。
「はぁ、何から何まで凄かったな、とりあえず国見のところに行くか」
そう言って咲太も去っていき、この日ここであった出来事とその詳細は、
またたく間に学校中に広がる事となり、
こうして理央に余計なちょっかいを出してくる者はいなくなった。
この件について、学校からの干渉は特に無かった。
ソレイユ社から公式に事情の説明があった事に加え、
今後もし峰ヶ原高校から、同じようにソレイユ奨学金の交付対象者が出た場合、
対応に苦慮する必要が無くなるという学校側の判断もあったようだ。
そしてソレイユに向かう車の中で、キットに関しての説明を受けた後、
理央はそっと自分の首を触りながら、八幡に聞こえないようにこう呟いていた。
「首輪まで付けられちゃった」
そう言いながらも理央は嫌がるそぶりも見せず、むしろ嬉しそうな表情をしていた。
そして双葉理央はソレイユを知る。
告知が遅れましたが、明日は二話構成でお送りします!