ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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第635話 産声

 その日、重村徹大は、いつものように娘である重村悠那の様子を見る為に、

密かに悠那を運び込んだ、知り合いの病院の病室を訪れていた。

 

「悠那……もしかしてお前もゲームの中で戦っているのか?

それとも仲間を勇気付けようと、歌い続けているのか?

どちらにしろ、必ず無事に帰ってきてくれ……そして早く私に微笑んでおくれ……」

 

 その瞬間に悠那のナーヴギアが唸りを上げ、バリッという音と共に一瞬だけ発光し、

徹大はまさかゲーム内で悠那が死んだのではないかと心臓の鼓動を早くした。

だがその光は本当に一瞬で止まり、そこに徹大の知り合いの医者が駆け込んできた。

 

「重村さん、今ニュースで……」

 

 そして徹大は、ニュースでSAOがクリアされた事を知った。

だが悠那が目覚める事は無かった。

その直後の検査により、先ほどの発光で脳が損傷している可能性が指摘された。

徹大はその事に深く絶望しつつも、

他にも百人ほど目覚めていない者がいる事が同時に報道された為、

それに一縷の望みを託し、その時を悠那の傍でじっと待ち続けていた。

 

 

 

 そしてついにその時が訪れた。まだ眠り続けていた百人の未帰還者が目覚めたのだ。

徹大はその報道を聞いた瞬間に病院に駆けつけ、

悠那が目覚めるのを今か今かと待ち続けていた。だがこの時も悠那が目覚める事は無かった。

これにより悠那が目覚めない理由は、やはり脳の損傷だろうと断定される事となった。

だが確かにまだ悠那は生きている、悠那を目覚めさせる為なら何でもしよう、

徹大はそう考え、自分には畑違いの脳科学の分野の勉強を、新たに始める事にした。

 

 

 

「教授、お顔の色が優れないようですが、大丈夫ですか?」

「ああ、すまない、色々と気がかりな事が多くてね」

 

 それから実に二年の時が過ぎた。悠那はまだ目覚めてはいない。

徹大は悠那の健康の維持にかなりの金額を注ぎ込んでいたが、

そろそろ体の維持にも本当の限界が近付いており、徹大はかなり焦っていた。

医者にはリミットはあと一年と言われている。

 

(いっそ、今からでも国に助けを求めようか、そもそも隠す必要は無いんだし)

 

 徹大が悠那の存在を政府に報告しなかったのは、ひとえにゴシップを避ける為であった。

だがその利己的な判断は、完全に間違いであった。

最初から報告されていれば、手厚い支援を受ける事も可能であったが、

今となっては逆にマスコミ等によって大騒ぎされる事にもなりかねない、

実際は同情する人の方が多く集まりそうではあったが、

徹大のプライドがそれを許さなかった。そして徹大はそのタイミングで、

技術顧問をしていたカムラ社から、とあるオファーを受ける事となった。

 

「オーグマー?」

「はい、拡張現実端末として、広く普及させたいと思ってまして、

その開発にご協力頂けないかと」

 

 この申し出に徹大はかなり迷ったが、最終的にはそれを受ける事にした。

 

(あるいはこれを使えば、悠那を目覚めさせる事が出来るかもしれん、

つまりはオーグマーの脳への直結、そして脳の再起動、

記憶領域が損傷しているかどうかは未知数だと医者は言っていた、

だったらあるいは記憶を取り戻した状態で、悠那が復活する可能性は否定出来ないはずだ)

 

 そんな夢のような事を考えながら、徹大はオーグマーの開発に邁進していた。

そこに再び転機が訪れた。

 

「SAOの別サーバーが、茅場君の別荘で発見された?」

「はい、それでその調査のお手伝いをしてもらえないかと」

「ふむ、他には誰か来るのかい?さすがに私一人では……」

 

 徹大は忙しい事もあり、遠まわしにその依頼を断ろうとした。

だがそこで出てきた名前を聞いて、徹大は考えを変えた。

 

「牧瀬紅莉栖?まさか彼女が日本に?」

「ええ、他には彼女の恩師のレスキネン元教授とソレイユの技術スタッフ、

それにレクトの技術者が参加する予定です」

「そういう事なら是非参加させてもらう」

「それは良かった、こちらとしても助かります」

 

 その政府関係者の男は菊岡と名乗り、名刺を置いて帰っていった。

牧瀬紅莉栖の名は徹大も知っていた。偉大なる世界最高の脳科学者、

いずれ悠那を目覚めさせる時が来たら、是非彼女達にも協力を依頼したい、

その為にはこのタイミングで是非友誼を結んでおきたい、

徹大はそう考え、長野の山奥へと足を運び、そこではちまんくんの存在を知った。

 

(つまり、他人から悠那に関する記憶を集めれば、例え悠那が記憶を失っていたとしても、

かなりの部分を補完する事が出来る……その為には……)

 

 そして徹大は、悠那がどういった行動をとったのか、

その関係者はどういった行動をとったのかを調べる為に、

より詳細な個人データを得ようと、夜のサーバールームへと忍び込み、

まんまとそのデータのコピーを入手する事に成功した。

そこで徹大は、悠那が主に攻略組と飛ばれる連中と行動を共にしていた事を知った。

これは悠那の行動パターンから推測する事が出来たのだが、

同時に彼に協力者がいた事が、この作業を完遂させる原動力となった。

その協力者の名前は後沢鋭二、ユナの元同級生であり、SAOサバイバーである。

その所属は血盟騎士団であり、プレイヤーネームはノーチラスという。

鋭二は攻略組のほとんどの顔と名前を知っており、

探偵に依頼した結果、そのほとんどが、今は帰還者用学校に通っている事を突き止めていた。

 

「教授、調査がほぼ終了しました」

「そうか、で、結果は?」

「こちらに必要な者は、そのほとんどが帰還者用学校の生徒となります。

最大のターゲットであるハチマンさんも、そこにいます」

 

 徹大は鋭二がそのハチマンというプレイヤーに敬語を使った事が引っかかったが、

まあ以前の上司か何かだったんだろうと思い、それをスルーした。

鋭二は鋭二で、ハチマンには色々と気を遣ってもらった恩がある為、

ハチマンに迷惑をかけるのは正直気が進まなかったのだが、

それでも悠那の為と歯を食いしばり、計画に協力し続けた。

いずれ鋭二がハチマンの事を呼び捨てにする時が、ハチマンの犠牲を容認した時なのだろう。

ちなみにこれは、アスナに対しても同様であった。

 

「そうか………では計画を進める事にしよう」

「はい、悠那を復活させる為に頑張りましょう、その為なら俺は何でもしますので」

 

 徹大は悠那の幼馴染である鋭二の事を、昔からよく知ってはいた。

だが同時に、データを精査する事で、

悠那が死亡した時にこの男がすぐ近くにいた事もまた知っていた。

 

(この男がせめてあと一秒、時間を稼げていれば、こんな事にはならなかったのだ。

今はこの男を利用して、悠那に関する記憶を集めよう、

そして最後はこの男の脳をもスキャンして、そして……)

 

 殺す。徹大は最初から鋭二を使い捨てにする事を決断していた。

鋭二はどうやら悠那の事が好きだったようであり、

悠那を生き返らせようとしているその意欲も本物なのだろう。

だが鋭二は一度も徹大に謝罪をしていない、

それどころか悠那がゲーム内で死ぬ事になった原因を、他のプレイヤーのせいにしていた。

 

(プライドだけは高い、私と一緒だな)

 

 徹大は自嘲ぎみにそう考えつつも、いずれ鋭二を殺す為に、

今日もオーグマーの開発を続けていた。

それと同時に徹大は、他にとある作業を寝る間も惜しんでひたすら続けていた。

それは茅場製AIに、悠那の客観的なデータを入力していくという作業であった。

徹大はありとあらゆるデータを集め、それをひたすら入力していき、

たまにAIを起動させ、どんな反応を示す事になるのかデータを集め続けた。

そしてある時、そのAIは徹大に向かってこう言った。

 

「………お父さん?」

「………悠那、悠那なのか?」

「それは分からない、でも確かにあなたは私のお父さんですよね?」

「おお、おお……」

 

 それからの徹大は、オーグマーの開発を多少遅らせる事になりはしたが、

そんな事はおかまいなしにと、悠那に関する資料を鋭二を使って集めさせ、

ひたすらそのAIに覚えさせる作業に没頭し、

ついにそのAIは、違和感を感じさせないくらい悠那に近い反応を見せるようになった。

これで前準備はそろそろいいだろうと判断した徹大は、ある日、そのAIにこう言った。

 

「お前の名前は?」

「重村悠那だよお父さん、もう、いきなり何を言ってるの?」

「ごめんごめん、その通りだ悠那。だがこれからお前は、別の名前を名乗りなさい、

悠那ではなくカタカナでユナ、そう、お前はユナだ」

「何それ、どういう事?」

「芸名だと思ってくれればいい、ユナ、お前はその名を使い、

これから世界中の人達を歌で幸せにしていくんだ」

「歌で……?うん、分かった、それじゃあ今後はそう名乗る事にするね、

アイドルが本名を名乗る事なんて、確かにありえないもんね」

「ああ、その通りだユナ」

「それじゃあこれからは、自分で曲を作って歌って踊れるように頑張ってみるね」

「何か参考資料が欲しかったら、いつでも言うんだぞ」

「うんお父さん、ありがとう!」

 

 こうしてオーグマーがまだ完成すらしていない段階で、

先行して世界にユナという名前のAIの歌姫が誕生する事となった。

こちらは今後は便宜的に白ユナと呼称する事にしておく。

だがその存在を知る者は、まだ徹大と鋭二だけであった。

 

 

 

 一方本来の悠那は、教授の手によりまめに新しいオーグマーを装着されていた。

 

「これも駄目か……まだだ、まだ足りない、少しでも反応があれば、

脳に直結する研究を進めるところなんだが……」

 

 だが教授は気付いていなかった。その試作段階のオーグマーに、

ほとんど計測出来ないレベルではあるが、本来の悠那からの脳波が届いていた事を。

あるいは紅莉栖なら気付いたかもしれないが、徹大は脳科学の勉強をしたというものの、

まだまだ素人レベルを脱してはおらず、その事に気付かなかった。

そのせいで、電脳世界にもう一人、ユナの名を持つ者がその産声を上げた。

そちらのユナ、仮に黒ユナと呼称するが、

黒ユナは自我があるにはあったが、その自我はもやに包まれたような状態であり、

ただ本能の赴くままに、ハチマンの姿を求めて電脳世界をさ迷い続ける事となった。

こうして二人のユナが産声を上げ、その二人はオーグマーが世に登場した瞬間に、

同時に世界に現れる事となるのであった。だがその時は、まだしばらく先の事となる。




オーディナル・スケールに関する仕込みはこれでほとんど終わり、
後は白ユナが先行してデビューするくらいとなります。
ちなみにユナの健康に関しては、明日奈が受けていたのと同じかそれ以上の待遇であった為、八幡達よりもまともな状態を維持出来ていましたが、それももう限界のようです!

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