「倉社長、お久しぶりです」
「お久しぶりですわね」
「これは比企谷さんに雪ノ下社長、ようこそいらっしゃいました」
先日話した通り、二人は今日、倉エージェンシーを訪れていた。
今回は情報収集の為に、電子のイヴこと岡野舞衣も二人に同行している。
「早速ですが、先日のオファーについてお話しをしましょうか」
「はい、宜しくお願いします」
「結論から言うと、この話、お引き受けしたいと思います」
「おお、ありがとうございます」
「条件としましては、倉社長の続投はもちろんの事、所属タレント全員の雇用保証、
それに積極的なバックアップという事になります」
「事前にお伝えしていた通りですね、
衣が変わるだけになりますが、我が社に出来るだけの事はします」
「助かります、兄貴のやらかしの時以来の念願が、やっと叶いました」
「そういえばあの時そんな事も仰ってましたね」
「ソレイユグループを大きくする為に、これから粉骨砕身頑張らせて頂きます」
「こちらも協力は惜しみません」
そう言って三人は握手を交わした。
「さて、麻衣さんやエルザからも少し話を聞きましたが、
現状何か妨害が行われたり、圧力がかかったりとかいう事はありますか?」
「そういうのは日常茶飯事ですね、とはいえうちを名指しで攻撃してきている所は、
今のところありませんので問題ないといえばないと言えます」
「という事は、名指しじゃない攻撃はあるという事ですか」
「芸能界では自由競争の原則などという物は、あってないようなものですからね、
タレントのごり押しから始まって、出来レースや枕営業、話を挙げれば枚挙に暇が無いです」
八幡は、やっぱり芸能界ってそうなんだなと思い、渋い顔をした。
「うちのタレントは大丈夫ですか?」
「はい、そういう工作は一切させていませんし、枕についても拒否しております」
「よくそれで今まで無事でしたね」
「本当にたちの悪いところには関わらないようにしてましたからね」
「なるほど、とりあえずそういった要注意な企業やプロダクションについて、
詳しく教えて頂いても宜しいですか?」
「はい、喜んで」
二人は朝景から詳しく話を聞き、それを全て舞衣に記録させた。
場合によっては舞衣にその場で調べさせ、
あっさりといくつかの不正の証拠を掴んだりもした。
「さ、さすがというか……」
「とりあえずしばらくは、こういった情報をどんどん集めていきたいと思いますわ」
「どこかがうちにちょっかいを出してきたら、その瞬間に叩き潰します」
「そんな簡単にいくものなんですか?」
「バックがいなければ簡単ですね、バックがいたら若干時間がかかるかもしれませんが、
まあその場合は、マスコミを上手く使います」
そう言って八幡はニヤリと笑った。
「本当にあなた方が味方で良かったと思いますよ」
「力の使い方を間違わないように、自らを戒めていきますので」
「その辺りはまったく心配してませんけどね、
そういえばご存知ですか?今度カムラ社が、
AIアイドルを大々的に売り出す予定らしいですよ」
「AIアイドル?へぇ、あのカムラ社がねぇ」
「デビューはオーグマーとかいうAR端末と同時になるようですね、
名前だけは決まっていて、『ユナ』というらしいです」
「ユナ、ねぇ………」
八幡は、当然あのユナの事を思い出し、苦い顔をした。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもないです、それにしてもAIアイドルですか、
ユナとやらが成功するようなら、うちでも開発してみますかね」
「カムラ社のお手並み拝見といったところですか」
「舞衣はどう思う?成功すると思うか?」
「う~ん………確かカムラにも、茅場製AIが流れてるよね?」
「そうね、向こうにもあるわよ」
「ただし『OR』だけどな」
「えっ、そっちなの?」
「当たり前だろ、『AK』はそう簡単に他の会社に流せるような代物じゃねえ」
「オリジンかぁ、それじゃあデフォルトのフラットな人格に、
とにかく情報を詰め込みまくらないといけないから、
完成させるのにはかなりの根気がいるんじゃないかなぁ」
「つまり時間がかかると」
「うん、むしろかけた時間で完成度が変わると思う」
ORというのは、SAOがデスゲームと化した時、茅場晶彦の研究室で発見され、
その後、レクトに受け継がれたAIの事である。ORはオリジナルの略だ。
通常ソレイユから他社へのAI技術の移転が行われる場合、提供されるのはORである。
ORは全ての基本となるAIプログラムなのだ。
一方AKとは、SAOのサーバー内にあった、とあるプログラムを詳しく解析した結果、
茅場晶彦の手によって、試験的に導入されていたという事が発覚したAIである。
AKの学習能力はORの比ではなく、最終的には擬似的な感情を持つ段階にまで発展する。
ちなみに政府の技術者も、これを発見する事は出来なかった。
その理由は一つ、凄まじい数が存在していたSAOのNPCの中で、
これが搭載されていたNPCは、たった一体しかいなかったからだ。
発見したのはアルゴであり、これは偶然ではない。
何故ならその特別なNPCの名は『キズメル』というからだ。
八幡がキズメルと出会った事は偶然ではなく、
当該クエストを、『ハチマン』という名前のプレイヤーが受けた時のみ、
『キズメル』が登場するようにプログラミングされていた事が調査によって分かっている。
SAO時代にはORだったユイのAIも、
ハウスメイドNPCシステム導入と共に、記憶を継承した上でAKに切り替わっている。
ユイはORの中でも一番の完成度を誇っていたが、
その理由はプレイヤーの精神的なケアをするという役割上、
かなりの量のデータを蓄積していた為である。それこそ本来の目的を見失うくらいに。
牧瀬紅莉栖に提供されたAIだけは、最初からAKであったが、
これは例外中の例外である。八幡の紅莉栖に対する信頼が、それほど重かったという事だ。
現在では、ソレイユ社内で茅場製AIといえば、全てAKの事であり、
対外的に提供された物を分類する時だけ、ORとAKという用語が使用される。
ちなみにAKとは、『アドバンス』と『キズメル』という二つの単語の略である。
「何が何やら僕にはサッパリですが、
カムラ社が苦労するんだろうなという事は分かりました」
「すみません、一応うちの機密なんですよ、もしその時が来たら説明しますね」
「いえいえ、そういう事は知っている人間が少ない方がいいと思いますから、
僕の事はお気になさらず」
「お気遣いありがとうございます」
さすがクラディールのせいで一時はピンチになりかけた会社を、
しっかりと立て直しただけの事はある。そういった機微をよく分かっている発言であった。
君子危うきに近寄らず、世の中には知らなくていい事というのは確かに存在するのだ。
「ところで名前繋がりですが、舞衣さんという名前をお伺いした時にふと思ったんですが、
うちの桜島麻衣をCMに起用したのには何か理由があるんですか?
いや、うちとしては嬉しいんですけどね」
「そういえば理由までは聞いてませんね、舞衣、何か知ってるか?」
「ああ、それはね、倉エージェンシーに所属している人を起用する事だけが決まってて、
誰にしようか選ぶ為に、色々な動画を見ながらみんなで話し合ったんだけど、
桜島麻衣さんを選んだのは、単純にうちの部長の鶴の一声かな」
「アルゴがか?何か理由は言ってたか?」
「『こいつ、実は運動神経抜群だな、ついでにこっちも』だってさ」
そう言いながら舞衣は、自身の頭を指差した。
「頭の運動神経が抜群、か……」
「どういう意味でしょうかね」
「そうですね、多分頭の回転が速くて機転が利くって事でしょうね」
「運動神経ってVRゲームに関係あるんですか?」
「あるとも言えるし無いとも言えますね、
運動神経がいいと、確かにゲーム内での動きは良くなりますよ。
体の動かし方をよく知ってるって事ですから」
「なるほど」
朝景はイメージが沸きやすかったのか、その説明にうんうんと頷いた。
「まあでも、そういったプレイヤーは大成しにくいのも確かですね」
「どうしてですか?」
「逆に自分に枷をはめてしまうからです、体の動かし方を知ってるって事は、
逆にその範囲内でしか自分の動きをイメージ出来ないって事ですからね」
「つまり限界を超えられないと?」
「ええ、むしろアニメなどで通常はありえない動きを日常的に見ている人の方が、
ゲームの中では強い傾向があると思います」
「それはどうしてですか?」
「そういったありえない動きを、自分も実行出来るとイメージしやすいからですね、
そういった動きも、VRゲームの中ではほぼ再現可能になってますから」
その説明を聞き、朝景はううむと唸りながら言った。
「なるほど、脳の運動神経……それが大事だと」
「うちのアルゴは麻衣さんを見てそう判断したんでしょうね、
俺は彼女については詳しくないですが、多分演技力とか凄いんじゃないですか?」
「はい、麻衣の演技の才能はかなりのものだと思います」
「それならとんでもない動きを平気でこなすかもしれませんね、
そういう動きが絶対に出来ると自分に思い込ませればいいんですからね、
ある意味役作りみたいなものでしょう」
「なるほど、そう言われると納得です」
八幡は、場合によってはヴァルハラにスカウトするのもありなんだがなと思いつつ、
多分仕事が忙しくて無理だろうなと考えていた。
エルザが何とか両立出来ているのは、ライブ以外の露出を極力控えているからであって、
麻衣のように映画にドラマにCMに引っ張りだこな人物には、
とてもそんな余裕は無いだろうなと思われた。
「そういえばエルザが、スポンサーになりたいという申し出が多いって愚痴ってましたよ」
「なるほど、確かに本人の事をよく知らないと、そう思うのかもしれませんね」
朝景はそう言って苦笑した。実は朝景も、かつてはエルザの事を勘違いしていた。
エルザは歌に対してストイックで、清楚な人物だと思い込んでいたのだ。
だが以前何度か接した時のエルザと、八幡と一緒に事務所に来た時のエルザは、
まるで別人かと思われるくらい、正反対な人格をしていた。
今でこそ、八幡の隣にいる時のエルザが本当のエルザなのだときちんと理解しているが、
その時はあまりのギャップに本当に驚いたものだ。
「エルザの奴、その後何て言ったと思います?
『本当の私を知ったら、この人達はそれでもスポンサーになりたいって言うのかな?
今の私は身も心も八幡の物なのにさ!』だそうですよ。
だからとりあえず一発頭に拳骨を落としておきました」
「……そんな事をしたら、逆に喜んだんじゃないんですか?」
「そうなんですよ、もうどうしようもないというか何というか……」
「が、頑張って下さいね」
「正直頑張りたくはないんですが、まああいつが自由に歌えるように、
守ってやるつもりではいます」
「エルザの事、宜しくお願いします」
朝景はそう言って八幡と陽乃に頭を下げた。
「お任せ下さい、うちにとってもエルザちゃんは、大切な仲間ですから」
「ありがとうございます」
「まあそんな訳で、今後とも宜しくお願いしますね」
「はい、今日はわざわざお越し頂き、本当にありがとうございました」
そして三人は社長室を出て、駐車場へと向かったのだが、
その途中で三人は、先ほど話をしていた桜島麻衣と遭遇した。
「あっ、比企谷さん!」
「お、麻衣さん、CMの仕事を請けてくれてありがとうな」
「いえ、こちらこそご指名頂いて感謝しています」
「今回は宜しくね、麻衣さん」
「こちらこそ宜しくお願いします」
「そしてこっちは開発部の岡野舞衣だ」
「私も舞衣です、もっとも舞う衣で舞衣なので、麻衣さんとは字が違うんですけどね」
「読み方が同じってだけでも親近感が沸きますよね」
「はい、それは思います!」
その偶然の出会いはそんな調子で和やかな雰囲気だったが、
よく見ると麻衣は、会話中に八幡をチラチラ見て少しもじもじしていた。
八幡はそんな麻衣の態度を見て、自分に何か相談でもあるのかなと考えた。
咲太の存在を知っていた為、当然自分に気があるのかなどという誤解をする事は無い。
「あの、麻衣さん、もしかして俺に何か用事でも?」
「あっ、すみません、分かりますか?えっと、その……
こんな事をお忙しいだろう比企谷さんに頼むのは少し気が引けるんですが」
「遠慮しないで何でも言ってくれ、
希望に添えるかどうかは聞いてみないと分からないけどな」
「ありがとうございます、えっと、CM絡みの話なんですけど、
私、実はVRゲームってやった事が無いんです、でもCMの仕事を請けたからには、
可能な限り見た人に驚いてもらえるような演技がしたいんです」
「プロ意識が高いわね」
「本当にそうですね」
「さすがだよなぁ」
三人はその言葉を聞いて感心したようにそう言った。
麻衣はその言葉に少し照れたような表情をした後、いきなり八幡に頭を下げた。
「エルザちゃんに聞きました、比企谷さんは、VRゲームに関しては第一人者であり、
そして何よりとても強いと。あの、もしご迷惑でなかったら、私を鍛えてくれませんか?」
その麻衣の頼みを、八幡は当然快諾した。
「ああ、それなら喜んで協力させてもらう。
というか、そういう事ならエルザも呼んだ方がいいな」
「ありがとうございます、助かります!」
「という訳なんだが姉さん、キャラはどうすればいいと思う?」
「そうねぇ、ちょっと反則だけど、CM用に作ったキャラをコンバートさせましょうか、
ALOに移動する時に多少外見も変わるでしょうし、問題ないと思うわ」
その提案に八幡はすぐには頷かなかった。
何か考えがあるのか少し考えるそぶりを見せた後、
八幡は何か思い付いたような顔で陽乃にこう言った。
「う~ん……それならいっそ、外見をそのままに維持出来ないか?」
「……どういう事?」
それだとALOの中に神崎エルザと桜島麻衣がいると噂になり、
大騒ぎになるのではないだろうかと思い、陽乃と舞衣はその事を八幡に尋ねたのだが、
八幡はまったく問題ないという風にこう答えた。
「俺が鍛えるんだ、麻衣さんは必ず強くなる。
戦闘訓練はまあヴァルハラ・ガーデンの訓練所で行うとして、
顔を隠して飛ぶ訓練もしておいた方がいいと思う。
その上である程度ゲームに慣れたら、撮影風景をゲーム内で公開するとかして、
それをそのまま宣伝に使えばいいんじゃないか?」
「おお」
「その発想は無かった」
「それでいいです、可能なら是非お願いします」
陽乃と舞衣は驚いた顔で、そして麻衣はむしろ歓迎といった表情でそう答えた。
「もちろん手間が増える分、ギャラは弾ませてもらう、姉さん、それでいいよな?」
「そうね、今回だけじゃなく、そういった展開を今後の戦略に組み入れるとして、
そのテストケースとするには丁度いいかもしれないわね」
「舞衣、技術的には問題ないよな?」
「うん、余裕余裕」
「なら決まりだ、それじゃあ麻衣さん、
スケジュールが調整出来たらまた連絡するから楽しみに待っててくれよな」
「はい、ありがとうございます!」
こうして麻衣は数日後、生まれて初めてVRMMOの世界に足を踏み入れる事となった