麻衣の依頼を受け、その夜八幡は、エルザに連絡を入れた。
「えっ?CM撮影の為の戦闘訓練?」
「そうだ、麻衣さんはお前と違って真面目だよなぁ」
「やっ、いきなりそんな興奮するような事を言わないでよぉ……」
「………」
エルザが荒い息づかいでそう言ったが、八幡はもちろんそれには反応しない。
「という訳で、スケジュールの調整がしたい、空いている時間を教えてくれれば、
こちらから倉エージェンシーに問い合わせて予定を組むつもりだ」
「予定、予定、うん、それじゃあ後で、私の詳しい予定表を送るね」
「悪いな、それじゃあ宜しく頼む」
八幡は電話を切り、そのまま風呂に入ろうと階下へと向かった。
そして戻ってきた直後に、エルザから文書が届いた。
「あいつにしては珍しく仕事が早いな……」
感心しながらそのファイルを開いた八幡は、ピタリと動きを止めた。
「……八時起床、八幡の抱き枕におはようのキス、ついでに人に言えない事を色々。
九時にシャワー、火照った体を冷ますも、逆に火がついて色々……
妄想の中で八幡に触られた所は洗わない。
十時から曲作り、曲目は、もっといじめて八幡君?
十二時昼食、八幡の好きなサイゼリアへ……何だこれは……」
そこにはまるで小学生の日記のような、エルザの日常が数日分延々と記されていた。
「詳しいの意味が違え……というか何故スケジュールが物語形式……」
八幡は途方にくれながら、再びエルザに連絡を入れた。
「おい、これはどういう事だ?」
「何が?」
「俺は空いている時間を教えてくれと言ったんだ、
お前が俺をおかずにどんな妄想をしようとどうでもいいが、
とりあえず最低限の情報は開示しろ」
「あ、うん、えっと、情報、情報ね、さっき私の妄想の中で八幡は……」
「そんな情報開示しなくていいんだよ!」
八幡は即座にそう突っ込んだ。
「もう、わがままだなあ、空いてる時間ね、えっと、全部かな」
「ぜ、全部?」
「うん、今は充電期間という事でCM以外の仕事はしばらくお休み!
なのでいつでもオーケーだよ!」
「はぁ?じゃあ何でエムだけあんなに忙しそうなんだよ」
「オファーだけは多いから、それを断るのが大変でねぇ」
「エムに丸投げかよ、さすがにエムが気の毒な気がするんだが」
さすがの八幡も、そう言ってエルザを嗜めた。
「大丈夫大丈夫、仕事が来る度に、
『お前の努力が足りないからこういう仕事ばっかり来るんだよ!』
って言って腹パンしてるけど、凄く嬉しそうだから」
「そ、そうか……」
八幡は、本人が幸せだったらいいんだろうかと納得しそうになったが、
エルザがおかしな事を言っていた事に気が付き、その事を質問した。
「というか、さっきお前が言っていた、こういう仕事って何だ?」
「えっと、グラビアだの雑誌のインタビューだの、
テレビだのなんだのって、元々NGだって言ってる仕事かな?」
「そういう事か……」
八幡はそう言われ、それ以上余計な事を言うのはやめた。
そもそもエルザをメディアに出演させるなど、放送事故確定である。
「それじゃあとりあえず、こっちで勝手に予定を決めとくからな」
「うん、私なんかより麻衣ちゃんの方が全然忙しいはずだから、向こうに合わせてあげて」
「まあ武器や戦闘スタイル云々の詳しい話は直接会って話せばいいか」
「そうだね、まああの子は器用らしいからどんな武器でもいけそうだけどね」
「リズとナタクに色々用意しておいてもらうかな」
こうして着々と準備が進み、ついに麻衣がログインする日がやってきた。
「さて、準備はこれでいいか」
ハチマンはフーデッドローブを二着持ち、自らも顔を隠しながら、
コンバートしてくる者がPOPする広場で待機していた。
(騒ぎにならないように、くれぐれも気を付けないとな、
まあ最悪俺が顔見せをして押さえ込めばいいか)
ハチマンはそう考えながら、じっと約束の時間を待っていた。
するとそこに、見覚えのある一団が現れた。
(あれは……ロザリアの元部下どもか、連合だな)
ハチマンは、このタイミングでの揉め事は勘弁だと思いつつ、
目立たないように大人しくしていた。
だが彼らにとってハチマンは、ある意味自分の仇である。
当然見逃してもらえるはずもなく、むしろ彼らは積極的にハチマンにからんできた。
簡単に顔を隠したくらいでは、その恨みのこもった視線は誤魔化せないらしい。
「これはこれは、ハチマンさんじゃないですか」
「今日は取り巻きの女どもはどなたもいらっしゃらないみたいですねぇ?」
「顔なんか隠して、新しい女と待ち合わせでもしてるんですかあ?」
街の中では攻撃される事は無い為、元トリマキーズの面々は強気であった。
人数が多い事も影響しているのだろう、
実際もしここにいたのがこの中の誰か一人だった場合、
その者は尻尾を股にはさんで知らん顔で通り過ぎていた事は間違いない。
(あ~面倒臭え、どうすっかなぁ、手っ取り早く威圧して追い払うか)
ハチマンは時間が迫っていた為、そう考えて一歩前に出た。
だが七人はひるまない、ここでは自分達にダメージを与える事は不可能だからだ。
確かにSAOでもかつてあったように、衝撃をくらうくらいの事はあるかもしれないが、
七人で囲めば何とでもなるのではないかという甘い考えの元、
元トリマキーズは強気な態度を崩さなかった。フィールドで出会ったら即殲滅される以上、
街中でくらいは多少なりともイキりたいのだろう。
「ハチマ~ン!」
「お待たせしました」
その時背後から、よく聞き慣れた声と、少し緊張したような声が聞こえた。
(しまった、もう来ちまったか)
ハチマンは仕方なく、振り返らないまま二人を制するように手を軽く後方へと振り、
全力で元トリマキーズを威圧した後に、すぐにこの場を離れようと考えた。
多少二人の顔は見られるかもしれないが、
しばらくヴァルハラ・ガーデンに入りさえすれば何の問題もない。
そんなハチマンの意図を、頭のいいエルザは状況を一目見て理解していた。
ちなみに二人の名前は、CM用のキャラである為、そのまんまエルザとマイである。
「マイちゃん、どうやらお邪魔虫がいるみたい」
「あの人達は?」
「敵対ギルドの人!」
「でも確か、圏内でのプレイヤー同士の戦闘は出来ないのよね?」
「うん!マイちゃんよく勉強してるね!」
「昨日リオ……ンちゃんに教えてもらったの。で、どうする?」
「あの感じだと、二人はちょっと下がってろって言ってるみたいだね」
「とりあえず移動する?」
そのマイの常識的な意見に、エルザはニヤニヤしながら首を振った。
「ううん、こういう時はね、全力で煽ってやればいいんだよ!」
そう言ってエルザは、いきなりハチマンに向けて走り、その右腕をぎゅっと抱きしめた。
「おわっ、お前、俺の指示を……」
ハチマンはその顔を見て、やっぱりエルザかと思いながら、抗議しようと口を開いた。
だがエルザはそんなハチマンの事は気にせずに、元トリマキーズに向けてこう言った。
「初めまして!私達のダーリンに何か用事でも?」
「え、あ、う……」
「か、神崎エルザ!?」
「よく言われますぅ、ここでの私って、とってもかわいいですよね!」
さすがはエルザ、後々撮影風景が公開された時の事も考えているのだろう、
自分の正体について否定も肯定もせず、あいまいな言い方で通すつもりのようだ。
その上で全力でハチマンにくっつく、ゴシップをものともしないその姿勢は、
さすが自分の欲望を何よりも最優先させるエルザらしい。
元トリマキーズの面々は、どうやら女性慣れしていないのかエルザの登場に戸惑っており、
それを見たマイは、女優としての本能が目覚めたのか、
エルザの後を追い、ハチマンの左腕にすがりついた。
「こんにちは!でもごめんなさい、私達、これからデートなんです!
さあハチマンさん、三人で仲良く遊びましょ?」
(マイさんもか!)
「えっ?さ、桜島麻衣!?」
「よく言われます、ここでの私って、とっても美人ですよね!」
(エルザのセリフをアレンジしてきやがったか)
そう思いつつもハチマンは、そのエルザとは一味違う、
少しもじもじしつつも本当に楽しそうで、かつ誇らしげなマイの演技に瞠目した。
(さすがだよなぁ……)
こうなってはこのまま押し通すしかない、
ハチマンはそう考え、その場の雰囲気に乗る事にした。
「そういう訳でお前ら、悪いが今日は相手をしてやれない、
今度フィールドで会った時に、全力でやりあおう」
ハチマンはやや引きつった表情でぎこちない笑顔を浮かべながらそう言い、
それを見ていたエルザとマイは、含み笑いをした。
「お、おう」
「くそっ、何でこいつばっかり、こいつばっかり!」
「あっ、その武器格好いいですよね、へぇ、いいなぁ」
「えっ、そ、そうか?」
「私もそう思います、見た目が凄くこってますよね」
「だ、だろ?」
相手がネガティブな方向に流れそうになると、
エルザとマイが二人がかりでそう声をかけ、方向修正させていく。
かわいいも美人も正義なのだという事を、ハチマンはそれで思い知らされた。
「あっ、時間が無くなっちゃう!ほらハチマン、早く行こ?」
「そうですね、それではみなさん、ごきげんよう」
「それじゃあまたな」
そう言って三人はその場を去っていき、アインクラッド行きのポータルに消えていった。
残された元トリマキーズの面々は、それを呆然と見送る事しか出来なかった。
「あはははは、見た?あいつらのあの顔」
「何というか、悔しいけど口には出せないみたいな表情だったわね」
「でもやっぱりマイちゃんって演技が上手だよねえ、私にはああいうのは無理!」
「無理って事はないんじゃない?ほら、さっきみたいな役とか、
エルザちゃんは外面がいいから、適役なんじゃないかな?」
「あとドSっぽい役な」
「あ、ハチマンさんも知ってるんですね、エルザちゃんの本性!」
どうやらエルザとマイは想像以上に仲がいいらしい、
その事を理解したハチマンは、エルザにも友達と呼べる者がいたのかと少し驚いた。
だが大人なハチマンは、それをストレートに口に出すような事はしない。
「ここがアインクラッドですか」
「うん、全ての始まりの地だよ!」
「凄いなぁ、私、こういうのをやるのは初めてだから、本当にびっくりする事ばっかり」
マイはまるで子供のように色々な物に興味を示し、
その度にハチマンやエルザに質問してきた。二人はそんなマイの姿を見てほっこりした。
「マイさんって本当に初心者なんだなぁ」
「うん、私がこれから色々教えてあげなくちゃ!」
「お前、随分マイさんと仲がいいよな」
「だってマイちゃんって、色々な事に偏見が無いんだもん!
私の本性についても理解を示してくれたし!」
「なるほどなぁ」
ハチマンはそれで、エルザがマイに好意的な理由に納得した。
「さて、それじゃあ二人とも、これを着てくれ」
「これは?」
「フーデッドローブって奴だな、これで顔を隠さないと、ちょっと面倒な事になるからな」
「あ、そうですね、分かりました!」
ハチマンも同じようにフードを頭に被り直し、三人はそのまま歩き始めた。
「ハチマンさん、あそこにハチマンさんの名前が!」
その時マイが何かを指差してそう言った。
「ん、ああ、剣士の碑か」
「剣士の碑?」
「全員じゃないが、フロアボスを倒すと、
ああやってあそこに参加してた者の名前が表示されるようになってるんだ」
「そういう事ですか!」
「ちなみに第三層までは、全部うちのギルドのメンバーだな」
「なるほど、歴史に名が残るみたいなものなんですね」
そこにエルザが、ややエキサイトしたように話に割り込んできた。
「私もあそこに名前を載せたい!」
「ん?ああ、そういえば途中参加組は、まだ名前が載ってないんだったな」
「うん!」
「それじゃあ今度全員の名前を載せにいくか、俺の名前が先頭にあれば、
うちのメンバーだって分かるだろうしな」
「やった!ねぇハチマン、ついでにマイちゃんの名前もあそこに載せようよ」
「ん?そうだな、戦力的には問題ないだろうし、そうするか」
「か、軽く言いますね……」
マイはそんな二人の軽い態度に驚いた。
よく分からないが、フロアボスというのはとても強い敵なのではないだろうか。
「大丈夫大丈夫、うちはヴァルハラだから!」
「ヴァルハラ……って何?」
「ヴァルハラ・リゾート、ALOの最強ギルドだよ!」
「最強……そっか、凄くいいね!」
「でしょでしょ?」
マイのその言葉に本当に偏見が無いんだなとハチマンは感心し、マイへの好意を強くした。
ゲームの中で最強と言われても、それがどうしたのという態度をとる者はやはり多いからだ。
「あ、今は二十六層まで攻略が進んでるんですね、あれ?表示されてる名前が増えてるんだ」
「え、何だそれ、初耳だな」
ハチマンはその言葉に驚き、二十六層に表示されている名前を見た。
そこには八人の名前が表示されており、確かに以前から一人増えていた。
「それは気付かなかったな」
「多分上の層に行く度に、増えてく仕様なんじゃない?
これからどんどん敵は強くなっていくんだし、
出来るだけ多くの名前を載せてあげたいみたいな?」
「それはあるかもしれないな」
「でしょでしょ?」
三人はそんな会話をしながら移動を再開し、転移門へとたどり着いた。
「エルザ、先に行け。俺は転移門を調整してマイさんをそっちに送り出すから」
「は~い!」
そしてエルザが転移門に消えた後、ハチマンは移動先を二十二層に合わせ、
マイに中に入るように促した。そしてマイは躊躇いなく転移門を潜り、
一瞬視界が暗転した後、マイの目の前には、
始まりの街とはまた違う、真っ青で広大なアインクラッドの空が広がっていた。