「それじゃあめぐり、説明を」
「はい、それでは我が社の投資による新薬開発の進捗状況について説明します」
その言葉に八幡は思わず腰を浮かせた。
待ち望んでいた時が来たかもしれないと思ったからである。
「八幡君、気持ちは分かるけど、とりあえず落ち着きましょうか」
「………はい」
八幡は陽乃に笑顔でそう言われ、やや恥じ入ったような表情で腰を下ろした。
「すみませんめぐりん、続けて下さい」
「それでは説明を続けます」
どうやら今日の会議はスポンサーに対する経過説明の意味合いが強いらしい。
めぐりの説明は専門用語のオンパレードであったが、
その意味は隣にいる清盛が説明してくれた。
そして今の研究を続けた場合、効果が出るであろう可能性が高い病気のリストの中に、
藍子と木綿季の病名が入っている事を確認した八幡は、内心で小躍りした。
「現在の状況はそんな感じです、そしてここからが本題なのですが……」
めぐりは一拍置いてから、続けてこう言った。
「この先に研究を進めるには更なる資金が必要になります。
それを認めてもらう為に、医学に精通した者と共に、
ソレイユから誰か見極め人を派遣して頂けないかというのが先方からの提案となります」
「ああ、だから死…………じじいがここに呼ばれたのか」
「お主、今死体と言いかけたじゃろ!」
「気のせいだ、やれやれこれだから死体は被害妄想が強すぎて困る」
「八幡様、死体って言っちゃってます」
清盛が何か言う前にクルスが機先を制してそう言った。さすがはデキる女である。
「むっ、しまったな、秘密にしていた事実を公開してしまった」
「この歳でアメリカまで付いてってやろうという老人に感謝の気持ちはないのか小僧!」
「いや、別にじじいじゃなくても構わないし、他にも候補は沢山いるし?」
八幡と清盛の会話は段々エスカレートしていったが、何故か陽乃はそれを止めなかった。
会議に参加している者達は内心訝しがっていたが、
その理由は次の清盛のセリフによって、全員が理解するところとなった。
「ふざけるな、儂の身を案じてくれているのは有り難いが、有り難迷惑じゃ!」
「…………何の事だ?」
「まったくお主は素直じゃないのう、まあ心配はいらんぞ、
この前受けた精密検査でも、儂は健康そのもので、
肉体年齢はまだ六十台くらいだと診断されたからの」
「ちっ、あと何年生きるつもりだよ、化け物め………」
「じゃからお主の子供をこの手に抱くまでは死なんと言ったじゃろうが」
「じゃあじじいに俺の子は一生抱かせん」
その言葉にさすがの清盛も顔を赤くして反論しようとしたのが、
その時横から陽乃がこう言った。
「清盛さん、八幡君はね、子供を抱かせたら清盛さんが満足して死んでしまいそうだから、
ずっと長生きして欲しくてわざと憎まれ口を叩いてるのよ」
その言葉を聞いて、清盛は破顔し、八幡は苦々しげな表情をした。
「なるほど、そういう事じゃったか、まったくお主は素直じゃないのう」
「姉さん、それは俺を買いかぶりすぎです、俺は純粋にじじいに意地悪しているだけです」
「はいはい、それじゃあそういう事にしておいてあげるわ」
「うんうん、そういう事にしておいてやるかのう」
「ちっ」
八幡は形勢が不利な事を悟り、それ以上何も言わなかった。
そんな八幡を見ながら一同はくすくすと笑い、
続けて誰をアメリカに派遣するのかの話し合いが始まった。
そして冒頭に、八幡がいきなりこう宣言した。
「姉さん、アメリカには俺が行く」
「最初からそのつもりだったわ、そしてもう分かってるでしょうけど、
クルスと紅莉栖ちゃんは随員で決定ね。二人にはもう了解はとってあるわ」
「まあそうだろうとは思ったよ、で、ここにいないって事は、雪乃は今回は居残りか?」
「今回はそのつもりよ。そしてめぐりも八幡君と入れ替えでこちらに残すわ。
根拠は無いけど二人が必要になる予感がするのよね」
「予感、ねぇ……」
陽乃がそう言うからにはきっと何かが起こるのだろう、
そしてそれは日本だけではなくアメリカでも起こる事になる可能性が高い。
陽乃のそういった嗅覚を信用している八幡はそう考え、
残りのメンバーについては柔軟性があり、
どんな状況にも対応出来るようなメンバーを集める事にした。
「それじゃあ萌郁だな、萌郁なら大丈夫だろ?」
「そうね、問題ないと思うわ」
「後は………ダルを連れていこう」
「ダル君か、まあ調整すれば大丈夫かな、他には?」
「可能なら閣下に交渉して茉莉さんを」
「茉莉?ああ、黒川さん?」
「ああ、医学の心得のある人が欲しいからな」
「儂がおるじゃろ!」
「だから死にかけのじじいは連れてかねえっての」
八幡は今度は素で憎まれ口を叩いたが、
清盛はその煽りに反応する事なく八幡に鋭い視線を向けた。
「聞いとるぞ、前回はお主、銃の撃ち合いに巻き込まれたんじゃろ?」
「何故それをじじいが知っている、あれは情報統制されていたはずだ」
「なめるなよ、これでも儂は、海外の医学界にも顔が利くんじゃぞ。
そんな事件があれば、死人も怪我人も多数出とるに決まってるじゃろ、
当然こっちにも話が伝わってくるわい」
「そういう事かよ……」
八幡は清盛の持つ情報網が、意外と侮れないと知って素直に感心した。
「まあ今回はそういう事はまず無いはずだから安心してくれ。
それよりもマジでじじいは残ってくれ、誰かに何かあった時に備えてな」
八幡にそう言われ、さすがの清盛も押し黙った。
「そういう事ならまあいいわい、楓への土産を忘れるんじゃないぞ」
「任せろ、楓が喜ぶ品を頑張って探してやるさ」
どこか遠くで優里奈が、
『八幡さん、私へのお土産も忘れないで下さいね』
と言っているのが聞こえたような気がしたが、大丈夫だ優里奈よ、
そういう事はマメな八幡は、知り合い全員に土産を買って帰る気満々なのだ。
「そうすると、八幡君、紅莉栖ちゃん、クルス、萌郁ちゃん、ダル君、茉莉さんの、
六人で渡米するって事でいいのかしら。あと二人くらいは余裕があるけど」
「そうですね………」
八幡は脳内で様々な状況を想像し、自分が不在時のまとめ役がいない事に気が付いた。
紅莉栖でもいいのだが、紅莉栖はその有能さ故に、もしそうなった時、
他の仕事が割り当てられている可能性が高い。
「俺がいない時にメンバーを強力に纏められる人がいればいいんですが」
「そうねぇ、今回は雪乃ちゃんがいないしね」
「そうなると………」
「他の適任者は私、でもそれは不可能」
「小猫には纏め役は無理だしな」
「まあそもそもアメリカにやってる余裕はないけどね」
「となると………」
八幡は自分の知り合いの顔を片っ端から思い浮かべていった。
そしてとある人物の所で思考がピタリと止まった。
「いや、どう考えても無理だろ………」
「あら、誰か適任者の名前が浮かんだ?」
「いや、ええと………」
そして八幡は困った顔をしながらも、自分の考えを皆に説明した。
「雪ノ下の一族に、もう一人傑物がいますよね、セクハラ体質なのが困り者ですが………」
その言葉に陽乃は目を見開き、直後に大きな声で笑った。
「あはははは、まさかそうくるとは思わなかったわ、
そっか、うちのお母さんならどんな状況でも何とかしてくれそうね、
うん分かった、もしオーケーがとれたならそれでいいわよ」
「よし小猫、理事長に連絡してみてくれ」
「分かったわ」
薔薇は一旦部屋の外に出て、理事長こと雪ノ下朱乃に連絡を入れた。
そして一分後、薔薇が戻ってきた。
その表情は微妙に引きつっており、何かがあった事を容易に想像させる。
「小猫、妙に早かったがどうだった?やっぱり駄目だったか?」
その八幡からの問いに関し、薔薇は両手を上げ、頭の上で丸を作った。
「え、マジで?っていうかあの短時間でよくスケジュールの調整が出来たな」
「してないわよ」
「えっ?」
「やっておいてと私に丸投げされたわ」
その言葉に八幡は絶句し、陽乃は堪えきれないように、再び大きな声で笑った。
「あはははははは、さすがはお母さん、やる事がえげつないわね」
「まあまあ、助けてくれるんだし今回は仕方ないだろ」
珍しく八幡が擁護に回ったが、次の薔薇の言葉を聞いた瞬間に八幡は前言を翻した。
「あと、『別に既成事実を作ってしまっても問題ないのでしょう?』って言ってたわ」
「おい馬鹿姉、お前さ、今度きっちりとあの人を教育しとけよ、
あの人からの圧力をかわすのは本当に大変なんだよ!」
「大丈夫です、八幡様の貞操は私と萌郁さんが守ります」
その時横からクルスがそう宣言し、八幡は救われたような顔をした。
「おお、お前達二人なら、何とかしてくれそうな気がしてきたぞ」
「あ、えっと……」
その言葉を聞いた薔薇が、何故かバツが悪そうな表情をした。
「小猫、どうした?」
「えっと……これは絶対言えって脅されたから言うんだけど、
朱乃さんに誰が参加するのか聞かれたから正直に答えたら、即座にこう言われたの。
『あら、それならクルスちゃんと萌郁ちゃんも誘わないといけないわね、
四人同時………うん、八幡君なら何とかするでしょう』って」
その瞬間にクルスは即座に寝返った。
「八幡様ごめんなさい、よく考えたら、私達はあの人には逆らえません……」
「おいこらマックス、俺の目を見ながら同じ事を言ってみろ」
「そ、そんな、恥ずかしくて無理です」
「その割にはかなり目が泳いでいるみたいだが……」
「き、気のせいです、別に欲望に負けたとか、そんな事はありません!」
「思いっきり言っちゃってるよね!?」
八幡は頭を抱えつつ、投げやりな口調で紅莉栖に言った。
「もうこうなったらお前だけが頼りだ、頼んだぞ紅莉栖」
「はぁ?そんなの私がどうこう出来るはずがないでしょうが!橋田にでも頼りなさいよ!」
「いや、あいつ、賄賂とかをもらったらすぐ寝返りそうじゃないか?」
「う……それは確かに……」
だが朱乃以上に適役な者はいない為、八幡は今のやり取りについては目をつぶる事にした。
「大丈夫、きっと大丈夫なはずだ、相手は常識ある大人なんだから、
何かおかしな事が起こるはずはない……」
その姿は幽鬼めいたように見え、一同は心から八幡に同情した。
こうして八幡のアメリカ行きと、その随員が決定され、
その日から着々と準備が進められる事となった。