藍子と木綿季の病状の悪化に胸を痛めつつ、
八幡は今自分に出来る事をしようと宗盛に会いにいっていた。事前に頼んであった通り、
そこには紅莉栖と護衛の萌郁と秘書代わりのクルスが同席していた。
「宗盛さん、紺野藍子が発作を起こしました」
「………ついに来てしまったんだね」
「はい」
「ううむ………」
宗盛は苦渋に満ちた表情をしながら腕組みをした。
「………確かに藍子君や木綿季君の病気に有効そうな成分は発見出来たが、
あれを人に投与出来るようになるにはおそらく最短でも一年はかかるはずだ、
でも発作が起こったという事は、タイムリミットはあと数日しかないという事だね」
「経子さんの話だと、発作を起こしたのはアイだけですが、
そもそもユウは最初の発作に耐えられないそうです」
「とにかく今出来る事をやるしかないね、最悪副作用の検証をしないまま、
理論のみを参考にして薬を調合し、投与する事も考えないといけないかもしれない」
それは藍子と木綿季の体に計り知れない危険が伴うが、命を失うよりはマシなのだろう。
「今は医療先進国が躍起になって、
薬学の知識をそれぞれの国のAIに覚えさせている段階でね、
その中でもいくつかの国が話し合って、
知識を持ち寄って共通のAIフォーマットを作ろうとしているんだよ。
それが完全に稼動を開始すれば、おそらく薬学に関しては、
薬の設計図を全てAIが作成し、それを元に新薬が作られるようになるはずなんだ。
そうすれば今難病と言われているほとんどの病気に関して、
画期的な効果のある薬の開発が加速するはずなんだが、
残念ながら今はまだどの国もそのレベルには達していないんだよね。
せめてどこかの国が製薬用エキスパートAIを完成させていれば、
まだ何とかなったかもしれないんだが……」
「宗盛さん、それなんですが………紅莉栖、いいか?」
八幡はそう言って紅莉栖の顔を見た。一応決断の可否を尋ねる風ではあったが、
八幡の表情は有無を言わせぬ迫力があり、紅莉栖は笑いながら八幡に頷いた。
「何て顔してるのよ、心配しなくても公開に反対なんかしないわよ。
今この時の為に準備してきた事なんだしね」
「悪い、助かる」
その表情は絶望しているようにはまったく見えなかった為、
宗盛の期待はいやがうえにも高まっていった。
「もしかして何か策があるのかい?」
「策というか……紅莉栖、会わせてやってくれ」
「分かったわ」
「あ、会わせる?」
そして紅莉栖はPCを操作し、二分割されたその画面に少年と少女の顔が映し出された。
「ん?この子達は確か……いや、随分と精巧なCGみたいだけど、
え?いや、今確か会わせるって………」
『あは、お久しぶりです先生』
『生前は何度かお世話になりましたね』
その生前という言葉を受け、宗盛の記憶がフラッシュバックした。
「いや、そうだ、確かに僕はこの子達を知っている、八幡君、これは一体………」
「これは人の記憶と人格を持ったAIで、アマデウス、と言います。
一応社外秘なんで、この事はご内密に」
「AIだって?そうだ、確か君達はこの前亡くなった……」
『矢凪清文です、クロービスと呼んで下さい』
『山城芽衣子です、私の事はメリダと』
二人はにこやかに宗盛に挨拶し、宗盛は混乱しつつも二人に挨拶を返した。
「あ、ああ、久しぶりだね、元気だったかい?
………というのは適切な表現じゃないね、すまない」
『先生、どうかお気遣いなく』
『私達はあくまで自分達がAIであるという自覚がありますからね』
「そ、そうか、それは多分必要な措置なんだろうね」
その問いに答えたのは紅莉栖であった。
「はい、その通りです先生、その事だけは留意して基本プログラムに『焼付け』てあります」
「だよね、そうじゃないと、おそらく精神………がAIにあるのかどうかは分からないが、
精神が崩壊してしまう可能性があるからね」
AIが人格崩壊するかどうかは未知数であったが、
紅莉栖は予めその事を検討しており、
アマデウス・システムにはそのセーフティネットがデフォルトで搭載されている。
それはアマデウスというある意味禁断の技術を使用するに当たっての、
絶対に譲れない科学者としての紅莉栖の矜持であった。
「先生、この二人には薬学の知識を選択的に学んでもらいました。
勉強時間は………クロービス、メリダ、どのくらいだっけか?」
「三週間だけど実質約四年だよ兄貴、それだけをずっとやってきたからね」
「私は二ヶ月で九年よ、基本知識はほぼマスターしたと自負しているわ」
宗盛は知らない事だが、この二人が言う年数は一般人の基準とは少し違う。
二人は『寝る必要が無い』為、まったく休まずにずっと勉強を続けていたのだ。
CPUを休ませる為に多少の『冷却時間』が必要であったが、
ほとんどの時間を通常の百倍の速度でこなしていた為、
勉強時間をと問われた時に出てくる数字はその二通りとなる。
「という訳で、医学知識を豊富に蓄えた者がここに二人います。
その上で先生にお願いです、先生の研究結果を俺達に使わせてもらえませんか?」
「それはもちろん構わないんだけど、その前に質問いいかな?
確か矢凪君が亡くなったのって二~三週間前くらいの事じゃなかったかい?
山城君も確か、そのちょっと前だったと記憶しているんだが、
いや、AIにそういった僕達基準の時間は当てはまらないのかもしれないけど、
実質勉強時間ってのは一体何の事だい?」
「そうですね、説明がいりますよね。とりあえず時間も無い事ですし、
ちょっと場所を変えて話をしましょう。紅莉栖、付き合ってくれ。
萌郁とクルスは悪いが留守番な」
「オーケーよ」
「体の護衛は任せて」
「八幡様、それではこれを」
クルスはそう言ってニューロリンカーを三つ取り出して三人に渡した。
八幡と紅莉栖は当然のようにそれを耳の辺りに装着する。
「これは何だい?」
「詳しい話はこれから行く場所で。それを耳に装着してこう叫んで下さい、
『バーストリンク』と。あと入る直前の時間を確認しておいて下さい」
「分かった、やってみよう」
いい大人がそんな事をするのは恥ずかしい事であろうに、
宗盛は好奇心が勝ったのか、ためらいなくその言葉を叫んだ。
「バーストリンク!」
「「バーストリンク!」」
続けて八幡と紅莉栖もそう叫び、次の瞬間に三人は、研究室のような場所へと姿を現した。
「えっ?ここは?一体どうやって移動したんだい?」
「ここはうちで開発したVRラボです宗盛さん、
あまり詳しくは言えませんが、現実世界での一分が、ここでは百分に相当します」
「………な、何だって?」
「兄貴!」
「八幡さん!」
その時研究室の奥からクロービスとメリダが八幡に抱きついてきた。
「おお、お前達、元気だったか?」
「うん、元気元気!」
「八幡さんはちっとも変わらないね」
「そりゃまあ現実ではまだそんなに時間が経ってないからな」
「そういえばそうですね」
「矢凪君に山城君………」
宗盛は二人の登場に驚いたが、ここは特殊な仮想空間なのだと割り切る事にしたようだ。
「さて、それじゃあ簡単に説明しますね、最初のキッカケはメリダからのお願いでした。
俺が雑談として、うちの会社でやっている事の話をしていた時に、
メリダがこう言い出したんです」
「八幡さん、私、自分と話してみたい!」
「そうそう、こんな感じでしたね。で、紅莉栖と相談して、
メリダにアマデウスのモニターをやってもらう事になりました」
「アマデウス………」
興味深げにその言葉を呟く宗盛に、メリダがニコニコしながら言った。
「特殊なAIに私の記憶をコピーしたんだよ、先生」
その瞬間に、宗盛は弾かれたように勢いよく顔を上げた。
「記憶のコピー!?そうか、『側頭葉に蓄積された記憶に関する神経パルス信号の解析』、
牧瀬さんの論文にあったあれか!」
「うわ、先生、詳しいですね」
「単純に興味があったんだよ、牧瀬さんはまず間違いなくノーベル賞候補になるだろうしね」
「ふえっ!?」
紅莉栖は慌てたが、それはおそらく事実となるであろう。
このアマデウスにはそれくらいの価値がある。
「ん、そうか、特殊なAIというのは、茅場晶彦が作ったAIの事かい?」
「先生が言っているのはおそらくORの事ですね、世間に広まってるのはそっちですから。
この二人に使ってるのはAKです、と言っても何の事か分かりませんよね、
要するに学習能力が桁違いのAIです、まあ茅場晶彦が試作していた奴を、
うちで完成させたAIですけどね」
「そんな物が……いや、それなら頷ける、世界各国の医療研究所は、
とにかくAIに医学的知識を覚えさせるのに苦労しているからね」
「まあ企業秘密もあるので言えるのはそのくらいなんですが、
その後にメリダの病状が悪化してしまって……」
「私が死んじゃったの。でもこうして私はここに残る事が出来た。
偶然とはいえそのおかげで、私は大切な仲間達を救う機会に恵まれた」
「僕はその事を兄貴に聞いて、自分もそうしてくれって兄貴にお願いしたんです」
「なるほど、そういう事か……」
宗盛は簡単な説明ではあったが、納得したように頷いた。
色々と倫理的に問題があるのかもしれないが、
とにかく目の前に、眠りの森の患者達を救える可能性が存在するのだ、
医者としてはそれ以上、何も望むつもりはなかった。
「それじゃあ一度ログアウトしてみましょう、先生、バーストアウトと唱えてみて下さい」
「分かった、バーストアウト」
その瞬間に宗盛は元の部屋に立っていた。八幡と紅莉栖も覚醒し、八幡は宗盛に言った。
「先生、時間の確認を」
「ああ、ええと………本当だ、あれからまだ一分も経ってないじゃないか」
「そういう事です、先生、これであいつらを救えませんか?」
「いけるかもしれない、早速今後の事について話をしよう」
「はい、お願いします!」
そして八幡は紅莉栖に振り返ってこう言った。
「紅莉栖、俺も中に入るからな」
「はぁ、八幡に出来る事なんか何も無いでしょうに、やっぱりそうなるのね」
紅莉栖はため息をつきながらそう言った。
「分かったわ、私達が全力でサポートする。でも絶対に無理はしないでね」
「ああ、もちろん無理はしないさ」
紅莉栖、萌郁、クルスの三人は、その言葉を全く信用していなかったが、
危険そうなら無理やり回線を切断するつもりでいた為、この場では何も言わなかった。
「それじゃあ先生、今後の予定を立てましょう」
「ああ、頑張ろう」
こうして藍子と木綿季を救う為のプロジェクトがアメリカで始動した。
ORとAKについては第665話に、そしてクロービスについては、第706話で決断しており、その時に二番目の段落内の「大丈夫だよ八幡さん、一人じゃなく二人だもん!」が、五人に混じって会話をしていたメリダの言葉になります。この時は「八幡さん」って呼ぶ人間はこの場にいないはずだと突っ込まれるかとドキドキしていた記憶があります。もしそうなったらネタバレ出来ないので困った事でしょう。そしてその後、理央が眠りの森に行って記憶のコピーの準備をし、リアル・トーキョー・オンラインの最後の戦いでクロービスがボタンを押した事により、それは実行されましたと、まあそういう流れになっていました。