その日、成田空港のロビーは、普段よりもかなり多い人で溢れ返っていた。
そんな中、海外出張に向かう途中の何人かの客が、
この状況を見て驚いた顔で会話を交わしていた。
「何だこれ、誰か有名人でも来日予定なのか?」
「違うんじゃないか?マスコミとか全然来てないし」
「おい、あれ見ろよ、あそこに美人が沢山集まってるぞ、
もしかしてあの人達が目当てなんじゃないか?」
「それにしては、全員誰かを待ってるみたいに同じ方を向いてるような……」
丁度その時、ぽつぽつと到着ロビーに人が現れ始め、
会話をしていた客の中の一人が、たまたまその中に神崎エルザの姿を発見した。
「あっ、おい、あれって神崎エルザじゃないのか?」
「えっ?本当だ、神崎エルザだ!」
「そうか、この人だかりは神崎エルザの出待ちをしてる連中だったのか」
その客達の予想通り、ロビーにいた者達は、神崎エルザがいる方へと集まってきた。
「おい、俺達も便乗しようぜ」
「サインとかしてもらえるかなぁ……」
だが彼らのその望みは果たされなかった。ロビーにいた者達のほとんどが、
神崎エルザの前を歩いていた黒髪の青年に殺到したからである。
「八幡さん、お帰りなさい!」
「次期社長、お努めご苦労様です!」
「お?どこかで見た連中がいると思ったら、みんな来てたのか、
あれ、でも今日はうちの社員は半分が休みで半分が出勤って聞いたぞ、
お前達は私服だから休みだよな?わざわざ出迎えに来てくれたのか?」
八幡の言う通り、オペレーションD8が終了した為、
ソレイユの社員達は今日と明日の交代で休みをもらっていたのである。
「はい、実は寮住まいの休みの連中で盛り上がっちゃって、ノリでツアーを組んでみました!
ちなみにこの後は、寮の食堂で宴会の予定です!」
「何だお前ら、せっかくの休みなんだし、
迎えはいいから宴会だけやっててくれても良かったのに」
「むしろ宴会がオマケですって!」
「そうか、まあみんな、楽しんでくれ、
俺も姉さんにアポをとってもらった挨拶だけ済ませたら顔を出すから」
「はい、お待ちしてます!」
そんな会話の間中、エルザはちゃっかり八幡の隣を確保し、
ずっとニコニコと微笑んでいた。さすがの外面の良さである。もっともそれは、
自分の事を知っている者達に足止めされないようにという計算ずくの行動であり、
事実先ほどエルザを見つけた者達は、まったくエルザに近付く事が出来なかった。
そして一般社員との会話が終わった後、ロビーにいた客曰くの美人軍団が八幡の前に立った。
「八幡君、お帰りなさい」
「姉さん、今戻りました」
「まったくあなたという人は、冷や冷やさせないで頂戴」
「悪い雪乃、今度から気を付けるわ」
「本当だよ、まったくウケないわぁ」
「う………」
かおりが話しかけてきた瞬間に、八幡は何故か一歩後ろに下がった。
「え、な、何その反応」
「え、あれ?分からん、体が勝手に動いたみたいな」
その後はそんな事は一度も起こらなかったが、この時のせいで、
その後かおりが若干八幡に対してぐいぐい来るようになったのはご愛嬌である。
その場には薔薇と南もいたが、二人はクルスと話す事を優先させたようだ。
アメリカで行われた業務に関しての情報共有をしているのだろう。
同様に舞衣もダルと話をしており、陽乃と雪乃はそのまま朱乃と話し始めた。
茉莉はその足で上司に報告に向かうらしい。
そしてガブリエルは、レヴィと久々の兄妹の再会を喜んでいるようだ。
「そういえば姉さん、明日奈はいないんですか?」
「ああ、明日奈ちゃんは、八幡君に会うのがちょっと恥ずかしいからって言って、
優里奈ちゃんと一緒に寮で宴会の準備の手伝いをしているわよ」
「ああ、そういう……」
八幡は、若干顔を赤くしながらその言葉に納得した。
八幡自身、若干の気恥ずかしさを感じていたのも確かだからである。
その時そんな八幡の前に理央が立った。何故か理央はドレス風の衣装を着ており、
八幡は驚いた顔で理央に尋ねた。
「え、理央、お前、何でそんな格好してんの?」
「し、仕方ないでしょ、ジャンケンに負けたんだから!」
「ジャンケン?」
きょとんとする八幡に、陽乃が八幡に何かを差し出してきた。
「それじゃあ八幡君も、どこかでこれに着替えてね」
「着替え?あれ、これって俺の正装じゃ」
そう言って陽乃が差し出してきたのは、
よく見るとそれは、八幡がパーティーの時とかに着る為にしつらえた服であった。
「え?あれ、何でですか?」
「だって八幡君、嘉納大臣と柏坂大臣にアポをとっておいてくれって言ったじゃない」
「それは分かりますが、さすがにこれはいきすぎじゃ?しかも何で理央まで?」
「仕方ないのよ、二人とも今日は、パーティーに出席してるんだもの。
そういった場所だと女性同伴が基本でしょ?」
「え、マジですか、じゃあ理央がジャンケンで負けたって言ってたのは……」
「まあいくら八幡君と一緒とはいえ、誰もそんな所に行きたくはないものねぇ」
「で、ですよね………分かりました、行ってきます……」
「場所はキットが知ってるから。招待状もキットの中にあるからね」
「は、はい……」
そして一同は、ぞろぞろと移動を始めた。
その道中で八幡は、興味深そうにこちらを見ていた警備員に気付き、
申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、うちの者がお騒がせしました」
「えっ?ああ、いやいや、凄く礼儀正しい人達だなと思って見てただけだから。
別におかしな騒ぎ方をしてた訳じゃないし、何の迷惑もかけられてないから気にしないでね」
その初老の警備員は、穏やかな顔でそう言った。
「聞くつもりは無かったんだけど、君が次の社長さんなのかい?
部下にも慕われてるみたいだし、いい部下をたくさん持って、幸せだね」
その警備員にそう言われた八幡は、晴れやかな顔でこう言った。
「はい、ここにいる全員、俺の自慢なんです」
その言葉に一同はわっと盛り上がり、八幡は慌てて警備員に謝った。
「す、すみません」
「いやいや、気持ちは分かるからね」
そして一同は去っていき、最初に会話をしていた無関係の何人かは、
その様子を呆然としながら見送った。
「一体何だったんだあれは……」
「何か凄いもんを見ちまったな……」
「ソレイユって言ってたよな、あそこっておかしな会社なんだな」
この事はSNSで拡散し、ソレイユへの入社希望者が、更に増える事となった。
「さて、それじゃあエルザを送ったら、パーティーとやらに行くか……」
「本当に行くの?私、凄く嫌なんだけど」
「大丈夫だよ理央、私が色々教えてあげるから!」
「いいの?お、お願い!」
どうやらエルザはそういう機会が何度かあったらしく、
そういう場でどうすればいいのか理央に説明を始めた。
その説明に理央はうんうんと頷いている。
「しかし何故わざわざパーティーなんぞに行かないといけないんだ、
別にパーティーとやらが終わってからでもいいじゃないかよ……」
その八幡の愚痴には理央が答えた。
「あ、何か最初は社長が招待されてたみたいなんだけど、
誰が参加するのかうちで調べたリストを見て顔色を変えて、
『この人、私、嫌いなのよね、面倒だから八幡君に丸投げしようかしら』って言ってたよ」
「なっ………あの馬鹿姉め、一体誰が嫌いだっていうんだ」
「さぁ……」
八幡は招待状と一緒に置いてあったそのリストを見て、直ぐにそれが誰なのか理解した。
「あ、一発で分かったわ、きっと幸原みずき議員の事だな………」
「ああ、あの人……」
理央ですらそう言うほど、それは悪い意味で有名な女性議員であった。
「俺も嫌いんだけどな……」
「ま、まあ仕方ないね、多分関わる事はないだろうし、挨拶だけ済ませてさっさと帰ろうよ」
「だな……」
そして二人はエルザを家まで送った後、そのまま現地のホテルへと向かった。
ホテルでは、妙に若い二人の姿に受付の者が訝しげな視線を向けてきたが、
招待状を見せるとその表情が一変した。
「嘉納大臣からくれぐれも宜しくと言われております、どうぞお入り下さい」
「すみません、ありがとうございます」
八幡は、ソレイユの名前も結構有名になってきたなと思いながら、理央を奥へと促した。
「さて、それじゃあまあ、行くか」
「う、うん」
「エスコートとかは必要ないよな?」
「………そこまでフォーマルな感じじゃないからいいんじゃない?」
(ちょっと残念だけど)
「だな」
八幡はそう言うと、改めて理央の格好を眺め、直ぐに目を逸らした。
理央のドレスの胸の部分が妙に強調されていたからだ。空港ではそんな事は無かったのだが、
どうやら着替えをさせてもらったエルザの家で、エルザが理央の服装をチェックしたらしい。
「な、何よ」
「いや、理央は相変わらずエロいなと思ってな」
「相変わらずって何よ!それに私は別にエロくなんか……」
その時理央の目に、たまたま近くにあった鏡にうつった自分の姿が飛び込んできた。
その姿は確かに八幡にそう言われても仕方がないものであった。
「えっ、あれっ?そういえばさっきエルザさんに見てもらった時に、
胸の辺りをごそごそされたような……」
「何でその時に気付かないんだよ……」
「し、仕方ないじゃない、芸能人の家に行くなんて初めてだったんだから緊張してたんだもん」
「お前って意外とそういうとこあるのな、麻衣さんとは仲がいい癖に」
「だって麻衣さんは学校の先輩だし……」
「まあいい、もうここまで来ちまったんだから、出来るだけ目立たないように頑張れ」
「うぅ……八幡以外にはなるべく見られないようにストールを掛けてしのぐ事にする」
「俺に見られていいものでもないと思うけどな……」
そして理央は首にストールを掛け、
八幡は目当ての人物をやっと見付け、そちらに近付いていった。
「嘉納さん、お久しぶりです」
「お?おお、比企谷君、帰国早々わざわざ来てくれてすまないね」
「いえ、今回の件、ご助力頂いて本当にありがとうございました」
こうして八幡は、嘉納と再会する事になったのだった。
予定より一話長くなりそうです!(いつもの事