ソレイユから出る直前に、八幡は見送りに出てきた雪乃に歩み寄り、
ひそひそと雪乃の耳元で囁いた。
「なぁ雪乃、明日奈はまだもじもじしてるのか?」
「ええ、あそこの物蔭で顔を真っ赤にしながらこっちを見ているわよ」
「あれか………確かに顔が真っ赤になってるな」
「詳しくは聞いていないのだけど、一体何があったのかしら」
「あ~………そのうち動画で見られるだろ、
まあとりあえず、しばらくはそっとしといてやってくれ」
「私が聞いた話だと、あなたも何かしたって話だったのだけれど」
「………ま、まあ、ちょっと仕返ししただけだ」
「仕返し、ねぇ……」
そう言って雪乃がチラッと明日奈の方を見た瞬間に、
明日奈は顔から蒸気を噴き出しながらフェイドアウトしていった。
「………ああいう明日奈は珍しくて新鮮ね」
「そのうち元に戻るさ、それじゃあ行ってくるわ」
「あの二人に宜しくね」
「もうメディキュボイドからは出てるんだよな?」
「ええ、もう少ししたらリハビリを始められるそうよ、
今はとにかく栄養値の高い物を中心に食べているわね、まあ流動食に近いものだけれど」
「そうか、まあ経過が順調なようで何よりだな」
「これもあなたのおかげね」
「俺だけの力じゃないさ、むしろ俺が一番役立たずだったわ」
「謙遜しないの、それが出来る人を集めて動いてもらうのも才能の一つよ」
「まあ俺に出来る事は限られてるからな、他人に頼ってばかりだが、
気持ち良く動いてもらえる為なら何でもするさ」
「ええ、いいと思うわ」
雪乃はそう言って微笑み、八幡を見送った。
「それじゃあ行ってらっしゃい」
「おう、それじゃあまた明日な」
「ええ、また明日」
そして移動中、八幡はかつて二人と交わした約束の事を思い出していた。
「そういえばあの二人がメディキュボイドから目覚めた時に、
二人に選んでもらっておいた服を枕元に置いておこうって準備してあったっけな、
一応経子さんには伝えてあったから大丈夫だとは思うが……」
それはかつて、二人が初めて東京の地を踏んだ時に交わされた約束であった。
当然経子は言われた通りに実行してあり、二人はその事に喜び、
八幡にその姿を見てもらおうと試しにその服を着てみたのだが、
二人は長い入院生活でかなり痩せてしまっていた為、
肉付きを良くしてもっと服が似合う体型になるように、
頑張って栄養をとっているのであった。
「さて、キットもあの二人に会うのは久々だよな」
『はい、とても楽しみです』
「まあ今後はあの二人を乗せて走る機会も増えるだろうさ」
『そうですね、嬉しいです』
そのまま眠りの森に着いた八幡は、経子と凛子に出迎えられた。
「八幡君、本当にありがとう、遂にやってくれたわね」
「やりましたね経子さん、やっとあの二人の元気な姿を見れますね」
「頭の方はもう大丈夫なの?」
「はい、凛子さん、何とか無事に記憶が戻りました」
「まったくもう、あまり心配させないでよね」
「すみません」
この時点で八幡は、まだ茅場晶彦が出現した事を知らなかった。
いずれ知らされる事になるのは間違いないが、
その時は恐らく凛子も同席する事になるのだろう。
「それじゃあ部屋に案内するわ」
「ありがとうございます、宜しくお願いします」
もっともこの時点で二人のいる部屋からは八幡が見えていた為、
今まさに二人は着替え中だったりする。
だがさすがに今日は、二人には肌色成分増し増しの姿で出向かえるつもりは全く無かった。
やはり八幡には、二人が自らの手で選んで買った服を着ている姿を見せたかったのである。
「ここよ」
「ありがとうございます」
「それじゃあ何かあったら呼んで頂戴ね」
「はい、分かりました」
八幡はそう言って咳払いをし、少し緊張しながら二人の部屋をノックした。
「アイ、ユウ、俺だ、八幡だ、今アメリカから帰った、遅くなって悪い」
「鍵はかかってないわ、そのまま入って!」
「八幡、早く早く!」
「お、おう、それじゃあお邪魔します」
そして部屋に入った八幡が最初に見た物は、壁一面の大きさまで引き伸ばされた、
自分の頬に藍子と木綿季がキスをしている写真であった。
「なっ………なんだこれは!?」
「あれ、私とユウの寝室にずっと張ってあったけど、気が付かなかった?」
「そんなのどうやって気付けってんだよ!」
「ふふっ、この写真がボク達の生きる希望だったんだよ!」
「いつの間に……」
それはかつて経子が撮った写真であった。
二人が目覚める予定の日、経子が気を利かせて事前に壁に飾っておいたのである。
ちなみに二人がその写真を最初に目にした時、
逆にここがまだVR空間なのではないかと不安に思ってしまい、
経子が慌てて説明するというハプニングも起こっていた。
「それでお前達が頑張れたっていうなら、まあいいか」
そう言って八幡は、藍子と木綿季の方を見た。
そこには八幡が贈った服を着て、恥ずかしそうに立つ二人の姿があり、
八幡はそんな二人に向かって手を広げた。
「ただいま」
「「お帰り!」」
そのまま二人は八幡の胸に飛び込んだ。八幡は二人を受け止め、優しくその頭を撫でる。
「八幡、約束を守ってくれてありがとう」
「この服、凄く気に入ったよ!ただ………」
「似合わない………か?」
「「うん………」」
この短い期間では、やはり二人はまだ痩せすぎであり、
顔もやつれていた為に、服を着ているというよりは、
サイズの合わない服をかけられたマネキンのような状態となっていた。
「そうだな、確かに似合わないな」
「だよね………」
「だから早く似合う体になれるように、これから沢山栄養をとって、
その姿で自由に歩きまわれるように、リハビリを頑張ろうな。
俺も手伝ってやるから、ここまで負った人生の負債を一気にプラスへと持っていこうぜ」
八幡にそう言われ、二人は顔を輝かせた。
「うん、ボク、早くこの服が似合うようになる為に頑張るよ!」
「私も早く胸のサイズを戻さないと、八幡が悲しんでしまうものね」
「いや、別にそれは悲しくねえから」
「とか言って、さっきからこっそりと私の胸の感触を楽しんでいるのは知っているわよ」
「ん、胸なんか当たってたか?ALOと比べて感触がまったく無いから気付かなかったわ」
「ぐぬぬぬぬ、い、今に見てなさい、その顔を絶対に羞恥で染めてやるんだから!」
「ははっ、まあ頑張れ」
そして八幡は、おもむろに窓の外を指差した。
「ほらお前ら、キットもお前らが元気になった事を喜んでるぞ」
「えっ?あっ、キット!」
「お~いお~い!」
二人は窓の外に見えるキットに向かって手を振り、
キットも窓を上下させてそれに答えた。
「キットも早く、お前達を乗せて色々な所へ行きたいって言ってたぞ」
「うん、うん………」
「アイ、早くリハビリを頑張って、キットに乗せてもらおうね」
「もう私達、自分の意思で好きな所に行けるのよね」
「そしたらどこに行きたい?」
「そんなの決まってるわ」
「えっとね……」
二人はそう言って、八幡の耳元で何かを囁いた。
「………なるほど、分かった、何とかしてやる」
「うん、ありがとう!」
「八幡、愛してるわ」
「あっ、アイ、ずるい!八幡、ボクも愛してるよ!」
「おう、ありがとな、二人とも」
そして八幡は、懐から何かを取り出して二人に渡してきた。
「さて、それからこれはお前達へのプレゼントだ。って言ってもただのスマホだけどな」
「えっ、いいの?」
「おう、これから絶対に必要になるものだしな。
それにしばらくはここで暮らしていけばいいが、
いずれ完全に元気になった後に住む場所の事とかも考えないといけないな」
八幡にそう言われた二人は、顔を見合わせた。
「一応私達の貯金はある程度はあるらしいけど、それで足りるかな?」
「お父さんとお母さんの遺産なの」
「あ~、分かった、経子さんに確認しておくわ。
まあそれが足りなくても問題ない、今度からお前達の保護者には、俺がなるからな」
「えっ?」
「八幡が私達のパパに?」
「パパ、パパだ!」
いきなりそう呼ばれ、八幡は面食らった。
「お前達、実の両親の事はお父さんお母さんって呼ぶ癖に、俺の事をパパと呼ぶのはやめろ」
「じ、じゃあもしかして、私達の苗字が比企谷に変わっちゃったりするの?」
「んな訳あるか、それじゃあ養子縁組じゃねえかよ、保護者をやるだけだっつの」
「良かった、それは嫌だったから」
「うん、絶対嫌だよね」
二人がそう言った瞬間に、八幡は嫌な予感がした。
かつて同じような事を、優里奈が言っていたのを思い出したからである。
「一応聞くけど、その心は?」
「だって親子になっちゃったら八幡と結婚出来ないじゃない!」
「苗字が変わるのは、嫁入りの時じゃないとね!」
「お前らも優里奈と一緒か………」
そう言われた二人は、嬉しそうに笑った。
「さっすが優里奈、よく分かってる」
「もうボク達、三人姉妹って事でいいんじゃないかな?」
「別の意味でも姉妹になれれば言う事は無いわね」
「おいアイ、不穏な事を言うのはやめろ」
「冗談よ冗談、あと一年は大人しくしてないと、八幡が犯罪者になっちゃうもの」
「は?一年?」
「だって私達、まだ十七じゃない。
十八にならないと、八幡にとっては色々と都合が悪いでしょ?」
「十七のままでも全然都合は悪くないから心配するな」
そう答えつつも八幡は、優里奈や詩乃、
それにフェイリスや留美やABCの顔を思い浮かべ、
来年はあいつらが一気に十八になるのかとげんなりした。
「安パイなのは紅莉栖だけか……」
そう考え、八幡はハッとした顔をした。
「そうだそうだ、忘れてたわ、お前達のスマホに『A』って書いたアイコンがあるだろ、
それはお前達の家庭教師だからな、勉強を色々教えてもらうといい」
「『A』って……あっ、これ?」
「おう、ただし二人同時には起動出来ないから、教わるのは二人一緒にな」
「今試してみてもいい?」
「おう、いいぞ」
「それじゃあ………ポチっとな!」
藍子はそう言いながらそのアイコンをタップした、さすがは昭和の女である。
そしてブンッ、という音と共に画面に一人の女性の顔が映し出された。
こういう時の定番である、紅莉栖のアマデウスである。
ちなみに理央が持つ物とは別物となっている。
『アイ、ユウ、こんにちは、私は牧瀬紅莉栖よ』
「あっ、クリスティーナだ!」
「本当だ、クリスティーナだ!」
二人に同時にそう言われ、紅莉栖はじろっと八幡を睨んだ。
『八幡、後で話があるから』
「お、お前ら、こいつの事は先生と呼べ、いいな?」
「分かったわ、クリスティーナ先生、こんにちは!」
「アイ、ちょっと長くない?ティーナ先生って略した方がいいんじゃないかな?」
「そうね、それじゃあそうしましょうか、ティーナ先生、こんにちは!」
そう呼ばれた紅莉栖はぷるぷると震えながら鬼の形相で八幡を睨んだ。
「お、お前達、先生、だけでいいと思わないか?ティーナ先生でも長いだろ?」
「う~ん、まあいっか」
「先生、先生だ!」
『ええ、私があなた達に勉強を教える事になった、牧瀬紅莉栖のアマデウスです』
「「アマデウス?」」
きょとんとする二人に、八幡はアマデウスの事を簡単に説明した。
「ああ、それじゃあ本人じゃないんだ」
「まあ本人と変わらないんだけどな」
「そっか、ボク達勉強に関してはかなり遅れてるから、
これから宜しくお願いします、先生」
『任せなさい、高校一年くらいまでの範囲は何とかしてあげるから』
「「お願いします!」」
こうして二人は日々、リハビリと食事と勉強を頑張り、
少しでも早く自分の足で八幡と共に歩めるようになる為の努力を開始する事となった。
あと二話でこの章も終わりです!