ハチマンくんとアスナさん   作:大和昭

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第902話 新生活への第一歩

「は、八幡君、この子って………」

「あ~、勇人の家庭教師だけじゃなく、日高商店の留守番役としても使ってもらえるように、

自律型のAI搭載型モデルを用意しました。気軽にクルスちゃんと呼んでやって下さい。

ちなみに元になったのは超一流大学の生徒なので、学力については折り紙付きですよ」

 

 この時小春はパニック状態に陥っていた。

そもそもぬいぐるみが喋るだけでも驚きなのに、そのぬいぐるみが今、

小春の目の前でお腹の前で手を組み、もじもじしているのだ。

まだ小春が十~二十代なら対応出来たかもしれないが、

小春は詩乃や藍子とは違い、真なる昭和の女であるが故に、

現実を受け入れるまでにかなりの時間を要する事となったのである。

 

「ごめんなさい、ちょっと混乱してしまって………」

「無理もないです、これはまだ市場にも出回ってないですからね」

「そ、そんな貴重な物、もし盗まれでもしたら………」

 

 その小春の問いに、クルスちゃんがスラスラと答え始めた。

 

「大丈夫です、私の内部には発信機が埋め込まれていますから、

例え私が拉致されても、どこにあるのかすぐに場所を特定出来ますし、

それが済んだらすぐにソレイユの精鋭部隊が動いてその泥棒に鉄槌を下してやりますから!」

「そ、そうなの?」

「もしそれが不可能な場合は、自爆します」

「ええっ!?」

「小春さん、今のはクルスちゃんの冗談です」

「そ、そうなんだ、びっくりした………」

「まあでもまるでゲームの世界みたいだと思われるかもしれませんが、

最初にクルスちゃんが言った事は事実ですからね」

 

 八幡はそう言って、前半のクルスの言葉に太鼓判を押した。

 

「そ、そう、私が日々の生活に追われてる間に、技術の進歩はここまで進んでいたのね」

「いやぁ、まあうちは結構特殊ではあるんですけどね」

「あ、それじゃあ世間一般はここまでではないの?」

「そうですね、まあそのうち世間が小春さんに追いつく日が来るでしょうね」

 

 その八幡の答えに小春は思わず噴き出した。

 

「八幡君って面白い子よね」

「そんな事、一度も言われた事は無いですけど………」

「あらそう?とっても面白くて興味深いと思うんだけどな。

まあいいわ、それじゃあクルスちゃんについて、詳しい話を聞かせてもらえるかしら」

「はい、こちらの想定ではですね………」

 

 そして実際に何が出来るのか、小春の前でクルスちゃんが実演してみせた。

電話対応は完璧、学力も優秀であり、

料理こそ出来ないが、レシピ自体は即座にネットで検索して答えてくれる。

昼に一人で店番をしている小春の話し相手にもなれるし、

配達の時はナビの役割を果たすクルスちゃんの存在は、小春にとってはとても有難かった。

 

「クルスちゃんって本当に凄いわ、本当の本当にうちなんかに来てもらっちゃっていいの?」

「はい、もちろんです」

「そう、本当にありがとう、実の娘だと思って大事にするわ」

 

 小春はクルスちゃんを胸に抱きながら、笑顔でそう言った。

その仕草と表情から、小春が本当にクルスちゃんを大事に思ってくれているのが分かり、

八幡は準備した甲斐があったととても嬉しい気分になった。

クルスちゃんもその小春の期待に応えたいらしく、

本体と同じように豊かな胸をポヨドンと叩きながら言った。

 

「お任せ下さい、必ずや勇人君を、八幡様のような立派な男性に教育してみせます」

「おい、俺を引き合いに出して余計な事を言うのはやめような」

「え~?でもやっぱりそれが、八幡様に身も心も捧げた私に求められる役割っていうかぁ?」

 

(こいつ、本体と喋り方が若干違う気が………まさかこれがマックスの素なのか?)

 

 八幡はそう疑問を覚えつつ、言い訳めいた口調で小春に言った。

 

「えっと、ちゃんと仕事は出来る奴ですので、

たまにおかしな事を言うかもしれませんが軽く流しちゃって下さい」

「そんな事気にしないわ、娘だもの」

 

 どうやら小春は八幡の想像以上に鷹揚な人物らしく、

まったく問題ないという風に微笑んだ。

その時勝手口の方から元気な声がした、どうやら勇人が帰ってきたようだ。

 

「母さん、ただいま!」

「勇人、おかえりなさい」

「あれ、比企谷さん、今日も来てくれたんだ!」

「おう、お帰り勇人、今日もお邪魔してるぞ」

「もしかして母さんを口説いてたの?それなら嬉しいんだけど」

「ませた事を言ってるんじゃないわよ、まったくもう」

 

 小春は勇人にそう言ったが、その表情は少し照れているように見えた。

 

「そうだ勇人、今度あなたにお姉さんが出来たのよ」

「え、母さんに隠し子がいたの?」

「そんな訳ないでしょ!」

 

 そんな勇人の足を、クルスちゃんがちょんちょんとつついた。

 

「ん?」

 

 勇人はその感触に気が付き、何事かと思って自分の足元を見た。

そしてぬいぐるみが勝手に動いているのを見て、腰を抜かしたようにその場にへたりこんだ。

 

「う、うわああああ!」

「勇人君勇人君、私がお姉ちゃんだよ、クルス姉ちゃんって呼んでくれていいからね」

 

 そんな勇人にクルスが優しい声でそう言ったが、勇人の驚きは収まらない。

 

「ひ、比企谷さん、ぬいぐるみが喋って動いてる!」

「落ち着け勇人、これがお前の家庭教師………いや、お姉ちゃんか、

今度お姉ちゃんになった、クルスちゃんだ」

「ほ、本当に?」

「もちろんだ。言っておくが、お姉ちゃんは俺よりも頭がいいからな」

「うわ、え、嘘、本当に?」

 

 勇人は本当にを連発したが、信じられないその気持ちは八幡もよく理解出来る。

 

「本当だ、これから色々教えてもらうんだぞ、勇人」

「わ、分かった、これから宜しく、クルス姉ちゃん」

「宜しくね、勇人君」

 

 勇人が認めた事で、晴れてクルスちゃんは、

クルスお姉ちゃんへとクラスチェンジする事に成功した。

今後この三人は、一つ屋根の下で仲良く暮らしていく事になる。

 

「それじゃあ勇人、バイトについて説明するぞ」

 

 八幡はそう言ってアミュスフィアを取り出した。

 

「あ、それってアミュスフィア?もしかしてもう回線が通ったの?」

「おう、早いだろ?」

「うん、早い!」

 

 勇人は無邪気にそう言ったが、直後に首を傾げた。

 

「あれ、でも何で二つあるの?」

「小春さんにも同じ事を聞かれたぞ。

時間がある時にお前と小春さん、二人で遊べるようにと思ってな」

「ええ?母さんはゲームなんてやった事ないでしょ?」

「小春さんは昔、かなりのゲーマーだったらしいぞ、知らないのか?」

「えっ?」

 

 勇人はその言葉に呆然とした。

 

「そ、そうなの?」

「う、うん、あ、そういえば押し入れにプレイステーションがしまってあるわよ」

「初代の!?」

「うん、初代の。今やっても勇人が面白いと思うかどうか分からなかったから、

ずっとしまいっぱなしになってたのよね」

「そっかぁ………」

 

 勇人は何故か考え込み、小春が店の用事で席を外した隙に八幡にこう囁いてきた。

 

「比企谷さん比企谷さん」

「おう、何か考え込んでたみたいだがどうしたんだ?」

「実はさ、母さんのご両親、まあ俺は面識は無いんだけど、

母さんが三十代の時に、病気で若くして亡くなってるんだよね」

「そういえば小春さんのご両親って、確かに見た事が無いな、そういう事だったのか………」

 

 勇人はその言葉に頷きながら、八幡にこう切り出した。

 

「でさ、俺を引き取ってくれてから、母さんってずっと一人で頑張ってくれてたんだけど、

遊びに行ったりしてるのを一度も見た事が無いんだよね。

だからもしかしたらその前からずっと、まったく遊んだりしてなかったんだと思うんだ」

「確かにそういう事なら店を維持するので精一杯だったかもしれないな」

 

 八幡はそう言いながら腕組みをした。

 

「だから比企谷さん、月に一度くらいでいいから、

母さんを遊びに連れ出してあげてくれないかな」

「分かった、新しい生活になって何か困った事は無いか、話を聞くっていう口実で、

今度小春さんを誘い出す事にするわ」

「さっすが比企谷さん、話が早くて助かるよ!」

「まあお前が小春さんを思う気持ちには応えてやりたいしな」

「うん、ありがとう、比企谷兄ちゃん!」

「兄ちゃんか、うん、まあ今後は俺の事はそう呼べばいい、

ついでに苗字で呼ばれるのもちょっとケツがかゆくなるから、そっちも名前でいいぞ」

「あはははは、分かったよ、八幡兄ちゃん!」

 

 勇人が思わずそう言った事で、八幡は勇人の兄貴分に昇格し、

八幡が月に一度、小春を遊びに連れ出す事が決定した。

八幡にこういった扱いをしてもらえるのは、千佳に続いて二人目となる。

それから八幡は、アミュスフィアの使い方を詳しく勇人に説明し、

勇人関連の色々な懸案が片付いたのを見計らって、

今度は小春に酒類の『ねこや』からの注文についての相談に入った。

 

「………という訳なんですが、どうですか?」

「それは大変有難いお話なんですけど、これ以上お世話になるのは………」

「丁度業者を探してる最中だったんで、知り合えたタイミングが良かったとお考え下さい。

今から他の業者を探すとなると、逆に面倒で困っちゃいます」

「………そうですか?」

「ええ、そうです」

「それではお言葉に甘えますね、でも結構な量になりそうだけど、

私一人でソレイユまで届けられるかしら」

「それなら大丈夫ですよ、後日専用コンテナを持ってこさせますんで、

そこにさえ荷物が乗っていれば、荷物を下ろすのだけは自動で行えますから」

「そうなんですか!?」

「はい、今度実際にご説明しますので、ソレイユに来る予定の日は現地で待ってますね」

「本当に何から何まで………」

 

 小春は恐縮したが、それはソレイユ関連の全業者が利用しているシステムである為、

別に日高商店だけが優遇されているという訳ではない。

ちなみにこれも売り物になる予定のシステムである。

 

 こうして日高商店に若干の経済的余裕が生まれ、

小春と勇人の生活は、この日から激変する事となった。


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