それからも、二人は時間が経つのも忘れてゲームに興じていた。
普段の八幡ならばここまでのめり込む事は無かったのだが、
いかんせん最近はこういう機会は滅多に無かった為、
ついつい長居してしまっていたのである。
それでも途中で何度か、そういえば出海は寝不足なんだったと思い、
寝かせようとした八幡だったが、その度に出海が自分は平気だと強硬に主張し、
実際具合が悪そうにはまったく見えなかったため、その度に八幡は押し切られていた。
そして今日何度目か、いや、何十度目かの八幡の敗北時に一階から物音がし、
出海は焦った顔で、慌てて立ち上がった。
「わっ、もうこんな時間!?まずい、お母さんが帰ってきちゃった!」
「別にまずい事なんかないだろ、ほら、お母さんに挨拶しに行くぞ」
「えええええええええ!?」
八幡はそんな出海に構わず、懐から名刺を取り出すと、
出海の背中を押しながら一階に下りていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
出海は抗おうとしたが、力で八幡に敵うはずもなく、そのまま玄関まで連れていかれた。
「お、お母さん、あの………」
「あら出海、出迎えてくれるなんて珍しいじゃない、ただいま。
それより駐車場に停めてある車は何?随分高そうな車だったけど、誰かお客様?」
「ええと………う、うん」
その言葉を合図に八幡が前に出た。
「お留守中にお邪魔させて頂いて申し訳ありません、私は比企谷と申します、初めまして」
八幡はそう言って名刺を差し出し、出海の母は驚いた顔でそれを受け取った。
「あらあらあら、まあまあまあ、これはご丁寧に、
ええと、もしかして出海の彼氏さんかしら?」
「お母さん、違うから」
出海はそれを否定し、詩織はあからさまにがっかりした表情をした。
「違うの?そう、出海には絶対に彼氏なんか出来っこないって思ってたから、
お母さん、かなり期待したのにな」
「ご期待に沿えなくて申し訳ありません」
「本当に残念だわ」
八幡は苦笑しながら頭を下げ、出海の母はそう言いながら、名刺に目を落とした。
「比企谷………八幡さん?あ、あら?」
「ど、どうかしましたか?」
「お母さん、どうしたの?」
そんな二人の目の前で、詩織の背筋がキリっと伸びた。
そして詩織は自分の名刺を取り出し、真面目な顔で八幡に渡してきた。
「これは失礼いたしました、私はこういう者です」
その名刺には、レクトの専務取締役、山花詩織と書いてあり、八幡は驚きに目を見開いた。
「ああ、レクトの方でしたか」
「比企谷さんのお名前は社長からいつも伺っておりましたわ、
すぐに気付けなくて申し訳ありません」
「いやいや、お会いしたのは初めてですし」
「そう言って頂けると………」
そんな母の姿を見るのは初めてだった為、出海は驚いた。
「は、八幡さんってソレイユだとそんなにえらいの?え?あれ?」
「あら出海、知らなかったの?
レクトはもうすぐソレイユの傘下に加わる事が決まってるのよ、
そして比企谷さんは、そのソレイユの次期社長に内定しているの。
だから私にとってはいずれ上司になる方なのよ」
「そ、そうなの!?」
「いや、まあそれはそうですけど、今は別にそういう場じゃないですし、
普通にして頂けると助かるんですが………」
八幡は困った顔でそう言い、詩織もその言葉に頷いた。
「分かりました、それじゃあ普通にさせてもらいますね」
途端に詩織の表情が緩くなり、八幡はほっと胸を撫で下ろした。
「それで、何故比企谷さんがここに?」
「あっ、はい、実は出海さんが、たまたま俺のALOのアカウントを突き止めて、
それをネタに脅してきたんで、仕方なく俺は出海さんのパシリをしているんです」
「ええっ!?い、出海、あなた何て事を………」
「ちょ、ちょっと八幡さん、冗談にもほどがあるから!お母さんも簡単に信じないでよ!」
「冗談………なのかしら?」
「あっ、はい、すみません、さっきまでずっとゲームでボコられてたんで、
ちょっと出海さんに仕返しさせてもらいました」
八幡は笑いながらそう言い、詩織も思わず微笑んだ。
「あら良かった、私、出海なら本当にやりかねないわ、とか思っちゃったわ」
「お母さん!?」
出海は頬を膨らませ、詩織は出海に謝った。
「ごめんごめん、ほんの冗談だから、ね?」
「嘘、絶対今のは本気だった」
そんな出海の子供っぽい面を見た八幡は思わず出海の頭を撫でた。
「まあ拗ねるなって、今ちゃんと説明するから」
「本当にお願いね!」
強い口調でそう念を押しながらも、八幡に頭を撫でられて嬉しそうにしている出海を見て、
詩織はクスリと笑いながら、八幡の方を見た。
「とりあえずリビングで話しましょっか、今お茶を入れますね」
「あ、その前に着替えてきちゃって下さい、きっとお疲れでしょうから」
「それじゃあお言葉に甘えますね」
八幡はリビングに案内され、お茶は出海が入れる事になった。
「お前、お茶なんか入れられるのか?」
「失礼ね、それくらい出来るわよ!」
「それじゃあ料理は?」
「普通に出来るわよ、母子家庭だもん」
「へぇ、意外と家庭的なんだな」
「ふふん、女子力はそれなりにあるのよ!」
「で、今日の夕飯は?」
「あっ………」
出海はゲームに熱中するあまり、今日の夕飯の事は忘れていたらしい。
「しまった………」
「ははっ、まあお母さんに謝って、今から頑張れ」
「う、うん」
「あら、今日は夕飯は無いの?」
そこに詩織が戻ってきて、笑いながら出海にそう尋ねた。
出海は妙に気合いが入った格好と化粧だなと感じたが、ここは謝る事を優先した。
「ご、ごめん、忘れてた………」
「ふふっ、まあ別にいいわよ、今日は冷凍物で済ませちゃいましょう」
「う、うん、ごめん」
「でもその前に出海、とりあえず事情を聞かせてもらうわよ」
「あっ、そ、そうだね」
そして二人は、詩織に今日何があったのか説明した。
「………という訳で、何か長居しちゃってました、すみません」
「なるほど………でも出海、あなた、確かに目に隈は出来てるけど随分元気そうじゃない?」
「まあ午後はずっと寝てたからね」
「まあ色々な人に心配かけたんだから、反省して今日は早くに寝るのよ?」
「う、うん………」
詩織は出海にそう念押しし、八幡に頭を下げた。
「比企谷さんも、今日はわざわざごめんなさいね」
「いえいえ、別に大した手間じゃありませんでしたから。
それよりこちらこそ、具合の悪い娘さんをすぐに寝かせないで、
ゲームに熱中しちゃって申し訳なく………」
そんな八幡に、詩織は気にするなという風に微笑んだ。
「あら、それはいいのよ、この子は子供の時から、
朝具合が悪いとか言ってても、ゲームしてると昼には元気になっちゃう子だったもの」
「お前それ、仮病じゃねえの!?」
八幡は思わずそう突っ込み、出海は慌てて言い訳した。
「い、いや、違うの、本当に朝具合が悪くなる事が多かったんだから!」
「………まあ成績さえ落としてなければ別にいいけどな」
「それは余裕」
「ドヤ顔すんな、別に褒めてねえから」
「ぐぬぬ………」
「まあぽんぽんとゲームを買ってあげちゃってた私もいけなかったのよね」
詩織は出海をそうフォローした。
話を聞くと、古いゲーム機は無くなった出海の父親の趣味だったらしい。
その流れで出海はゲームに興味を持ち、
母子家庭だったが生活には困っていなかった事もあり、
出海に請われるままにゲーム機やソフトを買い与えてしまっていたようだ。
「それでも歪む事なく真っ直ぐに育ってくれて、私は嬉しいわ、出海」
「お母さん………」
そんな感動的な母娘の対話を、八幡は微笑みながら眺めていた。
だがその感動は一瞬だった。続けて詩織が困ったような顔で、出海にこう言ったからだ。
「でも出海、『エロいキャラってこんな感じかな』とか呟きながら、
夜中に鏡の前で色々なポーズをとってるのはお母さん、どうかと思うの」
「えええええええ?まさか見られてた!?」
出海は絶叫し、八幡は呆れた顔をした。
「お前、そんな風に研究してたのか………」
「あら、比企谷さんには心当たりが?」
「あっ、はい、こいつ、ゲームの中じゃ、
私は色欲のアスモゼウス!とか言って、お色気を振りまいてますからね」
「いやあああああああああああ!」
八幡にそうカミングアウトされ、出海は悲鳴を上げた。
「あらそうなの?それなのにいつまでたっても浮いた話の一つも無いのね?」
「げ、現実とゲームは違うの!」
「それでも実際にもっと色気があれば、
うちの出海ももう少しモテてもおかしくないわよね?ね?比企谷さん」
「そうですね、出海さんは顔も整ってますし、そうであってもおかしくないんですが、
同じ学校に通ってる俺の知り合い連中からは、
校内で男から声をかけられるって話は聞いた事がないんで、
もしかしたら学校の雰囲気とかがそうなのかもしれませんね」
「あらそうなのね」
「た、確かにそれはあるかも」
確かに出海にも、昼休みとかに詩乃達と一緒の時や、帰宅時に声をかけられた記憶が無い。
だが実はそれは八幡のせいであった。
八幡と親しい女子に、他の生徒達が声をかけられる訳がないのだ。
もっとも詩乃もABCも唯花も出海もそういった事は迷惑だと感じている為、
その事についてまったく不満は持っていない。
「あらそうなのね、残念」
「ははっ、まあ出海さんにはこれから出会いはいくらでもありますよ」
(あらあら、これは出海には脈は無さそうね)
八幡を観察しながら詩織はそう思っていた。
(でも愛人ならあり?って、親が心配する事じゃないわね、
例えどうなっても出海の好きなようにさせないと)
その後、少し仕事関係の話で盛り上がった後、八幡は山花家を辞する事にした。
「随分長居しちゃいましたね、すみません」
「いえいえ、いつでも遊びに来ちゃって下さいな、その方が出海も嬉しいと思いますから」
「う、うん、私もゲーム仲間が出来たみたいでその、ま、また対戦したい」
「そうか、まあそれじゃあそのうちにな」
「うん、そのうちにね」
「あら?そういう意味で言ったんじゃないんだけど………、
もし比企谷さんさえ良かったら、別に不純な事をしても全然構いませんけど?
ほら私、今日くらいの時間までは家に居ませんし?」
「ちょ、ちょっと!お母さん!」
「は、はは………」
八幡はその詩織の申し出に、愛想笑いを返す事しか出来なかった。
「あら、出海は嫌なの?仕方ないわね、それじゃあ今度、夜に尋ねてきて下さる?
そうしたら私がお相手を………」
「お、お母さん、お願いだからもうやめて!」
「あら、本気なのに………」
「俺の周りの大人はどうして肉食系ばかりなんだ………」
八幡はそう呟いた後、気を取り直して出海に声をかけた。
「それじゃあ出海、飯を食ったらすぐに寝るんだぞ」
「う、うん、今日はありがとう」
「それじゃあまた明日な、夕方に学校に迎えに行くから」
「あ、うん、また明日ね」
そして八幡は去っていき、詩織が出海にその事を尋ねてきた。
「明日何かあるの?」
「あ、うん、ソレイユに遊戯室ってのがあるらしくって、そこに招待してくれるって」
「あら、あそこに?」
「お母さん、知ってるの?」
「ええ、まあうちからも筐体をいくつかまとめて買ってもらって、設置もしたもの。
倉庫に眠ってた古い筐体も含めてね」
「そうだったんだ」
「まあそういう事なら明日は楽しんでらっしゃいな、
帰りが何時になってもお母さん、何も言わないわよ」
「そんなに遅くにはならないと思うけどね」
その返事は詩織のお気に召さなかったらしく、詩織は深いため息をついた。
「あら、朝帰りでもいいって言ってるのに、出海はそういう所、本当に駄目よね」
「お母さんって実はそういう人だったの!?」
「そうよ?お父さんを捕まえた時も、既成事実を作る事から始めたもの」
「し、知らなかった………」
そんな話は今までした事が無かった為、出海は驚愕した。
「そういえばその格好………結構露出してるし気合い入りすぎじゃない?
それにその化粧、まさかお母さん………」
「あら、私だってまだギリギリ三十代なのよ?ちょっとは夢を見てもいいじゃない、
比企谷さんはあなたにはもったいないくらい素敵だもの」
詩織、まさかの三十代であった。
三十代でレクトの専務に抜擢されている詩織は、よほど有能だという事なのだろう。
「お母さんがライバルとか嫌なんだけど………」
「ふふっ、あなたにもその血が流れているのよ、色欲さん?」
「う、うわああああああああ!」
出海、絶叫である。
「まあ比企谷さんのお相手はうちの社長の娘の明日奈さんだから、
もし比企谷さんの事が好きなのなら、愛人で我慢する覚悟もしておくのよ、
ちなみにお母さんにはその覚悟はあるからね」
「それ、親が娘に言うセリフじゃないから!」
どうやら詩織はそういう所にまったく拘りがない人のようだ。
下手な男に嫁ぐよりもその方が出海が幸せになれると思っているのかもしれない。
「さあ、ご飯にしましょうか、出海はお風呂を沸かしておいて頂戴」
「あ、そうだね、うん、分かった」
そして簡単に夕飯を済ませた後、出海は入浴を済ませ、すぐにベッドに入った。
「明日、楽しみだな………」
この日から、出海は悪夢を見なくなった。