アリスに指定された三日後の昼までが、正邪には気の遠くなるほど長い間に感じられた。よく楽しい時間は短く感じると言うが、まさにその逆。そしてついに来たその日、人里で正邪は非難と奇異な目で見られていた。前者は日ごろの行いによるものだが、後者はアリスが持たせたプラカードによるものだ。
『人形劇 開始は丑の刻より』
そう書かれたプラカードを持って広場に立っていた。人里の皆はこれをどうとるかに迷っている。いつものようにおちょくっているだけなのか、それとも本当に人形劇の予定を知らせているのか。今までの行いからは信じられないが、もし仮にこの天邪鬼が、人形劇のアリス・マーガトロイドの仲間だったとしたら、非難を浴びせてしまったら二度と人形劇はしないかもしれない。幻想郷において娯楽は少なく、あるのは酒と人形劇くらい。だから人形劇が亡くなってしまうと非常に困る。
だから人里の皆は正邪を責めることはない。それは正邪をかなり楽にしてくれた。
「今日は怒られない?」
という事実がまさに目の前で起こっており、まだ皆からの視線はきつく鋭いものだけど、少なくとも石を投げられない程度にはなっているのだと。勿論それはアリスのおかげであって、このプラカードを持っていなかったら違う結果になっているというのも、分かってはいるが嬉しいのだ。
そんな気持ちを噛み締めながら待っていると、やがて開演の時間となり、人形劇用の小さな舞台が用意され、ほどなくしてアリスによる人形劇は始まった。
「君が正邪さんかい? こっちへ来てくれるかな?」
「え? いやでも……」
「大丈夫、、アリスさんから話は聞いているから」
人形劇が始まると観衆の目は全てそちらへと移り、正邪を見るものはいない。だから隅のほうで正邪も人形劇を見て楽しんでいたのだが、そこへ一人の男が声をかける。先ほど、舞台を用意していた男だ。
しかし正邪にとっては知らない人なので不用意に着いていけば、また何をされるかわからないので警戒をしていたが、どうやら彼もアリスの知り合いのようであり、着いていくことにした。
「アリスさんの劇は大体一刻ほど。そして終わったら見てくれた子供たちにはお菓子をあげることになってるんだ」
「そうなのか……ですか」
「私に無理に敬語にする必要はないよ。君のことは人里の皆からも、アリスさんからも、噂も色々聞いているし、どんな娘かもわかってる」
男は軽い拳骨の後、優しく正邪の頭を撫でた。
「悪戯のし過ぎはダメだ。やっても悪戯の範疇で済まされるものと済まされないものがある。気をつけなさい。でも、ちょっとからかうつもりだったなら、今からでもちゃんとしたら皆許してくれるさ」
「……うん」
「良い娘だね。じゃあ子供たちに配るお菓子を運ぶのを手伝って」
人形劇舞台の裏の方、そこには大量のお菓子、”クッキー”があった。幻想郷には洋菓子はほとんど出回らない。時代や文明が外よりも遅く発達していないため、作る知識も技術もない。あるとしたら外から迷い込んだ外来人か、霧の湖の畔にある紅魔館の住民、それとアリスのみ。
その未体験の見た目、味、食感は好評で、結構高価なものとされている。商品化すればかなりの儲けになるだろうが、アリスはそれをしない。
そもそもアリスは魔女であり、食事や睡眠をしなくても生きていける。アリスが料理をしたりするのは気分転換のためだ。だからたまに作る治療薬を売って生活費にすれば生計は立てられるため、人形劇でも観賞料は取らない。そういうアリスの考えは伝わってなくても、里の人々には気前の良い人という印象を与えた。
「それでもアリスさんが人里で馴染むまでに、結構時間がかかったんだよ。見慣れない服装や顔立ち、急に始まった人形劇、魔女という生物としての壁、全部が空回りしてなかなか認められなかった」
「そうだったのか」
「害がないって分かってもらって、人柄を知ってもらって、人形劇の面白さを理解してもらって、彼女はちゃんと努力していた。そんな彼女だから私も彼女が皆に溶け込めるように手伝った」
「大変そうだな」
「それくらい君もやらなくちゃいけないよ」
アリスが認められるまでにおよそ三年以上はかかった。正邪が認められるには、さらに時間がかかるだろう。アリスは真面目で努力家だが、正邪ははたしてそこまで真摯に取り組めるだろうか。
「もしちゃんとするようだったら、その時は手伝うよ」と男は言う。正邪にとって協力者が増えることはありがたい。正邪だけなら何をしていいか分からず、いつになったら認めてもらえるかわからない。
その厚意は嬉しいし、助けてもらえるならと「分かった」と返事をすると、男は頷いた。
いつしか人形劇は終演を迎えて、幕が下りると割れんばかりの歓声と拍手がそこらから響く。今回の劇の内容も相当良いものだったということが分かる。アリスはこの人形劇を自分の魔法の研究の一環として、違和感なく人形を自動化の進歩具合を、観客の様子を見て判断している。あまりにも動きがぎこちないなら、ここまでの反応はないだろうと、納得する。
そして最後に「子供たちにはお菓子を用意したから持って行って」と鈴の音のような声で伝えると、それを楽しみにしていた子供たちはワッと目を輝かせる。
「子供たちはこっちへおいでー。お菓子は一人一袋までだよー」
男がそう言うと子供たちは一斉に向かってくる。それを制して並ばせて配っていく。男の隣には正邪もいて、列も二列にさせているが、やはり顔見知りのせいか、それとも正邪の普段の行いのせいか、男のところからしか菓子を貰おうとはせず、正邪のところへは一人もこない。親からも強く言い聞かせられているのだろう、それを無視して怒られたくないのだろう。
「おねえちゃん、おかしちょうだい」
「? わ、私か?」
「うん。ちょーだい」
そういう意図が感じ取れたから自分のところにはこないと思っていたのだろう、そんな正邪の前に、列に並ぶのを嫌ったのかまだ小さい少女が来た。この子も親からは言われているだろうが、まだちゃんと覚えられるほどではないのか、正邪からお菓子を欲しがった。
「ほ、ほらよ」
「おねえちゃんありがとう!」
少女にお礼を言われる。正邪が礼を言われたのは、はたしていつぶりだろうか。人里から迫害されるまでにもあったかどうか、生れてから天邪鬼として生き続けてきた正邪にとってはまさに初めての経験かもしれない。その証拠に、口角が僅かに上がっている。
その少女が無事にお菓子の袋を手に入れたのを見て、正邪も大丈夫だと思ったのか、それを皮切りに正邪の方へも子供たちは流れていき、対処に追われる羽目になった。
嵐のような忙しさも終わり、大量にあったお菓子の袋ももう在庫がなくなって一息ついたころ、その間に休憩を取っていたアリスが二人に寄って来る。
「お疲れ様アリスさん」
「えぇ。いつも手伝ってもらって悪いわね」
「気にしないで。余ったお菓子は貰ってるし、美味しいから評判も良くてありがたいよ」
お互いを労った後、そんな話を始める。聞く限り何度もこの男はアリスのことを手伝っているようで、それをアリスも認めているようだ。しかしアリスはそこまで人との関わりを持とうとはしない。人里に住もうとせず魔法の森にいるのが証拠だろう。
そうなるとそんなアリスと良好な関係を持つ男は何者なのだろうか。
「そういえばアンタって何者なんだ?」
正邪の問いに、そういえばまだ話していなかったね、と別段隠すようでもなく、妖怪にとっては死の宣告に近い言葉を放った。
「幻想郷の平和を守る妖怪退治の専門家、博麗の巫女博麗霊夢────の小間使いさ。これからよろしくね、正邪さん」