真・恋姫†無双~未踏世界の物語~   作:ざるそば@きよし

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 英雄たちは今、新たな伝説を目の当たりにする。


龍と虎 前編

 秒にも満たない僅かな間、サルカンは揺れる馬上で意識を失いかけた。

 昼夜を徹して馬に乗り続けるのは本当に久しかった。最後にそれを行ったのは、まだ彼がマルドゥに属していた頃の話だ。

 あの頃は敵の背中に食らいつく為に必死になって馬を走らせていた。マルドゥにとっては勝利が全てだ――戦いに勝利するためならば、何日それを続けても全く苦では無かったし、それが当然であると考えていた。昔を懐かしむ訳ではないが、あの頃の若さと頑丈さは今の自分には無いものだ。と、サルカンは心の中で苦笑した。

 

「おじさま。顔色が良くないけど、大丈夫?」隣を走っていた馬岱が声をかけてきた。その顔は心配の色を濃く浮かべていた。

 

「大丈夫だ」サルカンは頷いた。今も戦い続けているであろう馬騰の事を考えれば、この程度の疲労で休む訳にはいかなかった。「これしきの事で、俺も飛龍も倒れたりはしない」

 

 彼に同調するかのように、足下の飛龍が荒々しく嘶きを上げた。もしこの馬が人間の言葉を話せたなら、彼同様に勇ましい返答を口にしたに違いない。

 

「サルカン殿。その勇ましさは尊敬に値するが、決して無理はしない方がいい。万全な状態でなければ、敵に勝つ事など出来ないぞ」

 

 後方から一騎の人馬が二人の元へと近寄ってきた。騎馬隊を指揮していた餓何である。彼は少し呆れた表情を顔に混ぜ、サルカンの顔色を揶揄した。

 

 彼の言葉にもサルカンは首を振る。「俺の心配は無用だ。それより今は、少しでも早く馬騰殿の元へ急がなければ」そして手綱を強く握り締めると、飛龍を更に加速させるべく、その脇腹をブーツで蹴った。

 

 羌の軍団が宿営地を発ってから、既に四日が経過していた。彼らは疾風のような速さで軍を進めると、瞬く間に平原を駆け抜けた。その速さたるや、サルカンと馬岱が宿営地へ向けて走ってきた速度など比べものにもならない。

 彼らは知っていた――馬騰軍の兵士は強豪揃いではあるが、決して多くはないということを。

 敵との兵力差を考えれば、防衛戦とはいえ長くは持たない。急がなければこちらが到着する前に味方が壊滅してしまう可能性もあるのだ。

 だからこそ彼らは昼夜を徹して馬を走らせ、僅かでも距離を稼ごうとしていた。

 

 ふと、前方を走っていた騎馬の集団が急にその動きを止めた。

 彼らは次々に軍馬から降りると、積み込んでいた荷物の中から幌布や棒を取り出し、それらを地面で向けて組み立て始める。まるで野営でもするかのように。

 

 不穏な彼らの様子にサルカンは呻き、自らの馬を停止させた。「なんだ……?」

 

「どうやらここで休憩を取るようだ」様子を察した餓何が問いに答えた。が、その顔にはサルカンと同じく疑問が宿っていた。「……だが何故こんな所で?」

 

 少しの間考え込んでいた彼だったが、やがてその理由を汲み取ったようで、納得顔で二人に告げた。「二人とも、どうやら俺たちも急いで屋根を作った方がよさそうだ」そうして自らも馬を降りると、彼らと同じように自分の荷物の中から野営の道具を取り出し始めた。

 

 理由の分からない馬岱が尋ねた。「なに? どういう事?」

 

「もうすぐ雨が降る。濡れる前に屋根を作らなければ、身体を冷やすぞ」

 

「なぜ降ると分かる?」サルカンが思わず聞き返した。上空には雲など一つも無く、とても雨が降るような気配はない。

 

「匂いだ。匂いが変わった」自らの鼻を指しながら餓何が答えた。「嗅いでみればすぐに分かる」

 

 試しにサルカンが鼻を動かすと、僅かに空気の中に雨水の匂いを感じる。だが本当に言われなければ気づかないほど僅かな差だった。常人なら気にも留めないような差――それを彼らは瞬時に判別したというのか。

 

「羌族は匂いに敏感だ。敵が身に付けている鉄や革の匂い、遠くに潜む獲物の匂い、天気や季節を運ぶ風の匂い――僅かな匂いの違いから様々な事を理解する。そうして俺たちは長年生き残ってきた。さて、無駄話はこれくらいにして、俺たちも早く屋根を作るとしよう」

 

 餓何の言葉に従って二人は馬を降りると、積み荷の中から組み立て小屋の部品を取り出し始めた。

 

―――――――――――――――――――

 

 餓何の言葉は正しかった。先ほどまで青々としていた空はいつの間にか雲を張り巡らせ、あっという間に滝のような豪雨を巻き起こした。彼の忠告が無ければ、今頃はサルカンも馬岱も濡れ鼠のようになっていたに違いない。

 

「……まさか本当に天気を言い当てるとはな」組み立て小屋の下で感慨深げにサルカンが呟いた。別段、彼のことを疑っていた訳ではなかったが、その見事な的中ぶりには舌を巻くばかりであった。

 

「ただの慣れさ。長く住んでいれば、誰でも分かるようになる」何のこともないとばかりに餓何が言った。「それよりも今のうちに身体を温めておくといい。雨が上がれば、また夜通し駆ける事になる。明日の朝には平原を抜けて山道に入りたいからな」

 

 軍全体の進行としては既に佳境に入っている。のんびりしている時間はない。

 とは言え、雨によって引き起こされる転倒事故や兵士達の体力低下を加味すれば、適度な休憩は決して悪い手ではなかった。

 

 雨露に打たれる平原を見つめながらサルカンが再び呟いた。「この平原と山道を超えれば、いよいよ馬騰殿が待つ狄道の城だ。やっと彼女を助けることが出来る」

 

「だがそれが一番の問題だ」餓何の表情がわずかに翳った。「知っての通り、城にたどり着くには山岳地帯に挟まれた隘路を越えて行かなければならない。俺たちが到着するまでに味方の軍勢がどれだけ残っているか……」

 

 軍隊のような集団が狄道に向かうには、山岳の合間にある隘路を通るしかない。当然、敵も背後からの攻撃を警戒しており、道中で敵と遭遇する確率はほぼ確実と言ってもいいだろう。そこで苦戦してしまえば、味方の救援はほぼ絶望的である。

 

「おば様なら平気だよ」二人のそばで火に当たっていた馬岱が口を挟んだ。「お姉様の他に鶸も蒼もついてるし、絶対大丈夫だよ。でしょ?」

 

 口調こそ軽かったが、その表情には不安が含まれていた。明るい言葉で喋っているのは、自身を安心させるためかもしれない。

 

「だが急いだ方が良い事に変わりはない」サルカンは頷くと、彼女の隣で火に手をかざした。暖かい炎の感触が手のひらに伝わり、揺らめいた光が身体を照らす。「馬騰殿の所にたどり着くまでにはどうしても時間がかかる。敵の数は聞いたところでも七、八万。いくら精鋭揃いの軍とは言え、それほどの数を相手にいつまでも戦い続けられるとは思えない」

 

 不安を煽るような言い方になってしまったが、それが事実だった。希望的観測は事態の悪化を招き、自身だけでなく周りにまで油断と慢心を与えてしまう。常に最悪の状態を想定して動き、その上で最善を尽くすことが軍が行動する上で重要な事だった。

 

 彼がそう語った直後、まるで休息の終わりを告げるかのように平原を打ち続けていた雨の音が止まった。

 

「……止んだようだな」平原を見渡した餓何が呟いた。鉛色の雲は未だ空を覆っていたが、降りしきる雨はその勢いを完全に消していた。

 

「そのようだな」サルカンは頷いた。「急いで出発の準備をしよう」

 

 小屋から出た彼らは、急拵えの東屋を片付けようとその支柱に手をかけ、そこである物を見つけた。

 

「ちょっと待って。あれ何?」最初に発見した馬岱が驚きの声を上げる。

 

 ぬかるんだ大地と鉛色の空――その中間とも言える場所に奇妙な物体が浮かんでいた。まるで煙が集まった形のそれは、早くも遅くもない速度でこちらに向かって飛んできていた。

 

《囁き編みの霊/whisperknit》 https://imgur.com/a/8HSX8

 

「あれは“囁き編み”だ」餓何が答えた。彼の視線はすでに宙に浮かぶそれに強く注がれていた。「巫師たちが操る精霊の一種だ。馬騰殿が状況を知らせるために送ってきたのだろう。すぐに内容を確かめてくる」そして小屋を飛び出すと、浮かび上がるそれに向かって走っていった。

 

「……ねえ、おじさま。もしこのまま駆けたとして、おばさまの元までどれくらいかかるかな?」遠ざかっていく餓何の背中を見つめながら馬岱が尋ねてきた。

 

「おそらくはあと三日……いや、四日は必要だろう。狄道に続く山道は狭い。俺たちだけなら何の問題もないが、これほどの軍勢を城にまでたどり着かせるとなれば、どう見積もってもある程度の時間が必要だ」

 

 サルカンは荻道の城を出た時の事を思い返した。馬岱と共に駆けた旅路を。あの道を数万以上の軍が通過するとなると、やはり数日の時間が必要だった。

 

「……間に合う、よね?」もう一度馬岱が聞いてきた。それは疑問ではなく願望だった。

 

 正直な所、サルカンにもそれは分からなかった。もしかしたら間に合うかも知れないし、間に合わないかもしれない。それほどまでに状況は微妙だった。

 だが彼には諦めると言う選択肢は存在しなかった。やっとの思いで手に入れた安寧を、家族と認めてくれた人々を目の前で失う訳にはいかなかった。

 

「分からない。だが間に合わせる。必ずな」

 

 彼の言葉を受け取った馬岱は力なく頷き、しばらく無言のまま平原を見つめていた。

 それから僅かに時間が経過し、平原の向こうから餓何が戻ってきた。

 

「馬騰殿はなんと?」言葉を待ちきれず、サルカンが尋ねた。

 

「やはり状況は芳しくないようだ」返ってきた言葉は厳しい現実だった。餓何自身も、それを口にするのを迷っているようだった。「城は未だ落ちていないが、それでも兵士の半数以上は負傷しているらしい。このままでは馬騰殿との合流は叶わないかもしれん……」

 

「そんな……」

 

 愕然とした表情で馬岱が顔を伏せたが、無理もない。彼女にとってその知らせは、まさに最悪の通知に等しかった。

 暗い雰囲気が漂う中、サルカンは考え込むように平原の向こうを眺めていた。まるで大きな決断を迫られているかのように。

 そして意を決したように強い視線を餓何へと向けた。

 

「――もしもだ。もし俺が空を飛べるとしたらどうなる」

 

「……何だと?」餓何が聞き返した。訝しげに眉を顰め、疑問の視線を彼に向ける。

 

 構うことなくサルカンは言葉を続けた。「この平原と山道を上空から飛び越え、真っ直ぐ城まで行けるとしたら、ここからどれくらいの時間がかかる?」

 

「そんな事を聞いてどうなる」

 

「いいから教えてくれ」

 

 彼の強い口調に餓何はしばらく口ごもっていたが、やがて根負けしたように答えた。「……おそらくだが、二日とかかるまい。丸一日もあれば城まで辿り着けるだろう。だがそんな無意味な事を聞いたところで何になる? 空を飛ぶなど絶対に不可能だ」

 

 餓何の反論は正しかった。人間は空を飛ぶ事など出来ない。単独飛行を可能とするアーティファクトや、騎乗できる飛行生物が存在しないこの外史次元では、人間が空を移動することなど土台不可能だ。

 だが彼は一つだけ大きな事実を見落としていた。それはサルカンがただの人間でもなく、この次元の生まれでもない事だ。

 

「できる」サルカンは静かに、だが力強い声で告げた。「俺にはそれが出来る」

 

「何だと? どういうことだ?」

 

「すぐに分かる。それよりお前に一つ頼みがある」彼は馬から外しておいた行軍用の装備を手に取った。「この軍の中で一番大きな鞍と鐙を持ってきてくれ」

 

「それがあれば、馬騰殿を助けられるのか?」

 

「分からない。だが可能性はある」

 

 餓何はその言葉をどう受け取って良いものかと考えていた。空を飛ぶ――そんな馬鹿げた事を大真面目に言い放つ彼を、果たして信用してしまっていいのだろうか?

 だが彼には、自分には分からない特別な何かがある――先日の決闘の中で自分もそれを感じていた。そして彼が何かが上手くいけば、本当に馬騰を助ける事が出来るのではないか?

 

 彼に賭けてみるべきだ――餓何の心は固まった。

 

「……分かった。すぐに用意する」彼はそう返すと踵を返し、再び騎馬隊の中へと消えていった。

 

「おじさま。一体何をするつもりなの?」彼らのやりとりを静かに聞いていた馬岱が尋ねてきた。

 

 小屋の中に保管していた荷物や武器を纏めながらサルカンは言った。「今のうちにお前も自分の荷物を纏めろ。武器や馬に積んでおいた道具も、すべて持ち運べるようにしておくんだ」

 

「え? どういうこと?」

 

 訳が分からないと首を捻る彼女と同時に、餓何が大きな馬具一式を持って戻ってきた。

 

「御所望の馬具だ。持って行け」彼はそう言うと、肩に担いでいた鞍や鐙などの道具を小屋の中に置く。頑丈な素材で作られたそれらは普通の馬に使うものよりも一回り以上大きく、大型動物か大型の馬に騎乗する際に使用するものだと一目で知れた。

 

「助かる」サルカンは軽く礼を告げると、次に自分の服や鎧などを次々に脱ぎ落とし、それらを馬岱へと投げ渡した。「蒲公英、俺の服と荷物をまとめて持っていていくれ」

 

 その行動が理解できない馬岱は受け取りながらも目を白黒させる。「え、ちょっと!? なんでいきなり服なんか脱いでるのさ!?」

 

「すぐに分かる。ところで、俺がどうやって狩りをしているのか、お前はずっと前から知りたがっていたな。今からそれを見せてやろう」

 

 そう言うや否や、彼は大地に蠢くマナを引き寄せると自らの体に駆け巡らせ、その姿を己が最も崇拝する生物へと変貌させた。

 柔らかな人間の筋肉はより強靱な種族のそれへと置きかわり、皮膚の上を強固な鱗が体を覆う。背中からは一対の翼が飛び出すと同時に、喉はサルカンにとって馴染み深い咆哮を自然と轟かせていた。

 

《ドラゴン変化/Form of the Dragon》http://imgur.com/a/oBJfS

 

「え……おじ、さま……?」

 

 変わり果てたサルカンの姿を見ながら、馬岱は驚嘆の声をあげた。彼女の目の前に居るのはもはや人間のサルカンではなく、御伽話や物語の中でしか知る事のない伝説の龍そのものだった。

 傍らに居た餓何や周囲の人々も、サルカンの異形の姿に圧倒され、崇めるような、あるいは恐れ慄くような視線で彼を見上げるばかりである。

 

 つと、龍となったサルカンの首が近くに置かれた馬具を指し示した。そしてそれらを自身の鼻先で軽く押すと、じっと馬岱の目を見つめる。

 

「まさかこの馬具って……」馬岱が信じられないと言わんばかりの顔でサルカンを見つめる。彼女もようやく彼の考えている事が理解できたようだった。「乗れってことだよね!? じゃあ、たんぽぽはおじさまの上に乗って城まで飛んでいくってこと!?」

 

 サルカンは龍の瞳で彼女を見つめ続けた。それは問いに対する無言の肯定に他ならなかった。

 とは言え、まさか自分が馬の代わりに伝説の龍に――それも見知った人間が変身したものに乗るなどと、一体誰が考えただろうか。たとえ彼がプレインズウォーカーであることを知っていたとしても、彼女が狼狽えるのは無理のないことであった。

 

「た、確かに馬よりは早そうだけど、その……乗っても大丈夫なの?」

 

 彼女の不安げな質問にサルカンは軽く鼻を鳴らすと、背中に生えた翼を強く羽ばたかせ、その巨体からは想像もつかないほどの身軽さで空中へと浮かび上がった。

 そして上空を軽く旋回して見せると、再び馬岱の目の前に降り立ち、もう一度彼女の顔をじっと見つめた。

 

「……分かったよ。おばさまやお姉さまの為だもん。たんぽぽも覚悟を決めるよ」そこまで言うと、彼女は大きく息をつき、置かれた馬具を手に取ってサルカンの体にそれを取り付け始めた。

 

「サルカン殿……貴方は一体何者なのだ?」呆然と二人のやりとりを眺めていた餓何が尋ねた。「あなたは自分を遠方から来た流れ者だと言っていた。だがその姿は一体なんだ? この前の炎もそうだが、俺は……何か悪い夢でも見ているのか?」

 

「おじさまはね、別の世界から来たんだよ」喋ることができないサルカンに変わって馬岱が質問に答えた。「長い時間をかけて、色んな世界を旅して、そしてようやくここにやって来たの。自分の居場所を見つけるために」

 

「別の世界……?」意味が理解できないのか、鸚鵡返しに言葉を口にする。

 

「そう。たんぽぽ達が住んでいる所とはまったく別の場所。だけど今のおじさまは大事な家族で、たんぽぽにとって大切な人。だから大丈夫」

 

 そして全てが取り付け終わると、彼女はサルカンの荷物を自分の体に括り付け、そのまま彼の背中に跨った。

 

「できたよおじさま。じゃあ戻ろう。おばさまのところに」

 

 返答の代わりにサルカンは大きな咆哮を響かせると、背中の翼をはためかせ、大空を飛び立っていった。




 お久しぶりです。私生活が忙しすぎて原稿を作っている暇すらありませんでしたが、また少しずつ時間を作ってあげていきます。

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