真・恋姫†無双~未踏世界の物語~   作:ざるそば@きよし

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 討伐軍と馬騰軍――数倍の差があった互いの戦力は異形の存在によって覆り、そして再び逆転した。多くの人間を巻き込んだこの戦いは、未だ終わる気配を見せてはいない。


急報・上

 討伐軍の本陣は驚きと畏怖に包まれていた。理由は言うまでもない。陣の上空を飛び回る二つの巨大な物体のせいだ。

 それらは“生物”と呼ぶにはあまりにも奇妙だった。手足や翼、顔や尻尾といった生物として最低限の形こそ整っているものの、それら全てはまるで水のように淡く透け、身体の中に澄んだ空模様を映し出している。その姿はさながら、大気を切り出して生まれた精霊のようだった。

 

 《幻影のドラゴン》https://imgur.com/a/4oS7S6y

 

「ちょっとちょっと! 何よあれ!」頭上を飛び交う巨影を食い入るように見つめながら、興奮冷めやらぬと言った表情で孫策が喚き立てた。「あれって龍じゃない! しかも二匹も居るなんて! 一体何がどうなってるのよ!?」

 

 孫策の疑問に肩をすくめながら耿鄙が答えた。「あれは幻です。本物じゃありませんよ」

 

「幻? あれが?」信じられないとばかりに彼女は尋ね返す。その二つの碧眼は、あれが幻だと知った今でも驚きと熱情を強く含んでいた。「でもあれからは確かな吐息も羽ばたきも感じるわ。それでも、あれが幻だと?」

 

 耿鄙は再び首肯した。「詳しい説明は省きますが、あれは術の力によって作られた実体のある幻です。他の術に滅法弱いのが欠点ですが、その力は本物と寸分違わぬものですよ」悠然とした答えと共に彼は軽い身振りで幻影たちに上空で待機するように指示を送り、龍たちはそれに従って旋回を始めた。

 

「こんな事が出来るなんて……アンタ、本当に何者なの?」

 

 返答を待つ間、孫策は眼前の男を改めて見据えた。彼は術師であり、失われた力を扱えるのだと先の軍議では教えられた。だがそれだけではないだろう。この男はまだ何か大きな秘密を胸の内に隠している。それが何かまでは分からないが、少なくとも良からぬ類の企てであることはすぐに予想できた。

 

 注意深く己を見つめる孫策に気が付いた耿鄙が、皮肉げな笑みと共に告げた。「私が何者かはそれほど重要な事ではありませんよ」彼の答えはまるで彼女の心の内を見透かしているかのようだった。「それよりも孫策殿には作戦通り、他の方々と合流して敵城に攻め込んでいただきたい。たとえ向こうが例の怪物を出して来ようとも、この二匹が相手ならば以前のようにはいかない筈です」

 

 孫策は一瞬、怪訝な表情を浮かべたが、すぐに自分が置かれている状況を思い出した。現在の自分たちは戦いの最中にあり、たった今こちらの切り札が現れた。その正体にどのような仕掛けがあろうとも、その力が正しく発揮されるのであれば、一将軍に過ぎない自分が仔細を知る必要はない。少なくとも今のところは。

 

「……そうね。そうさせてもらうわ」踵を返して自分の部隊へと戻る寸前、孫策は叩き付けるように告げた。「一つ忠告しておくわ。そうやって何でも知った風な口を聞いてると、そのうち痛い目を見ることになるわよ」

 

 自身へ向けられた警告などまるで無かったかのように耿鄙は鷹揚な笑みを浮かべると、彼女の背中に見送りの言葉を返した。「しっかり肝に銘じておきましょう。ではご武運をお祈りしています」

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 

「な、何なの、あれ……」上空を仰いでいた馬岱が唇を震わせながら呟いた。普段は楽天的な感情で満たされている菫色の双眸も、この時ばかりは恐怖に包まれていた。

 

「あれは実体を持つ幻影だ」旋回する龍たちを一瞥したサルカンが重苦しい口調で答えた。その目にも大きな動揺が宿っていた。「似たような物を前に見たことがある。呪文には弱いが、その力は本物だ」

 

 彼はかつてウギンの目で戦った一人の精神魔道士の事を思い返していた。あの男が操る幻影たちは確かに緻密で鮮やかな動きを繰り出していたが、これほどまで強力なものではなかった。

 

 《ジェイスの幻》https://imgur.com/a/2hSkORA

 

「そんな! あんな怪物に襲われたら、みんなだって無事じゃ済まないよ!」

 

「奴らの本当の狙いはこれだったのか」苦々しげにサルカンが呻いた。無理もなかった。敵ドラゴンの出現は、ようやく見えてきた馬騰軍の勝利を粉々に砕いたも同然だった。「今まで消極的だったのは時間を稼ぐためだったという訳だな」

 

 咄嗟に彼は頭に浮かんだ方策のいくつかを検討した。だがどれもさして有効には思えなかった。たとえ幻影であったとしても、ドラゴンを相手に小手先の戦法が通用する事はない。

 

 しばらく考え込んでいたサルカンだったが、やがて心を決めたように大きく息をつくと、静かに口を開いた。「――蒲公英。お前は急いで城に戻り、この事を馬騰殿に伝えろ。それと、術師がいるようなら出来るだけ城壁に集めておくんだ」

 

 彼の言葉にぎょっとした表情で馬岱が尋ね返す。「おじさまはどうするの?」

 

「俺はお前が城まで戻れるように出来るだけここで時間を稼ぐ」

 

「ダ、ダメだよ! 向こうには龍が二匹も居るんだよ!? おじさま一人で戦ったって、勝てっこないよ!」

 

 サルカンの考えははっきり言って無謀という他なかった。たとえ彼がその身を龍に変えて戦ったとしても、相手は自分と同じドラゴン。加えてここは敵本陣の真っただ中でもある。万が一にでも傷を負って大地に落ちれば、もう命の保証はない。

 

 だが彼は断固として自分の考えを曲げなかった。「他に手はない。いいか。奴らの弱点は呪文だ。これだけは絶対に忘れるな」逆に馬岱にそう言い聞かせると、彼女を元来た森の方へと突き飛ばし、敵本陣に向かって走り出していた。

 

 よろめいた馬岱は遠ざかる背中に向かって必死に制止の声をあげた。「おじさま!」

 

「行け!」

 

 背中から聞こえる声に向かって最期に彼はそう言い放つと、眼前の大地から蠢くマナを呼び起こし、自らの肉体を上空を舞う生物と同じものへと変化させた。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 

 突如出現したドラゴンの幻影に最初は困惑していた討伐軍だったが、やがてそれが味方が用意した切り札だと分かると、低迷させていた士気を一騎に高ぶらせた。当然だ。一度は自陣に壊滅的な被害を与えた怪物が、今度は味方となって敵を踏みつぶすというのだ。兵士たちにとってこれほど心強いものはない。

 もし仮に敵が例の化け物を繰り出したとしても、二匹ならば数で押し切ることが出来る。あれらが上空で敵の怪物を押し留めている間に地上の本体が城を攻め落とせばいい。単純な数式ではあるが、数の有利というのは戦場において絶対的な武器であり、誰の目にも明らかな勝利への近道だ。

 既に狼煙によって進撃の合図を受け取った公孫賛軍と李説軍が、先ほど送り出した孫策軍と共に狄道へと進み始めている。後は後詰めの部隊と上空を押さえる為の幻影を差し向ければ、もうこちらの勝利は揺るがない。

 そう考える耿鄙だったが、唯一の気がかりとなっていたのは、先日自分たちを襲ったあの怪物の事だった。

 あれはどう考えてもこの次元の存在ではない。恐らく敵の中にも別の次元から来た者が――自分とは違うプレインズウォーカーが存在しているに違いなかった。

 もしかしたらその敵は幻影の弱点を知っているかもしれない。もしかしたら敵はそこを的確に突いてくるかもしれない。万が一そうなれば、こちらの勝利は再び揺るぎかねない。

 何か対策を練らなければならない――脳裏で思考を巡らせていたその矢先、出し抜けに彼の背後を刺々しい思考と女の声が捕らえた。

 

「――耿鄙さん」

 

「董卓殿」耿鄙は声の方へと向き直った。持ち主が誰であるかは既に分かり切っていた。「まだ刻限には早いですが、答えは出せましたか?」

 

 董卓は静かに答えた。「はい。ですが答える前に一つ、お聞きしてもいいですか?」

 

 彼は首を縦に振り、続きを促す。

 

 返答を受け取った彼女は己の胸の内を絞り出すかの様にゆっくりと語り始めた。「私はあなたの……かつてのあなたの記憶を視ました。あれほど平和を望んでいたあなたが、あんな形で人々に裏切られた事は、とても悲しい事だと思います。でもだからと言って、こんなやり方で世の中が平和になると本気で思っているんですか?」

 

 彼女の問いかけはまるで澄み切った水のようだった。その心は人々が向ける不躾な悪意にも濁っておらず、また手酷い失望や裏切りにも腐ってはいない。こんな純粋な少女が欲望と陰謀ばかりが渦巻く洛陽に身を置いていること自体、耿鄙にはとても奇妙なことに思えた。

 

 耿鄙はわずかに眉根を寄せ、苛立ちの表情を作った。「私は――俺はただ気が付いただけだ。青臭い理想だけでは何も生み出せはしない。本当に自分の想いを現実にするのは、どんな手を使ってもそれを叶えるという強い意志が必要なのだと。君もそう考えたからここに来た筈だ。俺には人の心が読める。君が俺の前に現れた時点で、その答えを知ることが出来るのだから」

 

「ええ」彼女は歩を進め、耿鄙の目の前まで近づいて来た。「ですが私は、あなたのやり方が正しいとは決して思いません。そんな方法で平和を作り出したとしても、所詮それは偽物。歪で不格好なまやかしでしかありません。それを証明するために、私はあえてあなたに協力します。いつか現れるであろう他の誰かがそれを打ち壊し、本当の平和を作り出すと信じて」

 

 彼女の意図を掴み取った彼は挑戦的な笑みを浮かべた。「面白い。ならこれは一種の勝負と言うわけだ。俺が君の言う所の偽物の平和を作り、人々を幸せに導くことが出来るのか、それとも君が言うように本当の平和を求める誰かが偽りの平和と共に俺を倒すのか、それを見届けようというんだな?」

 

「はい」再び董卓は頷いた。その目には以前見た幼さとは無縁の力強さが宿っていた。「そのためになら、どんな悪に染まる覚悟も出来ています」

 

 彼女の意志の強さに関心の表情を浮かべる耿鄙だったが、その感情は上空から吐き出された咆哮によってかき消される事となった。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ドラゴンとなって飛び出したサルカンだったが、この状況で敵とまともにやり合うつもりは全く無かった。自分の目的はあくまで馬岱が無事に城までたどり着くための時間稼ぎなのだ。敵にある程度の損傷を与え、進軍を妨害できればそれでいい。

 それに幻影とはいえ、二匹のドラゴンを向こうに回して勝利するのは不可能に近い。奴らは呪文を受ければ消え去る身ではあるが、サルカンが放つ呪文はどれも射程が短く、空を自在に飛び回るドラゴンに当てる事など到底不可能だった。加えて呪文を放つには一度人間の姿に戻らなければならず、その間に敵兵に囲まれてしまえばそれこそ一巻の終わりだ。

 本当に最悪の事態に陥った場合は、次元を渡って逃げればいいが、自分の正体を敵のプレインズウォーカーに察知されれば後々大きな問題となるだろう。その気になれば敵はどこまでも追いかけてくる。それこそ次元の壁を越えてまで。完全に自分の息の根を止めるまで。

 故に今のサルカンにとって最善の選択は、一匹の龍となって敵の意識を引きつけ、適当な所でこの場を立ち去る事だった。

 

 本陣を旋回する二匹の龍に向かってありったけの咆哮をぶつけると、気が付いた二匹の幻龍たちは長い首の先を彼の方へと差し向ける。

 更に速度を上げて近寄ったサルカンはそのまま丸太のような己の腕を振り上げると、鋭く尖った龍爪を敵ドラゴンの一方に向かって思い切り振り下ろした。

 

 不意を付かれる形となった敵は彼の攻撃を防ぐ事が出来なかった。振り下ろされた爪は幻影の右腕をずたずたに引き裂き、たちまち役立たずの肉塊へと変貌させた。

 

 突然の襲撃者に幻影たちは一瞬面食らったものの、すぐさまその表情を憤怒に変えると、サルカンに向かって威嚇の咆哮をぶつけた。

 

 ――いいぞ。もっと俺に怒れ。俺を憎め。それだけ時間を稼ぎやすくなる。

 

 龍の身体に残ったわずかな意識の中でサルカンはそう思った。奇襲で敵の闘志を削ぎ、奴らの注意を狄道から自分へと向ける事が勝利への第一条件であり、そしてそれは見事に成功していた。

 

 奇襲に怒り狂ったもう片方のドラゴンは反撃の爪を振り上げると、サルカンに向かって突進を始めた。巨大な身体ゆえにその動きは鈍重に見えるが、実際の速度は驚くほど素早い。実体の無い幻影ならではの速さだった。

 

 振り降ろされた敵の爪をサルカンは腕ごと掴み取ると、逆に敵を目の前まで引き寄せ、その顔面に吐き出した火炎を浴びせかけた。

 鼻っ面に龍火を浴びたドラゴンは目がくらんだように空中でよろめくと、そのまま高度を落としていき、敵軍の一部を巻き込みながら地上で横倒しになる。

 大地でのたくるドラゴンを一瞥したサルカンは今度は自分の鼻先を本陣の外へと向け、それほど早くない速度で本陣を離れ始めた。

 

 ドラゴンの気性や性格はサルカンが一番よく熟知している。襲い掛かった敵を目の前で見逃すほど龍は温厚な生き物ではない。だがそれを逆手に取って急げば追い付ける速度で離れれば、敵を分断させることは十分に可能だ。地上と上空からの挟み撃ちを防ぐためサルカンはあえて奇襲を初撃のみに留め、場を離れる判断を下したのだ。

 

 現に初撃で片腕を失ったもう一方のドラゴンはもがく仲間を一瞥したが、それが死んでいないと分かると、憤怒の表情を浮かべながら離れゆくサルカンの後を追いかけ始めた。

 少し遅れて地上のドラゴンも体勢を立て直し、先行した仲間を追うように追撃を開始する。すべては彼が睨んだ通りの展開だった。

 

 ――せいぜい追いかけて来るがいい。体勢が整うまで俺がいつまでも相手になってやる。

 

 迫り来る敵の気配を背後に感じながら、サルカンは陣から離れた森の上空をひたすらに飛び続けた。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 

 遠くから大勢の喧噪と地響きが聞こえる。敵軍が移動している証拠だ。急がなければならない。何もかもが手遅れになってしまう前に。

 鬱蒼とした森の中を、馬岱は敵から奪い取った馬でがむしゃらに走り抜けていた。

 自分たちの馬ほどではないが、軍用に訓練された馬なだけあってよく訓練されている。薄暗い森の中でも怯えず、器用に立木や茂みを避けながら走ってくれる。これならば移動に余計な時間を取られることはないだろう。

 だが果たして自分は間に合うだろうか? 敵はもう進み始めている。自分が城に到着する頃には激しい戦いが繰り広げられている筈だ。それまでに馬騰や姉が無事に生き続けているという保証はない。

 胸に浮かんだ疑問を馬岱は首を振って否定した。諦めては駄目だ。そのためにサルカンは今も必死になって戦っているのだ。託された自分が弱気になっている訳にはいかない。

 だが地響きと喧噪は時間が進むと共にどんどん小さくなっていく。敵は城へとどんどん近づいている。

 

「絶対に間に合わせなきゃ……間に合わせるんだ……」馬岱はそう小さくひとりごち、馬に速度を上げるよう指示を下した。

 




お久しぶりです。色々あって随分時間が空いてしまいました。
今回短いですが、また出来次第上げていければと思います。

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