真・恋姫†無双~未踏世界の物語~   作:ざるそば@きよし

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 プレインズウォーカーのサルカン・ヴォルは、時を越えた旅の果てに故郷の次元タルキールを龍の墓から楽園へと変えた。それによって精霊龍ウギンは死の運命を免れ、友であったナーセットもまた、別の人生の中で新たにプレインズウォーカーの灯を覚醒させるに至った。

 それから少しの時が経ち、彼は生まれ変わったタルキールを離れ、新たな次元で安寧の日々を過ごしていた。
 龍の存在しない次元“外史”。そこは彼が真に求める世界ではないものの、まさに彼がドラゴンとは別に欲していたもの――安らぎを備えていた。

 だが彼は知ることになる。この世界にもまた、争いの陰が近づいていることを。



龍なき次元にて

 広大な草原に風が吹き抜けた。澄んで乾いたそれは晴天の野を駆け抜け、草花や生物たちに季節の匂いを届ける。もうじき春を迎える涼州の大地は生命の香りに満ち溢れており、新たな実りが芽吹くのを心待ちにしているようだった。※1

 

http://imgur.com/a/uxPba

《平地/Plains》

 

 サルカンはこの次元に吹く風を気に入っていた。穏やかで気ままに走る回るそれはタルキールの荒々しいばかりのものとは違い、彼の心に心地良い安らぎと暖かさをもたらしていた。

 

 彼は乗ってきた馬を下りると、それがどこかへ逃げてしまわないよう念入りに近場の木へと繋ぎ止めた。狩りには少々の時間を要する。今までこの馬が逃げ出すようなことはなかったが、今回もそうでないとは限らない。

 

 戒めが外れないようしっかりと手綱を幹に固定すると、次にサルカンは身につけていた鎧や上着を外し、次々とその場に脱ぎ落とした。

 革鎧や外套はもちろん、短刀やブーツに至るまでその全てを脱ぎ去ると、それを一纏めにして馬と共に置いておく。

 そうして逞しい身体を完全に大気に晒らしたかと思うと、その身体が見る見るうちに変化していった。

 人間だった肉体は分厚い筋肉によって数倍以上に膨れて鱗を生やし、背中からは一対の翼が飛び出した。腕には巨大な鰭が付き、顔に至ってはもはや人のものではなく、完全に龍のそれと化していた。

 変身は滞りなく完了した。そこにはサルカンの姿など微塵も無く、代わりに一頭の巨大な龍が鎮座していた。サルカンが得意とする呪文の一つ、ドラゴン変化である。※2

 

http://imgur.com/a/oBJfS

《ドラゴン変化/Form of the Dragon》

 

 変わり果てた主の姿に馬も恐れて暴れ出すかと思われたが、どうやら彼が龍になるのを見るのはこれが初めてではないらしく、軽く一瞥した後は足下に生えている新芽を秣代わりに食むばかりであった。

 

 なんとも呑気なその姿に呆れたように鼻息を鳴らしたサルカンであったが、やがて背に生やした翼をはためかせると、雲一つない青空へと吸い込まれるように飛び立っていった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 龍となったサルカンは無人の空を存分に駆け抜けた。

 この世界には小さな鳥類を除けば、空を飛ぶ生き物は存在しない。獰猛さと強靭さを兼ね備えたドラゴンもいなければ、群れを成して空を飛び交うエイヴンも、不思議な力で宙に浮かび上がる吸血鬼もいない。この世界において、今のサルカンはまさに空の王者に他ならなかった。

 

 そうして飛び続けること数十分。果たして目的のものを見つけると、サルカンは本物のドラゴンよろしく鋭い咆哮を響かせながら、大地へ向かって急降下を開始した。

 彼の視線の先には十匹程からなる大鹿の群が居た。おそらく新たな食料を求めて近くの山から降りてきた所なのだろう。※3

 

http://imgur.com/a/U3Kqn

《突進する大鹿の群れ/Stampeding Elk Herd》

 

 咆哮と共に襲いかかる狩人に慌てて逃げ出す大鹿だったが、不運にも1匹が岩場に脚を取られ、逃げ遅れてしまった。そしてもちろんそれを見逃すようなサルカンではない。

 遅れた一匹の首筋に丸太のような太さの龍腕が殺到する。鋭いドラゴンの爪は首の根元まで易々と突き刺さり、そのまま体ごと持ち上げると大地に向かって強引に叩きつける。

 相手が人間なら圧倒して余りあるだけの力と巨体を持つ大鹿だが、今のサルカンは自由自在に空を飛び、業火を吐き出すドラゴンそのものであり、両者の力の差は歴然だった。

 やがて力尽きぐったりとなった大鹿を口に咥えると、サルカンは残してきた愛馬の元へ戻るべく、再び大空へと飛び立っていった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 人間の姿に戻ったサルカンは服を身に着けると、そのまま獲物の解体に取り掛かった。

 持ってきた短刀で皮や骨などを丁寧に取り除き、要領良く肉や内臓を切り分ける。今回の獲物はかなりの大物で、持って帰れば一族の人々はきっと大喜びするに違いない。

 

 まるでティムールだな。とサルカンは心の中で笑った。その笑みは嘲笑や皮肉の類ではなく、むしろ心地いい満足の笑みだった。

 

 サルカンがこの次元にたどり着いてもう半年になる。初めは狩りでもしながらゆっくり自分の中の答えを探そうと考えていた彼だったが、巡り合わせに恵まれたのか、今ではこの辺り一帯を支配する馬という一族の世話になっていた。最初こそ彼らもサルカンを警戒していたのだが、今ではすっかり打ち解けていた。

 そして、もし自分が彼らに恩を返す方法があるとすればこれくらいだろうと、サルカンもいつしか山や草原で獲物を狩っては、それを彼らの元へと持ち帰るようになっていた。

 

 獲物の解体もあらかた終わり、切り分けた臓物や肉を馬の荷袋に押し込んでいると、遠くからサルカンを呼ぶ声が聞こえた。

 

「おじさまー!」

 

 振り返ると、草原の向こうから馬に乗った小柄な影がこちらに近づいて来るのが見えた。

 影は次第にはっきりとした映像となり、そして最後には自分の良く知る活発な少女の姿となった。

 彼女の名は馬岱と言って、サルカンが世話になっている一族の長・馬騰の姪に当たる人物だ。人懐っこい性格の彼女はサルカンのような余所者にも分け隔てなく接し、実際彼も、その気さくな振る舞いにすっかり心を開いていた。

 

 やってきた馬岱はサルカンの横にあった獲物の姿を認めると、驚愕と感嘆の声を上げた。「ウソ!? これ大鹿でしょ!? こんな大きい獲物どうやって一人で取ったの!?」

 

「ちょうどいい。馬岱も運ぶのを手伝ってくれ。俺一人では多すぎて運びきれない」

 

 サルカンの言葉を聞いた彼女は不満げにその眉根を寄せた。「もう!たんぽぽの事はたんぽぽでいいって言ったでしょ! 真名を許してるんだから、ちゃんと真名で呼んでよね!」

 

 “真名”というのはこの次元の人々が持つ特別な名前の事だった。本当に心を許した者にのみ呼ぶことを許し、許可なく他の人間がそれを口にすれば斬りかかられても文句は言えないほどの親しみと親愛が籠っているらしい。

 馬岱は一族の中でも真っ先にその名をサルカンに預けてくれた。何か理由があるのかと尋ねてみたが「え? 一緒に住んでるならもう家族みたいなものだもん。それくらい当たり前でしょ?」とあっけらかんと言い放つばかりだった。

 その一件以来、サルカンも馬岱の事については何かと気にかけるようになっていた。

 

「悪かった。それで俺に何の用だ? 急いでたようだが」

 

「あ、そうだ。おばさまにおじさまを呼んで来いって言われたの」そう言う彼女の表情はどこか退屈そうだった。おそらく何かしようとしていた所を運悪く捕まり、役割を言いつけられたに違いなかった。「だから今すぐたんぽぽと一緒にお城まで来て」

 

「俺に?」サルカンは首を傾げた。彼女の指す“おばさま”とは、この隴西郡を統べる女太守・馬騰の事である。もう老年に差し掛かった女性だが、その勇猛さ、人望共にこの地で並ぶ者はいない。その彼女が自分に一体何の用だろうか?

 

「うん。用件は来てから話すって言ってたよ」馬岱は短くそう言うと、乗ってきた自分の馬の荷袋に肉の入った包みを括り付けた。「いいからほら、たんぽぽもお肉持って帰るの手伝ってあげるから、早く行こう」

 

 不可解な馬謄の真意について、サルカンはしばらく考えを巡らせていたが、やがて考えてばかりもいられないと頭を振って思考を振り払うと、獲物の積み込みに再び着手した。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 獲物の解体と積み込みを終えた二人は馬騰のもとへと向かうべく、広大な草原地帯を己の愛馬と共に駆け抜けていた。

 どちらの馬もかなりの荷物を背負っているにも関わらず、走る速度は乗せる前と寸分たりとも変わらない。丁寧かつ苛烈に積まれた訓練の賜物だった。

 

「……ねえおじさま。前から気になってたんだけど、いつもどうやって狩りをしてるの?」揺れる馬の背に跨りながら、馬岱は不思議そうに問いかけた。その視線は声と同様に、サルカンの狩猟に対する疑問に満ちていた。「武器も道具も持ってないのにあんなでっかい獲物が取れるなんて、絶対おかしいよ」

 

 答える代わりにサルカンは渋い笑みを浮かべた。「秘密だ。真似をされたら俺の立場がないからな」

 

 サルカンは自分が別の次元から来たプレインズウォーカーであることも、この世界には存在しない呪文が使えることも他の人間には伏せていた。知る必要のない事をいらずらに教え、あらぬ誤解を招くのは彼の望むところではなかった。

 

「もう! いい加減教えてくれたっていいじゃない!」そんなサルカンの態度が気に食わなかったのか、馬岱は幼い子供のように頬を膨らませて馬の腹を蹴ると、その速度を強めさせた。「そんな意地悪するおじさまなんて知らない! もう置いてっちゃうもんね!」

 

 その言葉を真実にするかのように、馬岱の姿は加速と共にどんどん遠く小さくなっていく。このままではやがて本当に見失ってしまうだろう。

 

「ふむん。どうやらこのままでは置いて行かれるようだぞ?」サルカンは面白そうに自らを乗せる愛馬に向けて言葉を放った。「飛龍よ、俺たちも少し飛ばすとするか?」

 

 飛龍と呼ばれた馬はその名の通り龍のように荒々しく嘶くと、ここからが本番だとばかりに速度を上げ、草原を凄まじい勢いで駆け抜け始めた。

 

 サルカンがこの馬と出会ったのはつい三か月ほど前の事だった。一族の人間ですら手こずる暴れ馬がいると噂が立ったのだ。

 実際その牡馬は荒々しい一族のそれの中でも特に獰猛で、どんな人間を前にしても決して己の背中を預ける事はなかった。

 一族は屈強で逞しい馬を好む傾向にあるが、何事も度が過ぎるものは排斥される。このまま誰も乗せないのであれば軍馬としても労働力としても価値はなく、その馬に残された運命は死だけだった。

 そんな折、サルカンはこの馬と出会った。

 サルカンは一族から馬を預かると、それを誰の目も届かない無人の荒野まで連れて行き、その戒めを解き放って言った。

 

「ここから好きなだけ走ってみろ。俺から逃げ切ることが出来たら、お前は自由だ」

 

 その言葉を聞いた馬は小馬鹿にするように嘶くと、鼻息をサルカンへと吹きつけ、草原の彼方に向かって猛然と走り出した。

 

 馬は誰に遠慮することなく平原を駆け抜けた。無人の大地を走り去り、巨大な岩山を抜け、サルカンや一族のことなど遠い記憶の彼方へと置いていくまでどこまでも走り続けた。

 そして半日ほど駆けた末にようやく息を切らせて立ち止まったその時、突如、頭上から稲妻のような鳴き声と共に巨大な何かが馬の眼前へと舞い下りてきた。

 

 それは馬がかつて一度も見たことのない生物だった。山ほどに大きな躰。背から生やした一対の巨翼。馬など一噛みで食い千切ってしまえそうな鋭い牙と口。紛れもなくそれは、生きる物全てを餌とする頂点捕食者に違いなかった。

 勝てない――馬は生まれて初めて死の恐怖に身を竦め、許しを請うように首を垂れた。

 だがしかし、その巨大な生き物は馬の予想を裏切って自身を襲うことはなく、それ以上に奇怪なことが起こった。

 その姿はみるみる内に小さくなると、なんと自分が遥か向こうの地に捨て去ったはずの男――サルカンへと変わったのだ。

 

「勝負は俺の勝ちだな」困惑する馬を尻目にサルカンは言い放つと馬の顔を一撫でし、有無も言わさずその背中に跨った。「だが俺の龍の姿を見て逃げ出さなかった馬はお前が初めてだ。お前は勇敢な戦士だ。俺はお前を認めよう」

 

 それから馬はサルカンを自分の主と認めた。サルカンはそんな彼の潔さを気に入り「飛龍」の名を与えると、愛馬として接するようになったのだった。

 

 大地を飛ぶように走る飛龍は先程まで小さな点と化していた馬岱の姿を捉えると、見る見るうちにその大きさを豆粒ほどから等身大にまで引き上げ、ついには再び隣に並ばせた。

 

「え!? うそ!?」疾風のように追いついてきたサルカンの姿に馬岱は度肝を抜かれた。「おじさま早すぎ!?」

 

「どうした蒲公英? 俺を置いていくんじゃなかったのか?」そのままサルカンと飛龍は彼女を背に抜き捨てると、更に速度を上げて野を駆けた。「今度は君の方が追いかける番だな」

 

「あ、ちょっと!まってよ!おじさま!」馬岱も慌てて馬に急ぐよう指示を送ると、先を飛ばすサルカンの背中に追い縋った。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 馬謄が治める隴西の街へと二人がたどり着いたのは、草原を駆けはじめてから実に二刻ほど後の事だった。

 空はすでに夕日によって赤く染め抜かれており、街の至る所では酒家や民家が夕餉の煙を窓や隙間から吐き出している。それに伴って街の人々もまた、夕暮れ時ならではの活気を見せていた。

 門番たちに迎えられながら街の中に入ると、街の人々はこぞって二人に声をかけ、手を振り、暖かい歓迎の情を示した。

 

「お、サルカンの旦那。今日の狩りも相変わらず盛況みたいだねぇ! うちも一つあやかりたいもんだよ」

「へぇー! 今度の獲物は大鹿かい! そいつの角と毛皮なら俺ん所で引き取るから、明日にでも寄っておくれよな!」

「サルカンさん。昨日お肉に合う香辛料をたっぷり仕入れたんです。よかったらどうですか?」

「馬岱ちゃん。西国の新しい服が手に入ったんだけど、ちょいと試着だけでもしてみないかい?」

「二人ともおなか空いてるならうちの新作点心、食べてっとくれよぉ。今日の特に自信作なんだよぉ!」

 

 姿を見かけるなり次々と駆け寄り、声をかけてくる人たちをどうにかなだめながら、二人は城下町の中を少しずつ進んでいく。

 

「えへへ。おじさまもすっかり街の人気者だね」嬉しげに笑顔と共に茶化すような口調で馬岱が言った。

 

「……こういう事にはまだ慣れない」逆にサルカンは戸惑ったような声を挙げ、多少の気疲れを顔に見せていた。「なぜ皆は、俺にこんなにも親切にしてくれるんだ?」

 

「みんなおじさまの事が好きだからだよ」馬岱の笑顔が馬上で揺れた。「おじさまって、いっつもどこか寂しそうな顔してるんだもん。みんなどうしても気になっちゃうんだよ」

 

「好き、か……」サルカンは口の中でむずがっていた言葉を小さく吐いた。「そういう感情を向けられるのは、ここに来てからが初めてだ」

 

 こんなにも純粋で熱心な好意を他人から受けたのは、サルカンの短くない人生の中でも初めての事だった。かつてマルドゥの戦士やジャンドの人間たちが自分に尊敬の念を向ける事はあったが、それは同じ戦士としての憧憬、あるいは強大な力への畏怖から来るものに過ぎなかった。

 過去に唯一、今は無き故郷の世界でそれに近いものを向けられたことはあったが、思えばあれも自分への純粋な知的好奇心から来るものに過ぎないような気がしてならなかった。

 

「おじさま? どうしたの?」いつの間にか、馬岱が横合いからサルカンの顔をのぞき込んでいた。「大丈夫? なにか考え事?」

 

 サルカンは僅かな間、その顔を見つめた。

 彼女や街の人々と接していると、どこか心の中が暖たたかく満たされる感じがした。果たしてこの感情こそが、自分に足りていなかった“何か”なのだろうか?

 そうかもしれないという思いはあったが、確信は未だに持てなかった。

 

「……いや、何でもない」サルカンは飛沫を払うようにかぶりを振ると、飛龍に脚を早めさせた。「馬騰殿が待ってる。急ごう」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 街の中央に位置する城へとたどり着いたサルカンと馬岱は、馬と獲物を出迎えの者に任せると足早に馬騰が待つ私室へと足先を向けた。

 彼女の私室は城の離宮にあり、世話係の人間以外は呼ばれない限り入ることはない――そんな場所に呼び出して、彼女は自分に一体何を話すつもりなのか?

 そんな風に考えている内に、二人は当の本人が待つ部屋の前へとたどり着いた。

 

「おばさま、連れてきたよ」言いながら馬岱が部屋の扉を開けて中に入った。サルカンも一拍遅れてそれに続いて入っていく。

 

「おお。ご苦労だったね蒲公英」部屋の椅子に腰掛けていた老女――馬騰は立ち上がると、暖かい抱擁でもって二人を出迎えた。彼女の隣には次期族長と目されている娘の馬超の姿もあった。

 

「あれ? お姉さまも居るの?」思わぬ人物の存在に馬岱がやや意外そうな顔をした。

 

 その言葉に馬超はどこか居心地の悪そうな表情を返した。「なんだよ。あたしが居ちゃ悪いのか?」

 

「別に? ただそんな顔して座ってるのが珍しいなあって思っただけだよ」売り言葉に買い言葉という感じで、馬岱が軽口を返す。

 

 言い合う二人を馬騰が制した。「ほら無駄話はいいから。とりあえず二人とも、そこに座んな」

 

 促されるままにサルカンと馬岱は席に着くと馬謄はすぐさま下女を呼びつけ、全員の前に暖かい茶を差し出させた。

 

 仄かに湯気の立つそれを一口含んだ後、さもなんでもないという顔つきで馬騰はサルカンへと語り始めた。「お前さんがうちに来て、もうどれくらいになったかねぇ。ここの暮らしには慣れたかい?」

 

「それについては本当に感謝しています。馬騰殿」サルカンは深々と頭を下げた。それは純粋な気持ちの現れだった。「俺のようなはぐれ者を置いて下さるだけでなく、こうして住む場所まで面倒を見ていただけるとは」

 

 馬騰は軽く手を振った。「あたしが好きで面倒を見てるだけさ。でもまあ、そう思ってくれてるんなら都合がいいさね。実はお前さんに一つやってもらいたいことがあるんだよ」

 

「やってもらいたい事……ですか?」鸚鵡返しにサルカンは言葉を返した。その顔にはやはり疑問の表情が張り付いていた。

 

 そんなサルカンの態度を見透かしたように馬騰は言葉を続けた。「そんなに怪しむこたぁないよ。ただちょいと使いを頼まれて欲しいってだけさ」そして懐から封印のされた一枚の紙を取り出すと、それをサルカンへと差し出した。「この手紙をうちの親戚の元に届けて欲しいんだが、引き受けてくれるかい?」

 

 サルカンは困惑した。身内への手紙をわざわざ自分のような余所者に頼む意味が分からなかった。仮にそれが公的な内容であれ私的な内容であれ、もっと信頼された者に預けるべきだ。

 咄嗟にサルカンは彼女の隣に座っていた馬超の顔を探り見た。この手紙に一体どんな意味があるのか、少しでも知りたかったからだ。

 だが彼女は気むずかしい顔で静かに自分の顔を見つめ返すばかりで、サルカンに何の情報も読み取る事も許しはしなかった。

 

 仕方なくサルカンは言葉でそれを語る事にした。「……なぜ俺にそんなことを? 俺のような余所者にこんな重要な物を預けずとも、そちらの馬超殿や蒲公英に頼まれた方がよほど良いのではないですか?」

 

「だからこそさ」馬騰は言い聞かせるように言った。「これはお前さんを一族の一員として迎え入れるためのちょっとした試練みたいなもんさ。これをきちんと届けられるほど信用できるなら、お前さんも立派な仲間さ。いつまでも居候の余所者扱いじゃあ、何かと居心地が悪いだろう?」

 

 彼女たちの自分への待遇は余所者へのそれとは思えないほど丁寧であり、サルカンには不満など何一つなかったのだが、彼はあえて何も言わなかった。

 

 その反応を肯定と見たのか、馬謄はサルカンに手紙を強引に持たせて言った。「心配するこたぁない。道案内にはそこの蒲公英をつける。二人なら何の問題もないだろう? せいぜいのんびり行って、向こうの旨いものでもご馳走になってきな」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「旅出ちの為の英気を養う」という名目で、その日の夕食は特に豪華なものが用意された。サルカンが獲った大鹿の肉は言うに及ばず、果ては西方から持ち込まれたと言う葡萄酒までもが豪勢に振る舞われ、城の中はまるで宴のように華やかに盛り上がった。

 サルカンも馬岱も出されたそれらを一通り堪能したものの、やがて飲み食いしてばかりもいられないと席を立ち、旅立ちの準備に取りかかるべく食堂を後にした。

 

「なんか変な話だったね。急に呼びつけたと思ったら、お使いに行ってこいなんてさ」城の廊下をサルカンと共に歩いていた馬岱が、疑問の表情を張り付けながら言った。彼女もどうやらこの話の奇妙さを気にしているようだった。「しかも羌の大王様の所だなんて、絶対何かあるんだよ」

 

「蒲公英、その羌というのは?」サルカンが聞き返した。その言葉は彼にとって初めて聞く単語だった。

 

「あ、そっか。おじさまは知らないんだっけ」サルカンの疑問に気づいた馬岱が答えた。「羌っていうのはね、ここからずっと西に行った所に住んでる漢人とは違う部族のことだよ」

 

「おばさまはその羌族と漢人との間に生まれた子供なの。だから昔は部族の集まりにも顔を出してたんだよ。体を悪くしちゃった今は、お姉さまが代理で行ってるんだけどね」そこまで言うと、馬岱は首を傾げた。「でも急におじさまを使いに行かせるなんて、本当にどういうつもりなんだろう?」

 

「……馬騰殿にも何か考えがあるんだろう。どんな意図があるにせよ、引き受けたからには行くだけだ」

 

「それはそうだけどさぁ……あ、そうだ」不意に馬岱が、愉快な悪戯を思いついた子供のような顔でサルカンに囁いた。「ねえ、さっき預かったおばさまの手紙。なんて書いてあるのか、こっそり見てみようよ」

 

 その提案に一瞬サルカンの心はぐらついた。確かにそうすれば、胸に抱いた多くの疑問は氷解するだろう。だがそれは、馬騰が自分に預けた信用とこれまでの好意を全て無に返す行いであり、恩義に背く行為だった。

 

 サルカンは首を横に振ると、強い口調で彼女を諫めた。「だめだ。あれは俺が責任と信用を持って預かったものだ。途中で開いて誰かに見せるつもりはない」

 

「えー、いいじゃん。ばれなきゃ平気だってば」

 

「だめだ」これ以上彼女の気まぐれな誘惑に乗らないためにも、サルカンはあえて強い口調で言った。「この話は終わりだ。そんな事は二度と言うな」

 

「ちぇー……分かったよ」下唇を突き出し、不貞腐れながらも馬岱は頷いた。

 

「それより蒲公英、羌の土地まではどれくらいかかる?」

 

「うーん。ここからだと結構あるかなぁ。馬で行ってもだいたい十日くらいはかかると思うよ」

 

「なら明日の朝にはここを出る。蒲公英も今夜の内に準備をしておいてくれ」

 

 サルカンの言葉に頷くと、馬岱はそのまま自分の部屋を目指して廊下の向こう側へと消えていく。

 彼女が消えたのを確認してから、サルカンも旅の支度をするべく、自分の部屋へと歩いて行った。

 




※1 平地/Plains 基本セット2014

※2 ドラゴン変化/Form of the Dragon From the Vault:Dragons

※3 突進する大鹿の群れ/Stampeding Elk Herd タルキール龍紀伝

今回、大幅に文章を加筆修正しましたので、新しく投稿する形にしました。ご了承ください。

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