夜は未だその姿を隠してはいなかった。静寂と同居するようにある夜の争いなど、一般市民は知るよしもなく。夜は平等にその暗がりを人々に与えていた。
蒼い装いをした男、ランサーは自らがマスターの元へと戻らんとその夜を駆けていた。戦闘をひとまず終えた彼だが、その内心は晴れやかさや爽快感とはかけ離れていた。
ケルト神話より語られる勇士の中の勇士、クー・フーリンである彼は、今回の聖杯戦争に闘いを求めて召喚された。しかし、今に至るまでその目的は十全には叶えられていない。純粋なる闘争の熱さと、本能のままに動くある種の快感を求める彼は、それとは裏腹にいつも策略の隣にあった。それは死後となる此度も変わることは無かったようだ。
自分を召喚したマスターは今のマスターに殺され、更にそのマスターには、『全てのサーヴァントと闘え、されどとどめを刺すな』と訳の分からない命令を令呪で従わせられた。挙げ句の果てには、目的としていた闘いにまでケチが付いた。彼に訪れる事柄は全て悪く働いていた。
けれども歴戦の英雄である彼は、その不満と仕事とを混同することはしない。何故ならそれが己のプライドでもあるからだ。そんな誇り高き戦士は滞りを持ちながらも今宵は己がマスターの元へと、報告に向かっていたのだ。
しかし、そんな彼は見てしまった。そして『好敵手』としてソレを捉えてしまったのだ。
夜の街を駆ける中、ふと視界に入ったのは三人の人影。1人は青年、1人は少女、____そして1人は女騎士。
彼は血がたぎるのがわかった。彼は自らの瞳孔が開くのがわかった。
召喚に応じて永らく得ることの出来なかった闘争の感覚。この女ならばそれを感じさせてくれるだろうという確信が、彼にはあった。
しかし、今宵は既に己が朱槍の真名を開放している。本来ならばこれ以上の闘いは避けるべきだ。だが、既に自身の眼はその女を相手として捉えていた。そしてこのクランの猛犬とも呼ばれる彼は、捉えた獲物を逃すほど甘くもなかった。
もし、召喚されてから1度でもまともな戦闘を行えていたならば、その昂りを抑えられただろう。もし、令呪による後押しが無ければその興奮を鎮められただろう。しかし、それはたらればの話。
結果、いくつもの要因が重なったことにより、今宵の冬木にもう一つ闘争が起きることとなった。
さあ、そこに獲物はいる。男は、英霊は、その槍を伴って今、闘いを始めんと彼等の前に姿を現した。
♢
学校で発生していた戦闘が終結した。その報告をセイバーから受けた士郎。彼等は目立つことを避け、できる限りの最高の速度で学校に向かっていた。しかし、学校まで残り数分というところでその事実を耳にすることになった。
「準備に時間を掛け過ぎたのが失敗だったか……」
「いいえ、私たちは最善の行動をしました。時間を優先していればマスターの身の安全が確保できませんでした。故にこれは致し方ないことかと。」
士郎は思わず拳に力を入れた。そう、最善の行動をした結果であったとしても、敵の姿を確認できなかったのはとても大きい損失なのだ。
「……でも、敵の姿……わからない。学校……危険。」
「ええ、貴女の言う通りです。今回の戦闘において、最も重要な点は学び舎でそれが起きたことです。」
二人は頷いた。何故、起きた場所が重要なのか。聖杯戦争のしくみ上、戦闘が起きる原因は限られてくる。
散策していた陣営同士が出会う場合、敵の工房へ攻めに行く場合、そして待ち構えていた敵と遭遇する場合だ。
「……学校で鉢合わせ……普通、あり得ない。」
「ああ、きっとどちらからのマスターは学校の関係者、それか学校にマスターがいることを知っている奴だ。」
もちろんのことだが、学校に縁のあるマスターはいる。そう、遠坂凛だ。しかし彼女が無断で、ましてやこんなあからさまな方法を取るとも思えない。そう士郎は考えた。
「……正体を知らないままは……学校、危険。」
明日以降、敵がいるのを知っているにも関わらず学校に登校するのはとても危険だ。そして、敵の姿を知らないとなれば尚更のことだ。
「明日からどうするか、また考え直しだ。」
結論としては学校は危険。士郎たちにはそれしか分からなかった。彼らは少し落ちた気分のまま、帰路に着くこととなる。
____しかし、運が良いのか悪いのか、その不安は解消されることとなった。
最初に気付いたのはセイバーだった。
「ッ!!マスター!私の後ろに下がってください!!」
頭上から来る飛来物。それは音速を超えていた。音を置き去りにするそれをセイバーは剣で受け止めた。
「ッぐ、ハァ!」
魔力放出。セイバーは己がマスターから敵を引き離すために、馬力を上げる。不可視の剣を振り切り前方へ弾いた敵は、平然とその勢いを殺しその姿を見せた。
「____よう、突然ですまなかったな。少し気が立ってたのもあるが、目の前にアンタみたいなのがいて、思わず手が出ちまった。」
朱色の槍を持った青い外装の男。セイバーはもちろん、二人にもそれが人間ではないことが理解できた。
「セイバー!大丈夫か!」
「はい、私は問題ありません。それよりもマスター、敵のサーヴァントです。貴方達はもっと後ろへ!」
セイバーは己の直感が警報を鳴らしているのを感じた。目の前にいる相手は、一流のサーヴァントだ。二人を狙われ守れる自信はない。
「あぁ、安心しな。後ろの二人を狙うつもりはない。目的はあくまでお前だ、セイバーのサーヴァント……!」
セイバーの視線から察したのか、ランサーはそう答えた。しかし、その眼光と好戦的な雰囲気はとても安心できるものではない。
「そう言う貴方は、ランサーのサーヴァントか。一つ聞きたい、先程学び舎で戦闘を行っていたのは貴方か。」
「そうだ、だがさっきのは興醒めだった。あんなのは俺が求めてたものじゃねえ。しかしアンタは違うだろ?セイバー!!」
ランサーのタガは既に外れていた。質問に答えるや否や懐へと潜り込みその槍を突き出す。
「ッッ!問答無用か!!」
打ち合いが始まる。槍と不可視の剣。見世物というには余りに激し過ぎるそれは、甲高い金属音を打ち鳴らし、辺りに共鳴音を響かせる。
「……あれが英雄同士の闘い。とても俺じゃ太刀打ちできない……!」
突き、振り払い、振り下ろし、そしてまた突く。ランサーの繰り出す槍撃の数々は、セイバーを縫い付ける様に防御に徹しさせていた。その光景に驚き隠せない士郎。
そう、これが英霊。歴史に名を刻む者たちの闘争なのである。
「ッ、セイバー!!」
槍と剣がお互いを弾き、二人の間に距離が生まれる。それはランサーの槍は届いてもセイバーの剣は届かぬ距離。ランサーはこのタイミングを逃さなかった。
「へっ!これだけ打ち合えばその得物の長さ程度、測ること造作もなし!」
渾身の突きが、セイバーに向けて放たれる。日常では決して目にすることのない、正に異次元の速さを伴って、その切っ尖は寸分の狂いもなく体の中心に向かっていった。
「ーーーーはあぁぁ!!」
風、はたまた台風か。轟音を引き連れてセイバーの剣が、槍の芯を捉える。半端な威力では防げなかっただろう突きを、その風は見事に弾き飛ばした。
「……不可視の剣の正体は風か。空気の膜で光を屈折させてるわけか。面白い、一体お前は何処の英霊なのか余計に気になってきやがった。」
「…………」
確かに、セイバーは己の剣の正体を露見させる行動を取った。しかし、その一瞬で不可視のタネをランサーは見抜いたのだ。セイバーは警戒のランクをまた一つ上げる。
距離を置き、再び視線が交差する。弾き飛ばされた筈の朱槍はいつの間にかその手に戻っており、矛先はセイバーへと向いている。
「相手……次、仕掛けてくる。」
さやが何かを察した。それは、セイバーも承知のようで剣を構え直す。
「……チッ、都合のいいことばかり言うマスターだぜ。」
ランサーが何かを呟いた。
そして、魔力が爆発的に高まる。槍はより真紅に染まり、凶々しい雰囲気を纏う。死を纏う茨の棘が、その本領を発揮する。意味を違うことなき必殺の槍術が放たれようとしていた。
「あれは……」
思わず、士郎の口から声が漏れる。
「マスター!!宝具が来ます、離れてください!!」
その魔力の高まりに、セイバーは臆することなく構えを取る。しかし、かの槍に対し正面に立つのは悪手だ。間合いに入ってしまえば最期、間違いなく心臓を貫かれることであろう。
それを知る由もないセイバーの行動に、ランサーは笑みを浮かべた。
「……士郎、あれ、多分いける。」
「……………わかった、行こう。」
交わされるは、確認のための短い会話。二人の意思はもう固まっていた。
一度放たれれば避けることなど不可能な槍。ランサーは自らの実力に絶対的な自信を持っていた。事実、それは過信でも慢心でもない。
ーーーだが、今日の彼は圧倒的にあるものがある欠けていた。
『
瞬間、因果の法則が逆転する。既にセイバーの心臓へ既に当たっている槍は、当たっているのだから心臓へ向かう。それに加え彼は最速のサーヴァントであるランサーだ。その動きの速さにセイバーの反応がコンマ数秒遅れる。
まずい、やられる。セイバーは向かってくる槍を前に死を感じた。直感が言っている、これを逸らさねば死ぬと。
「ーーーー無駄だ、コイツからは逃げられねぇよ。」
まるで、心臓へ向かうのが自然であるかの様に、槍の切っ先はセイバーに向かう。そう、ランサーが言うようにどうあがいてもコレは胸に突き刺さるのだ。
ーーーーーーこの身は鞘でできている
声が響いた。
「セイバー!!今だ!!」
「ッ!?っはい、恩に着ます!」
セイバーがランサーの身体を吹き飛ばす。セイバーの身体は無傷であった。
「づぁあ!!?」
咄嗟に受け身を取ったものの、ランサーは地面に叩きつけられコンクリートを削りながら轟音を立てる。
崩れた体勢、理解できぬ状況。これほどの隙は戦いにおいて他にあるまい。勿論それを逃す者が英霊になれる筈もなく、セイバーは追撃の一歩を既に踏み出していた。
「はぁああ!!」
不可視の剣が真っ直ぐにランサーへ向かう。剣が描くは最短の軌道。そう、突きである。
「ったく、ランサーにも関わらず
面白くも無い洒落を言いながら悪態を吐く。
ーーーーーー剣がなにかにぶつかった。しかしセイバーの洗練された突きの前に、多少の障壁は意味を成さない。故に、それは瞬時に破壊されるーーーが、ランサーが体勢を立て直すには十分な時間を稼いだ。
セイバーの渾身の突きはランサーの顔を掠めたものの、傷を負わせるまでには至らなかった。
「……今のはルーンの魔術。ランサー、貴方は魔術師でもあったのですか。」
そう、あの瞬間にランサーが貼った結界は魔術によるものだ。彼は、懐より取り出したルーンを刻んだ石を使って障壁を張ったのである。
「もう、真名は割れてるだろうから言うが、ケルトの戦士は一芸じゃ成り立たねぇんだよ。槍に剣に弓に魔術に素手。ひと通り使えずに戦場で生きのころうなんざ、到底無理な話だ。」
己が肉体一つで戦場を駆けた彼は、例え槍が無くとも英雄なのかもしれない。ーーーーーーいや、この場を見るに例えという表現は正しくない。
「まぁ、だが今は俺の話は正直どうでも良い。なぁ、その嬢ちゃん。
ランサーの手には己が半身とも言うべき槍が存在していなかった。
あの一瞬、確かに真名を解放された朱槍はセイバーの心の臓に向かっていた。しかし、そこに飛び込んでくる影が一つ。その正体は、生身の人間であるさやだった。
本来なら槍はさやの身体を貫き、なおもセイバーへと向かう筈だった。だが、驚くことに槍はさやの体に触れるとたちまち消えていった。そう、槍は本当に無くなったのだ。
「
宣言するさやが指すのは胸。
「私は、鞘。この身は鞘できている。」
ランサーはいよいよ、絶句した。そして、その事実と今宵の自らの運の無さに、段々と笑いまで込み上げてくる。
槍は、鞘に収められたのだ。それが正しい事実だった。
ランサーの幸運Eを最大限に表現したかった。