王子と姫と白い仔猫   作:ほしな まつり

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王子と姫と白い仔猫・10

離宮の正面玄関にはガヤムマイツェン王国の紋章が入った二頭立ての箱馬車と護衛の従者が乗る馬達が出立の時を待っていた。

その馬車の前に立つキリトを見送ろうとリズを始めとして手の空いている侍女や侍従が大勢集まっている。

離宮滞在中に王子、王女だけでなく、その従者達も親交を深めたようで、キリトの後方では別々の王家に仕える者達が別れの言葉を交わし合っていた。

そんな様子を嬉しく思いながらリズと喋っていたキリトが屋敷内に視線を移し、問いかける。

 

「リズ、アスナは?」

「んー、もう来ると思うわ」

 

そのリズの言葉通り、エントランスの奥から侍女に手を引かれたアスナがやってきた。

侍女の斜め後ろを俯きながら歩いてくる様子はいつものシャンッと背筋を伸ばし、前を見て真っ直ぐ歩くアスナの姿とかけ離れていて、思わず心配そうにキリトが駆け寄る。

そっとアスナと繋いでいる手を離してキリトに一礼をしたのは、昨晩、彼女の世話をしていた侍女だった。

 

「お待たせして申し訳ありません。キリトゥルムライン殿下をお見送りするのに姫様のお支度が少々手間取りまして」

 

その言葉にキリトが「意味がわかんないんだけど?」と言う顔で侍女を見ると、彼女は困ったような笑顔でアスナに視線を移す。

見送る側が何の支度をするというのだろう?、それとも深夜にこっそり寝顔を見に行った時はそれほど体調が悪そうには思わなかったが、あれから熱が上がって一人で歩くのも大変な状態なのだろうか?、と不安になったキリトは未だ俯いたままの彼女の両手を自分の手に取って、気遣うように「アスナ?」と名を呼ぶ。

触れた手から平常値以上の体温は感じなかったが、顔を上げないアスナに再び「大丈夫か?」と問いかければ、やっと目の前の少女がゆっくりと視線をキリトに合わせた。

その顔は……どう見ても今さっきまで泣きじゃくっていたのを無理矢理抑え込んできたような状態で、キリトが驚いて目をまん丸くしていると「コホン」と侍女が軽く咳払いをしてから説明を始める。

 

「キリトゥルムライン殿下とお別れするのがよほどお辛いようで……」

「サタラっ」

 

途端にアスナが隣に立つ侍女に顔を向けて焦り声で名前を口にした。

 

「先程から涙が一向に止まらず……」

「違うってば」

 

必死な形相にキリトが堪らず「ププッ」笑うと気恥ずかしそうにアスナがキリトに向き直り、もう一度「違うのに」と重ねる。

体調が悪いのではないとわかり、キリトが安堵と同時に嬉しさの息を落とす。

 

「アスナ……鼻、赤くなってる」

「ううっ……突然たくさんくしゃみが出たの」

「そっか」

「ひゃっ」

 

アスナの鼻の頭にキリトがキスをした。

 

「それに、目元も……随分こすっただろ」

「目にっ、目にゴミが入ったんだもん」

「ふーん」

「ひゃぁっ」

 

未だ涙の滲んでいる両方の目元に口づけると、きつく瞳を閉じたアスナの目尻から僅かに残っていた涙が押し出されて、それをぺろり、とキリトが舐め取る。

侍女や侍従達からの視線を一身に浴びて逃げ出したいアスナだったが、両手をしっかりとキリトに握られているため首をすくめることしか出来ない。

そのまま瞳を固く閉じているとすぐ耳元から小さな声で「ごめん、アスナ」とキリトの声が聞こえ、驚いて目を見開けばちょっと悲しそうなキリトの顔が目の前にあった。

 

「本当はちゃんと治るまで傍にいたかったけど」

 

その言葉に慌ててアスナが首を横に振る。

 

「いいの、私なら大丈夫よ。もうお熱だってあまり上がらなくなったし。きっともう少しで私も王宮に戻れるわ。だから平気」

 

アスナが話している間、なぜか益々悲しそうな顔になっていくキリトを見て「どうしたの?、キリトくん」と問いかけると、コツンとキリトがアスナとおでこを合わせた。

 

「あんまり大丈夫とか、平気って言うなよ」

「なんで?、本当に平気よ」

「なら……アスナはこれからオレにずっと会えなくても、平気?」

「っ……」

 

出てこない言葉の代わりに、じわじわと瞳から涙がにじみ出る。

 

「……へっ……平気……じゃない……」

「アスナ」

「また……会いに……来て……くれる?」

「アスナが望んでくれるなら」

「お、お願い、キリトくん……また、会いにきて」

「うん、必ず行く……アスナ、王宮でも一人で頑張らないで、そうやってリズや侍女達にもお願いしろよ」

「わ……かった」

 

安心したキリトがアスナのおでこから離れれば、再びあふれ出したアスナの涙に横からハンカチを押し当てる侍女がにこり、と微笑んでキリトに頭を下げた。

それから繋がっているアスナの両手をキュッと握ってキリトは黒い瞳を輝かせる。

 

「アスナ、オレ、一人で馬に乗れるようになる」

 

誓いめいた言い方に鼻をすすりながらアスナが首を傾げると、キリトは「今だっていちを乗れるんだけどさ」と前置きをしてから自分の考えを披露した。

 

「もっとちゃんと馬を扱えるようになれば馬車より早く移動できるし。そうすればユークリネの王宮までだって、すぐに行かれるだろ」

 

その発言に後方のガヤムマイツェン王国の従者達はギョッとした表情になったが、当のキリトとアスナは満面の笑みでうなずき合っている。

キリトは笑顔になったアスナのおでこに再び自分の額を押し当てると、周囲には聞こえないようそっと囁いた。

 

「だから……あの約束、ちゃんと守れよ」

「うん」

「辛くなったらオレを呼ぶこと」

「うん」

「その代わり、オレもアスナのこと、あてにしてるから」

「うんっ」

 

未だ瞳に涙を滲ませながら、精一杯の笑顔で頷くアスナの柔らかい頬に少し長めのキスをしたキリトはパッ、と顔を上げると彼女の手を離し「じゃあな」と笑ってアスナに背を向ける。

早足で馬車まで戻ってくるとパタパタという小さな足音が背後から近づいてきてピタリ、と止まり「キリトゥルムラインさま」と鈴を転がすような声がした。

従者に手を取られ、まさに馬車に乗り込もうとしていたキリトが驚いて振り返るとドレスの両端をつまんだアスナが深々と頭を下げてからふわりと微笑む。

 

「今回は本当に有り難うございました。ガヤムマイツェン国王様にもアスリューシナが御礼を申し上げていたとお伝え下さい。ま……また、お会いできる日を心からお待ちしております」

 

キリトは従者の手を押し戻すとアスナと正面から向き合い、同様に「アスリューシナ姫」と名を呼んだ。

 

「くれぐれも身体には気をつけて。オレも次に会える日を楽しみにしている」

 

互いに見つめ合ったのは一瞬で、すぐさまキリトが馬車に乗り込めば従者達がそれぞれの配置に着いた。

馬車の小窓からキリトがアスナに目をやると、安心させるように笑顔で応じる。

ほどなくして馬車が動きだし、離宮の従者や侍女達が頭を下げている中、アスナだけはその姿がかすむまで馬車を見送り続けた。

 

 

 

 

 

それからキリトは宣言通りに度々ユークリネ王国の王宮にいるアスナの元を馬で訪れるようになる。

王宮の門番にはすっかり顔を覚えられてしまい、身分を明かさなくても「ようこそいらっしゃいました」と出迎えられる始末だ。

いつだったか、あまりに簡単にアスナの元まで案内されたキリトは王女の警護について不安を口にしたが、たまたま同席していたリズがふふっ、と意味ありげな笑みを浮かべて「問題ないわ」と言い切った。

 

「王宮を担当してるのは魔術士長よ。怪しいヤツは入れない仕組みになってるの」

 

その時、リズの瞳がやけに怪しく輝いたのでその仕組みについては深く聞かない方がいいんだろうな、と背筋を走ったゾクゾクに従ってキリトは納得する。

そうしてその後もキリトはアスナの「会いに来て」という願いと、自らの「会いたい」という願いを叶えを続けたのだった。

 

 

 

 

 

 




お読みいただき、有り難うございました。
これで「ちびイチャ編」(!?)は終わりです。
こんな感じで六歳の頃からアスナ姫を溺愛するキリト王子って……
どうなんでしょう?

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