王子と姫と白い仔猫   作:ほしな まつり

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王子と姫と白い仔猫・12

ユークリネ王宮への道すがら、樹枝の上の真っ白な仔猫を助けるべく伸ばした手は毛並みに触れるより先にそのフワフワが丸ごと勢いよく降ってきてキリトは思わず叫声をあげた。

 

「ふがゃっ!」

 

仔猫は差し出されたキリトの手を華麗にスルーしてその先の顔にぴょっん、と飛び移ったのだ。

 

「うわっ、うわっ」

「みゅぅぅぅっ」

 

いきなり顔面を覆った白い柔らかな毛並みにパニクったキリトは仔猫を引き離そうともがくが、自分が暴れれば暴れるほど仔猫が振り落とされまいとしがみついてくるので、一旦、深呼吸をして仔猫を顔に張り付けたまま自分を落ち着かせる。

キリトを乗せている馬は長旅の疲れからか背中の上の主人と仔猫のじゃれ合いには無関心を決め込んでいた。

「ふぅっ」と息を吐いてからそっと仔猫の柔らかな脇の下に手を差し入れる。

 

「お前を置いていったりしないから、ちょっと顔からどいてくれよ」

 

仔猫のうぶ毛が口に入らないようもごもごと話しかけてから抱いた手に力を入れると、あれほど必死にキリトの顔にひっついていた仔猫が言葉を理解したように「みゅっ」と返事のような声をあげて抱き上げられるままに顔から離れた。

赤ん坊を高い高いするように持ち上げてみると仔猫の残り香に不可思議さを覚えてキリトの眉がうねる。

自分の手の中に大人しく収まった仔猫を見上げて、その首に付いている首輪の一点に気づき、更に表情が固まった。

 

「……どうやら一緒に王宮まで行くしかなさそうだな」

 

真剣な瞳で仔猫を見つめながらそう呟けば、反対に仔猫は嬉しそうな表情で「みゃんっ」と短く鳴き声をあげる。

キリトは上着のボタンをひとつはずすとゆっくりと自分の服の中に仔猫を入れ「しばらくここで我慢しててくれ」と告げ、胸元の仔猫が落ち着いたのを確認してから再び馬を走らせたのだった。

 

 

 

 

 

二年間の留学前なら笑顔で出迎えてくれた王宮の門番も今回ばかりは先触れも出さずいきなり現れたキリトに目を見開いたが、すぐさま歓迎と安堵の表情へ転じる。

一旦馬を止めて「アスリューシナ姫は?」と早口で問うと顔見知りの門番は心配そうに眉尻を下げた。

 

「それが……三日ほど前からお姿を拝見しておりません。婚礼のお支度が忙しいのだと聞いておりますが、それにしてもこれほどお顔をお見せ下さらないのは初めてで、もしや体調を崩されているのでは、と我々も心配していたところです」

「そうか、ありがとう」

 

固い声で短く礼を告げて王宮内へとそのまま馬を走らせる。

正面玄関に近づくと扉はすでに開いており、今まさに知らせを受けたばかりといったふうの侍女や従者達がばたばたと出迎えの為、列を整えていた。

そこへ不作法にも騎乗したまま近づき、ひらり、と馬から飛び降りるとそのまま馬丁に手綱を預け、頭を垂れて整列しおえたばかりの王宮仕えの者達の間をずかずか歩き、建物内へ踏み込む。

いつもならこの左右の列の中央にアスナが満面の笑みでキリトを出迎えているのに、今日に限ってはその姿がない。

その現実が知らずにキリトの表情を厳めしいものへと導いていた。

列の一番奥に控えていた侍女へ「アスリューシナ姫は?」と門番に投げた同じ問いを繰り返せば、顔をあげた侍女はオドオドとした様子で視線も定まらないまま「えっと……あの……」を三回繰り返してからキュッ、と目を閉じ掠れた声を絞り出す。

 

「只今……姫様は……王宮を離れておりましてっ……それで……」

「そんな事、門番は言ってなかったけどな」

 

軽い言い回しで侍女の言葉を遮ったが、キリトの声は低く彼女の言葉を信じていないのは明かだった。

王子の声音で更に一回り身体を縮込ませた侍女は耐えきれずに下を向き、既に涙声で「とっ、ともかく、キリトゥルムライン殿下は応接室に、おっ、お越し下さい」と、そこまでを言うとカタカタと震えながら一向に頭をあげる気配がない。

よく見れば隣の侍女も、その隣の侍女もキリトを恐れるように両肩を固くしている。

そんな侍女達の姿を見て、これ以上は何を聞いても無駄と察したキリトは「いつもの応接室でいいんだな」と確認を取ると先導も付けずに一人ですたすたと歩き始めた。

ユークリネ王宮を訪ねた時は出迎えてくれたアスナに挨拶をしてから彼女の手をとり一旦応接室に向かうのがお決まりだ。

そこで侍女達が用意してくれたもてなしを受け、アスナと互いの近況などを教え合ってから、彼女の私室へと移動する。

私室に入れば、アスナはいつも人払いをしてくれたから、いつもの呼び名を使い、くだけた口調でお喋りを楽しむ……時にはお喋りだけに留まらない時もあったが……そんな事を思い出しつつすっかり覚えてしまった応接室への廊下を一人で進んでいると、傍らにいるはずの存在が恋しくなって知らずに拳を握れば、胸元に潜り込んでいる小さな熱量がもぞもぞと動いてその存在感を主張した。

ひとまず応接室に入室してソファに腰掛け、一息ついていると、さほど時間を置かずにノックの音に続いてガチャリと扉が開く。

入って着たのは待ち望んでいたアスナ、ではなく茶器を手にした侍女の姿だった。

侍女はサイドテーブルに茶器を置くと、キリトゥルムラインに向かい深々と頭を下げる。

 

「ようこそいらっしゃいました、キリトゥルムライン殿下。お出迎えの際には若い侍女が失礼をしたそうで、改めてお詫び申し上げます」

 

ゆっくりと顔をあげた侍女は二十代後半の落ち着いた振る舞いで、強張った表情もみせずスッと背筋を伸ばしてキリトと相対していた。

侍女の顔立ちにどこか懐かしさを感じたキリトが「お前は……」と言いつつ、記憶の扉をいくつも開けていると、侍女は少し微笑んで自らを名乗る。

 

「アスリューシナ様付きの侍女達のまとめ役をしております、サタラとお呼び下さい」

「えっ?、サタラって……」

「覚えていてくださいましたか?、キリトゥルムライン殿下。十年ほど前に姫様の療養先の離宮でお目にかかっております。夜中に姫様の寝顔を見ながら殿下と少しお話しさせていただきました。また、お見送りの際にも姫様の手を引いていたのが私でございます」

「ああ……ああ、よく覚えてる。でも、なんで……」

「はい、あれから一旦侍女のお役目を辞して家庭を持ったのですが、子供は家の者が面倒を見てくれますし、主人が王宮の料理人をしているものですから、一年ほど前にもう一度ここの侍女として雇っていただきました」

「そうか……オレが留学中に……」

「留学からお戻りになられて、この王宮にいらした時もお側に控えていたのですが、とてもお気づきになるご様子ではありませんでしたものね」

 

その時の二人を思い出したのか、サタラの目が優しく笑った。

一方、キリトはと言えば、思い返せばかなり大胆な事をしでかした自覚はあったので、ほんのりと頬を染める。

 

「仕方ないだろ、全く会えず、手紙も交わせず二年だぞ」

「そうでございますね」

「ア、アスリューシナ姫だって珍しく……その……」

「はい、私達侍女や従者が控えている前でしたのに……殿下がいらした途端、本当にあの時のように涙が止まらなくなってしまわれて」

 

そうなのだ、二年という留学期間を終え、無事に役目を果たしたとガヤムマイツェン国王から賞賛と労いの言葉を受けたキリトは父王に自分との約束事を確認すると、すぐさまユークリネ王国にやってきた。

先程よりはるかに大勢の侍女や従者達が出迎える中、中央に静かに佇んでいたアスナはキリトの姿を見た途端、駆けだして泣きながらその胸に飛び込んできたのである。

周囲の目など意識に入っていない二人は固く抱きしめ合い、キリトはアスナの背中をゆっくりと摩りながら次から次へと溢れてくるアスナの瞳に何度も唇を落としてその涙を吸い上げた。

いつまで経っても離れない二人に向けコホンッと咳払いをした侍女はサタラだったのだろう。

その後通された応接室でも二年前なら給仕後、部屋の隅に控えている侍女達がその時に限って全員退室したのはサタラの指示に違いない。

お陰でひたすら「キリトくん、キリトくん」と彼女だけに許した呼称を口にしながら自分から離れないアスナを思う存分抱きしめることが出来た。

もう離れることは出来ない。

同じ道を共に歩む為にあの二年間を耐えたのだ。

アスナはちゃんと元気なのか、本当にこの王宮にいないのか、何より今になって婚礼準備の訪問時期を延ばしたいと言っているのは本当に彼女の意志なのか、それとも別の誰かの思惑なのか、この侍女ならば正直に答えてくれるだろうと信じてキリトは正面からサタラを見据えた。




お読みいただき、有り難うございました。
どうしてもサタラさんの旦那様は料理人にしたいらしいです、私。
(『漆黒に……』でもこっちでも出番ないのに)

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