王子と姫と白い仔猫   作:ほしな まつり

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王子と姫と白い仔猫・18

「アスナ、お腹いっぱいになったか?」

「みゃぁぅっ」

 

満足げに鳴く姿に頬を緩めたキリトだったが、小さな動物の世話などしたことのない自分にとってはこれで十分なのかどうか判断がつかない。

昨日、サタラから聞いた「幾分お痩せになり」の言葉を思い出して、そっと背中やお腹を撫でてみるが、仔猫の体型ではわかるはずもなかった。

キリトに撫でられたお陰で気持ちよくなった仔猫はそのまま膝の上で丸くなる。

大人しく食後の睡眠を取り始めたらしい仔猫を認めてからキリトは自分の料理の器を手に取った。

真っ白な毛並みをちらちらと見ながら、キリトは店員オススメの自慢料理を口に運ぶ。

それは期待以上の味で確かに繁盛するのも納得だと思いながら夢中で食べ進めつつ、自国にも支店を出してくれないだろうか、とか、それが無理ならどうにかリズの店を経由して仕入れる方法はないだろうか、などと思っていると、麺をすくい上げた拍子に真っ赤な汁がピョンッと跳ね、真っ白な仔猫の背中に着地した。

うわぁぁぁっっっっ……、と声にならない声がキリトの口から吐き出されるが、仔猫は気づいた様子もなく、ピクッとも動かない。

キリトの頭の中では猛烈なスピードで様々なシチュエーションが展開される。

にも関わらず、はじき出された結論の行動は……テーブルの上の布巾にそぅっ、と手を伸ばし、すすすすすーっ、とそれを引き寄せ、仔猫の背中を撫でるような手つきで実は汚れを拭き取る、というお粗末なものだった。

今までも寝ている間に優しい手が自分の背中や頭を撫でてくれたのは知っている仔猫だったが、いかんせん今の触れ方には違和感を感じて耳をびょこっ、と動かす。

続けて店内中に漂っている少々きつい香辛料の匂いがなぜか自分の背面からより強く発していることに疑問を感じて「みゅ?」と声を漏らしながら鼻をくんくん、と動かした。

それでも自分の背中をゴシゴシと摩り続ける手つきに、ついに我慢が出来なくなり顔を上げてキリトを仰ぎ見る。

しかし、そんな仔猫の声や動きに気づかない程キリトは真剣な目つきで何かに集中していた。

白い毛並みに落ちたたった一滴の香辛料たっぷり汁は布巾をも赤く染めたが、仔猫の背中から綺麗に消えることはなく、幾分色が薄まっただけでむしろ面積は広がっている。

既に撫でている、という偽装をするほどの余裕はなく、懸命に仔猫の背中を布巾でぎゅっ、ぎゅっ、と拭いていたキリトは鋭い視線を感じて、恐る恐る仔猫の背中から視線を移動させた。

 

「あっ……アスナ……」

 

完全に不審者を見る目つきでキリトを捉えているはしばみ色がじいぃぃっ、と射貫くように揺るがない。

 

「こっ、これは、決してわざとじゃない。信じてくれ」

「ふみっ」

「ほんのちょっとだから。一滴なんだ」

「ふみみっ」

「結構落ちたんだぞ。これなら気にするほどじゃないし」

「ふみーっ」

「今夜、ちゃんと風呂で綺麗に落としてやるから」

 

要は結局いくら擦ってみても完全には落ちなかったのだ。

キリトがことある毎に「真っ白でふわふわだな」と褒めてくれる自慢の毛並みに汚れが……しかも赤はお気に入りの首輪の色であって、決して汚れの色であってはならないのに……仔猫は細い眉を吊り上げてぷいっ、とキリトから顔を背けた。

 

「アスナァ〜」

 

情けない呼び声にも仔猫は一向に反応しない。

すると、つんっ、と顎をキリトとは反対の方向に突き出していたアスナの鼻が急に何かに反応したようにぴこっ、と動いた。

そしてキリトの存在など忘れてしまったかのように、たまたま開きっぱなしになっている厨房へのドアの向こうをジッと見つめている。

中では料理人達がまるで合戦のように声を張り上げ、互いに段取りや注文を確認しながら料理を仕上げていた。

 

「ア……アスナ?、アスナさん?」

 

自分の呼びかけを無視され続けている大国の王子は弱り切った表情で仔猫に向かい無駄に手をばたつかせている。

しかし仔猫はキリトの声に一切耳を傾けずしばらく厨房に視線を送り続けていたが、中の料理人の一人が裏の勝手口の扉を開けた途端ぴょんっ、と膝から飛び降りて一直線に厨房へと駆けだした。

 

「えっ?、アスナ?」

 

一瞬遅れて立ち上がったキリトは慌てて仔猫を追いかけようと椅子を押しのける。

先程キリトと仔猫の食事を用意してくれた店の男がそのただ事ではない様子に気づき「おいっ、どうしたんだ?」と声をかけ、後ろから追って来たが説明している余裕はなかった。

仔猫を追いかけながらキリトは懐から料理の代金を取り出し、追いかけてくる男に投げるように渡す。

もの凄い勢いで厨房の中に入ってきたほぼ真っ白い仔猫に続いて細身で黒髪の少年、そのすぐ後ろに従業員の男、といきなりの乱入者に料理人達が驚いて手を止めるが、それも一瞬で仔猫がその人混みの中を素早く駆け抜けて裏口から外へ飛び出すと、彼らは再び何事もなかったかのように調理に戻った。

厨房内に被害がでていないのであれば、この戦場で余計な詮索をするほど暇な料理人はひとりもいないのだ。

アスナがひとりで外に出たのを見たキリトはその後ろ姿が視界から消えた瞬間血の気を失った。

森のはずれで出会ってから、文字通り片時も離れずに自分の傍らにいた存在を失う、その恐怖にもつれそうな足をどうにか立て直して走る。

ところが、ガタンッ、と裏口の扉に手をついて外に出た途端、すぐ目の前に佇んでいる小さな仔猫に気づいてキリトは不覚にもふにゃふにゃとその場にへたり込んだ。

 

「なんだよ、アスナ、どうしたんだ?」

 

しかし目の前にはほぼ真っ白い仔猫の他にもう一匹の大人の猫がいた。

そして、その見知らぬ猫に対し仔猫は嬉しそうに顔をすり寄せている。

キリトがその光景に言葉を無くして座り込んでいると、すぐ後から店の男も勢いよくやって来た。

 

「っと、なんだ?、どうしたんだ?……ああ、べっぴんな仔猫ちゃんの本命はそっちってわけか」

「そんな……アスナ、そいつ、誰なんだ」

 

力のないキリトの言葉に店の男が軽快に答える。

 

「誰って、見りゃわかんだろ。猫だよ。真っ黒な毛並みのな」

 

大正解、とでも言いたいのか仔猫はすっかりご機嫌になって「みゃぁっ」と鳴き声をあげた。

黒猫もまんざらではないのか、すり寄られても嫌がる素振りもみせずに、されるがまま仔猫からのスキンシップを受け入れている。

いまだ座り込んで項垂れているキリトに店の男は何かを悟ったような口調で諭した。

 

「まあな、飼い主としては微妙なところだろうけどよ。いくら頑張っても猫だしな。そんなら立派な相手を見つけてきた自分の猫を褒めてやるのが飼い主の度量の大きさってもんなんじゃねえか?」

 

ひとり悦に入ってうんうんと頷いている男の言葉はキリトの耳に届いておらず、それどころか二匹の仲むつまじい様子を凝視していると、ゆっくりと黒猫が歩き出す。

それに付き従うように仔猫も歩き出した。

自分の後ろで何かを言い続けている男を置いて、キリトも急いで立ち上がり、後を追う。

黒猫は時折、後ろの仔猫とキリトの様子を窺うように振り返りながら王都の街中の細い道をどんどんと進んでいった。

どれだけの角を曲がっただろうか、既に王都のはずれまで来てしまったのではないかと思うほどの距離を歩いているが黒猫は歩みを止めようとはしない。

しかし段々と仔猫の足取りがおぼつかなくなってきたのに気づいたキリトは「アスナ」と名を呼んでから腰を屈めて出会って時のように両手を伸ばした。

考えてみれば普通の仔猫だったとしてもまだまだ長い距離を歩くのは無理な幼さだし、キリトに保護されてからはほとんどの時間を彼の腕の中で過ごしてきた仔猫にとってこの距離は体力の限界だった。

優しく抱き上げられると仔猫は抵抗せずにすんなり手の中に収まったが、未だ顔をキリトに向けようとはしない。

 

「まだ怒ってるのか?」

 

機嫌を取ろうとキリトが仔猫に顔を近づければ、足下から「にゃぁ」と催促するような鳴き声がする。

 

「ああ、悪かったよ、立ち止まって。それにしてもどこまで行くんだ?」

 

その問いに再び「にゃぁ」と答えた黒猫は、早く着いてこい、と言いたげに黒くて長い尻尾をゆらり、と一回揺らした。

仔猫とのやり取りを邪魔されて面白くはなかったが、腕の中の仔猫も「ふみゅ、みゅっ」と促すような声を出すのでキリトは「どうやらついて行くしかなさそうだな」とひとつ息を吐き出してから渋々黒猫の後ろを歩き始める。

そうやってどれくらい歩き続けただろうか、人通りが全くない路地裏でついに黒猫は一軒の家の玄関前で立ち止まった。

左右を確認するように視線を巡らせてから、少し空いているドアの隙間へ身体を滑り込ませる。

黒猫の後に続いてキリトは仔猫を片手で抱いたまま、ドアノブを掴んでゆっくりと家の中へ足を踏み入れた。

その瞬間、薄い水のカーテンをくぐったような感覚が全身を通り過ぎる。

そして気がつけば、自分と仔猫は何かの作業部屋のような空間の隅に立っていた。

目の前には様々な物が乱雑に乗っている大きな机の上で椅子に座っているらしい小柄な体つきの人物が俯いたまま作業を続けている。

その人物は顔も上げずにいきなりしゃべり出した。

 

「おかえり、ヘカテート」

 

その声から小柄な人物が少女であるらしいと推察する。。

机の影でわからなかったが、机のすぐそばにはあの黒猫が行儀良く座っており、少女の声に反応してすぐさま「にゃぁ」と返事をした。

するとキリトの腕の中の仔猫が懸命に鳴き声をあげる。

 

「ふみゃっ、ふみゃっ」

 

黒猫以外の猫の声に気づいたこの家の主らしき少女が作業の手を止めて顔をあげた。

青色がかった鈍色の短い髪がさらり、と動いて顔が露わになると黒縁のメガネがどこかの光を反射させてキランッと光る。

 

「あら?、ヘカテート、友達を連れてきたの?」

 

そして今の今まで気づかなかった一人と一匹の珍客を見て一瞬レンズの奥の目を見開いた後、怪訝な顔で冷静な声を発した。

 

「アスナ、なんで猫になってるの?」




お読みいただき、有り難うございました。
『漆黒に……』では鳩だったヘカテート、こっちでは猫ですよん。

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