中庭に集まってきた侍女や従者に囲まれたかと思うやいなや、キリトは若い従者に抱き上げられた。
驚いて「歩ける」と言えば、相手は苦笑いを浮かべて困ったようにキリトの全身に視線を巡らせる。
そこでキリトも自身の身なりを見てようやくその惨状に気づき、再び頬を赤らめた。
はしごを使ったとは言えかなりの大木に登ったのだ、シャツやズボンは所々すり切れ、折れた小枝や葉っぱが至る所にくっついている。
礼節を重んじる口うるさい親父に知られたら大目玉だな、と思いこっそりと舌をだした。
同じように侍女に抱きかかえられた少女を見ればは、カラスにつつかれたせいで髪はぼさぼさに乱れ、自分と同じようにその栗色の髪に色々な自然の髪飾りがちりばめられている。
服は同様にほつれや破れが点在していたが、そりより腕や足の引っかき傷が痛々しかった。
色白の肌せいで少しの血の滲みもくっきりと浮き出ている。
それでも本人は痛そうな顔ひとつせず、しきりと周囲の者達に「ごめんなさい」と謝っていた。
侍女達は優しく笑いかけて「いいんですよ」「でも驚きました」「痛くないですか?」と口々に彼女に声をかけている。
中庭とをつなぐテラスの入り口までくると先頭の侍従が立ち止まった。
それに倣って全員が戸惑ったようにその場で足を止めたのを不思議に思ったキリトは身体を捻って進行方向を見る。
集団の前には、その進行を阻むように一人の少女が腰に手を当て仁王立ちで立ちはだかっていた。
赤みがかった茶色い髪は肩の上で緩くカールしていて、頬には僅かだがそばかすがある。
彼女はジロリ、と侍女の腕の中の少女を睨み付けたかと思うと、おもむろに片方の人差し指だけを突き出し、狙いをその少女に定めてからスウッと息を吸い込み眉を跳ね上げた。
「いい加減にしなさいっ、アスナ!」
「ひぅっ」
自分と同年代であろう少女に一喝され、アスナと呼ばれた少女は栗色の髪がぶわっとを広がるほどに身体全体を揺らす。
ところが怒れる少女は侍女の腕の中で一層縮こまったアスナの姿を目にしても一向に勢いを緩めることなく人差し指をビシッ、ビシッと突きつけてきた。
「アンタは病人なのよ。療養でここに来てるのに、なんでベッドで大人しく寝ていられないのっ」
あまりの剣幕にじわり、と涙が湧き出てくるアスナだったが震える唇をどうにかこじあける。
「も……もう……治ったわ」
「嘘おっしゃい。まだ熱があるはずよっ」
「これくらいのお熱、平気」
「熱があって平気な子供なんていないの!」
「私は、大丈夫だもん」
頑なに病人であることを受け入れようとしないアスナの態度に我慢ならなくなったのか、人差し指を振る少女は同時に片足で地団駄を踏む。
「あーっ、もーっ、そうやって熱があるくせにベッドから起き出すは、勉強を始めるは、挙げ句の果てにはいつの間にか中庭の木によじ登って一体何をしてたのよっ。私達がどれだけ探し回ったか、わかってるの!」
さすがに黙って部屋からいなくなった事は反省しているのだろう、下を向くと小さな声で「ごめんなさい、リズ」と告げれば、リズと呼ばれた少女は片手でおでこを押さえて軽く頭をひと振りしてから、わざとらしく大きな溜め息を吐き出した。
「いくらユークリネ王国の国民の生活が地味だって言ってもね、どんな小さな村だって子供が熱を出したら親はきちんと薬を与えて休ませるわよ。国王様だって王宮にいるとアスナがゆっくり休めないからここに来させたんでしょう?」
「それは、違うよ。私が寝てばかりで父様や母様、兄様の役に立たないからだよ。今頃みんな一生懸命お仕事してるもん。だから私も早く王宮に帰ってお手伝いしたい」
「アースーナー!」
リズの眉毛が再びつり上がった時だ、比較的年配の侍女が困り笑いをしながら「まあまあ、リズちゃん」と割って入る。
「姫様も見つかったことだし、とりあえず中に入れてもらえるかしら?」
その言葉に渋々といった表情でリズがせき止めていた場所を譲った。
そこでようやくキリトの存在に気づいたらしく、珍しい動物でも眺めるように近づいてきて、抱き上げられている少年を下から見上げると物怖じもせずに声を掛けてくる。
「アンタがアスナを見つけてくれたの?」
アンタ呼ばわりに目を瞬かせたキリトだったが、すぐさま「ああ」と答えると、リズは何の濁りもない瞳を真っ直ぐに向けて、にこりと笑った。
「ありがとうっ、大事な友達を見つけてくれて。私の事は『リズ』って呼んで」
その言葉にキリトもニヤリと口の端を上げる。
「オレは『キリト』だ」
その後、離宮内に控えていたガヤムマイツェン王国の従者がキリトの元に駆け寄り、その身を受け取ると今までキリトを抱いていた従者とキリトの従者は互いに「申し訳ありませんでした」と何度も代わる代わる頭を下げた。
幸いにもキリトに傷らしい傷は見当たらなかったので従者の手を借りて着替えを済ませた後、再び応接室へと案内された。
新しく入れなおしてもらった紅茶に口をつけていると、ノックの音が響き、続いて「失礼します」と侍女が扉を開ける。
扉の向こうには、やはり着替えを済ませケガの治療も終えたアスナが淑やかに立っていた。
浅黄色の爽やかなドレスを着て今度はちゃんと両足にベンガラ色のエナメル靴を履いている。
控えている侍女の前をゆっくりと歩いて室内に入ってくると、キリトの前でスカートを両手でつまみ腰を落とした。
「は、初めまして。ユークリネ王国の王女、アスリューシナ・エリカ・ユークリネです」
綺麗な所作に目が釘付けになっていたキリトが我に返って「ぷっ」と息を破裂させる。
「『初めまして』じゃないだろ」
その言葉を聞いた途端、頭を下げたままみるみるうちに顔全体を真っ赤にしたアスナは、パッと顔を上げギュッと固くつぐんだ唇を震わせ始めた。
まるで自分が虐めたような気分になったキリトが慌てて何か言わないと、と頭の中をフル回転させていた時、アスナの後ろから部屋に入ってきたリズがひょこり、と顔を出す。
「アンタって王子だっのね、キリト……で、今の挨拶は勘弁してやって。アスナったら他の国の王族にひとりで対面するの、初めてなのよ」
納得を示す為にキリトは口を尖らせて高速で顔を数回上下させると、スタッと椅子から降りてアスナの前に立ち片手を胸に当てて腰を折った。
「ならオレも……初めまして、オレはガヤムマイツェン王国の第一王子、キリトゥルムライン・カズ・ガヤムマイツェンだ」
顔を上げて不敵な笑みでアスナを見れば、何やらアスナは難しそうな顔をして人差し指を小さな唇に当てている。
「……キリトゥ……ム……ムラ……ランさま?」
がくり、とキリトが肩を落とした。
アスナは己の失敗に気づき、俯いて身を縮込ませている。
二人の対面を見守っていたリズがまたもやピシリッと人差し指をキリトに突き出した。
「ん゛〜っ、キリトっ、なら、アンタはアスナの名前をちゃんと言えるのっ」
背後からの友の援護にアスナは振り返ってオロオロと「リズ、指で指したらダメだよ」と両手を上げて諫めている。
方やキリトはその本人からではない挑戦状にふふん、といった表情で応じると堂々と胸を張った。
「いいか……アシュシューシナ……あれ?」
さっそく噛んだ自分に照れよりも驚きと不思議さのあまり頭をひねりつつ再挑戦を試みる。
「アリシュー……アシリューシナ・エリカ……」
「アスリューシナだもんっ」
堪りかねたようにアスナが両手をグーにして叫んだ。
後ろのリズがなだめるようにアスナの肩をポンポンと叩いている。
決まりが悪そうな表情に転じたキリトがポリポリと頬を掻くと開き直ったようにアスナの目の前まで歩み寄り、未だグーに固まっている手を取ってその甲に唇を落とした。
そして実際はほとんど変わらない身長なのに、何やら上から目線で言い放つ。
「オレの事は『キリト』でいい。その代わり、オレも『アスナ』って呼ぶから」
そして付けたすように「これでもアスナの名前は馬車の中で何回も練習してきたのになぁ」と小さく零している。
少し頬を染めながらもごもごと言い訳じみた言葉を口にしているキリトをポカーンと見つめたまま、少年の手の中から自分の手を取り戻すことさえ思い至らずにアスナは固まったまま徐々に顔を茹で始めた。
真っ赤に染まり切ると頭がクラクラして、目がグルグル回る。
足下さえおぼつかなくなってふらり、と身体が傾ぐ……と、手を取っていたキリトが慌てて樹上の時の同じようにグイッと引き寄せれば、ぽふんっ、と腕の中にアスナが収まった。
その一瞬、僅かにキリトの口元が緩む。
しかしそれを見て仰天したのはリズだ。
「アスナっ、大丈夫!?」
すぐさま後ろからアスナの両肩を掴んでベリッとキリトから引き離し、おでこに手を当てて「あついっ」と騒ぎ出す。
うっかり手を離してしまったキリトはリズの一言でまたもやわらわらと入室してきた侍女達を前にどうしていいか分からず呆然と突っ立ったままだ。
一人の侍女が素早くアスナを抱き上げ、隣の侍女が彼女の熱を確認する。もう一人の侍女が手をとって脈を測り、戸口に近い侍女は廊下にいる侍女達に「寝室の準備をっ。氷水とタオルと着替えを用意してっ」と指示を飛ばした。
見事な連係プレーを当たり前のように聞き流しながらリズはアスナを侍女達に任せるとキリトに向かってその鼻先にお得意の人差し指を突きつける。
思わず姿勢を正してしまったキリトの耳にとんでもない言葉が飛び込んで来た。
「キリト、アンタ、責任とんなさいよ」
お読みいただき、有り難うございました。
おチビさん達……言いにくい名前でゴメンね(汗)