王子と姫と白い仔猫   作:ほしな まつり

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王子と姫と白い仔猫・21

昼を過ぎても眠り続けている仔猫に侍女達は心配そうな表情で代わる代わる様子を見に来ていたが、動物に詳しいというシリカが「大丈夫です。自己治癒に集中しているだけですから」と太鼓判を押せば、確かに表情も柔らかく気持ちよさげにキリトの膝の上で丸くなっている姿を見て、これ以上は邪魔をしないでおこう、と次第に部屋を訪れる人数も減っていった。

侍女達が平常業務に戻ったのを認めて、サタラは愛おしげに仔猫の背を撫でているキリトに声をかける。

 

「キリトゥルムライン殿下、姫様と最後に言葉を交わした侍女を呼んでもよろしいでしょうか?」

 

真っ白い毛並みを梳くように動かしていた手がぴくり、と止まった。

「ああ」と短く応えると、既に扉の向こうに控えていたようで、すぐさま一人の侍女が入室してくる。

ちらり、とキリトを見る目はどう見ても好意的とは思えず、初対面であるはずの侍女に何かしただろうか?、と不思議に思っていると、やはり同様に侍女の視線に気づいたサタラが呆れと憤慨を織り交ぜた息を短く吐き出した。

 

「本当に申し訳ありません、殿下。ご存じのようにこの王宮で働く者は皆姫様を慕っておりまして……」

「うん、それは知ってる。この王宮どころか国のみんなが王族に信頼を寄せているのは」

「有り難うございます。そして特に姫様付きの侍女は行儀見習いの色が濃いものですから長期に渡って仕える者がおりません。私のように再勤仕する者はごく僅かです。しかもこの二年、殿下は留学の為にユークリネをご来訪なさっておりませんので、殿下と姫様のご様子を知る者が少ないのです」

「……それって、結局どういう意味なんだ?」

「はっきり申し上げますと……殿下と姫様の仲むつまじいご様子を目にした事のない者が大半なのです、今の侍女達は」

 

サタラも口にするのは勇気が必要だったのか、わずかに顔を赤らめているが、それはキリトの比では無かった。

 

(仲むつまじいって……)

 

むつまじくしている時はちゃんとアスナが人払いをしてくれていたはずなのだが、と思ってはみてもそこはお年頃ばかりが揃っているアスナの侍女達だ、キリトが王宮にやってきた時にアスナだけを見つめる熱い眼差しや、挨拶のキスを受けるアスナの蕩けた表情だけでも十分にむつまじさを感じていたのだろう。

 

「それで、ですね……」

 

更に言いづらそうな口調のサタラが、わずかに躊躇いながらもキリトの顔をしっかりと見つめて真実を告げる。

 

「若い侍女達はガヤムマイツェン王国の王子が周辺諸国一の美姫と言われる姫様を手に入れるために大国の権威を振りかざしたのなんだのと……」

「はっ?」

「本当に、本当に申し訳ございません、殿下。そんな事はないと何度も窘めてきたのですが、この子もその噂を信じている侍女の一人のようで……」

「ええっと……」

 

何と言えばいいのか言葉が見つからずキリトが言いよどんでいた時だ、不満げな顔を隠そうともせずサタラの斜め後ろに立っていた侍女が「だって」と口を開いた。

 

「私、ちゃんとガヤムマイツェン王国からやって来た人に聞いたんです。うちの姫様との婚姻が決まったら、すぐにガヤムマイツェン王国の王子殿下が国内の貴族のご令嬢達ともお見合いを始めたって」

「控えなさい」

「それって、他国も羨む器量良しの姫様を手に入れたから次は国内の有力貴族のご令嬢を妃に迎えて権力を万全にするって事ですよね。うちの姫様は数多(あまた)いる側妃のひとりでしかないんですよね」

「いい加減になさいっ。無礼にもほどがあります」

「いやですっ、私達の大事な姫様が……っうう……」

 

サタラの叱責にも怯まずついには泣き出してしまった侍女はそれでも震える唇を噛みしめてキリトを睨み付けている。

想像もしていなかった侍女からの言葉にキリトはしばらく表情を無くしていたが、黙って手元の仔猫に視線を移し包むように添えていた両手で身体全体をひと撫でしてから顔も上げずにゆっくりと低い声を発した。

 

「それを……今の話を、アスリューシナに?」

 

キリトがアスナを正式名で呼ぶ。

その声に瞬間ぎくり、と肩を振るわせた侍女だったがすぐに眉を吊り上げて涙も拭わずに言葉を返した。

 

「もちろんですっ。この話、衣裳部屋担当の侍女達は全員知ってます。だから衣裳部屋にみえた姫様に『侍女達はみんな姫様を応援してますから』ってお伝えしましたっ」

「なっ、なんと言うことを……」

 

毎回、衣裳部屋でウェディングドレスの完成に時間を費やしている時は未婚の侍女達と一緒の方がその場も華やぐだろう、と席を外していたサタラが目眩を覚えて顔をおさえる。

 

「そうしたら姫様が『応援って?』とお聞きになったので『これだけ素敵なウェディングドレスを纏えば側室のお妃様が何人いようと絶対姫様が正妃様になれます』って言ったんです。そうしたら姫様がひどく驚いたお顔をなさって……だから王子殿下がお見合いをしている事をお伝えしました。だって嫁いでみたら側妃様が大勢いらっしゃったなんてショックじゃないですかっ……」

 

既にサタラの開いた口からは何の言葉も出てこなかった。

勢い込んで喋り続けた侍女が不意に話を途切れさせたので不振に思い、それまで黙って聞いていたキリトが顔をあげて怒りに満ちているのか悲しみに満ちているのかわからない声で短く「それで?」と促す。

 

「いっ……いきなりっ、ぽんっ、て姫様が仔猫になってしまって……」

 

そこまで言ってポロポロと本格的に泣き出してしまった侍女に対するサタラの怒りはもの凄いものだった。

普段、どんな失敗をしても声を荒げることなく、冷静に諭すような口調で過ちを指摘し、最後には元気づける言葉までかけてくれる侍女達のまとめ役であるサタラがこれほどまでに変貌するのかと、後々、侍女達の間で語りぐさになった程だ。

キリトに怒られたのであれば、立場上渋々でも謝罪をし、心中納得などしなかっであろう侍女だが、アスリューシナ姫が幼い頃も侍女を務めていたサタラにそこまで自分の行動を叱責されたとあっては、さすがに敬愛する自国の姫が仔猫に変化したのは大国の王子のせいなのだと信じ切れなくなってくる。

既に流れるはずだった涙もサタラの剣幕に驚いてすっかり枯れてしまい、それどころか自分の話を聞いても言い訳どころかずっと仔猫を見つめ、心底大事そうに抱いているキリトの態度を見ていて沸騰していた頭からも急速に熱が引いていった。

もしかしたら、自分はどこかで何かを間違えたのだろうか……、ふと新たな思いが小さく生まれた時だ、ゆっくりとキリトが顔をあげ、漆黒の双眸が侍女を射貫く。

途端に指先ひとつも動かせず、先程の饒舌さが嘘のように言葉がでてこない。

怒りをぶつけられたわけでも、言葉や態度で脅されたわけでもない、ただ、ひたすらに真摯で真っ直ぐな視線が侍女を捉えた。

 

「わかった。もう下がっていいよ」

 

冷たい熱を孕んだ言葉に全く反応できずにいる侍女にかわってサタラが「ですが、殿下……」と声を発したが、それを遮りキリトは続ける。

 

「ひとつだけ。事の真相はまずアスリューシナに説明したいから今は話せないが、オレは自国の令嬢達と見合いなんかしていないし、妃は彼女一人だけと決めている」

 

その言葉がその場限りの適当な発言でないことを侍女は全身で感じ取っていた。

石のように固まって動かない……いや、動けない侍女へ向け冷静さを取り戻したサタラがきっかけを与える。

 

「わかりましたね、もう下がりなさい。衣裳部屋担当の侍女達には後で私から説明します」

 

サタラに促されてようやく身体を動かせるようになった侍女は震えながらもキリトに向かって深々と頭を下げると、両肩を落として静かに部屋から出て行った。

再度、謝罪をすべく口を開きかけたサタラをキリトは手で制し、少し考え込んでから「後でガヤムマイツェンに書簡を届けてくれ」とだけ告げると、そっと仔猫を抱き上げデスクへと移動する。

何か書き物を始めてしまったキリトを見て、サタラは首を傾げたものの、それ以上は邪魔にならぬよう自らも音を立てずに部屋を辞した。




お読みいただき、有り難うございました。
猪突猛進型の侍女さんは完全にオリジナルです。
衣裳部屋担当の娘(侍女)さん達が皆さんこんな感じだったら……
恋バナ、噂話をキャーキャー言いながらお仕事していそうですね。

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