王子と姫と白い仔猫   作:ほしな まつり

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王子と姫と白い仔猫・29

アスリューシナがキリトゥルムラインの元へと嫁ぎ、ガヤムマイツェン王国の王太子妃となって半年が経ったある日……。

 

 

 

突然、ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッと王太子執務室の扉を連打する音が響いて、控えていた従者が慌てて立ち上がると「失礼しまーすっ」と乱暴に扉が開くのと同時に護衛服姿の男が転がり込んで来た。

ぜぇっ、ぜぇっ、と見苦しい程に息を荒げたまま汗のせいで額に張り付いた前髪を無造作にかきあげると、目を見開いたまま咎めようともせず突っ立ったままの従者の前をツカツカと通り過ぎ、控え室を抜けて王太子の執務室へと躊躇いもせず足を踏み入れる。室内の中央にどっしりと構えている執務机の前に倒れ込むように現れ、両手をついて崩れそうな身体を支える汗だくの男を机の反対側から座したまま何の興味もなしに見上げたのは、それまで明らかに気乗りのしない表情で机上の書類を眺めていたこの国の王太子、キリトゥルムラインだ。

しかしその男の護衛服を見るなり、あり得ない物でも目にしたようにギョッとしてからすぐに顔をしかめる。

声を発するより息を整える事に専念している男をジト目で睨みながら、面倒くさそうに声をかけた。

 

「なんなんだ、その格好は……」

 

思いっきり不審者を見る目つきだが、それでも随分と親しげな口調で疑問を口にすると、汗だくの男は困ったように「へへっ」と笑ってから掠れた声を途切れ途切れに吐き出す。

 

「まぁ……そこは……ちょっとした……遊び心って……感じで……」

 

言いながら、机の隅に置いてある水差しを人差し指でちょん、ちょん、とつつき、許可を求めるように首を傾げると、意図を理解したキリトが手をひらひらと振って了解を示した。

 

「いただきますっ」

 

王太子の為の水にためらいもせず口をつけ、ごくごくと一気にあおると「はぁーっ、生き返った」と満足げな笑みを浮かべる。

目の前の男がまともに口がきけるようになったとを判断したキリトは手にしていた書類を机の脇にどけ、改めて男を睨み付けた。

 

「お前、今日、休みだったよな」

「おや、よくご存じですね、殿下」

 

遠慮無く二杯目の水をコップに注ぎながら、武器にもしている人畜無害そうな笑顔で王太子に向け、にこり、と返す。

水差しの中身を全て飲み干す気のようで、従者が気を利かせておかわりの水を取りに部屋を出て行くと、二人きりとなったところでキリトは真っ黒い瞳を半眼にして幾分怒気の籠もった声を男に浴びせた。

 

「……もしかして……その格好……護衛隊にまぎれて……」

 

悪戯がバレた子供のように、王太子の推測を舌を出すことで肯定した護衛服の男はそれでも最後のあがきとして「いやいや、ちゃんと王太子妃様の護衛もしましたよ」と再び満面の笑みをキリトに送った。

 

「だいたいお前、剣さえ持ってないだろ」

 

その笑顔には騙されないぞ、とばかりにつれなく言い放てば、随分と息が落ち着いてきた男は仕事上では絶対に見せないだろう、不遜にも挑みかかる鼻息で「ふふんっ」と口の端を上げる。

 

「オレは、オレ自身を盾にしてアスリューシナ王太子妃様をお守りする覚悟ですからっ」

「……それ、お前の仕事じゃないし。お前は外交士なんだから交渉話術を駆使してこの国を守れ」

 

とは言え、この男の仕事が外交ばかりに限った事でないことをキリトは十分に承知していた。現に数刻前にも男を捜して自分の執務室にまでどこかの部署の補佐官がやって来たばかりだ。

 

(オレの所でサボるのも城内では知れ渡ってるからなぁ)

 

とにかくこの男は口がうまい。その才を買われて自分と同じ歳で既に外交部の重要な交渉事のほとんどは彼が担当している。

その話術は仕事に限らず周囲の人間さえも虜にしているようで、とにかく人付き合いが良いのだ。

お陰で本来の仕事以外の範疇の交渉事まで頼まれることもしばしばで、対応しきれない数の交渉依頼が舞い込んでくると王太子の執務室に逃げ込んでくるのだが……それも既に城内では周知されているらしい。

さきほどの補佐官がやって来た時も、王太子の従者は慣れた調子で「本日、ササシャウルは公休です」と彼のスケジュールを告げていた。

かくいう自分もガヤムマイツェン王国の外交の要とも言えるササシャウルという男の口八丁にはまり、臣下の中ではかなり親密な間柄を築いているのだから周りの奴らの事を笑えないな、とキリトは、ふぅっ、と軽く息を吐き出す。

 

「で?、アスリューシナの王都視察に同行してたんだろ?」

 

ほぼ確信している事をぶつけてみれば、実は密かに結成されているという『王太子妃様を遠くからお慕いする会』の会員であるササシャウルはとぼけた調子で「ええっと……」と王太子から視線を外し「たまたま……たまたまですよ」と打ち明けた。

 

「どの辺がたまたま、なんだ?」

「ですから……たまたま公休の日に……たまたま近くにあった護衛隊の制服を着てみたら……たまたま王都へ視察に行かれる王太子妃様と城門のところでお会いしたのでご一緒した、という……王太子妃様も『是非に』とおっしゃって下さいまして、ですね……」

 

仕事モードに切り替えればキリトがぐうの音も出ないくらい立派な筋書きを披露できるはずなのに、ササシャウルにとってもキリトはただの自国の王太子というだけではないらしく、必死の思いで自らの正直な気持ちを見え隠れさせながら説明をする姿は滑稽を通り越して可愛らしくさえある。

また、ササシャウルの口八丁が通じない相手であるアスナも彼の本質を見抜いているらしく、ガヤムマイツェンの城で初対面を果たした時は「言葉を武器として使うばかりでは疲れてしまいませんか?」と気遣いの眼差しで聞かれ、その場で彼が堕ちたのは有名な話だ。

もぞもぞと自身の行為の偶然性を訴えている臣下を面白そうに眺めながらキリトは、ならば、と新たに問いかける。

 

「視察に同行していたお前がここにいるって事は、アスリューシナも戻ってきてるんだよな?」

 

キリトからの言葉に本来の使命を思い出したササシャウルは「うわぁぁっ」と叫ぶと、手にしていたコップをドンッと机に置き、両手をついて身を乗り出し王太子の鼻の先まで顔を近づけた。

 

「忘れてました、殿下……王太子妃様を抱きかかえる許可を下さい」

「…………却下だ」

「そこを何とか」

「理由を言え」

「ご納得いただける理由なら許可してもらえるんですか?」

「ないな」

 

キッパリと拒絶の返答を聞いてササシャウルは崩れ落ちるように床に座り込む。うなだれたまま背を丸めブツブツと「こんな交渉、最初から無理だろ……」とぼやいているのを気配と共に感じたキリトは机の向こう側に姿を消した外交士へ「とにかく」と言葉をかけた。

 

「一体、どういう状況なんだ?、どうしてお前がアスリューシナを抱きかかえるんだよ」

 

王太子の問いかけにとりあえず事の次第を説明せねば、とササシャウルはのろのろと立ち上がる。

 

「言っておきますけど、王太子妃様を抱きかかえたいのは俺じゃありませんよ。俺はあらかじめ殿下からその許可を貰った方がいいんじゃないか?、と言われて来ただけで……」

「誰に……」

「王都のおっちゃんやおばちゃんやじいさんばあさん達からです」

 

ますます訳が分からないとキリトが眉根を寄せ首を傾げると、ササシャウルは大きく「はぁっ」とため息をついてから本格的に解説を始めた。

 

「アスリューシナ様は我が国に輿入れされてから半年で、すっかり王都の民衆の人気者ですからね」

 

ササシャウルの言葉にキリトは同意を示すようにひとつ頷く。

このガヤムマイツェン王国に嫁いできたアスナは当初予定されていた王太子妃教育の期間をほぼ半分で終わらせ、教育係を驚かせた。もともと外政に関しては自国で国王の名代を勤め上げていたことから既に対外的なふるまいに関してはほとんど問題はなかったが、危惧されていたのは内政に関してだ。ユークリネ王国には存在しない貴族制度にアスナが対応できるようになるのはかなりの時間を要すると思われていた。

しかしその点に関してもアスナは元来の真面目さと頑張りを発揮して、ほとんど全ての貴族の名前を覚えて輿入れをしてきた事を知った時にはさすがのキリトもぽかん、とだらしなく口を開けたまま数秒間固まったものだ。

婚儀の夜に「まずは顔を覚えないと」と言ったアスナの言葉は覚えてきた名前と顔を一致させる、という意味だったと知ったキリトは教育係が同室しているにもかかわらず、恥ずかしがって暴れる自分の妻を随分と長い間抱きしめたのである。




お読みいただき、有り難うございました。
そして「劇場版ソードアート・オンライン『オーディナル・スケール』」
ついに公開日を迎えましたっ、おめでとうございます!!!!!
さて、こちらではここにきて《かさ、つな》のオリキャラ「佐々井くん」登場です。
「佐々井・喋る・うるさい」……で「ササシャウル」
交渉事が得意な人(キャラ)はあっちこっち(の作品)で重宝されますね(苦笑)
そしてラスト1話ですっ。

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