王子と姫と白い仔猫   作:ほしな まつり

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王子と姫と白い仔猫・4

キリトを連れたリズがアスナの私室の扉をノックした。

扉の両脇にはやはり従者が一人ずつ配置されている。

だが、これはついさっきアスナが一人で部屋から抜け出したからであって、普段はいないのだとリズはキリトに耳打ちした。

 

「アースーナー、入るわよー」

 

まるで近所の子供が遊びに来たように王女の名前を呼び、返事を待たずに扉を開ける。

王宮のアスナの部屋ならば居室の更に奥に寝室が設けられているのだが、ここは離宮なので入ってすぐに応接セットがあり、隣に本棚と勉強机が置かれ、その奥の壁際にはクローゼットとベッドがしつらえてあった。

リズが迷うことなくベッドを見れば壁側を除いた三面に侍女が立ち、腕組みをしてアスナを監視している。

ベッドの中でクッション数個を背中にあてて上体を起こしているアスナはシルクの子供用ナイトドレスを着てお腹の上までかかっている布団の端を両手で掴んでいた。

リズが自分の名を呼び入室してきた途端、助けを請うように視線ですがってくる。

そんな懇願の瞳をさらりとかわしたリズは部屋に入るとすぐに振り返ってもう一人の入室を促した。

 

「ほらっ、入って」

 

そう言われても妹姫以外の女の子の部屋など覗いたこともないキリトはなかなか踏ん切りがつかず、とりあえず顔のみを扉の隙間から忍び込ませる。

 

「……ようっ」

 

突然ぶっきらぼうな声が耳に飛び込んで来たアスナがはしばみ色の瞳を目一杯開き、口をパクパクと動かした。

顔を突っ込んだままのキリトにリズが呆れた声をあげる。

 

「何やってんのよ。早く入って来なさいってば」

 

部屋の入り口に向かって手招きをしている友に、アスナがその名前を連呼した。

 

「リズ、リズ、リズ、リズ!」

「はいはいはいはい、何度も呼ばなくても聞こえてるわよ」

 

再び振り返って今度はベッドのアスナに声をかける。

やっと自分と視線を合わせてくれたリズにアスナはチラチラと扉の方向を気にしながら焦り顔で睨み付けた。

 

「どこに行っちゃったのかと思ってたら……」

「だってこうするしかないでしょ……って、アンタはさっさと入ってくる!」

 

再び振り返り、やっと身体半分を室内に入れたキリトに指令を飛ばす。

ひっきりなしに顔を180度くるっ、くるっ、と降ってそれぞれに対応していたリズだったが、それを何回か繰り返した後、二人の相手に疲れきってガクリと首を落とした。

 

「ちょっと休憩させて……」

「だ、大丈夫?、リズ」

「大丈夫か?」

 

奇しくも同時に両端の二人から気遣いを示され「そう思うなら協力しなさいよ」と不穏な声を発する。

リズの様子を見て観念したようにベッドサイドまで近寄ってきたキリトに侍女が椅子を用意した。

それに腰掛けてからようやくアスナを見て「熱、あるんだろ?」と問う。

一方アスナの方はキリトが近づくにつれて俯く角度が鋭角となり、彼が椅子に座った時にはすっかり真下を向いて布団を握っている自分の手を見つめるばかりだ。

キリトからの問いにふるふると首を振って否定すれば、幾分復活したリズが小さく「アスナー」と批難めいた声を上げる。

リズの言葉にそろそろと顔をあげると頬を淡く染めたままもう一度首を振った。

 

「違うよ……お熱はあるんだけど……でも……そうじゃなくて……」

 

上手く言葉が見つからないのか途切れ途切れに、でも懸命に話そうとしているアスナを見てキリトは思わず手当の跡のある彼女の手に自分の手を重ねた。

そっと甲を撫でてから自分の手より細い指をふわりを覆う。

 

「アスナ」

 

手に触れられた時も名を口にされた時も心臓がドキンッと跳ねたが、それは一回だけで、それから後は手から伝わる温もりのせいか、優しく愛称を呼ばれたせいか、焦っていた気持ちがどんどんと鎮まって自分でも驚くほど落ち着いてくる。

すっかりいつもの穏やかな表情に戻ったアスナは最後の仕上げに細く息を吐き出すと、改めてキリトへと視線を向けた。

 

「さっきはご挨拶の途中で倒れてしまってごめんなさい。それと、倒れた時に助けてくれてありがとう……キ……キリトさま」

 

ありがとう、と微笑みながらも最後はやっぱり恥ずかしそうに目元を赤くしたアスナを見て、キリトも僅かに顔を赤らめる。

その幼い王子と王女のやりとりをベッド囲んでいる侍女達が微笑ましく見守っていた。

リーダー格と思われる侍女がキリトの後ろにやってきて頭をさげる。

 

「キリトゥルムライン殿下、うちの姫様がベッドから抜け出さないよう、しばらくそうしていていただけますか?」

 

侍女の視線が自分達の重なっている手に注がれている事に気づいたキリトは「任せとけ」と言い放って握る手にほんの少し力を込めた。

それを見て取った侍女が再び礼を取ってから最低限の人数を残して侍女達の退室を視線で促す。

その指示に従って侍女が出て行こうとすると最後の一人を手で制しておいてから、アスナに優しく問いかけた。

 

「姫様、殿下からお見舞いの品として珍しい果物をいただいております。召し上がりませんか?」

 

侍女からの提案にキリトも思い出したような口ぶりで瞳を輝かせる。

 

「そうだった。ユークリネ王国は割とあったかいから、ここよりもっと寒い場所で育つ果物を持って来たんだ」

「へぇー、それは私も見てみたいわ」

 

自信に満ちたキリトの黒い瞳とリズの後押しでアスナは「なら、少しだけ」と侍女に答えた。

にっこりと微笑んだ侍女が扉の手前で待たせていた侍女に向かって頷けば、その侍女も心得たように「ただいま、お持ちしますね」と言って部屋を辞する。

人の出入りが落ち着いたのを見計らってアスナが再びはしばみ色の瞳をキリトに向けた。

 

「キリトさま……リズが無理を言ったんじゃ……」

「失礼ね、アスナ。アンタがどうしても謝りたいって言うから連れて来てあげたんじゃない」

「謝る相手を自分の所に呼んだら……」

「だってアスナは病人なのよっ」

 

言う端々からねじ伏せられてアスナが情けなく眉根を寄せた時だ、やりとりを黙って聞いていたキリトがクスクスと笑い出す。

 

「アスナの私室にまで乗り込んできたオレの方が謝んなきゃだろ」

 

その言葉にプルプルと首を横に振るアスナの様子に安堵したキリトは改めて室内を見回した。

「他の国の王女の部屋なんて、初めて入った」と呟けばアスナも「私もお部屋に男の子がいるの初めて」と返す。

「それに……」と続けてから視線をキリトの手がかぶっていない方の自分の手に移した。

 

「手の甲の……キ……キス……も……初めて……で……」

 

一種の爆弾発言にキリトが固まる。

手の甲へのキスなんて挨拶なのだから王城にいれば貴族や王族内で普通に交わされている場面を幾度となく目にしてきた。

自分は面倒くさいから、という理由で言葉の挨拶だけで済ませてきたが真面目なアスナが面倒くさがるとは到底思えない。

なら、今までは王族としてどんな対応をしてきたんだ?、と頭の中がハテナマークで満たされた。

と、そこまで考えて、ハッと気づく。

ユークリネ王国には貴族が存在しないことに……。

自国の城内のように常に大臣や司政官、貴族の令嬢や令夫人があふれている環境ではないのだ。

 

(なら、アスナの手に挨拶したのってオレが初めて?)

 

恥ずかしさより、満足げな笑みが自然と浮かぶ。

キリトの表情を横から盗み見ていたリズがボソリと言った。

 

「アンタはあっちこっちでしてそうね」

「オッ、オレだって手の甲にキスしたのは本番はアスナが初めてだぞっ」

 

慌てて妙な言い回しでリズに言い返せば、すぐ傍から「ホント?」とか細い声が聞こえる。

少し首を傾げたアスナが不安げに見つめてくるので、コクコクと勢いよくキリトが頷けば、ふわりと彼女が微笑んだ。

その笑顔に後押しされてキリトはもしかして、と思っていた言葉を口にする。

 

「倒れたのって……オレが……キス……したからか?」

 

言われた途端、アスナが身体を硬直させて応接室でキスした時を彷彿させる赤に顔を染め上げた。

その反応で自分の憶測が確信に変わったキリトはニカリ、と笑うと「よかった」と言ってから「オレ、何かアスナが嫌がる事、したかと思ってた」と胸の内を明かす。

アスナが真っ赤な顔で再び顔をプルプルと振っていると、扉をノックする音がして侍女が入ってきた。

手にしているトレイにはキリトが持参した果物が盛りつけられた皿がのっている。

少し名残惜しそうにキリトの手を離したアスナは目の前に差し出された皿を受け取り、綺麗に並んだ果物を見て嬉しそうに頬を緩ませた。

 

「すごいっ、真っ赤」

「今のアスナみたいだな」

 

からかわれたのがわかり頬を膨らませてキリトを睨むと横からリズが「何て名前なの?」と聞いてくる。

 

「『イチゴ』。ヘタは食べられないから……」

 

そこまで言うと、今、まさにフォークでイチゴの中心を突き刺そうとしていたアスナの目の前から真っ赤な一粒をさっとかすめ取り、ヘタの部分を持って彼女の口元に持って行った。

一瞬、何を意味するのかわかりかねた様子のアスナだったが更にイチゴが口元に近づいてきて、やっとキリトの意図を理解し、未だ頬を染めながらも嬉しそうに小さく口を開ける。

アスナの唇が自分の指先に触れそうになるギリギリの位置でイチゴを止めると、彼女がゆっくりと口を閉じた。

すぐに果汁が口の中に広がったのだろう、驚いたように目を見開いて「甘いっ」と漏らす。

キリトが安心したように微笑んでから食べ方のレクチャーをした。

 

「上品にフォークで食べるならあらかじめヘタを切り落とすんだ。けどヘタが付いてた方が色味はいいよな」

 

それを聞いた侍女が恐縮したように頭を下げるのを見て「ウチの従者がちゃんと伝えなかったんだろ」と助け船をだす。

 

「オレはいつもなってるのをそのまま手で取って食べちゃうから」

 

笑って言えば侍女はもちろん、アスナもリズまでもが呆れた顔を浮かべた。

しかしすぐにアスナは自分もイチゴを手に取って「リズ、リズ」とリズに向かって口を開けるようせがんでいる。

珍しく照れ顔でアスナの前に顔を出したリズは友の手からイチゴを口にすると、同じように「ホントに甘い」と驚いていた。

二人の少女が満足げにイチゴの美味しさを認めた後、仕切っていた侍女が安心したように息を吐き出す。

 

「よかったですね、姫様。今日は朝から何も召し上がって下さらなかったのでホッと致しました」

 

侍女の安堵の表情とは裏腹にその場は凍り付いた。

 

「朝からっ!?」

「朝からですって!」

 

キリトとリズが同時に声を荒げる。

何とかリズを誤魔化していたのだろう、アスナが頬を引きつらせているとキリトとリズは更にアスナに接近して交互に彼女の口にイチゴを運んだのだった。




お読みいただき、有り難うございました。
公式設定ではないと思っていますが、アスナの「イチゴ好き」ネタを
随所で目にしているので、のっかってみました。

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