それは此処ではない何処か   作:おるす

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後半戦です。キルタンは強い子。


八日目「第二試合:蒼炎纏う拳士Ⅱ」

 ――どうしよう。

 ――どうしよう。

 ――どうしよう。止まらない。止められない。

「う、ううっ…………」

 ぐしぐしと両手で目をこする。止めどなく溢れてくる涙を必死に拭う。

 さっきまで全然平気だったんだから、こんなのすぐ終わるんだから。そう思い、ただただ必死に涙を拭い続ける。

 ……こんな無様な姿をあいつには見られたくない。

 こんなのはすぐ終わる、だから、これが終わったらまた強気の仮面を付けて、あいつの相手をしないと。そんなのは虚勢だって分かってる。でも、私はあいつの先輩なんだから。

 これから一緒に仕事をやっていく相手に、使えない奴だなんて、思われたくない――

「ぐっ……!? う、うう……う、あああっ……」

 ――使えない奴。

 その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、収まりつつあった涙がまたしても溢れ出してきた。

 そして過去の忌まわしい思い出も、呪いのように眼窩の裏で再生されていく。

 ……思い出すのは巨大な害虫。あれは何て事のない街道での、ごくごく簡単な任務の時だった。

 それは駆け付けた時には既に事切れていて。

 それでも、その下には何故か不釣り合いなほどに害虫の体液が、いや、違う、

 ……血の池が出来ていて。

 害虫の下には、手が、見慣れた、あの人の体が、潰れて――――

「が……は、あ、あ、ああ、あああっ……!」

 ……思い出してしまった。

 呼吸が出来ない。体が酷く寒い。涙が止まらない。目の前が滲んでよく見えない。

 ……なんて無様なの。

 こんなのであの人の部隊の一員とか、自分で嫌になる。

“そうよ。あの人が死んだのはあなたのせい!”

“あなたがそんなにも無様だから、助けられるものも助けられないのよ!”

「…………っ!」

 誰かの罵る声が聞こえる。

 ……違う、これは幻聴だ。だってあの日以来、誰も私を責めてはいないのだから。

 私が、私だけが自分を許していないだけ。

 もういっそのこと殺して欲しい。

 大好きなあの人のいない世界も、こんなになっても助けてくれない社会も、

 そしてなにより、こんなにも無様な自分が大嫌いなの……!

「…………」

 口をきつく結び、震えないようただただ必死に身を強張らせる。

 思考は千々に乱れ、言葉が思い付くままに頭を埋め尽くしていく。

「……う、うう……」

 気が付いたら座り込んでいた。お尻からは芝生の感触。

 俯いていた顔を上げ、周囲を確認してみる。

 ……涙で視界が滲んでよく見えない。

 だけど、

 前に何か、黒いのが――

「……大丈夫か?」

 黒い何かは、気遣う言葉をかけてくれた。

「……………………」

 何か言葉にしようとするが、上手くいかない。ぱくぱくと口だけが動く。

 ああ、これじゃもっと気遣われてしまう。そんなのは嫌なの。優しくしないで。私を憐れまないで。

 これ以上、私に無様だって思い知らせないで――

「……ああ、そうか。分かった」

 ……そんな思いが通じたのか、黒い何かはそれ以上は何も言わなかった。

 代わりに、少し遠くで何かが腰を落とす音がした。

 付かず離れずといった位置で、こちらにあまり意識させず、それでいて何かあったらすぐに近寄れるような距離だ。……恐らくはあの黒いのだろう。

「…………」

 ……こんな対応をされたのは初めてだ。今まで発作が起きた時は、周りのみんなはきゃいきゃい喚いたり、必要以上に気遣ってきたものだ。……それが私の負担になるのだと気付かずに。お節介を焼くことが、最大の対策なのだと言わんばかりに。

 ……だから、引き籠った。誰にも会いたくなかった。世話を焼かれるのが怖かった。誰かに後ろ指を指されるのかと思うと、体が動かなくなった。

 ……そう、だから今日は本当に、本当に頑張って来たのだ。

 このままじゃいけないって、馬鹿でも分かるから。

 どうにかしなきゃいけないって。

 そうしないとみんなに、あの人に笑われるから……

「…………」

 こんな私を労わるかのように一陣の風が吹く。……秋めいた風は涼しくて気持ちが良い。昂った心まで冷やしてくれるかのようだ。

「……ぐすっ」

 ……だんだん落ち着いてきた。鼻をすすり、顔を上げる。

 どれくらい時間が経ったのだろう。いつもだったら落ち着くまでに一時間。悪い時には三時間はかかっていたのだけど……

 ……辺りはまだ明るい。夕方になってはいないようだ。

「……もう平気か?」

 と、そんな私に横合いから声がかけられた。

 戻った視界で声の主を見ると、例の黒塗りの少年だ。薄い表情で何かを突き出している。

「ほれ、ハンカチ。酷い顔してるからこれで拭いとけ」

「…………」

 開口一番、酷い顔とか……相変わらず口の悪い相手だ。だが好意を無下に扱うほどの余裕は今の私には無い。無言で受け取る。

「……んっ……」

 ごしごしと顔を拭う。それなりに良い値段の代物なのか、肌触りは悪くない。

「……ぶーっ!」

「あっ! こら馬鹿! 鼻をかむな!」

 ……ただ返すのも癪なので鼻をかんでやった。顔も心もスッキリして一石二鳥だ。

「はい、どうも。返すわ」

「……いやいい。やるよ。というか、鼻かんだ奴を返すなよ……」

 げんなりした表情でこちらを見る少年。それにしてもさっきから聞きたい事があるんだけど……

「ねえ、あなた」

「ん? どした?」

「私の事……その……幻滅してない?」

「……なんで?」

「えっ……」

 予想外の返答が来て、思わず固まってしまう。

 だって、あんな、いきなり泣き崩れる私なんか見たら、普通は幻滅すると思うんだけど……

 そんな私の懸念を目の前の少年は、

「あれくらい、誰だってなる可能性あるだろ。……俺もそうだったし」

 何を当たり前のこと言ってるんだこの馬鹿は、とでも言わんばかりに切り捨ててくれたのだった。

「あ、あなたもって……どういう……」

「俺、一番最初に害虫を倒した時に、言葉が出なくなっちゃってさ。いやぁ、あれは参っちゃったね」

「こ、言葉が……?」

 本当なら大変な事なんじゃないの……? なんでそんな何でもない風に言えるの……?

「……それと、これはまだ誰にも言ってないんだけどな」

「……?」

「俺、向こうでもあんたと同じ風になった事があるんだわ」

「え…………」

 皆には、特にエニシダには内緒だぞー、と続けながらあっはっはと笑う少年。

 いや、それ本当なら、なんであなた笑えるの……? こんなに辛いのになんで……?

「……何か不思議そうな顔してるな?」

「え、いや、だって……」

「まあ、こっちはもう終わった事だからな。あの時は辛かったなーって割り切れるもんなのさ」

「…………」

「……でも、お前さんの辛さも、それなりによく分かる。……大変そうだな」

 ……本当に大変だと思ってくれているのだろうか。何だか判断に困る。それに同じ風にって……泣き崩れてる顔とか想像できないんだけど……?

 そんな私などお構いなしに、言葉を続けていく。

「……まあその、なんだ。困った事とか、どうしようもない事があったら、お兄さんが相談に乗ってあげよう」

「…………」

「カウンセラーとかじゃないから、ロクなアドバイスはできないかもしれないが……まあ、一人で抱えるよりはマシだろう。ああ、当たり前だけど、誰にも言わないでおいてやるから、その辺は安心してくれ。こういうのは色んな奴に広まると面倒臭いんだよ……」

 何しろ自分でも体験した事だからなーなどと、またしてものほほんとのたまう眼前の少年。

 ……それを見ていたら、何だか気が抜けてしまった。

 何で私だけこんなシリアスやってるんだか……

「はぁぁぁぁ……」

「ど、どうした? 盛大に溜息なんか吐いて」

「何と言うか……」

「何と言うか?」

「あなたと話したら色々とどうでも良くなったわ……」

「お、そうかそうか。そりゃ良かった」

「全然良くねーわよ……」

 頭を振って立ち上がる。いつまでもこうしてくっちゃべってるわけにもいかないだろう。

 ……結果的に相手に慰められたおかげで大分バツが悪いが、コレにならちょっとぐらいダサい所を見せても平気、なんて今は思えている。きっと、あっちも赤裸々に話してくれたおかげだろう。

 恥ずかしさで赤くなる顔を背けて隠しながら、私は続ける。まだコレとの決着は着いていないのだから。

「んじゃ、続きやりましょうか。その……時間を取らせて悪かったわ……」

 

 

 

 中庭の中央へと戻り、再度相対する私達。

 審判のウメさんは事の推移を見守ってくれていたのか、移動したときには何処からともなく現れていた。きっと、全部見られていただろう。そう思うと自然と顔が熱くなるが、努めて表情には出さないようにする。何も言ってこないし、あっちもこちらのプライバシーには必要以上に口出しする気はなさそうだ。

 太陽の輝きを受けて漆黒の輝きを放つ斧槍を見つめながら、私は聞いてみる。……少し、この人に興味が湧いた。

「……ねえ、あなた」

「うん?」

「あなた……イルは、やりたい事とかあるの?」

「何だ、藪から棒に……聞いてどうするんだ?」

「別に。ちょっと聞いておきたいなって。ああ、別に言いたくないならいいのよ?」

「やりたい事……やりたい事なー……」

 むむむーん、と悩ましげな表情を作るイル少年。そんな難しく考えてもらわなくてもいいんだけど……でもまあ真剣に考えてもらえるのは何となく嬉しい。

 それなりに時間が経った後、返答は帰ってきた。

「……ご飯」

「はい?」

「この世界の美味しいご飯が食べたい」

「…………」

 ……なるほど。ご飯ね。ご飯と来たか。なるほどなー。

「あなた、それ本気で言ってるの……?」

「あ、その目は信じてないな!? ものすごく悩んで悩んで悩み抜いて、最終的にご飯に行きついたってのに!」

「絶対そんなに悩んでないでしょーがっ!?」

「さては食事の重要性を分かっていないな……!? 美味しいご飯を食べる事はな。何よりも尊い事なのだ! ご飯が美味しいってだけで生きる気力がムンムン出て来るんだからな! 俺と一緒に仕事をするなら覚えておくがいい!」

 黒いのはこちらを見上げながらうがうがと熱弁を振るう。……この様子だとあの返答は本気だったのか。

 ……折角ちょっとだけ「気遣いの出来る良い奴だなぁ」なんて見直したというのにコレである。なんて残念なの……

「分かった! 分かりましたから! もういいわよ何でも!」

「ふっ。分かってくれればいいんだ」

「若干上から目線なのがイラッと来るわね……」

「……何か言ったか?」

「何も言ってない! いいからさっさと始めるわよっ」

 再び拳を構える。……聞きたい事は全部聞いた。あの人とは似ても似つかない返答だったけど、まあいい。これはこれで素敵な上司になってくれるかもしれない。そう思うと、すっと肩の荷が下りた。ガチガチに固まっていたさっきまでとは違い、上手く身体が動いてくれそうだ。

「次で、決めるわ」

「……ああ」

「次に全力を込める」

「……分かった」

 ……これで本当に会話はおしまい。

 魔力を巡らせ、蒼炎を全身に宿す。気を循環させ、反応速度を限界まで引き上げる。

 ……彼我の距離は五メートル程。一挙手一投足を見逃さぬよう、黒塗りの少年を注視し続ける。

 一秒。二秒。三秒。……動かない。ならばこちらから――

「――――」

 右足を一歩出し、大地を踏む。

 ……一ヶ月前の、腑抜ける前の私を思い出す。

 今の私なら、出来るはず……!

「――それッ!」

「――――なっ」

 驚愕する声が一瞬聞こえるも、次の瞬間には別の音によってかき消された。

 踏みしめた大地が軋み、蜘蛛の巣のように亀裂が入っていく。

 地鳴りを響かせながら大地が揺らぐ――

「おおおおッ!」

 全身に巡らせた魔力を開放し、地を蹴る。地面が爆ぜ、破砕音が遅れて耳に届く。

 今までとは比較にならない、圧倒的速度で相手へと肉薄していく。

「――寝ときなさいッ!!」

 ……減速なんてしない。むしろ更に加速させ、己が身を弾丸と化して相手へと突進。

 ぶつかる刹那に身を捩らせ、肩口から全体重を乗せた体当たりを叩き付ける!

「――――があッ!?」

 相手は斧槍で防御しようとした様だが、流石に間に合わなかったようだ。中途半端な格好で私の一撃を受けた相手は、勢いを殺すこともままならず、進路上にあった不運な木々を圧し折りながら吹き飛んでいった。

「すぅーっ、はぁぁぁぁ……」

 ……未だ燻ぶる魔力を制御するため、深呼吸を一つ。

 鉄山靠と言うらしいこの技は、とある任務の折にベルガモットバレー出身の花騎士から教わったものだ。強敵相手への切り札として今まで愛用している。それこそ滅多に使うものではなかったが、ここぞという時には必ず戦果を挙げてきた。文字通りの必殺技だ。

 ――だが、これで終わらせる私じゃない。

 あのサンゴバナさんを倒した相手だ。これで終わる訳が無いんだから、嫌と言うほど叩き込んであげよう。

 ……吹き飛んでいった先を見据えながら、両手にあらん限りの魔力を集める。それと共に掌の中に蒼炎が集っていく。

 限界を超えて溜められた魔力により、ブチブチと音を立てて指先の血管が裂ける。そうして流れ出た血液は蒼炎によって即座に蒸発していく。

 丸い文様を描くように掌を動かす。

 魔力を、焔を込めて。

 丸く。集え。集え。凝縮せよ。

 ……今だ。

「これで――」

 集い凝縮した焔を解き放ち、青き炎花の波動を全身全霊で叩き込む――!

「――決めるってのッ!」

 放たれた焔の奔流は木々を飲み、地を薙ぎ、空気を焼きながら目標へと殺到していく。

 ……さっき吹き飛ばした時に出た土煙のせいで、若干狙いが甘くなってるかもしれない。だが、それも些細な問題だ。これだけの物量。先の鉄山靠を食らった直後にこれが躱せる訳が無い。

「……ぐっ、はあぁっ……」

 全霊の一撃を放った私は膝から崩れ落ちる。

「く、はぁっ……は、うっ……」

 ……流石に反動が大きい。両手にも力が入らない。見れば、手首から先が無残に焼け付いていた。後先構わずにぶっ放した結果だろう。今日一日はまともに動かせないかもしれない。

 ごうごうと音を立てながら焔が爆ぜている。

 防御の腕輪があるから命に別状はないと思うけど、ちょっとやり過ぎたかな……この勝負が終わったらさっさと消火しないと。訓練場みたいに、この中庭も荒らしたら出禁にされても文句は言えないだろう。

「くっ……よいしょ、っと……」

 腰を上げ、相手が吹き飛んだ先へと歩き始める。土煙に加えて木々の燃える煙も混じってきたため、視界はすこぶる悪い。

「自分でやったとはいえ、中々の大惨事ね……あははっ……」

 先の訓練場よりははるかにマシだけど、なんて嘯きながら更に歩みを進める。

 ガキィン!

「……は……?」

 ……音がした。半笑いの表情を残したまま、私はそれを見る。

 足元に見慣れた斧槍が突き立っていた。

「え…………」

 呆けた表情が抜けぬまま視線を戻し、歩く先にあるものを見る。

「はーっ……はーっ……げぼっ、ごほっ……」

 ……あいつが腕をだらりとぶら下げたまま、こちらに歩いて来ていた。全身には未だ蒼炎が纏わり付いたままだ。ごほごほと咳き込む口からは黒い血がだらだらと零れている。

「大分いいのをもらったぞ……おかげで腕がイカれちゃったじゃないか……は、はは……」

「あ、あなた……」

 呆然と立ち尽くしてしまう。

 あれを受けて、まだ立ち上がるというの……!? 私の全力が、駄目、だったなんて……何て、こと……

「あ、ぐうっ……」

 ……己の無力さを認識した途端、また例の発作が出てきてしまった。咄嗟に顔を伏せ、歯を食いしばって耐える。

(何だって、こんな時に……!)

 ……だが次の瞬間にはそんなのを気にする余裕も無くなってしまう。

「……正直こういうのは好みじゃないが、他に方法も無いんでな。恨むなよッ!」

 言い放たれた言葉を認識する間も無く、足に衝撃が走る。

「な、に……?」

 視線を落とす。

 ……足が踏まれてる? 疲れと発作で頭が上手く回らない。何が――

「せぇぇのぉぉッ!」

 直後、視界が明滅した。

「あ、ぐぁ!?」

「ぐぅぅぅ! ったあっ……!」

 頭が痛い。何かをぶつけられた?

 ……距離を離そうにも足を踏まれているから下がれない。視線を上げていく。

 上げていく途中、少年と視線がかち合う。

「ぐうぅぅ~~……頭突きなんてやるもんじゃないよな……! でもこれしか出来ないんだもんな! 仕方ないよなッ!」

 かち合ったと思ったら、存分に振りかぶられた頭突きが飛んできた!

「あ……! が……ッ!」

 今度は鼻先に叩き付けられた。堪らず顔を抑えようとする。だが、腕がうまく動かない。

 痛い。ものすごく痛い。

「もういっちょッ!」

「あ……! やめ……!」

 ……焼け付いた両手で防御しようとするも、やはりビクともしない。

「ぐっ……ああっ……!」

 二度三度と絶え間なく頭突きが飛んでくる。全てまともに受けてしまう。

「ううううっ……」

「んぐぐぐ……! こなくそぉ!」

 あっちだって痛いはずなのに、何でここまで抗おうとするんだろう。そんなに涙目になって、どうして頑張るんだろう。

 あのまま倒れていれば終わったのに。こんなに痛い思いをしなくても楽に終わったのに。誰からも責められることなく、ちゃんと終われるのに……!

 ……何だか、ものすごく腹が立ってきた。

 相手の頭突きが再び迫る。もう嫌だ。こいつの思い通りになんてさせてやらない……!

「いいかげんに、してよぉ……ッ!」

「ぐぅ!?」

 相手に合わせてこちらも頭を振りかぶり、渾身の頭突きを放つ。

「「~~~~っ!」」

 二人してしばらく激痛に身を悶えさせる。……我ながら馬鹿な選択をしたなって思うけど、この状況下で早く終わらせるにはこれしかない。涙目になりながらも、何度も頭突きをぶつけていく。

「あんた、なんかの思い通りにさせて……ッ!」

 ガツン!

「うぁ……!」

「こんな所で頭突きし合って……ッ!」

 ゴツン!

「んぅ……!」

「私、負けないんだからぁ……ッ!」

 ガツン!

 ……出るに任せてるから、言葉が支離滅裂だ。それでも、出さないと気が済まない。

 パリンと何かが砕ける音がした。けれど、何の音だろう? ……思い出せないなら、どうせ大したことじゃないだろう。

「……こんのっ、石頭がぁッ!」

 ゴッチン!

「っつあっ!」

 ……あちらも負けじとぶつけ返して来た。見れば口からだけでなく、額からもだくだくと血が流れている。……相手も相手だ。もう意地だけで動いてるんじゃないの?

「あんた、ほんと馬鹿よねッ!」

「馬鹿はお前もだろがッ!」

「馬鹿に馬鹿って言われたくないわよッ!」

「うるせー! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだッ!」

「こんのっ……! 馬鹿馬鹿!」

「あんだとっ……! バカバカバーカ!」

 馬鹿馬鹿と罵り合いながら、ガッツンゴッツンと、何度も何度も頭突きをぶつけ合う。

 視界はとっくのとうに真っ赤に染まっている。というか、もう良く見えない。頭だって痛いじゃ済まないはずなのに、何だかとても清々しい気分だ。

 ……ガッチンゴッチンとぶつける度に、心に溜まった鬱屈とした感情が、どばどばと振るい落とされていく。そんな気がした。

「ふっ……あはははっ!」

「……何だよ。頭がおかしくなったか石頭?」

「誰が石頭よ! ……ただスッキリしてきたから、笑いたくなっただけよ!」

「はっ! スッキリしてきたとか、やっぱ馬鹿だな!」

 そう言い放つと再度ゴッチンとぶつけてくる少年。

「っつぅぅ……く、くく、はははっ! 確かに、ちょっと愉快な気がしてきたな! たまには馬鹿の真似事も悪くないッ!」

「最初にやってきたのはあんたでしょーがっ! はっ、あはは!」

 それからはもう、あれだ。

 ヒドいの一言に尽きた。

 全力でぶつけて、ぶつけ返されて。

 ただただそれの繰り返し。

 お互いに笑いながら。何事か喋りながら。

 ただひたすらに己をぶつけ合った。

 

 

 

 ……永遠に続くかと思ったそんなやり取りだけれど。何事にも終わりというものは訪れるものだ。

「……!」

 ごしゃりと音がした。どこからだろう。もう良く分からない。どうでもいい。……あいつにまたぶつけ返さないと。

「…………ぁ」

 ずるりと足が滑り、視界が反転する。転んでしまったようだ。立ち上がらないと……腕は……そうだった。もう動かないんだった。これじゃ起き上がれない。

(ここまでかな……)

 私の負けか。……何だかとても悔しい。でも、すごく楽しかった、気がする。こんなボロボロになった感想が“楽しかった”ってのは私らしくないな……

(楽しかったけど、ちょっと、疲れた……)

 倒れ込んだまま瞳を閉じる。……すぐに意識が飛んでいきそうだ。もう力が入らないのだから、起きていても仕方ないし……とっとと眠ってしまおう。すごく、すごく疲れた……

 

 ――けれど、眠りに就くその刹那。

 少しだけ、夢を見た。

 ……甘く切ない夢を。

 

『ねえ、あなた』

『なに?』

『あなたは、やりたい事とかあるの?』

『やりたい事? うーん、そうだなぁ……』

『何でもいいのよ? あ、でも、できればお仕事以外で教えてくれると嬉しい、かな……』

『…………何処か』

『?』

『仕事で行けないような何処かへ旅をして、色んな人に会ったり、色んな景色を見たり、そういうのが、したい。変かな……』

『へぇ……す、素敵ね!』

『お、キルタンサスは分かってくれるか。これ言うと、いつもやってるじゃない、とか言われてさ……』

『仕事で行くのと好きで行くのは全然別だと思うもの。そ、それでね……』

『うん?』

『お、お仕事一段落したら、それ、やってみたら?』

『……ああ、そうだな。最近根を詰めてたから、次の休暇にでも行ってみるか。あんまり遠出は出来ないだろうけど、良い気分転換になるだろうし』

『わ、わあ……!』

『……キルタンサスも、一緒に来てくれるよな?』

『ど、どど、どうしてもって言うなら、行ってあげなくもない、けど!』

『あははっ、素直じゃないな。……でも、ありがとう。一緒に行こうな。約束だぞ』

『えっと、その、うん。……こちらこそ、ありがと――』

 




それは幸福の残滓。もう零れ落ちてしまった日常。
戻り得ぬ日々は甘く、とても幸せで。
けれど、残された者はそれに縋り続けるしかないのだ。
いつまでも。……いつまでも。
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