「おはようございます、イルさ――ってきゃああああ!?」
「すやすや……」
「何ですかこれ!? ワイン!? 何飲んでるんですか、この……お馬鹿―!!」
「……ぐっはぁ!?」
目覚めた俺が最初に知覚したのは、背中への痛みだった。俺、何されたん?
「あたた……朝から激しいな……」
床の上にいることから、多分エニシダに投げ飛ばされたのだろう。意外とパワフルだ。いや、俺が軽いのか。
「朝から激しいな――じゃないですよ! 未成年なのに何お酒飲んでるんですか!?」
「いや俺、中身大人だし」
「そういうのはよくてですね! ……ってあれ、いいのかな……?」
「良くなくても俺は飲むぞ。飲まないと死ぬ」
「どういう生活してきたんですか貴方は!?」
「寝酒が趣味の、ささやかながらつましい生活だ。文句あるか」
「……はあぁぁ~~……」
深々と溜息をつかれた。
「昨日からイルさんの残念な部分がどんどん出て来る……」
「俺は元々残念な奴だぞ。期待するんじゃない」
「うううぅ……夢くらい見させてください……」
嘆くエニシダを放置し、身支度にかかる。よし、酒精は残ってないな。
「さてと、今日も頑張りますかねー」
昨日と同様に図書館で手続きを済ませる。最奥の部屋には昨日と同じ光景があるだろうと予想していたが、今日はどうも違うようだ。
「あら、ナズナさん。今日はナズナさんが教えてくれるんですか?」
「ええ。おはようございます、お二人とも」
そこにいたのはナズナである。今日は先生役をこの人がやってくれるらしい。
「もう仕事は一段落ついたんですか?」
「はい、イルさんの手続きなどは昨日で全て終わらせましたので、残っているのは通常業務だけですね。まあこれも多いんですが……」
「お、お疲れ様です」
自然と敬語になってしまう。何となくこの人には頭が上がらないんだよなぁ……苦労人らしいし、今も俺なんかの為に頑張ってくれてるし。
「おほん、仕事が残っているので午前中だけですが、今日は団長の職務について私がお教えします。午後は害虫やその他気になる事項について、エニシダさんと一緒に学んでおいてください」
「はい、分かりました。よろしくお願いします」
「……イルさん、私の時と態度違いすぎやしません?」
不満たらたらなご様子のエニシダ。そんな事言われてもなー。
「うるさいぞ。俺は頑張ってる人にはちゃんと接するだけだ」
「私も頑張ってるのに!?」
「お前は何か、頑張ってるんだろうけど残念な所あるし……」
「残念なのはお互い様ですよ!」
そんなやりとりをニコニコしながら見ているナズナ。ふっと一言。
「昨日から思っていましたが、エニシダさん、イルさんと随分仲良くなりましたねー。何よりです」
「え、あ、はい。何とかなりました……」
「誕生花だって言おうかどうしようか、私に相談された時とは大違いです」
「ひぇあああ!? 言わないで下さいよー!」
なるほど、詳しく?
「あの日の夕方、エニシダさんがダッシュで私の執務室に突っ込んで来た時はすごかったですよー。『イルさんにどう話せばいいのかわからないですー! いやそもそも男の人に話しかける時って、どうすればいいんですか!? 助けてナズナさん!』なんて言って泣き付いてきましたし。四の五言わずに当たって砕けろってアドバイスしましたが、上手くいったようで何よりです!」
「それ、アドバイスとしてどうなのよ……」
傍から聞いてると面倒臭いから適当に追い返したようにしか聞こえないんだが。
んん……? でも状況としてはそれがベストなのか……?
「あうう、知られてしまいました……私のダメな所が……」
「いや、大して変わらないからな? お前が割と残念だってのは最初から知ってたし」
「残念に残念を重ねて、超残念になってしまいました……」
よっぽど知られたくなかったのか、すごい凹んでるし。面倒だしそっとしておこう。
「まあこいつは放っておいて、早速授業をお願いします」
「あ、はい。ではお教えしますのでちゃんと板書して下さいねー」
エニシダをちょっとだけ気にかけつつもナズナは話し始める。
「まず、戦場における団長の役割についてですね――」
戦場における団長の役割とは、花騎士達の魔力を管理し、その力を十全に発揮できるように努めること。魔力が多い者からは分けてもらい、足りない者へは注ぎ込んでいく。そしてそれでもなお余る魔力は自身へと蓄え、機を見て放出する。
「そんな器用な事、俺に出来るとは思えないんだが……というか、分けたり注いだりってどうやるんだ……?」
「それはですね、花騎士との絆です。絆を繋いでいくと自然とその相手の魔力が分かるようになり、無意識下に分配されます。そして絆が深ければ深い程、その速度・量も増え、花騎士の戦闘力は飛躍的に上がっていきます。花を従える魔力を持つ、団長ならではの能力ですね」
ほむほむ、そう言うのならばそういうものなのだろう。意識しなくていいってのは助かる。
だが、それよりも気がかりな事があった。
「むぅ、絆ねぇ……」
「イルさん、何か問題でも?」
「いや、色んな人と仲良くなれる自信があんまり無くて……」
「それは別に大丈夫だと思いますけど……ね、エニシダさん?」
「あ、え、そうですね……」
何故かしどろもどろに答えるエニシダ。
色んな人と楽しげに話す俺でも想像したのだろうか。確かにちょっと気持ち悪いな……
「あ、あと放出って言ってたけど、それは何?」
「極陽解放――ソーラードライブのことです。貯めに貯めた魔力を天から降ろす大技ですね」
「ほう、大技……出し方とかあるの?」
「出し方は、私は団長ではないので詳しい事は分からないのですが、亡き先代団長曰く、『なんか貯まったら勝手に出る』らしいです」
「な、なんてアバウトな……」
なんか貯まったらって……大や小じゃないんだから……
「戦場における役割についてはこんなところでしょうか。イルさんはこれに加えて戦闘もするので頑張ってください」
「そういや俺、戦闘もする予定だったっけか……その話聞くと無茶だとしか思えないけど」
「大丈夫です。戦っていようがいまいが、死ぬときは死ぬので!」
「…………」
安心させたいんだろうが、今ので一気に不安になったぞ。改めて過酷な仕事だなぁと思い知る。この世界だとこれが普通なんだろうけど。
「では次、団長の職務についてご説明します。職務は大きく分かれて通常任務と緊急任務の二つに集約されます」
通常任務とはある土地一点に留まっての防衛、巡回、戦闘といったものを指し、緊急任務とはそれ以外のイレギュラー対応、イベント時の特別警護等へ対応する際に出される指令のようだ。職務内容は多岐に渡るのだろうが、ここは必要最小限覚えておけばいいだろう。どうせ仕事してれば嫌でも覚えるんだろうし。
「イルさんが団長職に就任した際には、慣例に従いフォス街道の巡回任務に就いていただきます」
「ふーん、慣例ってことはそこでどの程度なのか見極めるって感じですかね?」
「その通りです。イルさんの能力次第では、先代団長の穴を埋めるための女王直属の特務部隊となる可能性もあるので頑張ってくださいね」
「直属の特務部隊……」
何やらすごそうな響きだが、俺は平穏に生きたいのだ。そういうのには選ばれないよう、適当に手を抜かなければ……
「あ、イルさんがずぼら根性を発揮してそうな顔になってる」
「ずぼらじゃない。手を抜く覚悟をしただけ……あっ」
「イルさん?」
怖い笑顔でナズナが見てくる。失敗した……
「手を抜いたらお給金半分にしますから、そのつもりでよろしくおねがいしますね?」
「ぐぬぬ……」
おのれエニシダめ……余計な事を言うから藪蛇になったじゃないか。
こっちが睨むとニヤリと笑い返してきやがった。確信犯か、あいつ。
「気を取り直して、次に部隊の構成についてです。新任の団長の持てる部隊は五人から構成される一部隊のみですが、経験や実績を積んでいくことで最大二十人からなる四部隊を率いることになります。もっとも、実際は控えも入るのでもっと多くなりますが」
「うへぇ、そんなに多いのか……」
二十人とか無理無理。しかも全員女性とか……前に言ってたコミュ力が重要ってのはこの事なんだろうな……
「ずっと一部隊がいいなぁ」
「最初はみんなそう言うんですよ。ですがじきに慣れていくのであまり気にしなくてもいいかと」
「むーう……」
「それに勤務地次第で部隊数も変わりますし、あまり難しく考えても仕方ないですよ?」
そう言うのならそうなのだろう。上手く丸め込まれている気もするが、現状考えても仕方ないのは確かだ。
「ここまでが職務の概要になります。何か質問はありますか?」
「はい。先代団長がやってた仕事って今どうなってるんです?」
先ほど出て来た特務部隊について聞いてみる。単純な好奇心だ。
「ああ、特務部隊ですね。解散しました」
「え、うそ」
「うそじゃないです。マジです。今は特務部隊の抱えた案件は各地の団長へ、やっとこさ引き継ぎが終わったところです。いやぁ、大変でしたよー……」
遠い目をするナズナ。本当に大変だったのだろう。ちょっと涙目である。
「でも引き継いだところで、こなせるほど優秀な団長もそう多くないのが現状なので、早く代理を立てないといけないんですよね。……イルさん、分かってますね?」
「いえ、分かりません。何のことやら」
「とぼけてもダメですよ? 私が何の為に私財を擲ってまで召喚したと思ってるんですか」
「え、あれ経費で召喚したんじゃないんですか……?」
エニシダがおずおずと質問する。どうやらこいつも初耳なようだ。というか経費で召喚ってすごい言葉だな……
「自腹です。給料二ヶ月分消えましたとも」
「ひええ、そういう事は初めに言っておいてくださいよー! そんな大役だと知っていたら絶対に引き受けなかったのに……今更だけど心臓がバクバクしてきた……!」
「絶対に引き受けなさそうだから敢えて内緒にしておいたんですよ。エニシダさんは自己評価が無駄に低いですからね」
頭を抱えるエニシダに容赦ない評価を突きつけるナズナ。どうやら完全に性格は把握されていたようだ。にしても俺は給料二ヶ月分の価値だったのか。多いのやら少ないのやら……
「まあ、期待されてるのはよく分かりました。出来るだけ頑張ります。出来るだけ」
「……手を抜いちゃダメですからね?」
「へいへいー」
「本当に分かってるんだか……他に質問は無いですか?」
「はい。事務処理とかの実務内容は教えてくれないんですか?」
これは聞いておきたい。先の質問とは違って、これは良く考えた上での質問だ。
「実務内容ですか。それは実地で花騎士の皆さんに教えてもらって下さい」
「なんで今じゃダメなんです?」
「教えてもらう過程でイルさんと花騎士の皆さんが仲良くなってくれれば、という算段ですね。それとイルさんに今教えても多分実務までに忘れてそうですし……」
「…………」
耳が痛い話だ。多分じゃなくて絶対に忘れてるだろう。隣でエニシダがしたり顔でうんうんと頷いてるのが非常に腹立たしい。
「えっと、他に質問は無いですか? 無ければこれで終わりますが」
「あ、では最後。団長には女性ではなれないんですか? 聞く限りだと男性限定みたいですけど」
思い返すとこれまで男性限定とは一言も言ってはいないが、暗に男性でしか団長になれないという事は仄めかしていた気がする。そこはどうなんだろう?
「ああ、こちらでは基本常識だったので教えていませんでしたね……申し訳ないです、イルさん」
「あ、いえ」
「仰る通り、団長は基本的に男性にしか就く事ができない職業です。一時代理や特殊な事例として女性が勤めることもありますが、ごく稀です。その理由としては先ほど言った通り、花騎士と深い絆が作れないためです」
「深い絆……あっ」
色々と察してしまった。男女の深い絆といったらそれしかないよね。
「……察していただけて助かります。ちょっと言い辛いですし」
ちょっとだけ恥ずかしそうにナズナが笑う。だが俺にはさらなる疑問が浮かんでしまった。
「あの、ちょっと疑問が。団長って花騎士をたくさん部下にするじゃないですか。その……深い絆って事は複数の相手とそうなるって事ですよね? 道徳的に大丈夫なんです……?」
修羅場かハーレムかのどちらかにしかならないと思うんだが……
「その点は大丈夫です。この世界では一夫一妻と一夫多妻、両方とも法律上許可されています。それに、殆どの花騎士の皆さんはそういった事情は弁えていますし、最初に契約も交わすので、今まで問題が起きたことはありませんよ」
「むぅ、一夫多妻……」
職務で必要な事とはいえ、そういう法律まであるとは……正直言って想像できないな。自分がそうなるとも限らないし、何とも言えないが。
「では最後の質問にも答えましたし、ここまでという事で」
時刻を見れば十一時過ぎ。意外と早く終わったなぁ。堪らずうーんと伸びをする。ずっと座ってたせいで体がバキバキだ。というか、座学なんて本当に久しぶりだな……
そんな俺を横目に、トントンと書類を整え席を立つナズナ。
「それでは、私はこれで業務に戻りますので、あとはエニシダさんと害虫などについて学習しておいてください」
「あっはい、お忙しい中ありがとうございました」
「……節目節目では礼儀正しいですよね、イルさんって。途中素が出たりしてますけど」
「向こうでは色々あったので……」
昔をちょっとだけ思い出して遠い目になる。本当に色々あったんだよなぁ……
「えっとその、こちらでは苦労しないよう出来る限りサポートしますから、強く生きてくださいね?」
事情を察したのか、フォローしてくれるナズナ。有能すぎる。向こうでもこういう上司がいれば苦労しないで生きていけたんだろうなー、と思うと有難いのやら有難くないのやら。
これからやらされる事を考慮すると、全く有難くないんだろうけどな……
「優しさが身に染みる……」
「イルさん、ずぼらに生きてきただけじゃないんですね……」
「いい加減お前は俺のずぼらイメージを捨てろ」
「えーだってー」
「ふふっ……では私はもう行きますので、お二人とも仲良く勉強してくださいねー」
そう言うと返事を待たずにナズナは行ってしまった。仕事溜まってるから仕方ないね。
「ふう、やっと終わったか。ちょっと緊張したなー」
「イルさん緊張してたんですか? 意外です。ボケとかかましてたのに」
「あれはお前のせいだろ……でも俺、ナズナさんってちょっと苦手なんだよな。良い人なんだろうけど、上司オーラが醸し出されてるからついつい萎縮しちゃうっていうか……」
「上司オーラって……イルさんもそのうち出さなきゃいけないと思うんですが」
「上司力が高まれば対抗できるのかもな……」
「何アホな事言ってるんですか……」
アホな会話をしてリラックスリラックス。
「よし。んじゃ飯食べたら害虫の本探すか。他に見ておいた方が良い本ってあるかな?」
「んー、戦術とか武術についての本とかどうでしょう? 明後日には戦闘訓練が始まるようですし」
「おー、そういえばそうだった……」
あんまり思い出したくない事を思い出してしまった。訓練官が優しい人であることを祈ろう……
食堂で簡単に食事を済ませた後、目当ての本を探す。あまり苦労せずに見つかった。流石に千年も戦ってるからか、害虫や戦術についての本は多いようだ。
部屋に戻り、まずは害虫の本を開いてみる。どんなものかとぱらぱらと頁を捲って流し読み。
「ほうほう、これは……ひどい……」
そこには予想以上に酷い情報が詰まっていた。
「ねえ、エニシダ?」
「はい、何でしょう」
「何でこの世界の害虫は変な名前ばっかりなの?」
そうなのだ。真面目につけたであろう名前に混じって、へんてこなのがこれでもかと言わんばかりに紛れているのだ。マイドアリとか、コガネモチィとか。
「えっ、えっ、変ですか?」
「名付けた奴の頭がラリっていたとしか……」
「そこまで言いますか!? ちゃ、ちゃんと理由があるんですよ!?」
なんでも、名前に落差があるのは、害虫は古代から居るものと最近になって発見された新種が入り混じっているためらしい。真面目そうな名前は古代から居るものや、頻繁に遭遇するものに付けられていることが多く、片や変な名前は新種や希少種、主にあまり遭遇する機会が無いものに付けられているようだ。
「ぶっちゃけ、最近発見される新種や希少種は一期一会、それ以降もう確認することもできないものが殆どなので、その場に居合わせた方々のセンスで名前が決まってたりするんですよね」
「何て適当な……」
「害虫も種類が増え過ぎて真面目な名前を付けるが馬鹿らしくなってるんです……会うたび会うたび新種が出て来るんですよ? 普通は嫌になります」
「なるほど……んじゃこのふざけた名前の奴らは覚えなくていいな」
「いえ、それがそのふざけた名前の害虫にも結構頻繁に遭遇するものもいて……」
「ややこしいな!?」
「なので、イルさんはここに書いてある、遭遇度と危険度の高いものを覚えた方がいいかと」
「なるほど、こんな項目が」
エニシダに教えられたとおりに遭遇度と危険度の高いものをチェック。その中でブロッサムヒルに生息するものをリストアップしていく。勤務先が当分はフォス街道らしいので、今はここだけ覚えておけばいいだろう。
作業中、ある疑問が浮かんだので聞いてみる。
「そういやさ、害虫ってどれくらい大きいんだ? 大きさとか書いてないんだけど」
「んーと、個体によりますね。同じ種類でも二倍から三倍は個体差が出ますし」
「んじゃお前が見た中で一番大きいのってどれくらいだった?」
「うーん……スコルスコヴィルっていう集団討伐推奨のサソリ型害虫ですかねー。体長は人間の五倍はあったかも」
「で、でけえ……」
気になったので手元の本で調べてみる。あった。
スコルスコヴィル:
赤く燃えるような表皮が特徴な害虫。
体温は数千度に達していると言われ、その体液すら凶器となる。
ただ、その肉は食べる事ができる。
人によっては一ヶ月舌が痺れるほどの激辛っぷりで、
一部の激辛マニアの間で珍重されている。
「…………」
体温が数千度とか気になる事は書いてあるが……これは……ほほう……
「……こいつ食えるんだな」
「い、イルさん? 何か目つきが変ですよ?」
「しかも激辛……」
「……食べたいんです?」
「うん、ちょっと。いや、すごい食べてみたい」
「イルさん、辛党だったんですね……?」
こう見えて向こうでは激辛行脚などしてぶいぶい言わせていたものだ。こんな未知の食材、心惹かれ無い訳があろうか、いや無い。どんな味がするんだろう……気になって仕方がないぞ。
「いやぁ、ちょっとした人生の目標ができたなー。こっちに来て良かった。エニシダ、呼んでくれてありがとうな」
「へ? いや、どういたしまして……?」
「という訳で、俺は他に食べられそうな害虫を調べる。戦術の方は任せた」
「って、なんか変な方に興味が向いちゃった!? 駄目です! 戦術もちゃんと勉強してください!」
「そっちとか俺素人だし、それにお前が纏めた方が綺麗だし……俺纏めるのへたっぴだし……」
「さらりと自虐しないでくださいよ!? というか気にしてたんですね!?」
「…………」
「イルさん!? 無視しないで下さい! イルさーん!」
尚も説得しにかかるエニシダを無視し、害虫図鑑に集中する。しばらく説得を試みてきたエニシダだったが、無理だと分かると「なんで私が……」「魔女が戦術覚えてどうするんですか……」とか文句を言いながら、なんだかんだで覚え書きを作り始めてくれた。持つべきものは頼れる隣人である。
一方俺はというと、刻限ぎりぎりまで害虫図鑑を調べたものの、食べられる害虫は結局見つけられず大いに失望した。その代わりと言ってはなんだが、害虫についての見識は驚くほど高まった。(といっても真面目な名前の奴限定だが。ふざけた名前の奴が食べられるとは到底思えなかったからだ)
害虫というものは存外に面白い生態をしているものばかりで、失望はしたものの学習すること自体は非常に面白かった。あっちでいう怪獣図鑑みたいなものだ、心ときめかない男子は多分いない。
……そんなこんなで三日目の勉強はつつがなく終わった。帰る途中、エニシダからものすごい剣幕で怒られたが、俺は後悔してない。してないったら。
「エニシダ、すごい怒ってたなぁ……」
夕食を済ませ湯船に浸かりながら一人ごちる。今日は奮発して湯を張ってみたが、やっぱり湯船は良いものだ。読書疲れが洗い流されていく。ぼんやりと今日の勉強を思い出していると、ある一つの考えが浮かんだ。
「そうだ、あの肉が取れたらあいつにも食べさせてあげよう、そうしよう」
我ながら名案だ。明日エニシダに言ってみよう。どういう反応が返ってくるかな。すごい怒りそうな気もする。
ゆっくり温まったので湯船を出る。と、風呂場から出る前に鏡を一瞥してみる。
「そういや、髭とか伸びなくなったか? あと腕毛とかって昔無かったっけか……? 綺麗になってるな……」
ちょっとした発見である。身支度の際、何か忘れてるなーとは思ったがこれだったか。何にせよ楽ができるのは良い事だ。
「~~♪ ……って、なんでお前がいる」
上機嫌で風呂場を出ると、何故か今日もエニシダがいた。まだ怒ってるんだろうか?
「イルさんに飲酒をさせないためです!」
見ればワインを抱えている。なんと、俺の一日の締めの楽しみが……奪われてはたまらないので説得を試みてみよう。
「エニシダ、大人しくそのワインを渡すんだ。今ならまだ間に合う」
「ダメです! イルさんはまだ体は未成年なんですから、少しは自重してください!」
「落ち着くんだ、お前は酷い思い違いをしている」
「どういうことです?」
「どういうことって、それは……」
咄嗟に言葉が出ない。むぅ、こいつの言ってることの方が正論ではあるんだよなぁ……
「特に無いみたいですので、これは私が没収していきますね」
「ま、待ってくれ!」
そのまま部屋を出ていこうとするエニシダを呼び止めた。
……こういう場合はこうするしかあるまい。
「まだ何か――ってきゃあ!?」
「もはや言葉など不要……返してもらうぞ!」
エニシダからワインをひったくろうと飛びかかる。だが、思いのほか力が強い。そのまま引っ張り合いになってしまう。
「はーなーせー! これは俺のだ!」
「はーなーしーまーせーんー!」
「ぬおおおおっ!」「ふぬぬぬぬ!」
一進一退の攻防を繰り広げる俺達。だが――
「ふぎゃん!」
「はーっ……はーっ……」
善戦したものの俺は突き飛ばされてしまった。くっ、戦闘経験の差が出たか……
「うううっ、俺のワイン……」
「…………ふっ」
そこで何か思いついたのか、不敵な笑みを浮かべる眼前の魔女。
「そんなに飲みたいんですか、イルさん?」
「飲みたい……」
「どれ位?」
「飲まないと死ぬ……」
「ふーん? そうなんだー?」
笑みをさらに強めるエニシダ。嫌な予感しかしない。
「じゃあ私が代わりに飲んであげますね!」
こいつ……! 目の前でワインをラッパで飲み始めやがった!
「うわあああ!? なんてことを!」
「んぐっ……んぐっ……ぷはっ」
しかも一気かよ。俺が半分くらい飲んでたとはいえ、結構残ってたはずだぞ……というか、呆気にとられてたら全部飲まれてるし。何もそこまで体を張らなくても……
「んむー……ひっくっ」
「お、おい……? 大丈夫か……?」
様子がおかしいと思い、近寄って見てみると顔が赤い。そんでもってふらふらし出した。あれ、こいつひょっとして……
「魔女の癖に酒に弱いのか……?」
酒に弱い癖に何故一気飲みなんてしたのか甚だ疑問だが……仕方ない、こうなってしまった以上介抱してやらなくては。
「はぁ、全く世話のかかる……エニシダ、歩けるか? こっち来い」
「んんん、いるひゃん……」
手を引きベッドに座らせる。水持って来ないと……
「おい、エニシダ。手を離せ」
「いるひゃん……」
水場へ行こうとするも、手を放してくれないのでは行きようがない。にしてもいるひゃんってなんぞ?
仕方が無いのでエニシダの横へ腰を下ろし、そのまま容態を見る。目は半開きだし、こっくりこっくりと舟を漕いでいて非常に危なっかしい。それに何だろう、さっきより顔が赤くなっているような……
「本当に大丈夫か? 吐いたりしないよな……?」
「――っ! もうがまんできまひぇん!」
「ってうおあっ!?」
次の瞬間、ベッドに押し倒された。そしてそのまま抱き締められてしまう。
「おおお落ち着けエニシダ!?」
「んんっ、かわいいっ、しゅきぃ……だいしゅきぃ……」
頬擦りまでしてきた。かけられる息がとても酒臭い……この状況は不味い、すごく不味い。
「え、エニシダさん落ち着いてくださいおねがいします」
返答は無く、そのまま色んな所を押し当ててきたり、すりすりされたりした。色んな所とは色んな所だ。流石にこればっかりは黙秘権を行使します。つまびらかにすると俺の名誉がマズイ。
……しばらくすると、ぴたりと身動きが止まった。恐る恐る顔を覗くと、
「すー……すー……」
何とか眠ってくれたようだ。そのまま頂かれる覚悟でいたが間一髪で助かった……
「…………」
それにしても、こないだは後ろから抱かれていたから見えなかったが、寝顔が結構可愛い。黙っていれば美人なんだよな……言動が残念なだけで。
そのままじーっと見てると何だか意地悪したくなってきた。おでこに肉とか書いてみたい。
「……はっ。いかんいかん」
邪な考えが浮かんでしまった。慌てて振り払う。会って数日の相手に酒を飲ませて色々したなんて噂が出たら、この世界で生きていけなくなってしまう……
「にしても、こいつが起きるまでこのままか……はぁ……」
またナズナに見つかったら怒られるんだろうなぁと思うと憂鬱である。そして、眠れそうもないのに動けないというこの現実。俺が何をしたというのか。ワインを飲もうとしただけではないか。
「…………」
出来ることが無いのでエニシダの顔を再度見つめる。幸せそうに寝やがってこいつは……状況は相変わらず抱き締められたままだ。されるがままというのは癪だが、どうしようもない。
「っと、腕は少し動かせるか……」
肘から下だけ動かせるようだが、それでどうしたものか……
抱き返す? いやいやいやいや。
「…………」
……特にできることも無いし、抱き返してみた。酒で火照った体が温かい。今までの人生、こうやって誰かと抱きあった事なんてあったかな……意外と悪くない。
「こういう時って大抵、胸がどきどきしてーとかなるんだろうけど、全然ならないな……」
むしろ安心感の方が大きい。実家のような安心感だ。そこまで思ってある考えが閃く。
「ああそうか、なるほど。最良の関係ってのはこの事か……」
何となく合点がいった。こいつが伴侶とか運命の人とか言うから、すっかりその気になっていたな。
……こいつとの最良の関係。それは要するに家族に対するそれかもしれない。元々、俺は恋人なんて欲しくなかったし、むしろ家族と別れた事が心のどこかで引っ掛かっていたのかも。それをこいつが埋めに来たのではないだろうか?
誕生花の相手として。
「なんだ、気付いたらそんなもんか。今まであたふたしてたのが馬鹿らしいな……」
色々と吹っ切れたので再度エニシダを強く抱きしめる。温かい。今夜は良く眠れそうだ。
「ふむー……イルさん……」
寝言でも俺の名前呼んでるし……だが何となく嬉しい。出来の悪い妹ができた気分だ。
「新しい家族、か……まあ悪くはないか……」
妹って言ってますが、傍から見るとどう見ても姉弟です。本当にありがとうございました。