「天照院……奈落だと」
男の発言を反芻する。
「ち――――ちょっと、待て……お前は何を言っている?」
無論、土方は当惑していた。
到底信じ難いその文言に。
だが構うことなく男は続けた。
「今は亡き先代将軍が配していたのさ。幕府の重鎮から警察組織の末端に至るまで」
「先代……徳川定々公か?」
そう――と相槌を打つ。
同時に男は、無防備にもその場に腰を下ろした。
その仕種に敵対の意志はなく、むしろ土方と語らおうとしている。
その様子を察した土方は、自ら男に問いた。
「……何が為にだ?」
「我が身可愛さの為よ」
案の定、男は返してくる。
内容とは裏腹に、どうも軽快な口振りで。
「用途の一つは暗殺。己の政敵である幕臣を手に掛け、その後も嫌疑が自身に向かないよう、内部から働き掛けていた。まァ当人が死んだ今、これはどうでもいい瑣末事だが」
「……他は?」
「歩哨」
問答に間隙はない。
「この廃刀令のご時世、攘夷浪士や他国勢力を除けば、武力を有するのはお前たち警察組織くらいだ。監視の眼くらい仕向けて置くさ。謀反でも起こされちゃ堪らんからな」
「なら……あの時の説明がつかねェ」
一方の土方も聞くばかりではない。
男の発言に生じた矛盾点を突いた。
「過去に一度、徳川茂々公の指揮の下、全警察勢力が定々に剣を向けた事件があった」
それは白夜叉を始めとした五名の下手人が狼藉を働き、徳川紋に泥を塗った一件。
結果、当代将軍と警察組織そのものが牙を剥き、天導衆の介入も経て定々は投獄。
その後獄中に何者かの侵入を許し、暗殺で地位を得た者が暗殺で命を落とすという、なんとも皮肉な結末を迎えたのであった。
「天導衆はあの状況下でも定々の奪還を謀っていたはず……」
「任務には優先度がある。あの時の奈落は定々より課せられた職務を放棄していた。本当に仕えていた者の命によって」
――――誰だ、それは
「それこそ天導衆なんぞよりも高次の存在だ。そして、そいつはあの古狸が消えた今、残存する奈落をそのまま利用している。奴を貶める為には邪魔だったのさ」
「お前らは一体、何なんだ……?」
男は、答える。
「奴――――そして天導衆が統治する世を良しとせず、脱却を求む集団。明に嚮いて治むるを望む者の集い」
そして、立つ。
高い見地から土方を見下ろす。
達観を感じさせる口調は、その様相によってより一層極まった。
「『明治軍』とでも名乗っておこうか」
それはそこはかとなく、新時代を匂わせる響き。
何か、縁を感じざるを得ない一片の辞。
その余韻に男は浸る。
と、思いきや、微かに小首を傾ぐとブツブツと呟き始めた。
「……いや、変革の意を込めて『維新軍』の方が良いか?だがジャパンプ■レスや昨年の火9ドラマと被ってしまうな……」
――――ふざけているのか?
土方の額に青筋が浮かぶ。
痺れた指に力が籠る。
一度冷め掛けた怒りが、再び熱を帯始めてきた。
「はッ、随分とお喋りな野郎だな」
「そうさな。誰かと言葉を交わすのが好きな性分なんでね」
掘り下げれて訊けば何でも吐いてしまいそうな調子だ。
有する情報は引き出しておきたい……が、土方はこれ以上追及できなかった。
いや、正確には声が出せなかった。
男が刹那に放った殺気に、肉体が萎縮してしまっていたから。
――――男は、唐突に動く。
「そこの兄ちゃんとは違ってな」
一閃。
得物は抜かれていた。
直後、空間が瞬く間に開ける。
障子、土壁、支柱……土方の頭上を駆けた風は、視界を遮る物全を両断した。
そして、その空を舞う木片達の中に佇む一つの影。
引き締まった肉体に反して、爆発したかのような頭部の輪郭。
「終……ッ!?」
真選組三番隊隊長、其の人であった。
「……!!」
身を隠す意味を失った斉藤は、土方を飛び越えて両者の物間を割る。
そして繰り出すは袈裟切り。
――――が、苦し紛れの一撃はいとも容易く男にいなされた。
「沖田と双璧をなす二刀の使い、斉藤終だな」
すかさず斉藤の鳩尾に掌底が放たれる。
俗に発勁と呼ばれる古武術。
それは、斉藤に膝をつかせるには充分な衝撃を伴っていた。
「ッ……!!」
口元を覆う手拭いに血が滲む。
軽く意識が消失する。
コマ録りのように、斉藤の上体は傾き始めた。
ゆっくりと、緩徐に。
それは――――斉藤の確かな機転だった。
「お」
アフロの中より刀剣が出現したのである。
それは、男目掛けて放たれた打突。
完全に男の意表を突いたその一撃は、男の深編笠を捉えていた。
「……やる」
少量の藁が散った。
笠を貫いた刀に血が伝う。が、どうやら男はその中で、首を傾げて回避した模様。
そんな状態のまま、男は声を送る。
斉藤ではなくその背後――――土方へ。
「惜しいな、頬を掠めた」
「動くんじゃねぇ。このまま首を刎ねるぞ」
ドスの効いた脅しを吐きつつ刃を首筋にあてがう。
男は身動きを止めるが、それでも舌の回りは止まることを知らない。
「考えたな斉藤。確かにその頭は、遮蔽物としては最適だ」
相も変わらず無口な斉藤は、よろめきながらも男の背後に回った。
土方と挟み込む形で、男の背に刀を突き立てる。
「それにお前だ土方。発勁を食らわせたはずだが、何故動ける?」
続いて、言葉の矛先は土方に。
これは男の純粋な疑問であった。
その問い掛けに応じるように、ボトッと、土方の懐から何かが落ちる。
「ウチの料理人に救われた」
それは、大成特製のマヨネーズだった。
ボトルの腹部は大きくへこみ、クリーム色の内容物が溢れている。
発勁の一発は、土方の身体機能を奪えなかったようだ。
「……クッ」
途端、男は吹き出した。
そんな声が出るのかと思わせるほど、肩を震わせて高らか笑っている。
確かにマヨネーズまみれの隊服を着る鬼の副長は、滑稽の一言。
それにしても、その様子はとても奇異に見えた。
「いや、そうかそうか。そんなことに……」
笑い冷めやらぬのか、まだ頭が小刻みに揺れている。
その揺れにより、土方に空けられた笠の裂け目が広がっていく。
「っと」
そして終いには、解れに解れた笠は男の頭部より崩れ落ちてしまった。
隠されていたモノが露になる。
男の素顔が、土方の瞳に映り込む。
隔てるものは何もなく、ようやく顔を突き合わせたこの瞬間、男は屈託のない笑みを浮かべていた。
「おまッ……え、はッ……」
「おおおおおおお!!」
闇夜を雄叫びと共に新八は駆け抜ける。
行く手には、紅桜を携えた男。
ユクモは刀剣を何十倍かに肥大させ、全てを引き裂かんとばかりに薙ぎを繰り出してきた。
「!!」
刃より漏れだす妖光が、新八の引き攣った面様を照らした。
しかし――――頬より数寸の地点、紅桜は静止する。
新八の背後にて、大成が身をもって受け止めていたのだった。
刀で勢いを殺し、脇に抱えて自由を奪う。
身動きの取れなくなった紅桜を横目に、新八は厭うことなく進んだ。
「……」
続いてユクモが放つは、触手の束。
剣での近接戦なら勝ち目があると踏んだ新八だったが、それは容易ではなかった。
第一陣、第二陣と捌くが、濁流の如き物量に圧倒されていく。
剣の筋は読めるが、それに対応できる技術が新八にはまだ伴っていなかった。
撤退を余儀なくされた、その時。
「今だァッ!!」
獅子が哮た。
紅桜を荒々しく手前に引き寄せ、新八とユクモの距離を強引に詰めさせる。
ユクモの身体が僅かに浮く。
獅子の咆哮に背を押された新八は、その隙を捉え損なったりなどしなかった。
「やァァァァァァ!!」
……頭部に振り降ろされたメンは、見事な一撃だった。
彼の白夜叉も、この一刀だけを切り取ってみれば唸らされるモノだったであろう。
相手さえ、悪くなければ。
「そんな……ッ」
これも防がれていた。それも
「真剣を素手で!?」
掌で刃を受けているというのに流血すらない。
顔色も変化無し。
刀身を掴まれ自由を失った新八は、そのまま刀ごと振りかぶられ地面に叩きつけられた。
鈍痛に表情を歪めながら、自分に向けられた黄色の眼光を見返す。
そして、己の力量を知った。
駄目だ……僕なんかじゃとても敵わな――――
そんな悲嘆にくれる暇すらなく、新八の頭上を赤色が過ぎた。
高く跳躍するそれは、大成。
「上……!」
新八の対応に一瞬意識を削がれていたユクモ。
大成への反応が微かに遅れる。
迎撃は不可と判断したユクモは先と同様、腕での受けに転じた。
「そっちじゃねェよ!!」
しかし刀はユクモを襲わなかった。
剣の軌跡が揺れた。
大成の袈裟斬りが向かった先は……紅桜。
……パキン、と音が一つ。
墨を溢したかのような夜の闇に、妖光放つ刀身が舞った。
「――――紅桜を……ッ」
「やった!!」
折れ口より紅色の欠片が散りばめられる。
あの禍々しくも華美な刀は、獅子の剛剣によって打ち破られたのだった。
咄嗟にユクモは後方へ飛ぶ。
だがそれよりも速く、大成は懐に入り込んでいた。
好機、逃がしはしない。
「くッ……!!」
横に大振りの剣撃。
逃げ遅れた右の腕を掠め、着物の切れ端が飛ぶ。
刃先の数センチだけだが、ようやく、確かにユクモを捉えた。
いける――――
三振り目を繰り出す大成を瞳に映しつつ、新八の拳に自然と力が籠った。
ようやく、この得体の知れない相手を倒せる。
しかし
「……え」
その確信は覆された。
新八は一部始終を見ていた。
見ていたが、理解に時間を要した。
まさか――――
「がァァ……っ!」
鈍い呻きを吐きつつ、頭から崩れ落ちる大成。
その背には先程断切したはずの紅桜が深々と食い込んでいる。
「紅桜には……そんな機能は……」
「技術は日々発展する」
吸血しているのか、刀身は鴇色から真紅へと姿を変えていた。
狼狽する新八を尻目に、ユクモは手を掲げる。
手中には紅桜の柄。
「君の知る岡田の剣は、もうない」
その動作を合図にか、大成を貫く刀身は散々に崩れ始めた。
一欠片が指先大となった刀は、夜風に当てられ軽快に踊る。
それはまさしく桜の名を冠するに相応しい光景であった。
やがて花弁はユクモの手元に収束し、一本の刀を形成した。
「……戯れが過ぎた」
「がッ」
傷口を踵で足蹴にする。
ブーツに硬質的な何かを仕込んでいるのか、抉られるかのような鋭い痛みが肉体を貫いた。
「てッ……んめぇ……!」
反抗的に暴れんとする大成を、頭を鷲掴んで黙らせる。
そして髪を引っ張り上げ、顔を突き合わせたユクモは告げた。
「本題に入る」
彼らの、目的を。
「お前が母親……
一瞬、時が止まった。
それは、大成が攘夷戦争来、追い求めてきたモノの片割れだったから。
そして、大成が――――