「貴方はつい先ほど、不幸にも亡くなりました」
数メートル先も見通せない、黒い空間。
そこかしこには白い霧と蒼い光を放つ小さなサイコロ状の石が漂っており、幻想的な光景が広がっている。俺は簡素な木製の椅子に座り、その言葉の意味をすぐ理解できないでいた。
俺にその言葉を告げたのは、アクア様。俺は、彼女のことを知っている。
水の女神アクア様。俺の目前で白い椅子に腰かけ、脚を組んでいる彼女。水色のロングストレート、一部は結い上げて水の元素記号をモチーフに形作っている。桃色の羽衣に、青を基調とした衣装。半透明のとても短いスカートから覗く生足が艶めかしい。これやっぱ穿いてねーよな。
俺が、知っているままの姿。そう、彼女はライトノベル『この素晴らしい世界に祝福を!』のメインキャラクター、女神アクア様だ。
「短い人生でしたが、貴方は死んだのです」
原作そのままの台詞は、『俺』に告げられた。
◇
俺の名は鈴木拓弥。どこにでもいるような、極々普通の高校生。すみません嘘つきました、オタクの引き籠り、不登校のネトゲプレイヤーだ。
その日俺は、珍しく外出していた。今俺が嵌っているライトノベル『この素晴らしい世界に祝福を!』略して『このすば』の新刊を買いに行くためだ。本当は通販で買いたいのだが、両親の目がある。
俺が所謂オタクであるということを親は薄々気づいているのかもしれないが、オタク趣味は秘めるべきだと思っている俺は出来る限り露見しない方法を取っている。今回も生活圏から離れた少し遠い書店まで足を延ばしていた。
オタクの常、金欠の為徒歩だ。二日連続で徹夜しているから、身体がだるいし目も霞むが仕方ない。
ずっとネトゲをやっていたのだ。クソ、四十時間近く狩ったのに期間限定のレアドロップは結局出なかった。ちなみに他のギルドメンバー達は全員、俺より遥かに短い時間でゲットしている。
相変わらずの低ラックだ。思えば、昔からじゃんけんにすら勝った覚えがない。
「あー、早く読みてぇ……」
そして、書店からの帰り。目当ての新刊片手に家路を急ぐ。今日発売されたばかりの新刊、裏表紙のあらすじにだけ目を通したが今回のも面白そうだ、表紙のアイリスもマジ天使だわ……。
自然、早足になる。
道路脇の狭い歩道、前をゆっくり歩いている学生服の女子に追いつく。チッ、歩きスマホかよ。
つっかえて邪魔だな。この制服、同じ高校の奴か……っておい!
スマホの画面に目を釘づけながらも、器用に正面の電柱を避ける女子。しかし、その陰から迫るモノには気づいていない。このままだと……!
「あぶなッ――」
目の前の女子、その腕を掴み引き寄せる。とっさのことで力が入りすぎたのか、反動で俺の身体が前に出て電柱の陰から迫るそれの正面に出てしまう。ヤバ、避けれな――。
そこで、俺の意識は途切れた。
◇
この展開。知っている、俺は知っているぞ。
『このすば』第一話。主人公、サトウカズマは新作ゲームを買った帰り道、俺と同じく、女子学生を庇い事故……正確には事故に遭ったと勘違いしてショック死してしまう。
そして、俺と同じように女神、アクア様と出会い先ほどの宣告を受ける。そして、そして。
「ひとつだけ。俺が、助けようとしたあの子……」
「生きてますよ」
ああ。俺の質問に、原作通りの返答。どうやら、俺は。
「よかったぁ……」
「まぁ貴方が腕を引っ張らなければあの子は怪我もしなかったんですけどね」
――どうやら『このすば』の世界に迷い込んだらしい。
そこからも、記憶にあるやり取りを続ける。
本来は主人公であるサトウカズマがアクア様とするはずの、面白可笑しいやり取り。俺が轢かれたと思ったのはトラクターではなくセグ○ェイだったようだが。セ○ウェイって。乗ってる奴いたのかよ。
失禁した上に勘違いでショック死した俺は、当然の如くアクア様に大爆笑される。腹を抱えての大爆笑。やべぇ、カズマの気持ち超わかる。めっちゃムカつくわこの駄女神。ぷーくすくすくすて。
しかし、そう思いながらも俺の気分は高揚していた。もし、本当に俺は『このすば』の世界に迷い込んでいて、それも主人公であるサトウカズマの代わりにここにいるというのであれば。
原作の数々のエピソードが脳裏に走る。エロい奴が特に。あの魅力的なキャラクター達、クールデレでロリなめぐみん、クソエロい身体のダクネス、萌えの塊、理想の妹アイリス。そしてペット枠のようであり、実は母性が魅力的なアクア様。彼女達が魅かれるのは本来は主人公であるサトウカズマ。
だが、今アクア様とやり取りし、僅かに外していても原作をなぞっているのはこの俺だ。
やり取りを続ける。原作の内容を思い出しながら、言葉を返していく。返ってくるアクア様の言葉も原作通り。
退屈な天国行きもゼロからの生まれ変わりも蹴って異世界に転生し、魔王討伐の為冒険者となることを承諾する。
そして、ついに転生特典を選ぶ段だ。渡された契約書を見る。うわー、原作通り注意書きすっげぇ字が小さい。読もうとする俺をアクア様が遮る。これも、原作通り。
「今頭がぱーになるとか」
「言ってない!」
なんて良い笑顔。アクア様は大好きなのだが、実際に目の前でやられるとすっげぇぶん殴りたくなる。
特典の内容、どんなものがあるか気になっていたので並べられた大量の特典について記された紙に目を通していく。ここはかなり重要な選択肢だ。
強力な装備やスキルを持って転生、めぐみんやダクネスに的を絞って攻略を目指す。そういう道も俺にはあるはずだ。
原作通り、アクア様に急かされる。何時の間にやらサイドテーブルにはポテチ。罵倒もそのままだ、引き篭もりのゲームオタク、仰るとおりです。うるせぇ。
――俺は、『このすば』が大好きだ。
――俺は、彼女達三人の、皆の輪に入りたい。
――だから、俺は。
「早く決めろってか。じゃあ決めてやるよ」
サトウカズマの、台詞。本来の主人公の、台詞。
「異世界に、持っていけるものだろ」
「どーぞ」
とても、どうでもよさそうなアクア様の返事。
「じゃ、女神」
告げる。異世界転生モノの小説としてよくある展開を覆す、非凡な主人公の台詞。
少し言い回しを間違ったかな、と言ってから気づくがこれくらい構わないだろう。
「それじゃ魔方陣から出ないように立って……」
アクア様の言葉とほぼ同時、俺を中心として地面から眩い光が溢れ出す。円形の魔方陣。
「……今、何て言ったの?」
アクア様がようやく俺の選択に気づく。だがもう遅い!
天から黄金色の光が刺す。そこから現れるのは桃色の衣装に身を包んだ、金髪の天使。
「承りました。では今後の女神様のお仕事はこの私が引き継ぎますので」
「え?」
突如現れた天使の言葉に呆然とするアクア様。アクア様の足元にも、俺と同様の円形の魔方陣が展開される。
「スズキタクヤ様の希望は規定に則り受諾されました」
魔方陣が俺とアクア様をそれぞれ囲うように光を増幅させる。
「ちょ、何これ、えっえっ、嘘でしょ? いやいやいやちょっとあの……」
あ、例の顔来るなこれ。
「おかしいから! 女神を連れて行くとか反則だから! 無効でしょ、こんなの無効よねぇ!?」
出た、饅頭顔。うろたえるアクア様可愛い!
「待って、待ってぇえぇぇ!」
「いってらっしゃいませ、女神様。無事魔王を倒された暁には迎えの者を送ります」
笑顔で見送ってくれる天使さん。名も知らぬ彼女に心の中で礼を言う。
必死の抗議を続けるアクア様。しかし無慈悲にも俺とアクア様の身体が文字通り浮き始める。
さて。原作通り、煽る。
「ふふふふふ、散々馬鹿にしてた男に一緒に連れて行かれるってどんな気持ちだぁ?」
うわー、超楽しいこれ。
「はっはっはっは、あんたは俺が持っていく物に指定されたんだ。女神ならその神パワーとかで精々俺を楽させてくれよぉ!」
「いぃぃやぁぁぁッ! こんな男と異世界行きなんていやぁぁあぁあ!!」
「なーはっはっはっは!!」
身体がどんどん浮かび上がっていく。さぁ、主役俺による『このすば』第一話の始まりだ!
「さぁ勇者よ! 願わくば数多の勇者候補の中から貴方が魔王を打ち倒すことを祈っています。さすれば神々からの贈り物として、どんな願いでも叶えて差し上げましょう!」
「おおう、マジで!?」
忘れてたわ、この設定。
「あああ、私の台詞!」
「さあ、旅立ちなさい!」
俺は高笑いしながら宙の極光へ吸い込まれていく。
ろくでもない、しかし素晴らしい世界への旅立ち。
再び、意識が途絶える途中。
「……あ! あんたさっき女神を指定する言ったわよね!? じゃあ――」
◇
異世界だ。ファンタジー世界だ。
まるで俺の門出を祝うような快晴。その空の下、俺の眼前に広がっているのは絵に描いたような中世のような町並み。俺の前に停止していた荷馬車が走り出す。小鳥の囀りが耳に心地いい。ああ、外って気持ちいいもんだったんだな……。
こここそ、駆け出しの冒険者の町アクセル。主人公達が拠点とする、物語の主な舞台となる。ここで主人公……今は俺だ、多くの仲間達と出会うこととなるのだ。
あちこちに視線を駆けさせると行きかう人々も中世的な洋服、冒険者だろうか、鎧を身に纏った人もいる。
俄然テンションが上がっていく。俺もファンタジーは大好きだ!
おっと、そろそろ隣のアクア様が錯乱し始める頃だ、声を――。
「あれ、どうして私、下界して……?」
隣のアクア様に視線を向け……え?
俺の隣に立っている女性は、間違いなく女神だ。俺が指定した物である『女神』だ。
青と白を基調としたドレス。肌の露出はほとんどなく、清楚でまさに女神といったイメージ。美しい銀髪は腰を超えて長く伸びており、髪留めで先端をまとめている。胸元は形良く膨らんでおり、実に女性らしい曲線。パッドだけど。その表情はまさに困惑の只中にあり、可愛いんだけどこれ違う。女神違い。
エリス様じゃんこれ。
「えっ、えっ、私、急にアクア先輩に呼ばれて……あれ、ここは、アクセル?」
混乱を続けるエリス様の言葉で事態を把握する。
あの駄女神、後輩身代わりにしやがった。
言ったけど! 確かに女神って言ったけど!
さようなら、原作通りの『このすば』第一話。
こんにちわ、俺の、俺だけの『このすば』第一話。
原作をなぞっていたはずが、僅かなミスで発生したこの予想外の状況に俺は呆けるしかなかった。
『俺』のこのすば、よろしくお付き合い下さい。