「さっむ」
最近まで続いていた残暑が嘘のように無くなり冷たい風が吹いている。毛布も掛けず半袖半ズボンで寝ていたため寒くて目が覚めてしまった。眠い目を擦りながら携帯で時間を確認しようとすると丁度いいタイミングでアラームが鳴った。普段よりも一時間早いので外はまだ微妙に暗い。一階に降りて顔を洗いリビングに入ると朝ご飯を食べている雫と目が合った。
「あれ?お兄ちゃん、また今日も練習なの?」
「うん。今週からは毎日、朝と放課後に練習なんだって」
「気合入ってるね。まぁ今年が最後だししょうがないんじゃないかな」
半月後に中学生最後の文化祭がある。高校の文化祭とは違い、音ノ木坂中学校の文化祭は午前中に合唱コンクールがあり午後は有志発表や吹奏楽部の演奏会が行われる。生徒の大半は午後に行われる有志発表を楽しみにその日を迎えるのだが毎年どのクラスも男子と女子の間で取り組む態度の違いが原因で問題が発生する。一、二年生の時もそうだったので今年も同じ事になるに違いない。ましてや今年は最後のコンクールという事で女子達の目付きが去年以上に鋭くなっていて本番に対しての熱量が尋常ではない。今日から始まる朝と放課後の練習の提案をしたのももちろん女子側。男子側も必死に抵抗したが最後は女子側に泣いてしまう子が出てしまい男子側が折れて決着が着いた。話し合いの時は中心部に居たわけではなく一歩下がった所で見ていたが最終的に折れた男子達を見て色々な意味で男は勝てないのだなと悟った。
「だからって一時間も早くする必要は無いと思うんだけどなー。そのうち絶対喧嘩になるよ。それより雫こそなんでこんな早く起きてるんだよ」
「私も今日から自主練するの。今度やる曲のソロパートで難しいところがあって」
広げられている楽譜に目をやると所々に丸が付いていたり色ペンで注意点やコメントが書いてある。練習中に先生から指摘された点や先輩達から聞いたアドバイスなどを書き込んでいるらしい。今回は演奏会ということもあってそこまでびっしりとは書かれていないがコンクールの時の楽譜には譜面が見えなくなる程書かれているのを見て驚いたことがある。
先週から着ている冬服に着替え玄関に向かうと雫が靴を履き替えて待っていた。トロンボーンの入っているケースを右肩に下げ、左手でやけに軽そうなバックを持っていて、週明けに提出する課題や必要最低限の物しか入っていないように見える。自分の右手で持っているバックと見比べると半分くらいの厚みしかなくすぐに伝わってくる軽さが羨ましい。
「今日から文化祭まではお兄ちゃんと一緒に行くからね」
「あぁそう」
「二人とも行ってらっしゃい」
「「行ってきます」」
母さんに見送られ玄関を開けるとひんやりとした空気が肌に触れる。それでも日差しを浴びるとまだ暖かくやっと過ごしやすくなってきたことに嬉しさを感じた。学校に着くと音楽室からはすでに楽器の音が聞こえている。雫のコンクールを見に行ったり家で演奏会の映像を見ていたため吹奏楽についての知識が自然と付いてしまい音を聞いただけで何の楽器が吹かれているのが分かってしまうようになった。ちなみに音楽室から聞こえてくるのはクラリネットで、少し離れた所から聞こえるのはトランペット。楽器の材質の違いがあるためトランペットやトロンボーンなどの楽器は外で吹いても平気らしい。
音楽室に向かう雫と昇降口で別れ、いつもより静かな廊下を歩いていると後ろから聞き慣れた声が聞こえてきたので振り返ると高坂さんと絢瀬さんの姿が見えた。
「あ!三嶋君!おはよう」
「…おはよー」
「二人ともおはよう」
いつもと変わらず元気な絢瀬さんとまだ完全には目が覚めてない高坂さんと挨拶を交わした。挨拶を済ませると絢瀬さんは同じクラスの友達を見つけその子の元へと走って行ってしまった。
「絢瀬さんは相変わらずって感じだね」
「昨日、家に泊まりに来たんだけど勉強会の時とは違ってずっとあのテンションのままだったから全然寝かせてくれなかったんだよ」
「あ、もしかして例の件の打ち合わせでもしてたの?」
「そうそう。とりあえず、歌う曲が決まったから昨日から簡単な振り付けを考えてるんだよ。あ、ごめん。内緒の方が良いんだったよね」
高坂さんと絢瀬さんの二人は午後の有志発表の場で歌とダンスを披露する事になっている。何となく聞いた話だと曲は基本的にμ'sの歌を歌うらしいが準備期間が短く、ダンス練習をする時間がない為簡単な振り付けを付けるそうだ。当日の発表を楽しみにしたいので今回の件に関しては情報の提供はしてくれなくてもいいと伝えてある。なので、最近は休み時間になると二人で少し離れた場所へ移動し話し合いをしている。それはそれで寂しい気もするがそれは余りにも我儘過ぎるので我慢をしている。
「二人のライブ楽しみにしてるよ」
「うん。ありがと」
合唱コンクールへ向けて朝と放課後に練習をするようになってから一週間が経ち、クラスの男子達もさすがに諦めて文句を言わなくなってきた。諦めたというより文句を言えるような雰囲気ではないと言った方が正しいのかもしれない。それでも、クラス全体が本番へ向けて結束してきたようにも見える。そんな時に音ノ木坂学院を進路先に考えている生徒が放課後に集まる事になった。
帰りのホームルームが終わり、絢瀬さんと一緒に指定された場所へ向かう。高坂さんも後ろから付いて来ているが絢瀬さんはそれには気が付いていない。実は高坂さんは進路希望先を音ノ木坂にした事をまだ絢瀬さんに伝えていないらしく、廃校が無くなり来年度も生徒の募集が本決まりした時点で絢瀬さんに伝えて驚かせようとしているのだ。
「三嶋君、話って何だろうね。あれ?何で雪穂がいるの?」
「私も一応、音ノ木坂を候補に入れてるから呼ばれたんだよ」
「まだ志望校決まってなかったんだね。雪穂も絶対音ノ木坂にするべきだよ」
「うーん。まぁ私にも色々考えがあるから」
俺の方を向いて話しかけた時に高坂さんが視界に入ったらしく不思議そうに話しかけた。当の高坂さんは今すぐにでも言いたそうにウズウズしているように見える。
教室に入るとすでに先生や数人の生徒が先に来ていて着席している。一枚の紙が置かれている空席に座り、その紙に目を通すと太字で書かれた文字にすぐに目が止まった。
〈 国立音ノ木坂学院高校 来年度入学生徒募集概要 〉
余りに咄嗟の出来事で自分の目を疑ったが何度見返しても〈 来年度入学生徒募集 〉の文字が見える。隣の席では絢瀬さんがとても嬉しそうにしているが高坂さんはまるで分かっていたかのように冷静な表情をしていた。これはあくまで予想なのだが、高坂さんは穂乃果さんから廃校がなくなった事を聞いていたのかもしれない。何はともあれ無事に学校存続が決まって良かった。
「学校存続が決まって良かったね、三嶋君」
「そうだね。絵里さんも安心してたでしょ?」
「うん!存続が決まったって聞いたのが一昨日なんだけどそれからずっと機嫌が良いの」
いつにも増してテンションが高い絢瀬さんの声が静かな住宅街に響く。高坂さんを間に挟んでいるため絢瀬さんの方を見ると自然と高坂さんの表情も視界に入る。薄っすらと笑みを浮かべていて嬉しそうだった。そういえば、高坂さんは志望校を音ノ木坂にするという事を絢瀬さんに伝えたのだろうか。ただ、伝えたのだとしたら伝えた日やその次の日にはもっと騒ぐはずだがそんな姿は確認できない。
「あ、そうだ!学校存続が決まったし神田明神に行って合格祈願しようよ!」
「亜里沙、それはいくらなんでも気が早過ぎないかな?」
「今日しないでいつするの?っていう事で神社まで競走ー!負けた人ジュース奢りー」
「あ!ちょっと亜里沙!」
負けたらジュース奢りというルールを最後に言い残し絢瀬さんは元気良く走って行ってしまった。後を追うように走り出そうとした高坂さんに声を掛け、絢瀬さんにはいつ伝えるのかを聞いてみた。
「うーん。せっかくだし、神田明神に着いたら伝えるよ。ほら、三嶋君も早く」
まだ十八時前だが日が沈むのが早くなり、空は薄暗くなっている。μ'sのメンバーが練習で使用していると言われている階段を登り終えると緑が薄くなりこれから落ち葉に変わっていくであろう葉のついた木の枝が風で揺れている。神田明神には年始の初詣をしに来るくらいなのでこの時期に来るのは初めてだったので思わず見惚れてしまった。
「何やってるの?早く行くよ」
少しだけ落ち着きを取り戻した絢瀬さんに急かされ境内へと入って行く。ちなみに競走の結果は引き分け。俺と高坂さんがついて来ていない事に気が付いた絢瀬さんが階段に座り込みながら待っていて結局三人同時に階段を登り終えたので勝敗が付かなかった。階段を登っている最中は絢瀬さんが俺と高坂さんに競走についての文句をぶつぶつと言っていたが高坂さんがどうやって絢瀬さんに志望校の事を伝えるのかと、それを聞いた時の絢瀬さんのリアクションを想像していたので文句の内容が全く入ってこなかった。高坂さんも、はいはい、ごめんごめん。などと遇らうようにしか対応していなかった。
本堂の前に並びお賽銭を入れ、手を合わせて少し早い合格祈願をする。
ー 無事に三人で音ノ木坂に合格出来ますように ー
シンプルだが合格祈願をしに来たわけだし短い願い事をして右隣にいる二人に目を移す。
高坂さんは目を閉じ顔の前で手を合わせていて、奥の絢瀬さんは眉間にシワが寄る程強く目を閉じていて、手のひらを上下にすりすりと動かしている。
やがて絢瀬さんが目を開け、しばらくしてから高坂さんが目を開けた。
「雪穂、ずいぶん長いお願い事をだったね」
「まぁね。三人で音ノ木坂に行きたいから入念にお願いしておこうと思って」
「………ん?今なんて?」
本堂に背を向け、先に歩き出した絢瀬さんは二歩程度進んだところで勢い良く振り返った。開いている口を隠すように口元に手を当てて瞬きを繰り返している。
「だから、三人が無事に音ノ木坂に合格しますようにってお願いしたの」
「本当?嘘じゃない?……高校生になってもずっと一緒にいれる?」
「うん。まぁまずは入試で合格しなきゃいけないけどね。えへへ」
「やったー!雪穂も音ノ木坂だー!」
最後は恥ずかしそうに微笑んだ高坂さんに抱きつきながら絢瀬さんは喜んでいて、そんな二人の姿を見ているとこっちまで嬉しくなってきた。
「ただいま。こんな時間まで雫の友達が居るなんて珍しいね」
「おかえりなさい。演奏会が近いから話し合いでもしてるんじゃないかしら。今日はお泊りしていくのよ」
文化祭まで一週間を切り、どのクラスも最後の一踏ん張りという感じで練習の時間が長くなっていた。吹奏楽部の部員もコンクール前というわけではないのに完全下校時刻の十九時まで残って練習している子も多く、二年生部員は用事がない限り全員残って個人練習を行なっていて、その姿に触発されるかのように一年生部員も残っている生徒が多いそうだ。そんな遅くまで練習をしているのにも関わらず今日は練習後に家に集まって泊まり込みで話し合い。一晩中部活の事を話しているわけでもないだろうが、そうとも言い切れないくらい真剣なのは十分に伝わっている。
高坂さんと絢瀬さんも午後の有志発表のステージへ向けて練習を頑張っている。合唱コンクールと並行しての練習なので無理に歌い過ぎると声を枯らしてしまいせっかくのライブが台無しになってしまうので心配する部分もあるが二人とも最近はのど飴を携帯しているのでしっかりとケアは出来ているようだ。
俺はというと音ノ木坂学院の廃校が正式に決まった週から塾に通う日にちと時間を増やした。自転車で移動しているため二十二時以降は警察に見つかってしまうと厄介な事になるので二十二時には家に着くように計算してギリギリまで勉強をしている。来月の下旬に全国模試を受ける事になっていて今の自分の実力を測る良い機会なので、とりあえず今はこの全国模試を目標にしている。
夕飯を食べ終え、ソファーに横になって携帯をいじっていると希ちゃんからメッセージが届いた。μ'sのメンバーである西木野さんからの伝言を伝えるために連絡をして来たらしい。伝えられた伝言をそのまま伝えるね、というメッセージの後に送られてきたのは
【 文化祭でのライブの後、あの二人が大変な事になるだろうから覚悟しておきなさい 】
という文章だった。
どうして西木野さんがこんな事を言っているのかを希ちゃんも分かっているようだがその理由を聞いても詳しい事は教えてくれず、ライブを見れば分かると言っていた。
そして遂に迎えた文化祭当日。教室に着き、先に登校していた高坂さんと絢瀬さんに挨拶をする。二人の机の横に下げられている袋には今日のライブで着る衣装が入っていて、不本意にも横目でチラッと確認をしてしまった。今日の午後、二人がこの衣装に着替えてステージの上で輝いている姿を見るのが楽しみだ。
そんな呑気な事を考えていると次第にクラスメイトが登校してきた。登校してくる人が増えるのに比例するようにコンクールに向けての緊張感が教室中に漂い出す。
ホームルームを終え体育館へと移動した。生徒達の後ろには保護者の人達が座るようにパイプイスが並べられていて、すでに多くの人が来ている。合唱コンクールと雫の演奏会をとても楽しみにしていた母さんも既にどこかに座っているのだろう。去年は吹奏楽部の演奏を聴きに午後から来たので今年もそうなのだろうと思っていたが、今年は俺の最後の合唱コンクールという事で午前中から来ている。
やけに気合いの入った校長先生の暑苦しい挨拶が終わり、合唱コンクールが始まった。一年生から学年順に歌って休憩時間を挟み三年生の番となる。去年まではこの休憩時間の時には自分のクラスの番が終わっていて清々しい気持ちで過ごせていたが今年はまだ終わっていない。しかも、休憩時間が終わりに近づくにつれ館内が静かになっていくのがはっきりと分かる。誰かに言われているわけでもないが三年生の発表になると下級生達は自然と黙り込みステージに目を向ける。三年生達が無意識のうちに出している独特の緊張感が伝わっているのだろう。
俺達のクラスの順番は二番目。最初のクラスの人達がステージに移動するのと同時にステージ袖へと移動した。さすがに本番ともなるといつもふざけていた男子達の表情も険しくなりステージから聞こえてくる歌をじっと聞いている。そして前のクラスが歌い終わりステージへと移動した。
「みんな!受験勉強もあるのに今日まで本当にお疲れ様!そして、コンクール一位おめでとう!」
いつもは物静かな先生が興奮気味にお祝いしてくれた。その言葉を聞き多くの生徒が椅子から立ちながら喜んでいる。心なしかあんなにも意気込んでいた女子達よりも男子達の方が嬉しそうに騒いでいる。おそらく、結果よりももう練習をしなくて済むという解放感を喜んでいる男子がほとんどだろう。最後に、指揮と伴奏を務めた女子二人にみんなで拍手を送り、無事に合唱コンクールを終えた。
そして午後は待ちに待った有志発表。高坂さんと絢瀬さんのライブを見れる時がやっときたのだ。いつもよりも急ぎ気味で昼食を食べた二人は最終チェックを行うために教室から出て行ってしまった。去り際に絢瀬さんから耳打ちで、高坂さんから目を逸らさないようにしっかり見てあげてね、と言われた。正直、絢瀬さんから言われなくても勝手にそうなってしまいそうな気はしていた。
お昼休みが終わり、再び体育館へと行くとすでに吹奏楽部の部員達がステージ上と前に椅子を並べ着席していた。トロンボーン担当の雫はステージ上の椅子に座っているため俺がいる位置からだと全く見えない。となると、母さんのある位置からでも見えない可能性の方が高いがカメラのズームを使えば辛うじて見えるかもしれない。
吹奏楽部の顧問の先生が軽く挨拶をし、一礼すると部員達の方を向いて手を挙げた。それと同時に楽器を構える部員達。コンクールの時とは違い、部員全員で演奏をするため楽器の数が多く、体育館の照明に照らされた楽器達が凄く眩しかった。
楽器の数が多い分、迫力はあったかもしれないがコンクールの時に聞いたような音とは違って聞こえた。後でクラスの元部員の子に聞いたのだが去年一年間、音の土台となっていた三年生が抜けてしまったのである程度音がばらけてしまうのは仕方のない事で、また一から音を作っていくしかないらしい。去年の今頃も同じ事で悩んでいたそうだ。
吹奏楽部の演奏が終わり部員達が急いで片付けをしている最中にプログラムに目を通した。高坂さんと絢瀬さんの出番は最後となっていて、“ ゆきありファーストステージ “というサブタイトルまで付いてる。ちなみにこのサブタイトルの名付け親は絢瀬さんだ。運営委員会に公演内容や所要時間を大まかに知らせるための紙を書いている時に思いついたようで、教室全体に聞こえるくらいのボリュームで叫んでいた。その時の高坂さんは恥ずかしそうに両手で顔を隠していてとても可愛かった。
有志発表中の体育館はつい先ほどまでの緊張感がまるで嘘だったみたいに盛り上がっている。ステージに上がる人のほとんどが三年生の生徒、さらに三年生にとっては中学生活最後の文化祭という事もあり脇目も振らずにはしゃいでいる。男子三人組による漫才やコント、その三人による先生達のモノマネなどでは涙が出るほど笑い、去年もステージに上がった四人組のバンドのライブで盛り上がり、女子四人で結成されたダンスグループを鼻の下を伸ばしながら見ていた。高坂さん達の出番までの時間が長いなと思っていたが実際に始まってみるとどれもこれも楽しく、あっという間にその時間を迎えた。
「なぁ和樹。あの二人が何歌うかは知ってんのか?」
入れ替えの時間中、修学旅行の班でも一緒だった絢瀬亜里沙ファンの奴が目を輝かせながら聞いてくる。二人がこの文化祭でライブをすると決まった時から誰よりも楽しみにしてきたのは間違いなくこいつだ。しかも俺と同じように本番までは最小限の情報しか聞かずに本番を楽しみたいということから今か今かと鼻息を荒くしながら待ち構えている。
「知らないよ。俺もお前と同じように、情報は全く聞いてないんだ」
「そっか。うわーやべーなー今日の絢瀬さん、絶対可愛いよなー」
その言葉が終わるのと同時にステージの幕が上がり、ライブが始まった。ネットにアップされているスクールアイドルのライブのように曲に合わせて照明の色が変わったりするような演出は無いものの二人は輝いていた。
準備期間が短く、ダンスのクオリティには納得出来ていないがその分、歌の方に力を入れると言っていた通り、二人の歌声はとても綺麗だった。曲の途中で歌うパートを分けて互いの声が聞こえるようにしたりなどの細かいアレンジがされている。
二曲目を歌い終え、二人の自己紹介やこの日までの練習だったり衣装のことについてのMCが入る。基本的に絢瀬さんが話題を振り、高坂さんが答えたり補足の説明をするといったいつもの感じのまま進んでいく。MCというよりもステージ上で普通にお喋りをしているように見えた。そんなMCの最中にマイクスタンドとピアノがステージ上に用意されていた。
「えーそれでは三曲目にいきたいと思います。次の曲もμ'sの曲なんですけど、ちょっと自分達でアレンジしてピアノ風にしてみました。ピアノを弾いてくれるのは二年生の三嶋雫ちゃんです」
「みんな、拍手で迎えてくださーい」
高坂さんからの紹介を受け、絢瀬さんの一声で体育館内に拍手の音が響く中、三嶋雫が姿を現した。客席に向けて深く一礼をして椅子に座り、二人の方に視線を移す。二人も雫と目を合わせた後に互いの表情を確認して小さく頷く。
「「それでは聞いてください」」
一呼吸置いた後、ピアノの音が静かになった体育館に響く。アップテンポの曲に合わせて盛り上がっていた先ほどとは全く違う雰囲気になった。少し大人っぽく歌う二人の声、それを引き立たせるピアノの音。サビに近づくにつれ力強さを増してくる迫力に鳥肌が立つ。曲が終わると同時に聞こえてきた拍手は今日一日の中で一番大きかった。
「今日は一日お疲れ様。ライブ、凄い良かったよ」
「ありがと。後で雫ちゃんにもお礼しないとね」
「むしろ、お礼をするのは雫の方だと思うけどな」
無事に文化祭が終了し、久しぶりに高坂さんと二人きりで帰り道を歩いている。
ライブを終えてクラスに戻ってきた二人はクラスメイトに拍手で迎えられ、あっという間に囲まれていた。出番が最後ということもあり着替えている時間が無く、衣装のまま戻ってきてしまったのも囲まれた原因の一つだろう。ホームルームが終わると二人の元には一緒に写真を撮って欲しいという生徒が集まり、最後は他のクラスの人も加わり小さな撮影会のようになっていた。午前中には合唱コンクール、午後には自分達のライブがあったというのに終始笑顔のまま撮影に応じていた二人は本物のアイドルのように見えた。
「そんな事ないよ。吹部の練習もあるのに私達のためにここまでしてくれたんだもん。おかげですごく楽しいライブができたよ」
「それは本当に良かったけど、いつの間にそんな練習してたの?」
「三嶋君が塾に行く日に合わせて三人で練習したの。だから、通う日を増やしてくれて助かったんだよ?だから三嶋君にも感謝しなきゃね」
塾から帰ってきた後、テーブルの上に空のコップが三つ並べて置いてあった時が頻繁にあり、母さんと雫が使ったにしても一つ多いと思っていた。俺が塾に行く日を見計らって来ていたにも関わらず一回もその姿を見なかったのは母さんも協力していたからだと分かった。塾が終わって帰る際には必ず連絡するようにしているので、その連絡が入ったのと同時に帰っていたそうだ。
そういった裏話を聞いているうちに高坂さんの家に着く。今日を迎えるまで個人的に情報の規制をかけ、長話をしないようにしていたのでもっと話を聞いていたいというのが本音だが高坂さんも疲れているだろうと思い、最短ルートで帰ってきた。
「送ってくれてありがと。気をつけて帰ってね」
「うん。じゃあね」
高坂さんの家から帰る道中、今日のライブで二人が歌っていた曲を鼻歌ではあるが歌いながら帰った。ステージに立つ二人の姿は自分が思っていたより何倍も素敵だったのと同時にとても遠くの存在になってしまったような感じがした。きっとこれから先、こんな風に思うことが増えていってしまいそうで寂しさを覚えた。
そして、この文化祭でのライブがきっかけで二人を取り巻く環境が変わってしまうことに気が付かずにいた。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
二人が初めて人前に立ち、ライブをやるという事でどんな曲が似合うかなと考えていたのですが、雫がピアノとして参加する曲も含め、あえて曲名には触れずに読んでくださる皆さんの想像にお任せすることにしました。
雪穂と亜里沙ならどんな曲でも素敵になると思うので、皆さんなりのファーストステージにしていただければ幸いです。