【完結】光ささぬ暗闇の底で   作:御船アイ

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第2話

「う、ううん……」

 

 頭にかかったもやがだんだんと晴れていく。エリカはゆっくりと上体を起こし、覚醒する。

 

「私……一体」

 

 まだぼやける頭をなんとか回転させながらエリカは今までのことを思い出す。そして、ハッとして自分の目元に手をやると、そこには新たな包帯が巻かれていた。

 

「……そっか、夢じゃ、なかったのね」

 

 そう呟くと、エリカは顔を両手で覆い、大粒の涙で包帯を濡らした。

 

「なんで……なんでこんなことになったの……? 私が、何したって言うのよ……」

 

 突如視力を奪われたエリカは、あまりの不条理さにその理由を問うた。

 そして、今までの人生を思い返していく。

 小さい頃に覚えた、逞しい戦車の姿を見て戦車道への憧れ。

 ただひたすらに戦車道を追い求め、憧れの黒森峰に入学した悦び。

 そこで出会った、西住姉妹への尊敬の念。

 裏切られたと思った、みほの転校の痛み。

 すべてとはいかなくとも、みほとのわだかまりが解消していったあの全国大会の高揚。

 総力を掛けて戦った、大学選抜戦の興奮。

 まほから隊長を託されたときの悦び。

 そして、隊長になってからの苦しみ。

 振り返ってみれば、エリカの人生は戦車道漬けの人生だった。そして、もしそのなかで自分がこんな目に合わされる理由があるとすれば、それはやはり隊長になってからの苦難の数々がエリカの頭に浮かんだ。

 医者らしい男は言っていた。誰かが戦車内に仕掛けを施した、と。

 それはつまり、そこまでするほど自分は憎まれていたということになる。

 エリカはそう思うと、殊更に惨めな気持ちになった。

 

「何よ、私が悪いって言うの? 私が駄目な隊長だったから、これはその報いだって言うの?」

 

 しかしそう考えると、今の状況に陥った説明としてはもっとも合理的であるとエリカは思った。

 

「はっ、結局、自業自得ってわけ?」

 

 自嘲気味に笑うエリカ。

 今の彼女には、それが自分自身を慰める、もっとも心地の良い手段だった。

 

 

 それから三日後が経った。

 エリカは大分落ち着きを取り戻し、病室でも静かな生活を送っていた。

 否、送ることしかできなかった、というのが正しい。今のエリカは、何事にも気力がわかず、ただぼうっと、何もない虚空にすでに失われた視線を向けるだけだった。

 そんなエリカの病室を、トントンとノックする音が聞こえた。

 

「……誰」

「……私だ、入ってもいいか」

 

 エリカは驚いた。

 その声は聞き間違うはずもない、敬愛する西住まほのものだったからだ。

 

「隊長!? え、ええ、どうぞ」

「失礼する」

 

 カツカツと靴を鳴らしながら入ってくるまほ。エリカの脳裏に、キリッとした佇まいのまほの姿が浮かんだ。

 そしてまほはエリカの側で止まったかと思うと、しばらくの間沈黙を保つ。エリカには一体まほが何をしにきたのか分からず、何を言っていいか分からなかった。

 

「……その、大丈夫、か?」

「え? ええ、まぁ……」

 

まほは突如沈黙を破ったかと思うと、ぶっきらぼうにそう言った。

 

「いや、お前が大変なことになったと聞いてな……。つい、いてもたってもいられず、こうして足を運んでみたんだ。ああそうだ! 実は果物を持ってきていてな。よかったら食べてくれ」

 

 エリカの近くにとすんとモノを置く音が聞こえる。まほの落ち着きのない様子が、目は見えなくともエリカには手に取るように分かった。

 どうやら、随分と自分に気を使わせているらしい、エリカはそのことを理解した。

 果物に関しては、目が見えないのにどうやって食べろと言うのかと言いたくなったが、エリカはまほの厚意に水を差さないために、ぐっと堪えた。

 

「……その目、本当に見えないのか」

「……はい」

「……すまない、無神経な質問だったな」

 

 まほはエリカの回答に含みを感じたのか、申し訳無さそうに応える。

 

「いえ、いいんですよ。別に。……もう、受け入れましたから」

「そうか、強いんだな。エリカは」

 

 まほはエリカに笑いかける。しかし、その笑みがエリカに届くことはない。

 

「……そんなことないですよ。私なんて、隊長にそう言って貰える資格なんてないんですから」

「何を言うんだ。お前は十分強い。そうでなければ、私はお前を隊長に推薦したりなどしない」

「……」

「お前になら黒森峰を任せられる。そう思わせるほどの実力がお前にはある」

「……てください」

「卒業してからはあまり気にかけてやれなかったが、それでもお前なら黒森峰を導いてゆけると――」

「やめてくださいっ!!!」

 

 エリカの怒号が病室に響き渡り、しんと静まり返る。

 まほは目を白黒させ、言葉が出ずにいた。

 一方のエリカはというと、頭に血が上り、自分でも感情の制御が上手く行えていなかった。

 

「隊長は何も知らないんですね? 隊長がいなくなったあとの黒森峰がどんな有り様か!私がなんて呼ばれてるか! 疫病神ですよ!? 疫病神! 誰からも煙たがられて! 誰からも敬遠されて! 私は黒森峰を導くどころか、腐敗させていた原因なんですよ!? そのせいでこんなことになって! そんな私が強い? 馬鹿も休み休み言ってください!」

「……」

 

 まほは怒鳴り散らすエリカの言葉をただただ受け止めることしかできなかった。

 エリカがこれほどまでに自分に怒りをぶつけてきたことは今まで一度もない。それほど自分はエリカにとって踏み越えてはならないものを踏み越えてしまったのだと、まほは感じた。

 そして、しばらくの逡巡のあと、

 

「……すまない」

 

 と、一言だけ、ぽつりとこぼした。

 

「……謝らないでください。隊長が謝ることなんて、何一つ無いんですから」

 

 エリカはいつの間にか落ち着きを取り戻し、そうまほに返した。

 

「……すみません、せっかく来て頂いて申し訳ないんですが今日はもう帰ってくれませんか」

「分かった……」

 

 まほは申し訳無さそうにそう言うと、エリカに背を向け静かに去っていった。

 ガラガラと戸を閉める音が聞こえ、病室に一人になったことを確認するとエリカは、

 

「私の……馬鹿」

 

 と、小さく自分に悪態をついた。

 

 

 数日後、エリカの病室に再び足音が近づいてきた。しかもそれは一人ではなく、複数の足音だった。

 何事かと思いエリカが身を起こすと、戸を開ける音が聞こえ、多くの人間が入ってくる気配を感じた。

 

「逸見……隊長」

 

 その声にエリカは聞き覚えがあった。あの練習試合の前日、エリカが叱責した、格納庫にいた部下達の一人だった。

 

「あの……その……す、すいませんでしたぁ!!!」

 

 少女たちは一斉に頭を下げる。エリカにそれが見えたわけではないが、なんとなく雰囲気でそれを察することができた。

 突然謝られて、エリカは困惑する。

 

「何を言って――」

「本当はただのイタズラのつもりだったんです! ただ、撃破されたときに隊長を驚かせてやればそれでいいかなって、ただ、それだけだったんです! まさか、こんなことになるなんて思っても見なかったんです!」

「は……?」

 

 エリカはその言葉で、途端に頭から体の芯まで一気に冷え込むのを感じた。

 

「失明なんて、させる気は本当になくて……。炸薬の量を間違ったらしくて、それで、それで!」

「……」

「慰謝料でもなんでも払います! だから――」

「――いいたいことはそれだけ?」

「ひっ……!?」

 

 エリカは自分でも驚くような、低い声を口から発していた。

 先ほどまで謝罪の言葉を並べていた少女は、その威圧感に押され口を閉じてしまう。

 

「つまりこういうこと? あなたたちのちょっとしたイタズラ心で、私は生涯視力を失うことになったと? ハハッ、面白い話もあったものね! ほんと、馬鹿馬鹿しくて笑いがくるわ、ハハハハハッ!」

 

 エリカにとって、それは本当に馬鹿馬鹿しいことだった。エリカが、自分が招いたものだと思っている、黒森峰の堕落と腐敗。それが、こんな小さなイタズラがきっかけで自分自身に牙を向いていくるだなんて、まるで自分自身が道化になったような気がしてならなかったのだ。

 

「謝ってほしくなんかないわね。これは私自身の問題なのだし、それに、あなた達が謝ろうと、もうどうにもならないことだしね。でも、やはり私はあなた達を許すことはないでしょうね。だってそうでしょう? 理屈では理解していても、感情で抑えきれるとは限らないんですもの。 わかったら、さっさと帰ってくれる? あなたたちがいるだけで、不愉快なのよ」

「でも……」

「帰って……帰ってよ!」

 

 エリカは怒りながら、手探りでまほの置いていった果物カゴからリンゴを手に取ると、それを勢い良く投げつけた。だが目が見えないために、リンゴはあさっての方向へと飛んでいき、壁へとぶつかる。

 しかし、それは彼女たちを恐怖させるには十分だった。

 

「は、はい! すみませんでしたっ!」

 

 まさしく逃げるように去っていく部下たちだったが、エリカはすでにそんなことに興味はなく、大きな自己嫌悪に襲われていた。

 

「納得したと……納得したと思ってたのに……!」

 

 そう言いながら、エリカは大きく手を払いのけ果物カゴを地面に叩きつけた。

 

 

 それからさらに二週間が過ぎた。

 エリカはその間に病院で、目が見えなくとも歩く訓練や、日常生活を送るための訓練を施されていた。エリカは周囲が思っていた以上に飲み込みが早く、これなら退院も近いだろうと担当医がエリカに言った。

 しかしその言葉に決してエリカは喜べなかった。エリカの内心では、自分自身がこの惨状を招き寄せたという自己嫌悪と、それを納得することのできない感情のせめぎあいが起こり、疲弊していたからであった。

 

「私が悪いのよ……私が……」

 

 エリカは病室でただひたすらに自分に言い聞かせていた。

 

 毎日、毎日、毎日。

 

 そうしなければ、視力だけでなく、他のすべてを失ってしまいそうな気がしたから。

 

 しかし、そのような日々を繰り返して、心が持つわけもなく。

 

「私が……私が……嫌、もう嫌ぁ……」

 

 エリカはか細い声でそう言うと、そっとベッドから降り立ち、フラフラと外へと歩みを進め始めた。

 

「こんな惨めな気持ちのままでいるなら……いっそ、死んだほうがマシよ」

 

 戸を開き、壁に手を付きながら廊下を歩き始める。

 病院の喧騒が、病室にいるときよりも耳に刺さってくる。

 

 うるさい……うるさい、うるさい、うるさい!

 

 エリカはそう叫びたくなる衝動に駆られながらも、ゆっくりと廊下を進んでいった。

 病院の構造は、リハビリで何度か歩いたことがあるため大体は頭に入っていた。

 エリカは、ある一点を目指してひたすらに歩く。

 途中、何度もつまづきそうになるも、なんとか体勢を立て直し進み続ける。

 何も見えない状態で歩くのは依然恐怖を伴うものだったが、それでもエリカは歩みを止めなかった。

 廊下を抜け、階段をいくつも上がり、ついに目的の扉へと辿り着く。

 病院の最上階、屋上への扉へと。

 

「ここだ……!」

 

 エリカはそこで初めて笑みを浮かべながら手探りでドアノブに手をかける。

 扉を開けると、強い風が室内に吹き込んできた。エリカは思わず手で顔を隠す。

 屋外に出たエリカは一直線に前進した。屋上にさえ出てしまえば、もうどこに行こうと目的は果たせるのだから。

 

「はは……もう、これでこんな惨めな気持ちとはおさらばよ」

 

 笑いながら歩調を早める。一歩ずつ進んでいくごとに、エリカの胸は高鳴った。

 だが、その高揚はガシャン! という金属音と硬い感触によって阻まれた。

 

「え……?」

 

 エリカは呆けた顔で自分がぶつかったモノを確かめる。それは、細い金属が幾重にも結ばれたモノ――自殺者防止用の、金属フェンスだった。

 

「……なによ、死なせてもくれないの……?」

 

 エリカはフェンスに寄りかかりながら、ゆるりとその場に座り込んだ。

 

「ハハハ……ハハハハハハハハハハハハっ!」

 

 突如、エリカは狂ったように笑い声を上げる。誰もいない屋上に、エリカの声だけが響き渡る。

 

「馬鹿馬鹿しい……本当に、馬鹿馬鹿しい」

 

 エリカは自棄的に言うと、フェンスを強く握りしめた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 それからというもの、エリカは日々の生活を怠惰に過ごした。

 元々何かすることがあったというわけでもないが、それでもまほが見舞いに来て以来は、たまには起きて病室を歩き回るなどはしていた。そうすることで、惨めな気持ちから少しでも逃避できたからである。しかし、今となってはそれすらもせず、訓練のとき以外はひたすらベッドの上で横になっているばかりであった。

 ただ、自らを蔑むということだけをしながら。

 そんなエリカのもとにふたたび来客があったのはいつ頃であっただろうか。

 日数を数えるのを止めていたエリカにはそれすら分からなかった。

 トントン、と扉を弱々しく叩く音が聞こえる。

 よく聞いていなければ聞き逃してしまいそうなほどの小さな音。

 しかし、今のエリカにはその音がよく聞こえた。

 

「……入っていいわよ」

 

 エリカがそう言うと、扉がこれまた静かに開かれ、足音がエリカに近づいてきた。

 

「……で、誰なのよ。あいにく見えないから誰だか分からないのよね」

「……エ……逸見さん」

 

 その自信なさげな声に、エリカはハッとした。その声は、エリカにとって因縁浅からぬ相手であり、一言では表せないほどに複雑な感情を抱えた相手だったからだ。

 その名は、西住みほ。

 西住まほの妹であり、大洗の隊長である。

 

「アンタ……今さら、何しに来たのよ……」

「……」

 

 みほはエリカの問いに答えない。

 

 昔からこの子はこうだ。イライラする。

 

 エリカの中で、不快感が湧き上がる。

 

「ちょっと、人の質問にはさっさと答えたらどうなの?」

「あ、うん……。そのね、ずっと前からエリカさんに会わないとって思っていたんだけど、ずっと心の整理がつかなくて……こんなに遅くなっちゃった。……本当はみんなで来たかったんだけど、大勢で押しかけても迷惑になるかなと思って、今回は私だけできたんだ」

「ふぅん、そう……。それで、私に会ってどうしたいわけ? 私としては、あんたに会う理由なんてないんだけど」

「その、まずは謝りたくて」

 

 ああ、またか。

 

 エリカは内心落胆した。

 

「その、ごめんなさ――」

「やめてよね」

「えっ?」

「謝られても、困るの。今回の一件は、私の人望のなさが原因みたいなものなの。それをいちいち謝られたって、惨めな気分になるだけだわ。だからやめて」

「あっ、うん、ごめんなさい……」

「……はぁ」

 

 イライラする。本当にイライラする。

 

 エリカはおどおどとしたみほの態度に、腹立たしさを感じていた。

 しかし、その腹立たしさは、どこか懐かしいものだった。

 

「本当にあんたは何も変わってないのね。昔からそう。そうやってオドオドオドオドして……もっと胸を張ってモノを言えないの?」

「あはは……」

 

 笑ってごまかすみほに対して、エリカは嘆息する。

 本当にどうしようもない子だ。しかし以前まほや部下達と対峙したときよりはずっと楽だと、エリカは思った。

 

「謝罪が目的なら、もう帰ってもらってもいいわよ。私はまともに受け取るつもりはないから」

「ううん、それだけじゃないんだ」

「へぇ? 他にどんな用件があるって言うのかしら?」

「逸見さんに、“お願い”があるの」

「……お願い? 今の私に? 何の冗談?」

 

 本当にふざけた冗談にしかエリカには聞こえなかった。視力を失った今の自分にできることなど、あまりに少ない。そんな自分にお願いとは、一体何をしろというのだろうか。

 

「ううん、冗談なんかじゃないよ。私は逸見さんに頼み事をしに来たんだ」

 

 みほがそれまでと打って変わって引き締まった雰囲気に変わったことを、エリカは感じ取った。

 

「……何よ、言ってごらんなさい」

 

 そして次の一言は、エリカを驚嘆させるには十分なものだった。

 

「……逸見……いや、エリカさん。病院を退院した後、もしよければ、私と一緒に暮らしませんか?」

「……はい?」

 エリカはつい間抜けな声を上げてしまう。

 

 暮らす? 私と、こいつが?

 

「私、エリカさんの生活を助けたい。エリカさんの代わりに目になってあげたいの」

「ちょっとちょっとちょっと、どういうことなのよそれ!? どうしてあんたが私のこれからの生活の面倒を見ようとするわけ!?」

「それは……」

「……もしかして、私の目がこんなことになったことに対する負い目を感じて、じゃないでしょうね」

「……確かに、それもある。でも――」

「だったらお断りだわ。そんなこと、私がよりいっそう惨めになるだけじゃないの! これ以上私を貶めないで!」

「違う! 違うの聞いてエリカさん! 私がエリカさんに負い目を感じてるというのは本当のことだよ。でもそれ以上に、私はエリカさんを助けたいの!」

「私を、助けたい……?」

「うん、そのためなら私、黒森峰にだって戻ってもいい」

 

 その言葉はエリカにとってあまりにも大きな衝撃を与えた。

 みほにとって大洗は今の彼女自身の戦車道を見つけられた、大切な場所のはずである。そんな場所を捨ててまで、自分を助けようとするだなんて、一体何が彼女をそこまでさせるというのか。

 

「どうして、そこまで……?」

「……だって、エリカさんは、私の大切な“友達”なんだもの。友達を助けたい。ただ、それだけだよ」

 

 そのとき、エリカは理解した。

 自分にこうして語りかけてくる少女は、芯の部分では昔と一切変わっていないということを。

 そう、それは一年生のとき、水没した戦車の中から命がけで自分を助けだしてくれたときと、何一つ。

 

「……少し、時間を頂戴」

「えっ、じゃぁ……!」

「あくまで、考えるだけよ。どうするかはまだ決めてない。……そうね、一週間ほど、考えさせて頂戴」

「うん、わかった……」

 

 そう言って、みほはエリカの病室から去っていった。

 

 

 それから一週間の間、エリカは悩み抜いた。

 みほの言葉は、正直嬉しくなかったと言えば嘘になる。「助けたい」と言ってくれたみほの言葉は、エリカがかつてまだ戦車道に対し喜びで胸を満たすことの出来たあの頃の懐かしい気持ちを思い出させてくれた。

 そんな彼女と一緒にいれば、もしかしたら自分が失った何かを取り戻せるかもしれない。そんな淡い希望を、エリカに持たせた。

 しかし一方で、やはり彼女の言葉は同情から来ているものでもあるということが頭から離れない。同情を浴びせられて暮らしていけば、自分はどれほど堕ちていってしまうのだろう。そんな恐怖もまた、エリカを襲った。

 さらに、彼女を大洗から引き離すというのも気が引けた。大洗は、みほにとってもはやかけがえのない場所である。そこで出来た新しい仲間たちとみほを引き離すなんてことはエリカにはできなかった。

 では、一体どうすればいいのか?

 エリカはその答えを一週間の間、探し続け、そして、一つの答えに到達した。

 

 一週間後、再びみほがエリカの病室に訪れた。

 

「エリカさん……それで答えは……」

「……すぅー、はぁー……」

 

 エリカは大きく深呼吸をする。そうすることによって、自分の決意にゆらぎがないことを確かめるために、である。

 

「……一つ、条件があるわ。それさえ飲んでくれれば、あなたの願い、聞いてあげる」

「本当ですか!? それで、その条件って……」

「なに、簡単なことよ。あなたが黒森峰に来るんじゃない。私が、大洗に行くのよ」

「えっ……!? で、でもそれじゃあエリカさんが……!」

「いいのよ、別に。今の黒森峰に私の帰る場所なんてないわ。どうせ帰ったって、はれもの扱いされて惨めに生きていくことしかできない……。だったら、いっそのこと知らない土地で過ごしてみるというのも、悪くないかなと思っただけよ」

 

 そう、それこそが、エリカが悩みぬいた末に出した答えであった。

 みほを大洗から引き離すことなく、かつ、もはや忌まわしい場所でしかない黒森峰からの逃避と、さらにはみほに迷惑をかけるその惨めさを少しでも減らしたいという、エリカにとってもっとも都合のいい結果になる道を選んだのだ。

 

「……エリカさん」

「……何よ」

「……よろしく、お願いしますね!」

 

 みほのとても嬉しそうな声が、エリカの耳に届いた。

 エリカと違って何の打算もなさそうなその声に、エリカの胸にチクリと痛みが走った。


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