【完結】光ささぬ暗闇の底で   作:御船アイ

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第7話

 春休みに入った学園艦は、すっかり静けさに包まれていた。生徒の大半は帰省するか、学園艦の上にある自宅でまったりとした時間を過ごしている。

 エリカもまた、窓を開き春風を部屋の中に入れながら、安楽椅子に座ってゆったりとした時間を過ごしていた。

 だが、そんなエリカの心中は少々落ち着かなかった。なぜなら、今日は初めて沙織達以外の人間を部屋に上げるのだから。久々に緊張というものをしていた。

 そろそろ約束の時間だろうかと盲目用腕時計をしきりに確認していると、エリカの耳にインターホンの音が響いてきた。

 

「どうぞ」

 

 エリカは落ち着いた声で来客者を促した。年上として、あくまで平静を保っていたかった。

 

「失礼します」

 

 扉が開かれ、来客者――美帆が部屋の中へと入ってくる。美帆の両手には、大きなバッグやレジ袋などが握られていた。

 美帆はそれらをどさっと玄関に置くと、キョロキョロとしながらエリカの元へと近づいていった。

 

「こんにちは、エリカさん」

「ええ、こんにちは」

「やっぱり、外から見るのと実際に部屋の中に入って見てみるのだと、結構印象違いますね。結構綺麗ですねー、エリカさんの部屋」

 

 美帆は興味津々といった様子で、エリカの部屋を見回していた。エリカにも、美帆の声調から、その姿は頭の中にありありと想像することができた。

 エリカはそんな美帆の様子に、思わずクスクスと笑いが零れた。

 

「あっ、すいません! 私また失礼なこと……」

「ふふっ、いいのよ別に。それより、随分と荷物を持ってきたらしいけど、一体何を持ってきたの?」

「あれですか? ふふっ、掃除用具とお料理の材料ですよ」

 

 美帆はふふんと自慢げに言った。そして、玄関に一度戻ってバックから掃除用具と思しきものを取り出してくる。

 

「エリカさん一人だときっと掃除とかお料理とか大変だと思いまして。それで、家からいろいろと持ってきてみたわけですよ」

「へぇ、それはありがたいわね。確かに最近掃除もあんまりできてないし、料理も出来合いのものばっかりだったから……」

 

 エリカは美帆の気配りに感心した。エリカではまずこういった気配りをすることはできなかっただろう。

 それに偶然にも掃除というのは、沙織も最近来ていなかったため怠っていたから、タイミング的にもちょうどよかった。

 

「では、さっそく初めますね! まずは水回りから……」

 

 そう言って美帆はエリカの部屋の掃除を始めた。美帆の手際を実際に目にすることはエリカにはできなかったが、それでも聞こえてくる音から、美帆の手際が良いということは分かった。

 美帆はテキパキと水回りの掃除を終えると、今度はエリカの部屋においてあった掃除機を使って、部屋全体に掃除機をかけ始めた。久々の掃除機の騒音はあまり耳に心地いいものではなかったが、せっかく部屋を掃除してもらっているのにそんなことを言うほど常識知らずというわけでもなかった。

 さらに美帆は洗濯もついでに行った。エリカの洗濯物が溜まっていたのを美帆に見られて、見かねて全部洗濯機に入れられたのだ。

 そうして美帆はエリカの部屋の掃除を一通り終えると、パンパンと手を叩き、ふぅと軽く息を吐いた。

 

「お疲れ様、ありがとう」

「いえいえ、これくらいの簡単な掃除ならいつだって出来ますよ」

 

 結構本格的に掃除をしていたと思うのだが……とエリカは思ったが、もしかしたら自分の掃除についての観念がずぼらなだけかもしれないと思い、恥ずかしいことになりそうなので言うのを止めておいた。

 掃除を終えた美帆は、エリカの前でただ何をするわけでもなく、困ったようにもじもじと両手をこねくりあわせていた。エリカは急に黙った美帆のことを不思議に思い、声をかける。

 

「……どうしたの? 急に黙って」

「えっーと……そのですね、実は掃除から料理までの間、何をしようか考えてなくて……」

 

 エリカはついズッコケそうになるのをなんとか我慢した。計画的なのか無計画なのかよく分からない子だ。美帆が顔を真っ赤にしているのが、目の見えないエリカでさえ容易に分かった。

 

「しょうがないわね……それじゃあ、戦車道の勉強でもしましょうか。図書館から借りた本は持ってきてる?」

「持ってきてません……」

「でしょうね。次回からは持ってくること。いいわね?」

「はい……」

 

 エリカは萎縮している美帆を座らせると、口頭でも分かる程度の戦車道についての話をし始めた。主に前回教えたことの復習的な内容だった。

 初めは申し訳無さそうにしていた美帆だったが、話が始まると真剣にその話に耳を傾け、またエリカの確認的な質問に的確に答えた。

 そうしていくうちにあっという間に時間は流れ、空はだんだんと暗くなっていく頃になっていた。

 

「あ、そろそろいい時間ですね。では、料理を作らせていただきますね」

 

 そう言って美帆は玄関に置いてあったレジ袋とバッグを台所のところまでもってきた。バッグの中には、料理道具一式が揃っていた。

 

「一応自分で料理道具は持ってきたんですけど、エリカさんの台所もちょっと見させてもらいますね」

 

 そう言って、美帆はエリカの台所を調べた。すると、美帆は驚いたような顔をする。なぜなら、エリカの台所には、美帆が思っていた以上に料理道具が揃っていたからだ。

 

「へぇー、ちょっと意外ですね。エリカさんの家、あんまり料理道具揃ってないものかと……あっ、別にエリカさんが料理できないとか思ってたわけじゃないですよ!? ただ目が見えないと料理も難しいかなと思ってて……!」

「分かってるわよそれぐらい。ときどき料理をしに来てくれる友達がいるの。だから料理道具が揃ってるのよ」

 

 エリカがそう説明すると、美帆は落ち着いて、納得したように「へぇー」と声を上げた。そして再びゴソゴソとエリカの台所の料理道具を調べ始める。

 

「そんなご友人がいたんですね。……私も負けないようにしないと」

「ん? 何か言った?」

「い、いえ! 何でもありません!」

 

 美帆は慌てたように取り繕うと、料理道具と食材を台所に広げ、エプロンをつけて料理を始めた。トントントンと、美帆が包丁で食材を切っている音が聞こえてくる。

 そういえば、とエリカは美帆からまだ聞いていないと思い質問することにした。

 

「ところで、一体今日は何を作ってくれるの?」

「それはですね……ふふ、完成してからのお楽しみです」

 

 美帆は微笑みながら人差し指を唇に触れさせて言った。目の見えないエリカに対してその所作に意味があるのかはともかく、美帆がエリカを驚かせたいという気持ちは汲んで取れた。

 美帆はしばらく料理に没頭する。包丁を使う音や、水道が開かれ水が鍋に注がれる音、ピッと炊飯器が作動する音がエリカの耳に聞こえてきた。そして、グツグツと食材を煮込む音が聞こえてくる。それからしばらくして、美帆の「よし」という呟きが聞こえてきたかと思うと、とても香ばしい匂いが部屋に充満してきた。その匂いは、エリカもよく知っているあの食べ物の匂いだった。

 

「なるほどね……」

 

 匂いで今日の食事を理解したエリカは、あえてそれを口にせずに料理の完成を待つ。そして、お米が炊けたことを知らせる軽快なリズムの電子音が聞こえてきたことによって、その料理はほぼ完成したことを告げた。

 美帆はその料理を載せた皿を二つ、部屋の真ん中にあるテーブルへと運んだ。

 

「さあ出来ましたよエリカさん! 今日のご飯は……カレーです!」

 

 そう、美帆が作ったのは独特な香ばしさを漂わせる、カレーライスだった。

 確かに、カレーを嫌いという人間は少ないから、初めての食事としては無難な選択だろう。

 エリカが内心なるほどと思っていると、美帆がスプーンでエリカのカレーをすくい、エリカにその先端を向けてきた。

 

「はいエリカさん。あーん」

 

 どうやらエリカにカレーを食べさせようとしているらしい。美帆の「あーん」という言葉でそのことを知ったエリカは、ぶんぶんと手を振った。

 

「ちょっとちょっと、自分で食べられるわよ」

「でもカレーはこぼして服についたら取れづらいんですよ? 匂いも付きますし。それに、私がエリカさんにこうして食べさせてあげたいんですよ」

 

 その美帆の厚意に、エリカはデジャブを感じた。そういえば、みほに最初に料理を作ってもらったときもこうだったな。自分で食べられると言っているのに、不満気にするみほについ押し切られたっけ。

 そのことが急に懐かしくなって、エリカはふっと困ったように笑みを浮かべた。そして、

 

「しょうがないわね……じゃあ、今日だけよ」

 

 と、あの日と同じ返答をすることにした。すると、美帆はその言葉に笑顔を浮かべた。

 

「はい! では、あーんですよ。あーん」

「あーん……」

 

 エリカは大きく口を開き、美帆によって差し出されたカレーを口にする。カレーは、美味しかった。まぁ、カレーを不味く作ることのほうが逆に難しいだろうが。

 そうして、エリカは一口一口美帆にカレーを食べさせてもらった。ゆっくりとしたペースだったが、それを気にすることもなく、エリカはカレーを完食した。

 その後で美帆が自分のカレーに手をつけ始める。

 思えば、カレーを食べること自体が久しぶりだった。それに、カレーと言うとエリカはとある人物が頭に浮かぶのだ。

 

「懐かしいわね……」

「え? 何がですか?」

 

 美帆はしっかりとエリカの呟きを聞いていたらしく、美帆が不思議そうな顔で訪ねてきた。

 エリカは聞かれてしまったならばと、せっかくなのでひとつその人の話でもしようと思った。

 

「いえ、昔私がお世話になった人がカレーが好きでね、よく食べてたのよ。西住まほって言う人なんだけど」

 

 その名前を聞いた瞬間、美帆はスプーンを握りしめながらバンッ! とテーブルを叩いた。

 

「西住まほさんって、あの西住まほさんですか!? 世界でも有数の戦車乗りと言われる、あの!?」

「え、ええ……そうか、あなたも名前は知っているのね」

「もちろんですよ! 西住まほさんと言ったら日本戦車道界の星ですからねぇ。戦車道好きで知らないのはモグリですよ。そういえばエリカさんはいつ西住まほさんと知り合ったんですか?」

 

 突然興奮した美帆に気圧されながらも、エリカはなんとか話を進める。確かに、考えてみればまほはもう世界レベルの選手なのだから、知っていてもおかしくなかった。

 エリカは軽く咳払いをして、何も隠すようなことでもないだろうと、美帆の質問に応えることにした。

 

「いつ、というと私が学生の頃ね。私は黒森峰で戦車道をやっていたんだけど、私が黒森峰にいたときの戦車道の隊長が、まほ隊長だったのよ」

 

 思えば、まほとは最後に病院で喧嘩別れしたままだった。

 そして、まほはエリカの手の届かない人物へとなった。

 完全に自分の癇癪であんな分かれ方をしてしまって、申し訳ないと思っている。またいつか会って、和解することはできるだろうか。

 エリカが郷愁を感じていると、美帆は更に驚いた様子でエリカに詰め寄ってきた。

 

「え、ええ!? エリカさんて大洗のOGじゃなかったんですか!? 私てっきり……」

「あれ? 言ってなかったかしら?」

「言ってませんよ! 一体どうして大洗に?」

 

 その質問に、エリカは答えていいか迷った。それは、今こうしてエリカが視力を失っていることと、大きく関わるからだ。エリカは僅かな間逡巡した後、少しはぐらかして話すことにした。

 

「そうね……私、まほ隊長がいなくなったあとに黒森峰で隊長をやっていたんだけど、うまくいかなくてね……それで、下級生に悪戯されちゃって、こうして視力を失っちゃったの。それで……まあ色々あって、黒森峰を離れて、大洗で過ごすことにしたのよ」

 

 そのエリカの説明を聞いていた美帆は、最初は唖然とし、そしてすぐさま眉間にしわをつくり、またもやバンッ! と机を叩いた。

「……許せません! いくらなんでもひどすぎます! そりゃあ戦車道も人間関係の上に成り立つ競技ですからいろいろあるでしょう。だからといって失明までさせるなんて……!」

 

 まるで自分のことのように怒りを露わにする美帆に、エリカは微笑みながらそっと肩に手を置いた。

 

「怒ってくれてありがとう。でもね、これは私の自業自得みたいなものだから。私が、立派な隊長でなかったのがいけなかったのよ」

「そんなことありません! エリカさんに今まで戦車道のことを教えてもらいましたが、エリカさんはとても戦車道に対して真剣であることが私にも伝わってきました! それなのに、それなのに……!」

 

 未だ怒り冷めやらぬといった感じの美帆に、エリカは困りつつもなんだかとても嬉しい気持ちになった。こうして自分のことを思ってくれる人がまた現れてくれるなんて、思ってもみなかったことだった。だからエリカは、美帆を背後からそっと抱くことによって、その気持ちに応えることにした。

 

「エリカさん……?」

「ありがとう……私のことでこんなに怒ってくれるなんて、嬉しいわ。でも、もう過ぎたことなの。すべては過去のこと。だから、私は気にしてないわ。だからあなたも気にしないで欲しい」

「は、はい……」

 

 美帆はシュンとした様子で頷き、エリカの腕をそっと掴んだ。お互いの体温がそっと触れ合う。エリカは、その感覚がなんだかとても久しぶりのように思えた。

 

「ごめんなさい、私ちょっと頭に血が昇ってました。それにしても、黒森峰ですか……。でも、黒森峰って、今はその……」

 

 美帆が言い淀む。なぜなら、黒森峰は今、かつての栄光が嘘のように、戦車道においては弱小校になっていたのだから。

 

「そうね……今の黒森峰は、私の事件があってしばらくの出場停止処分を受けてからというもの、すっかり弱体化してしまった。かつて十連覇に王手を掛けたその面影は、どこにもない。寂しいものね。自分の母校が落ちぶれてしまうのは……。私ね、実を言うと、ちょっと後悔してる部分もあるの。隊長から任された黒森峰を、結局優勝に導くことができなかった。それどころか、今のような状態にしてしまった原因を作ってしまった。だから、どうにかして黒森峰にはかつてのように王者の風格を取り戻して欲しい、そんなことをたまに思うの」

「エリカさん……」

 

 そのエリカの淋しげな口調に、美帆はただ頷くことしかできなかった。そして、エリカの腕を握る手の力を、少しだけ強めた。

 エリカもまた、美帆をより強く抱きしめた。

 静かな時間が流れていく。

 太陽はいつの間にか沈み、青みがかった空に、月がその姿を現し始めていた。


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