インフィニット・ストラトス Re:IMAGINE 作:如月十嵐
その日は、黒い曇天の空に雨が降っていた。まるで天も死を惜しんでいるようだと、学ランを着た一夏は傘を差しながら思った。当然のように思っていた日常は、あっけなく終わる。分かっていたはずなのに、一夏にはそれが辛かった。師である人物の死。凰元帥、享年六十ニ歳。死因は転落による事故死。まだまだ人生これからと呆れるくらいに元気だった人で、未だに一夏はその死を実感できないでいた。だが、それも彼女を思えば小さな事なのかもしれない。
両親が離婚して以降、ずっとただ一人の家族として一緒に暮らし、その武の才の全てを受け継いできた鈴音に比べたら。
「……まあ、なんだ。必要になったらいつでも家を頼ってくれよ。じいちゃんも歓迎してるからさ」
「鈴姉。あんまり一人で抱え込まないでね」
目の前では、中学時代からツルんでいる五反田兄妹が鈴音に声をかけていた。その後ろには五反田家が総出でいる。元々、中国から祖父とその孫娘二人で越して来たのを、五反田家は近所付き合いとしてよく交流していたからだろう。鈴音はいつもの明るさからは想像もつかない儚げな表情で笑う。
「うん。大丈夫よ。ありがとね。厳さんもありがとうございました」
「何、元帥さんには俺も感謝してるんだ。気にするな」
五反田家の長にして齢八十過ぎてもいまだ現役。五反田厳がいつもは見せない優しい表情で鈴音に笑う。
一夏は、何も言えないでいた。今の自分に、鈴音の悲しみを受け止める資格はないと考えていたし、むしろ一夏が誰かに泣きつきたいくらいだった。だが、それは余りにも身勝手だ。だから、一人無表情に立っていた。まずは、己の悲しみをその糧とするために。事実を受け止め、それを力とするために。
「この雨だ、後の事は俺らがやっとくから、鈴ちゃんは中でゆっくりしときな」
「ありがとうございます……でも、もう少しだけ、ここで落ち着かせてください」
「そうかい……分かったよ」
厳は頷くと、五反田家の面々は屋内へと入っていく。鈴はそのまま立ち止まる。一夏も立ち止まったまま。二人だけの空間だが、一夏と鈴音の間には見えない溝ができていた。何か、声をかけるべきなのだ。しかしかけるべき声が思いつかない。すると、突如鈴音は自分が差していた傘を空へと放り投げてしまう。転がる傘。セーラー服のまま、雨に濡れて上を向く鈴音。さすがにこれを無視は出来ない。一夏は駆け寄って鈴音を自分の傘の内に入れる。
「……濡れるぞ」
「濡れたい気分だったのよ」
鈴音の言葉はそっけない。
「風邪ひくぞ」
「大丈夫よ」
それで、会話が途切れてしまう。完全にダメダメだった。凰元帥には、師匠にはもしもの時はと鈴音の後を頼まれたが、それがこんなすぐに来るなんて思ってもいなかったのだ。半端に戦闘力だけ高くなって、精神面はグダグダそのものだった。出来るようになったのは、ただその双眸で世界から目を背けないことだけ。戦闘力も結局鈴音を抜けないままだというのだから一夏は才能の無さを痛感する。最も、これは鈴音が凰元帥をして天才と評した超絶技巧者という面もある。百年に一度の天才の前には、百人に一人の筋のいい人間なんて比べようもないだろう。
「ねえ、一夏」
突然鈴音の方から声をかけられて一夏は戸惑う
「あ、な、なんだ?」
「これから、どうするの?」
「……予定を変えるつもりはない。中学に通いながらIS技研に行く。男が乗れるISって奴を、俺がその手で試させてもらえるなら、そんなチャンスを逃す事は出来ない」
IS技術研究所を名乗る組織からスカウトを受けたのはつい先月だった。篠ノ之束の推薦と、かの織斑千冬の弟というだけで選ばれたようなものだが、一夏はそれさえ利用し、のし上がるつもりでいた。
「まあ、中学に通いながらだしな。会えなくなる訳じゃない」
「その後は?」
「一年で上手くいけば、IS学園に入るつもりだ。いろいろと生きにくい世界だろうが、虎穴に入らずんば虎児を得ずって言うしな」
「そう」
「お前は……」
どうするんだ? と聞く前に、鈴音は何かを決めたような面持ちで一夏を見据える。
「私、本国に戻るわ」
「そうか。って、え? お前何言って」
「一年で代表候補になって、私もIS学園に入る」
「は!?」
唐突な言葉に一夏は困惑するが、鈴音の言葉は決意に溢れている。
「ちょ、ちょっと待て。いきなり言ってそんなの……まず本国に戻るって手続きは?」
「してる。スカウト受けてたのは、あんただけじゃないのよ」
鈴音はスカートのポケットから封筒を出す。IS簡易適性試験の結果用紙と、中国の代表候補生育成機関への招待状。嘘として用意したにしては、出来過ぎだ。
「師匠はそれ、知ってたのか」
「ええ」
「何て言われたんだ」
「『順從自己的心』」
「……」
己が心に従え。か。唐突の事故死を予見していたとでも言うのだろうか。
「なら、俺たちは一旦別々だな。お互いうまく行けば、高校は一緒だ……楽しみにしてる」
「うん」
鈴音はやっぱりそっけなかった。そしてまた沈黙……さすがにキツい。逃げても、いいのだろうか。正直一夏は逃げたかった。この暗く重い場から。しかしこの場から逃げるというのは、目を背けるのと同義だ。それはどんな状況でも逃げてはいけないという意味ではない。だが、この場からは逃げてはいけない。その信念が、一夏をここに留まらせた。一夏は鈴音に背を向ける。今出来る最大の逃げであると同時に、目から流れる涙を鈴音に見せないためでもあった。
その背中に、冷たく濡れた。しかし柔らかい感触が伝わる。変な声を出しそうになる一夏だが、それを黙って受け止める。その程度も出来なくて、何が男か。
「一夏……私、一人になっちゃったよ……師匠、おじいちゃんが、最後の家族が」
「一人でも最後でもないだろ。五反田家の人たちはみんないい人たちだし、目の前にはいずとも、お前の親は死んじゃいない。それに、俺もいる。俺がいるからお前は一人じゃないし、お前の家族もいなくなりやしない」
その言葉を紡ぐのを、一夏は少し迷った。しかし、それでも。と一夏は言う。
「お前は、俺の家族も同然だ」
「じゃあ、結婚して」
「……は?」
ある程度の予想はしていた。しかしその言葉は、予想の三段は上だった。一夏の時間が止まる。
「結婚して。一緒にIS学園に入って、恋人になって、卒業したら私と結婚して。正真正銘家族になって」
「……鈴、落ち着け」
「落ち着いてる」
「いや、落ち着け。お前の言葉を否定するつもりはない。だけど、一時の心の弱さでそういう事言うのは……」
「弱さとか気の迷いで、こんなこと言う奴いないわよ! 馬鹿!」
一夏の背に顔をうずめたまま鈴音が叫ぶ。悲痛の叫びだった。
「鈴……」
「どこまで鈍感なのよ! 私はそんな慰めいらないのよ! 私が欲しいのは、欲しいのは……あんたなのよ……」
「俺は……」
「分かってるわよ。まだ好きなんでしょ。幼馴染の娘。引越しちゃったっていう、箒って娘が」
「……」
鈴音には、分かられていた。四年間の付き合いは伊達ではない。
「思い出に勝てないのは、分かってるのよ。それでも私は、あんたが」
「……俺は最低な男だぞ。何せお前が好きなんだからな」
「それが何よ……え?」
ここまで来たら一夏ももはや嘘をつくつもりはなかった。
「お前のことは好きだよ。家族としても、友達としても……女としても。だけど、箒を忘れる事も出来ない。どちらかを選べないし、どちらも切れない。最低な男だぞ。俺は……だから、その言葉は、答えられない。答えれば、そのどれもが嘘になる」
好きだと言っても。好きじゃないと言っても。沈黙すらも、嘘になる。
「でも」
「それ以上言わないでくれ。それ以上は、お前自身の名誉を傷つける」
「じゃあ、どうしろっていうのよ」
「簡単だ。一年間、中国で勉強すればいい。お前は男を知らなすぎると思う。お前が知ってる男は何人だ? 師匠? 弾? 俺? それ以外に男友達が何人いる? お前あんま雑誌とかテレビ見ないだろ? こんな世の中でも同じ人間かと疑うくらいイカした男はいくらでもいるぞ。少ない男の中から選ぶな。お前の可愛さなら選択肢は無限だ。選ぶ権利が、お前にはあるんだよ。お前を心から愛してくれる人間が、お前が心から愛したいと思える人間が、この世界にいるかもしれないのに、それをここで捨て去るのはあんまりにも、もったいないんじゃあないか」
「じゃあ。じゃあそれでも、一年間勉強して、いろんな事を知って、あんたともう一度会って、それでも好きならどうするの?」
食い下がる鈴音に一夏は笑う。
「修羅場だな」
「上等よ。修羅場ならくぐってきたわ」
背から感触が離れる。一夏は鈴音の方に向き直った。
「やっといつものお前に戻ってきたな」
「悪いわね。感傷に付きあわせちゃって」
もう、彼女は泣いていなかった。
「何、お互い様だ」
「ねえ一夏。さっきの言葉は、一旦心に閉まっておくから、二つだけ約束して」
「何だ?」
「一つは最低でも構わないから、私を好きでいて。少しの間だけでいいから。ずっとなんて言わないから」
「……もう一つは?」
「こっちは簡単っていうか、当たり前の事よ」
鈴音は、泣きはらした顔だが、とびっきりの笑顔で言う。
「絶対IS乗りこなして、IS学園に一緒に入学して、私に勝てるくらい強くなって、私と戦いなさい!」
「……オッケー。その約束。しかと守ろう」
一夏と鈴音は雨振る中でその拳を付きあわせた。
鈴の過去回でシリアス回。ISらしくない展開であるとは思いますが、「人の好意に正面から向かい合う」という事をやってみた感じです。否定意見もあるかと思いますがご容赦を