……おかしい、おかし過ぎる。
「はっはっ……!」
俺、イッセーこと兵藤一誠は夜の街を走っていた。およそ人間には出しえないスピードで、オリンピックに出れば絶対に一着だ。
ところで、なぜ俺がこんな時間に外にいるのか。理由は簡単、松田の家に元浜と共に青少年ならば誰でも興味があるであろうDVDの鑑賞を、今の今までしていたからに他ならない。
「はっはっはっはっ…………!」
そして、俺が今なぜ、夜の街をおよそ人間には出しえないスピードを出しながら走っているのか。スピードに関しては知らん。俺が知りたい。ただ、走っている理由は明確だ。俺の後ろをご覧になれば誰にだってわかるはず。
俺は今、背中から変な翼を生やした変な男に追いかけられているのだ。
「はっはっはっはっはっはっは…………!」
……今現在進行形で、翼が生えて空を飛びながら俺を追いかける男含め、最近、俺の身の回りにはおかしなことばかりだ。
一番最初のおかしな出来事は、キレイの言う通り俺とはとてもつりあわないようなスレンダーな美少女、天野夕麻ちゃんが俺の彼女になったことだ。
俺は俺の行動を客観的に見て、とても女の子に好かれるとは言えない。ましてや美少女に好かれるとなればなおさらだ。
その彼女ができたことが、最初に起きたおかしな出来事で、だけど、凄く嬉しかった出来事だ。
そして付き合うことになった後日、俺は夕麻ちゃんとデートをした。俺の一生のうちで、これほど頭を働かせたことはないであろう程、必死で考えたデート。そのデートの最後、公園に寄って……。
俺は彼女に殺された。
腹を光る槍に貫かれて。痛みを感じるよりも早く、意識を断たれた。
しかし、どうしてか俺は生きていた。色々な異変を抱えて。
ただ、なぜか、その夕麻ちゃんがみんなの記憶から消えるし、あのキレイの記憶からも消えていた。それに、メアドも電話番号もつながらなくなっていた。
俺は彼女の存在を知っていて、他の皆は全員彼女のことを忘れていた。
キレイにそのことを話しても、なにも解決しなかった。大抵は解決するのに。
おかしい、おかし過ぎる。
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっは――――!」
俺の体もおかしい。朝に弱く、夜に強い。夜には身体能力がこんな感じで増すし、昼間では不得意なはずの英語がすらすらできた。これが俺が夢の中で生き返った後で抱えた異変。
俺は一体――どうしたんだよ……!
角を曲がり、広いところに出た。夜の広場。街灯が樹を照らしている。
「ここ、は――」
覚えている。ここは俺が、夕麻ちゃんとのデートで最後に訪れた場所で、殺された場所――。そして。
――――黒く沈んでいく視界の中、鮮烈な紅色が映った場所――――――。
「ようやく、止まったか」
ばさり、と、黒い羽が空から降ってきた。くそ……追いつかれたか……。
あれだけのスピードを出しててなら、逃げ切れると思うんだけどな……、普通は。
「貴様……はぐれか?」
「……は、はぐれ?」
「貴様の主の名を言え。それが生きているのなら、殺しはせぬ」
あ、主、だって……?
なんだよ、コイツ。変な黒い羽を生やしやがってる上に、意味わかんねえこと口走ってるし。よく見れば服装も可笑しい。もうすぐ夏だってのに、冬に着るような丈の長い黒いコートを着てるし……。
俺が黙っていたら、コイツは一人でぶつぶつと呟き始め、そして、いつか見た、光った槍を……。
「ふむ。答えぬか。……ならば、殺しても問題はあるまい」
そう言うと、その槍を投擲した。
「うおわ!?」
俺はそれを咄嗟に回避する。……しかし、ある知人の意地悪によって鍛えられた危機察知能力がここで役に立とうとは……。恩に着る――――わけ無いだろ、あの外道。
「あ、危ねえじゃねえか!」
「今のを避けるか……。ならば」
俺の話に耳を傾けず、変質者は光る槍を空中に複数生み出した。黒い翼に光る槍とは……、これまた幻想的なことで。
などと、現実逃避をしようとした矢先、光る槍が一斉に撃ち出される。
「――――――っ!」
とりあえず、横に跳んだ。視線は上から降り注ぐ雨。光の雨でも、槍の雨でもない、光の槍の雨。範囲は広いが、槍の穂先の向きを見て、その先に行かないよう気をつければ、なんとか離脱できないわけではない。
「ふむ……」
こ、怖えぇぇぇ。っつかさっき掠ったし。なんか焼ける変な音がしたし! ……あ、あれってくらったら死ぬよな?
そう思うと、背筋が冷える。
……死ぬのは絶対に嫌だからな。
「動きは素人そのものだが、頭はまだ少し回るようだ」
「俺を遠回しに馬鹿って言うな!!」
「違うのか?」
「……」
いえ、馬鹿です。高校に受かるの本当にギリギリだった馬鹿です。
……で、どうしよう。そんな馬鹿な俺が死なないには……。
さっきかなり速いスピードで走ったけど追いつかれたから、向こうの方がスピードは上。他は不明だけど。ただ、空を飛べるし、光る槍を撃ち出す事ができる。で、その光る槍は当たったらマズイ、と。
勝てる要素は皆無。死なずにすむ方法は不明。
……絶体絶命じゃん。
「ふむ。そうか。――――ならば、確実にしとめるとしよう」
変質者の背後に現れる光る槍の群れ。それは俺が即座に動ける範囲全てに及んでいる――。
「やべえ!」
俺は公園の木々の植え込みのほうへ、即座に駆け出した。これで少しは当たり辛くなるだろう。仮に当たるにしても、木の枝で弱まっているだろう。
――――などと、思ってました。
「ぎゃああぁぁぁぁぁぁ!? うお怖えなんか掠った! 木が燃えてる! 熱い! うわっ!? こっちに倒れてくんな―――――!!?」
散々でした。
なんとか避けきれたけどね! 少しでも足止めてたら死んでただろうけどね!
なんて、ふざけた事を考えるなよ! 逃げるのが先決だろ俺! 生き延びるのが先決だろ俺!
まだおっぱい揉んでねえし! (放送規制用語)できてねえし!! それができるまで誰が死ねるか――――!
「しぶとい奴だな……」
なんか変質者呆れてる! よっしゃ! このまま逃げ切れ!
とにかく俺は一直線に走った。下手に曲がったら変に自分の走る距離が長くなるだけだから、相手との距離が縮まるだけだ。
だから俺はとにかく走って走って――――――いつのまにか俺の通っている高校に着いていた。
俺はそのままその高校を通り過ぎようとして――下半身が砕け落ちたかのような錯覚を覚えた。そして、校門の前の地面にへたり込んでしまった。
な、なにやってんだよ俺! 追いつかれたらすぐに殺されちまう!
拳を握り、活を入れるように脚を殴る。しかし、そんなことで脚は動かないし、そもそも拳自体がへなちょこだった。
完全に弱りきり、震える頼りない体で、後ろを振り返る。これでまだ追いかけられていたら、俺の命はここで終了だ。期待半分で追いつかれていないことを願いながら、俺は視線を星の無い夜空へ向けた。
……いない。
ついで、視線をやや下に落として、歩いてきてないかを確認した。しかし、視界に入るのは暗い通学路の、人が一人もいない風景。
結論、誰もいなかった。
「……助かった…………」
安堵の声を漏らして、体から力を抜いた。すると、俺の体は糸の切れた人形のように、地面に倒れ伏す。頭を強く打ったけど、その程度の痛みに構うほど、俺に体力は残っていなかった。
視界に広がるのは街灯の光が少しだけ入ってほのかに明るい、黒く塗りつぶされた空。
……もう疲れた。
体から感覚がなくなっていき、視界が徐々に狭まる。……とはいうが、実際の俺は目を開けているのかどうかはわからない。もしかしたら閉じているかもしれない。
こんなところで寝たら風邪引くだろなー、とか、痺れた頭で考え、他にも色々な事も考える。
そうしているうちに俺の意識は薄れゆき――――
――――――――――最後に、鮮烈な紅色を見た気がした。
■
私、レイナーレは代行者が心底気に入らない。
「なにをしにここにきたのかしら? 代行者」
代行者は数日前、私の眼の前にふらりと現れた。
教会で宣言したあの時と、神器持ちをバイクで送ってきた時と、同じ服装、同じ無表情で現れた。黒くて短い髪で、黒くて淀んだ瞳で。
いつも通りの、なにを考えているかがまったく読めないすまし顔で。
「天野夕麻、と呼んだほうが良いでしょうか?」
そんなどうでもいいことを皮切りに話した。
――……代行者が知らないはずの、私の計画を。
無表情に淡々と。真綿で首を絞められるとは、こういうことを言うのだと懇々と説明されるよりもわかりやすく。なにもされていないのに、息苦しさすらを感じた。
だから私は代行者が嫌いだ。ひたすらに不気味で、冥界のあの汚らしい空気を纏っているような。……いや、実際に汚らわしいのか。
「……それで。それがどうしたというの?」
「私の述べた想像通りのことをするのなら、協力させていただきたい」
絶対に裏がある。
私がそう思ったのを見透かすように、代行者はこう続けた。
「裏は神に誓ってありません。簡単な小遣い稼ぎです。たかだか一夜、邪魔者が入れないようにするだけでしょう? 敵の手出しの心配の無いこの地域で」
「そんな軽い理由だけじゃないでしょう」
私は代行者を睨んだ。しかし動じない。冷め切った眼で、少しも恐怖することなく、私と向かい合っている。
「では、教会に報告する理由を述べましょう。――もし、アーシア・アルジェントの眼の前に、傷ついた悪魔がいたのなら、彼女は必ず再びその悪魔を癒す――そう推測したからです。神の敵である悪魔を癒すくらいならば、まだ、
「……好きにしなさい。報酬は他のエクソシストと同じで良いわね」
「構いません」
代行者はそれだけ言うと、平然と踵を返して私の前から立ち去って行った。
殺される、とは思わないのだろうか。生かす理由が無ければすぐに殺される立場にあると、代行者――あの男が理解していないわけがないはずなのに。
……あの男のことを聞いた後は、いつもこうだ。不安で落ち着かない。
私にはあの男が理解できない。主に、どうしてあのような立場にあるというのに、平然としていられるのかが。
実力が折り紙つきなのは、仕事で殺してきた相手のリストを見ればわかる。あいつの報告書を読めば嫌でもわかる。なにせ、あの白龍皇と一人で対峙して、生き残ったくらいなのだ。
よほど自分の腕に自信があるのだろう……、他の教会の堕天使はそう推測している。私もそう思っていた。しかし、初めて会ったあの時からはとてもそう思えない。
実際に会えば、嫌でもわかる。あの男の異常性が。
あいつは、本当に歯牙にかけていないのだ。なにものにも興味が無い。自分の命にすら、執着しているようにはとても見えなかった。
「……レイナーレ姉様? どうしましたか? お顔色が優れませんよ」
あの男のことを考えていたら、声がかかった。声のしたほうに眼を向ければ、見知った一人の堕天使。二房にわけた金髪と黒と白のフリルドレスの少女。彼女の名前はミッテルト、私の仲間。
「大丈夫よ、ミッテルト」
「……代行者、ですか?」
ミッテルトは不安げにそう尋ねてきた。あまりにも的確な問いかけに、言葉につまる。
そしたら。
「ドーナシーク! カラワーナ! レイナーレ姉様が代行者にいぃぃぃぃぃぃ!!!!」
なんか勘違いされた。
勘違いされて、叫ばれた。
「ちょ、ちょっとミッテ――」
「ミッテルト、すぐに支度をなさい。大丈夫よ、レイナーレ。貴女を辱めたあの腐れ外道は殺――いえ、しっかりとお仕置きしてきますから。――日の目を見れないくらいに」
「カラワーナ! それは誤解よ!」
「私も行こう。前々から気に入らなかったのだ。あの代行者は。――妙に女にもてて」
「ドーナシーク!? だからそれは――――――!」
長い髪の胸元を大きく開いた上着とミニスカートの女性。カラワーナ。ロングコートとシルクハットで黒尽くめの大柄な男性。ドーナシーク。
二人ともミッテルトと同じで、私の計画の賛同者だ。
「レイナーレ姉様はここで待っててください! 私達三人が必ずやあの代行者をここへ連れてきます!」
なにやら妙に張り切った三人。殺気すら出てる。
「その前に私の話を聞きなさい! それは誤解よ――――!」
アザゼル様とシェムハザ様にそんな話を聞かれたらどうするのよ――――――!!
とにかく、事情を説明して、三人の暴挙を苦労して収めた。三人に代行者と会った時のことを、苦い顔で語らなければならなかったのは、とても最悪な気分だった。
……あれ? なんで私は代行者を殺させないようにしてるんだろ。