妄想が暴走し爆発した短編集   作:鈴北岳

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旧外道神父.12

 涼やかな刃鳴りの音が、悲鳴で掻き消える。

 

 薄く黒い影が蠢くと、六筋の銀光が閃めいて、鮮血の尾を引く首が舞う。その影に幾筋もの光の銃弾が放たれるが、薄い影はそれを通り抜け、銀光一閃。一瞬きの間に三人が天に召された。

 

 黒く長い髪、今時らしく可愛らしい服の、漆黒の翼を生やした少女――堕天使レイナーレは()()()見る代行者の戦闘に、戦慄を抱いていた。

 

 代行者、薄い黒い影。教会最()のエクソシストと名高い言峰綺礼。

 

 中国拳法の達人である元エクソシストの父を持ち、その父から中国拳法を学び、独学で魔術を会得した秀才。戦闘技術、こと生き残る術にかけては、一部で悪運と呼ばれるほどに優れたエクソシストモドキ。さらには、かの『魔術師殺し(メイガスマーダー)』とすらも交友を持つ、常軌を逸した敬虔な神父。

 

 それが、現時点でレイナーレの知っている代行者の情報だった。

 

 ――しょせん人間。

 

 ――白龍皇相手に逃げ延べたのはただ単に運が良かっただけ。

 

 一部の教会の者達の間で、そんな会話が交わされているのを聞いたことがあった。主に堕天使たちの集団から。堕天使は人間を蔑視しがちな傾向にあり、そんなふうに、人間で実力のあるエクソシストが囁かれるのはそれほど珍しいことではない。

 

 しかしだ。

 

 果たして、この光景を見て誰がそう言えるだろうか。

 

 護衛対象から離れながら、しかし堕天使すらもその護衛対象に近づけさせない巧妙且つ堅剛な手腕。あまつさえ、時に攻勢に転じ、幾人ものエクソシストを慣れた手つきで屠るその技術。

 

 銀光が閃けば、必ずそれは誰かの手向けの演出となる。百発百中。術式を使わず、純粋な技術のみでそこまで。

 

 ――怪物。

 

 一部では怪物と同一視される堕天使は、その代行者を見てそう思った。

 

「ふむ」

 

 はたと、代行者は動きを止め、アーシアの前に壁のように立つ。

 

 白いワンピース姿の金髪の少女、魔女と呼ばれた聖女、魔さえも癒す慈愛の少女アーシア・アルジェント。アーシアは眼の前の光景を目の当たりにしながら、眼を背けていなかった。

 

 アーシアは彼らが自分のせいで死んでしまったと思っている。そして自分の生は彼らの死の上で成り立っていると、その罪の意識を忘れぬようにしているのだろう。

 

 それはまったくの勘違いだというのに。

 

「アルジェント」

 

 そう綺礼がアーシアに呼びかけた瞬間、光の銃弾と光の槍が綺礼だけをめがけて降りかかる。常人ならば一瞬にして肉片となる高威力の攻撃。それを綺礼は澄ました顔で弾いて、もしくは受け流し、そしてアーシアを抱えて、攻撃範囲内から逃れた。

 

「君を階段まで送り届ける。そこからは自力で上がれ。その先には火が立ち込めているが、兵藤一誠がいる」

 

「イッセーさんがですか!?」

 

 兵藤一誠、イッセー。この町で迷ったアーシアを案内し、悪魔でありながらもアーシアと友人になった茶髪の真っ直ぐな心根の少年。

 

「悪魔に君を渡すことは非常に遺憾だが、ここで君を護りながら戦うことは少々難しい」

 

「大丈夫です! イッセーさんは善い人ですから」

 

 さも嬉しそうな満面の笑みでアーシアは綺礼に言った。

 

「ふむ。ならばしばらくの間、彼に保護してもらうと良い。後に私も彼らの下へと向かう」

 

 そう言うと、綺礼はアーシアを片手に抱え直した。黒い影が、白と金の少女を抱え、空いた手に三本の白刃を構え疾駆する。

 

 数名のエクソシスト達が黒い影の前に踊り出でて、光の剣を振るう。光の銃弾はことごくが避けられた。人間一人を抱えた上、片手が使えなくなった今ならばと、彼らは接近戦をここぞとばかりにしかける。

 

 しかし、黒い影が下から跳ね上がる。

 

 黒い影の疾走を阻んだものの体が宙に蹴り上げられ、その胸から白刃が突きだした。語るまでも無く、即死だ。そして黒い影は速度を落とすことなく、その体の下をくぐり抜け、一瞬の間に階段へとたどり着く。

 

「ありがとうございます! 絶対に! 絶対にご無事で帰ってきてください!」

 

 アーシアはそう言ってお辞儀をし、階段を駆け上がる。それを横目で一瞬見やり、すぐに戦闘へと入る。

 

 黒鍵六枚を両手に構え、片手の三本を同時に投擲。無論、そんなフェイントの無い攻撃は弾かれるが、その頃にはもう敵の一人の懐に潜り込んでいる。

 

 ダンッ、と床が強く踏み鳴らされた。同時、黒い影の拳が迫る。それに気づいたエクソシストはその拳と己が胸部に手を差し入れ受け止めようとする。

 

 黒い影の拳は、それを容易く打ち破った。枯れ木の砕けたような音と、水風船の弾けたような音。それは、代行者の鍛え上げた拳は、エクソシストの鍛えた腕もあばらも、容易く砕き肺腑すらをも轢き潰す。

 

 その光景に、エクソシスト達の動きがピタリと止まる。

 

 ――ありえない。

 

 皆が一様にそう思った。

 

 エクソシストは教会の戦士であり、様々な敵と戦えるように様々な技術を見せられてきた。悪魔の使う魔法をはじめ、魔術師の使う魔術、天使と堕天使の使う光術、北欧の魔術、妖怪の使う妖術や仙術。それぞれの術式の発動を。

 

 この代行者は、この戦闘が始まってからずっと一つの魔術を発動し続けている。身体能力を強化するだけの、たったそれだけの魔術。

 

 ただ、それだけの魔術。呪いなど、そういう類の効果は一切付随しない魔術。

 

 それだけの魔術を使っているだけなのに、どうして……、なぜ、こうも簡単に人体を破壊することができるのか。

 

 しかし――疑問は尽きぬが、一つ確実にわかることがあった。

 

「……手を抜いていたのね」

 

 レイナーレは代行者にそう尋ねる。

 

「無論」

 

 代行者はそれをあっさりと首肯する。

 

「彼女のような少女にあれは酷だろう。故に、派手だが急所を攻撃せずとも、簡単に殺すことのできる術は使わなかった。――だが今は違う。ここにいるのは皆ただの敵だ。遠慮する必要は無い」

 

 黒い影が、階段を上ろうとした一人のエクソシストへと向かう。それを阻もうと次々と繰り出される――光の槍の雨。

 

 レイナーレだ。

 

「聞きなさい、エクソシスト達。代行者はたしかに危険よ。でも、それはあくまで肉弾戦での話。そいつが動ける範囲は決まってるから、外から攻撃しなさい」

 

 光の槍の雨を避けて、もしくは弾く。そして片手に残っている黒鍵を階段へと向かっていたエクソシストに投擲した。

 

「――火葬式典」

 

 それはエクソシストの腕に突き刺さると同時、燃え上がった。炎はたちどころに全身を嘗め回し、そのエクソシストを絶命させる。

 

 光の銃弾も横合いから綺礼を襲う。それも光の槍と同じように対処をする。

 

 しかし。

 

「……」

 

 頬を光の銃弾が掠めた。服にも少しづつ当たるようになってきている。それはエクソシスト達が綺礼への攻撃に慣れたからか。薄く黒い影に段々と当たるようになってきた。

 

 いや、そうではない。たしかにそれも一因となるだろうが、それよりも、横と上からの攻撃といったものが、代行者にとってやりづらいものだった。いかに全方位の状況を把握する聴勁を以って反応できるとしても、動かせる手足の範囲は限られる。

 

 ――まずいな。

 

 綺礼は無表情に、内心でそう思った。

 

 こうも得意ではない遠距離からの攻撃で封殺されるとなると、あとはどちらかの体力がどれだけ保てるかの泥仕合の体を成す。将棋でいわば百日手。どちらかがアクションを変えない限り、この状況から脱することはできない。

 

 その上、聴勁による対応もやや厳しい。反応、知覚こそできても、それに体がついていけるかはまた別問題。いかな功夫を積めど、片手で前後の光弾を、まったく同時に消すことは不可能だ。

 

 敵は表情に焦りを見せている。どんな表情をしているかわからない綺礼に、なにか奥の手があるのではないか、とそう思考でもしているのだろう。

 

 その奥の手が綺礼にはあるにはあるが、こんな多対一に使うような奥の手ではない。あれは一対一において必殺を狙うか、もしくは使わなければ必ず死ぬような状況、逃げ出しても良い状況でなければ使っても良いものではない。

 

 この状況はそのどちらでもない。

 

 故に。

 

 代行者は選択する。

 

 奥の手――切り札を出さず、一枚の手札を捨て、一枚の手札を切ると決めた。

 

 フッ、と代行者のかすんだ姿が鮮明に敵の目に映るようになる。相変わらずの無表情で澄ました顔。こんな状況ですら焦りを見せていない代行者の顔に、一瞬、エクソシスト達の攻撃が止まる。

 

 その空白に、どうしようもない悪寒が走る。

 

「――ッ!」

 

 レイナーレはその悪寒をかき消すように、先程より倍の数の光の槍を生み出し、必殺を狙いそれらを撃ち出した。

 

 が。

 

「なっ――!?」

 

 それは誰の声か。誰かが驚愕に声をあげた。

 

 レイナーレのあれはもはや槍の雨ではない槍の洪水だった。あれをまともにくらって、なお平然といられる人間などいない。そして、あれを放たれてなお、避けられる人間など、ましてや誰がいようというのか。

 

 しかし。

 

 代行者はあの一瞬で光の槍の攻撃の範囲外まで移動していた。

 

 そして平然と超然と。さも何事も無かったように立ち、背後の虚空に手を伸ばす――。

 

 空間が陽炎のように揺らめき、代行者の両手に二つ、くすんだ銀色に光る無骨で大きなモノが現れる。全長約一メートル六十五ほどもある、とても片手では使うことのできなさそうな大きさの鉄の塊。

 

 それを片手に一つずつ重さが無いかのように持ち、しかして、重々しい金属音を奏でつつ銃口を敵に向けた。

 

 ――ブローニングM2重機関銃。それがその鉄の塊の()()の名称だった。第一次世界大戦末期に開発された、そして今なお世界中の軍隊で扱われる、狙撃銃としても使える非常に高性能な重機関銃。また、使える銃弾の種類も多い。

 

 代行者が現在手に持つのは、それ――約五十キロ――を持ち上げる力さえあれば、片手でも銃火器として扱うことは出来る()()に改造を加えたものだった。本来両手で掴むところを片手でつかむことができるようにした、およそ、常人が扱うために改造を加えたものではない重機関銃。

 

 エクソシスト達は代行者が身体強化の魔術を切ったのを知覚した。

 

 そして、その機関銃になんらかの魔術がかけられたのを知覚した。

 

「私は銃のことは詳しく知らない。ましてや、このように大掛かりなものとなればな」

 

 ――切嗣あたりなら知っているのだろうが……。

 

 綺礼は益体のないことを数瞬脳裏に浮かべたものの、少しの隙も見せずそれを構えている。

 

 ブローニングM2重機関銃に使われる銃弾は12.7x99mm。日本の自衛隊が使う拳銃の銃弾は9x19mm。それぞれの重さはまた銃弾に使われる金属によって違うが、拳銃の銃弾は最大約十グラムに対し、機関銃の銃弾は平均で約四十五グラム。四倍以上の質量の差だ。

 

 さらに今、代行者の持つ機関銃に装填されている銃弾の種類は徹甲弾。人体ではなく、装甲の破壊を目的として作られた銃弾。胴体に当たれば、臓物をぶちまけて死ぬだろう。確実に。

 

「故に私は照準を合わせ、引き金を引くのみ」

 

 銃弾と銃身が代行者の魔術によって強化される。それによって、人間の張る生半可な障壁では防ぐことはまず叶わない。

 

「Kyrie eleison. ――――――――Amen」

 

 代行者でもあり神父でもある綺礼はそう呟き――引き金を引いた。

 

 

 

 

 俺、兵藤一誠のいる悪魔の一行は、既に教会の鎮火――という名の部長の紅色の魔力による炎の滅却――を終えていた。

 

 ……あれは凄かった。こう、真っ赤な炎が教会全体を覆って、炎と共に落下してきた瓦礫を、部長――リアス・グレモリーは一切身動きせずに凄まじい紅色の魔力で消し飛ばしたのだ。そして更に、なおもくすぶる炎のみを、一瞬で消し飛ばした。

 

 というか小猫ちゃん……本当に爆発が起こっちゃったよ。俺の馬鹿さも結構当てになるのかな?

 

 本当に一瞬の出来事だった。あと、白髪の白い神父のエクソシスト――フリード・セルゼンはどこかへ消えてしまっていた。部長は手ごたえが無かった、と言っていたから、運良く逃げ出せたのだろう。

 

 あれは自爆かと思っていたが、どうも逃走用のものらしい。けたたましい哄笑をあげてたし。

 

 まあ、それはともかくとして、やっとアーシアを助けに行くことができる。さて、さっそく階段を下ろう――

 

「ぐえっ」

 

 ――としたら紅色の髪の女性に首根っこをつかまれて、情け無い声をあげましたとさ。

 

「……な、なにするんですか。部長」

 

 何度か咳払いをして、リアス・グレモリー――部長にさっきの行為の意図を尋ねた。

 

「まだ行っちゃ駄目だから止めたのよ」

 

「なんでですか!?」

 

 俺はその部長の言葉に心底びっくりした。やっとフリードを倒して、アーシアを助けに行くことができるようになったっていうのに――。

 

「周りを良く見なさい。皆、少し疲れているわ」

 

 そう言われて、皆――部長の眷属、オカルト研究部のメンバーをぐるりと見回した。

 

 まず、黒髪のポニーテールの大和撫子――姫島朱乃先輩が目に付いた。着物姿が素晴らしいです。うなじもそうだけど特に帯のすぐ上にある大きくていかにも柔らかそうな胸が……、じゃない。

 

 朱乃先輩は木場の近くでなにかをしている。

 

 木場、木場祐斗。金髪のイケメン。にっくきイケメン。アイツの次に、場合によってはアイツよりも憎いイケメン。

 

「今、朱乃に祐斗の治療をさせているわ。その次は小猫――といっても、目立った外傷は無いから、簡単に体調を見るだけね。イッセーも朱乃に診てもらうわ」

 

 そういえば木場は至近距離で光を浴びたのだった。弱いものとはいえ、それが至近距離で、眼に当たったとなればそれは少しまずいかもしれないのだろう。

 

 ところで、部長が言った小猫とは、小猫ちゃんのことである。銀髪の小柄な少女。塔城小猫。通称小猫ちゃん。学園のマスコットキャラクター。

 

「俺の分は必要ないですよ、部長」

 

 小猫ちゃんのあと、俺が朱乃さんに体を診てもらう必要は無い。……正直、正直! 間近であの素晴らしい胸元が見れないのは非常に……ひっじょーに残念だが、そんなに時間は無い。

 

 フリードは狂ってたとはいえ、その実力は相当なものだった。だから、俺達三人、俺と小猫ちゃんと木場は長い時間、足止めをされた。一応、フリードには勝ったものの、下手をすれば負けたことになる。

 

「これは決定よ」

 

「部長! 俺は本当に大丈夫ですって! 俺は元気だけがとりえの馬鹿っすから! もやしっこの木場や後輩の女子の小猫ちゃんの数倍は体力有り余ってるし、それに今は快調ですから!」

 

 俺は焼け落ちた教会の中を飛び跳ねる。うおっ! やっぱすげえな悪魔って。軽く跳んだつもりなのに、部長一人分跳んだ!

 

 体に痛いところは無いし、疲れも――あるにはあるが、どうってことはない。

 

「それでもよ。貴方はたしかに元気――かもしれない。でもそれは貴方の判断で、それが確実とは言えないわ」

 

「部長!」

 

「イッセー。敵は未知数なのよ。コンディションは万全に整えないと、私達が死ぬかもしれない。それじゃあ本末転倒よ。アーシアを死なせないように救助に来たのに、私達が死んだら意味が無いじゃない」

 

「……」

 

 部長の仰ってることはわかる。わかっている。けど――。

 

「……ハァ」

 

 部長はためいきをつかれた。

 

「少しじっとしてなさい」

 

 そして俺に身を寄せてきたっ!?

 

 部長の手が俺の体をぺたぺたと探るように触る。そして俺に顔を近づける。……ああ、いい匂いがするなー、見事な形のおっぱいだなー、綺麗でさらさらしてる髪だなー……。

 

「? イッセー、顔が赤いけど?」

 

「大丈夫です! ありがとうございましたっ!!」

 

「主として当然のことをしただけよ」

 

 部長はそう言うと、朱乃さんに俺を診ることは不要と伝えた。

 

「では小猫ちゃんの治療が終わり次第、向かいに行きますの?」

 

「そうよ」

 

 ……なんだろう。この悔しさは。俺の要望を折角叶えてもらったというのに、すっごく損した気分になるのは。

 

 やっぱあれだ、リア充は爆発するべきだと思うんだ。木場とか木場とかアイツとかアイツとかアイツとか、主にアイツとか。イケメンと猫かぶりは滅んでしまえ。

 

 朱乃さんはすぐに小猫ちゃんの治療に取り掛かった。

 

 そして俺の隣に木場がなぜかやってきた。

 

「本当に大丈夫かい?」

 

「おおよ。王子様。俺はフリードに一度も不覚をとってねえからな」

 

 俺がそう言うと、木場は苦笑する。

 

「まったく。僕としたことが本当にしてやられたよ。エクソシストは――教会関係者に後れを取るなんて、ほんっとうにしてやられた」

 

 笑い話でもするかのように苦笑し言った木場の瞳は、どことなく暗い、危険な光を放っていた。

 

「無理に笑い話にしようとするなっての。お前、すっげえ怒ってんならそれを無理に抑えんなよ。見てる俺が怖い」

 

「……すまないね。一応、忘れようとは努めているんだ」

 

 俺は木場のその言葉に鼻を鳴らした。そして、自分でもわかるくらいの悪態をつく。

 

「言ってろ。どんなことがあったのか俺は知らないけどさ、忘れられないんだったら克服しろよな」

 

「耳が痛いよ」

 

 苦笑する木場。しかし目は未だ変わらず、笑っていない。……一回、アイツに頼んで克服させてもらおうかね? すっげえ怖いんですけど。

 

 これだからイケメン様はよー。

 

「イッセーさん!!」

 

 ふと、聞き覚えのある声が聞こえた。声のしたほうへと首を向ける。

 

「……アー、シア?」

 

 金髪碧眼の美少女。白いワンピース姿の美少女。今は屈んで膝に手をついている状態ですので発育途中の素晴らしい真っ白な谷間――。

 

「はい!」

 

 満面の笑みでそう言って、俺のところにすぐに走ってきた。そして俺の手を取って、笑顔とは一転、今にも泣き出しそうな表情になる。

 

「え? え? え?」

 

 俺は盛大にうろたえた。いやいやいや、だってそうでしょ、なんでこんなところにアーシアいるの? なに? 逃がしてもらったの?

 

「イッセーさん。お願いがあります!」

 

 アーシアは俺に詰め寄って、そう懇願した。

 

「代行者様を助けてください!!」

 

「――代行者ですって?」

 

 部長がそう仰って近づいてきた。険しい表情をしていらっしゃる。

 

「は、はい! 代行者様です。私をあそこから出してくれて――今、レイナーレ様と、その配下のエクソシストの方々と戦闘を――!」

 

「無理よ」

 

 アーシアの懇願を、部長はすぐさま斬って捨てた。

 

「私達の目的は、貴女――アーシアの救出、ただそれだけよ」

 

「でも――」

 

「でもも何も無いわ。代行者は悪魔である私達にとって脅威なのよ。その脅威を、どうして助けろと言うの?」

 

 部長はアーシアにそう断言した。アーシアはそれを聞いて、ますます泣き顔になる。そんな表情を見かねたのか、部長はこう続けられる。

 

「聞けば、代行者は凄腕のエクソシストじゃないの? そんな彼が必ず死ぬとわかっている戦場に飛び込むかしら」

 

「……いえ」

 

 アーシアは少し黙って、部長の言葉に同意する。

 

「なら大丈夫よ」

 

「……」

 

 アーシアは黙り込んだ。悔しそうな、寂しそうな表情……。いや、実際に悔しいし、寂しいのだろう。

 

 自分を助けてくれた人を助けることができない非力さ。

 

 俺はしょうがないと思う。アーシアの神器は回復専用で、それの所持者のアーシアはこれまで教会勤めのシスター。普通は戦闘能力が無いのが当たり前で、荒事に対して非力なのが常識だ。

 

 そう、だからアーシアが自分を助けてくれたという代行者を助けることができないのは当たり前。でもそれを嘆くのは――そんなの当たり前じゃない。

 

 医者や警察官や消防士を相手に人が救えないと嘆く人はいないし、いたらいたらでおかしい。何事も適材適所。そうやるのが、そうなるのが当たり前。

 

 だから、俺は。

 

「俺は行きます」

 

 部長が驚かれた。周りの人達も驚いている。アーシアもだ。

 

「そんなのは絶対に許さない」

 

 ゴウッ、と部長の周りに真紅のオーラが揺らめく。なまじその真紅のオーラ――魔力の凄まじさを知っているから、それに俺は圧倒される。

 

 だけど――これは部長の優しさだ。俺が死なないようにという、そういう優しさ。本当なら突っぱねたら駄目な優しさだ。

 

「部長。俺は代行者が敵で無いと、そう思っています」

 

「敵よ。さっき、私がアーシアに言ったこと、覚えてる? 代行者は凄腕のエクソシスト――私はそう言ったのよ。わかる? アーシアはそれを否定しなかった。つまり――」

 

 ――代行者はエクソシスト。俺達、悪魔の天敵。

 

 ……言われるまで気づかなかった。……でも、それはただの代行者の一面に過ぎない。

 

「なら、どうして代行者は部長と朱乃さんを――見逃したんですか?」

 

「――見逃す?」

 

 ピクリ、と部長の眉が上がった。

 

「だって、代行者はスナイパーと組んでいて、それも二人とも堕天使を倒すほどの実力者です。その実力者はどうして堕天使達と協力して、部長達を倒そうとしなかったのかですか?」

 

 もしくは足止めを。それだけの実力があるのなら、そのどっちかができたはず。

 

「……それもそうだね」

 

 木場が言った。

 

「代行者というエクソシストは、なにか他に目的があるのでしょう。怨敵の悪魔を殺すよりも、隣人の堕天使を殺すだけの目的が。アルジェントさんを助けたのは、その目的の達成のための一つの布石、と考えたほうが良いでしょう」

 

「……祐斗もイッセーに賛成なのかしら」

 

「それはまさかですよ。僕は教会関係者がにく……いえ、嫌いなんです。ただ、不確定要素は触れないべきではありますが、それを理解しようとせずに放っておくのはもっとどうかと思いまして」

 

 木場は肩をすくめてそう言った。あくまでこいつは中立を貫くらしい。……ただ、なんとなく感謝しておこう。

 

「私は賛成ですわ」

 

「朱乃!?」

 

 ……まさかの朱乃さんが賛成? 部長も驚かれている。

 

「代行者は情報の少ない敵ですわ。その敵の情報が少しでも入るのでしたら、多少のリスクは覚悟の上でも、ここは代行者と接触するべきでしょう。それにもしも今、代行者が危険な状態にあるのでしたら、最低でも撤退はできると思いますわ。上手くいけば、捕獲できるかもしれません」

 

 なんっかすっげー怖い。特に捕獲のあたりが。……そういえば朱乃さんって敵にはドSでしたもんねー。もし代行者が捕まったら、少し優しくしてあげよう、うん。曲がりなりにも俺の代わりにアーシアを助けてくれたんだし。

 

「……私は反対です」

 

「小猫ちゃん!?」

 

 ……まさか小猫ちゃんが反対だとは思わなかった。いやまあ、俺、小猫ちゃんのことを良く知らないけど、わざわざ俺についてきてくれたんだから、最後まで来てくれるかなーとか……。都合よすぎですかね?

 

「……ここは帰るべきです。祐斗先輩の言う通り、アルジェントさんが必要でしたら、彼女に再び接触してきます」

 

「その時に捕まえるべきと?」

 

「……はい。そっちの方が確実です。学園でしたら会長に協力を仰げます」

 

「でもさ、向こうも増援を呼んできたら――」

 

「それはないわ、イッセー。悪魔は大勢力よ。……こういうことはあまりひけらかしたくないけど、私は魔王の妹なの。もし私に危害を加えてきたら、ほぼ確実に冥界が動く。もしかしたらまた、大きな戦争が起こるわかもしれないのよ? そんなリスクを冒してまで、向こうがするとは思えない」

 

 ……。

 

「……じゃあ、私一人で行きます」

 

 ――って、なんでこんなことを言い出すんだアーシアは!

 

「駄目だアーシア! アーシアに戦闘は無理だろ!」

 

「私には聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)があります。多少の怪我なら平気です。自分で治癒――」

 

「そういう問題じゃない! その代行者様はお前を自由にするために戦ってんだろうが!」

 

 そうだ。どんな理由があるにせよ、どんな目的があるにせよ。代行者は紛れも無く、アーシアを救い出したんだ。自由の無かった彼女に自由を与えた。

 

「一人で戻ったら確実に捕まる! そうなったら、ソイツの努力は全部水の泡になるんだぞ!?」

 

「……! そんなこと……、わかってます……!」

 

「わかってねえよ!!」

 

 アーシアは悔しそうに唇を噛んでいる。その気持ちは痛いほど、ほんっとうに痛いほど良くわかる。……わかるけど、それと同じくらい――いや、それ以上に人を助けられない時の悔しさを見たことがあるから。

 

 代行者がどんなやつか知らない。けど、アーシアが行くことはソイツにとっては良くないことに違いない。

 

「……、部長、お願いします。本当に、ほんっとうにお願いします。俺を行かせてください!」

 

「何度言っても駄目なものは駄目よ。たとえ、朱乃が賛成して一緒に行くとしてもね。……ねえイッセー、いい加減わかってちょうだい。私は、貴方達を失いたくないのよ。失いたくないし、不幸にもさせたくない。本当なら、アーシアを助けることだって反対だったのよ」

 

 ……部長はとても真剣だ。

 

「では、こういうのはどうでしょうか?」

 

 朱乃さんが声をあげる。それに部長はやや躊躇いがちに続きを促した。

 

「会長達を呼びましょう。名目は教会のトップシークレット代行者の情報の取得のため」

 

「今、ここに?」

 

「ええ」

 

 朱乃さんはニコニコと微笑を絶やさない。対照的に部長の顔は険しい。……え、えと、会長……?

 

「情報の取得ならアーシアを押さえていたら自然と手に入るのよ。ここで誰かが傷つくリスクを覚悟してまで、そうする必要は無いわ」

 

「それでしたら偽の情報を掴まされる恐れがありますわよ」

 

「そのくらい承知よ。朱乃。私は情報よりも仲間の安全を優先しているの。それくらい、私の女王(クイーン)である貴女ならわかるでしょう」

 

「もちろんです。部長がとてもお優しいのは理解しておりますわ。ですが、代行者の情報はそれを承知してまで手に入れる必要があると私は思っていますの」

 

 ……す、すっげえ迫力。こう……なんだ、怖さは無いんだけど、気が重くなるというか足が重くなるというかなんというか。

 

「代行者が活動し始めてから何年かは知りませんが、一つわかることがありますわ。代行者は異質です。エクソシストであるというのに、神の加護を受けている気配が一切しませんのよ? それで堕天使を一突きで貫く力量と、気配を完全に断ち姿すらも視認しづらくする陰行」

 

 ……と、いうことは。

 

「代行者は暗殺の達人、ですね」

 

 ……木場ぁ……、俺の台詞。

 

「部長、僕は今、代行者を今すぐ捕縛ないしは偵察しに行くべきだと思っています。その暗殺技術は厄介以外の何物でもありません。戦時でなくとも、それは脅威になる確率が高いかと」

 

「……証拠が無ければどのようにでも言い逃れできる、そう言いたいのかしら?」

 

「――――はい。これは我々だけでなく、冥界にとっても大きな危機でしょう。ここは多少のリスクを冒しても行くべきです」

 

 部長は一度、グルリと周りを――自分の眷属達を見た。見て、俺に視線が止まった。

 

 息を吸った。

 

「絶対に、誰も死にません。だから大丈夫です、部長」

 

「…………………………ハア、わかったわよ」

 

 やれやれという言葉がでてきそうな雰囲気で、部長はそう仰った。

 

「まあ……祐斗と朱乃の意見ももっともかしら。ソーナに連絡いれて、つき次第、行くわよ」

 

「はい!」

 

 

 

 

 ――――それはもはや、一瞬前の出来事だった。

 

 へたりと、黒い翼の少女は床に崩れ堕ちた。彼女の膝は笑っている。いや、膝だけではない。脚全体――否、全身が震えていた。

 

 眼前の、鉄の凶器を振り上げる弱者に。

 

 強者たらんと努力を積み重ねる弱者に。

 

 そんな、一部では化け物と呼ばれ畏怖されていた黒翼の強者は、その弱者を前に恐怖で震えていた。濃密な死の恐怖、逃れられない死の圧力に心を折られた。

 

 奇しくもその心を折った原因となったのは、人間であり弱者である配下のエクソシスト達の全滅だった。彼らはもはや、原型をとどめていない。ただの物言わぬ挽き肉となっている。それが一瞬前の出来事。心を折られる一瞬前の、一歩手前の出来事だった。

 

「……どうしてよ」

 

 黒い翼の少女――レイナーレはそう呟いた。

 

「どうしてお前は! いつもいつも私の邪魔をするのよ!!」

 

 涙声の怒号。

 

 それまでの高圧的な態度は無い。もはやただそこにいるのは、癇癪を起こした子供のような一人の少女だった。

 

「知らん」

 

 適度に切りそろえられた黒髪の、黒い神父服を着た青年のような少年は平坦な声で告げる。

 

「私の記憶には……、いや、女、そもそもお前のことはここ最近知っただけだ。どうしてそのような私が、お前の邪魔を出来る」

 

 青年のような少年――言峰綺礼はどこか不思議そうな声音で、しかしどことなく無関心な体だ。

 

 戦闘の最中は黒く霞んで見えなかった顔。今でこそ表情が伺えるが、実質、綺礼のその表情が見えようと見えまいと、レイナーレにとっては変わりなかっただろう。

 

 相変わらずの鉄面皮。

 

 相変わらずの無表情。

 

 相変わらずの澄ました表情。

 

 桶に満たした水面のように、一切の波紋が見て取れない。仮面のような能面のような無表情。

 

 ――その無表情が、更にレイナーレを追い詰める。

 

「うるさい黙れ! お前に覚えが無くとも、私にはあるのよ! あの五年前――お前があのまま死んでいたら私はアザゼル様に会えたかもしれないのに! 今もそうよ! お前のせいでこの計画は失敗よ! バレれば処分されるリスクを背負ってまで、上を欺いてまで進めたこの計画は――――!」

 

 もはや言葉にならない怨嗟の声を、ぼろぼろと大粒の涙と共に零すレイナーレ。

 

 ――レイナーレの生涯は、ごくごくありふれた堕天使のそれだった。

 

 とある一組の堕天使の夫婦の間に生まれ、特にこれといった障害も無く、特にこれといった才能も無く、ごくごく一人の一般的な堕天使として生きてきた。

 

 それが彼女には苦痛だった。平凡な生活、平凡な能力。動くことの無い地位、動くことの無い環境。

 

 だから彼女は求めた。劇的ななにかを、この停滞しきった生涯に終止符を打つ非凡さを……。

 

 思えば、彼女が神の子を見張る者(グリゴリ)の総督――アザゼルに憧れたのは、その存在の非凡さに惹かれたからではないだろうか。過去では戦乱の時代を生き抜いた一人の英雄、現在では研究者としても名高い堕天使の総督。

 

 会えばなにかが変わる――そう、心のどこかで思っていたのだろう。

 

 願っていたのだろう。

 

「……」

 

 神父見習いは無言の無表情で、一人の泣きじゃくる少女を見ていた。

 

「……それで、なにを求める?」

 

「――――――――え……?」

 

 唐突な、代行者からの質問。少女は呆然と、その無表情に焦点を合わせた。

 

「……お前は、なにを言ってるのよ……」

 

 レイナーレは表情を険しく引き締める。

 

「私の計画を全部破壊したお前が、今更何を言っているのよ。私はここでお前に殺されて終わり、そうでしょうが。それともなに? 私のこの姿に憐れみでもして、情けをかけてやろうっての?」

 

 代行者に嘲笑を浴びせながら、レイナーレは生き残る算段を考え始めた。

 

 この代行者は自分を今すぐ殺そうとはしていない。なぜか? 理由は不明。ただ、これまで自分の話した内容が代行者の興味を引いたのは確かだ。ならば、まずはその興味を探る――。

 

「余計なことを考える必要は無い」

 

 代行者は片手の重機関銃を揺らめく空間にしまい、三筋の白刃をその手に収める。その後に、もう片方の重機関銃を揺らめく空間にしまった。

 

「答えろ」

 

「……お前は――」

 

 レイナーレには代行者がわからなかった。理解できない。

 

「お前は、いったいなにを考えているの……?」

 

「私が何を考えようと、お前には関係ない」

 

 レイナーレの至極真っ当な疑問に、言峰は答えず言外に先を促した。

 

「……私は、アザゼル様とシェムハザ様に会いたいだけよ。あの御方達は神器に興味がある。それくらいは知っているでしょう? だから私は魔女からあの神器を奪って、高い地位に就こうとしたのよ」

 

 レイナーレはそれに素直に答える。

 

 ――この代行者に、常識は当てはまらない。

 

 レイナーレはこれまでの代行者の行動を思い起こして、そう結論付けた。この代行者はエクソシストにしても神父にしても一人の信者にしても、天使に敬愛が足らず悪魔に忌避感が無さ過ぎて、神に対する崇拝が乏しい。――神の加護が少しも発動しないほどに。

 

 であるというのに、この代行者の行動は敬虔な信徒そのもの――ともすれば、誰よりも敬虔な信徒ともとれるのだ。この代行者の父からの報告では、まさにそうとしか取りようの無いものなのだ。礼拝は欠かさない、聖歌や聖句を暗記暗唱する、他の信徒の悩みに真摯に対応する――。その上でエクソシストとしての任もこなす。

 

 それを幼少の頃から少しも変わることなく続けている。代行者の父は敬虔な神父として有名だ。そんな彼が我が子可愛さに虚偽の報告をするとは思えず、ましてや、代行者が敬虔な信徒を十数年も装い続けるとは思えるだろうか。否、誰にもそう思うことはできまい。

 

 そこまで思い返して、レイナーレはこの男について考えることを諦めた。考えるためのピースがあまりにも少な過ぎる。

 

「その程度の理由か?」

 

 ――それにこの男は、叶うものならば記憶から消え去って欲しいのだ。

 

「……どういう意味よ」

 

「そのままの意味だ。お前はその程度の理由で危険を冒したのか?」

 

「その程度――ですって……!?」

 

 絶句した。どうしてこの男はそんなことを言えるのか。

 

 レイナーレにとって、アザゼルとシェムハザは、信徒にとっての神に等しい。彼らと会うことができるというのならば、この程度のリスクなど問題ではない。むしろ充分にお釣りがくる。

 

 悪魔と堕天使は不仲。互いにできるだけ不干渉を貫こうとしている。そこでレイナーレの一派が怪しい動きをしても、深くは調べようとしない。一々細かいことを調べようとはしないのだ、普通は。

 

 ならばレイナーレ達が何をしようと本来は攻められる心配はなかった。ここは悪魔、それも魔王の妹の領地。ここで戦闘行為などを行えば面倒くさいことになるのは確実だ。

 

 ある意味で、レイナーレ達の計画に抜かりは無かった。多少の不安要素こそあれど、それらは本来、イッセーとアーシアが出会わなければ大丈夫だったもの。それは悪魔側がこちらに攻めるための動機。それさえなければ悪魔は危険を冒してまで、レイナーレ達を排除しようとは思わなかっただろう。

 

 総合的に鑑みれば、レイナーレの計画はそれほど危険なものではない。万が一にバレ、この計画が潰された時のリスクは大きいかもしれないが、少なくともさほど危険ではなかった。

 

「代行者もそろそろお勤め終わりかしら。そんな簡単な予測もできないなんて」

 

「私には理解できない。お前がなぜそこまでして堕天使の総督に会いたいのか」

 

 淡々と問い続ける代行者。

 

「私こそ理解できないわ。アザゼル様とシェムハザ様の素晴らしさが理解できないなんて」

 

「であるとすれば価値観の相違か」

 

 ふむ。と、代行者は瞑目する。なにかを考えているのだろうか。

 

 ――その時。

 

「来客のようだ」

 

「そうね。この気配は悪魔ね」

 

 自暴自棄になりつつあるレイナーレは、吐き捨てるようにそう言った。

 

「どうするの? このままじゃ殺されるわよ、代行者」

 

「余裕だな、堕天使」

 

「当たり前よ。お前が死ぬのだとしたら、私にとってそれほど喜ばしいことはないわ」

 

「そうか」

 

 代行者の体が薄く黒い影となる。

 

「それどうやってしているの?」

 

「魔術の秘奥だ」

 

 堂々と嘘をのたまう代行者。それをなにがおかしいのか、レイナーレはせせら笑う。どうもこの状況に慣れてしまったようだ。

 

 ちらりと、代行者はレイナーレを一瞥し――首を掴み上げ、一瞬でその頚骨を砕いた。

 

 その音は小枝が折れるような、およそ化け物と呼ばれた存在の死において、似つかわしくない、あっけないものだった。

 

 代行者は事切れた堕天使の首から手を離す。ドサリと、代行者にとってもう既に無価値なものが放り捨てられた。

 

「……つまらん」

 

 それは不意に口をついてでただけの、なんの意思も込められなかった言葉。意味の無い、無意味で不必要なただの音。

 

 階段を駆け下る音。それらは徐々に大きくなり、この地下の部屋に木霊する。その音の主が階段を駆け終え、姿を現した。

 

 ――さあ、敵はもういなくなった。長い夜は今まさに明けんとしている。

 

 ここにいるのは勝者のみ。目的を達した勝者と、目的を達し切れなかった勝者。

 

 すなわち――代行者と悪魔達だ。

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