僕は彼のことを尊敬している。
彼は優れた人格者だ。知識に縛られず、それどころかその知識を操る。彼は物事を多角的に見ることができるんだ。
「おはよう。キレイ」
言峰綺礼。通称言峰さん、もしくはキレイ。
制服をきちんと着こなした、生徒の鑑のような青年。僕らの歳ならまだ少年と呼べる年代なんだけど、彼に少年という呼称は似合わない。
飾り気の無い透明な清潔感。それらが前面に押し出された格好と容姿。それが彼の落ち着いた雰囲気を、大人びた雰囲気に変えている。
「また兵藤君の教室へ?」
「そうだ。イッセーはあいかわらず面白い」
キレイはそう言って口の端をわずかに緩める。
「兵藤君は君から見て、どんな人物なんだい?」
「根っこが良くも悪くも真っ直ぐな人物だ。私とは違って、な」
「僕は君のほうがよっぽど真っ直ぐだと思うけど」
彼はいつも兵藤君のことをそう評価し、同時に、自分を卑下する。
彼はここから二つほど離れた教会で神父をやっている。噂では凄く繁盛しているらしい。特に彼の人気は凄いそうだ。
とある事情があって僕は、神父等がとても嫌いだ。けど、キレイは別だ。キレイは神父ではあるが、僕が嫌えるタイプではない。むしろ、好感を覚える。
……キレイのような人物があの教会にいたならば、僕はまた違った道を歩んでいたのだろうか……。
「それは買いかぶりだ。彼の場合は本当に、常に真っ直ぐだ。私のように、捻に捻くれて一週回った結果、真っ直ぐのように見えてしまっているのではない」
キレイ曰く、兵藤君は自分から真っ直ぐに伸びた大樹で、キレイは周りの木々に巻きついて上に伸びてしまった樹らしい。
この例えは非常に的を得ていると思う。兵藤君はわからいないが。
彼は様々な思想を学び、理解し、そのどれもを肯定している。何事にも意欲的に取り組み、その物事をどれも高い水準で修めている。
貪欲に周りの物事を吸収し、それらを高める。
木々に巻きつくとは、キレイの在り方にそっくりな例えだ。彼はそれを疑心暗鬼で節操の無い小心者、と評している。
だけど僕はそう評さない。僕は彼を最高の助言者と評する。
疑心暗鬼だということは慢心しないことで、節操の無いことは柔軟な思考を持っているということだ。現に、キレイはその培った能力で周りの人々に道を示している。
「君がそこまで彼のことを褒めるのなら、一度くらい会ってみたいんだけどなぁ……」
「今はまだ、会うべきではない」
僕がそう言うと彼は決まってそう言う。
「君と彼はまだ縁がない」
「縁なら君の友人だということで充分だと思うけど……。それに、縁っていうのは作っていくものじゃないのかな?」
「君と彼には、自然と出会う運命が用意されている」
「君の占いかい?」
「ああ。こればっかりは自信を持って断言できる」
キレイはとても謙虚だ。そんな彼がそこまで強く断言する。
それが占いだというあやふやなものが根拠でも、そう断言している。
「彼は――『龍』に出会う」
「……え?」
ぽつりと、彼は唐突に呟いた。
龍――ドラゴン。力の象徴。
悪魔ならば誰でも持っている知識のなかでも、ドラゴンは絶大な力を誇るとされている。
ドラゴンは元々、三つの陣営――天使と悪魔と堕天使――のいずれにも属さない種族だった。今はその大半が強大な力に目をつけられ、退治か封印されている。
そのドラゴンに兵藤君が出会う――。それは確実に、彼にとって大きな転機となるだろう。
……いや、彼はまだドラゴンに出会うとは限らない。
占いはとても抽象的だ。そこで『龍』とでてくれば解釈は多岐にわたるだろう。もしかしたら、ただ彼が非常に優れた人物に出会う……ということかな?
あまり彼の良い噂は聞かないから、その人物に会ったら是非良い噂が流れるような人物になって欲しい。
どちらにせよ、彼にとって『龍』と出会うことはとても大きな、人生の転機となることだろう。
「私の占いで、彼は『龍』と出会い、その『龍』によって大きな運命に出会うとでた」
「えっと……それは?」
「君とイッセーが巡り合うのはおそらく、彼が『龍』と出会ってからだ」
それは……。
「僕も……その『龍』に巻き込まれる……?」
「イッセーが『龍』と出会い、それを機に君が彼に関わるのならば、そうなるだろう」
僕は少し、身震いした。
ならば、兵藤君はほぼ確実に僕達悪魔となんらかの形で関わることになるだろう。
僕のいる立場ほど、龍――大きな超常の力が渦巻く場所は無い。
「なにか、思い当たる節があるようだな。怖い表情をしている」
僕はキレイの声に思考の渦から引き戻された。
同時に、やってしまった、とも思う。
「詮索はしない。それはとても無粋なことだからな」
「……ありがとう」
僕は今この時、キレイが友人であることに安堵した。
キレイは人の悩み事を聞きはすれ、悩み事を詮索したりはしない。同時に、その悩み事を誰かに話すようなこともしない。
それも彼の真面目な性分からだろう。
「言峰さん、木場君。宿題のここの部分わかったー?」
僕達の前に数人の女生徒がノートを持ってきた。
……む。ここは僕も昨日、少々つまったところだ。なんとか解けたけど。
えっと、僕のノートは……っと。
「こことここは同じ意味だ」
「ん……?」
「こことここが同じならば、これに当てはまる」
「あー、なるほど。さっすが言峰さん。ありがとー。木場君もねー」
「えっ、あっ? うん? どういたしまし……て?」
……さすがだ。僕が自分のノートを取り出す前に解決するなんて。
「礼には及ばない」
「あはは。でもホントにありがとねー」
女生徒はノートを閉じて、席に戻っていく。
「……よく覚えていたね。あれ、僕はノートを見ないと思い出せないんだよね、解き方」
苦笑気味にそう言った。
「高校はするべきことが多い。思い出せないのは仕方あるまい」
「そうだけど……。じゃあ、なんで君はノートを見ずに答えれたの?」
ふと、キレイの表情が一瞬曇った。ほんの一瞬、悪魔で無ければ見えなかったかもしれないほどだ。
「……小学生の頃取った杵柄だ」
「え?」
それって……、小学生の頃から高校生の勉強をしていたのか!?
「……私の父は非常に厳格でな、教会にいる間、教会の掃除をさせられていたのだ」
「えっと……それで?」
「宿題をする時間こそあれ、勉強する時間が無かったのだ。いや、あったにはあったが、友人と遊んでいた」
「うん」
……キレイの小学生の頃……、ダメだ。想像できない。
キレイはれっきとした歳をとった人間だ。なにも最初からこうだったわけではない……のだが、キレイを小さくして、遊んでいる姿は想像できなかった。
「宿題だけをするだけでは、少々授業が厳しくなった。なにもついていけないわけではないのだが……当時の私はそれをもどかしく感じた」
「小学生の頃から真面目だったのか」
キレイは苦笑した。
「そうでもない。私もやんちゃの一つや二つはした。――しかし、友人とは遊びたい。しかしそれでは勉強できない。では、どうすれば良いのか……。面白いことに、私はこのような方法を思いついた」
「それは?」
「授業と宿題に徹底的に集中し、その時間で習得するようにした」
「……」
通りで、授業中ずっと真剣な表情をしているわけだ。話しかけるのも躊躇われるほどの集中力。ただ真面目だから、授業中、話しかけるなといった雰囲気をだしているのかと思っていたけど……、そんな理由があったのか。
ちなみに、一部の先生はそのせいでちょっと緊張していた。
「おかげで、あまり勉強に時間を割かずにいられる」
「凄いな……」
僕は心の底からそう思った。
◇
私――塔城小猫は、彼にお菓子の味見を頼まれています。
私は彼に一週間のうちに一つか二つ、昼休みの時に手作りのお菓子をもらいます。そして後日、感想を一言か二言ほど、それに関する彼の質問に答えながら言います。
そうなったきっかけは本当に些細なものでした。
私が昼休み、校内の散策をしていたら、ベンチに座ってお菓子を食べようとしていた彼を偶然見つけ、同時に、彼もまた私を見つけました。
「――――――」
「…………」
小奇麗に整えられた黒髪と、きっちりと着込んだ制服と、無表情。第一印象は陰気な青年で、今もそれは変わりません。
そんな彼がドーナツを持っている。……正直、凄く変でした。
「……食うか?」
「……食べます」
二言のやり取りの後、私は彼の持っていたドーナツをいただきました。二つほど。
彼も私の隣で二つ食べていました。
「味のほうはどうだ? 私が作ったのだが」
――不覚にも、彼のその言葉でむせました。
「……大丈夫か?」
「……」
首を横に振って大丈夫でないことを伝えます。
……作った?
私は彼の顔を見て、彼がこのドーナツを作っているところを想像……できません。そもそも、彼がドーナツを持っているということ自体、不自然なのですから。
「……美味しかったです」
本当に、不自然なほどにですが。
「そうか」
彼はそれきり黙りました。私はあまり話すのは得意ではないのでこれはありがたいです。
こうして、私は彼と二人きりでベンチに並んで座り続けました。
私は空に視線を上げて、彼は地に視線を下げて。
特に何かをするわけでもなく。
ただぼんやりと。
「二日後、私はここに来る。暇ならば味見を頼みたい」
昼休み終了五分前を告げるチャイムが鳴った時、彼はそう言って校舎の方へと向かっていきました。
二日後。私は言われたとおりにあのベンチのある場所へ行くと、彼はいました。
「……塔城小猫、です。お名前は?」
一回目の偶然の遭遇はともかく、二回目、それも誘われて来ました。なのにさすがにお互いに名前を知らないのは失礼でしょう。
「言峰綺礼だ。よろしく、塔城後輩」
それから、私は言峰先輩がここに来ると言った日には、ここに来るようになりました。
「……神父、ですか」
言峰先輩はアルバイトで神父をやっているそうです。……しかしその割にはあまり聖職者、というような感じはしません。
どちらかというと学者、もしくは先生のほうがあっているような気がします。
「まだ見習いだがね」
……実を言うと、私は悪魔です。
とある事情で、私は悪魔になりました。それ以来、私は光と神様に連なるなにかはとても苦手です。太陽の光に当たると、悪魔の力の大部分は使えなくなります。でもそのおかげで、日中は普通の人間として活動できます。
神様に連なるなにか。それは聖句や聖歌などです。普通の人が言っているのを聞くだけでも、頭痛がします。神様に祈るだけでもそうなります。
「……そう、ですか」
ふと、食べたお菓子が脳裏に浮かびました。……聖水、とか、清めの塩、とか、料理には使っていません、よね。
「……どうしてお菓子を?」
「趣味の一環だ。たまになにかを食べたくなる時があってね。その時に作るためだ。あと、私は別にお菓子しか作れないわけではない」
「……でも、私にはお菓子しか出しません」
「女の子の君はそちらのほうが良いかと思ってね。希望があるなら言ってくれたまえ。今度それを作ってこよう」
「……羊羹」
言峰先輩はわずかに、若干困ったような表情になりました。いつもは無表情な先輩が無表情を崩すのは珍しいです。
「……羊羹とはこれはまた。作り方の知らないお菓子を言ってくれる」
レパートリーが増えるから良いじゃないですか。
……あと、私は言峰先輩の作ったお菓子を食べる度、少し落ち込みます。
なんであんなにお菓子の似合わない人が――料理はともかく――美味しいお菓子を作れるのか。なんだか毎回敗北感を味わいます。
それを味わうのがわかっていながら、それでも私は言峰先輩からお菓子の味見を引き受けます。
……悪魔とはいえ、女子だから仕方ないですよね?
ええ、仕方ないです。