無限書庫に秘せられし真なる主。選ばれし者には比類無き恩恵を、資格無き者には際限無き災厄を与えるとされる、この世在らざる外なる叡智を統べし者——金の読姫。ユーノ・スクライアはその真実を求め、禁断の深淵へと足を踏み出す。彼がその知識を以て、選び取った未来とは如何なるものであるか。
この二次創作は、「魔法少女リリカルなのは」のユーノ・スクライアをメインに据えたお話です。
更にこの二次創作には、「ダンタリアンの書架」の一部の設定を流用したオリジナルキャラが登場します。しかし、ダリアンやヒューイなどの原作人物は登場しません。悪しからず。
この二次創作では、「魔法少女リリカルなのは」の一部の設定やストーリー展開を改変しております。
その為、ご都合主義や強引な話の展開も少々あります。
この著者は重度の厨二病を患っています。お察しください。
いあ いあ ふたぐん!
以上の要素に対しても一向に構わないという方は、このまま読んでいってください。

尚、この二次創作はpixivにも別名儀で公開しております。

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金の読姫と銀の鍵守

無限書庫。

そこはミッドチルダを中心に、数多に連なる次元世界から種別、様式、言語を問わず、あらゆる知識という知識を叡智という叡智を情報という情報を書物という形で蒐集する巨大な書庫。『無限』という名は伊達ではなく、書庫は常に書物を蒐集し続けている。内部は明らかに建造物の外観以上の面積があり、その施設内は文字通り全てが本で埋め尽くされている。床も天井も無く、上は見上げる程に下は底が見えぬ程に長い本棚がその中にぎっしりと本を詰めて所狭しと並んでいる。

恐ろしい事に無限書庫は、そこを管理している筈の管理局ですらその全容を把握しきれぬ程の広さを持っており、その広大さは空間の果てが奥に行く程に薄暗くなり見通せぬ程である。また書庫の情報蒐集能力は確かに凄まじいが節操もなく、有用無用種々雑多な資料が種別なく無造作に集積されていく為に、数少ない司書員だけでは対処しきれず、ほぼ未整理状態となっている。その為、ほとんどの価値ある資料が活用される事無く死蔵されている。

故に、無限書庫を利用しようとする者は余程の暇人か、或いはその真の価値を知る一握りの人間だけなのだ。

そして、その価値知る者の中に時折妙な噂をする者がいる。

 

曰く、無限書庫は遥かなる古より連綿と情報を集め続ける神の書架であると。

曰く、無限書庫には旧き時代の次元世界の禁断の叡智が記された幻の書物が存在すると。

曰く、無限書庫のその深淵にはあまねく禁忌の知識を統べる書庫の真なる主が潜んでいると。

曰く——

 

其は怠惰と知識を貪る旧き支配者。

光届かぬ深淵の闇の中で、無限の書物と無数の活字を読み耽る金の読み姫也。

 

 

「ここが、無限書庫の最奥か...」

 

そこは一切の自然光が差し込まぬ無明の世界。無限書庫の区画の中でも一際特殊なその場所は、見渡す限りが古めかしく異様な気配を放つ本で占められている。そんな、書庫を管理する(ほとんど手付かずもいいとこだが)司書員でさえ寄り付かない無限書庫の深淵を奇特にも探索する人影があった。

その人影は片手に暗闇を照らす為の魔力光を持っている。粘つくような暗黒の闇を優しげな翡翠色の光が、持ち主の姿とその行くべき道を照らしている。

驚くべき事にその姿は年端もいかぬ少年のものであった。顔立ちは幼く、ともすれば女子と見紛うばかりに整っており、蜂蜜色の髪が体の動きに合わせて揺れては翡翠色の光を鮮やかに反射する。本と暗闇ばかりの世界で、その少年の姿はひどく浮いていた。

 

幼い探索者は道標となる光が照らし出す本の山にゆらゆらと視線を動かす。同年代の少年少女とは一線を画す才と知見を持つ少年だが、学者としてはまだまだ未熟であるが故に、ここ一帯に散見する本がどれだけ素晴らしい知識であるかはその題名や表紙、時折ちらりと見える本文の一端からでは計り知る事はできない。しかし、そのどれもがその手の数奇者からしたら、どれ程の価値を持つかは十分に理解できる。

 

「一つ一つの本の質が入り口付近にあった物とは比べ物にならない。間違いない…僕は確かに近付きつつあるんだ」

 

ここに辿り着くまでに幾つもの本に導かれてきた。どれも難解で探し出す事自体にすら苦戦させられた。しかし、スクライア一族としての性か、或いは今なお戦場で闘っているであろう友達への想いが力となったのか、必ず見つけ出し如何なる書物も読み解いてみせた。

何故ならば、少年には成さねばならぬ使命がある。そして、その使命を成就させる為に、この書庫で調べものをしている最中、識ってしまったのだ。無限書庫に秘せられた真実を、偶然にも等しい些細なきっかけから、識ってしまった。

少年はそれを欲した。識ったからには欲してしまう。識らなかった頃には戻れない。そこに目的を達成する為の手段があるやも知れぬなら、尚更欲さずにはいられない。当然の帰結だ。例え、それが知られるべきではない恐るべきモノだったとしても、それが暗闇よりおぞましき昏き深淵を覗き込む事になったとしても。

 

それだけの覚悟があった。

そして——

 

「遂に…遂に、辿り着いた!」

 

そこは今までと同じく光無き暗黒の世界だった。幾千幾万の本が漂う書物の迷宮だった。しかし、その場所は今までとは違う異質な空気が満ち満ちており、臓腑に重く伸し掛かるような厳然とした闇が訪問者たる少年を出迎えた。

息の詰まる程に闇と本で埋め尽くされた世界で、たった一つ今までに無かったモノがある。否、正確には『居る』のだ。一寸先さえ満足に見通せぬ筈の闇中に『彼女』は居た。

少年の瞳には少女の姿がまざまざと映っていた。自身と同じか、ないし少し幼いくらいの体躯に、足首あたりまで伸びている緩く波打つ黄金色の絹糸の如き長髪、その身が纏うはレースとフリルをふんだんにあしらった美麗で絢爛なドレス。だが、その少女の四肢と首にはあまりにも不釣り合いな錠前型の仰々しい枷と首輪が嵌められている。しかし、それらの物々しい装飾品を以てしても損なわれる事の無い愛らしい貌。

その少女の容姿はある種の黄金比によって仕立てられた完璧な美しさを持ち合わせていた。

何百万冊という本がまるで主を護る砦の如くそんな少女の周囲を漂い、その中心に居る少女はさながらこの暗黒の世界で叡智を統べる支配者として君臨していた。

 

だが、少年が目を奪われたのは、少女の美しさだけではない。

 

「ひ...光ってる」

 

そう『少女』は輝いていたのだ。

確かにそういう比喩を持ち出す程の美貌を少女は幼年にして持ってはいるが、この場合は直喩以上に物理的な意味で少女は輝いていた。その全身から、ドレスの裾から黄金の髪の毛の一本一本までその色と同じく金色の光が、丁度少女の腕が広がるくらいの範囲を淡く照らしていた。

少年はそれが自身が片手に灯しているモノと同じ魔力によるものだと思っていた。だが、よくよく観察してみるとどうだろうか。魔力と似たような感覚こそするものの、何か根本的なナニかが違うように思える。

人の形をしている筈なのに、その姿を見つめていると、まるで揺らめく蜃気楼を眺めているかの如く名状しがたい違和感に襲われる。

 

そもそも、この少女は人間なのだろうか。

 

ふと、少年の脳裏にそんな疑問が浮かんだ。人の寄り付かぬ無限書庫の最奥。そこで、今ここに辿り着いた自身よりも、明らかに長くこの場所に留まっている形跡をもつ少女。

書庫を利用するにあたって、最近のこの施設の状況をそこいらの現役司書なんかよりも数倍詳しくなった自分が、あれだけ目立つ容貌をした人間が所属していた、或いは利用しに訪れたという情報を見逃す筈は無い。

ならば、もしかしたら、

『彼女』こそが、少年の求め欲した真実なのかもしれない。

 

「これは驚きました。いまだにこの場に到達しうる人間がいるとは…それもこのような童とは、本当に驚きです」

 

己が領域への訪問者の存在に気付いたのか、黄金色の少女は開いているかも分からぬ細い目で、少年の居る方向に正確に貌を向ける。

書庫の深淵に足を踏み入れて久しく聞く事が無かった他人の声。

だが、少年にはその声音が目の前の少女から発せられたものとは思えなかった。虚空に響き渡ると同時に、するりと頭の中に這いり込み内側から体中をざらりと擦り上げるような、ぬるま湯が全身を蠢き舐め回すような、不快感と恍惚感を同時に味わうような妙な感覚。光り輝く容姿と合わせて、その声は少女の人間らしさというものを乖離させている。

 

「どうしたのですか?小さき者よ。よもや、この深奥に偶然迷い込んだ流浪者という訳でもないでしょう。探求者であるならば、この私に問うべき事があるのではありませんか?」

 

幼い体躯から受ける印象とは凡そかけ離れた芝居掛かった言動ではあるが、その仕草は不思議と様になっている。周囲の異様な雰囲気と少女の泰然とした態度に少年は気圧されるも、その双眸から光が絶える事は無く毅然と少女に向かって問いかける。

 

「…では、尋ねさせて頂きます。貴方が、千億の書物と禁ぜられし叡智を統べる旧き支配者『金の読姫』……で間違いありませんね?」

「あぁ……その字名を聞くのも随分と久しいですね…。しかし、そこまで知っているとは、その歳でよくぞ調べ上げました。私が考えていたよりも、貴方はとても優秀なようですね」

 

金の読姫と呼ばれた少女は静かに感嘆の言を洩らした。少年を讃えてか、少女の貌には薄く微笑みが浮かんでいる。だが、花がほころぶかのような麗しい微笑を前にしても少年は顔を赤らめるどころか逆に信じられぬモノを見るような、しかし偉大な発見をした学者のような眼差しを少女に向ける。

というのも、少年が事前に調べていた情報とこうして金の読姫という存在に実際に直面する事で、心中にあった疑問が確信へと変わったからだ。

 

そもそもこの無限書庫は時空管理局が設立されたミッドチルダの土地に、その名がつくよりも遥か以前の時代から存在していた遺跡の、ある一区画とそこに遺されていた古代の魔道技術をそっくりそのまま用いて設立されたと史料に記されている。だが、管理局は完全にその遺跡と技術について把握していた訳ではなく、未解明な部分も多く残こしていた。

どうやら、管理局すら及ばぬ人智を超えたテクノロジーを悪用されぬように封印、隠蔽する意味も込めて、無限書庫に丸ごと押し込めたようなのだ。

 

その深奥に秘せられし者がいるとも知らずに。

 

かくして管理局は無限書庫を設立したものの、基盤に使用した技術が扱いきれぬオーバーテクノロジーであったのと、無限書庫の雛形であった遺跡に既に膨大な量の書物が未整理状態で保管されており、現代においても人員不足に悩ませられている管理局に書庫の整理に回せるだけの人手は無かった。そして、無限書庫は当初の目的通り有効に使われる事もなく、その深奥にかつての遺産を丸々残したまま、時の流れに埋もれていった。

だが、少年がその齢からは考えられぬ恐ろしいまでの執念と才を発揮させ、なかば形骸化していた伝承を頼りにその秘せられし者を探し当てた。

無限書庫のその深奥に秘せられし者。それはこの金の読姫に他ならない。

そして、少年がそこまでして探し求めていたモノとは——

 

「さあ、幼くも偉大なる探求者よ。汝の欲するモノを、我に開帳せよ!」

 

読姫たる少女は、その体躯に似合わぬ威圧感を以て、少年に命じた。

 

欲するモノ。

その言葉が少年に胸中で反響する。この発見はそれだけでも偉大な事に間違いは無い。だが、金の読姫もそれが齎す数々の叡智も、少年にとっては手段にすぎない。少年が無限書庫の幻の伝承を知ったのも、それを調べ上げこの深淵に踏み込んだのも、金の読姫が居る秘奥にまで到達したのも。全てはある大切な友の為に、救われぬ者に希望を与える為に、自分ではない他の誰かの為だ。

それが弱くてちっぽけな自分にできる事だから。

 

「僕が欲するモノ……それは貴方だ『金の読姫』よ。貴方の力が、貴方の叡智が、貴方の書物が、僕には必要なんだ」

「…ほう。それがどういう事を意味するか、貴方は理解して言っているのですね?」

 

声音こそ浮ついたものであったが、その奥に潜んでいる本性が少年をぞっとさせた。開いているかどうかも分からぬ薄い糸目を更に細めて、少女は貌を歪ませる。

少女だけではない。周囲を漂っていた本たちが、まるで値踏みする視線のような気配を纏わせて、少年を取り囲む。

その異様な光景に圧倒されるかと思いきや、少年は怯まなかった。むしろ威勢良く、目の前の超常者に啖呵すら切ってみせる。

 

「ああ、解っているさ…。それでも、僕には必要なんだ。力が、知識が!彼女たちの助けに成るにはもっともっと必要なんだ!」

「その為に、私を欲すると?本当に?後から後悔しても遅いのですよ」

「貴方の伝承も、正確ではないだろうけどある程度は知っている。覚悟は、できてる」

「成る程、全て承知であると……いいでしょう。ならば、詠いなさい!貴方に偽り無き覚悟と真の資格があるのならば、鍵は自ずと顕れるでしょう!」

 

少女の宣告を受け、少年は大きく息を吐いて間を置いた。これから起きうる事へ備えて、心を落ち着かせる。

脳裏に浮かぶのは、一節の呪文。それを唱えたが最後、少年は後戻りできぬ昏い深淵の底へとその身を投げ込む事になる。

 

一瞬、脳裏に一人の少女の顔がよぎった。

 

もし、彼女が自分のしようとしている事の意味を知ったら、どう思うだろうか。

その事を考えると、今更ながらにほんの僅かな躊躇いが心の中に生まれる。

 

だが逡巡は既に済ませ、もはや決断したのだ。

だから、少年は詠った。

 

『我は問う、汝は人なりや?』

 

それは、古い旧い遥か昔の言霊。

とある存在と盟約を交わす為の、神聖なる詩句。

 

特殊な発声法により少年の口から滑り出たその声は、人の喉から発せられたとは思えぬもので、捻じ曲がった金管から出る歪な音色にも似た奇妙な声音だった。その音の波は、悠久より停滞し続けた深淵の闇を静かに震わす。

そして金の読姫はその言葉を聞いて、今度こそ心の底からの深い笑みを表した。

 

『否、我は天——外なる天なり』

 

金の読姫が応えた。少年と同じく、否それ以上に奇怪な声で、その声音に隠しきれない喜色を滲ませて高らかに詠う。

 

『我こそは幻書に於いて尚、外法とされし闇黒の叡智を納めし狂える知識の蔵なり。今ここに、無限へと至る窮極の門は開かれり』

 

魂をも震わす妖しき声が、書庫に響き、闇を揺るがし、世界を穿つ。

異様どころか、いっそ超常的な現象が起きようとも、二人は惑う事なく詠い続ける。

 

『汝、我が叡智を欲するか?ならば、汝は彼岸と此岸を別つ門とならん。汝は、この世界に在らざるモノを封ぜし鍵とならん。汝こそは我が守人と成る事を誓うか?』

 

『我は誓う。誓うとも!あまねく世界を統べる偉大なる次元の神の御名の許に!闇黒の深淵にて生と死を瞑想せし智慧深き闇の神の御名の許に!』

『我、ユーノ・スクライアは誓う!』

 

全てを詠い終えた。その時、異変は起きた。

少年の、ユーノ・スクライアの右手に炎で炙られるような灼けつく痛みが奔る。骨の髄まで浸透する程の堪え難い激痛に苛まれ、ユーノは堪らず声を上げて宙をのたうち回る。だが、それこそがユーノが欲し望んだモノが叶った証だ。

痛みはすぐに消え去った。一瞬で全く後を残さず消えていくものだから、あの激痛がまるで幻覚に思えてくるが、そんな事は決して無い。

何故ならば、ユーノの右手の掌の上に一つの鍵が浮かんでいるからだ。全長が12.7cm程もある大きな鍵だ。くすみのない純銀でできており、その表面は今までに見たどの様式にも当て嵌まらぬ奇妙で名状しがたい模様に覆われている。

 

読姫は、ユーノの手にその鍵が顕れた事を確認すると、実に嬉しそうに艶然と微笑みながら、新たに誓いを交わした契約者の下へと近寄る。

 

「それこそは我が鍵守となった者の証『銀の鍵』です。ここに辿り着いた事といい、私の鍵守と成れた事といい、貴方は本当に素晴らしい稀なる素質を持っているのですね。これから宜しくお願いしますよ。私の鍵守さん」

 

先程までの厳然としたやり取りが嘘のように、けろりとした様子で友好的に語りかけてくる少女に、ユーノは些か呆気に取られる。だが、この程度でおどおどしていては、この先この少女とやっていくなんてできないだろうと、ユーノもまた腹を括って砕けた態度で言葉を返す。

 

「はぁ……全く光栄な事だよ。あ、そういえば、まだ君の名を知らなかったな。どの文献にも字名の類いしか載ってなかったけど、本当の名前はなんていうんだい?まさか名が無い訳じゃないだろう?」

「まぁ、私の名を知らないでいたのですか。…けど、無理もないですね。顔も知らぬ輩に勝手に囃されても不愉快だからと、滅多に名を口にした事もありませんでした。でも、貴方には知っておいてもらわねば成りませんね」

 

読姫はまるで恋する乙女の如く、浮かれた調子で言葉を紡ぐ。事実、彼女の抱いた感情は恋慕に近しいものなのだろう。彼女は数千年もの時間を文字と知識に囲まれて人間という生き物からは隔絶して生きてきた。読姫という存在にとって、鍵守とは無二の理解者であり、なくてはならない寄る辺なのだ。新たに契約してできた己の鍵守に、名を伝える事ができるという素晴らしさは至上の美食にも勝るものだ。

 

甘美な心地に打ち震えながら読姫の瞼に隠されていた双眸が見開かれ、ユーノの翡翠色の双眸とが見つめ合った。

その眼は光の当たり方によって色が変わる、世にも珍しい極彩色の瞳だった。視線と視線が混じり合い、ぐるぐると螺旋を描いて光の渦に吸い込まれていく。万華鏡のように煌めく色の世界で、翡翠の色だけが虚空を漂い、無限に連なる瞳の中を幾度も幾度も反射する。やがて天より差し込む黄金の輝きに誘われ、蒙昧なる幼子は真実に至る。

 

「それでは一度しか言わないので、よぉく聞いているのですよ。ユーノ」

 

「我が名はゾタクァ。この名を忘れる事の無いよう、その魂に刻みなさい」

 

 

かつて夜天の書と呼ばれる魔道書があった。その魔道書は各地の優秀な魔法や魔導師そのものを記録し半永久的に保管するという単純な記録措置でしかなかった。

だが、道具がいくらまともであっても、所有者までもがそうとは限らない。歴代の所有者の幾人かが己の歪んだ欲望を満たす為、魔道書のプログラムに改造を施した。その改変されたプログラムは、最初こそ些細な影響しか及ぼさないものだったかもしれない。しかし永きに渡る転生の中で、夜天の書は心無き者達の手により幾度も改竄され、欲深き人間の悪意と罪無き人々の絶望を蒐集し続ける事で、その在り方を大きく変えていってしまった。

やがて、夜天の書は、己の主をも不浄なる瘴気で蝕み、人心に憎悪と絶望を募らせ、悲劇と災禍を際限なく生み出し続ける狂気の魔道書と成り果ててしまった。

 

いつしか、名を喪い忘れられた魔道書には一つの忌名が与えられた。

その名は闇の書。それは人の心を澱み腐らせ、闇に穢れた魂を喰らう、冒涜的なおぞましき書物なり。

 

「呪われた闇の書と呼ばれた魔導書……その元凶たる闇の書の——闇。でも、それももう終いや。私たちの手で、この悲劇に終止符をうつんや!」

 

今ここに真なる夜天の王は目覚めた。夜空には一際光り輝く星一つと雲間を駆け抜ける一条の迅雷あり。新たな絆をその魂に宿し、全ての騎士を従えて仲間達と共に戦いへと臨む。忌まわしき闇を討つ為の、闘争の幕は切って落とされた。

 

しかし、闇の書の闇その防御プログラムは、彼らの予想を遥かに超えて手強かった。

『防御』プログラムだけあってか身を固める防護は恐ろしく堅牢で、何重にも張られたバリアによって生半可な攻撃は傘に弾かれる雨露の如く掻き消されてしまう。それでも、優れた魔導技術と平均を凌駕する魔力量にものをいわせ、魔導師達は頑強堅固な防壁を打ち破る。

防御プログラムが丸裸になり、いざ打ち倒そうと各々の持ちうる攻撃魔法で苛烈に攻め立てていく。

 

だが、問題はそこからだった。

烈火の将の刃が腐肉を斬り裂こうとも、その傷口からは新たな肉腫が産まれる。

鉄槌の騎士の一撃が鱗甲を砕けば、その欠片が肥大化しより強固な鎧となる。

星光の少女と雷迅の少女の魔法も、撃てども撃てども端から再生され意味をなさない。

黒衣の少年の氷獄もその巨躯すら凍てつかせるが、夜天の怪物は自らの肉体を内側から壊し再生する事で絶対零度の束縛からすら逃れてみせる。

夜天の王の攻撃ですら、夜闇より尚暗き闇黒に呑み込まれてしまう。

削れば削った分だけ、むしろそれ以上の質量をもって無尽蔵に再生し続ける防御プログラム。その姿はよりおぞましく、より禍々しく、この世のものとは思えぬ冒涜的で邪悪な醜い怪物のものへと変貌していく。

 

そして、一転して防御プログラムが攻勢に出れば、かつて転生の度にリセットされ失われた筈の蒐集した魔法をフル活用し、視界全てを埋め尽くす程の恐るべき広範囲飽和攻撃で一切合切を蹂躙し尽くす。

勿論、その攻撃から仲間を守るまいと双狼と湖の騎士は、己らの限界まで防御魔法を展開する。それでも豪雨の如く放たれる攻撃魔法は、いくら守りに秀でていようと数人で防ぎきれる物量ではない。盾から漏れ出た砲火によって、魔導師たちは徐々に傷つき苦戦を強いられていく。

尚悪い事に、防御プログラムは相手の隙を見つけては、再び防御魔法を展開して強固な盾を構え直すという始末。

 

「これが、暴走した防御プログラムの力…なんて強さや…」

「つーか、なんだよっ。あいつの使ってくる魔法は!あたし達はあんな魔法を蒐集した覚えはねーぞ!」

「おそらく、過去に蒐集した魔法術式を完全にはリセットせず、防御プログラム内の深層に保管していたんだわ。…忌々しい限りね」

「それだけじゃないぞ。僕達が攻撃した箇所が、端から再生されてしまっている。魔法が効いていない訳ではないだろうが、奴の再生力の方が上回っているんだ。くそっ…!このままじゃジリ貧だぞ!」

 

はやては夜天の主として、夜天の書の管制人格であるリインフォースとユニゾンする事で、防御プログラムの強さを理解していたつもりだった。だが、蓋を開けてみればどうだろうか。ヴィータは理不尽なまでの強さに憤慨し、シャマルは敵の意外な周到さを前にして表情を曇らせる。クロノが堪らず悪態をつくが、誰もそれを気にも留めない。それ程までに、状況は逼迫していた。

 

彼らの戦闘能力は一人一人の質も高く優秀だ。それは間違い無い。百戦錬磨の精鋭騎士に、天賦の才を持つ魔導師。十にも満たぬ人数とはいえ、彼らの結束から生まれる力は、暴走するロストギアを相手取る戦力としては十分だろう。

しかし、それだけの総力は無数の世界が存在する次元世界では概して珍しくはない。単純な力と数で攻め立てて、闇の書の闇が滅びるのならば、呪われし闇の書の悲劇はとうの昔に食い止められていた筈だ。彼ら程の力を以てしても、闇の書の闇の力には拮抗するまでにしか至らないのだ。

そして、そのままでは消耗戦になり、そうなれば無限に等しい再生力を持つ防御プログラムが圧倒的に有利になってしまう。

かといって、彼らが役者不足であるかといば、決してそんな事は無い。むしろ、彼らの仲間を想い合う心と呪われた書を打ち砕かんとする不屈の決意は、どす黒い闇を祓うのに最も有効な力だ。

 

だが幾星霜を経る中で、無数の人々の悪意、絶望、悲哀、憎悪、あらゆる負の感情を無限に喰らい続け、夜天の闇は己の空すら覆い尽くしてしまう程に肥大してしまった。そして数百年をかけて集積し凝縮された、その邪悪な暗黒の闇は、もはやその貴き魂の輝きで以てしても祓い尽くせぬ程に、暗く澱み穢れきっている。

闇の書の闇はどれだけ強くとも単なる力だけでは消しきれず、立ち向かう者の揺るぎなき信念をもその輝きごと呑み込んでしまう。

 

絶望を齎す終わり無き永遠の悲劇。

闇の書の闇において、それこそが最も厄介で恐ろしい特性なのだ。

 

『これだけの手と力を尽くしても、それでもまだ足りぬというのか……私たちでは闇に打ち克てぬというのか……』

「…諦めたらあかんで、リインフォース。攻めて攻めて攻め続けて、最後の瞬間まで闘い続けるんや!魔力切れになろうと、私たちが闇に屈したりしたら駄目なんや!」

 

だが、はやては負けじと吼えた。真新しい甲冑が傷付き砕け、その身が血で汚れようとも、心に灯した輝きだけは失ってはならぬと。

その意志のなんと気高き事か。

 

されど、闇もまた吼える。己の主である筈の少女の言葉さえも、無意味な戯れ言だと嘲笑うかのように。それがどんなに勇ましくとも高が十数年そこらのちっぽけな人間の意志に屈服する事などありえぬと。

その不快な嗤い声にのせて、不浄なる異形の怪物は、澱んだ闇から名状しがたい触手を勢い良く放つ。

 

はやては一瞬身構えるも、すぐにそれが自分に向けて放った攻撃では無い事に気付く。では、誰に向けて放ったものなのかと、はやて以外の者達もその攻撃の行方に注視した。

敵の狙いにいち早く気が付いたのは、他でもない盾の騎士たるザフィーラであった。この場に居る誰よりも守る事に秀でた彼だからこそ、その攻撃の意図に気付きおののいた。ザフィーラは焦りにかられた声で、喉を潰さんばかりに叫び上げる。

 

「いかんっ、逃げろ!!高町なのは!!」

「えっ?」

 

その矛先はなのはに向けて、不意を打つように巧妙に軌道を曲げて放たれていた。

それまで、なのはは防御プログラムに対して絶え間なく砲撃を行っており、しばしば状況確認が疎かになっていた。視界外から凄まじい勢いで迫り来るその一撃に対して、視認できた時点では回避はもう間に合わない。

勿論、彼女をフォローしようと仲間達は血相を変えて援護に奔るが、防御プログラムはここぞとばかりに広範囲に攻撃をばらまき、彼らの動きを阻害する。もはや仲間の防護は間に合わない。

 

迫り来る攻撃に対しなのはは咄嗟にシールドを展開するも、急拵えで構築した防御魔法では強烈な触手の一撃を防ぎきるには至らなかった。魔力で編まれた盾は桃色の光を散らすと共に無残に砕け、なのははその衝撃に絶えきれず体勢を大きく崩され吹き飛ばされる。

 

そして、防御プログラムはその致命的な隙を見逃さない。事前に発動、待機させておいた砲撃魔法を、正確に狙い定めて躊躇う事なく撃ちだした。

 

「なのはぁ!!いやぁっ、やめてえぇー!!」

 

フェイトの悲痛な叫びが戦場に響き渡る。だがなのはの下へと駆け出そうとしても、圧倒的な弾幕によって行路を塞がれては、如何に速さに突出した彼女といえど突破する事はできない。それは他の者達も同様だった。誰しもが、その脳裏に最悪の予想を思い浮かべながらも、それを覆す事ができない。

 

その時、なのはは自分に向けて放たれた砲撃と仲間達の悲痛な叫びを知覚していた。だが、先の一撃により行動不能に陥ってしまった彼女にはなす術などなかった。

禍々しい閃光が滅殺せしめんと迫り来る。なのはの知覚の中で、その破壊の光線は不思議な事にゆっくりとした速度で進行していた。

その緩やかな時の中、なのはの心中に次々と家族や仲間達の顔が浮かんでは消えていく。

 

「私、ここで終わっちゃうのかな……。ごめんね…みんな、ごめんね……」

 

そして最後に、この戦場には居ない一人の少年の顔が浮かんだ。

なのはにとって、今までの数奇な運命の全ての始まりともいえる、大切なとても大切なともだち。

彼は自分が墜とされたと知ったら、きっと自分の責任だと感じて大いに悲しみ気に病むだろう。

 

もしそうなったら嫌だなと思う。彼の所為ではない。全ては自分が選んで決めた、その結果なのだから。それでも、きっと彼は罪悪を感じて苦しんでしまうだろう。

だから、謝らないと。彼にいらぬ重荷を背負わせてしまう事を。

ここには居ないが、それでもせめて想いだけは彼に届いてほしい。

 

「ごめんね。ユーノくん…」

 

なのはは目を閉じ、己の身を襲うであろう苦痛に備えた。悲鳴なんてあげてやるもんかと、歯を食いしばって体を強張らせる。最後の最期まで、心だけは屈するまいと覚悟を決めた。

 

そして——無慈悲な破壊の光が、なのはの小さな体を呑み込んだ。

 

なのはは防御プログラムの放った破壊の光に呑み込まれた。鼓膜を震わす破砕の轟音。瞼の上からでも網膜を白く染め上げる眩い閃光。しかし、一秒二秒といくら待っても、肉体を苛む痛みはやってこなかった。それどころか、視覚以外の感覚から伝わっていた戦場の喧騒さえも、現実から切り離されたように遠くに感じる。

一体、何が起きたのかと確かめようと、なのはは恐る恐る目を見開いた。

 

最初に目に映ったのは翡翠色の光だった。なのはにとってその色の輝きは印象深く、そして見慣れたものであった。更に視野を広げて見れば、その光は呪文が刻まれた二重の円環と六芒星を象った球形の立体魔方陣である事が見てとれた。その魔法陣の向こうを見通すと、先程なのはを撃ち貫こうとしていた防御プログラムの砲撃が、翡翠色の魔方陣に阻まれ火花を散らしている。

そこで、ようやくなのはは自身の体が誰かによって抱き留められ支えられている事に気がつく。

 

「大丈夫かい、なのは?」

 

その『誰か』は、戦場には似つかわしくない穏やかな声音の持ち主だった。優しく温もりに満ちた声は楔となって、戦いによる極度の緊張で凝り固まった心を解きほぐし、今まで心の奥底で押さえ込んでいた不安だとか寂しさだとか恐怖だとか、そういったやるせない感情を一気に溢れ出させる。

それに伴って、どんなに辛く苦しくとも流れる事の無かった涙が、今は抑えきれずに後から後から流れ出てしまう。

 

「おそい…遅いよ…。大遅刻なんだから、ユーノくん…」

「ごめん、なのは。遅くなって、本当にごめんよ」

「…でも、来てくれた。間に合って、助けてくれた。——だから、ありがとう」

「…うん」

 

涙で潤んだ双眸で、なのはは確と見つめた。間違いようも、忘れようも無い。大切なとても大切なともだち、ユーノ・スクライアの顔を。

ユーノもまた、その視線から目を逸らさず、じっと見つめ返した。お互いの存在とその無事を確かめ合うように、ほんの一瞬ではあるが見つめ続けた。

 

だが、それもいつまでも続けている訳にはいかない。

いまだ敵の攻撃は激しく、いかに防御魔法に優れたユーノといえど、凌ぎ続けられるものではない。

展開していた防護の盾も、猛々しい砲火によって徐々にひび割れ、何時破られるとも知れない。

 

「流石は、闇の書の闇……『防御』プログラムの癖になんて威力の魔法だ。やっぱり、この魔法だけじゃ防ぎきれないか。なのは、悪いけどちょっと我慢してね」

「えっ、ユーノくん?一体、何を…?」

 

なのはが返答するよりも早く、ユーノは行動に出た。宙に術式を描き魔法を起動させると、なのはとユーノの周囲に複雑精緻な魔方陣が展開される。

その瞬間、二人の姿は刹那の内に砲火の射線上より、残像すら残さず消え失せた。

勿論、闇の砲火によって跡形も無く消えた訳ではない。ユーノが短距離転移魔法を使い、攻撃の効果範囲外へと回避したのだ。

ただ、突然転移させられたなのはは、三半規管が狂って転移酔いを起こし軽い目眩に見舞われた。

 

そこへ、衝撃から立ち直った仲間達が我先にと声を飛ばす。

 

「ユーノ!?な、なのははっ、なのはは無事なのっ?」

「こんのっ、フェレットもどき!今まで、何をしていたんだ!この大事な時に遅れるなんてっ…」

「なのはなら大丈夫だよ。だから、落ち着くんだフェイト。それと、遅れた件については本当にすまないと思ってる。でも、しょうがなかったんだ。彼女を連れ出すのに、思いのほか手こずっちゃって…」

「彼女?おい、ユーノ。ちゃんと説明しろっ!お前は——」

 

泡を食ったように戸惑う仲間達に対して、ユーノは冷静に応える。しかし、どこか上の空のような彼の様子に、クロノが更に問い詰めようとした瞬間、突然エイミィから悲鳴まじりの通信が割って入った。

 

『ちょ、ちょっと待ってよ!ユーノくん、君一体どういう方法でこの世界に来たのさ!?なんか次元層に穴が空いてるんですけどっ?!』

「…は?エイミィ、それはどういう事だ?」

『どういう事も何も、言葉通りの意味よ!ユーノくんが現れると同時に、次元層にぽっかり穴が空いちゃったのよっ』

「ああ、そういえば、それについても謝っとかないとね。でも、大した影響はないだろうから心配はいらないよ。……と、そろそろかな。」

 

現在、戦闘中であるという事も忘れて、クロノはエイミイからの驚くべき報告によって惚けさせられてしまう。一方、件の現象を引き起こしたと思しき張本人は、彼らの驚愕をよそに自身の周りにフローターフィールドを展開する。

その行動をを見計らったかのように、けれど何の前触れも無くユーノの背後の虚空にぽっかりと穴が空いた。

 

「ふぅむ。久しぶりの外界だというのに、随分と騒がしいですね」

「やっと着いたね、ゾタクァ。戦況は一刻を争うんだ。急いでくれないと困るよ」

「そう言われても、表舞台に立つなど久しぶりなのです。怠惰を信条とするこの身では、すぐ疲れてしまいます」

 

真円を描くその穴からは、どういう訳かドレスと枷を身に纏った見目麗しい少女がよたよたと揺らめきながら現れた。

再び、その場に居た全員が驚愕して息をのんだ。

至高の黄金を連想させる少女の美しさもそうだが、何よりも彼女の全身から溢れる異質な気配に呆気にとられたのだ。それは、暴走する防御プログラムすらもわずかに沈黙させる程に、異常で不気味な気配であった。

 

そんな中、ユーノだけが慣れた様子で、彼女に語りかける。その様を見れば、少女をこの場に招き入れたのがユーノだという事は一目瞭然だ。

だから、クロノが呆然としつつも、皆を代表してユーノに問いただす。

 

「……ユーノ。この子は……なんなんだ…?」

「…悪いけど今は詳しく説明をしている暇は無いから、省かせてもらうよ。その上で言わせてもらう。クロノ、そして皆、今は僕と彼女を——ゾタクァを信じて、共に闘わせてはくれないか?」

 

突然現れては、尚且つ得体の知れない何者かを引き連れて、ユーノは無稽な宣言を皆に言ってのけた。

その言葉を受けて、ある者は眉をひそめ、ある者は困惑した。それは当然の反応だと、ユーノは宣言した当人からして思う。

ユーノの実力を知る者からすれば、今の戦況からして盾役が一人増えた所で、事態は容易く好転はしないだろうと考えるだろう。事情をよく知らない者からは、端から見ても一目で戦闘に適していない少女を連れてきて不審に思っている事だろう。

 

しかし、唯一人。クロノだけが、ユーノの言葉に耳を傾けたのか、真顔で思案している。

 

「…お前、本気で言っているんだな?」

「本気も本気さ。何の為に、僕らがここに来たと思っているんだい?」

「……そうか。だったら、一緒に闘ってもらおうじゃないか。今は、戦力は一人でも多い方が良いからな」

 

クロノの決断は早かった。

制止の声や、その独断に憤る声もあったが、彼は有無を言わせず、ユーノと彼の連れ人であるゾタクァを戦線に加えた。

 

「それで、ユーノ。自信満々に闘わせてくれと言ったんだ。何か、策の一つでもあるんだろうな?」

「勿論だ。今から準備するから、少しの間でいいから時間を稼いでほしい」

「ふっ、それくらいお易い御用だ。みんな、聞こえたな!敵の注意を引きつけるぞ。文句がある奴は、防御プログラムに八つ当たりする事だ!」

 

その号令を皮切れに、停滞していた闘争が再び開始された。仲間達が防御プログラムと対峙しに向かう中、ユーノの腕の中に居たなのはも、そこから離れ飛び立とうとする。

 

「私も行ってくるね、ユーノくん。今度は、さっきみたいにならないように気をつけるから」

「うん。がんばって、なのは」

「ユーノくんもね。…あとね、私も信じてるから」

「……なのは…ありがとう」

 

涙で赤らんだ顔を隠すように、去り際に微笑みを残してなのはは次第に遠ざかっていった。やがて、烈しさを取り戻しつつある戦場で、彼女を象徴する桃色の魔力光が煌々と輝きだした。

そこでようやく、一連の会話の間ずっと黙っていたゾタクァが、やや不機嫌そうに声を上げた。

 

「ふん、随分と頼もしそうなお仲間ではありませんか」

「…こんな事でむくれないでよ、ゾタクァ。それより君の目から見て、どうだい…あの本は?」

「ふぅむ…噂こそ聞き及んではいましたが、夜天の書を——否、あれは闇の書でしたか。実際に見るのは初めてですが……。成る程、何とも素晴らしい『幻書』ではありませんか」

 

信仰、恐怖、畏敬、情熱、理想、狂気——様々な形の想念が物質界に影響を及ぼす程に籠められる事によって、情報が記されただけの『ただの魔導書』などでは到達し得ぬ、本としての真なる高みへ至った本。

幻書。それは人智を超えた神秘の知識が書き写された、この世に在らざるべき禁忌の書物。

 

「…そうか。だったら、僕らが負ける訳が無いね」

「ええ、如何なる力を持っていようとも、それが幻書であるならば、読姫と鍵守たる我らが征せぬ道理はありません」

 

されど二人は不適に微笑み合う。

二人は知り合ってから間もない短い仲だが、すっかり意気投合した様子であった。読姫と鍵守という特殊な繋がり故か、或いは無意識の内にお互いに何某かのシンパシーを感じてか、どちらにせよユーノとゾタクァはいっそ奇妙な程に強い絆で結ばれていた。

 

ユーノはその絆の証とも呼べるモノが刻まれた右手を掲げる。ユーノの意志に応じて右手から不可思議な波長の光が広がり、その輝きの中心には一本の銀色の鍵が顕れる。

ユーノは現れ出でた銀の鍵を握り締め、言霊を詠い上げる。

 

『我は問う、汝は人なりや?』

 

普段の少年を知る者からすれば、その声の変異は劇的だった。思わず耳を塞ぎたくなるような名状しがたい声音。

然して、ゾタクァは淀みなくその呼びかけに応える。

 

『否、我は天——外なる天なり』

 

彼女の声もまた人のものとは思えぬ異常な声音。だがユーノの発声は特殊な鍛錬による人為的なものであり、ゾタクァは違った。彼女のそれは、本質的なもの。その身の内に潜ませた魔性が、声という形で外界に解き放たれる。

 

その声が、戦場に響き渡る。歪で狂った異形の音色。

其は旧き盟約の詩。二人の歌声は祈りの如く、せめて天に届けとばかりに高らかに詠う。

 

ゾタクァの首に嵌められた錠前型の首輪に銀の鍵が差し込まれる。壊れ物を扱うように繊細な手付きで鍵穴の中の鍵先を回す。

すると、がちゃりという音を鳴らして、門を封ずる鍵は解き放たれた。

 

『——今ここに、無限へと至る窮極の門は開かれり』

 

ゾタクァのすぐ手前の空間に、その門は開かれた。

その時、起った現象を言い表すにはそれ以外の言葉しかなかった。虚空の宙を押しのけるように、真円の孔が開かれたのだ。

 

その穴蔵は夜闇よりも尚暗き闇黒に満たされていた。

その深奥は万色の極光が煌めく混沌に溢れていた。

それは外なる領域へと通ずる深淵の門。

無限の書物と外なる叡智を納めし狂える知識の蔵なり。

 

ぽっかりと開いた怪物の口のような孔穴から古ぼけた一冊の本が取り出される。

それは余す所なく漆黒の装丁がなされた重厚な本で、ただの紙片の束とは思えぬ幻妙な雰囲気を発している。

 

「鍵守の権限により、当書庫の管理下幻書——題名『黒檀の書』の閲覧、執行を許可します」

 

ゾタクァの口から聞いた者の肌を粟立たせる奇怪な声音が飛び出す。しかし、すぐ傍で彼女の体を抱き抱えるユーノが気にする事はなかった。読姫の導きにより『黒檀の書』と呼ばれた幻書は、吸い込まれるように鍵守の手の中へと収まる。

 

ユーノは手に取った幻書から、漆黒の瘴気が立ち上るのを見た。

幻書は人のそれとは異なる意志を持ち、自ずと読み手を選ぶという。おそらく、資格無き者が触れれば、この瘴気によって想像を絶する恐怖と苦痛を味わう事だろう。

 

ゾタクァは幻書の読み方を説く際、ユーノの事を『本に愛されている人間』と称していた。その才があれば、どんなに偏屈な幻書でも読み解く事ができるだろうと、そう言っていた。

誰よりも幻書に詳しい彼女の言葉であるのだから、疑うべくもない。

 

ユーノは防御プログラムに対抗する為の力を、と心の内に念じると、黒檀の書は独りでに捲れ始め、ある頁を示す。そこに記された言語は如何なる文明の様式ともしれぬ、名状しがたい呪文が刻まれている。

ユーノはこんな文字は見た事が無い。しかし、瞳を通して網膜に焼き付いた文字は、脳内で確かな情報として理解する事ができた。不可解な現象であるが、幻書が読めるという事実があれば、今は十分だ。

 

『夜の恐怖と無慈悲な光にかけて。

 死の影と溺れゆく息にかけて。

 おぞましき大鴉と荒廃の毒蛇にかけて。

 セスの罪とベスの堕胎にかけて』

『我はグローニュの名において汝を呪う。

 汝が朝の来る前に死体とならん事を。

 我はかの魔物の名において汝を呪う。

 汝が夜明けの前に屠られん事を』

 

ユーノは詠う。一節一節に力を込めて、一音一音に心を込めて、紙片に書き連ねられた旧き言霊を詠みあげる。

 

『恥辱の手と不具なる犬にかけて。

 病んだ繭と死蟲の素早さにかけて。

 四肢を砕く一撃と苦痛の叫びにかけて。

 乾いた舌の厚みと死者の証言にかけて』

『我はグローニュの名において汝を呪う。

 この人生から汝が引き裂かれん事を。

 我はかの魔物の名において汝を呪う。

 永遠に汝が苦痛以外の何も感じぬ事を』

 

その詩句は古代の呪術師が編み出した、忌むべき怨敵を呪う憎悪の呪文。

誰かを怨み妬み殺したいという凶暴な悪意が、どす黒い瘴気のような形となって防御プログラムへと襲いかかる。

防御プログラムはそれを攻性魔法と判断し防護壁を構えるが、闇色の瘴気に触れた盾は強酸で融かされるようにぐずぐずに崩されていく。

 

「なんだ、あれは!?ユーノの奴がやったのかっ?」

「なんなんや…あれ…。あれも、魔法なんか?」

 

ユーノが繰り出した瘴気のあまりの禍々しさにクロノやはやて達も攻撃の手を止め、巻き込まれぬように大きく距離をとる。それは段々と、防御プログラムから滲み出る澱んだ闇よりも遥かに昏く重々しい闇雲となって、今や見上げる程の巨躯となった闇の書の怪物の全体を包み込んでいく。

防御プログラムは纏わり付く闇雲を打ち払おうと、魔法や身体を撒き散らすがこれといった成果は得られないようだ。

どんなに強烈な一撃で散らそうとも、それは揺らめく火影を踏みつける児戯でしかなく、むしろ四散した闇雲は一つ一つがより大きな闇の塊となって醜悪な怪物の姿を覆い尽くしていく。

 

「おい、防御プログラムが見えなくなっちまったぞ。何が、どうなってやがんだよ?」

「流石に、今のアレには下手に斬り掛からん方が良さそうだな…」

 

さしもの烈火と鉄の騎士も闇の書の闇さえも覆い尽くすおどろおどろしい闇雲に、下手な手出しは危険と判断し静観の態勢に移る。魔導師達が警戒する中、事態は停まる事なく進展していく。

ガラスを擦り合わせるような耳をつんざく悲鳴が、闇雲の中から轟いてきたのだ。その場に居た全員が何事かと思いその耳障りな音の発生源を注視してみれば、光を通さぬ闇雲の中で防御プログラムがのたうち回っているが、闇の切れ間から辛うじて見えた。

長くうねる触手や甲殻に覆われた肉腕を遮二無二に振り回し、身の毛のよだつ魔獣の如き吠え声を上げている。この時、魔導師達にははっきりと伺い知れなかったが、防御プログラムの身体は呪いの闇雲によって凄まじい激痛に苛まれていた。

皮は裂かれ、肉は腐り、甲殻は溶かされ、爪牙はひび割れ砕き、灼熱の炎も迅雷の電撃も凍える息吹でも削りきれなかった身体が、無数の牙で微塵に咀嚼されるような痛痒に悶え苦しまされる。

されど、どれだけの損傷を受けようとも、身体は再生され元通りになる。その度に、闇雲は刃となり棘となり毒となり、疵を拡げ髄まで蝕み魔力を喰らい、怪物の身体にそれまで以上の辛苦を刻み込む。

 

「どうですか、憎悪の呪いが齎す激痛は?さぞや辛く苦しい事でしょう。それは、お前自身が悠久の時の中で蓄え続けた罪科の代償です。闇の書と成って、現世で振り撒いてきた呪いと禍いが、お前を滅ぼす怨恨の炎となって還ってきたのです」

「どんな魔法を使って抵抗しても無駄だよ。その呪いは夜天の書が創り出されるよりも遥か昔から、どんな解呪の術もはね除けて幾多の命を怨み呪い殺し滅ぼし続けた呪殺魔法だ。たかが数千そこらの歳月しかない魔道書とは、年季も格も違うんだよ」

 

呪いの闇雲によって齎される苦痛は、単純な破壊現象だけにとどまらない。防御プログラムの力の源たる膨大な魔力を枯らし腐らせ、防御プログラムの血肉とも言える穢れた負の感情さえも浸食し暴走させ、闇の書の闇の根幹をずたずたに崩壊させていく。

その瘴気は報われぬ死者の息吹であり、その闇雲は積もり重なった亡者の呪詛である。ゾタクァの言葉通り、この呪いは因果応報の魔法である為、湧き上がる情念は闇の書の闇が潰えるまで消え去る事はない。

 

生半な敵ならば蒸発するレベルの殲滅力を持つなのは達の総火力を全身に浴びせても削りきれなかった防御プログラムが、徐々にではあるがその身を毟り取られるように崩壊させていく様は、ある意味で壮観な眺めであった。

 

「今のアイツは呪いに対抗する為、再生力を全てそちらに割いている。きっと今なら、みんなの攻撃も有効打になる筈だ」

「成る程な……。訊きたい事は山ほどあるが、今はそれだけ解れば十分だ!」

「ユーノくんが作ってくれたチャンス、無駄にはできないもんね!」

 

ユーノの言葉を機に、全員が精神を奮い立たせ残る力を振り絞る。

双狼の爪牙が突き立てられ、湖風の鎖が絡み付き、有象を灰燼に帰す烈火が舞い、一切を破砕する鉄槌が掲げられ、あまねく凍らす氷雪が吹き荒れ、天をも斬り裂く迅雷が迸り、咎を祓う星の極光が輝き、終焉を告げる笛の音が鳴り響く。

濁り淀んだ魔力が蔓延していた空間を、清冽な魔力の奔流が吹き飛ばす。巻き起こる鮮烈な魔法の閃光は、防御プログラムを包んでいた漆黒の闇雲ごと灼き尽くしてしまう。その眩い魔力の輝きが段々と収まっていくと、爆心地の中心に人間大くらいになった防御プログラムの姿があった。呪いも未だに継続しているようで、その周囲には闇雲の残滓が靄のようにうっすらと漂っている。

 

『見えましたっ、主はやて!あれが防御プログラムの核です!』

「なんやて!?じゃあ、あれを潰せば…」

 

はやて達の視線の先、そこには呪詛の闇の中で、もがき苦しむように暴れる黒いヒトガタが居た。

コールタールのように真っ黒でドロドロとした闇の塊が流動しながら人の形を表しており、その全身の表面には無数の文字と数式にも似た何らかの術式がが這いずり回っている。それらの不規則にうねり蠢く文様は、見る者に悲哀と憎悪に歪む人の貌を錯覚させる。なまじ人の形をしているが故に、全身にびっしりと顔面が張り付いて、それが動き回っているかのように見える黒いヒトガタの容姿は、本能的な忌避感と怖気を感じさせた。

 

だが、その姿を晒しているという事は、千載一遇の機会であるという事を意味している。

核を覆い守っていた肉塊の鎧は完膚なきまでに破壊され、向かう者を苦しめた厄介な再生能力は先人達の怨嗟によって編まれた呪いによって封じられている。

防御プログラムを討ち倒さんとするならば、この絶好の機会を逃す手はない。

しかし過酷な戦闘に続き、先の大技で疲弊しきったはやて達に、もはや何らかの魔法を行使するだけの力を霞程も残ってはいない。

 

「だけど、私達はさっきのでほとんど魔力を使い果たしちゃったから……」

「あぁ、わかってる。僕がケリをつけよう…。ゾタクァ、もう一冊幻書を」

「いいでしょう、あの古本に幻書のなんたるかを教授してやりましょう!管理下幻書——題名『無垢なる刃の書』の閲覧、執行を許可します」

 

彼らの代わりにトドメを刺すべく、ユーノは黒檀の書をゾタクァに返し、虚空に開いた門から出現した新たな幻書を手に取る。やはり、それも当然の如くユーノの手に驚く程しっくりと馴染む。

先程の黒檀の書とは違い、今度の幻書はその名に相応しい、曇りない輝く白金色の装丁が施された美しい本であった。中身の頁を開き目を通すと、そこにはある一人の魔術師と魔導書の精霊の物語が記されていた。

 

『彼の者らは、憎悪に燃える空より産まれ落ちた涙。

 流された血を舐める炎に宿りし正しき怒り。

 永遠の悪夢の連鎖の中で、邪知なる混沌に抗う者。

 暴虐の海の中で希望へと歩み続け、切なる想いを吼え叫ぶ。

 その咆哮は命の讃歌。貴い未来を信じて願う熾烈な祈り』

『しかし災禍の獣との闘争に約束された勝利はなく。

 彼らは幾度の苦渋と敗北を味わった。

 絶望に打ち拉がれ、悲嘆に貪られ、邪悪に侵された。

 それでも彼らは闘い続けた。

 その肉体が乾涸びるまで、その精神が摩耗するまで』

 

幻書はその朗読に呼応して光り輝く。

幾条もの呪文の円環が頁紙の中から飛び出して、防御プログラムの核を包む結界へと変化する。

複雑精緻な術式によって編まれた魔方陣の檻は、捕らえた標的を逃す事を許さず、生半な抵抗では小揺るぎすらしない。

 

『だが、その魂は弊える事はなかった。

 地獄の劫火よりも熱い勇気の輝き。

 誰かの為に怒り嘆き、そして慈しむ優しさ。

 それこそ尽きる事なき、彼らの力の源。

 その大いなる源泉の加護を以て、揺るがず惑わず不変の愛を貫く大聖なり』

『彼らこそは荒ぶる旧き神への反逆者。

 因果を超えて魔を断つ剣を以て、光射す世界に蔓延る闇黒を滅する斬魔の戦機。

 その神にも等しき権能の前に、あらゆる邪悪は渇かず飢えず無に還る!』

 

ヒトガタの核が閉じ込められた結界内に、網膜が焼き切れると錯覚する程の激しい輝きが生じる。あたかも暗黒の宇宙で輝く恒星の如く、その光は闇で満たされた球形の結界を暴力的なまでな光波で蹂躙し尽くしていく。

ただの光と思うなかれ。その輝きこそは、夜空に浮かぶ星々全てを集めても尚足りぬ無限の熱量の輝き。如何なる物質存在であろうとも塵すら残さず昇華滅却せしめる必殺の呪法。

 

その浄化の輝きに、闇の徒たる防御プログラムの核が耐えられる筈もなく、旭光に消えゆく夜闇の如く夜天の怪物は塵一つ残さず静かに滅んでいった。

 

「明けぬ夜はなく、日はやがて昇る。永遠の悪夢など、在りはしないのです」

 

ゾタクァの幕引きの言葉と共に、朝焼けが闇夜を照らしていく。

防御プログラムの完全消滅が確認され、勝利に沸く幼子らの歓声が澄んだ空へと吸い込めれていった。

 

 

 

防御プログラムとの激闘の後、誰もが安堵し待ち望んだ平穏が返ってくるのだと信じていた。

だが、非情な現実は勝利の余韻に浸る間も与えずに、幼き戦士達に過酷な真実を突きつける。

 

「暴走した防御プログラムは、確かに破壊された。しかし、歪んだシステムを内包したままの夜天の書が存在し続ける限り、あの呪われし闇は再び現れてしまうだろう……」

 

それは勝利を掴み希望を夢見た者達にとって、あまりにも残酷な真実であった。

無限の再生機能を持つ夜天の書は、ある一部のプログラムを完膚なきまでに破壊されていようとも、大本である夜天の書そのものが健在であるならば、狂った機能のまま再生させてしまうというのだ。

されど、夜天の書の管制人格たるリインフォースの口から語られた以上、それが不可避の未来である事は明白である。

更に彼女は、絶望的な事態を説明する。

 

「管制プログラムである私の中からも、夜天の書本来の姿は消されてしまっている…」

「元の姿が解らなければ、戻しようもないという事か」

 

致命的な欠陥を直す方法は、既に失われて久しく。このままでは、再び夜天の書は穢れた闇黒に呑まれて、忌々しい悲劇と災禍を産み出す狂気の魔導書に逆戻りしてしまう。

 

しかし、リインフォースは更にもう一つ話を付け加えた。最悪の結末を止める唯一の手立てがあるという話を。

 

「…闇の書の闇を、夜天の書ごと消去する。そうすれば、もう二度と悪しき闇がこの世界を、我が主を侵す事もない」

「お前は自分が何を言っているのか解っているのか!?そんな事をすれば、夜天の書そのものであるお前も消えてしまうのだぞ!」

 

それは、主従の垣根を越えて真の絆で結ばれた、本当の家族と成る事ができた主と騎士達にとって、あまりにも残酷な手段だった。

あの激闘の末、勝ち取った結末がそれではあんまりではないかと、誰もが嘆いた。

 

「待ってください、リインフォースさん!それじゃあ、改竄される前の正常な夜天の書の写本かその類いの物があれば、修正できる見込みがあるという事ですか?」

 

そんな中、リインフォースの発言に真っ先に異を唱えたのは、意外にもユーノであった。言葉の内容こそ一縷の希望に縋るようなものだが、その語気には不思議と確かな自信が籠っている。

その意気の強さに少々戸惑いながら、彼女は努めて冷静に答えを返す。

 

「あ、あぁ…完全に元通りとはいかないだろうが、少なくとも主人の意に反してまで暴走するような事はなくなると思う。だが、夜天の書の写本など、私は見た事も聞いた事もない。大体今からそんな、あるかどうかも分からぬ物を探している暇など——「有りますよ。夜天の書の写本」——ありはし……は?」

「だから、有りますよ。どちらかというと写本というより、草稿のような物ですがね」

 

至極当然の事であるかのように、ゾタクァはあっけからんと衝撃の事実を言ってのける。

ユーノ以外の全ての者の呆気と疑惑の視線が、黄金色の少女に集中するが、当人はそれらを鬱陶しく感じているのか、ユーノの影へとひょいと身を隠してしまう。

 

「そんな、まさか……い、いや…ありえない。私自身すら記録し得ていないモノを、なぜ貴方が…」

「ふんっ。お前のような弱輩の記録媒体などと一緒にしないでください。我が偉大なる無限の書庫にかかれば、その程度の情報は容易く蒐められるのですよ」

「どうですか?彼女の持つ資料を使えば、夜天の書を修正する事もできると思いますが…」

 

それは先の見えぬ路に射した光明であった。ゾタクァの齎した情報は今の彼らにとって、天から降ってわいた福音に等しかった。悲嘆に翳っていた皆の顔がにわかに明るくなるが、そこに待ったをかける声が上がる。

 

「でも、ロストギアである夜天の書の修正だなんて、いくら正式な夜天の主とはいえ、魔導師になったばかりのはやてちゃんにはあまりに困難です」

「…そうだな。それに夜天の書のシステムへのアクセスは、即ち狂った夜天の闇に直接干渉する事を意味する。主はやてにどのような影響が出るかわからない上に、一部のプログラムは既に管制人格である私からも切り離され、中枢システムへのアクセスはマスター権限を持つ者以外には不可能だ。私や守護騎士達のサポートも受けられず、失敗すれば…最悪の場合、主を取り込んで転生してしまうかもしれない」

「確かに、そのような危険があっては考えものだが……」

 

シャマルやリインフォースが、己が主の身を按ずると同時に、夜天の書への干渉の危険性を説く。いくら有効な方法とはいえ、そのリスクの高さにクロノが思わず顔をしかめる。

 

「でも、だからってリインフォースさんが消えちゃったら駄目なの!」

「そうだよ!ようやく…ようやく、本当の家族になれたのにっ……大切な人を犠牲にしてまで救われたって、はやては喜ばないよ!」

「なのはちゃんやフェイトちゃんの言う通りや…」

 

二人の少女の嘆願の後に続いて聞こえてきたのは、今この場には居る筈のない者の声。

我が耳を疑う気持ちでリインフォース達が振り向くと、そこにはヴィータに付き添われて別室で休養していた筈のはやての姿があった。先の激闘での疲労が色濃く残っているというのに、彼女は無理を押してこの場に駆けつけたのだ。

 

「主はやて!?ヴィータっ、お前が付いていながら、なぜ!」

「しょ、しょうがねぇだろう…あたしだって、休んでた方が良いって言ったけど、はやてがどうしてもって言うから……」

「そうゆう事や、ヴィータは悪くない。どうも、痼りみたいのが残ってるようで、寝付きが悪くってな…。どうせだから、皆のとこに行きたいって、言ったんやけど……おかげで、大事な話聞きそびれずにすんだわ」

 

はやてはそう言って、ヴィータに車椅子を押してもらって、ユーノとゾタクァの前へと真直ぐに移動する。

車椅子の振動に合わせて、はやての胴体はゆらゆらと揺らめき動いていて、傍目から見ても非常に危なっかしい。本来なら、泥のように眠って身体を休める必要があるだろうに、はやては意地で意識を保っていた。

そんな彼女は縋るような目で八神家にとって救い手になるであろう二人を見つめる。

 

「さっき言ってた話って、ほんまなんか?貴方達の持ってるもんがあれば、リインフォースは消えずにすむんか?」

「…必ず成功するという保証も、最良の結果が得られるという確証もありはしません。しかし、少なくともお前にとっては最善の方法ではあると思いますよ」

「…そっか。なら、私はやるで」

「なりませんっ、主!!」

「そういう訳にもいかんやろ。今更、誰かを犠牲にするなんて、そんなは絶対嫌や。どんなに危険でも可能性がまだあるんやったら、私はそれに縋ってでもリインフォースを助けたい。それに、夜天の王に成ったはやてちゃんにかかれば、プログラムの修正なんてちょちょいのちょいや!」

「しかし…そうは言っても、失敗時のリスクを抜きに考えたとしても、夜天の書のシステムの情報は膨大かつ専門的なものです。ただでさえ複雑な上に度重なる改竄で歪められたプログラムの修正は至難の技です。いくら主とはいえど、人一人の処理能力ではどうしようもありません……」

「しかも、夜天の書ははやてちゃん以外の者のシステムへのアクセスは拒絶してしまいますから…」

 

「いえ、僕も魔導書の修正に協力します」

 

ユーノのその発言は、はやての宣告以上にその場をざわつかせた。先程までの話を聞いていなかった筈はないというのに、彼の突拍子な言葉を聞いて声を荒げる者すらいる。

 

「方法ならあります。ある特殊な融合魔法を応用して、僕の存在情報を夜天の主のものと重複させる事で、夜天の書のシステムを騙せる筈です」

 

ユーノの案によれば、縁も所縁もない二つの魂を繋ぐ事のできる幻書の力を用いて、はやての魂に刻まれた夜天の主という資格情報のラベルをユーノの魂に貼付ける事でシステム改竄への協力が可能になるという。

そしてユーノは夜天の書の歪められたプログラムを修正するのに必要な知識や術式の教授、その改竄の際に発生する膨大なシステム情報の処理をサポートする、という算段だ。

 

「で、でも…それができたとしても、そんな事したらユーノくんやって危ないんじゃ……」

「そんなのは今更さ。それに一人でやるよりも、協力すれば成功率も跳ね上がる。これでも情報処理系には強い方だと自負してるからね」

 

窮地に瀕したはやて達からすれば、ユーノの助力は願ってもないものだ。

しかし、もう和解したとはいえはやて達は、ユーノ達にとって一時的に敵対関係にあった相手だ。そんな相手に対して命を賭けてまで手を貸してくれる彼らに、申し訳ないという思うと同時にどうしてそこまでとも疑問も感じていた。

 

ユーノに理由を尋ねると、これがまたおかしな返答ではあるが、彼は癖のようなものだと言った。

ユーノは次元世界でも特異なとある部族で産まれ育ち、そこでは生きる為に常に誰かと助け支え合い暮らしていたという。はやて達の境遇は放っておくにはあまりに忍びないというのも勿論あるが、それ以上にその教訓からくる困っている人を捨て置けない援助の精神が先行するというのだ。

 

「…なんだか、皆には迷惑かけてばっかな上やな。特にユーノくんには私達の為に命まで張ってもらって、ほんまに世話になるわ…。いくら感謝しても、し足りないくらいや」

「我ら騎士一同もあなた方の尽力に感謝の至りです。この御恩は決して忘れはしません」

 

はやては目を赤く腫らして涙を流しながら、申し訳なさやら嬉しさやらで声を震わしながら礼を言う。騎士達も主に続いて、騎士らしく膝をつき頭を深々と下げて大仰に感謝の意を伝える。

それに対してユーノ達はやや照れくさそうに微笑みながら、彼らの想いに応える。ゾタクァだけは、こういった雰囲気に慣れていないのか、むず痒そうに愛らしい顔をくしゃりと歪めている。

 

「…ふん。恩義を感じるのは結構ですが、まだ処置すら始まっていないのだから、その頭はそれまで上げておきなさい」

「ふふっ、ゾタクァの言う通りですよ、みんな。それより少し休息をとりましょう。その後に準備をして始めるとしよう」

 

二人の言葉を後にして、少女達ははしばし休息をとった。消耗した肉体と精神を少しでも補おうと、皆が思い思いに安らいだ。

 

 

「ハァッ…ハァッ…クゥッ!……ッ!」

 

人の目の届かぬ何処かの一室。その隅の影の中に、息を荒げ蹲るユーノの姿があった。胸の奥底を搔き毟るような鈍い疼きと頭の中を熱したバールでぐちゃぐちゃに掻き混ぜるような激痛がユーノの小さな体躯を容赦なく苛む。

ユーノは痛みを必死に堪え、喉の奥から迫り上がる嗚咽を漏らすまいと固くを口を閉じ食い縛る。その代わりにか、ユーノの顔や首筋から大粒の汗が次から次へと溢れ出る。流れる汗さえ疎ましく思う最中、顔の横から布を持った手がすっと伸びて、ユーノの顔を優しい柔らかな手付きで吹き撫でる。

 

「やはり、いきなり幻書を連続で使用したのには無理があるようですね…」

「ハァ…ハァッ…ごめん、ゾタクァ……僕が不甲斐ないばっかりに」

「全く…そう思うのならしゃんとなさい。ユーノには今からやるべき事があるのでしょう。ほら、これを飲むのです」

 

字面こそ叱責するような内容だが、その声音は優しげで身内を労る者のそれだ。

そんなゾタクァが差し出したのは、彼女の小さな掌にも収まるサイズの小瓶だった。中身はとろりとした薄粘性の黄金色の液体で、蓋を開けると中で圧縮されていた芳醇で甘ったるい匂いが鼻腔を突き抜ける勢いで飛び出してくる。

ゾタクァに促されるまま、ユーノはその黄金色の液体を口に含む。数滴程の量のそれは、舌の上に広がるとその甘味を味蕾に深く刻み付け、焼け付くような熱を伴って喉を通り臓腑に染み渡る。

 

「…本来とは些か違う用法ですが、今回は仕方がありません。どうですか、ユーノ?ちゃんと私の事が解りますか?」

 

頬を確と掴んでユーノの双眸を覗き込むゾタクァの瞳が胡乱気な少年の顔を映し出し、朱いひびの入った翡翠の眼球の中で、ふわふわと闇の宙を揺蕩う黄金の絹髪が蜂蜜色の髪束と混ざり絡み合っており、金色の光の彼方で聞く者を魅了してやまない歪な少女の声が、大気を震わせ血肉の詰まった皮の中に、幾千万もの鈴の音を鳴り響かせ、波及する波紋の波動が、少年の精神を震える弦の如く揺り動かし正しい波長へと調律する。

 

「——あぁ、大丈夫だ。まだ、僕はここにいる」

「…そうですか。なら、行きましょう。皆が待っています」

 

囁く程度の小さな声が、ユーノの耳をくすぐった。そこで初めて自分が抱き締められている事に気付き、改めてゾタクァの腕の中の狭さを知った。

 

 

そして、時は来た。

儀式を執り行う為に、魔導師の面々は純白の雪が降り積もる海鳴の地に降り立った。玄冬の雪白によって塗り潰された世界は、少し前までこの界隈で繰り広げられていた壮絶な戦いの事など微塵も感じさせなかった。しかし、そんな雪景色を前にしても、彼らに感傷に浸る暇はない。

作業を行うのに適した人気の少ない開けた場所を見繕うと、まず手始めにクロノ達が周囲に結界を張り巡らす。これは人払いの意味もあるが、何より万が一の事態に備えて被害を最小限に抑える為のものだ。

更に、守護騎士達はシステム改竄中に起こりうるであろう危険に対応する為、はやて達の周囲に待機している。

整えられた舞台の中心には、緊張で強張った面持ちのはやてと既に一冊の幻書を構え準備を終えたユーノとゾタクァの姿があった。

 

「準備はいいね、皆」

「一人だって、私の家族は欠けさせやしない」

「我らの主を頼みます」

「がんばって…はやてちゃん、ユーノくん…!」

「それでは、始めるとしましょう」

 

それぞれの想いが交差し渦巻く最中、ユーノの滔々と幻書を詠み上げる声が結界の中で木霊する。

その内容はここではない別次元の宇宙に存在する双子の神に関する伝承だった。

 

双つの躯、双つの魂。しかし、その神は全く矛盾のない同一の存在であると。どんなに遠く離れていても別たれる事はなく。肉体が塵も残さず滅びようとも、精神が昏い夜闇に呑み込まれようとも、その繋がりは永劫不変。

 

穏やかな少年の声で奏でられる一節一句が、はやての耳を通り抜けると、音の波が脳内で反響して精神を伝い、心の深層へと潜り込み魂に新たな路を切り拓く。

視界が一気に拡がったような感覚。体の芯が二重になって、意識がだぶついてるかのような不思議な状態に、はやては戸惑う。しかし、すぐに頭の中に直接「同調成功」という聞き覚えのある声が響くと同時に、自分の身に何が起きたのかを理解した。

 

準備は整った。

 

はやては夜天の書を取り出し、王としての力を行使する。それと同時にユーノのリンカーコアへと、はやてと繋がるパスを通じて夜天の闇が流れ込んでくる。

 

ここからが本番となるのだ。

 

「マスター権限執行——システムへのアクセス開始」

 

夜天の書へのアクセスを開始すると、はやての目の前に見た事もない無数の文字と数式が投影される。網膜に焼き付いて離れないそれらは、夜天の主故か朧げながらも理解する事ができた。知る筈のない情報が理解できるという不可思議な現象に思わず怖じ気づくが、パスを通じて流れ込むユーノの意識がたじろぐはやての心を宥める。

 

「これが夜天の書の草稿になります。精々、巧くやる事です」

 

そう言ってゾタクァが二人の前に取り出したのは一抱え程もある大きな巻物だった。何の皮紙かは解らぬそれに記されているのは、複雑精緻な魔方陣や奇妙な形状の文字が並ぶ文章ばかり。

しかし、こちらも先程と同じくユーノから送られてくる知識に照らし合わせる事で解読する事ができるようになる。

 

はやては草稿から得た情報とユーノに教授された知識と技術を基に、夜天の書に巣食う悪性プログラムを削除改変していく。ユーノもまた、夜天の書から雪崩の如く送られてくる膨大な情報を、マルチタスクなどの補助魔法を総動員して処理し、適切な形に再構成してはやてに再送信していく。

いつどのようにプログラムが暴走するか分からない以上、作業はできるだけ素早く、しかしミスはしないよう非常に繊細に行わなければならない。二人とも根気と集中力を限界まで高め作業に没頭する。

その最中、ユーノは不自然な記述がなされたプログラムを発見し、それが予期していた危険である事を察知する。

 

それは歪められたプログラムから産み出されたバグのようなもので、そこに今まで蒐集してきた人々の負の感情が合わさって悪性変異を起こし酷く攻撃的な性質を持っている。

このままバグを処理しようとすれば、ユーノとはやての神経回路に負荷が掛かりリンカーコアに甚大な傷害を受けてしまう。

だが——

 

「対応策は、既に講じているさ。はやて、例の奴がくるよ!」

「よっしゃ、まかせとき!」

 

はやてはマスター権限を駆使し、とあるプログラムを起動する。それは守護騎士や防御プログラムを具現化する為に使用されるもので、その機能を応用しバグを丸ごと具現化させる。そして守護騎士システムを夜天の書から独立させたように、そのバグもシステムから完全に切り離す。そこへ、この時の為に待機していたヴォルケンリッターがすかさず撃滅するのだ。

 

標的の顕現を今か今かと身構える騎士達の目の前に現れたのは、意外にも一冊の書物の形をしたバグであった。夜天の書とよく似た装丁をしているが、凶暴さを表すかのような金物細工に表紙やページの端から溢れる瘴気が、はやて達の知る書物とは別物であると示している。

それは出現すると同時にぱらぱらと音を立てて独りでに開き始める。そのページの中には生き物のように蠢く気味の悪い文字で、かつての夜天の主達が遺した悪意と妄執が、犠牲となった人々の怨嗟と悲劇が、そして禍々しい災厄の魔法の数々が記されていた。

もはや夜天の書の一部であった頃の面影はなく、その姿は正しく闇の書という一冊の幻書に成り果てていた。

 

「呪われし闇の書か…その因縁もこれでお終いだ」

 

かつて己が身を穢していた元凶ともいえる存在を前にして、リインフォースは先手必勝とばかりに魔法を撃ちだした。それに応じて闇の書もまた、その紙片に綴られた術式を解き放つ。闇の書の纏う瘴気が形作る呪怨の面貌から鼓膜の張り裂けるような声で唱えられた魔法はでたらめな軌道を描いて敵目掛けて殺到するが、騎士達は各々の魔法を駆使して襲い来る攻撃を防ぎ、書物を守るように覆い隠す闇色の茨を壊していく。

激しい攻防が繰り広げられる中、次第に闇の書の気勢が削がれ邪気が薄れていく。そこに、防御プログラムとして暴走していた時の凄まじい魔力の奔流は見る影もなく、駆逐されるのも時間の問題だった。

 

「如何に強力な力を持っていようとも、本とは読み手がいて初めて真価を発揮するもの。当然の結果です」

 

辛辣だが的を射たゾタクァの言葉に憤慨したのか、闇の書は魔力で編んだか細い茨を数本繰り出すが、それは苦し紛れの一手でしかなく、ザフィーラの盾には阻まれシグナムの刃には斬り落とされる。

 

抵抗虚しく、闇の書に残された手段はもうない。いよいよを以て、夜天を汚すにっくき闇を滅するべく騎士達は魔力を高め必殺の一撃を放とうとするが、あろう事かそこに待ったをかける者がいた。

 

「お待ちなさい。それを破壊するなんて、とんでもない!処分すると言うなら、私が貰い受けましょう」

「なっ、正気ですか!?貴方はアレがどういう物か知っているでしょう?呪われし闇の書など、この世に在ってはならない物だ!」

「なればこそ、ですよ。忌まわしい遺物だからといって廃棄し忘却し無かった事にしては、それはいずれ同じ過ちを繰り返す原因にしかなり得ません。その顛末を語り継ぎ教訓とする為にも、斯の本を我が書庫に保管する事は成さねばならぬ義務なのです」

 

幻書を管理する読姫としての責務か、ゾタクァは闇の書を蒐集しようとするが、その態度はどちらかというと獲物を獲り逃すまいとする蒐書狂のそれのようだ。

 

「ユーノくんっ、あの子あんな事言っとるが、大丈夫なんか!?」

「あれでもゾタクァは闇の書なんかよりも、よっぽど厄介な物を有しているから心配はいらないよ。それに彼女がああやって言い出したら、もう止まらないよ」

 

他の者達の戸惑いを他所に、ゾタクァは門を封ずる鍵を解いてもらい書庫へと通ずる底の無い深淵の孔穴を思わせる虚空の門を開く。

その瞬間、闇の書は身悶えするように頁を瞬かせる。まるで恐れおののくような仕草を見せる闇の書に向かって、獲物を捕らえようと虚空の門から大蛇の如くしなる数多の黒い腕が疾風のような速さで伸びる。

不揃いの鋭い鉤爪が生えた黒い腕は獰猛な見た目に反して、闇の書を傷付けぬよう丁寧に、しかし抜け出されぬよう確りと掴んで離さない。

そして、闇の書はろくに抗う事もできず実に呆気なく、黒腕に引き摺られるまま門の内へと消えていった。

 

「新たな幻書——題名『闇の書』の当書庫への確保、蒐集を確認。現時点を以て、『闇の書』は当書庫の管理下幻書となります」

「バグの完全切除を確認。はやて、もう一息だ!」

「えぇいっ、もう何でも来いや!全部、終いにしたる!」

 

夜天の書からバグが無くなった事で負荷が大幅に軽減され、はやては残されたプログラム群を一気に処理してゆく。

 

やがて、ユーノから送られ続けていた情報が消え失せ、無間に捲られ続けていた頁はぴたりと止まり閉じられた。

その光景に誰もが息を呑み黙りこくる。静寂に包まれる中、ユーノが無言で夜天の書のシステムを精査していくと、暫くして喜色を湛えた面持ちではやてに結果を報告する。

 

「どうやら、夜天の書の改竄は完了したようだ…!リインフォースさんはどうですか?何か不備はありませんか?」

「あぁ、ちょっと待ってくれ………各種プログラム正常化——悪性バグ検出無し——全システム異常無し」

「——と言う事は…!夜天の書は、リインフォースはもう大丈夫なんやな!」

「…はい!もう消えずにすみます。主はやての下から離れる事はありません!」

 

『や...やったぁー!!』

 

その吉報にはやてが、なのは達が涙ぐみ歓喜した。

はやてとリインフォース達は嬉しさのあまり大粒の涙を流しながら、お互い抱き締め合った。なのは達も彼女らを祝福するように、駆け寄って輪に混じっては喜びを分かち合う。気怠い疲労感など吹き飛ばす程の多幸感に、誰もが酔いしれた。

 

「ありがとう!ほんまにありがとうな!ユーノくん、ゾタクァちゃん!」

 

一方、ユーノははやての礼の言葉を聞きながら皆から少し離れた場所にゾタクァと佇んでいた。自分の隣で彼女らとは別な理由で嬉し気にしている己の読姫の姿に苦笑しながら、喜びに沸く少女達を満足そうに眺めていた。

 

ここに呪われし闇の書の悲劇は、本当の意味で終焉を迎えたのだった。

 

 

無限書庫。

そこはミッドチルダを中心に、数多に連なる次元世界から種別、様式、言語を問わずあらゆる叡智を蒐集する知の宝庫。そこに納められている本の中には、遥か昔に滅んだ偉大な旧時代の文明や技術について記した稀覯本や、かつて人界を脅かしたおぞましき魔本妖書が存在するとも言われている。だがそれ以前に、人々は宇宙に瞬く星々の如き無限に等しい蔵書量の前に、ある者はただただ圧倒され、ある者は畏敬の念を抱き、ある者は言いようのない恐怖さえ覚える。

しかし、人々のそういった評価に対して、無限書庫を利用する者は少なかった。何故なら、書庫に納められている書物のその全てが価値ある本である訳ではなく。種々雑多という言葉を具現化したかのように無数に乱立する巨大な本棚から、本当に必要とする情報を集めるのは至難の業であったからだ。

故に無限書庫の有用性は著しく低く評され、その真の価値を知る者は決して多くはなかった。

然れど、真価を知る者達の間で、最近ある噂が囃されている。

 

曰く、無限書庫の書物達の寵愛と恩恵を得ている青年が居ると。

曰く、その者は類稀なる才を活かして書庫を統べる地位に昇り詰めたと。

曰く、その者は書庫の秘せられし主たる金の読姫とその外なる叡智の護り手であると。

曰く——

 

其は狂える知識の蔵にて、外なる天を仰ぎし若き賢者。

千億の書物と無数の言霊を制して、窮極の門を封ずる銀の鍵守也。

 

 




解説用後書き的な何か

ゾタクァについて。
ユーノとか無限書庫とか幻書とか読姫とかの設定って、なんかいい感じにクロスできんじゃね?でも、ダリアンとかラジエルとかの原作キャラをそのままなのはの世界に合わせるのは難しいし、何より原作のパートナーを無理に変えてまでやりたくはない。
じゃあ、オリキャラ作るか。ってな感じで生まれたキャラ。名前とかの元ネタは、解る人には一発で解る某架空神話から。
あと名前については、単に同名なだけで元ネタ通りヒキガエルもどきが正体、という訳ではない。あくまで役割とか性質とかへのリスペクト。
作中の描写で、首輪の錠前の他に四肢にも錠前型の枷が嵌められているとかあったけど、鍵を差し込むのは首輪の錠前だけでよい。
あと、海鳴市に来た方法は、なんか次元渡航できる能力をもった幻書の力を使ったとかそんな感じ。

無限書庫について。
元々、そこまで詳細な設定が無かっただけに、色々改変しやすかった。元ネタはセラエノ図書館とか門にして鍵なる次元神とか、そこらへん色々。常人には立ち入られない書庫の深部がゾタクァの管理する空間と繋がっている的な、ハチャメチャ設定。

幻書について。
なのはの世界には普通に魔導書とかがある為、ラジエルとか原作からのあれやこれやを元に、ちょこちょこ設定を弄った結果、えらく物騒な物になった。
黒檀の書は、ゾタクァと同じく某架空神話に登場する魔導書が元ネタ。勘の鋭い人には、何を元にしているかはすぐ解る、筈。
無垢なる刃の書は関してはもう正直すまんかった。でも、なんというか、あの神話をネタにしていて尚且つ魔法バトル物だと、否応無くこれが思い浮かんでしまった。で、ついカッとなってやってしまった。反省はしている。後悔はしていない。
双子の神の書は、これまた某架空神話の神性から。詳細な設定はろくに無いが、能力とかは色々な考察とかを元に捏造した。
詠唱は、憎悪の呪いは黒檀の書の元ネタと同じ所から流用。無垢なる刃は原作中での台詞とか歌詞とか、色々。

闇の書について。
闇の書が過去に行ってきた事とか持っている能力とかを考えると、幻書認定されてもおかしくないよね。っていう妄想てか設定。
最後には夜天の書から完全に切り離され、一冊の独立した幻書となった。何故かって?そっちの方が都合がいいからだ。色々と。

防御プログラムについて。
ユーノとゾタクァを活躍させるにあたって、トンデモ強化されたラスボス。
具体的には、某ハチャメチャ吸血鬼バトル漫画のジョージでラスボスっぽいヘルシングな主人公ばりの超再生力と鬼畜弾幕STG制作会社ケイブ製と言われても納得する殺意満点の範囲攻撃魔法を搭載。と例えれば、解りやすいだろうか。解らないだろうか。
あと、SAN値直葬もんのグロテスクな外見。

夜天の書の写本というか草稿について。
普通に存在していてもいい気がする。というか、絶対あるだろ。仮にも魔導書という形のロストギアなんだから。
写本というよりかは草稿っぽい、草稿というよりかは書き写しっぽい。そんな半端な感じのもん。
夜天の書の主が皆ろくでもない奴ばっかりな訳はないだろうから、もしもの場合の為にこういう外付けバックアップ的なものを制作して用意した人は必ず居た筈。
で、無限書庫だったら、こういうのは絶対あるよな。見つかるかどうかは別として。という妄想つか設定。
ユーノはゾタクァの協力の下、この草稿を見つけ出した。といった感じ。

夜天の書の改竄へのサポートについて。
ユーノである必要性は一応ある事はある。幻書を使えるのはユーノとゾタクァだけで、融合できるのは二人まで。
ゾタクァはもしもの場合に備えて待機。あと、ちょっとめんどくさいとか思ってる。
ヴォルケンズは完全には生物ではない為、魂に不備があり融合する事ができない。リインフォースはユニゾンして協力できるかなとか考えたけど、はやての魂の存在情報に不純物が混じる為、融合に支障をきたすという事にしてなしという事に。
なのは達はサポートへの適正と技術不足という事で、ヴォルケンズと同上。
作業イメージは改稿と推敲作業とプログラム再構築とデバック作業を足して二で割った感じ。ユーノはOSとか検索エンジンとかセキュリティソフトみたいな役割。

最後に、ここまで読了してくださり、誠にありがとうございました。

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