ヤンデレの女の子って最高だよね!   作:大塚ガキ男

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どうも、大塚ガキ男です。色々忙しく、Twitterは見れても中々執筆の時間が取れないというアホみたいな理由でこんなに遅くなりました。信じられない話ですが、二ヶ月越しのリクエスト作品です。


信じれば救われる。信じなければ掬われる。

「なァ、おい、お前オレ達の事見てたよなァ!?」

「み、見てません……」

「嘘つけや!見てただろうが!」

「見てません……!」

 

 ……。

 俺は今、もしかして、現代日本においてとても珍しい、ヤンキーがか弱い女の子にいちゃもんを付けてる所に遭遇しているのだろうか。だとしたらとてもレアだ。今時ヤンキーが道端で怒ってる所すらあまり見れないのに、女の子に怒鳴り散らすだなんてダッセェ所を今こうしてお目にかかれるだなんて、俺は凄くツいている。

 しかも。

 そんなヤンキーをボコボコにして女の子を助けられるだなんて、更にツいてる。

 

「……怪我は()ぇか?」

「は、はい。全く以って大丈夫です」

 

 背後がガラ空きのヤンキーにドロップキックをかまし、続けざまにローキックやローキックやキャメルクラッチやらでギタギタにぶちのめした後。もう二度と()()()()()をしないとヤンキーに誓わせてから、女の子に掛けた一言。もしかしたら先程のヤンキーよりも怖がらせてしまっているかもしれないが、礼儀上言わない訳にもいかない一言で問うてから、もう女の子と顔を合わせ続ける意味は無いと背中を向けて立ち去ってからの数歩後。待って下さいと少女が俺に声を掛けた。

 

「お名前を……貴方のお名前を教えていただけませんか」

 

 嗚呼、そうだった。

 俺は失念していた。

 “ヤンキーから女の子を助ける”というのがセットなのではなく、“助けた女の子に名前を聞かれる”までがワンセットだったのだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 肩ほどで切り揃えられた黒髪。前髪はぱっつんと横一直線に並べられていて、日本人形のような印象を受ける髪型。

 華奢で小さな肩は、何か少しでも驚く事があればすぐに跳ね、たちまちの内に震える。

 床からバスケットゴールまでの高さの半分程の身長。

 細い脚。

 か弱い目付き。

 

「……そんなお前が、何で俺にこんな事するんだよ」

「こんな事、とは?」

「俺の後ろをうろちょろしたり、物陰に隠れ切れてないまま尾行してきたり、家凸してきたり、俺と一緒に弁当食べようとしてきたり、その弁当を手作りして俺に食べさせようとしてきたり、俺のクラスとは授業違う筈なのに、俺の所の授業の課題を見せてくれたり、校則違反の罰の放課後清掃を手伝ってくれたり──例を出せば日が暮れるくらいには、お前には心当たりがある筈なんだがな」

「後半は、寧ろ尾瀬様にとっては良い事のような気がしますが」

「前半が駄目だ」

 

 俺こと、尾瀬真二郎(おぜしんじろう)は、ヤンキーから一人の女の子を助けたあの日から、こうして件の女の子に付き纏われている。何故付き纏われるのかは、俺は鈍感ではないので自覚しているのだが、いかんせん訳が分からん。ヤンキーから助けたので恩を返される覚えはあるが、こうしてあからさまな好意を向けられる理由が分からん。恩と好意は別物であって、俺はその好意を向けられる程格好良い自覚は無いからだ。

 だから、本音を言わせてもらえればやめてほしい。お前が抱いてるのは好意じゃなくて幻想だぞ、と、優しく諭して真っ当な高校生活を歩ませてあげたい。何が悲しくて、俺みたいなヤンキー野郎に引っ付かなくてはならないのだ、という話だ。

 言い忘れていたが、俺だってヤンキーだ。ヤンキーをボコボコに出来るのは、格闘技に覚えのある人間か、同族のヤンキーであって、俺は後者だっただけ。ヤンキーがヤンキーをボコって、女の子がそれを見て惚れてしまったのだ。

 何とも不憫な話である。一刻も早くその──俺を好いているが故の周囲との隔絶感という呪縛から解放させてあげたい。気付いてるのか?お前、浮いてんぞ。

 

「何度も言っているように、俺に付き纏うな。俺はお前を助け、お前は俺に助けられた。あれはあの場限りの出来事で、お前が俺に何かする理由にはならないんだよ」

「でも、(わたくし)は尾瀬様に感謝していまして。尾瀬様に助けられたからこそ私が存在している訳でありまして」

「感謝しているなら、あの時の一言で満ち足りている。これ以上付き纏うな」

 

 そう言って突き放す。

 俺はこんなに冷たい奴なんだぞ。どうだ、夢から醒めただろう。そう思ってほしいから、冷たく接する。

 

「お、お待ち下さい……」

 

 何か言いたがっていた気がしたが、俺は構わず、アイツを置いて立ち去った。

 

「……」

「……なぁ」

「……はい」

 

 ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ。

 息を切らしながら追い掛けてきて、俺の行く手を塞いだ女の子。そんなに疲れるならやめておけよと避けて進めば、また俺の前に出てきた。

 

「俺はさっき何て言ったよ」

「これ以上……付き纏うなと仰りました」

「で、それは何だよ」

 

 少々お待ちを。女の子はそう言って俺に断ってから、下校時間故に持っていた鞄の中から酸素缶を取り出して、プシューと補給し始めた。変な方向に用意周到な奴だなと思った。

 

「……救っていただいたから御奉仕するのではなく、尾瀬様に尽くしたいから御奉仕するのです」

「だから、お前のソレは──」

「好意ではありません。私が尾瀬様に好意を持つ等、過ぎた真似。烏滸(おこ)がましいことです」

「だったら、何なんだよ。……お前のソレが好意じゃないなら、何の為に俺に付き纏うんだよ」

 

 俺はいつの間にか苛々しているらしく、声を少しばかり荒げながら問う。問い質す。

 女の子は夕陽をバックに、その瞳に確かな意志を宿して、俺にこう言った。

 

「信仰です」

 

 

 

 *

 

 

 

「どうしたよ。そんな疲れた顔して」

「……よう、西(にし)じゃないか」

 

 教室にて、机で頬杖をついていると、俺の前に同じクラスのダチの西が、今日もヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながら俺の肩に手を置いてきた。こんな奴が女子にモテるのだから世も末だ。と俺は思うね。

 

「いや、な。最近、少し困っている事があってよ」

「……金沢さんか」

「何で分かったんだよ」

「そりゃ、ちょっと頭を使えば分かるさ。普段ならばお気楽能天気なお前が困る→普段には無い何かが起きている→お前の近くに最近金沢さんが現れるようになった→お前の表情が少し迷惑そう──って具合にな」

「西、お前の家族って探偵だったりすんのか」

「本当に探偵だったらもう少し隠すさ」

 

 誰がお気楽能天気だよ、とツッコミを入れるのも忘れて、軽薄脳足りん馬鹿こと西による華麗なる推理に感嘆の息を漏らす。次の授業が始まるまではまだ5分程時間があるので、もう少し西と話してみる。

 

「……迷惑そうに見えるか?」

「おう。あからさま過ぎて、何で金沢さんは気にせず居られるんだってぐらいにな」

「……はぁ」

 

 色々な意味を孕んだ溜め息を吐くと、気にするなと西が俺の肩を叩いた。

 

「お前は悪くないよ。ただ金沢さんは──」

「?」

「……いや、これは金沢さんのプライベートに関わるからな。言って良いものか」

「何だよ。気になるだろ」

 

 アイツに関わる何か。別にアイツの事何ぞ好きでも何でもないが、気になるのは確かだ。

 西を強請り、強引に聞き出す。すると、西は重たい口をゆっくりと開いた。

 

「……宗教やってんだよ。金沢さんの家」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 色々自分なりに、不完全ながらも人伝てやらネットやらで調べてみると、どうやら西の言っている事は一定以上の信憑性を秘めたモノだという事が分かってきた。50人に聞けば1人はぼんやりと知っていて、ネットで頑張って探せばようやくヒットする──その程度ではあるが、西の虚言だと割り切るには不可能なくらいには、あの発言の裏付け(証拠とも言える)を見付ける事が出来た。

 ()()あって疲れた、放課後。帰りのHR後にすぐさま席を立つ気にはなれず、椅子に座ったまま顔を伏せてから30分が経過。スマホを弄ったり顔を伏せたり、生産性の無いことをやっていると、先程まで黙ってこちらを見ていた金沢がようやく声を掛けてきた。

 

「尾瀬様、どうか致しましたか?」

「この疲れ切った表情見て分かんねぇか」

「……もしや」

「絶対合ってないからそれ以上口にするな」

「分かりました」

「……はぁ」

 

 息を吐きながら肩を落とす。今までにも何度かやってきた遣り取りなのだが、毎回的外れな、金沢にとって都合の良い解釈をしてしまうので、未だコイツが正解に辿り着いた試しは無い。

 

「……花奈(はな)

「はい!」

 

 コイツに言い聞かせる時には、コイツの名前を、金沢の下の名前を呼んでやる。そうすると、コイツはより一層背筋を正し、俺の返事に3割増しで声を張るようになる。聞いた事をこれからもキチンと胸に残しておくかは別として、俺は大事な話や真面目な話をする時には度々この手法を用いている。

 

「はっきり言って、俺はうんざりしている」

「と、言いますと」

「お前の、信仰だか何だか知らないが、必要以上に俺に付き纏うのには、もううんざりしてる。関わるなとは言わないから、頼む。もう少し普通にしてくれ」

「私は、普通にしているのですが」

「お前のソレは、普通じゃないんだよ。普通の奴は、必要以上に他人に付き纏わないし、必要以上の世話は焼かない」

「ですが」

「聞け」

「はい」

 

 金沢の言葉を自身の声で遮ると、金沢は何か言いたそうな顔をしながらも、俺に発言権を譲った。

 

「このままじゃ、俺はお前を嫌いになっちまう。お前が近くにいる事を心底嫌悪するようになっちまう」

「そ、そんな!」

 

 表情に絶望を滲ませた金沢が、身を乗り出す。

 そんな金沢に、手のひらを前に出して制止。

 

「よく聞け」

「……はい」

「普通にしろ。これからも俺のそばにいたいとか宣うんだったら、せめて普通にしてくれ」

 

 言い告げて、急ぎ足で鞄を持って教室から出る。

 金沢は、付いてこなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

「気にしているのか」

「……西」

 

 あれから、数日経った後の放課後。

 家に帰ってもする事も無いので、何をする訳でもないまま机に顔を伏せていると、西が俺の前の席に座って声をかけてきた。

 

「気に病むくらいなら突っぱねなきゃ良いのに」

「……そうもいかないんだよ。どこかでああしないと、俺と金沢の関係は更に複雑に拗れていただろうし」

「必要だったと」

「あぁ」

「そんなに、心に傷負ってるのにか?」

「……そうだよ」

 

 四文字返すので精一杯な俺を見て、ケラケラと笑う西。その様子に何だかムッとしてしまい、次に出る台詞が不機嫌になった。

 

「っつうか、何しに来たんだよ。俺をからかいに来たんなら──悪いけど、仲が悪くなるだけだぞ」

「そんな訳ないだろう。俺だって、お前という友達を無くすのは惜しい」

「……じゃあ、何の用だよ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ッ」

「知りたくないか?」

 

 知りたくなんかない。

 苛付きのあまり反射的にそう返してしまいそうになるのを抑え、喉まで出たその言葉を呑み込む。それから、返事。姿勢を正して、返事。

 

「知りたい」

 

 西に勘違いされてしまうかも知れないという懸念や恥をかき捨て、返事。別に金沢の事なんぞ好きでも嫌いでも何でもないのだが、俺があんな風に突っぱねてからどうしているのか──どんな風に生活しているのか気になっているのは確かだ。俺は、不良に絡まれているあの現場で初めて金沢を知ったので、奴がどんな風に、平常ではどのように高校生活を送っているのかは気になる。

 要らん忠誠心を持ち合わせていない金沢がどんな人物なのか、とても気になる。

 だから、知りたい。

 

「この前、一人で廊下を歩いているのを見かけてな。その様が不審に見えたものだから、興味本位でついて行ってみたんだ」

「おう」

「見かけた二年生の教室がある階から一階まで降りて……今は物置になってる、資材室ってあるだろ?」

「あるな」

「そこに、入って行ったんだよ」

「鍵は掛かってなかったのかよ」

「いや、ドアの近くの小さな窓から入って行った」

「高い方?」

「勿論低い方──話を戻すぞ」

「おう」

「俺までその小窓から入って行ったら尾行がバレてしまうから、壁の小さな突っ張りに足を掛けて、頑張って高い方の小窓から中の様子を見てみた」

「それで」

「……」

「おい。それで、どうなったんだよ」

 

 会話文だけの展開も終わり、これから金沢の行動の核に迫ろうとしていた所で、西が突然黙ってしまった。続きを促すが、西は一点に視線を定めたまま微動だにしない。何を見ているんだと、西の視線の先、つまりは俺の背後へと振り返ってみる。

 

「うぉっ──金沢」

 

 噂をすれば。

 不気味な程に無表情の金沢が、俺の背後に立っていた。

 右手には一本の筆が握り締められている。

 

「……尾瀬様」

「ど、どうした」

 

 まさか、今までの話が、全て聞かれてしまっていたのではないか。そんな懸念もあり、背中に嫌な汗をかいてしまう。平静を装って返答すると、金沢は意外にも、俺らの会話については触れてこなかった。もしかしたら聞こえていなかったのかも知れない、と(ぬる)い可能性が脳内で浮いて出てきた。

 

「……少し、少しばかり、お時間をいただけませんか」

 

 会話をしてみると、金沢の様子がおかしい事に気が付く。

 いや、今までの行いが普通だったかと言われれば確実にそうではないと言い張れるのだが、今回は輪をかけて、金沢の様子がおかしいのだ。今までの行いが霞むくらいには、様子がおかしいという事なのだ。

 

「時間……」

 

 考える振りをして、西の顔色を窺う。西は、唇の動きだけで『行ってこい』と返した。

 

「……分かった。良いぞ」

 

 座ったまま、了承。もしかしたら、西の前でも済ませられる用事なのではないかと一縷の望みに託してみるが、金沢は「では、付いてきて下さい」と教室から出て行ってしまった。どうやら、二人きりでないと駄目らしい。

 途轍も無い程に嫌な予感。

 しかし、良いと言ってしまった以上は撤回なんぞ出来る訳がないので、渋々付いていく。

 西を置き去りに、階段を降りる。降りて降りて、一階まで降りる。それから到着したのは、西との会話で出てきた資材室。金沢はこの中で何かをしているのだろうか。西の話はここで終わっているので、やけに緊張する。金沢という、けして無害とは言えない──最近はめっきり会っていなかったが故に変な距離が空いてしまっている人物と二人きりなので、当然と言えば当然なのだが。

 

「……で、何だよ」

「中にお入り下さい」

「どこから入るんだ」

 

 それは勿論、下の小窓から。しかし、あくまでも俺は西とは金沢の話をしていない体で話を進めなければ──しらばっくれなければならないので、そう返す。が、

 

「先程話していたではないですか」

 

 抑揚のあまり無い声色の金沢の台詞に、背筋がヒヤリと冷えた。これ以上しらばっくれるのは悪手だろうと、先陣切って小窓を潜る。

 初めて入る資材室は、その名の通り資材(訳の分からない)が沢山本棚に並んでおり、掃除もされていないらしく、空気が埃っぽかった。

 

「……」

 

 部屋の中央。

 折りたたみ式のテーブルなどが端に追いやられ、何も無いスペースに、デカデカと魔法陣(のような何か)が描かれていて──奴は神を信仰している筈なのに、何故魔なのだろうか。それとも俺が知らないだけで神様関連でこういったものがあるのだろうか──その周りには、どこかで見た事のある文具やノート、それから捨てた筈の服やら何かまで、何らかの法則に従って並べられていた。

 すたすた、と金沢が俺を追い越し、魔法陣(みたいな何か)に向かって歩き、その前で跪いた。それから、ずっと握っていた筆を一度床に置き、一礼。何をしているんだと疑問に思った時には、金沢はカッターで自分の手首を掻っ切っていた。

 ボタボタ、と床に金沢の血液が滴り落ちる。やがて出来た小さな血溜まりに、金沢は血液を失ったからか痛みからか、若干震えている手で筆の先を付けた。まるで書道の授業のように、何の躊躇いも無く。

 血液の付いた筆で、魔法陣に何かを書き込んでいく。書き込みながら、何やらブツブツと呟く。呪文か、それとも独り言か。どちらにせよ不気味だ。

 黙っているのも限界が近付き、魔法陣への書き込みが終わったのを見計らって口を開く。

 

「これを、見せたかったのか」

「見せるだけが目的ではありませんが……まぁ、そうなります」

 

 後は何が待っているんだと内心ウンザリしながら振り返ると、立ち上がった金沢が、俺の隣を通り過ぎ、つい先程俺と金沢が通った小窓の枠を力いっぱい蹴った。

 

「何してんだよ」

「窓の枠を曲げました」

 

 勿論、窓枠を曲げたくらいではこの部屋は密室にはならない。その他に窓なんて何枚でもあるし、ドアだって内側からなら解錠できる。その気になれば、俺は逃げ出す事は出来る。

 しかしそれは、逃げ出す時に数秒間足を止めて金沢に背中を向けてしまう危険性を孕んでいるのだ。

 取り敢えず、背中(視線)晒さない(逸らさない)ようにと身構える。金沢は、ポツリと語り始めた。

 

「尾瀬様より、厳しい御言葉を頂いた後、私はとても悩みました。これからどうすれば良いのか。どうすれば尾瀬様に迷惑を掛けずにお側に置いていただけるかと、夜が朝に変わるまで悩みました」

「……」

「そんな時、お父様とお母様よりの教えをふと思い出したのです。『神は死して神となる。生という概念を超越し、我々を導く何かになるのだ』と」

「……つまり」

「尾瀬様。今の尾瀬様は、真の尾瀬様ではありません。尾瀬様は()だ、生というしがらみに囚われてしまっています」

「じゃあ何だよ。俺は生きてるから、お前にキツい事を言ったってのか」

「はい」

 

 はいじゃねぇだろ。

 兎に角、こんな人気(ひとけ)の無い場所にホイホイついてきてしまった俺も大概だが、事態はどうやらおかしな場所へと帰結しようとしているらしい。ジリリと摺り足で数ミリ後退してみるが、あまり意味が無い事に気が付く。

 傾いた太陽は色を変え、資材室内に浮いた埃を輝かせる。

 

「気味が悪い事抜かしてねぇで、病院に行くぞ。その手首、もしかしなくても痕が残る」

「関係ありません。今は、尾瀬様の事が最優先です」

「……信仰か」

「恋愛です」

「は?」

「……どうやら、私も段々と可笑しくなってしまっているようです。私が尾瀬様に恋心を抱くなど、烏滸がましい真似ですのに」

 

 ここに来て金沢は、珍しく焦ったような表情を見せた。出会った当初は俺への感情を信仰で表現してみせた金沢が、今ここに来て本心──無意識の内の心情が溢れたのだ。

 時間が無い。

 どうしよう。

 早く尾瀬様を。

 ブツブツと不穏な独り言を呟きながら頭を搔き毟る金沢。バレないように、出入口であるドアの方にジリジリと近寄りながら、今からでも西に助けを求めようかとポケットの中のスマホに手を伸ばす。

 

「尾瀬様」

 

 伸ばした手が止まる。

 

「尾瀬様を知らぬ間に愛してしまっていた不敬を、尾瀬様に愛されたいと、抱擁の末に優しい接吻をしていただきたいと思ってしまった私をお許し下さい」

 

 斜陽に照らされ、神に祈るように片膝を付いて両手を握る金沢。その様子にたじろぐ俺は、後退する事しか出来ない。スマホで助けを呼ぶなんて、とてもじゃないが出来やしない。

 背後のドアまで後1メートル。

 

「私は、幼き頃より、神を信仰する術を教えられてきました。恋愛は汚く、唾棄するべきものだと。生まれてから死ぬまで処女を守り通し、信じるべき神へと純潔を誓うものだと教えられてきました。私はその通りにし、今まで過ごしてきました」

 

 ゆっくりと近付いてくる金沢。それに合わせて、俺も後退。

 背後のドアまで後80センチメートル。

 

「我が家にある協会で毎日祈りを捧げるだけの日々。そんな折、尾瀬様に出逢いました。窮地を救って下さった尾瀬様を一目見て、私は確信したのです。嗚呼、尾瀬様こそ私が信じる神様なのだと。尾瀬様に祈り、信仰し、一生を捧げる事こそ私が生まれた意味なのだと」

 

 懐古する金沢は、目を閉じながらも確実に近付いてくる。それに合わせて俺も後退。

 

「尾瀬様の為に何かをし、仕え、尾瀬様に褒めていただく事が最上の喜びでございました。これから先も尾瀬様のお側で、尾瀬様の為に生きる、そのつもりでいました」

 

 後退。

 

「しかし、私は尾瀬様に否定されてしまいました。言われた当初こそ裏切られたような気持ちでありましたが、一晩考え、私は気が付いたのです」

 

 後退。

 

「これは試されているのだと。これからの私の行動を、尾瀬様は試しているのだと。気が付く事が出来たのです」

 

 後退。

 

「なので、尾瀬様。私が尾瀬様を神様へと返り咲かせてみせましょう。尾瀬様は何らかの理由があって人間という器に堕とされた仮初めの存在。生という檻から抜け出す事によって、神に成れる。元に戻れるのです。しかし、自害は禁忌。私が尾瀬様を解放しなければ、尾瀬様はこのまま。任せて下さい。私が今すぐ、尾瀬様を神様へ、真の意味で神様へします。なので、どうか動かないようお願いします。身体はなるべく傷が少なくしたいのです。その方が、後に信者が増えた際に色々好都合ですので」

 

 何だ。金沢は、何を言っているんだ。何故金沢は、意味の分からない事を信じ切っているんだ。俺の本意だと思い込めるんだ。

 金沢は、正常ではない。早く逃げないと。

 背中に感じる硬い感触。そうだ、後ろ手に鍵を開けてしまえば逃げられると手で鍵の位置を探ろうとした所で、金沢が俺の顔を両手で優しく包んだ。

 

「ま、待て!そ、そうだ、花奈!止まれ、それ以上近付くんじゃねぇ!」

「……尾瀬様。人間としての最期の言葉に、私の名を呼んで下さった事、とても嬉しく思います」

「聞け、花奈!頼むから──」

「尾瀬様。×××××××××××」

 

 下方から金沢の顔が段々と近付き。

 耳元で何かを囁かれ。

 瞬間、強烈な痛みに襲われた。

 

 

 

 

 

 

 




まず始めに、リクエストを下さった名無し34号さんに感謝を。ありがとうございました!
リクエストは、『主人公が助けた宗教家の娘のヤンデレ』でした。中々挑戦しない種類のヤンデレで、話の展開にはあーでもないこーでもないと四苦八苦しましたが、やれるだけの事は出来たのではないかと思っています。金沢さんがきちんと愛を伝え、尾瀬君がそれをキチンと聞けていたならば、ラストはまた違った形で迎えたかも知れませんね。
嬉しい事に、10000UAずつリクエストを募集させていただいているのですが、リクエストが追いつけないくらいにUAが増えているので、私が引退しない限りはリクエストを募集しない事は無いと思います_φ(・_・
次のリクエストがいつになるかは分かりませんが、その時はまたよろしくお願いします。

次のお話。

  • TS
  • 近眼
  • タイムマシン
  • 既にあるお話の続編

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