境界線上の飛翼恋離   作:クーゲルシュライバー中尉

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後悔の主

 父や"武蔵"との会話に割り込むように飛び込んできたのは、トーリだった。

 彼は周囲に構わず、驚く正純の肩を両の五指で掴んでは勢いのある早口で、

 

「助かったぜセージュン! それ今日中にやらなきゃいけねぇんだけど、マルマルコンビがいつになっても届けに来なくてさぁ!」

 

 矢継ぎ早に語りだす姿は余りにも普段と違い、顔色は非常に悪く、尋常ではない量の汗が浮いている。

 正純は思わず心配の言葉を投げ掛けたが、

 

「なぁに気にすんな、ちょっと走ったからな! ほら俺、体育とか成績最低だしよ。それより今夜、俺の告白前夜祭で騒ぐんだけど、セージュンも来ねぇ? シロが経費で落とすから飯も食えるぞ!」

 

 ……なんでどいつもこいつも食い物で釣って来るんだよ……!

 

 どうあれ、こちらは既にナイトたちからの同じ誘いを断っている身だ。仮に行くとしても、父たち議員の前で誘われたら、体面的な部分で承諾は難しい。

 まぁ、今のテンションの父ならあっさり許可されかねない気もするが。 

 

「わ、私は別で花火を見に行くんだ……! ああもう、明日は付き合ってやるからとりあえず落ち着け! 汗を拭け! ……それよりお前、本気で顔色悪いが大丈夫か?」

 

「へ、へへ……これくらい余裕余裕……! けどそっか、俺の告白する相手、セージュンも知ってるひとだからさぁ。なんとか来て欲しかったっつーか、──どうやって拉致るかこっそりモカに相談しねぇとな、って思ってたから手間が省けたぜ!」

 

 具合が悪そうにしか見えない馬鹿が、微妙に引き攣った笑顔でサムズアップを向けて来る。

 

「待て、お前一体なにする気だった!? おい答えろ馬鹿、こっち見ろ!」

 

 くねくねしながら追求から逃げる姿に、そこまで突っ込んでから気付く。

 

 ……私の、知っている相手……?

 

 どういうことだ、と内心で疑問する。

 正純が酒井から聞いた話が事実ならば、トーリの告白相手とやらはホライゾンという人物だという。だが同時に、それは既に失われた存在でもある筈だ。

 その死は十年前の出来事であるらしく、しかしトーリは新参者同然のこちらが知る相手だと、たった今告げて来た。

 その不可解に対して、訊くべきか否か、迷う。なにせ他者の生き死にに関わる話だ。少なくとも気分の良いものではないだろう。と、そこまで思い正純が再度見ると、トーリは覚束ない足取りで"武蔵"の手からエロゲを受領して、そそくさと逃げ去ろうとしていた。

 そこに声が来た。

 

「──残念だったな馬鹿。朝の卒業宣言聞いた以上、補佐としてこいつは没収だ。……武蔵総長として、口にした誓いは守らなきゃいかんよなぁ?」

 

 トーリが来たのと同じ方向、彼を追って来たらしい義腕の友人が、そう言いながら馬鹿の手からエロゲを取り上げた。

 ──伊吹だ。

 

 

+++

 

 

 追いついた伊吹は、軽く手を挙げて正純たちに挨拶を送った後、膝をガクガクと震えさせながら自己弁護を始めた馬鹿の声を聞いた。

 

「お、おいおい先走りすぎだぜ伊吹、俺は嘘なんて言ってねぇっての。──こっちは通販だからな! 支払いはもう終わってんだ、最後に買ったのが『ぬるはちっ!』なのは別に変わっちゃいねぇのさ。つまりセーフだ」

 

「先走るもなにも、唐突に走り出したのはさっきまでチキンしてたお前なわけだが……。ともあれ成る程。そう弁明されては確かに、前後関係はこれが先か。まぁ俺も買ったしな」

 

 納得の頷きは作ったが、しかし勝ち誇ったドヤ顔に腹が立ったので、エロゲは馬鹿の跳躍で届かないギリギリの高さに浮かせておくことにする。

 走狗は買い出し組の戦力として接収されたが、別に繋がりが断たれているわけでもない。いつものように演算処理をモカに投げれば、後は契約している神の常時加護で日常レベルの便利使いには事足りる。人類的には重力制御の無駄遣いかもしれないが、自動人形的にはあるものを使うのが当然なので、つまり今の自分は"武蔵"とお揃だ。何も問題はない。

 

 ともあれヒョコヒョコと跳ねさせて馬鹿の気を紛らわせつつ。いっそこのままエロゲを餌にして釣っていけば通りの終わりまで制覇出来るのでは……、などと伊吹が考えていると、

 ──艦首の方、そこから抜けて響くように、音が届いた。

 瞬間、戯れていたトーリが身を竦ませ、全身の動きを止める。

 来たのは、歌だ。それは聞き覚えのあるもので、

 

「通し道歌か……」

 

 呟くと正純が、ああ、と頷きと一緒に声を掛けてきて、

 

「P-01sだな。日課で朝昼午後と歌っているみたいだし、今時分くらいが丁度、午後の歌い時なのかな。……そっち、お前も知己なんだよな?」

 

 Jud.、と伊吹は肯定を返す。とはいえ、偶に様子を見に行く程度であるが。

 P-01s──あの奇天烈な自動人形。

 浅間やネシンバラなどは、『もしや』と訝しんでいるし、逆に鈴は『違うと怖い』と言って、一年前から"青雷亭"付近を避けている。酒井なども、階段で会った際はあのように言っていたが、あれは単に証拠がないから明言しないだけだろう。あっても教えない人種だが。

 ならば自分はどうなのか、といえば──初見の時点で、かつて"あの女"に叩き込まれ刻み込まれた、恐怖を始めとする諸々の感情たちが、()()の存在を全力かつ無遠慮に告げて来たため、直感というか通り魔的に確信させられた。

 ──だが、P-01sには過去の記憶がないらしい。その上で、今の彼女がそういう存在として暮らしている以上、

 

 ……真実、あの自動人形が"彼女"であったとしても。……否、他の誰であろうとも──結局あれはP-01sだ。武蔵の住民の、ただのP-01sでしかない。

 

 まるで言い聞かせているようだ、と己の内で軽く自嘲が起きる。だが事実でもある。

 そのあたり、つい先程、()()()()()()と言っていたこの馬鹿は──とそこまで思い、伊吹はトーリに視線を向ける。彼はこの場と状況に加え、歌声の追撃によって完全にへたり込み、いよいよ顔が土気色に近付いていた。その馬鹿は、うねうねと這い摺りながらこちらの足元に絡み付いて来て、

 

「な、なぁ伊吹……俺もう駄目だ……。は、はやくアレを、アレをくれよぉ……! アレがねぇと俺……!」

 

 息も絶え絶えにガクガクとこちらを揺さぶる姿に、流石にそろそろ限界の様子を見た。まぁ、かなり頑張った方だろうと、そう思う。でも品垂れかかるのはキモいから止めろと言いたい。

 近く、正純がこちらとトーリを交互に見て、

 

「お、おい、こいつ本当に正常か? これなにかヤバい薬キメたりしてないよな……?」

 

「あぁ!? なに言ってんだセージュン、奏塡(インストール)キメて夜までブースト入るのはむしろここからが勝負ってもんよ!」

 

 だからハリィ、と馬鹿が急かしてくる。それに適当な返事を返しながら半眼を向けつつ、配送表曰く『教材』らしきエロゲを手元に寄せ、

 

「ほーれ、取って来ーい。……あ、いや、別に戻っては来なくていいが」

 

 元の方角──"後悔通り"の入り口側へ向けて高く、緩やかな軌道を描くようにぶん投げた。

 

「きゃいんきゃいん!」

 

 微妙に上手い鳴き声とともに、馬鹿はそれを追いかけ戻って行く。

 ギャグ挟むとやたらスペックが跳ね上がる存在なので、エロゲが地面に激突してお亡くなりになることもないだろう。

 ──愚弟が通りに入ったのなら、きっと喜美も近くに降りて来ている。ならば後は、とりあえず自分が戻るまでは自称賢姉様が適当に褒めたりなじったりすることだろう。と、内心でトーリを多少は労いながら、地味に高速で四足歩行する後ろ姿を見送った。

 

 

+++ 

 

 

 残った伊吹は、あらためて他の面々にも声を掛ける。"武蔵"がこの場にいるのは彼自身の頼みなので置いておくとして、

 

「それで、うちの馬鹿が少し騒がせたが。正純に──ノブタン、コニタンも。どうした、こんなところで」

 

「あ、ああ……まぁなんだ、ちょっとな。調べ物というか。しかし奇遇だな、伊吹。うん、奇遇だ。奇遇だなぁ!」 

 

「んんっ、それは一体誰のことかなぁ!? 名前は正確に呼ばないといかんぞ? ああ、いかんとも!」

 

「やぁ、伊吹君。いえ、私たちはほら、夜の件もあって会合に向かう途中だったのですが。通りの半ばに"武蔵"さんがいたもので、どうかしたのかと少々興味を引かれまして。ついそのまま世間話などを」

 

 届く返事は三者三様。正純がやや挙動不審な気もするが、よくあることだ。

 なぜか父親の方も狼狽えた様子だったため、もしやと確認の意味を込めて"武蔵"を見る。すると頷きが来て、納得を返した。

 つまりは、往生際の悪い中年親父が約一名いるらしいので、

 

「どうしたノブタン、いつもとノリが違うじゃないか。具合でも悪いのか? 具体的に言うと、『隠していた素顔を正純の前で暴露された直後』みたいな顔色してるぞ。──ああ、安心したまえ。"武蔵"を唆したのは当然この俺だとも!」

 

「貴様かあああああああああああ──!!」

 

 ネタばらししつつ煽りを入れると、馬車から乗り出す勢いで胸ぐらを掴まれ、力の限り揺さぶられる。裏でドン引いている正純の視線を受けながら、こちらは両手をくねらせつつゲラゲラ笑い、

 

「ははは随分な喜びようだな。なに、以前から会合後とかで酒入る度に、「絶対正純に嫌われてるううううう! 貴様同級ならなんとかしてくれてもいいだろおおおおおお!?」とか絡んで来たのがクッソウザ……いい加減対応面倒だったから、要望通りに仲を取り持ってやろうとな? ──保つ体面もなくなりゃ素直になるだろ的な。ほら感謝はどうした」

 

「他に! やりようが! あるだろうが……! 渋くて格好良くてダンディズム溢れる超格好良いパパ像をどうしてくれる貴様あああああああ──!!」

 

「今二回言ったぞこのオッサン……。親子間の空気微妙なのに、顔も合わせずそんなことばっか考えてるから拗れるんだろうに。寡黙や無愛想イコール渋いだのクールだのは、昔懐かし神肖戯画(テレビアニメ)の中だけだって現実を理解したまえよ。今時ネシンバラでもやらんわ」

 

 思わず友人を罵倒の基準か何かにした気もするが、とりあえず発狂が治まったので良しとする。ノブタン──本多・正信が、え、マジで? というやや絶望の表情で呟いたため伊吹も、マジで、と返す。

 ──そのまま振り返り、非常に疲れた感じの様子を晒す正純に呼び掛け、

 

「ほら正純。今眼前にいるこの生き物は忘れて、昨日までのお前の父親に対する印象とか、ここでちょっと言ってみるといい。前にウチで愚痴ってたやつ」

 

「は? いやいやいや! 無理に決まってるだろ!?」

 

 促したものの、あちらは慌てて掌を左右に振っては、猛烈に拒否された。今まで苦手意識が強かった相手である以上、態度を決めかねている部分もあるのだろう。とはいえ、この面倒な親子関係をさっさと改善させるには、もう遠慮なく外から全部ぶち撒けた方がマシである。というか双方の素を知っているにも関わらずもうだうだと間に立たされ続けるとか、不毛過ぎてマジでやってられん。

 しつこい催促に屈した正純が、ええ……、と困惑しながら、伺いの視線を自身の父親に向ける。

 

「いいだろう。正純──良い機会だ。私に対して思うところがあるのであれば、正直に言ってみるといい。フッ……なに、恥じらうことはない。格好良いとか、凄く格好良いとか、この父に対して忌憚なく言及して構わないとも……!」 

 

 ──まるで反省していなかった。

 どれだけ格好良く思われたいのか、と半眼を向ける。いや、正直同じ男として、気持ちが解らなくもない部分はあるのだが。

 とはいえこの面の皮の厚さが一体どれだけ保つものか、見ものでもある。と、正純が呼吸を作るのを察知しながら思う。

 その正純は気不味そうに人差し指同士を合わせながら、上目遣いの仕草を自身の父親に向けつつ、

 

「……その、冷たくて、碌に顔も合わせようとしないひと……なのだと。会っても視線や言葉を交わすこともしないし、だから──私のことは期待外れで、もうどうでもいいのだろうな、と」

 

 ──ゴフッ。

 吐血系のリアクション音を聞いて向き直ると、正信が堂々とした姿勢で固まったまま、白目剥いているではないか。

 伊吹はそれを眺めて、うむ、と頷き、

 

「以前、涙目の正純からこれ聞いた時に思ったものだ。あのオッサン、ちょっと本気で痛い目見るべきだろう──って。それでは聴衆の方々、判決を」

 

 馬車の中、小西や他の議員の皆に振ってみると、

 

「──有罪(ギルティ)

 

「──有罪(ギルティ)

 

「ノブタン、一体なにをどう迷走すればこれで自信満々になれるのですか……?」

 

「率直に申し上げまして、駄目過ぎではないかと。──以上」

 

 特に訊いていない最後の人物の、ストレートな容赦のなさがかなり素敵だ。

 そんな満場一致の咎めの声が突き刺さりながらも、放心状態から復帰した被告人は、

 

「ええい、黙れ黙れ! なんだ貴様ら、この私がチキンのヘタレでなにが悪い。んン? ……大人だって逃げたくなることはあるんだよおおおおお!? でも本当にごめんよ正純ぃいいいいいいい!! ──それはそれとして伊吹は許さん。ちょっと殴らせたまえよ貴様……!」

 

 ──逆ギレと言い訳と謝罪と八つ当たりが始まった。

 

 

+++

 

 

 正純は状況を整理する。

 エロゲ取りに来た馬鹿が去ったと思ったら、今度は友人がこちらの父と喧嘩を始めた。

 

 ……うん、わけがわからん。

 

 とはいえ、正純が愚痴や心情を吐き出した覚えのある相手──父との微妙だった間柄を知っている人物となると限られるので、正直"武蔵"の言動の裏にアレの影が見え隠れしていた部分はある。

 先程から、こちらはひたすら流されていただけだが、一応は自分のことを想っての奇行らしい。それ自体は有り難いものであるが、

 

 ……確かに抱えていたわだかまりは明後日の方向へ吹き飛んだし、ここ数分で父の存在が一気に身近に感じるようになったけれども……。これはこれで胃が……!

 

 理由は明確だ。なにせ見た感じ──普段から同級の外道どもが行っているやり取りに非常に近い。むしろノリが完全に同じだった。

 その元凶たる伊吹は、颯爽と馬車から飛び降りた父と殴り合いの真っ最中である。

 他の議員たちも、止めるどころか煽ったり、賭けまで始める始末。ほぼ全員が父の負けに賭けているあたり、結構本気だ。

 これ放っといていいのか、と若干思うが、窓際にいる小西がこちらに向けて、

 

「ああ、心配ご無用ですぞ。解りますかな、あれ、見た目が派手な割に怪我ひとつないでしょう?」

 

 言われて視線を向けると、両者とも先程からやたらと光ったり、吹き飛んだり、爆発したりとしているが、無駄に元気だ。

 つまりは、

 

「なにかの術式ですか?」

 

「Jud.、リアクションを取ることで衝撃やダメージを演出(エフェクト)として変換するもので──まぁそちらの総長のボケ術式と似たようなものですな。主に特撮の撮影などで使われている感じで。ええ、つまりは子供向けの()()()用と言いますか」

 

「つまり年甲斐もなく遊んでいるだけです。──以上」

 

 身も蓋もなかった。

 それは置いておいて──しかし、と静かに呟きを漏らした小西が、やや真剣な表情をしながら通りの入り口を見詰めている。釣られて正純も視線を向けると、そこには土下寝状態でエロゲを天に翳すトーリと、屈んでそれを小突いている喜美の姿が見える。

 いつもの馬鹿姉弟だったが、遠目からでも解る程度には、姉の表情が少し優しげな気配を帯びているのを感じた。

 それに対して、 

 

「まさか"後悔通り"の主がここに来るとは……。正直、驚きを隠せませんなぁ」

 

 ……"後悔通り"の、主……?

 

 "後悔通り"は間違いなくここだ。その主となると──つまり後悔の持ち主。

 追い掛けていた事柄に繋がる言葉に、正純は思わずそちらへ振り向く。同じように小西もこちらに合わせて向き直り、しかし彼は俯きながら、

 

「……公にはなっておりませんが、十年前、ここで事故があったのですよ。──その結果として、ひとりの少女の命が失われました」

 

 あっ、と声とともに思い至るものがある。思えばここまで、そのことばかりを考えていた気がする。だから自然とその名を、思考から漏れるような囁きで、

 

「ホライゾン──」

 

 近く、木陰に隠れた石碑に意識を向ける。見える文字の名は、ホライゾン・A。

 ご存知でしたか、という声に対し、正純が肯定とも否定ともつかない反応を取ると、察してか小西が軽い説明を寄越してくれる。

 

 ──ホライゾン・アリアダスト。

 聖連への恭順を示すため、姓の加護を捨てる。三河の君主となった際に元信公は、松平の文字を逆読みにして、更にはそこから頭文字を消し去った。そうして残った新たな名こそがアリアダストである。

 とはいえ結局、松平の名自体は、君主として認められた元信公に返却された。が、アリアダストの名も同時に残った。武蔵において身近な部分では、教導院などがまさにそれだ。

 

 そして、その姓を持つ少女が存在したとなれば、

 

「……では、元信公に内縁の妻と子がいたと言う話は──」

 

 言うと、別の方から声が来た。

 

「事実だ。……当時、彼女を事故に遭わせた馬車というのは、よりにもよってその元信公の乗った馬車でな。遺体はそのまま三河へと引き取られ、こちら側には遺品のひとつもない。──彼女と親しかった者たちは、亡骸に別れを告げることすら許されなかった」

 

 言葉をくれたのは、父だった。やるだけやって飽きたのか、気付けば伊吹と並んでこちらの近くに立っている。

 真面目な内容を口にして威厳を繕っている様子だが、肩で息をしているため、あまり成功はしていない。それを見てふと思った正純は、隣にいる友人の方に、

 

「……どっちが勝ったんだ?」

 

「無論、俺だが」

 

「私に決まっているだろう」

 

「「…………」」

 

 不意の一言で大きな子供ふたりが再びメンチ切り始めた。

 確実に余計なことを言ってしまった自覚があるので、正純はなんとか両者を宥める。すると伊吹が、こちらと小西をそれぞれ一瞥してから、

 

「まぁ元々トーリは今日、"後悔通り"を克服する腹積もりでな? 克服したがっていた、って方が正しいかもしれんが。それで"武蔵"に頼んで──」

 

「Jud.、先程の正純様の「なぜこんな場所に」との疑問にお答えしますと、つまり伊吹様のご要望によるものです。トーリ様がこちらに来られるのであれば、とホライゾン様の墓碑周辺の清掃を任されました。──以上」

 

 葵・トーリ。正純はつい先程彼に会った。明らかに様子が変だったが、なぜこの流れでその名が出て来るのか。

 

 ……なにも知らず、解らないのは私だけ、か。

 

 コミュニケーションから逃げていたツケだよなぁ、とあらためて思う。自分は母親似で間違いないだろうが、そういった部分は案外ここにいる父に似たのかもしれないと、今なら少し思える。

 すると一息の後、腕を組んだ格好を作った伊吹が、どこか憂う表情で父たちの乗る馬車を見上げ、次に正純を──こちらを見た。

 

「馬車は止まってた。事故なんて起きようがない。──けどあの馬鹿は、父親の乗った馬車の前にその子供が飛び出す姿を見て、真っ青になっていたよ。黙って見ていられなかったんだろう。少なくとも、それまで一歩も踏み出せなかったクセに、思わず走り出してしまうくらいには」

 

 なにせ、

 

「ホライゾンを轢いたのは松平・元信の馬車だが、その原因を作ったのはトーリで──以来あの馬鹿はずっと、あの日の後悔と隣合わせだ」

 

「え──」

 

 驚愕に対する呟きとは別に、頭では即座に理解が起こる。

 "後悔通り"。ホライゾンが死んだ場所。トーリが克服するべき場所。トーリがホライゾンを死なせたという場所。──葵・トーリが、後悔を刻んだ場所。

 

「言葉遊びだな。"後悔通り"と後悔する葵・トーリとで、二重に。全く、誰が言い出したものか……」

 

 嘆くような父の声に、伊吹は眉を下げた曖昧な笑みを浮かべ、

 

「上手いこと言ったものだ。実際、最初に言い出した奴はどこの誰か……。とりあえず顔だけでも殴っておきたいのだが」

 

「なにを言っているのですか伊吹様。──まずはボディからと教えたでしょう。──以上」

 

 気持ちは解らなくはないが止めろ、と両手の仕草で諌める。そして"武蔵"は少し黙っていて欲しい。

 それより続きだ。一体なにがあったか、トーリがなにをしたのかを問うが、

 

「……正直なところ、完全には解らない。当時は式典の祭りで、喜美も先に出ていて、俺や智も四六時中つるんでいたわけじゃないから。あの馬鹿は傍から見てもバレバレだったから、皆で遊ぶ前にふたりっきりにしてやるか、的なガキながらのお節介もあったのかもしれない」

 

 本当に余計なお節介になってしまったが、と彼は静かに言う。

 続けて父が補足するように、

 

「目撃者の話によれば、ふたりは喧嘩をしていたそうだ。泣いているホライゾン嬢と、その背を必死に追い掛ける少年の姿は、今でも記憶している者も多い。そうして、そのまま森から飛び出して──」

 

 言われて、向けられた視線を追う。それは丁度先程、正純が飛び出してきた場所だ。

 危ないだろう、と父は言った。あの時は悲観的に考えたが、今思うに、つまりはそのままの言葉だったのだろう。

 そして、

 

 ……だからあいつ、あんなに顔色悪かったのか。

 

 そんな経験、間違いなく傷になる。伊吹が言ったように、父の馬車がいたのもあって、恐らくはこちらの姿が当時のものと、一瞬であっても重なってしまったのだ。

 こちらの理解を肯定するように、伊吹が頷く。

 

「ついでにトーリ自身、その時死にかけてな。ほら、あいつ気が付いたら全裸になるの、正純もよく見るだろう」

 

 見たくて見ているわけじゃない。というか見たくない。

 思わず向けた半眼を無視して伊吹は、彼特有の肌を出した制服、その肩口部分の繋ぎ目を軽く撫で、

 

「あいつの左肩の傷跡、原因はその時の事故だ。剣とかは持てないが、痛みはないし──料理と器のサーブ出来るし別によくね? って本人は言ってるが」

 

 トーリの左肩には裂傷の跡がある。それは正純も知っていたし、過去の事故だとは聞いていたが。

 

「……その際、彼も一緒に運ばれましたが、三河から戻ったのは彼だけでしたな。それからはずっと……」

 

 後悔。後悔。ただひたすらに後悔に苛まれる日々。

 その筈だ。自分も──否、この武蔵に行き着く多くは、そういうなにかを抱えているのだろう。上手く馴染めないなりに外側から見ていた分、朧気にだがそう理解している。

 だが彼、トーリは、

 

 ……どうして今、あんな風に笑っていられる。いつもみたいな、馬鹿な真似が出来るんだ……?

 

 見ると、通りの入口にいる馬鹿がこちら、というか伊吹に向けてサムズアップをしている。──姉の方は、作った拳の人差し指と中指の中間に、親指を差し込んだポーズを向けているが、自分にはよく解らない。多分知らない方がいい。

 対する伊吹は微妙に震えながらあちらに向け中指を立てているが、その表情は煽るような、普段皆と戯れている際の笑みと同じものだ。

 他もそう。"武蔵"はセメント系なので除外するが、近くの小西や馬車にいる議員、あの父でさえも。トーリを見る際、正純が見たこともない呆れの、しかし親愛に近い感情を持った笑みを浮かべている。

 

 ──何故。

 なぜだ。

 上っ面だけを見れば、トーリが軽い、適当な人間だからで片付くのかもれない。後悔だって、それこそ元信公に押し付けてしまえばいい。しかし、それならば克服という言葉は出ないのだ。彼は今この瞬間であっても後悔を続けていると、伊吹の言葉からも読み取れる。

 なにより、

 

 ……背を向け、なにもかもなかったことにして逃げるような人間に──支持なんて来ない。

 

 葵・トーリは武蔵の総長だ。生徒会長でもあるのは、立候補した彼を見て正純が辞退したのもある。

 ──そこには支持があった。当時は単純に、馴染みのある人間がやるほうが物事の通りが良いだろうと思ってのことだが、人々は彼を受け入れていた。いくら武蔵の総長が『無能』から選出されると言っても、限度というか、能力が基準にならないのであれば──後はひととなりだけだ。

 そして、その一点で支持を受け、それが続いているからこそ、今でも武蔵の総長兼生徒会長は葵・トーリのままでいる。

 だから、

 

「……なんであいつは、いつも馬鹿みたいに笑っていられるんだ? そしてお前や皆は、なぜその姿を支持出来る。信じられる」

 

 正純としても別段、トーリを非難したいわけではない。当時の出来事には関わってすらいない身で、そんな資格もない。あるのはただ疑問。ひたすらに解らなくなってしまっただけだ。

 ──縋るような瞳で、伊吹を見詰める。

 知りたい。そう、ただ知りたい。伊吹や、皆のことが。それだけだ。だから最初は怯えながらでも、踏み込もうと決めたのだ。だって仲間外れは嫌だし、独りはもっと嫌いだ。そのあたり素直に自覚出来るようになったのが、友達二号と三号が増えてやっとなあたり、大分アレな感じではあるが。

 問うた相手は、どこか困ったように苦笑しつつ、しかし言葉をくれる。

 

「──馬鹿だからかなぁ」

 

 ……は?

 

 どういうことだ、とこちらが呆然としていると、そのまま彼は繰り返す。

 

「あの馬鹿は昔から本当に馬鹿でな? 馬鹿にも限度があるだろってくらいにはガチでどうしようもない馬鹿だったんだが……」

 

「そう言う伊吹様も、ぶっちゃけトーリ様やホライゾン様の影響で、今では相当なものであるかと。──以上」

 

 やかましい、と伊吹は"武蔵"に半眼を向けながら、言葉だけは正純に対して告げるままで、

 

「ホライゾンが死んで、日常がひとつ欠けた。多少のいざこざもあった。クソ馬鹿が()()()に逝こうとしたり。皆の方でも、どっかの人狼がワンワン荒れたりとか。俺も色々と健全だったかはアレだし。──それでも結局、馬鹿はずっと馬鹿のままだったから」

 

 だからしゃーない、と彼は言う。結局のところ、内容は馬鹿を馬鹿にしているだけのものだった筈なのに、どうしてだろうか。

 それを語る気配は、表情は、誇らしげで。まるで宝物を自慢するかのようなもので──、

 ──それが少し、羨ましいと思った。

 

 伊吹の言葉が、誤魔化しでもなんでもないただの事実であるならば、それはつまり、

 

 ……ホライゾンの死や、その後の後悔があっても──その上で、葵の本質は変わらなかったと、そういうことなのか……?

 

 だから皆、彼に着いていく。受け入れる。

 どうなんだろう、と答えを求めるが、それは来ない。

 当の伊吹は、"武蔵"からエロゲを纏めて受け取ったまま背を向けていて、片手を掲げる仕草で、

 

「さて、俺もいい加減戻らないとな。メイドジャンルはソッコで攻略しないと"武蔵"たちがマジ拗ねる。ついでに残りのも引き取って行くぞー、クク、点蔵とウッキーの実家宛で送り付けてやる……!」

 

 先程見た光景にかなり酷似していた。

 デジャヴかよ、と正純は思うが、トーリの時と違って引き止める者はいない。

 それが出来るのは、自分だけだ。──だからそうした。

 

「……正純?」

 

「あ──」

 

 半身の仕草で振り向いて、名を呼ばれる。こちらから漏れるのはあ、だの、えっと、だのばかりで、金魚のようだなと余計なことを考える。

 なにせ咄嗟の、思わず、という行動だ。正純は伊吹の服の裾を掴みながら、幼子のように縋っている。

 

 ……さっきから私、縋ってばかりだ。

 

 言い訳だが、知りたいことがあるならば結局、それを知っている相手に訊ねるのが一番早いのだ。そして正純の交友関係は酷く狭い。下らない愚痴や、甘えを零せる相手となると、ぶっちゃけ伊吹くらいしか思い浮かばない。黒藻相手にガチな弱音を吐くのは人としてもうアレだし、──P-01sに弱味を晒すのは、割と危険な香りがする。

 一種の逃げ場として、依存気味な気もするが、

 

 ……まぁあれだ、こいつが悪いな。うん。

 

 今も彼はこちらを待っていて、驚きはあるが、急かすことはなく、ただ待っている。こちらの心と一緒に言葉が作られるまで、それまでの沈黙もなにもかも受け入れてくれる。

 酒井の言った、身内主義という言葉が思い出される。甘えても、縋っても、晒しても、向き合ってくれるし、受け入れてくれる。限定的な相手のみに無条件な、やや歪な陽溜まりの暖かさ。

 ぶっちゃけ毒かなにかだろ、とは思いつつも──友達少ないぼっちに構った時点で多分間違いなくこいつが悪い。

 

 ……でも男として振る舞ってる以上、確実に私キモいよなぁこれ……。

 

 ナルゼは喜ぶだろう。

 一瞬死にたくなったが、とにかく全部こいつのせいだな! と若干の落ち着きを得て。知りたかった事柄とは別で、ある意味本当に訊きたいことを問うた。

 ──なぁ、

 

「わ、私、今からでも、皆のなかに入れるだろうか……。つまりその──まだ、間に合うかな……?」

 

 踏み込む理由は、知的好奇心も否定出来ないが、結局はこれだ。

 怖い。

 怖いとも。

 拒絶されるのは、否定されるのは、とても怖い。正純はそれを三河で経験した故、余計に。

 震えながらの問い掛けの返答は、温もりだった。

 伊吹の手が、こちらの頭を撫でるように優しく置かれ、

 

「今夜、学校で騒ぎつつズドンとかするんだが、誘いがあっただろう。トーリもだが、こっちにもさっきマルゴットから「アチャー」的な通神文来たところだ。一緒にマルガから俺宛の罵倒も。……まぁそんな感じで皆、本当はもっと正純で遊びた──」

 

「おい」

 

「ま、正純と一緒に遊びたい、って皆きっと思ってるとも、ああ! ……多分な」

 

 誤魔化すように強めに撫で回され、ぐしゃぐしゃにされる。

 やーめーろーよー、と言いながらも受け入れてしまい、軽く遊ばれてから髪を元のように撫で付ける。しかし毎回オチを付けたがるのは病気かなにかだろうか、と思い。でもクラスの連中とか大体そうだな、と納得する。つまり病気だ。脳の。

 ともかく、伊吹の言葉に、そっか、と頷き、

 

「実は私まだよく解ってないんだが。……明日、少しだけ楽しみにしておくことにするよ」

 

 返答は、本当に嬉しそうな、笑みの顔だった。

 

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