境界線上の飛翼恋離 作:クーゲルシュライバー中尉
空、ふたつに浮かぶ満天の輝きに照らされる夜の学び舎。
辺りに光源として存在するのは設置された幾つかの灯籠くらいなもので、表示枠の残光などはむしろ幾つかの表情を妖しげに映えさせる。
絶好の肝試しスポットと化した武蔵アリアダスト教導院の橋上、昇降口前に陣取る複数の姿があった。
お約束とばかりに梅組集団がノリ良く形成した車座の中心、ひとり立ったまま仕切るシロジロが、鳴らす靴音を合図に注目を集めて声を作る。
「さて、この場にいない馬鹿が"仕込み"を隠す素振りすら見せないのはともかくとしてだ。幽霊探を始める前に怪談話などをなんと無料で、と考えていたのだが──どうにも数が足りんな」
皆が軽く周囲を見回すと、遅れている東や不参加の者を別にしても、数名の姿がこの場にはない。
単に遅れているだけでは……、と誰かが口に出すよりも先。全く、とシロジロが嘆息とともに顔を伏せた。その彼が静かに面を上げると、来るのは無表情に感情を抜いた声色で、
「──霊を探しに来た矢先に行方不明者とは、こちらの方が余程怪談だな」
全員の動きが止まった。
直後、
「フ、フフ、な、なに言っちゃってんのかしらこの守銭奴こんなの単に野郎が四人まだ来てないだけであってそこにイトケンが含まれているってことはつまり連中はただのサウナで薄い本案件よ! なんて尻アス! はい貞操終了E.R.O.! エロス……! ってちょっと、伊吹もいないのはどういうこと!? これってピンチ? 寝取られ!? フフフ私としたことが震えが止まらないじゃない……!」
「こら喜美! 確かにイトケン君はよく男の人の背後で爽やかに腰振ってアピールとかしてますけど、妄想で冤罪は駄目よ! それにあれは予備軍な御広敷君と違ってちゃんと紳士ですから、仮に迫られても合意さえしなければ大丈夫な筈!」
お前もたいがい酷ぇよ……、と皆が呟く。軽く貰い事故に遭ったロリコンが幼女の素晴らしさを熱弁し、この場にそれらがいないことにケチ付け始めるが、そこは全員無視した。
ソッコで発狂しベラベラ悍ましいことを垂れ流す喜美だったが、彼女はいつものように止めに入った浅間に対し、片手では庇いきれないサイズの両胸を懸命にガード。そして巫女に向かって指を突き付け、
「ククク正体を現したわね、この妖怪おっぱいオバケ! 自分以外の全人類を貧乳にして巫女乳の価値を高めようだなんて、そうは賢姉が許さないわっ!」
「な、なんですとぉ!? さては自分の胸部も──言ったら負けな気がするので言葉を濁しますけどつまり全部浅間さんの仕業なんですね!? いくら自分が旧派だからって、施す余地が残らないくらい奪い尽くすなんて酷いですよ! 賠償に巨乳を要求します!」
「冤罪! 完全な冤罪が来ましたよ!?」
そもそもがアデーレの極一部位に奪われる余地のある伸びしろが存在したのか、という救いのない真理はともかく。
荒ぶる喜美たちを見て、寄って来たハイディが宥めるように割って入る。彼女は大して悪びれもせず、
「えっと、さっきのはただの冗談っていうか、ちょっとした場の空気作りだから本気にしなくていいかんね? ほら、シロ君あれで結構事務的にノリノリだから……。ぶっちゃけると四人ともなんか準備? とかで少し遅れるって連絡あって。どこでなにしてるか、行方が不明なのは確かだから一応嘘は言ってないというか、まぁそんな感じなんだけど」
相方の言葉に皆の視線が、一連の流れを無言で傍観していたシロジロに向く。彼は小さく頷き、
「ふむ──怪談代わりの余興にしては些か盛り上がったな。私としたことが、金を取るべきだったか。にしても貴様ら、まだ開始してもいないのに騒ぎすぎだろう。もう少し静かに待てないのか? 落ち着きのない連中だ」
「「お前のせいだよ!」」
憮然とした物言いに、役全員からの突っ込みが入った。
「はぁ……駄目じゃないですか。ハイディもシロジロ君も、喜美がホラー視てソッコで白目剥くヘタレなの知ってるでしょう。普段生贄に使ってる伊吹君がいないのに煽ったりしたら、被害拡散するだけじゃないですか」
狂人が壊れた際の係は主に浅間か伊吹の二択であるが、巫女はさり気なく己を除外した。
既に精神的疲労を見せる浅間の苦情に、ああ、とシロジロが返す。
「確かにな。ナルゼなどは先程からネームが進んでいるというのに、私には一銭たりとも入ってこない──これは由々しき事態だ」
ほくほく顔で親指を立てて見せる黒翼の少女と、本気で悔しそうな金の亡者。違う、そうじゃない、と皆が言いたかったが──突っ込みの勢いは別に来た音に掻き消された。
音、と言っても大袈裟なものではない。大地を蹴り、踏みしめるような足音──歩くというよりも軽快な、マラソンなどに近い、緩やかな速度の響きだった。
接近してくる音源と気配に皆が意識を向けると、行進じみた走行のリズムが止む。位置としては丁度彼らのいる橋の下、日中に会議をした付近。そこから今度は強い踏みしめ動作音と、合わせて「せーの」と音頭として聞こえる知った声。
来る。
全員の思考が重なった瞬間、正しくそれは来た。
騒々しい程に複数の靴音を響かせ、それらは勢いを付けて一気に階段を駆け上がってくる。やがて皆の前に現れたのは、先程言及された、この場に足りていない仲間の面々だった。──即ち、伊吹、ノリキ、イトケン、ペルソナ君の四名。主に半裸の巨漢と全裸の禿頭が原因ではあるが、傍から見て実にムサい。
暑苦しさを感じる理由としては、彼らが担いでいるものも一端だろう。
前後にふたりずつの配置でそれぞれの肩に担がれた長柄。それによって支えられている、中央に鎮座する屋形状の駕籠。
──どう見ても
神輿ではない、乗用のものだ。四方の面々が無駄に息を合わせてドリフト回転で停止すると、仕切っていたらしい伊吹が皆に向け、挨拶としてフリーの片手を挙げて見せる。
「すまん、待たせた。──いや、ちと梃子摺ってな」
お、おう、と周囲の連中が曖昧に応答するが、まぁ然程待ってはいないので、皆それは別にいい。というより輿の自己主張が強すぎた。お前なに持って来てんだよと突っ込むべきなのだろうが、彼の隣で非常に疲れた表情をしているノリキの存在が、まずロクな理由じゃないなと梅組生徒に確信を齎す。
──そこに答えが来た。
勢いからの急停止によってふわりと浮かび上がった正面の
「フ──! むぐ──!!」
口元に布を噛まされ、全身を銀鎖で亀甲縛りにされた水戸領主──ネイト・ミトツダイラが転がっていた。
+++
まるで犯罪者を見るかのように皆から注がれる猜疑の視線を、伊吹は感じ取った。
しかしそれは間違いだ。己は潔白である。ゆえに、向けたままの掌を縦にしつつ、違う違う、と左右に振って示しながら言う。
「さては貴様ら、なにか勘違いをしているな? いいか──俺はなにも悪くない」
皆の半眼が一層厳しくなった。
──まぁつまりはこういうことである。
今夜はこれから生徒会活動という名の肝試しなわけであるが、実のところ彼女の家は夜間の外出が禁止されている。
となると自然と不参加が確定してしまうのだが、これは非常によろしくない。ミリアムのような身体的な事情や、正純のように他に予定があるのとは違う、暇なのに混ざれないという仲間外れ状態になってしまう。
由々しき事態だ。なにせ巫女や姉御は教師の許可を取った上で合法的にズドンやバコンが出来るというのに、人狼少女だけはドカンが出来ない。仮にこれが浅間であったなら、それこそ神酒の消費量が増すこと請け合いというもの。単位は樽だ。
別段、常に全員がつるんでいるわけではないものの、やはりこういうイベント事を逃してしまうと後々に後悔というか、惜しんでしまう部分がある。そして一見気が強そうながらもメンタル面に若干のヘタレ疑惑を持つのがネイト・ミトツダイラという少女なのだと、伊吹どころか身内連中は大体知っている。それこそ日々の雑談で今夜の話題に盛り上ることでもあれば、いまいち話に混ざれない彼女は、大袈裟ではあるがほぼ確実にひっそり欝る。
それはいけない。断じて許してはならない。口には出さないものの、仲間たちの大事さを自覚する伊吹にとって、ミトツダイラは間違いなく大切なうちのひとりである。人狼少女はあくまでワンワンクンクン鳴かせるものであって、泣かせていい存在ではない。──昼間のはセーフ。絶妙な見切りの精度こそがプレイの秘訣。
ともあれ結論だけ言うと、まぁ武蔵で隙を見せるのが悪い。
「ふむ。一先ず動機に関してはよくやったと言えなくもない。被害が分散するのは歓迎すべきことだからな。私としても金を使っていないのであれば特に文句もないが、わざわざ
「いや正直、モノはなんでもよかったんだが。流石に袋詰めとかは絵面が人攫いみたいでなぁ……」
腕を組んだままのシロジロが身も蓋もないことを言う。と、会話に耳を傾けながらも身動きの出来ないミトツダイラに手を這わせては浅間に叱られている喜美が、こちらを向いて首を傾げる。
「んで伊吹? アンタの尻が無事で賢姉的には安心したけど、貧乳縛っても出るとこ出てないから、食い込まないしあんま楽しくないわよ? フフ──いいわ。ビシソワーズ・葵あらため、このミネストローネ・葵が真のパイスラというものを見せてあげる! 女体盛りも可よっ!!」
狂人はスープシリーズが今の流行らしい。汁、と言い換えれば辛うじて彼女が奉じるエロ系に爪先触れていそうではある。
「前半スルーするが、とりあえず盛った瞬間にすげぇ勢いで零れそうな名前な、それ」
「いや、そこは別にどうでもいいですって。というかなんでまたミトは自分の武装に縛られてるんですか……。面倒なので過程端折りますから、伊吹くんはちゃっちゃと自供して下さい。はいスタート」
どうにもこちらの潔白をまるで信じていない風な巫女が、狼に噛ませた布を解きながら言う。
「智、ひとを犯罪者みたいに言うのは止めろ。──単に抵抗されたから力尽くで有無を言わさなかっただけだ」
銀鎖はインテリジェンス・チェーンなので、ペット同士仲の良いモカが味方に付けた。軽く下克上な気もするが、主人の充実のためである。別に銀鎖が最近出番なくて幽霊相手にハシャぎたいとかではない筈だ。多分。
……忠義って便利な言葉だなぁ。
とか思っていると、眼鏡の中央をクイッと押し上げたネシンバラが、指揮者のように両手を下から振り上げるのが見えた。
さん、はい、
「「人攫いじゃねぇか!」」
皆の突っ込みに対し──解りきっていることを言わなくていい、というノリキの嘆息が微妙に胸に刺さる。まぁ運搬だけとはいえこの男も共犯なのだが。
「伊吹! 貴方本当に、後で覚えてなさいな……! それと銀鎖は早く私を解放なさい! っていうかなぜ裏切ってますの!?」
キャンキャンと今にも噛みかんばかりの勢いで吠える亀甲狼であるが、マジ叱られるとかは置いておいてもここで
女性陣から白い目で睨まれつつも、どうしたものかと対処を考えていると、
「おーい皆! 悪ぃな、待たせて! もうオッケーだぜ!」
勢い良く開け放たれた正面玄関の扉から、ウキウキ顔のトーリが姿を現した。だから仕込みを隠せよ……、と言いたげな表情を皆は作るが、馬鹿は堂々と存在感を放つ輿の姿を確認し、
「おお! さてはオマエらやる気満々だな!? ほら早く来いよ!!」
笑みで言って、サムズアップが向けられた。それに伊吹は頷き、他の三人へと目配せ。彼らは左右へ外し、中央に移動した伊吹が背負う形で輿が安定する。ひとりで持てんじゃねぇか……、と誰かが言ったがそれは無視した。こういうのは皆でわいのわいのとやるからこそのノリなのだ。断じて拝気をケチっていたわけではない。
さて──世界には解釈、というものがある。
言葉としては、ある表現に対し、同じものの表現として別の表現を与える。あるいは、実際の置き換えを指す。
世界が歴史のやり直しを行っている以上、多くの死や滅びといったものは避けられない。が、だからといってただ再現のためだけに実際の大量殺戮などを発生させるわけにもいかない。
そうしたものへの対応として、代わりを用いて"再現したことにする"ための便利な表現である。
歴史上の重要人物の死亡はただの襲名者の引退だったり、女性に対する強姦事件は被害者に心が乙女な髭面が志願し、襲われているのは一体どちらかなのかという地獄絵図を顕現させたりと事例は様々であるが、細かい部分は置いておく。
あらためて、ネイト・ミトツダイラは基本、夜間外出禁止である。
しかしそれは、"夜間は必ず家にいなければならない"のとはまた違う。例えばそう──室内から室内。個室から個室。場所から場所へと。例えばであるが──不可能云々は置いておいて、自宅から"青雷亭"へと瞬間移動などした場合、それは明確に"外出"であると言えるのか。
要するに
つまりは、
「よし、ネイト──中に出すぞ!!」
伊吹が、教導院目掛けていっそ叩きつける勢いでミトツダイラ入りの輿をぶん投げた。
音とともに破砕を描く正面玄関。木屑を撒き散らしながら抉り滑る輿。なぜか楽しそうな馬鹿の悲鳴。
皆がそれらを呆然と見送るなか、狂人のオスはいい汗掻いたと清々しく額を拭いつつ、そのまま掌を武蔵の会計に向け、
「──経費で頼む」
言った。
「貴様ぁ──!」
+++
「ええ、まぁ、ハイ。そんなこんなで図書室前なわけですけども」
声を作ったのは、紅白を基調とした巫女装備を身に纏った浅間だった。
それ以外にも三つの姿が側にある。彼女たちは自然と、午後の買い出しと同じ面子で集った感をなんとなしに得つつ。
「つってもあたしらにゃ、余程の大物でもなれりゃ見えないわけだが。んで……さっきからアサマチが虚空に向けてバシバシ射ってるのはまぁ、そういうことなんだろうな」
「ぴぃっ!?」
いつの間にか遭遇し掛けていたという事実に、驚いた鈴が身を跳ねて隣のアデーレにひしとしがみ付く。
まぁまぁ、と半身で振り向いた浅間は、安心させる穏やかな笑みを向けながら、
「あまり気にしなくても大丈夫ですよ? 小さいのは手応えもないですし、私も妖物退治などは以前より力を付けた自覚はありますから。ええ……徘徊するモカの情報に本物が紛れているせいで、経験値が増える一方で……」
「つまり浅間さんがズドンし始めたら、状況的にヤバいってことですかね」
「それ、普段からうちの連中の大半が当て嵌まってんのはどうなんだ」
「いやまぁ確かに色んな意味でヤバいの多いですけど。実際、役職者以外にも妙に戦闘力あったりするのがうちのクラスですよね……」
巫女である己の場合は戦闘力ではなく神道パワーなので除外。なんて非力な存在なのだろう。マサが一瞬凄まじい勢いでこちらを凝視して来ましたが、ええ、理由は不明ですとも。
「他の連中もだけど、アンタがズドンするのを我慢できるだなんて楽観視してないんだよ、あたしは」
……いやいや、いくらなんでもそんな、まるで私が射ちたくて仕方ないみたいに言われるのは心外ですよ?
授業の時もだが、こちらが手当たり次第に誰かれ構わず矢をぶち当てているように思われるのは納得いかない。大体、今夜は肝試しの側面があるとはいえ、己はそもそも祓い役としての巫女の役割がメインなわけで。そう考えるとむしろ射つのを我慢するほうが間違っているのではなかろうか。先の言葉通り、他はレンチや槍に除霊用の札を貼り付けているものの、霊視が出来ない以上はいざという時に対処するのは本職である己だ。となるとやはり今のうちに一度思いっ切り射っておいた方がいい気がして来る。ほら、いざという時に失敗するといけませんし。そもそも失敗なんてしませんけど。ただまぁ一発だけなら誤射かもしれないとも言いますし? つまりウォーミングアップ含め二回までならセーフということに──。
「うーん、やっぱり難しいですね。空射ちしたところで手応えはないわけですし、逆にストレスになりそうな気が……」
「理由探してる時点で手遅れだって今のうちに気付いときなよ」
「でも確かに皆さん、やたらと張り切ってますよねー。正直『合法』ってうちのひとたちに一番与えちゃマズい餌なんじゃないかと……」
最上階であるこの場には他にいないが、下の方は
今もまさに、
『わっはー!』
『素敵よマルゴット! じゃんじゃんぶっ放しましょう!』
夜の校舎に響く魔女の声──と言うと字面だけはホラー感漂うが、雰囲気に喧嘩売っているレベルで楽しげな声色のそれは、連続する爆発音と合わせて派手なパレードもかくやといった賑やかさ。ある意味魔女の遊びの面目躍如かもしれないが、実際にぶち壊れているのは雰囲気というより校舎と窓硝子。
『こら待ちなさい! 今なら少々挽き肉になるだけで勘弁して差し上げますわよ!』
『見なさい伊吹、あれが怨霊ペチャパーイよ! いやらしい目でこっちを狙ってるわ。急いで逃げるのよ! ほらハリィ! でもこっここ、こんな場所に私を置いていったりしたらアンタ後でマジ殺すわよ! 早く抱っこ! かぼちゃの馬車馬の如く発進よぉ──! 私は可愛いシンデレラ──!!』
『くっ……俺はただ、ネイトを校舎の中に出しただけだというのに! 正義はやはり孤独なのか……! そして荷物がクッソうるせぇ!』
『フフフ寂しい夜にならなくてよかったわねぇミトツダイラ、中出しよ中出し! クリームパァァァァァァイ!!』
『それはエロ動画の検索用語だ』
『天誅ですのよ──!』
酷い雑音が届いたが、あれはどうでもいい。
ほぼ間違いなく狩りの様相を呈した命懸けの鬼ごっこと化しているのだろうが、あの
「……まぁ、多少校舎ぶっ飛ばしても除霊と言い張りゃどうにかなるしな。元から死んでんだから死体もないんだ、証拠なんてどこにもないさね」
狂人コンビの声が聞こえた瞬間、慌てて鈴の耳を塞いだ浅間に向け気休めにもならないことを直政が言う。
「それ、死体かなにか出てきたらうちのクラスの仕業ってことじゃないですか……」
乙女三人、思わず無言で見詰め合う。
巫女耳栓から解放された鈴が、よく解らないと首を傾げつつ、
「皆、楽しそう、だよ」
モカじゃないが、つくづくこの子天使ではなかろうか。などと思いながら、そうですね──と肩の力を抜いて浅間は頷く。
「とりあえず、さっさとこちらを終わらせて。それからまた、叱るなり回収するなりしつつ、皆と合流して騒ぎましょうか」
言って、礼と二拍を終えた神棚の下。邪念というかなんというか、妙なオーラを醸し出している図書室入り口の遣戸に手指を掛ける。とはいえ霊や妖物の気配でもなし、なにより伊吹は先の調子でトーリも他の班が連れて行った。であればなにかあるとしても精々が"仕込み"の類で、つまりは現実として対処が可能ということだ。
「さて」
開けた。
+++
「「新しい、価値観……っ!」」
+++
……はっ!?
浅間の脳が現実の対処を拒んだ結果、一瞬だけ正気が飛んだ。
ともあれ問題である現実の光景だが、白い布状の物体に身を包んだなにかが二体いた。ご丁寧にタイツも履いている。暗がりだというのにタイツの白さが主張するせいで、圧迫された脛から毛が幾つか飛び出して見えるのが非常に気色悪い。
それぞれ細い方は恐らく抱き枕カバー、横にデカい方はシーツかそこらだろう。
なぜ解るかと訊かれれば、いっそ潔い程に美少女キャラの絵柄が浅間に向けてポーズを向けているからだ。武蔵で最近人気の、相手の頭部を剥ぎ取る生贄大好きなキャラクターということしか浅間は知らない。充分な気もする。
知識の元はまた別で、
……ええ、確か伊吹君の部屋に同系統のものが。
同人サークル『黒髪翼』製作『浅間様が射てる』数量限定。幻の抱き枕カバーと添い寝シーツである。
幻と呼ばれる所以はカラダネタの被害者が世に出るより先に首謀者を射った後まとめて焚き上げたからだが、現存する唯一の持ち主だけが見逃された理由は誰も知らない。ええ知りませんとも。
「今我々は──彼女たちのなかにいるのですね……?」
「嗚呼……おっほ……! んん、鉄分っ……!」
悍ましい言語を発してクネクネと蠢くそれらを前に動けずいると、細い方が身悶えながら抱き枕の顔周りを白から赤に染め始め出した。
目が合った。
サイズのせいで美少女の眼球ではなく頬に空いた視界確保用の穴から、キャラクターも合わせて四つ。計八つの瞳が浅間たちに注がられ──シャカシャカと無駄に機敏な挙動で突っ込んで来た。
躊躇無く射撃をぶち込んだ。
階下から聞こえるそれらと類似した破砕の音を響かせながら浅間が思うのは、
……大丈夫。全体の被害の枠ではそれ程でもない筈……!
+++
「弁明はあるか」
仲間内での身売りや粛清その他諸々によって中庭に叩き出された伊吹は、身内の恥が一番高い……、などととぼやいていたシロジロから咎めの声を向けられた。
どうにもトーリが無駄に広大な人脈を駆使して手当たり次第に引き込んだ結果、仕込み役がちょっとした傭兵団規模まで膨れ上がったらしい。商業区で見た顔から身バレしたら割とヤバめな連中まで、正気を削るコスプレに始まり骨やらミイラの御仁やらがこちらに向け軽く挨拶してから帰って行く。そういう種族とはいえ、わざわざ幽霊探す以前に武蔵住人だけでも選り取り見取りである。
……まぁ他国とか、普通に幽霊が役職者やってるしな。
冷静に考えると本当に今更である。
"肝試し"というイベントが本体と考えれば、大事なのは騒ぐ理由の方なのは確かなのだが。
ともあれ双方ハシャいだ結果、それなりの被害が校舎に及んだらしく、伊吹としては実に解せないが、他の面々と合わせ下手人として集められていた。
トーリは既に生贄となった。
「解せんのはこちらの方だ。というか貴様が仕出かした昇降口が全体で最も軽微というのはどういうことだ……」
「そりゃあ、俺はネイトを中に出しただけだからな。ぐおお……っ!」
──こちらの全身を簀巻にする銀鎖が締まった。
実行者に抗議をしようにも、しかし頭にへばり付いた荷物で首が回らない。仮に重いなどと口にすれば冗談抜きで圧し折られることだろう。体型維持の密かな努力は知っているので流石に言う気は起きないが。
どいつもこいつも反省はおろか悪びれもしない下手人どもが並ぶ。
簀巻のまま胡座を掻く伊吹──昇降口破壊。
力尽きてその膝を枕に動かない浅間──図書室粉砕、度を越えた数のズドンの罪。
伊吹の頭部にへばり付いたまま白目剥いて気絶する喜美──教唆及び扇動。
ぷりぷりとご機嫌斜めなミトツダイラ──通過した廊下他、通路蹂躙。
きゃーこわーい、と相方と両手を恋人繋ぎにしてイチャつくマルゴット──廊下爆発。二次被害として爆風による窓硝子の消滅。
同じくナルゼ──相方の行為の助長。白魔術で強化した疑い有り。
一同を見回したシロジロが、横にハイディを侍らせつつ処置なしとばかりに鼻を鳴らして言葉を作る。
「いいか馬鹿ども、私は貴様らに金を出せとは言わん。それより今は、貴様らの足りない頭で精々屁理屈を捻り出せ。理由をじつけられさえすれば、経費で落とすのも不可能ではない」
台詞に、他で飯食ってる連中や周囲で寛いでいるのも含め、全員が信じられないものを見たという顔をする。
「馬鹿な──シロジロが金を要求しないだと……!?」
「伊吹、末世が来たのよ……。これが世界の終わりよ。せめて夏のイベントに参加したかったわ……原稿まだだけど」
それぞれが遠い目をし始めるなか、いやいや、と掌をパタパタ振ったハイディが、
「いや、だってうちには一銭も入ってこないし。私たちが儲ける分を他所に吐き出したかと思うとすっごい悔しいじゃん?」
いつも通りだった。
どうやら世界はまだ無事らしいので、それならばと伊吹が挙手を試みるも、そもそも縛られていて不可能だった。
「……ミトツダイラ。そろそろ放してやれ」
「仕方ないですわね……」
言いながら、もう一度キツく締め上げてこちらを潰れた声で鳴かせると、無事に銀鎖から開放される。
様式としてあらためて手を挙げ、それを顎の動きで指名される。頷きつつそのまま指先をミトツダイラに向け、
「──接待費」
健全極まる中出し案件については、人狼少女を寂しく夜鳴きさせないためにと決行した己の心温まる気遣いである。──つまりは体裁として領主を招いて接待だ。頭の上で「枕営業! 枕営業ね!?」とか復活早々喚く女は話が進まないのでスルー。
そして校舎内に踏み入ったということは参加──その時点でこちらの気配りを受け入れたのと同義ではなかろうか。ならば校舎内で起こった事案は総じてそこに結びつけてしまえばいいのではなかろうか。どうせ教師は宿直室で酒飲んで寝ているのだ。
と、それらしいことを適当にペラ回して見たところ、
「うーん……ちょっと苦しいけど、まぁ有りかな?」
ハイディからの支持に頷いたシロジロが、声とともに腕を前に振り抜いた。
「──よし貴様ら! こちらに御わす納豆の王に今すぐ平伏し、全力で崇め奉れ! 喜べ、安いどころかプライドは
会計の発した力強い号令に周囲の連中も息を合わせ、へへー、と皆で頭を下げる。
当然ながらミトツダイラは暴れた。
+++
とりあえず、トーリによって掻き集められた傭兵団には地味に有力者やらが紛れ込んでいる様子なので、そちらも含め全体的に接待費ということで落ち着いた。浅間が逃したという、未だに身を潜めているシーツと抱き枕などは特に怪しい。
バイバイ、と大きく手を振っている『初孫まだー?』の刺繍がある桜色全身タイツに対して、伊吹が手を振り返していると、しれっと輪に混ざっては隙のないサーブで肉の接待をミトツダイラに提供している"武蔵"が、
「先程の不審者、こちらに手を振っていましたが。よもやお知り合いですか。──以上」
「ん、まぁ俺ってか、正確には智に向けてなんだろうが。……ところで智、午後に会った知り合いの有力者が『夜の件』とか仄めかしていたのをふと思い出したんだが。いや、今のアレとは関係ないんだけどな。関係ないけど、智んとこのおじさん、智が家出る時に妙にそわそわしてたり挙動不審だったりとか、心当たりとしてどうよ。行き先不明の外出予定でも構わないが」
「あーあー、聞こえませんよ──ぅ。私はなにも見てませ──ん」
うつ伏せの姿勢で顎を乗せたまま未だに膝を占拠する巫女が、腕でロックしながらガスガスとこちらの腹に頭突きを押し付けて来る。心なしか呼吸音が荒い。そして掛かる息が生温かい。
校舎側からはミイラ脅して高笑いする喜美の声が聞こえるが、オバケもホラーも駄目なあの女の恐怖に関する基準が微妙に謎である。合流していた東がその様子を見てしきりに首を捻っていたが、理由はとしては──いつもはもっと狂っているよね、という所感。帰って来たばかりだというのに、ブランクを感じさせない見事な梅組思考に安堵と末期を感じさせる。
しかし東の感じた違和感のように、今夜の集まりの趣旨というか、前夜祭という意味を考えると、馬鹿姉としては特に思うこともあるのだろう。
……まぁ、馬鹿の方は骸骨引き連れてどっか行ったわけだが。
校舎に入るまでは見た。次はなにを企んでいるのかは知らん。
明日が本番とはいえ、一応あいつ主役じゃなかったかなぁ、などと思いつつ、
「──今日が最後の普通の日、か」
己の方は、喜美が口にした今朝の言葉が未だに頭から離れない。
漏れた出た呟きには、巫女がもぞりと顔をこちらに向けた。表情がやや朱に染まっているのは疲労のせいだと思っておく。だが涎は拭け。
半眼の指摘に慌てて口元を拭ったあちらは、こほん、と咳払いから続けて、声が作られる。
「……伊吹君は、どうなるといいと思いますか? 勿論──ええ、まあ、一応、上手く行く方が流れとしては良いわけですけど。明日というか、最終的な部分として」
「そらまぁ、最終的には合体に行き着くのでは……」
「がった……!? や、ちょ、いや、確かにゆくゆくは以前にトーリ君が我慢出来るのかすらアレですけど! そういうダイレクトなのではなく! なくてですね!?」
こいつまるで信用してねぇな……、と小声で囁く周囲に同意する。
ぺしぺしとこちらの膝を叩いて抗議する浅間だったが、深い呼吸の後、でも──と静かに前置いて、
「伊吹君、本当は解ってるんじゃないですか……? 私たちは確信に至れませんでしたけど、伊吹君にだけ見えているものも、やっぱりあるんだろうと思うんです。だって、貴方の感情は──」
ねぇ、と会話を遮るように。
不意に背後から覆いかぶさって来た喜美の唇が耳元に来て。
どうなるか、でも、どうなのだ、でもなく、
「──アンタは、どうしたいの」
……俺は、
思うのは、己のこと、"武蔵"たちのこと、皆のこと。
ここ数年──切り捨てるように生きて来た、という自覚がある。
両手に抱えきれなかった宝物は、呆気ない程に儚く、喪失へと続く。その軋みを知っているから。
なにが大事で、手放せなくて、捨てても構わないものはどれだと。頭では常にどこかで優先度を割り当てて。
ゆえに重いのは、失われてしまった誰かの価値。
当たり前のように続くと思っていた日常がほんのひとつ欠けただけで、どうしようもなく世界は寂しいのだと、馬鹿が後悔を続けるあの日に、己も突き付けられたから。
軋む。
なにかを言おうとして、なにを言うべきか、言って良いのか。
選択は、正解は、配点は。
言葉として世界に意志を送れば、目を逸らすことは出来なくなる。
答えを出すには、きっとなにもかもが足りていない。それを明日、少しでも得られればいいと。
想い、
「責任者は今すぐに出頭し賜え! 一体なんの狼藉であるかこれは──!!」
「うわぁ────ん!!」
そういう浸ったノリいらねぇから、とでも言いたげな怒号と泣き声が空気をぶち壊した。
+++
皆が慌てて声の下に行くと、泣き喚く鈴と狼狽するヨシナオがいた。
ハァハァと息の荒い浅間のために水を取りに行っていた鈴だったが、運悪く怒鳴り込みに来た武蔵王に遭遇した次第である。
「あ、いや君、だから──そ、そう、この騒ぎは一体どういう!?」
泣き出した鈴にオロオロと戸惑っていたものの、他の連中がぞろぞろと駆けつけて来たのもあり引っ込みの付かなくなったヨシナオが、更に咎めの声を大きくしてしまう。
悪手である。
「こ、このおじちゃん、き、嫌い──!!」
ぐうの音も出ない鈴の正論に、全くだ、と全員が神妙に同意した。
梅組以外も、校舎などに残っていた大量の
「おい誰だ! 武蔵の至宝である前髪枠を泣かせるなど……! 番屋──否、自動人形に通報だ!」
「なんともおいたわしい……下手人はどこの誰ですか!」
「むっ様……!? あ、ああああの麻呂野郎調子に乗りやがって! ぶち殺してくれる……!!」
知った声が聞こえた気がするが、伊吹は無視した。
と、校舎でまたぞろ暗躍に精を出していたらしきトーリも騒ぎを聞きつけたようで、
「ああ!? おいおい麻呂のコスプレした馬鹿がいるじゃねぇか! 武蔵でベルさん泣かせるとかとんだ命知らずだな!」
「総長兼生徒会長、また貴様か……! コスプレではない! 麻呂は正真正銘の武蔵王であるぞ!」
「はぁ!? 馬っ鹿オメェなにも解ってねぇなぁ……。麻呂は友達いないんだから、そもそもここにいる筈ないだろ? だって呼んでねぇもんよ。今頃部屋で体育座りしてエロいフィギュアに巻き付いてた梱包材をプチプチ潰してんだよ! つまりオメェは偽物だ。武蔵王を騙るなんて怖いもの知らずのふてぇ野郎だなぁ。王様に対する敬意とか、ちょっとくらいはねぇのか? その辺どうよ?」
「貴様だぁ──!!」
これどう収集つけるんだ……、と鈴をあやしつつ皆が思っていると、ふいに場の動きが止まった。
「えっ……」
唐突に泣き止んだ鈴が、ゆっくりとした所作で、指先を一点に向け指し示す。
「あ、あれ……」
それに誘導されるように視線をやった結果──トーリやヨシナオすらも、口を開いたまましかし無言。同じように全員の視線が一点に注がれる。
「──え、余?」
そこには一斉に注目を浴びて首を傾げる東がいる。が──皆は、後ろ! 後ろ! いやむしろそこ! と言葉なく更に強く指を向ける。
彼が恐る恐る振り向いた先、
「パパ……いないの」
少女だ。
不安を隠せない、今にも泣き出したいといった表情の幼い少女が、東の服の裾を握り締めては必死に言い募る。
「ママ……見付からないの」
姿は儚げで、やや乱れた白い長髪。肌も髪色と比較しても見劣りしない、例えるならばまるで透き通るかのようで。
ぶっちゃけ現実に透けていた。
どう声を掛けてやるべきか、と一周して冷静になった東を置き、しかし冷静ではない連中の方から、まずトーリの小さな呟きが漏れた。
「で、」
一息。
「「でたぁ──!!」」
+++
幽霊幼女の出現により空気が切り替わったのを見て、トーリが一拍鳴らし、
「──よっし! よく解らねぇけど、今日はこれまでだな。明日の本番に乞うご期待ってとこで。はーい解散ー撤収ー」
合図を皮切りに、コスプレ不審者の残党がぞろぞろと引き上げ始め、梅組集団もいそいそと片付けを開始する。隅の方では鈴に声を掛けたヨシナオが、彼女の手を取り丁寧な謝罪を行っている。伊吹はその様子を"武蔵"や自動人形たちと一緒に包囲しながら微笑ましく見守りつつ、
「え、やっ、な、なに……!?」
戸惑いの声とともに。鈴が強く身を竦ませた。
また麻呂か、というネタの気配を許す間すら与えず、自信なさげな所作だった幽霊の時とは別に、彼女は明確な意思で左舷側──三河のある方向を強く示す。
それはつまり、鈴の"耳"が捉えたなにかが存在するということで──。
見えるのは、あちらにある筈の各務原の山すら判別出来ない程の、深い闇だ。
それが、不意の光によって暴かれた。
発生の下、それは自らの領域を押し広げながら徐々に、光が暗闇を食っていく。
続いて、置き去りにされたのか──あるいは先行したのか、雷鳴に似た激しい轟音が全員の聴覚を犯し、
天を灼く焔の槍が、空まで走った。
燃え上がる光の柱は、離れた場である教導院からも解るほど火勢を増しているのが見て取れる。
突然の現象に、皆の対応もそれぞれだ。疑問や戸惑い、慌てて各所に連絡を取る者や、呆然として眼前の光景を眺める者。
ただ、伊吹にとってそれはまるで、
──いつもの日々なんてものは、どこにもありはしないのだと、世界が言っているようだった。
あるいは、十年前にはもう、既に。