境界線上の飛翼恋離   作:クーゲルシュライバー中尉

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気付いた鼓動に戸惑って
知った世界は鮮やかで
それは絶対無敵の乙女心
配点(初恋


ここにいるわたし

 幾重にも連続する破砕の響きが、通りを貫いては揺さぶる。

 喜美の視界の端、たなびいて散る残光は、重力障壁のそれ。

 ルール上、これは他愛のない()()でしかない。ゆえに本来の威力が如何程であろうとも、場の破壊には至らない。

 加圧された巨大な重力障壁による叩きつけは、普通なら人間がミンチになる程度の威力があったが、高嶺の花には関係ない。軽くトスして放り投げてやれば、背後のギャラリーからいい感じの悲鳴が聞こえて来る。沸いた声を力として大地にステップを叩き込む。

 

重力障壁、横列展開、連続設置(並んで塞げ)

 

 伊吹の声が届く。告げられた瞬間に進路を塞ぐ壁の連続は、攻撃ではない。試しにとばかりに先程寄越されたそれは潰したばかりだ。相手の側も、防がれることを承知での行為。表面上の威力だけのパフォーマンス。

 なにせこちらが信仰しているウズメ系サダ派の神は、歌や踊り以外、化粧やファッションも奉納として認めてくれる。──喜美が喜美らしくあるだけで、常に奉納をしている状態に近い。そして己が得意とする"高嶺舞"の防御は、枯らされても本望と思える相手にしか触れることを赦さない術式だ。神格武装級の一撃であればまた別だが、それを抜きにしても今の駄目な彼では届かない。そのことは伊吹にとっても既知の筈で。

 だから嵌まる。

 

 次いで来るのは些細な妨害であり、視界と道を塞ぐ程度の効果しかない。

 当てるのではなく置く。固定化した重力障壁を普段は鈍器としてぶん回す相手が、それを障害物として扱うことに切り替えた。もっとアタック掛けてきなさいと文句言ってやりたくもあるが、あれは威力よりも万能性がウリなのを考えれば許容範囲だ。巨乳は心が広い。その証拠にたゆんと揺らして、はいステップ! 

 物理的に邪魔臭いのは事実だが、()()()()()()()()()()──()()()()()()()()()()()()

 

 踏み込むようにそっと足裏を触れさせれば、それだけで聳える高さは道となり、これからの自分のための演出として流体ごと喰って行く。──ほら乗り越えた。いい景色ね。

 そこからはドミノの上を渡るように、アスレチック気分。飛びも跳ねも舞のひとつとして奉納される。

 

「えぇ……?」

 

 眼下の先に首を傾げる伊吹の姿がある。クク、とそれに笑みを漏らしつつ。高貴な女は見下ろすのが良く似合うと、足先でステップ鳴らして自身を盛り上げる。

 伊吹からすれば、まぁ不思議なことだろう。なにせライブで使う"転機雨"の演出用に、あちらの術式も散々弄り倒した。双方大抵の手の内は知っている。こちらなどエロ系とダンス系しか入っていない。

 

 ……でも、だからって互いの深くて一番イイところまで知り尽くしていたと思ったかしら。馬鹿ね、いい女に秘密は付きものじゃない。どうせアンタだって、この場では使えないにしろ奥の手くらい隠しているくせに。フフフこのエロスめ。

 

 そう、伊吹が違和感を覚えているであろう通り、"高嶺舞"にそんな能力はない。

 であれば単純──これは"()()()"()()()()というだけのこと。 

 

 ……まぁ()()を今使うなんて、この私にしても思ってもみなかったのだけれど。

 

 しかし使いどころは今この場だ。いい女は攻め時を間違わない。むしろチャンス。日頃からいい子にしている賢い姉へのプレゼント。ここでこのお馬鹿をとっ捕まえてモノにしろと全世界が言っている。それも公衆の面前で。いいわねそれテンションキタわ! リズムも刻んで更にアゲていくわよ!

 

「フフ、言ったでしょう。アンタは今から丸裸になるの。この私に一生逆らえない身体にしてあげる! これからは賢嫁と呼ぶがいいわ!! 素敵!」

 

「……相手の加工した流体を取り込んで、舞の要素に組み込んだのか……? 理屈は知らんが完全に捕食者(プレデター)じゃねぇか。超怖ぇ……」

 

 彼の声と、言葉は自身に必要な部分だけ耳に通す。そう、さしずめここにいる自分は愛の捕食者。エロ格好良さがかなり素敵。

 だからここからはもっとテンション上乗せて。感情も、苛立ちも、想いも全部。

 意志を込めて詰めて行く。

 ──ねぇ、

 

「アンタ、どうしてなにかをする前から諦めてるの」 

 

 足場にしていた重力障壁が唐突に崩される。

 自壊した重力光の残滓が散るより先、即座に再加工され、割れた硝子のように細分化された大量の破片それぞれが、不揃いの刃へと早変わり。

 

「なにをそんなに怖がっているの」

 

 知っている。その術式を作らせたのは自分だから。しっとりとしたバラード歌うライブで散らしたら、夜の欠片みたいでかなり沁みるだろうと考えて。角度や光の加減が気に入らず何度も駄目出しして、泊まり込みで、完成させるのに結局徹夜だった。

 

「アンタから見た私たちは、そんなに頼りない? アンタにとって、未来の幸いを預けられない程──信じられないって、そう思ってんの」

 

 重力制御の指揮によって降り注ぐ。面ではなく、大量の点による進路妨害。或いは"高嶺舞"ではないと察して攻撃を試したのか。どちらでもいい。悪いけどそれも今は通じないの、と。

 

 ステップ踏み込んで、走って、速度を殺さず、突っ込んで、袖を振り回す、いっそ巻き込んで、喰らって、己のものに、奪った光片纏って舞って、それを神に奉納して、ハイここでもう一度ステップ、キラキラ輝く今の私は世界で最高にいい女。信じる余地すら置かずにそれを当然と定義する。

 

 ……だからぶちまけて聞かせなさい、アンタの全てを。

 

 諦めと怯えの源。その根。それ以外も全部。

 残らず纏めて、砕いて壊して抱いてあげる。

 声が来た。

 

 ──ああ、と。

 

 

+++

 

 

 人類は弱い。ホライゾンが死んで伊吹はそれを思い知った。

 

 "武蔵"は言った。

 

『我々にとり、人類の皆様はどうしようもなく不理解です。しかし彼らは余りにも劣った可哀想な存在なので、我々が補助して差し上げるのです。──以上』

 

 ホライゾンは言った。

 

『は? 一体なにをナマ言ってるんですか。あなた如きイチコロですが』

 

 教わった奉仕の概念について、言った先から容赦のない腹パンで沈められた。可哀想な目に遭っているのは今の自分では……? と思っていたその頃はまだ、いや人類結構やべぇだろ的な価値観があったと、そう思う。

 

 魂から生まれて、その瞬間から一定以上の知識を情報として持っていた。だから肉体が自我を形成する頃には、感情を学ぶより先に理性と知性を獲得した。自動人形に育てられて感情を学ぶとか無茶だったのもあるが、結果自動人形より人形染みていると言われる子供に育った、振り返ると自分でも割と思う。

 ──そしてホライゾンに出会い。生意気だという理由で、血も涙もない鬼畜な手段によって感情を引きずり出された。端的に言って超泣かされた。

 ストロングな生物に格付けされた結果、肉体的にも精神的にも逆らえなくされたのもあり、誘われるがまま彼女たちと日々を過ごして人間らしさを得た。

 

 もはや皆と変わりない普通の子供に育った頃──ホライゾンが死んだ。

 喜美に呼ばれ、酷いことになっていたトーリを見た。

 

 ホライゾンならこうしただろうかと考え/いなくなった人間はなにも思わない。

 

 かつての自分を参考にして、力技でトーリの感情を呼び戻して、少し見ない間に勝手に死にかけていた事実に憤った。

 相手の()()()をひどく気に掛けるようになったのは、多分それからで。

 

 伊吹の中に──自動人形としての判断を下す己と、人間としての感情で生きる自分。両方の価値観が存在することに気付いたのは、同じ頃だった。

 

 伊吹が喜美の問いに応じる。

 判断を受け入れ、感情で吐き出す。

 

「だってそうだろうが……! 頼りたくても、任せたくても、見ていて不安なんだよ人類! 気付けばいつの間にか死んでるし、少し目を離しただけで勝手に死のうとする! なにもないところで転ぶような奴らに、安心出来る要素が一体どこにある!?」

 

 "武蔵"が正しかった。ホライゾンや喜美のような魑魅魍魎が珍種なだけで、人類は基本的に未熟でどうしようもない。

 トーリの件でそれを思い知った。緩やかな変化ではなく明確に()()()()()姿というのは、それだけ危険へ向かう徴候なのだ。そして実際他の人間も、普段と様子が違うような場合は多くが問題を抱えていた。目に見えて差異が解るレベルなのだから当然だ。しかし統計的には、この人類クソ雑魚赤子理論の正しさは証明された。

 

 見切りを付けてなお、見捨てずに奉仕を行う自動人形が種族として至高すぎるのだ。天使か。否、天使は駄目だ。なにせよく知る堕天はエロい同人誌を描いている。それはそれで一部では神扱いだが、自動人形に対する褒め言葉にはならない。至高を称えるならば用いる例えも至高でなければ──つまり最高だな自動人形。まるで自動人形のようじゃないか。

 

 ……すると昔のアレは褒められていたのだろうか。

 

 ともあれ己はその中でも肉と感情を持った半自動人形的な存在。不理解はない。

 つまり人類は──アホで愚かかつ野蛮にして軽挙であり時に感情で道理を無視するし無意味に意味を見出そうとする判断をしょっちゅう誤つ変態という、極めて可哀想な存在なのだ。成る程、これはもう補助してやるしかないと判断出来る。──異常。

 その筆頭であるトーリは馬鹿だ。昔は悪い馬鹿だったが、今は少しはマシな馬鹿になった。だがやはり弱くてどうしようもない。

 

 結論。本当に、心と判断の底から残念に思うが──つまり人類=トーリなのだ。

 

 こちらは違う。肉体的に基本は人類準拠だが、あれと同じ種族だというのは都合が悪い。産地が航空都市艦・武蔵で本籍を自動人形、現住所は精霊系といったところか。

 

 武蔵。そう、武蔵だ。

 己は武蔵のためにあって、しかし自分は皆のことも死なせたくない。

 動く前から諦めているのかと喜美が咎める。だが最善の判断は、零ではないだけの勝ちの目に大切なものを懸けることを無謀と告げるのだ。その結果見捨てることになる代償を、感情は無理矢理飲み下して。そうしたら今度は魂に込められた本能が、空を欲してがなり立てる。

 

「武蔵に世界を飛ばせてやりたい──お前は他のどれよりも素敵な存在で、最高に凄くて格好いい艦なんだと。世界の全てに認めさせて、証明したい。そのためにホライゾンは必要だ。……じゃあそれを叶えた時、武蔵に一体どれだけ残るんだ? そのために一体どれだけ減るんだ? お前らの中で何人がいなくなる? 住民のいない都市艦なんてただの幽霊船だ。それとも名前と力が売れれば前より増えるか? 減った数の帳尻合わせて、賑やかですねって空眺めて笑えるのか? 武蔵は──"武蔵"はそれで喜んでくれるのか」

 

 嗚呼、魂と感情が軋んで痛い。己と自分と、もうどちらの側に立っているのかも定かじゃない。境界線の位置が見当たらない。

 

「トーリがな──ホライゾンみたいなことをするんだ。こんな時、アイツならこうしたんだろうな……って」

 

 いなくなった彼女を確かめて。そういうひとがいたことを、存在を世界に少しでも残そうとして。

 それを見て感情はかつてのホライゾンを向くのに、判断は告げる。ホライゾンは死んだだろう、と。もういない彼女が思うことなどありはしない。ただの感傷の中にホライゾンは居ないのだと。

 記憶に浸ることも赦されない。最善の判断は気休めすら無視して現実を突き付ける。それにしても泣きそうな喜美の顔がいやに近い。割とキレられている自覚はあったが、今の自分はそこまで酷いのだろうと自嘲が起きる。最後にそういった表情を見たのは十年前だっただろうかと、

 

 ……近い? ……いや確かに大分近いなぁ。うん。

 

「奏上──! 型番指定──"天道無視(てんとうむし)"……!」

 

 意思を受け取った走狗(モカ)が、こちらが言葉を発する()に術式加護付きの重力障壁を眼前へ展開する。

 姿勢制御系の術式を元にした創作術式"天道無視(てんとうむし)"は、どのような姿勢でも足場を正しく機能させる術式だ。重力障壁に適応し、それを道とすることで、あらゆる体勢から姿勢変更や擬似的な壁走りや天井走りを開始出来る。

 

 ──前面の壁を蹴り込み、三角跳びの要領で後方へ。再び言う前に先置きされた天上の障壁を足場に宙空を走り、螺旋状に連続展開しつつ本来の石畳へと戻る。

 背後、喜美との距離は多少広がった。時折くねくねと踊りながら迫るアレには防がれるどころかこちらの流体が喰われる謎具合だが、流石に速度に適してはいないらしい。その上でこちらとの差を縮めて来た。

 

 ……舞か?

 

 武蔵側にとって、最も単純かつ困難な勝利方法は──伊吹の方から捕まえられに来ることだ。

 

 ……俺自身が舞の一部として組み込まれたか──否。

 

 思考を取り纏め、先程の()()の反動で狂った感覚を補正しつつ。やがて伊吹が気付きを放つ。

 

「ズラされたのか……!」

 

 足音、呼吸、会話、リズム。あらゆる要素をこちらに重ね、意識の外から誘導されていた。

 速度を得ていると錯覚したまま、実際はむしろ落ちていた。そこには判断も感情も関係ない──肉体の感覚には逆らえないのだから。

 どういうセンスだ、と一瞬思うも、まぁ喜美だからで納得してしまう。

 それでも対応は必要だ。未だに相手の術式らしきものは理解出来ない。"高嶺舞"は防御による無効化と干渉の遮断を成すが、捕食して力にするとはどういう理屈か。いくら神道がアバウトだとしても、全てにおける無敵など有り得ない。であれば余程に尖った性能か、先のように知らぬ間にこちらが相手の条件に嵌ったか。

 

 敗北を望む自分がいるのを自覚する。ぐずぐずに溶け合う価値観も、こちらの弱気も、全て晒した。軋む感情を掬い上げて救って欲しいと思っている。それでも簡単にそれを許すには、彼らが挑む聖連はあまりに巨大すぎる。

 相性というか、相手が悪すぎるのは事実だ。こちらに対応出来る人物を送り込むのは当然であり、それは武蔵の層の厚さを見せ付ける意味でも正しい。だからと言って、無理ゲー強要したつもりでいたらヌルゲーでしたなどという結末では意味がない。

 ──だからここからは本気で逃げる。

 仮に追いつかれたとしても、伊吹に触れることはまず不可能。見た上で()に動く己だからこそ、武蔵に対する理不尽としてこの場に立つ意味があると言い聞かせて。

 

 相手の行使する術式の中身は不明だが、解ることもある。あれはこちらの術式や流体を喰う。彼女の"高嶺舞"が触れさせないための術式ならば、逆にこちらは触れた存在を逃さない術式だ。実質的に無効化されているだけで、それが効果ではない。

 まず届く前提がある以上、遣りようはあるのだ。

 昨日手元に来たばかりである初回盤の攻略を代演として申請。術式経由の加護を願う。

 

「──奏上」

 

 結果が現実に来る。

 直後、喜美の足捌きに惑いが生じた。

 

 

+++

 

 

 唐突に、喜美は知覚から伊吹を見失った。

 否、見えてはいる。視線の先に伊吹の姿がある。なのに、()()()()()()()()()()()()

 なにが起きたか、理解が追い付く。──()()()()()()()

 

 オモイカネ系ヤゴコロ派の神奏術。

 オモイカネは喜美の奉じるウズメも関わる、引き篭もり(アマテラス)の逸話における主要な神の一柱だ。その際においてウズメを実行犯とすれば、オモイカネは教唆犯。

 逸話のような知恵を司る他、個でありながら数多の思考を司る側面もある。そして伊吹が契約しているヤゴコロ派のメインは後者だ。主な加護は、思考の伝達や制御能力。

 

 対象──伊吹に思考を傾けて、こうしよう、思った先。文字を塗りつぶすように特定部分を奪われ空白にされた。

 全ては無理だ。相手の認識に直接干渉するなら、神格武装レベルは必要だろう。洗脳や催眠といったエロ系とも違う。範囲を限定したチャフに近い。

 恐らくは、距離。もっと絞るならば到達点。

 先程こちらが伊吹の感覚を狂わせたように、伊吹は彼に至るための知覚を封じに来た。あと例えでもオバケの話はするな。思わず震えで足ガクしたじゃないの。

 ともあれ、鬼ごっこは追いかけっことは違う。追い付いたとしても、手を届かせる必要がある。

 

 だが、これはもう鬼ごっこですらないだろうと、喜美は思う。

 逃げる行為は同じでも、そこに互いがいない。相手を見ていない。逃げるために逃げている。

 手の鳴る方へ──その誘いが今はない。

 

 なにそれ。

 

「舐──ッめんじゃないわよ……!!」

 

 己の内部で、感情と意志の噴火が起きた。十年前にトーリをぶん殴った瞬間の無防備な、なにもかもを曝け出そうとした自分が戻って来たようだと感じる。

 ──()()()()()、だ。あれは未遂という自覚がある。まだどこかで冷静な、思考の入る余分があった。だから全裸ではなく着衣。丸出しじゃない。精々が八割……いや七かしら。まだまだ、五割もない筈。全然本気出してなかったし、三割くらい? そうね、そこから更に大特価二割引きにサービスデーとポイント特典も考慮して──つまり一割も脱いでいなかったことになる。

 とにかく、あの日から愚弟は過去の後悔を抱え続け。

 同じように伊吹は、未来の喪失にずっと怯えていた。

 本来、弟を連れ戻すのは姉である自分の役目だったんじゃないかと、そう思っている。それを伊吹に甘えた結果のツケが、今の彼。その選択に後悔なんてしていないし、悪いとも思わない。でも、ヤり捨ては駄目な女のすることだから。責任取って残りの九割九分九厘はもうこれアイツのものねフフフと既成事実狙っていたけど、

 

 今は全部()()()()()()

 

 ──喜美にとって、これはただの逢い引き(デート)だ。相対の鬼ごっこすらその延長。伊吹が十年蓋したなにもかもを吐き出させて。彼が自分たちに甘えられるようにするには、手順としてきっと必要だから。(ドリーム)オナ禁解くためには仕方ないわねと付き合ってやったのに。

 それをあのお馬鹿、ここに至ってデートの相手から『逃げる』とは一体どういう了見か。

 相対のため? 皆のため? 自分のため? 武蔵のため? 細かい理由も至った過程もどうでもいい。なんなら愚弟もホライゾンもこの瞬間だけは意識から蹴り飛ばして。

 

 ただ、この男が自分を見ていないことそれだけが、女として我慢ならない。

 

 ……上等よ。アンタがその気なら、こっちにだって意地があるもの。

 

 今だけは、賢い姉ではなく。高嶺に咲く華でもなく。己の十年をぶつけるだけの、馬鹿な私になってやるから覚悟しなさい、と。

 

 

+++

 

 

 誰もが見守るなか、少女の動きに変化が起きた。

 これまでのような、所作の一部や端に舞や踊りを含めるような綺麗なものではない。より野性的で、荒々しい、情動のままの動きに近い。

 ──それでも神は少女を贔屓する。加護は消えない。むしろ天上から楽器鳴らしてイケイケそこだカマしてやれと腕振り後押し全開で、過去最高に降り注ぐ勢いに。破裂する風船の如く、来るべき一瞬を待ち望んでいる。

 当然だ。踊り子の少女は一切己の神を裏切っていない。

 踏み締めの足音はリズム。心臓の鼓動はビート。衣擦れの音、ふわりと靡くウェーブ、落ちた汗の雫の一滴すらも、今は少女の奏でる旋律のひとつ。元より纏った化粧とファッションだけでも充分なのだ。

 

 やがて、少女が溜め込んだ熱をぶちまけるかのように、声を上げた。

 歌だ。

 

 

+++

 

 

 ──朝、おはよう、と。たった一声でその日の気分は上を向く。

 

 ──気付けば視線で追って。偶然目が合ったそれだけで、なんだか嬉しい。

 

 ──だから会えない日は、ちょっと沈んで。

 

 ──些細な触れ合いにも、心臓の音、うるさくて。

 

 ──隣を歩いている間の自分は、世界の誰より特別なお姫様(ヒロイン)

 

 アナタの声を聞いたそれだけで、私の感情は元気になるの。

 

 アナタの姿が見られただけで、私の感情は嬉しくなるの

 

 アナタの姿が見えないだけで、私の感情は寂しくなるの。

 

 アナタの熱を感じるだけで、私の感情は高鳴るの。

 

 だからアナタと一緒の世界は、いだって私にとっての愛しい日々の幸いで──。

 

 

+++

 

 

 ()()は皆に限らず、武蔵上や他国でも。バンドや踊り子としての喜美を知る者であれば、違和どころか拙い(つたない)としか言えないものだ。

 技術も韻も、なんなら譜面すら無視して。感情と衝動任せの、しかし全霊の表現。恐れも恥も関知しない──今も似たようなものだが、つまりは最も無敵な時代の意志の爆走。

 聴いている方が赤面したくなる程に全力な、幼い少女の──ちいさなこいのうた。

 

「あの……相対の途中ですけど、自分ちょっと砂吐いて来ていいですかね……?」

 

 胃もたれしたアデーレが、死にそうな顔でまず呟いた。

 他も似たようなものだが、

 

「わ、わぁ! 喜美ちゃん、大胆……!」

 

「やー、さっきのベルりんも中々のもんじゃないかとナイちゃんは思うかなーって……」

 

「というかこれ、他国に向けて中継しているので御座ろう? 伊吹殿、完全に外堀埋められつつあるのでは御座らんかな……」

 

「……解り切ったことを言わなくていい」

 

「信じ難いことにアレも姉の一種だ。祝いに拙僧の実家からダブルなサイズの寝具でも取り寄せてやるとするか」

 

「小生思うに、それただの煽りでは」

 

 うーん、と一声唸った浅間が、

 

「そこは今後を視野に入れてキングを──じゃなくて。……えっと、これ今の喜美の曲じゃないですよね。相当昔──恐らくは、まだホライゾンが一緒にいた頃のものじゃないかと思うんですけど……」

 

 言って、一部の耳聡い視線を無視しつつ浅間神社として調べてみる。喜美に関しては年間の担当件数を稼ぎまくるレベルで浅間が担っているが、当時の年齢を鑑みるに、

 

「……やっぱり、父さんの仕業ですね。うわぁ、この術式……かなりエグいですよ」

 

 それにしても、と浅間は溜息と共に、表示枠に映る姿に半眼を向けつつ。

 

「ぶっちゃけ九割方伊吹君が悪いとはいえ……。喜美、なにひとりで抜け駆けしちゃってるんです、か……?」

 

 いい空気吸っているどころか、完全に自分の世界に突入始めた幼馴染みに軽く苦情を呟いていると、歌が止まった。

 声が届く。

 

『アンタが生意気にも、この私から逃げ隠れするっていうなら。私はいつだって、そんなアンタを見付けてやるわ』

 

 喜美が行った。先程までの不安定な挙動ではなく、確かな向きとして伊吹の方へ。

 身を動かして左右に寄せても、その都度喜美の修正が入る。それは、喜美が完全に彼を捉えている証拠だ。

 どうやって、という疑問の前に、答えが来た。

 

知覚出来(みえ)なくても、そこにいるもの。解らなくても、憶え(知っ)ているもの』

 

 それは、

 

『アンタの声も、視線の動きや──息遣い、匂い、足音、鼓動、義腕の駆動、それ以外にも──私は全部知ってるわ。フフ、今言われてワザとズラそうとしたでしょ。お見通しよ』

 

「……これ、実は単なる補佐役のストーカーなのでは……」

 

「こらアデーレ! しっ!」

 

 どうにも締まらない茶々を入れていると、

 

『これからアンタを泣かせてやるわ』

 

 あっ、と浅間が声を上げた。彼女は、

 

()()()()()()()()()()()()()……!?」

 

 言葉に、服を着たトーリが首を傾げて疑問を作る。

 

「なぁ浅間、結局姉ちゃんが今使ってる術式ってどんなもんよ? 伊吹の奴がまるで相手になってねぇのとか、かなり笑えっけど。それって別にアイツが弱ぇわけじゃねぇだろ」

 

 そうですね、と浅間が頷く。

 

「確かに喜美は元からかなり出鱈目なとこありますけど。本来は、私でも本気の伊吹君の守りを貫ける自信は半分もありません。少なく見積もっても彼はそのレベルです」

 

 四割はあるんだ……、という外野の声はスルー。

 

「一言で言ってしまうと、相性です」

 

 口にしてから、これではイマイチ伝わってないなと考え。浅間はあらためて、

 

「これ、術式としては別に大したことないんですよ。根本は譲渡とか、貰ったものを受け入れる系で。ただ、効果と範囲を限定しすぎた結果と言いますか、そのぅ……」

 

 ゴニョゴニョと小さくなっていく浅間に、皆が巻いて巻いてとばかりに急かす。仕方ないので彼女は、ええいままよと、

 

「つ、つまりですね! ──好きなひとから貰ったものは、それがなんであれ嬉しくて、自分にとっての力になるものだって、そういうことなんです!」

 

 それだけの効果で、それ以外にはまるで意味を持たない術式。

 おおっ……! と盛り上がる女衆。が、巫女が一瞬だけ視線を逸らした事実を黒翼の少女は見逃さなかった。

 

「ねぇアンタそれ、まだ他に言ってないことあるでしょ」

 

 うっ、と浅間が呻いた後、観念したように小声で。

 

「……その、嘘は言ってないんですよ? ただ、喜美の信仰との噛み合わせと言いますか……。ええ、だから実際はもう少しアクティブというか肉食な感じで」

 

 喜美の契約の大半は、エロ系とダンス系。本人がそれを豪語しているし、嘘もない。

 皆は察した。

 

「そういうこと……。言葉を選んで言うけど──要は相手の縦笛とかジャージ追い剥ぎした上であえてのクンクン我慢! それによる奉納エロチャージ! そしてここぞという瞬間に溜めておいた必殺ゲージぶっぱからの一発必中大当たり──つまり結果として伊吹がパパになるのね……!?」

 

「言葉! 言葉選んで言いましょうよこの場は!? あと最後のはうちのサクヤの管轄なので大丈夫です!」

 

 精々感度n倍とかそのくらいの筈……! と内心で頷いた浅間が、勢いのまま簡潔にまとめる。

 つまりあの術式は、

 

「昔の喜美が、伊吹君を逃さず絶対にエロいことするためだけに作った、ガチガチの──対伊吹君特攻術式です……!!」

 

 舞が撃鉄ならば、秘めた歌の告白は引き金。告げた想いに後戻りは赦さぬと、術式は一度限りの使い捨て同然。

 エロいからと、誰にでも身体を赦すワケじゃない──そんな女が、自ら望んだ獲物を容易く逃がすか否か。

 これは、ただそれだけの話。

 

 

+++

 

 

 伊吹の視界で、流体の渦が荒んでいた。

 突風どころではない。既に嵐か、竜巻に育ちつつある。

 鬼ごっこのルールすら破綻させる現実の理不尽具合に、ここまで来ると笑えてしまう。

 既に逃げ場は失った。伊吹と喜美を囲む流体の暴風が、範囲を縮小しつつ双方を中央、台風の目へと強制的に追いやっている。そのあたり、こちらの"送来大神"に近いものを感じるも、そもそもあれはしょっちゅう迷子になる喜美に作らされた代物だったと得心する。発想と仕組みの骨子はあちらにある。

 

「馬鹿ね、あれはアンタに迎えに来て欲しかっただけ。いいこと? 私は迷子になんてなっていないの」

 

 本音か強がりか微妙なことを言いつつ、ゆったりとした所作で少女が来る。

 

「──フフ、待った?」

 

「いいや──今来たところだ」

 

 言葉には、笑みが来る。そういえば、いつも自分が迎えに行ってばかりで、こういった定番のやり取りはしたことがなかったなと思い。

 

「智の声は聞こえてたが……これ、奉納どうしてんだ? いくらウズメがコスパ良くても、並の代演じゃ足りないだろ」

 

 喜美は個人レベルで神に気に入られている。化粧やファッションだけで奉納になる効率の良さはそのあたりが理由だ。神道の神々は割と俗なので個人への干渉自体はままあることだが、流石にこの規模の現象は並大抵の対価では有り得ない。

 

「フフ、なら訊くけど。自分を着飾るのってなんのため? 勿論、それ自体が好きって答えはありだし、間違ってるわけじゃない。女の子だものね。だけど、化粧もファッションも結局は、()()()()()()()()()()()()()()()()()よね。薄化粧の方が多分好きよね、このリップだと少し濃いかしら、この服はどう? 胸元開けたら、ちゃんと視線は来るかしら──なんて」

 

 訊くと言いつつ全部自分で答えた少女が一息。

 

「そうやって、アンタに会うための私を──ずっと続けて来たんだもの」

 

 願掛だ。

 いつ使うかも解らない、むしろ使わないかもしれない子供の頃の思い付き。そのための奉納をこれまで続けていたのだと、喜美は言う。

 その途方もない積み重ねを受け取った結果が、なにもかもを祓い、彼女と向き合う以外を赦さないというただそれだけの、しかし絶対の加護。

 喜美が胸を張って、いつもの如く自信満々に、

 

「アンタの十年は聞いたけど、その上で私はこう言ってやるの。私の十年、舐めんじゃないわよ──って」

 

 紛うことなき、宣戦布告の言葉が叩きつけられた。

 伊吹の脳が停止を選びたがるもどうにか、あー……、と前置きを絞り出して。

 

「……俺、今コクられてる?」

 

「なに、アンタ今更気付いたの? 駄目な男ねぇ……。言っとくけど、別に返事とか求めてないの。フフ、私は私の好きにするだけ。逃げたければ逃げてもいいのよ、逃さないけど」

 

 ……強姦魔かな?

 

「クククそうよ、レイープよレイープ! でもアンタ、こっちの感情知ってて今まで放置してたんだから実質同意の上でレイープよ! つまり和姦ね!! ──だから手始めに。まずはアンタの今日までを、今からこの私がメタメタに犯してあげる」

 

「……お前の術式で俺に逃げ道はなくなったにせよ。この()のために既に発動している以上、道中みたいな真似はもう出来ない筈だ。……俺が契約している加護を知った上で言ってるのか」

 

 ──使い方は兎も角、伊吹の重力制御のスペックそのものに特別な部分は存在しない。

 外付けのデバイスと走狗の演算でどうにか並の、デバイスを強力なものにしてようやく戦闘用の自動人形クラス。それでいて、伊吹が扱う重力制御の精度と展開能力は他と比べて異常の域にある。端的に言うなら()()()の速度が狂っている。速いのではなく、早い。

 術式だ。

 オモイカネ系の加護──その本領の基本は自身に及ぼすものだ。制御された思考は意識的に雑念を祓い、時に加速もするそれは自動人形の高速思考を無理矢理真似たようなもの。加護が伝える判断の送受信にタイムラグなどというものはなく、能力の大半をこちらのための演算に費やす半身たる走狗は【制御情報術式】。神道からの派遣ではない唯一存在だ。

 術式加護に走狗、重力制御、自動人形の魂。これらが闇鍋された結果の産物が──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、狂った領域に至る後の先。

 ──反動で少々現実との剥離に苛まれたり、赤裸々な記憶が垂れ流されたり、場合によっては人格分裂しかねないため極東では『便利だけどクソ神奏術』の名を欲しいままにしていたりもするが。しかし高速思考や共通記憶に対する適性を有する自動人形の魂は、生身ゆえ行使出来ずともその手の反動を軽減する。

 

 詳細ではなくとも、主な内容と能力を喜美が知らない筈はなく。ゆえに問うて、

 

「フフ、解って言ってるに決まってんでしょ──この早漏」

 

「おい、ちょっと待てこら貴様ぁ!!」

 

 確かに相手の分野に合わせる気はないし、なんなら行動予測からの先起きもするとはいえ。

 だからといって今のはない。風評被害も甚だしい。世界的に謂れのない不名誉が広がったらどうしてくれる。

 解っている風に頷いた喜美が、

 

「大丈夫よ。アンタ基本、質より量で補うタイプだし。単発式じゃなくて連射式っていうか、つまり大事なのは一回の長さよりも長期的な継戦能力よ──!」

 

 重力障壁の話だ。

 会話の度にギリギリを狙おうとするのを止めろと言いたいが、

 

「じゃ、そっち行くから」

 

 突っ込み入れる前に、余りにも軽い調子で喜美の手指が突き込まれた。

 

 

+++

 

 

 至近の間合いで、応酬が始まった。

 喜美が手を伸ばし、伊吹が拒絶する。

 差し向けられた先に即座に小範囲の重力障壁を展開。そこに喜美の指先が触れ、それを確かに防ぐも──弾くと同時に砕けて飛散した。

 "高嶺舞"だ。

 伊吹にすれば厄介この上ないが、今相手はそれを使える状態にある。浅間曰くの"特攻術式"はこれまで続けた奉納の結果。現状のような最大効果はこの一時だけだとしても、この相対においては決着するまでまず枯れない。

 だが喜美自身が新たに舞の動きを作れば、その奉納で"高嶺舞"の条件は満たされる。別にこちらは攻略の必要はないものの、干渉遮断の防御と重力障壁が食い合って、盾と盾が弾き合う結果に陥る。こちらは即座の思考で障壁の作り直し。だというのに、あちらは反動すら動きに組み込み勢いに乗せて次に繋げる。

 更には──、

 

 ……読まれてやがる……!

 

 この相手は、見てから対応するこちらを()()()()()()()()()

 動きを察知して防御を展開した先、既に死角に向けて逆の手脚を伸ばすなど、別の動きを始めている。

 反面こちらは、対応までが限度で先読みや予測の精度が大分低い。

 相手は戦闘系ではないゆえ、基本的に授業以外で訓練の接点がない。付き合い自体は長いが、狂人かつ気分屋なために癖を見切ったところでテンション任せのアドリブだらけで挙動に整合性の欠片もない。

 喜美が言う。

 

「年季の違いってやつ。これに懲りたら、今後はもっと私を見ることね。そう──食い入るように! 目ん玉おっ広げてきっちり視姦するのよ、解った!?」

 

 解かんねぇよ……、と言いたいが、これも今までの帰結なのだろう。全体を走り回っていたこちらと、一直線だった喜美とで。

 やがて守勢である筈のこちらが、攻勢の防御を前へ前へと出して行く羽目になる。

 読まれていて、触れれば互いに相殺。今の喜美は舞の動きを殺せない。だから連続で出足の挙動から尽く潰す。

 喜美はセンスを無駄にするレベルで根性が皆無だが、その分"高嶺舞"には疲労軽減も組み込まれている。──つまり最終的には泥沼の持久戦。喜美の少ない根性が限界を迎えるのが先か、相手の先読みと対応の連続にこちらが思考の制御を手離すのが先か。

 先の言葉に従い、喜美への対応だけに意識を傾ける。それ以外を不要の雑念として祓い、

 

 ──踏み込みからのスナップ効かせた平手に重力障壁を合わせ既に喜美は捻りを入れて腰を回転弾かれた勢いで肘が来るのを防ぐも気付けば爪先立ちの遠心で来た足払い勢いのせいで破砕の反発が少ないそのまま踏み締めと共に付きこまれる反対の膝に重力障壁二枚三枚と砕かれそれでも止めて押し退けるように大型の障壁追加サイドの死角から回り込まれ腕が来て足元の障壁自ら蹴り砕いて勢いで下がりついでにバランス奪おうと逆に喜美を後押し勢い過剰に結果高速回転して迫り来るのは意味不明だろう障壁の先端で膝カク狙えば前のめりにバタバタして苦し紛れに海老反りで大きく跳ねるのが見え──、

 

 ……跳躍は悪手だ、逃げ場がない。四方を封じてこのまま詰みに──、

 

 そう判断を送ろうとして、視界に大きく映るものがある。

 跳ねる喜美。

 弓なりに反った身体。

 突き出された巨乳。

 上下に揺れる胸の振動、

 

 ……やっぱこいつデカいよなぁ。いや上には上がいるのは解るんだが。でも智のオパイが俺のだからって断じて他が不要とはならんしネイトだってサイズはお察しだが尻の張りは見事なもんで個人的には上も下も広く受け入れる所存ではあるが、つまりすまないアデーレ。しかし喜美だけは別格というかこの女歌って踊るために普段から食事制限の体型体重キープしててデカいはデカいでも腰は細いわ脚は綺麗だわで総合力的にちょっと卑怯なレベルというか清楚かつ完璧な"武蔵"を基準に置いても抗えない本能のリビドーというかエロ──、

 

「──あ」

 

 思考の制御は確かに雑念を祓うが──自ら進んで拾いに行ったならば、どうしようもない。

 数瞬だけ無意識に傾けた思考のリソース。思考の方向性を見失って霧散する加護。触れるか触れないかの寸前まで放置させていた判断の決定に、致命の遅れが生じる。再展開──否、音声認識で喉の動きから読み取らせれば──と意識を作るより先、頭上を覆う影。

 振り絞られた身体の戻りが、勢いのままこちらに向け放たれていて、

 

「こんの──臆病モンがぁ──!!」

 

 全力の頭突きが叩き込まれた。

 そのまま首下の生身に五指が触れ、どんな手管か義腕の接続を断たれて、そのまま全身で石畳まで押し倒される。

 明滅する思考が静かに終わりを呟いた。

 

 ──ああ、

 

 ……捕まっちまったなぁ。

 

 決まり手──エロ不注意。

 

 

+++

 

 

 仰向けに倒れた少年が、打撃の勢いによって摩擦の音を立てて石畳を滑走する。結果的に、上乗りに騎乗したまま肩の付け根を掴んで離さない少女が人肉ボードでサーフィンするような絵面になった。本体を失った義腕が哀愁と共に数度跳ねる。

 ともあれ相対の勝敗は明らかに。それでも、彼と彼女の逢い引き(デート)は未だ決着せず。

 

 互いに荒い息で──若干一名微妙に瀕死だが──覗き込むように視線を合わせた踊り子の少女が言う。

 ねぇ、と静かに。

 

「この十年──確かに皆、アンタに沢山助けられたし、色々と世話にもなったわ。そのための無茶だって。……アンタにそうさせたのは、確かに昔の私たちの弱さと未熟のせい。でもね──」

 

 十年だ。

 子供は、いつまでも子供のままじゃない。誰かに手を伸ばすことも、誰かの手を掴むことも。それを己の意志で望むことは、もう出来るから。

 かつて守られてしまった少女が、こうして少年に届いたように。これからひとりの少女を救おうと、皆が手を伸ばすように。

 

「武蔵のいつもを守ってたアンタの今に、こうして私が届いたわ。──だったら愚弟や他の連中だけでも、ホライゾンのひとりやふたりくらい、きっと余裕だと思わない?」

 

 アレがふたりになるのはキツいなぁ、と少年が困った笑みを曖昧に作った。そしてもう、皆に己の補助は必要ないのだと。ようやく自覚を受け入れて。

 こつん、と寄せられた額が合わせられた。続けて来る言葉は自信に溢れて、

 

「──そんな皆の中にアンタがいれば、私たちは最強よ。そこにホライゾンまで加わったなら、武蔵は無敵ね」

 

 結果はもう決まっている。なぜなら少女は知っているのだから。

 向けられるのは穏やかな呆れの苦笑で、

 

「助けて、って言ったら……アンタ必ず来るじゃない」

 

 それを疑ったら、少女の今も、馬鹿な弟も嘘になる。

 だから彼は、伊吹はきっと、

 

「本当は昨夜──ホライゾンにもそう言って欲しかったんでしょう?」

 

 だって、

 

「たとえアンタの中で、ホライゾンは十年前に死んだままだったとしても──。それとは別にあの子、()()()()()P()-()0()1()s()()今の武蔵の確かな住人で、アンタの大事な友人なんだもの」

 

 それがいなくなった世界はきっと、前より寂しい。

 

 

+++

 

 

 ──結局、本当の意味で過去に立ち止まったままだったのは自分だけだったのだろうと、伊吹は思う。

 失われたかつての残照。伊吹にとって、皆が揃っていたあの瞬間こそが幸いだったと、執着した。進む今から目を逸らした。

 確かにあった幸いの形は崩れたのだ。ならばせめてお前たちはいなくならないでくれと。そのためなら自分の夢くらい切り捨てよう。いつか、いつかと言い訳を続けて先送りで誤魔化して。

 武蔵の立場は基本的にどん詰まりだ。他に行き場のない者が多く集う。だからこそ、安心して抗いを夢想出来る。

 自分はそれでいい。だからどうか皆は()()()のままでいて欲しい。

 

 そして、トーリはずっとそうだった。

 

 いつものまま馬鹿で、無能で、全裸で、笑って。……否、当時より悪化しているかもしれないが。

 力のない彼を助けている気になって、支えられていたのはむしろこちらの方だった。

 

 ──傍らに現れた表示枠から、声が来た。

 

『おいおい勘違いすんなよ。俺がなにも出来ねぇ奴だってことに、オメェは一切関係ねぇからな? 逆に訊くけどよ、オメェが今まで頑張ってたあれこれを俺がやろうとして、どうにか出来ると本気で思うのかよ?』

 

 それは、と考え。一瞬の内に、無理だろうと結論。

 

「馬鹿だもんなぁ……」

 

『こ、こいつ……! ひとが折角ナイスフォロー入れてやったのにしみじみと言いやがったぞ……!』

 

 地団駄を踏んでいるトーリだったが、やがて()()()()表情がこちらを見据えた。

 

『昨夜な、なんかセージュンのお陰でホライゾンに会えたけどよ。でも結局は連れて行かれるしかなくてさ。それでも、最後にホライゾンとちゃんと話せた。わけの解らねぇまま引き離されるんじゃなくて、またな、ってそう言えた。オメェのお陰だ』

 

 すると馬鹿は気恥ずかしそうに後ろ頭を掻き、

 

『やっぱり俺はホライゾンが好きなんだ。死なせたくないし一緒にいてぇ。だから伊吹──いつも通り、ちと頼むぜ。俺はなにも出来ないから、オメェや皆がいねぇと話にならねぇ。……だからオメェの十年に、これからはホライゾンも入れてやってくれ。俺は後悔ばっかだったけど、オメェがそれだけの奴じゃないってことは、出来ない俺が保証してやるからよ!』

 

 結局は他人任せか……、と苦笑を得つつ。

 

「仲間外れは良くないもんなぁ……」

 

 一緒に遊ぼう、とかつて言われた。当時の自分は無視した結果酷い目に遭ったものだが。しかし、

 

 ……こっちから誘ったことはなかったよな。

 

 それが戦争だというのは大分イカれている気はするが。 

 なぁ、と声を掛ける。

 

「勝手だけどな、俺はお前らに勝手にいなくなって欲しくないんだ。馬鹿みたいに馬鹿やってる毎日が、これでも結構好きなんだ」

 

 表示枠に映る連中に、ひとりひとり声を掛けて。

 

「トーリは気が付いたらなんか脱いでて」

 

『そりゃオメェ、俺の持ちネタだからな!』

 

「朝、喜美を起こしに行って髪梳かすのは結構好きだけど、これ罠だよな」

 

「フフ、アンタそれ昨日サボったの忘れてないでしょうね。ちゃんと埋め合わせしなさいよ?」

 

「智は自分から胸揉ませてくれて」

 

『こら──! 勝手に捏造しない! ……ええ、まぁ。伊吹君がかなり駄目なのは、いつものことですからね』

 

「ネイトは散歩に誘うとすげぇ喜んでくれるし」

 

『今は馴れ合うわけにはいきませんけど。……あの、なんだか私の扱いペットっぽくありませ──』

 

「いつも通りでも正純は行き倒れを止めろ」

 

『なんかこっちにだけ苦言が来たぞ……。まぁ、今度何冊か持ってそっちに行くよ。"武蔵"にも言われたしな』

 

「マルゴットは笑顔の裏で偶に獲物を見るような目してるけど、なんなのお前」

 

『ナイちゃん有翼系だかんねー。肉食肉食。けどブッキーの面倒臭さも大したもんだよ、これ』

 

「マルガの同人のネタ出しや締切に巻き込まれるの、終わった後だと妙な充実あるんだよな……あれ」

 

『ってかアンタ、なに勝手にこっちが死ぬ前提で動いてんの。舐めてんの? 次の新刊はアンタ総受けにするわよ? 後で手伝いに来なさい』

 

「直政はお前、確実に朱雀(あれ)使う気だろ。後で整備する時はバイトに呼んでくれ」

 

『いいとこなしで負けた奴がなんか言ってるな。ま、次はあたしの番さね。なんならアンタが出て来るかい?』

 

「鈴……ごめんな」

 

『ん……私も、助けて貰って、ばかり、だった、から。でも、これからは、皆、一緒だよ、ぜんぶ』

 

「アデーレの胸は、ずっといつものまま……育つこともなく……うっ、ぐすっ……」

 

『鈴さんとの扱いの差! 自分喧嘩売られてますよねこれ!? 泣きたいのはこっちですよ!』

 

「ノリキはなんだかんだ付き合いいいよなぁ」

 

『解っていることを言わなくていい』

 

「シロジロとハイディが金勘定しないいつもが来たら──相当ヤバいな」

 

『貴様に心配されるまでもないことだな』

 

『そん時はそん時で札束風呂にでも入ってるからねー。今後ともご贔屓に』

 

「ペルソナ君のゲーム風景は傍から見てるだけでも楽しいし、ハッサンのカレーはいつも美味いよな」

 

『……♪』

 

『オウ、カレーは日々進化してますネー』

 

「ネンジとイトケンは、相談とかするとやたら的確な助言くれるし」

 

『うむ。苦も楽も分かち合ってこその友であるからな』

 

『ははは! 僕らの力でよければいつでも借すよ!』

 

「東とミリアムは……最近子持ちに進化したっけ」

 

『待って!? なにか余に凄い誤解が生まれて……え? あ、うん。ミリアムが「頑張れ」って』

 

「点蔵とウッキーとネシンバラと御広敷は……まぁいいか」

 

『『まぁいい……!?』』

 

 "武蔵"や自動人形らは完全に自身の一部みたいなものというか最早概念なので別枠として。ともあれ、これが今の大事な日常だ。

 

「──そんないつもの日々を、これからも得られるのだろうか」

 

『違ぇよ』

 

 即座の否定が来る。

 

『昔みたいでも、今のままでもねぇ。ホライゾンも入れて、武蔵も俺たちも、もっと賑やかにやってくんだ。オメェの世界も騒がしくしてやっから、今から覚悟しとけな?』

 

 ついでな、ついで、とトーリが笑う。

 

 ……そうか。

 

「それなら──仕方ないか」

 

 ああ、と。

 ──完膚なきまでに、負けた。

 

 解った? とこちらを覗き込んだ喜美が目を細める。 

 

「アンタがそうしたように、アンタのことを助けて守りたい連中が、武蔵(ここ)にはいっぱいいるの」

 

 だからもう大丈夫、と。

 膝上に跨ったまま、喜美が腕のないこちらの上半身を引き起こし、

 

「嫌だって言っても考慮しないから、覚悟しなさい。独りになんてしてあげないんだから」

 

 背に両腕が回され、喜美の胸元に押し付けるように、抱擁が来る。

 

「これからまた──幸いのための日々を得られるように。アンタは泣いて、今からまた生まれるの」

 

 強く、掻き抱くようにしてこちらを包む温もりの心地良さが奥底まで届いて。自然と、

 

「っ──ぁ──」

 

 音のない、しかし確かな嗚咽の声を知っているのは──世界でたったひとりだけ。

 

 

+++

 

 

 身を離──せないまま、空気読んで不動にしていた走狗が両腕運んで来るのを伊吹は待ちつつ。気恥ずかしさが今の感情を上回る前に、言うべきことを言う。 

 

「喜美──ありがとう」

 

 腕の力が弱まり、そっと抱擁が解かれる。

 五指が頬に添えられ、陶器を撫でるようにそっと掌が這う。

 自然と視線を重ねられ、思わず見惚れるような優しげな表情を映し、

 

「フフ、いいのよお礼なんて。──勝手に貰うもの」

 

 は? という直感的な疑問よりも先、頬を覆う両のホールドが強まった。

 そのまま視界が喜美の勝ち誇った笑みで埋まり、

 

「──ん」

 

 唇の重ねが来た。

 

「っ──!?!?!!?!」

 

 それは、チュッ、とか。ちゅう、とか、そういうのではなく。

 ()()()、だとか。()()、だの。果ては()()()()()()()──というような、たっぷりの臨場感を伴って武蔵全土、もとい全世界のお茶の間(教導院)へとお届けされた。

 

 ちゅぽん、と鳴った解放の音によって晒される──力なく垂れ下がった舌先に白目を剥いた、アヘ顔の伊吹の表情と共に。

 

 

+++

 

 

 臨時生徒総会の推移。それを中継を通して第一の相対による帰結を眺めていた三征西班牙側の一角。

 並んで座るひと組の夫婦の姿、その片割れ。嫁の方が唐突に席を立った。 

 

「……宗茂様、少々」

 

「はい? どうかしましたか、誾さん」

 

「少々」

 

「あ、はい。……すみませんが少し席を外すのでこちら、お願いします」

 

「宗茂様」

 

「ええと、あの──誾さん? そう強く腕を引かなくとも……。そんなに急いで一体どこへ向かっているんですか、これ」

 

「Tes.──少々」

 

「……この区画は確か、あまり使われていない倉庫でしたか。なにか用事でも?」

 

「大丈夫です宗茂様。少々、ええ、ほんの少しだけですから……!!」

 

「ぎ、誾さん……? そんなに息を荒く一体どうし──あ、あの、ちょっと誾さん!? 待っ、あ、ああっ──!?」

 

 少しだけ、もう少しだけ、あとほんの少しだけ──という自己申告の少々がほんの数ラウンド程続いた。

 

 

+++

 

 

 武蔵アリアダスト教導院、階段橋上。最後に彼らの表示枠に映った光景の有様に、勝利に沸く気力すらある筈もなく。

 巫女や狼が軽く発狂している姿に、あれには近寄るまいと遠巻きに眺める連中のなかから、あれ……? という気付きの声を、恐る恐る従士が上げた。

 

「あの……なんかいい話っぽいノリで纏まりましたけど。……これ、もしかしなくても補佐役が過保護を拗らせて敵に回ったのって、元を辿れば昔の総長のやらかしが全ての元凶っていう壮大な自滅なのでは……?」

 

 しん……、と重めの沈黙が広がった後、それぞれひそひそと、

 

「トーリが自分の株を上げるためのマッチポンプ……」

 

「武蔵の進退を道連れにした自爆芸……」

 

 慌てたトーリが、待て待て待て、と割って入る。

 

「す、過ぎたことを今更振り返るのは止めね……?」

 

 お前がそれ言うのか……、という白々しい空気が蔓延する。

 溜息を吐いたシロジロが、

 

「この馬鹿が、勢いだけの考えなしであるという事実が、過去と現在にこうも面倒を及ぼすとは……。他に余罪はないだろうな? 今のうちにさっさと吐け」

 

「おおお、俺は冤罪には屈しねぇぞ……!? そりゃあ俺は確かに馬鹿だけど、そのためにセージュン引き込むって話だろ!? 最初にそう言ったのシロじゃねぇか! 俺は覚えてるもんね──! やーいこの守銭奴!」

 

 正しさを確信し、飛び跳ねてはおちょくり始めるトーリの姿に、半目を向けたナルゼが、

 

「……で、アンタそれ、ちゃんと伊吹の奴にも言ったんでしょうね?」

 

「えっ」

 

 動きが止まった。

 

 皆、互いに顔を見合わせた。

 沈痛な面持ちになる者。処置なしと頭を振る者。あちゃー、と額を叩く者。

 数拍の後、やがてナルゼが代表して音頭を取る。

 ──両手を下に振り、次いで勢い良く上に。

 さん、はい、

 

「「全部お前のせいじゃねぇか……!!」」




 伊吹回とみせかけて喜美回とみせかけた伊吹回のようでやっぱり喜美回かもしれない回。なんか世界に恥部しか晒してなくない? この主人公。

 ブッキーは人間性とセメント性という両種をドロドロ煮詰めたハイブリットなので、基本的にイカれています。傍から見たら会話になってないのに氏照様とかと意気投合してるタイプ。
 ……別に二重人格とかではないのですが、憑依系の作品で『憑依先の人物』がその世界で培った価値観と『憑依したオリ主』が元の世界で育んだ価値観の両方が根を張っているのに近い。
 まぁ今回で尻に敷かれた(物理)ので今後は敷いてくれる尻増やしつつ都合よく境界線を反復横跳びしながら狂人理論振りかざしてくれることでしょう。

 ともあれ、誰が一番彼を理解していたのだろうか。
 というところで長くなりましたがまた次回。お待ちいただければ幸いです。

・伊吹の重力障壁
 ざっくり例えるならビーム撃てない代わりに分離連結可変可能なリスポーン有りのGNファング。
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